法の支配

この作品のお題は【魔法】です。
活かすも殺すも人次第。

 私は今、追われている。
 せっかく私のようなものが普通である世界に転移してきてはずなのに──事実、この世界の人も魔法を使っていたのに、なぜか私だけ、恐ろしいものに直面したような怯えた目で見られ、捉えようとしてくるのだ。
 まだ土地勘も何もない場所での逃避行は厳しいものがある。私はひとまず野山に入り、人の足跡がない小さな洞穴へと身を寄せた。落ち着いてから遠見をしようと思う。
 幼い頃、物心がついたときから、自分には魔法の力があることがわかっていた。特別な何かがあったわけでも、何かをしたわけでもない。親からの遺伝があったわけでもない。ごく普通に、呼吸をするように力の循環が感じられ、それを蓄えたり、様々な形で発したりすることができたのだ。
 人前でそれを使うことはなかった。その理解は、魔法の知覚と同様、ほとんど本能的なものだったと思う。人は自分たちと違うものを無意識に遠ざけ、恐れ、最終的には迫害する。たまに受容してくれる者もいるが、どうあれ、知られること自体がリスクなのだ。魔法では人の視覚や聴覚を惑わすことができても、唯一、考えを変化させることはできないため──それは外法で、魔法とは理が異なる──、この人なら大丈夫と安心できるものではないし、例え本意ではないにせよ、情報とは洩れるもの。であれば、わざわざ危険を増やす馬鹿はいない。
 しかしそれでも、私は魔法使いだと知られた。幸か不幸か、公的な機関に。
 幸は、私の力が公の役に立ち、それが仕事と金、そして家族の安心となったこと。
 不幸は、その仕事が表には出ない、非合法なものであったこと。
 様々なことをやった。口に出すのも憚れるような任務にもついた。半分は強制だ。魔法使いを殺すに凶器は必要ない。私がそれであるという確たる情報を撒くだけでいい。私は魔法で迫害を退けることができるが、使ったが最後、危険という二文字のレッテルがそれこそ死ぬまで付きまとう。そして死んだとしても、もしくは俗世から身を隠したとしても、普通に生きる係累にも同じものが貼られる可能性がある。情報は現代の魔法で、私が所属するのはそういう機関だった。
 ただ、もう半分は、正義のためと信じてやっていたことでもある。すでに起こったことへの対処も、未然の対応も、最終的には納得して任務にあたっていた。両親と姉が幸せに暮らすためと思えばこそだった。私は自分の能力ゆえ、人と積極的に関わることを良しとせずひっそりと生きていたが、それをある種の病気とみた家族は、何くれとなく力になってくれ、私の精神を癒してくれた。だましているようで申し訳なかったが、「生きてるだけで目っけ物よ」と笑ってくれた家族の優しさが、私にはとてもありがたかった。その家族に報いるためにも、私は暗い世界で動き続けていた。もちろん、家族には本当の職務は隠していた。が、働いているのが立派な公的機関であることは間違いない。突然働き始め、社会に出た息子に驚きはあったが、家族は、独り立ちした私を心の底から祝い、泣いて喜んでくれた。
 状況が一変したのは一年ほど前だ。思い出したくもないが、家族が死んだ。私がプレゼントした海外旅行の途中、飛行機事故だった。最初は敵性機関の仕業を疑い、次に自分の職場の介入も若干疑ったが、最終的に、それは純粋に事故だということがわかった。そして、わかったからと言って何が変わるわけもなく、賠償を得たからと言って心が晴れるわけでもなく、私はずぶずぶと、暗い澱の底へと気持ちを静めていった。そこからしばらくの記憶は曖昧だ。ケアはあるが、私の気持ちに忖度してくれる職場でもない。私は淡々と職務を遂行していたと思う。ほとんど惰性のようなものだった。
 半年ほどが経って、ふと、自分がここにいる意味はもうないと思うに至った。魔法の力を公に生かせるが、その最たる享受者と位置付けていた家族はもうこの世にいない。私の何某かの責を負う羽目になることもない。そもそも、私をこのような立場に引きずり込んだのは機関だ。私はただ、ひっそりと生きていただけなのに。
 私はこの世を去ることを決意した。死ぬのではない。それは家族の言葉に反する。そうではなく、せめて、私のような者が普通であり、平穏に生きる世界に旅立とうと考えたのだ。私の力ならそれが可能だった。
 大変だったのは、その世界を探し当てることだ。別の世界は、幾重にも織られたタペストリーのように折り重なって存在し、また、可能性に満ち溢れている。今の世界に似た環境で、言葉が通じ、ある程度の思想と秩序があり、魔法があるという条件は、なかなかに高難度だった。樹海に落とした木の実を見つけるようなものだ。結局、半年かかった。いや、半年で見つかったのだから、運が良かったのかもしれない。
 すぐにでも旅立ちたかったが、色々あるにせよこれまで世話になった最低限の礼として、当たっていた任務をきっちりと終え、見つけてから六日後に、私は生まれた世界を後にした。
 そうして辿り着いた安住の地で、私は追われているのだ。
 自分の力を信じているとはいえ、一応、諸条件の確認はした。世界には緑と空気が満ち、人がいて、社会を形成し、いくつかの国があり、経済活動があり、武力以上に対話で物事を進め、何よりも魔法があった。
「オイェク・イヌィ・オウジン・オノー」
 詠唱だけは耳慣れないが、料理屋の主人がそう言って火を出現させたのを見たし、魔法での移動補助を生業としている人の姿や、魔法生物を呼び出して農作業をさせている人の姿も見た。風の魔法で木の葉を飛ばして遊んでいる子どもの姿もあった。
 だから私も、コミュニケーションの一環として、旅人を装って──事実、旅人だが──泊まった宿で魔法を使ったのだ。突然ランプの灯が消えてしまったから、「火よ」と、安心した気持ちで。
 得られたのは賞賛ではなく、驚きと怯え、そして微かな恐れの目だった。
 訝しく思いながらも、その場では何もなく、私は部屋に戻りベッドに入った。先ほどの周りの反応と、これからの生活について考えていた夜半過ぎ、階下にざわめきが聞こえてしばらく、部屋に踏み込まれた。この国の警察だった。事態はわからずとも状況は把握していたため、すでに部屋は出ていたが、結局それから追われ続け、今に至っている。さすが警察は優秀な人材がいるようで、何度か発見されることもあったが、私も私で似たような組織に所属していた身だ。蛇の道は蛇ともいう。安全に逃げ出す術は心得ていた。
「大気よ」
 息を整え、私は声をあげた。大気を屈折させ、遠くの画と音を呼び寄せる遠見の魔法だ。今目の前には、この国の警察組織の一室が映っている。少しだけ見知った顔が、魔法使いについて上司に報告している姿がそこにあった。何かの間違いと後回しにしてきたが、その間違いを認め、そろそろちゃんと事情を知っておくべきだろう。
「実際に見ましたが、奴は〈魔法使い〉です」
「君の眼は信頼しているが……、しかし、まさか本当に存在するとは」
「私も驚きを隠せませんでした」
「本当に、無詠唱で?」
「はい。正確には短く言葉を発していましたが、それでも、私たち理法使いから見ればほぼ無詠唱です。人と自然の理から外れた、人外の力による、あれは魔法でしょう」
「……危険は?」
「正直なところ、まだわかりません。こちらに害を与えず逃げるだけというのは、裁量の一つになりますが、絶対ではありません。虎視眈々と機を伺っているともとれます。古来、<魔法使い>は、その力故に世界に破滅をもたらすと伝えられてきました。今のところ奴は安全側のふるまいではありますが……、いずれにせよ、捉え、然るべき処置をする必要があると考えます。……我が国のために働かせることができれば、他国にも一歩先んじれるかと」
「……そうか」
「長官、改めて、許可を」
「わかった。〈魔法使い〉確保を命じる。第一目標は生け捕りだが、場合により、処遇は任せる」
「承知いたしました。ありがとうございます」
 そう言って、少し見知った顔の男は部屋を出て行った。
 遠見の窓を閉じ、思わずため息を吐いていた。事態は大体把握できた。つまり、私はこの世界でも埒外というわけだ。折角転移してきたというのに、これは想定外だった。
 さて、どうしよう。また別の世界を探すべきか。ここにいても追われ続けそうだし、仮にあの男と協力関係を築けたとしても、そこから始まるのは元の世界と同じような生活になりそうである。それは嫌だ。
 もしくは、本当に世界を破滅させるか。
 いずれにせよ、今日はもう疲れた。回復したはずの気力体力も、再び底を尽きようとしている。
 私は手近なところにある石を寝具へと変化させた。無駄に魔法を使うと見つかる危険性が跳ね上がるが、それもどうでも良い気分だった。今は眠ろう。
 微睡みながら、一つ、明日からの憂鬱に思い至った。
 魔法では人の考えを変えることができない。しかし彼らは〈理法使い〉だという。であれば、人の理に触れる外法も扱える可能性がある。私の魔法は果たして、彼らの外法に対することができるのだろうか。
 いつどこの世界でも、結局恐れるべきは、法を扱う人のなのだろう。
 一瞬の理解の後、私の意識は深淵へと落ちて行った。

法の支配

法の支配

活かすも殺すも人次第。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-10-22

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