騎士物語 第九話 ~選挙戦~ 第八章 副会長の進化
第九話の八章です。
メインは現生徒会副会長であるヴェロニカさんのお話です。
第八章 副会長の進化
優秀な騎士を数多く輩出する国、フェルブランド王国にて一番の騎士学校と称されるセイリオス学院。その生徒の多くは代々が騎士の家系となっているのだが、当然ながらこの「代々」の長さには差があり、その家の初代とされる人物から騎士というわけではない家系も数多く存在する。
名門であるセイリオス学院の生徒であってもその家系図を辿れば各家に様々な始まりを見ることができるわけだが、中でもとある女子生徒の家の始まりは稀有を通り越して奇妙と言えるだろう。
学者の間でも意見が分かれ、正確な理由は未だに不明だが、一つの家系において血筋の者全ての得意な系統が同じという事が稀にあり、彼女の家系は代々が第六系統の闇の魔法の使い手となっていた。
これを利用し、彼女の家系は代々が行った魔法の研究を門外不出で子孫へ伝え、その家の者にしか使えない独自の魔法を編み出していった。それらは防ぐ事が困難な幻覚魔法や、いかなる方法でも検知されない毒といった、どう考えても真っ当な使われ方をしないタイプのモノであり、悪人や悪巧みをする権力者たちに好まれ、彼らとの取引で彼女の家系は栄えていった。
そう、彼女の家系の始まりは「悪」だったのだ。
それらの強力な魔法はA級犯罪者に分類されるような者たちを常連に迎え、時にはS級犯罪者すら利用し、彼女の家系は裏の世界において一目置かれる「名家」として知られるようになった。
だが、裏の世界で有名になるという事はそれに対応する騎士のレベルも上がるという事であり、ある時彼女の家の者たちは当時の《ジューン》によって捕らえられた。
ほとんどの者が実刑を受けたのだが、家系の者全員が悪事を働いていたわけではなく、その家の本業を知らずに嫁入り、婿入りした者たちは無関係という扱いになった。
これにより、悪用されるような魔法を除き、彼女の家系が代々研究してきた数々の魔法が「悪」ではない者の手に伝わったのだ。
これらを受け取った当時の者は、知らなかったとは言え自分たちの家系が「悪」をなしていた事を憂い、これからは世の為人の為に働こうと決意した。
言うなれば、この決意した人物が彼女の家系における「代々が騎士」の初代である。
以降、騎士として歩み始めた彼女の家系――レイテッドの家は、騎士の家系として知られることとなったのだ。
目的が悪用だったとはいえレイテッドの家が行ってきた魔法の研究はレベルが高く、それを使うレイテッドの騎士は多くの功績を挙げ、いつしか騎士の名家の一つに数えられるほどになった。
しかし古くから続く由緒ある騎士たちにとってレイテッドの名は未だ悪名であり、実績も実力も申し分ないのに重鎮たちからは認められないという状態が今なお続いている。
功績は充分であるし、重鎮たちからの冷たい視線は時間が解決する事は確実で、ゆえにレイテッドの者はいつか来る「その日」を過去との完全なる区切りとして見定め、今日も騎士道をまい進している。
ところがどういう神のいたずらか、彼女――ヴェロニカ・レイテッドにはそんな前向きな姿勢を突き崩してしまう恐ろしい才能が宿ってしまった。
レイテッドの魔法は門外不出で研ぎ澄まされたモノゆえ、魔法の使用条件の中に「レイテッドの血筋の者」という項目があるのだが、これを満たせば歴代の強力な魔法を全て使えるかというとそうではない。得意な系統が第六系統の闇の魔法になる事は確実でも、そこから細分化される様々な分野には個人の適正や才能といったモノが必要となる。
各々が自身の才能に合った魔法で活躍する中、彼女はどんな魔法を使う事になるのか。周囲も彼女自身も胸を高鳴らせたが、彼女にはレイテッドに伝わる全ての魔法に対してこれという適性がなかった。
血筋があろうと誰もかれもが才能に恵まれるわけではないし、そういう事例が過去になかったわけでもない為、自分がそういう一例になってしまったのだと、彼女はひどく落ち込んだ。
失意の中、レイテッド家が輩出した多くの英雄たちの記録に空想の自分を重ねて心を慰めていたある日、彼女はレイテッド家の悪名に辿り着いた。
自分の家がかつてはそういう家系だったと聞かされてはいたが、当時の記録はほとんど残っていないので今となっては関係のない事だと思っていた彼女だったが、わずかに記述の残る凶悪な魔法に妙な引っかかりを覚えた彼女はわらにもすがる思いで、悪用の危険性ありという事で禁術指定されて使い方も封印されたはずのそれを調べ、試し、そして思った以上にあっさりと、たった一人で再現してしまったのだ。
レイテッドの名を裏の世界に知らしめた悪の魔法への適正――それが彼女の才能だった。
かつての悪名を好ましく思わない今のレイテッドにとって彼女の才能は喜ばしいモノでは当然なく、この事が判明して以降、冷遇とまではいかないものの、彼女の肩身は狭くなっていった。
騎士としての道にイバラが這い始め、再度落ち込む彼女だったが、そこに思わぬ人物が訪ねてくる。
その人物はかつてレイテッドの者を捕らえた当時の《ジューン》の関係者で、禁術指定された魔法との適正を持つ者が現れたという事を耳にし、既に故人となっている《ジューン》からの依頼を果たしにきたというのだ。
話によると、禁術として回収された数々の凶悪な魔法――用途はともかく長い年月をかけて完成した強力な魔法をそのまま封印してしまうのは惜しいと考えた《ジューン》は、十二騎士の権限の下、それら一つ一つを研究、改良し、騎士として正義のために使えるようにしたのだという。
本来の用途から大きくズラした影響でほとんどの魔法が大幅に力の低下したモノになってしまったが、唯一、術者によって使い方に大きな差が出る召喚魔法だけは力を維持したまま改良する事ができた。
そして《ジューン》は、もしもレイテッドの家に、かつてその全てが捕らえられた事で才能の遺伝などがほぼ期待できない「悪の魔法への適正」を持つ者が現れたらなら、この召喚魔法を伝えて欲しいと言葉を遺したのだ。
悪の魔法への適正を持っていたとしても召喚魔法との相性が悪いという場合も勿論あったわけだが、これまた神のいたずら――もしくは運命か、ヴェロニカ・レイテッドにはどちらも備わっていた。
こうして、長きにわたって研究が行われてきたが封印されてしまったレイテッドの悪の魔法を唯一受け継ぐ者が誕生したのである。
この事をキッカケにその《ジューン》に強く憧れるようになった彼女は、その人物についての記録を片っ端から読み漁った。
その《ジューン》は当時にしては珍しい女性騎士。男社会という風潮の強い騎士の世界においても怯むことなく実力で周囲を黙らせ、更に得意な系統に起因する差別のようなモノ――魔力以外のモノでも魔法を起動できるという第六系統の闇の魔法の特性に対する嫌な視線も何のそので騎士道を歩み続け、結果十二騎士にまで到達した非常に強い女性だった。
現状、女性騎士に対する扱いはかなり改善されているが、闇の魔法に対する評価というのは未だあり、加えてレイテッドの家がかつて悪であり、自分の使用する魔法が当時のレイテッドが生み出した禁術であると知られればどうなるかは目に見えている。
だから彼女は憧れの《ジューン》の騎士道を理想とし、まずは自身の事が周囲に知られたとしても文句を言わせないような圧倒的な実力を目標に、騎士の道を歩み始めた。
結果、セイリオス学院に入学する頃には、現在のレイテッドの名門としての名を体現したような優秀な騎士の卵となっており、一時はその才能ゆえに疎ましい視線を送っていたレイテッドの者たちも彼女を認めるようになった。
ただ、この時彼女は目標とした《ジューン》とは少し異なる状態になっていた。
彼女にその自覚はなく、理想とする騎士の姿に向かって真っすぐに進んでいると思っていたのだが、セイリオスに入学してしばらく経ったある日、ある人物がそれを指摘した。
「君は一人で騎士団を名乗るつもりなのかい?」
田舎者の青年の時は魔法生物による首都への侵攻という大きな事件があったので行われなかったのだが、セイリオス学院には一年生と二年生の合同授業というモノがある。これは田舎者の青年たちが火の国へ行くことになった校外実習――魔法生物討伐体験特別授業を更に簡単にしたようなモノで、二年生引率の下、一年生たちがグループ単位でごく簡単な任務をこなすというモノだった。
二年生にとっては集団をまとめるという訓練であり、一年生にとっては初めての任務となるこの授業において、彼女はその実力をいかんなく発揮した。
結果は上々。評価も良いモノをもらえて満足だったのだが、授業の後、彼女を引率した二年生が彼女を呼び止めたのだ。
時期的にランク戦が行われるよりも前の出来事だったので具体的な実力は知らないのだが、その二年生はとんでもなく強いと噂されている人物だった。
「君は勇敢に先陣を切っていくけど、「私についてこい!」ではなくて「私がやるから他はそこにいて」という感じだ。ソロの騎士もいるから別に否定はしないけれど、少なくとも今日はチーム戦だっただろう?」
背中の辺りまで伸びた銀髪。きれいな白い肌。すれ違えば誰もが視線を奪われるだろう美しい顔。遠目には女性に見えるかもしれないその男子生徒は、半分笑い、半分真剣に彼女に言った。
「一匹狼はカッコイイけど、必要なら共同作業もできるような孤高じゃないと切り抜けられない場面というのはあると思うんだ。」
そんなつもりはなかったのだが、《ジューン》の騎士道を目標にするあまり、他者を遠ざけて一人で全てを成そうとするようになっていたかもしれない。それにふと気づくことができた彼女ではあったが、突然説教してきた先輩が言うような問題があるとも思えず、その時は適当な受け答えをして話を流した。
だが――
「いやいや、そうかそうかレイテッド。あの独特な家の……なるほどね。」
その後、一人でお昼を食べていると何故か銀髪の先輩が目の前に座って色々と話しかけてくるようになった。
「それで余計になのかな。第六系統の使い手で女性となるとある代の《ジューン》を憧れの騎士と言う場合が多いからね。加えてその《ジューン》はかつてのレイテッド家を捕まえた騎士。君の中で彼女が大きな存在になる事は理解できるよ。一人で何でもしようとするのも彼女の影響かな? うん、まぁ心意気はいいと思うけれど、実際問題どうしようもない時というのはあるはずさ。」
こちらの事を何でも知っているかのようにペラペラとしゃべり、最終的には「一人で戦うことを止めた方がいい」という意見を言っていく銀髪の先輩に辟易としていった彼女だったが、ある時からそんな風に話しかけてくる人物が増えた。
「あらヴェロニカ、ペア作りで余るなんてさすがね。ちょうどいいから私と組んで勝負しましょう。」
「この前の模擬戦では負けたけれど、今日は私が勝つわよ、ヴェロニカ。」
いつからだったか、事あるごとに突っかかって来るというか挑んでくる緑髪の同級生。騎士としての実力勝負だけならまだしも、時にはお昼に彼女と同じモノを頼んで早食い勝負まで仕掛けてくる始末。まともに会話した事もないのに、そんなところを見た銀髪の先輩は気持ちの悪い笑みを浮かべて遠ざかる。
銀髪の先輩の指摘の通り、自分は第六系統の闇の魔法の使い手というのを理由のようなモノにして他人と距離取っているかもしれない。しかしレイテッドの過去や自分の魔法について知られた時に面倒にならないという意味では最適な状態であるし、何より理想とする《ジューン》は周囲に流されずに意思を貫いた騎士――競い合う間柄である他の生徒と仲良くすることにそれほどの価値は感じられなかった。
そんなある日、セイリオスの長い歴史の中でもそうそうない事件が起きる。二年生の授業の一つである魔法生物学において、資料として用意された魔法生物の標本が暴れ出したのだ。
それはとあるBランク魔法生物の全身標本で、当然既に死んでいるはずのそれが動き出したのはちょっとした事故。教師が用意したとあるマジックアイテムと、一人の生徒の私物であるとあるマジックアイテムが反応し、その標本をゾンビのような状態で動かしたのだ。
Bランクの魔法生物となると経験の浅い学生の場合は二年生でギリギリ勝てるかどうか、一年生ではまず勝てないとされるのだが、それが学院内を走り回っているというのを耳にした彼女は、教室を飛び出してゾンビ退治に打って出た。
緑髪の同級生はともかく、くどくどと忠告してくる銀髪の先輩に目にもの見せてやろうという、日頃のうっぷん晴らしも兼ねての出撃をした彼女は、廊下を走って来るゾンビの前に立ちはだかった。
重力魔法で動きを鈍らせ、レイテッド家が編み出した召喚魔法で呼び出した強力な悪魔で攻撃を加える。相応の反撃はあったが召喚した悪魔には大して効いていない。
勝てる。Bランクの魔法生物を倒せる。確信した彼女は悪魔に指示を出し、もっと広い場所――校舎の外へとゾンビを殴り飛ばした。
「うん、ある程度は一人でも戦えるんだけどね。ダメになるとどうしようもなくなるのが魔法生物との戦闘さ。」
ゾンビを追って外に出た彼女の横に、いつの間にか銀髪の先輩が立っていた。
「いやはや、珍しい光景だから動いているのをぼーっと眺めてしまったよ。誰かが戦いを挑むという事を予想するべきだったね。君みたいな――まだまだ知識のない生徒が。」
銀髪の先輩の一言の意味はすぐにわかった。校舎の外の芝生の上に転がっていたゾンビが――生前からそうなのか死体だからなのか、生物の声とは思えない音を口から発すると、周囲の地面が隆起し、形を変え、自分の姿を三倍ほど大きくしたようなゴーレムを四体作り出したのだ。
「あの状態でも魔法が使えるとは驚きだけど、魔法生物との戦闘で重要なのは相手に魔法を使わせない事なのさ。なにせ人間よりも上手に使うからね。」
彼女は自分の失敗に気づく。つまりこのゾンビは第五系統の土の魔法を使う魔法生物で、広い場所で存分にと考えて外に出したのは、地面というこのゾンビにとってのホームグラウンドに案内してあげたという事なのだ。
「ヴェロニカ! 貴女だけ抜け駆けは――し、『神速』!?」
「おや、君の友達のレモンバームくんじゃないか。これはちょうどいい。ミスはしたけど折角だ、先生方が来る前に協力してやっつけよう。」
「……協力なんて必要ありません。」
確かにミスだが問題はない。ゴーレムが出たところで本体はあのゾンビ一体のみ。ノロマなゴーレムをかいくぐって本物だけを攻撃すれば――
「もしかして、あのゴーレムをかいくぐって本体だけを狙おうと考えているのかい?」
彼女が自分の考えを完全に読んだ銀髪の先輩に驚きの表情を向けると、彼は困った笑顔でため息をついた。
「たかが土くれと侮ってはいけないよ。魔法が使えると根本的な事を忘れがちだけど、大きさや重さの差っていうのは思っている以上の戦力差だ。ついでに言うと、こっちの方が小さいならそれをを活かしてすばしっこく動き回れば、という考えも危ない。なにせゴーレムは生き物じゃないから――」
銀髪の先輩が言い終わる前に、ゾンビが作り出したゴーレムが一斉に跳躍してこちらにとびかかって来た。
それは大きな生き物がのっそりと行うような動作とは異なる、砲弾が放たれたかのような超速。彼女と彼女の同級生がその攻撃に気づいた頃には目の前まで迫られていたのだが、その一撃が彼女たちに届く直前でピカッと光りが閃き、ゴーレムたちは跳ね返された。
「――下手をすれば僕らよりも速い。」
光を帯びた脚を突き出した姿勢――片脚立ちだというのにわずかな揺れもない銀髪の先輩が、ゆっくりとその脚をおろしながら後ろの二人の方を向く。
「残念ながら四体のゴーレムと本体のゾンビを一度に倒せるような火力はこちらにないから、あのゴーレムを抑えつつ本体を狙う必要がある。レイテッドくん、あのゴーレムを抑えられる悪魔は同時に何体出せそうだい?」
「……二――いえ、三体なら……」
「となると一体を倒して以降のゴーレム作成を阻止しながら本体を倒さないとならないね。レモンバームくんは雷の魔法が得意だったね? 本体に電撃を放ち続けてくれるかな。」
「そ、それにどんな意味があるのよ……」
「ふふ、バチバチしてたら気になってゴーレムも作れないさ。それほど威力は必要ないから、継続させる事を優先してね。あ、レイテッドくんは所々で重力魔法での援護も頼むよ。」
さらりとそこまで言った銀髪の先輩の姿が消え――ると同時にゴーレムの一体が……その巨体が何かに殴られたみたいに宙を舞った。
「と、とにかくやるわよヴェロニカ!」
言われた通りにゾンビ本体に電撃を放ち始める緑髪の同級生。当然それを避けようとするゾンビに重力魔法をかけつつ悪魔を召喚。さっきのスピードに対応できそうなタイプをぶつける。
「――っ……!」
レイテッドの魔法によって召喚された強力な悪魔ではあるが、三体分という事で一体にかけられる魔力や集中力にそれほど余裕はなく、ゴーレムと拮抗するだけで精一杯。
校舎で戦った時とは全く違う状況。彼女はゾンビとそれが生み出したゴーレムの足止めしかできていない。
「そいやっ!」
そんな中、本人の姿は見えないのだが間の抜けた声と共に一体のゴーレムが粉砕される。
「二人とも、ちょっとだけゾンビの足止めをパワーアップだ!」
その声に従い、緑髪の同級生が電撃を、彼女が重力魔法を強める。電撃から逃げ回っていたゾンビの動きが一瞬止まり――
「ほいっ!」
パッと空中に姿を見せた銀髪の先輩が回転しながらかかと落としをゾンビに叩き込む。ヒットと同時に一筋の閃光が柱のように天に伸び、それが消えた跡には身体の半分が消し飛んゾンビが倒れていた。
かけつけた教師から怒られたり褒められたりした後、クラスの面々から拍手を送られた彼女だったが、自分が何もできなかった事実に苦い顔をした――
「あはは、気づきが悔しさだけというんじゃ勿体ないね。」
――のだが、翌日のお昼に当たり前のようにやってきた銀髪の先輩はそんな彼女を笑った。
「大事なのは場面ごとの活躍さ。一人で倒してやろうと突撃した君は一時的にあれを圧倒した。だけど環境が変わるや否や防戦一方。しかしその防戦とレモンバームくんの援護がなければ僕が一対一でゴーレムと本体を順番にやっつける事はできなかった。後半は僕だって一人じゃどうしようもなかったわけさ。」
あの速度があれば一人でもなんとかなったんじゃないかという疑いはあったが、彼女は銀髪の先輩の話を始めて真剣に聞いていた。
「勿論、あの状況でも一人で解決できてしまう騎士はいるだろう。でもいつかどこかで、昨日の君みたいに一変した戦況に成す術もなくなるかもしれない。それを打倒し得る可能性が共闘というわけさ。だから前にも言ったように、孤高の騎士でも構わないけど、たまの共同作業をできるくらいにはみんなと仲良くした方がいいわけだね。」
やはり最後はその結論に至るのだが、この時ばかりは適当な返事が返せなかった。
「君が憧れる《ジューン》も一人で最強みたいなイメージが強いけど、ムーンナイツだって数人いたみたいだしね。」
ふふふと笑う銀髪の先輩に、彼女は今更ながら尋ねる。
「……あの……どうしてなんですか……? 私の事を、こんなに気にかけて……」
「? ああ、可愛い後輩の為とかそういうわけではないよ。あくまで僕の為さ。」
その時初めて見せた銀髪の先輩の、にこやかな雰囲気が消えた表情に彼女はゾッとする。
「長い年月をかけて練り上げられ、多くの騎士を苦しめたレイテッドの裏の魔法。それが今、騎士の側にやってきた。しかも繋がりを得やすい同年代の君と共に。それを改善可能な未熟さで失うのは惜しい。「いつかどこかで」、僕を助けてくれるかもしれない、それをね。」
彼女の、自分の家がその昔どうだったとか、そんな程度ではない裏――闇とも呼べてしまうような何かがこの銀髪の先輩にはある。それを確信できる言葉に震える彼女だったが、それは目の前の人物が煩わしいだけの人物ではなくなった瞬間でもあった。
一体何があればこうなるのか。そしてどうすればこんな強さを得られるのか。彼女は、それが気になった。
その後、生徒会長に立候補した銀髪の先輩――デルフ・ソグディアナイトを追うように、彼女は生徒会副会長に立候補したのだった。
「……なんだか懐かしい夢を見ましたね……」
むくりと起き上がったヴェロニカ・レイテッドはふふふと笑う。
週末が明けて選挙は後半戦。ヴェロニカが立候補している「生徒会長」の選挙戦も始まる為、自分の選挙がいよいよ本番を迎えた事に少しの緊張を覚える。
「……どうにも不安は拭えませんね。」
それが選挙の全てでは無いにせよ、選挙戦の結果が票数に影響を及ぼす事は確実。自分が戦う事になる他の立候補者の強さを思い出し、ランク戦一位だからと言って油断していい相手ではない事を再確認し、ヴェロニカは最近お世話になっている後輩たちの事を考える。
「情けないような気もしますが、賑やかな彼らから元気をもらいましょうか。」
かつてヴェロニカを案じて――いや、正確にはレイテッドの魔法を理由にヴェロニカを気にかけたデルフが今最も執心の存在――ロイド・サードニクス。その詳しい理由までは把握していないが、ヴェロニカ自身も彼には何かあるのだろうという事をぼんやりと感じていた。
「風紀委員長から目をつけられるような彼らですが、この学院でトップクラスに騎士というモノを志している方たちかもしれませんね。」
少し前までは窓から下を見れば彼らが朝の鍛錬をしている光景が見えたモノだが、部活となって部室を得た現在はそっちで鍛錬を行っている。
まだ早朝という表現がしっくりくる冷たい空気の中、ヴェロニカは彼ら『ビックリ箱騎士団』の部室へと向かった。
「これは副会長、おはようございます。」
「んお、まさか朝から一戦か!?」
部室の前までやってきたヴェロニカは、まるで廊下に立たされている生徒のように扉の横で立っているカラードとアレキサンダーを見て首をかしげる。
「……入らないんですか?」
「ロイドがいつも以上の修羅場なようなので、とりあえず避難しているのです。」
そう言いながらほんの少し扉を開けて中を見るように促すカラード。ヴェロニカがそのわずかな隙間から中を覗くと――
「どどど、どうしたんですかみなさん!?」
デルフ執心のロイドが椅子に縛られた状態で『ビックリ箱騎士団』の女性陣に囲まれている光景が見えた。
「ちょっとしたキッカケがあってな。前々からハッキリさせなければと考えていた事ではあるから丁度いいと思ったのだ。」
「何の事ですか!?」
「ロイドくんの昔の女についてさ。」
「ムカシノオンナ!? そ、そんなモノは存在しま――あ、いや、ミ、ミラちゃんはあの、記憶が無いというか封じられているせいでアレなのですけど!」
「女王様以外のってことだよー。ロイドが旅の中で会って仲良くなっちゃった女の子は全員可能性があるからねー。」
「ロ、ロイドくんは結構……鈍い、から……き、気づかない内に……好きになられてるって……あると、思うの……」
「要するにボク以外の女の子の知り合いをぜーんぶ教えてくれればいーんだよ! そしたら全員ボクが首を――」
「あんたは何言ってんのよ……と、ともかく……そう、とりあえずは……エ、エリカって女について、しゃべってもらおう――かしら……?」
「エ、エリカ? どうしてその名前が……」
見たところ浮気――というと田舎者の青年の場合は今更な気もするが、彼女たちの知らない女性についての追求らしいのだが、その「エリカ」という名前を聞いた彼の反応は「まずい!」というような焦りではなく、久しぶりに嫌な名前を聞いたというような表情だった。
「む? 予想とは違う反応だな……」
田舎者の青年にしては珍しい反応に彼女たちは困惑する。
「おっと、いつもとは違うようだ。」
「となると面白い話のパターンだな。入っとくか。」
ヴェロニカと共にそれを見ていたカラードとアレキサンダーは、そんな反応を見ると堂々と扉を開いて中に入っていった。
「……本当に独特ですね、このチームは……」
そしてその流れを見てくすりと笑ったヴェロニカもまた、そそっと部室に入った。
「……で、誰なのよ、そのエリカっていうのは。」
いつもみたいに「そんなんじゃないですから!」って感じにワタワタすると思ったら珍しく嫌そうな顔をしたロイドにそう聞くと、しぶしぶって表情で答える。
「えぇっと……いつだったかエリルにはちょっと話したような気がするけど……ほら、色気について熱く語る男友達。あれがエリカだよ。」
「……どう考えても女の名前だけど……」
「エリカっていうのは愛称で……んまぁ、本人も女の人と間違えられるのを狙ってる感はあるんだけど、元々は長い本名を縮めたモノで――ん? そういえば本名はなんだったっけか……」
「ちょ、ちょっと待つのだロイドくん。女性のような名前を名乗って色気を語る人物と言われるとイメージがあっちの――そっち系の方向に……や、やはりロイドくんの魅力はそういう人にも働いてしまうのか……!」
「そんなことは――……ああ……でも……び、微妙に否定できない……」
若干顔が青くなるロイド……なんかとんでもない奴みたいね……
「なーんか濃い性格っぽいってゆーのはわかったけど、友達って言う割には嫌そーな顔してるよー?」
「えぇっと……」
ロイドが何とも言えない顔になる。そういえば女の名前ってことでつい縛り上げちゃったけど、そもそもラドラの話だとロイドにとってエリカって名前はいい記憶じゃないのよね……
「普段はいい奴というか……んまぁ、普段も結構ハジけているんだけど、趣味――色気について……いや、根っこにあるのはだ、男女の関係性というか、そういうモノに興味津々で語り出すと色々とアレで……珍しくフィリウスもゲッソリするくらいにすごい奴なんです……」
同じくゲッソリって感じに沈むロイドを見て、あたしたちはため息をついた。
「ふーむ……まぁ、今回のエリカなる人物に関してはロイドくんの変な知り合いという事でとりあえずいいだろう。しかし過去の女性遍歴についてはキチンとしゃべってもらうぞ。」
「ヘ、ヘンレキなんてモノは……と、というかどこからエリカの名前が……」
「あー……そうだな、簡単に言うとロイドくんの記憶を引っ張り出して支持率を下げた例の記憶の魔法の使い手から、ロイドくんの記憶の中に女性の名前があったという情報を得たのでな。こうして問い詰めたわけだ。」
「えぇ? クルージョンさん、そんなに色々とオレの記憶を……?」
「大丈夫だ、記憶の魔法もそこまで万能ではないらしい。あの過去の記憶以外で覗けたのはエリカという名前だけだそうだ。」
「ま、また変な記憶を……でもまぁ、それならよかった。」
「……覗かれると困る記憶でもあるわけ……?」
「そりゃまぁ……もしも何でも覗けるとか言われたら――ほ、ほらその……み、みんなとのアレコレとか……」
ちょっとビックリだけど、あたしたちと同じようにソ、ソッチ――の記憶について心配したロイド……!
「……スケベ……」
「えぇ? あ、いや、そ、そっちのアレコレ――もそうだけど! み、みんなからのココ、コクハクとか、ユーリのせいでオレが色々言っちゃった事とかその辺が恥ずかしいのです!」
「ふむ、確かに愛の語らいを覗かれるのは良い気分ではないな。」
「本当に申し訳ありませんでしたね……」
「うむ――む?」
あたしたちの誰でもない声に振り向くと、ちょっと前に部室からこそこそ出てった気がする強化コンビがいつの間にか戻ってきてて、その隣にヴェロニカが立ってた。
「……なんであんたがいるのよ……」
「すみません、さっきまでは盗み聞きしていたのですが、廊下にいたお二人が途中から入って行ったのでつられて……クルージョンさんのせいで大変な事になってしまっているようで、再度申し訳なく思います。」
「あ、いえ、前にも言いましたけどレイテッドさんのせいでは……」
縛られたままでワタワタするロイド――っていうか盗み聞きって言ったわね、こいつ。
「あんたの選挙戦、今日あたりから始まるんじゃないの? 朝からこんなとこ来て、まだ何かつかもうってわけ?」
「いえ……何と言いますか、きっと朝から賑やかなのだろう『ビックリ箱騎士団』から元気をもらおうかと思いまして。実際、面白い所が見られて緊張が和らぎました。」
「あたしたちを何だと思ってんのよ……」
なんかこの……悪びれもしない感じっていうか、自分のペースでしゃべる感じはデルフに似てる気がするわね……
エリカの記憶を覗かれた――と言ってもそういう名前がオレの頭の中にあったという程度の覗きらしいのだが、久しぶりに聞いたあいつの名前に昔の色々な事を思い出す。
当時はあいつの言っている事の半分も理解できなかったのだが……み、みんなとのあれこれを経験した今、ちょっとわかるようになっている自分に驚いた。
……あの時は魔法についての知識がゼロだったけど、今思えばあいつってすごい使い手だったんだな……
「選挙戦とミニ交流祭でアップダウンを繰り返しているロイドくんの支持率は今のところどんな具合なのか気になるところだな。またひょっこり会計がやってこないだろうか。」
「あははー、今思えばあの時支持率をあたしたちに教えたのも会長の何かの作戦だったのかもしれないねー。」
レイテッドさんが我ら『ビックリ箱騎士団』に元気? をもらいに来た後、椅子への拘束から解放されたオレはみんなといっしょに学食へ朝食を食べにやってきた。
選挙の事もあるせいか、学食における周囲の視線というモノに敏感になってしまっているわけだが、ローゼルさんが言うように支持率が上がったり下がったりなせいでその視線の種類が良いとも悪いとも言えない微妙なモノになっている。
選挙期間は残りわずか。庶務立候補者としての選挙戦であるクルージョンさんとの戦いは終わり、ミニ交流祭ではカペラのポリアンサさんとアリアさん、プロキオンのキキョウやヒースを含む新生徒会メンバーとの勝負もやって……もしかしたらマーガレットさんとの再戦の機会があるかもだけど、あと確実に残っている勝負は……キブシとの選挙戦だ。
キブシは生徒会長に立候補しているわけだからそっちの選挙戦もあるわけで、オレとの試合がいつになるかはまだわからないが……たぶんかなり強くて、その上でオレは負けたくない相手だ。
「選挙管理委員長によると今日から生徒会長立候補者の選挙戦みたいだからね。キブシくんも本腰を入れるだろう。」
「そうですか……って、えぇ?」
あの腹の立つ人物を思い浮かべていると、そんなオレの頭の中を読んだかのような事を言いながらデルフさんがやってきた。
「いよいよ大詰めだね。ちなみにサードニクスくんの応援演説の件はどうなったんだい?」
「さらっと会話に加わるんじゃないわよ……」
会話どころか同じテーブルに座って朝食を食べ始めたデルフさんにエリルがつっこむが、いつもの笑顔でふふふと流される。
「良くも悪くも今回の選挙一番の注目はサードニクスくんだ。結果、他の立候補者たちには想定外な事が起きづらく、支持率の差は初めの予想から大きくずれていない。けれどこれはサードニクスくん単体の影響力が非常に大きくなっているという事でもあり、キブシくんとの選挙戦はキブシくん自身の支持率を大きく変動させるだろうし、サードニクスくんが誰かの応援演説をしたなら、そこから流れを変える波紋が広がる可能性もある。」
食パンにマーガリンとイチゴジャムを塗りながら、デルフさんは淡々と話す。
「個人的な要望――というか、推薦しているわけだからレイテッドくんには是非とも会長になって欲しい。能力も申し分ないしね。仮にサードニクスくんがレイテッドくんを応援するというなら盤石だけれど、他の誰かとなると先に言ったように番狂わせの可能性があるから、僕としては気になるところなのさ。」
「えぇっと……だ、誰を応援するかはき、決めてないです……」
「ほうかい。」
美味しそうに色付けされた食パンを頬張り、ごくごくと牛乳を飲んだデルフさんは――
「まぁ、できるならレイテッドくんを応援して欲しいとちょっとばかりの圧をかけつつも、選択はサードニクスくんの自由だと言っておこう。ではでは。」
――朝はあんまり食べないのか、それだけ食べて去って行った。
「な、なんかいつもと違う感じだったな、デルフさん……爽やかさがないというか……」
「ふむ、まぁ明らかに目的は別だな。周りを見てみるのだロイドくん。」
ローゼルさんに言われて視線を移すと、ひそひそ話しながらオレたちの方を見ている人がちらほらいた。
「恐らく今の会話内容に大した意味はない。そもそも自由だというなら誰の応援もしないという選択肢もあるのだからな。」
「あ……そ、そうか。なんかしなきゃいけない気分になってた……」
「ロイくんてば、変な商売とかに引っかからないようにね。」
「う、うん……えっと、それじゃあデルフさんは……」
「一緒に朝食を食べているところを周りの生徒に見せる事で、自分がロイドくんを推薦しているという事実を再認識させた――というところではないかな。わたしたちがロイドくんの不安定な支持率を気にするように、あっちはあっちでヒヤヒヤしているのだろう。」
「あははー、なんかあの手この手って感じだねー。でも今会長が言ってた事って無駄話でもないよねー。割と事実ってゆーかさー。」
「ふむ……だが実際問題、会長立候補者であるレイテッド、レモンバーム、ブラックムーン、キブシの先輩方から誰かをとなると、今の副会長以外に選択肢はないだろう。会長からの推薦、副会長としての実績、ランク戦一位の実力、文句のつけようがない。」
文句なし……確かにそうだ。それでも更に力をつけようとオレたちのところに来たりするわけだから、レイテッドさんはすご――
「すごいわね、この席って。」
そう言いながら、この前と同じように椅子を引きずってやってきたのはレモンバームさん。今日はサンドイッチを持っている。
「会長とか会計とか他の立候補者とか、入れ替わりで色んな人が来るのね。」
「レ、レモンバームさんもその一人ですけど……な、何かご用でしょうか……」
未だに誰もいない教室での攻撃が思い返されて顔を見るとドギマギしてしまう……
「応援演説の事よ。私自身を対価にしゃべってもらおうと思ったら断られたから、別のモノでお願いしにきたのよ。」
今しがた、応援演説をする義務はないという事に気づき、会長に選ぶならレイテッドさんかなぁと思っていたところなので……たぶん、オレは微妙な表情になった。
「あの、それなんですけど……や、やっぱりオレはレモンバームさんの事を良く知らないし、か、仮に誰かを応援するなら――」
「ヴェロニカだって言うんでしょ。最近仲良しだものね? でもそれは別にいいわ。親密になって貴方からの応援をゲットしようとは初めから考えてないもの。釣り合う何かで取引できればいいだけだからね。」
そう言いながら、レモンバームさんは……何だろうか、襟とかにつけるような大きさのバッジをコトンとテーブルの上に置いた。
「本当に偶然だけれど、私は私の家の事情から、これの情報を他の誰よりも多く入手できる。それを教える代わりに、私を応援してくれないかしら。」
「?? えぇっと……これは一体……」
だいぶサビついたバッジ。古いからなのか扱いが雑なのか、何かの鳥が彫り込まれているみたいなんだけど絶妙に歪んでいて……正直ガラクタの類にしか……見え……
「…………?」
……なんだ……? 妙な感覚だ……見覚えがある……?
「貴方の選挙戦で観たあの凄惨な光景。その中にこれを見た時は驚いたわ。おとぎ話みたいに聞いてたそれの実際の現場を映像で見るなんて思っても――ああ、ごめんなさい。これ、正しい向きはこっちよ。」
テーブルの上に置かれたそれをレモンバームさんが百八十度回転させる。飛んでいる姿に見えた鳥は逆さまの方がしっくり来て、つまりこれは飛んでいるのではなく落ちて……
「……ロイド……? あんた、真っ青よ……?」
エリルが心配そうにオレの顔を覗き込む。真っ青……きっとそうなんだろう。全身が冷えていく感覚……すごく嫌な何かが喉元まで来ている……
「あら、これは予想以上の反応ね。記憶の中にあっても貴方自身はきちんと覚えていない……これはいい取引になるわ。」
テーブルの上のバッジを回収し、レモンバームさんは立ち上がる。
「これは貴方の過去につながるモノ。理由はわからないけどこれが気になってしょうがないって感じでしょう? 応援してくれる気になったら演説の時に私のところまで来て。原稿は適当に準備しておくから。」
再度椅子を引きずって去って行くレモンバームさん。結局手にしたサンドイッチを一口もかじっていなくて……ああいや、それよりもあのバッジ……あれは……
「ロイドの記憶の中にあったと言っていたな。」
オレがいきなりの事に動揺していると、落ち着いた声でカラードがまとめる。
「あの映像を観た時、彼女は家の事情とやらの関係で他の人が気づかない何かに気づいた。恐らくロイド自身は光景として記憶しているだけでそれに注目した事のない、何かにだ。彼女の口ぶりから察するに……あまりこういう事に憶測の域の話をしたくはないが……もしかすると、あの事件を引き起こした者に繋がる手がかり――なのかもしれない。」
憶測の域――そう前置きしたカラードだけど、たぶんそれが正解で……事件を引き起こした者に繋がる手がかりって聞いた瞬間、ほんの一瞬だけどロイドが怖い顔になって……そして深く息をはいた。
「ロイド……」
「……うん、大丈夫……だい、じょうぶ……」
ほんの数回だけど、見た事のある表情。昔のあれが絡む時に時々なる……今にも消えてしまいそうな、悲しい、寂しい顔……
反射的に、あたしはロイドを抱き寄せた。
「全然大丈夫に見えないわよ……」
「……ごめん……ありがとう……」
力なくあたしの背中にまわるロイドの腕。ほんの少しの間そうしてると、ロイドがあたしの背中をポンポンと叩き、あたしはロイドから離れた。
「……なんかこういう時は毎回エリルに助けてもらっている気がするな……」
「気にしなくていいわよ……あたしはあんたのカ――」
「次からはこの妻にっ!」
ついうっかり、いつも以上にすんなりとカ、カノジョ――って言葉が出そうになったところで、ローゼル――っていうか強化コンビ以外の全員があたしを睨んでた。
…………あれ……ていうかここ、が、学食じゃない……! 何してんのあたし! ほ、他の生徒の前でだだ、抱きしめ――!?
「わたしだってロイドくんを支えるぞ! さぁ今からでもエリルくんよりもナイスバディなわたしが包もう!」
「ボク! ボクがロイくんを癒すから!」
「あ、あたしも……ギュッて……」
「あははー、デートのときの温泉みたいに身も心もぽかぽかにしてあげるよー?」
「あ、あの! も、もう大丈夫! 元気ですから!」
狙ってやってんのかいつも通りなだけか……こういう時ばかりは頭のいいローゼルだから前者のような気がしてくるんだけど、沈んでたロイドが元気にあたふたする。
「ひひ、『ビックリ箱騎士団』に重い空気みてーのは一瞬しか存在できねーんだな!」
「ふふ、素晴らしい事さ。必要ないとは言わないが、マイナスの感情を持ち続ける事は心に毒だ。今の思いもよらない情報も、見方を変えれば記憶の齟齬など色々と不明点の多いロイドの過去を明らかにできる糸口が見つかったかもしれないという朗報。プラスに受け止めなければな。」
「そ、そう――だな。うまくいけば封じられてるオレの記憶が戻ったりするかもしれないわけだし……下ばっかり向くのは良くないな。」
まだちょっと頑張ってる感はあるけど、ニッコリと笑うロイド。
豪快っていうかあんまり深く考えないアレキサンダーと、何に対しても冷静っていうかマイペースなカラード。でもってうるさいローゼルたち……すっとぼけてる顔してる割に結構色々あるロイドにはいい感じかもしれないわね、この騎士団。
……まぁ、人のか、彼氏を狙うのはどうかと思うけど……
「つか家の事情ってなんなんだろーな? レモンバームってのは騎士の家系じゃねぇって事なのか?」
「騎士となると大部分が戦う者だが、裏方として有名な騎士も多い。情報云々と言っていたから、そういうタイプの家系なのかもしれないぞ。」
「ふむ……人の夫を誘惑した者というイメージしかなかったが、メリッサ・レモンバームは意外と重要人物になるかもしれないな。とりあえず選挙戦で彼女がどんな騎士なのか見てみるか。」
「さらりと夫とか言ってんじゃないわよ……」
「あれは……そうか、レモンバームくんは……」
学食の外。その入口が見える木の下で、田舎者の青年たちが座っているテーブルを近くで見ているかのように呟くデルフの横に、呆れた顔のヴェロニカが立っていた。
「何と言いますか、本当にご執心という感じですね、会長。覗き見なんてして……」
「ふふ、サードニクスくんも波乱だけど、僕も万丈で欲しいモノは欲しいのさ。」
「変な使い方を……それとさっきのは何ですか? 私を応援するように言ったりして……」
「おや、聞こえていたのかい?」
「『ビックリ箱騎士団』に近づく会長が遠目に見えたので、魔法で今日二度目の盗み聞きをしました。」
「二度目?」
「こっちの話です。応援してくれるのはありがたいですけど、推薦してもらっただけで充分ですよ。」
「油断はいけないよ、レイテッドくん。サードニクスくんのようなイレギュラーは僕の選挙の時にはいなかったからね。他の立候補者にどういう影響を及ぼすのか――最悪僕の推薦が消し飛ぶような何かだって起きかねないから注意を払うのさ。レイテッドくんには会長になって欲しいからね。」
「私の魔法――レイテッドの魔法との繋がりを残すため、ですか?」
昔デルフが言った事をやれやれという表情で言ったヴェロニカだったが、デルフはきょとんとする。
「? レイテッドくんが副会長になった時点で僕と君は生徒会メンバーという繋がりを得たからそっちは満足さ。」
「? ではどうして……」
「どうしてって……僕にだって母校となるセイリオスの更なる発展に貢献したいと思うくらいの愛校精神はあるさ。後輩たちの為により良い会長を。当然だろう?」
「……!」
「それにね、あの頃ならまだしも、今の僕にとってレイテッドくんは価値あるレイテッドの魔法を受け継ぐ唯一の存在ってだけじゃない。一年間僕の世話――生徒会メンバーとして頑張った仲間だからね。後押しをしたくなるのもまた、当然だろう?」
「……そうですか。」
さらりと、しかし隠しきれない笑みで口を歪めながら、ヴェロニカは呟いた。
過去への糸口。応援演説をする事でその情報を得る――かどうかは一先ず置いておいて、そもそもレモンバームさんがどういう人なのか……今のところお、お色気攻撃をしてきた先輩という認識しかないから、色々と見極めるというか……とりあえず、オレたちは放課後に行われる選挙戦の観戦にやってきた。
立候補者の一人――となってしまっているオレにはあまり関係がないのだが、選挙期間も後半戦となり、デルフさんが用意した勝敗を予測するイベントもスパートがかかったらしい。
「えぇ? 生徒会長立候補者の選挙戦はポイントが倍増?」
「そうなの! ボク今のところ結構いい感じだから、旅行券ゲットしてロイくんとデートするの!」
「そ、そんな賞品もあるんだ……」
「ロイドのモテ講座にも興味あるけどねー。」
「教えるような事何もないですからね!?」
「あんたは何もしなくてもあっちこっちから女を引き寄せるものね……」
「びゃ、そ、それはあの、き、きっと恋愛マスターの力の副作用でして……」
「あ、あの二人は……引き寄せ、られた……んじゃ、ない、でいいのかな……」
「ふーむ。片方は違うだろうがもう片方は微妙かもしれないな……」
ティアナの言葉を受け、闘技場の真ん中で向かい合っている二人を眺めながらローゼルさんが呟く。
今から行われるのは生徒会長立候補者の選挙戦――レイテッドさんとレモンバームさんの勝負だ。
レイテッドさんは第六系統の闇の魔法の使い手で、重力系の魔法もさることながら、強力な召喚魔法から『デモンハンドラー』と呼ばれている。
対するレモンバームさんは第二系統の雷の魔法の使い手で……理由はわからないけど『拷問姫』という二つ名を持っているらしい。一体どんな恐ろしい戦い方をするのだろうか……
「なかなかの大舞台、貴女との勝負にはふさわしいですね。」
「ところ構わずあらゆる勝負を挑んできていたでしょう。と言いますか、今更ですけど……あなた、生徒会長になりたいわけではないでしょう?」
ランク戦のように二人の会話はマイクが拾って観客席にまで聞こえてくるのだが――えぇ?
「あら、なりたいわよ? 色々とお得でしょうから。メインが貴女との勝負で、会長の座は得られるなら得ておくオマケというだけ。」
「他の立候補者が目を丸くしそうですが……つまり「生徒会長選挙で私に勝つ」という事が目的なわけですか。」
「そうよ。普通に行けば貴女が当確――それを覆したなら圧倒的な勝利になるわ。」
「その為に……応援演説も?」
「ふふ、悪く言えば使えるモノを全て使って、よく言えば全力で、貴女に勝ちに行く――それだけよ。」
「ここにきて衝撃の事実だな。つまりロイドくんを誘惑したのも朝の取引も、ただただ副会長に勝利したいが為に行った事だったわけだ。」
「なんかすごいねー。そーまでして勝ちたいってことー?」
「何が何でも勝ちたい相手ってこったな。こーゆーのは他の奴には理解できねーやつだぜ。」
「ロイドを狙ってカンパニュラさんたちがあれこれするのと同じだな。」
「カ、カラード!?」
「それじゃあ始めましょうか。」
時折さらりと凄い事を言うカラードにビックリしていると、レモンバームさんが足元に置いていたカバン――アタッシュケースを開いた。武器が入っているとして、あんな持ち運び方をするモノとは一体――ってあれは……!
「うわ、あんなモノを騎士の学校で見るなんて。純度によっては遊んで暮らせる額になるよ?」
目を細めて吟味するようにそれを眺めるリリーちゃん。レモンバームさんがアタッシュケースから取り出したモノは、なんと金塊だった。銀行とかに預けられる時の独特な四角い形――それを二つ、左右の手で一つずつ持ったレモンバームさんは……とてもじゃないが今から戦おうという人には見えない。
「それだけならあなたの二つ名は『黄金姫』とかになりそうですよね。」
「どっちにしたって嫌よ。」
本当に嫌そうな顔をするレモンバームさんを前に、レイテッドさんは両手を広げて臨戦態勢をとる。二人が準備万端なのを見て、審判――こっちはこっちでめんどくさそうな顔をしている先生が手を挙げ、「始め!」の声と共に振り下ろした。
バチンッ!
先生の合図と同時に電気が弾ける音がして電光が瞬いた。一瞬とはいえ強烈な光に目を細めた次の瞬間にはレモンバームさんの姿を見失い、どこに行ったのかと思った頃にはレイテッドさんが走り出し、それを追うようにムチのようなモノが空中を走っていた。
「はっ!」
走りながら上体をひねり、片手を斜め上に向けるレイテッドさん。その手の先には両手からムチのようなモノを伸ばした状態で自由落下していくレモンバームさんがいたのだが、ふと何かに引っ張られるように空中で方向転換。闘技場の隅っこまで移動したレモンバームさんが、ついさっきまで自分がいた空中の直下に大きなクレーターが生じるのを見てニヤリと笑った。
「やはり速いですね、メリッサ。」
そう言いながら、レイテッドさんは空中に何かを描くように指を動かす。するとその背後に拳くらいの大きさの目玉が出現した。
オレとの模擬戦で回転剣の軌道を捉えた目玉。レモンバームさんの第二系統の雷の魔法由来の高速移動をあの目玉で追うつもりなのだろう。
「それを出す前に仕留めたかったのだけど、まぁそれは貴女をなめすぎよね。」
やれやれと笑うレモンバームさん。その両手にさっきの金塊はなくて、代わりにエリルみたいなガントレットが――しかも金ぴかのやつが両腕を覆っていた。
ただしなんというか……うねうねしている……?
「あれはさっきの金塊を変形させたのかな……なんか液体のようにも見えるんだけど……」
「どうやらリシアンサスさんと同じようなスタイルの騎士なのだな、彼女は。」
「? ローゼルさんと?」
「ふむ、わたしの方がナイスバディ――というのは置いておいて、つまり金を様々な形状に変えて操るという事か。」
心なしかム、ムネ――を強調するようにググッと身体を反らしたローゼルさん……あぁ……
「第五系統ではなく第二系統でコントロールしているとなると、金を電熱で溶かしているのだろう。さきほどのムチのような攻撃も、伸ばした金だったというわけだ。」
液体状の金属を操る……金髪のにーちゃんがやっていた魔法だからそれ自体に驚きはしないけど……
……なんで金?
「なんならいつもの腕とか、いっそのこと丸々数体召喚してもいいわよ? 対応しなきゃいけないのはどっちにしろ同じだし、いきなり出されるよりマシかもだわ。」
「そうですか?」
と言った瞬間――というか会話しながらも目にも止まらぬ速さで空中に何かを描いていたレイテッドさんの背後の空間に巨大な腕が二本出現し、両隣に……ムキムキの巨大な腕とはタイプの違うスタイリッシュなシルエットの悪魔が二体現れた。
「……容赦ないわね。」
「召喚魔法の使い手に時間を与えてはいけませんよ。」
レイテッドさんがふふふと微笑むとスタイリッシュ悪魔――見るからに動きの速そうな二体が案の定の速度でレモンバームさんの方へと駆け出した――のだが……
「うわ――」
と、思わず声の出る事が起きた。
走り出した二体の悪魔の前方、レモンバームさんと彼らの間に金色の壁が出現した。それだけなら別に変ではないのだが、その壁には剣山――直径十数センチの穴があきそうな無数の針がはえていたのだ。
「こういうところも召喚魔法の弱点よね。」
自分で作った壁を飛び越え、凶悪なそれを前に急停止した二体の悪魔を見下ろしながら、空中で身体をひねって両手からムチのようなモノをレイテッドさんへ伸ばすレモンバームさん。迫るそれを巨大な腕で弾き、もう片方でパンチを放つが先ほどのような空中での方向転換でそれを回避、レイテッドさんの目の前に着地したレモンバームさんは両手を覆っている金を鋭い刃へと変えて斬りかかった。
おそらく目玉の動体視力の力で黄金の剣による連撃をするりとかわしていくレイテッドさんだが、ピタリとついてくるレモンバームさんから距離をとれない。
あの巨大な腕も重力魔法も強力だが、あそこまで懐に入られるとどちらも使いにくい攻撃手段だから……もしやあの状態ってすごくピンチなんじゃ――
『シャアアアッ!』
レイテッドさんを追い詰めるレモンバームさんの背後に二体のスタイリッシュ悪魔が迫り、鋭い爪で攻撃をしかける。だがレモンバームさんはそっちの方を見ることなく、連撃を繰り出していた両腕の片方をスッと背中にまわす。すると鋭い剣の形だったそれが再度針だらけの壁となり、またもや二体の悪魔を足止めした。
だがそのほんの一瞬、攻撃が片腕だけとなった隙をついたレイテッドさんが小さな紫色の球体を自分とレモンバームさんの間に出現させた。次の瞬間、その球体がそういう力を発生させたのか、まるで同極を近づけた磁石のように、それぞれが真逆の方向へと弾き飛ばされた。
「なるほどな。確かに召喚魔法ならではの弱点かもしれない。」
両者がきれいに着地して攻防が一区切りを迎えたところでカラードが興味深そうに頷く。
「あん? 弱点っぽいのあったか?」
「レモンバームさんが二体の悪魔を止めた攻撃だ。無数の針がはえている壁――ただの壁ではなくそういう形にしているのにはどういう意味があると思う?」
「? そりゃお前……そのままぶつかったら刺さるわけだし、攻防一体って感じじゃねーの?」
「それもあるだろうが一番の狙いはもっと本能的な部分だ。」
「どーゆーこった?」
「第三と第六系統の召喚魔法によって呼び出される天使や悪魔。術者が動きの全てをコントロールするゴーレムなどとは違い、彼らはそれぞれの判断で術者を援護するように行動する。時に術者の命令を無視する事もあると聞くから、当然ながら彼らには意思があるのだ。」
「みてーだな。」
「要するに普通の生物となんら変わりがないわけで、これはつまり彼らにも反射的な反応があるという事だ。」
「んだそりゃ――あ、もしかしてさっきの針の山の前で止まったあれか?」
「そうだ。あれがのっぺらぼうなただの壁だったならそのまま突っ込んで破壊するなり、ジャンプして飛び越えるなりの選択肢が思い浮かんだ事だろう。だがあの無数の針――普通の壁よりも遥かに危険度が高く、それが見ただけで理解できてしまう形状……さっき挙げた選択肢に思考が及ぶ前に身体が止まってしまうのだ。反射的にな。」
反射的に反応してしまうか……観客席から俯瞰で見ているとわざわざ止まらなくても回避できそうに見えるが、実際いきなり目の前に現れると身体は急ブレーキをかけてしまうかもしれない。
そういえばフィリウスが曲芸剣術の回転剣について同じような事を言っていた。普通に剣を振り下ろされるのと、高速回転している剣を近づけられるのでは後者の方が圧倒的に怖いと。
物凄い速さで回転しているモノに触れたらケガをする――そんな当たり前の恐怖が一歩、相手をひるませるのだという。勿論恐怖は慣れたり克服できたりするけれど、恐怖そのものがなくなるわけじゃなくて、だから考える間もないような一瞬にそれが来ると、培った経験によって得た勇気を本能的な恐怖が上回る事があるのだとか。
「わかりやすい例だと……そうだな、悪党が使うような手段だが、攻撃しようとした相手の姿が愛する者の姿になった時の事をイメージすればいい。姿が変わるところを見ているわけだし、どう考えたって偽物なのだが反射的に手が止まる。「ダメだ」と感じた本能を理性が抑えられないわけだな。」
「おいおい、んじゃあの先輩はそれを狙ってああいう形にしてるってのか?」
「その可能性が高い。もしもそうであるなら――『拷問姫』という二つ名の由来もなんとなく理解できそうだ。」
「ああん?」
「そ、そうか……それで、なのかな……」
カラードの解説をアレクと一緒に聞いていると、ティアナがぼそりと呟いた。
「む、何か見えているのか、ティアナ。」
「う、うん……あのムチみたいに振り回してるの……あれ、き、金でできた……有刺鉄線、だよ……」
「げ、んなあぶねーモノだったのか。」
立ち入り禁止のエリアへの侵入を防ぐ為とかに張り巡らされる、一定間隔で針が生えている針金……というかワイヤーが有刺鉄線。そんなモノをムチみたいに振り回されてまともに食らったらものすごく痛いだろう……
なるほど、見るからに痛そう、だからつい避けちゃう――これがレモンバームさんの狙いなのか……
「あなたのそれは何度見ても慣れない――いえ、慣れて冷静に対処できる事はないんでしょうね。」
「どうかしら、不可能ではないと思うわよ? ただし――」
レモンバームさんがバッと両手を広げると、それを覆っていた金が……なんというか予想以上に伸びて広がって、形を変えていった。
「誰もが本能的に嫌がるモノ――形状っていうのは確かにあって、それはきっと悪魔でも人間でも生物ならみんな一緒。身体の奥底に根付いてる恐怖そのものはなくならないと、私は思うわよ?」
鋭い牙のあるトラバサミ、うなりを上げる回転ノコギリ、釣り針のような形状の刃が無数についたワイヤー、トゲ付きのこん棒、金属音を響かせて回るミキサーの刃のようなモノ……食らってしまったら、もしくはかするだけでも相当痛いだろうと確信できる黄金の武器たち。
形、大きさ、時に音すらも合わさって見ているモノの恐怖を掻き立てる……
これは確かに……『拷問姫』と呼ばれてもおかしくないなぁ……
「ふふふ、本当に、あなたとは初見で戦いたくないですね、メリッサ……!」
言いながら後ろに跳躍し、レモンバームさんと更に距離をとったレイテッドさんは、自分を覆うように――確か『グラビティウォール』だったか、相手の攻撃を弾く壁を展開して両手を地面についた。
「! させないわ!」
痛そうな黄金の武器をレイテッドさんへと飛ばしながら自身も跳躍――というか地面からちょっと浮いた状態で猛スピードで飛んでいく。それを迎えうつように二体の悪魔が駆け出し――
『バアアアアアアッ!』
それに加え、レイテッドさんの背後から伸びていた巨大な腕――レイテッドさんが後退すると同時に消えていたその腕の持ち主が上空に空いた黒い穴から出現する。
禍々しい雰囲気をガガスチムさんのようなムキムキボディにまとって咆哮したその悪魔は、迫りくる黄金の武器をその巨体で全て受け止めた。
ノコギリやミキサーがその身体を削る音が響くかと思いきや、聞こえてきたのはぶつかり合う金属の音。どうやらあのムキムキ悪魔の身体はこれまたガガスチムさんのように硬いらしい。
「あらま。」
大して驚かずにその光景を見ていたレモンバームさんは迫って来た二体の悪魔の爪をかわす為にレイテッドさんへの直線コースからズレる。悪魔たちもそれを追うが――
「後ろ、見た方がいいわよ。」
低空で飛翔しながらそう言うと、ムキムキ悪魔が止めていた黄金の武器が……まるで氷の塊が一瞬で水になったかのようにドロリ――というかバシャリとその形を崩し、ムキムキ悪魔の巨体を飲み込みながら二体のスタイリッシュ悪魔に津波のように迫った。
『シャアァッ!?』
悪魔の驚きの声――いや、これもまた本能的な恐怖ゆえの声だったのだろうか。迫った黄金の津波はその表面に無数の針を出現させ、ほんの少し動きのこわばった二体の悪魔をそのまま飲み込んだ。そして――
『『ガアアアアアッ!!』』
水のようにさらさらな液体となった金に電撃が走り、それに飲み込まれた三体の悪魔の叫びが響く。そんな攻撃を自身の背後で行ったレモンバームさんはレイテッドさんの数メートル手前まで迫ったところで地面をバンッと叩いた。
「――!」
すると『グラビティウォール』の内側、レイテッドさんがしゃがんでいる地面から金色の針が突き出した。あわや串刺しというところで咄嗟に回避したレイテッドさんだったが、そんなレイテッドさんを囲むように数本の針が突き出し――
「貴女も痺れなさいっ!」
それぞれの針から放たれた電撃がレイテッドさんを直撃し、稲光と共に爆発を起こした。雷鳴が轟く中、少し黒くなったレイテッドさんの身体が爆風で宙を舞い、地面に転がる。
まさか決着したのか……?
「……気をつけていたんだけど、いつの間に偽物と入れ替わったのかしら。」
巨大な水たまりのように広がっていた金を両腕に集めながら、レモンバームさんが転がったレイテッドさんから別の場所へ視線を移す。そこには元気なレイテッドさんが――あれ?
「私が召喚した二体に後ろを見ろと言った時ですね。あの二体の注意を背後の金に向ける為の一言だったのでしょうけど、入れ替わるには充分でした。」
レイテッドさんがふふふと笑うと転がっていたレイテッドさん――と思われた何かがすっと立ち上がり、レイテッドさんぽくないいたずらなニンマリ笑顔を見せてすぅっと消えた。
「しかし金に飲み込んで電撃とは、さすがの『拷問姫』ですね。」
「特性を活かしてるだけよ。」
「へー、なんで金なんて使ってるのかと思ったけど、性質を利用してるんだね。」
レモンバームさんのすごい攻撃の数々とレイテッドさんの復活に驚いていると、リリーちゃんがそんな事を言った。
「リリーちゃん、理由がわかったの? オレも、なんで金なんだろうって思ってたんだけど……」
「うん。たぶんあの人、ああいう痛そうな戦い方をしようって思ったのが最初で、自分の得意な系統の第二系統でそれをやるにはどーすればいいかなって考えて、結果金っていう金属を使う事にしたんだよ。」
「? 金って何か特殊な金属なの?」
「電導性が高くって、展性、延性が金属の中で一番なの。」
「おお、そういう事か。なるほど、それ故に金か。」
オレが理解する前に合点がいったらしいカラードがぽんと手を叩く。
「えぇっと……展性と延性って……?」
「潰した時に薄く広がる性質と、引っ張った時にみょーんって伸びる性質だよ。」
「ただの壁と無数の針付きの壁では後者の方が必要な材料は圧倒的に多い。有刺鉄線も針がある分使用する金属量は増すわけだが、だからといっていつも大量の金属を持ち運ぶわけにはいかない。そこで展性と延性に優れた金の手番なのだ。あれなら少量でも大きく広がるから様々な形状を実現できる。」
「はぁ、なるほど――ん? でも薄く伸ばして作ってるって事は……レモンバームさんの金ぴかの武器は全部……はりぼて?」
「恐らくな。ただし魔法で補強しているだろうから、油断していると穴だらけにされるくらいの強度はあるのだろう。しかし……」
「?」
「あのねロイくん、金には磁性がないの。純金かメッキかを見分けるのに商人が磁石を利用する事もあるんだよ。」
「そうなのだ……トラピッチェさんの言う通り、金は磁力に反応しない。はりぼてを電磁力で強化できないというのもあるが、そもそもああやって自在に操る事も雷の魔法だけではできないはずなのだ。土の魔法や形状の魔法で直接操っているのなら理解できるが……」
土や形状……この辺を聞くと思い浮かぶのはリゲル騎士学校の生徒会長の弟、パライバ・ゴールド。無数の触手を複数の系統を利用してコントロールしていた。レモンバームさんもそういう使い手なのだろうか……
「……あれ? そういえばレモンバームさんに得意な系統を教えてもらった時にオレを浮かせたあの鉄の棒みたいなの、あれをまだ使ってないな……」
「鉄の棒……もしや……マリーゴールドさん、レモンバームさんが持っていたアタッシュケース、あれに変化はないだろうか。」
「え、えっと……み、見てみるよ……」
レモンバームさんが金塊を取り出したっきり、置きっぱなしになっているアタッシュケースをティアナが注視する。
「わ……ケ、ケースの中から……黒い粉みたいのが、出てるよ……と、闘技場のあっちこっちに広がって……あ、あれ……金の、周りにもたくさんある、よ……?」
「なるほど……おそらくロイドを浮かせた鉄の棒は砂鉄の塊だったのだ。」
「砂鉄って……えっと、砂場に磁石落とすとくっつくあれか……?」
「ああ。恐らくあの金塊には砂鉄が混ざっていて、それを骨組みとして金を操り、黄金の武器を形作っていたのだ。時折行っていた奇妙な移動方法も、闘技場に散布した砂鉄を利用した電磁力によるモノなのだろう。」
「今回は相手が私――いえ、悪魔ですからアレですが、同級生が相手の時とかは内側に棘の生えた棺桶とか作ってますよね。」
「そういうのに迫られたら怖いでしょ。それにギョッとして隙を見せるんだからいい方法じゃない。『拷問姫』なんて、私がそういうの好きって思われるから嫌なのよ。」
「そうですか。まぁ私も『デモンハンドラー』ですからね。怖そうな二つ名のせいで誤解を受けるという事はありますよ。」
「貴女はそのままじゃない……その姿とかまさに悪魔よ?」
レモンバームさんの一言にふとレイテッドさんに視線を移して驚いた。リリーちゃんとカラードの金講座を聞いている間に何があったのか、レイテッドさんは……鎧――と呼ぶには生物的過ぎるというか、見方によっては何か良くないモノにとりつかれているようにも見える奇妙な格好になっていた。
両手の甲と胸の辺りに赤い宝石のようなモノが濃い紫色の……に、肉片? のようなモノと一緒にはり付き、禍々しいデザインの兜のようなモノが頭の上に乗っかって顔の上半分が見えなくなっている。魔人族の方ですかと聞いてしまいそうになる外見へと変わったレイテッドさんは、しかしいつも通りの声で笑う。
「これはさっき頑張って召喚した、私自身を強化してくれる悪魔たちですよ。先ほどの三体もそうですが、悪魔という呼称なだけで皆さんいい子です。」
「知らないわよ……」
さっき召喚した……つまり『グラビティウォール』の内側で地面に手をついていたのはあれを召喚する為。それまでの指で何かを描くというのじゃ召喚できない強力な悪魔なのだろう。レモンバームさんが阻止しようとするくらいだから、きっとあの状態になったレイテッドさんはかなり強いのだ。
「では行きますよ――『グラビティタイタン』!」
悪魔騎士とでも名付けたくなる姿のレイテッドさんがそう叫ぶと赤い宝石が光り輝き、レイテッドさんの隣に……ムキムキ悪魔を十倍くらい大きくしたような感じの真っ黒な巨人が現れた。同時に闘技場内の空気や地面に転がる小さな瓦礫などがその巨人に向かって動き出す。
「おいおい、あれやばくねーか? ものすげー勢いで色々と引っ張ってんぞ。」
「ああ……どうやら風で吸い込んだり磁力で引きつけたりというのとは異なる重力的な作用で周囲のモノをあの巨人の方向へ「落として」いるのだ。」
「みなさんも、お願いします!」
巨人に目を奪われていた間に追加の悪魔――ムキムキ悪魔とスタイリッシュ悪魔の中間くらいの大きさで大剣を手にしている悪魔が四体が召喚されていて、レイテッドさんの合図で一斉に走り出す。
「やはりこれを超えないと貴女には勝てませんか。」
四体の悪魔の接近に対してすぐには動かず、ある程度引きつけたところで、たぶん電磁力を利用した高速移動をし、四体それぞれに液体状にした金をぶつけながらするりと抜け――たのだが……
「トゲ付きの金箔で顔を覆うなんて、やはり拷問ですよ。」
四体の悪魔、その顔を狙って放たれて風呂敷のように広がっていた金が時間が止まったように空中で静止し、グイッと――巨人が広げた手の平の方へ吸い寄せられていった。
「ちょ――わっ!」
ついでにレモンバームさん自身も引っ張られ、巨人の腕の動きに合わせて、まるでその腕とひもか何かで繋がっているかのように振り回され、勢いよく壁に叩きつけられた。
「おお、あの巨人は指定の物体を引き寄せる事ができるのか。模擬戦でもおかしな方向に移動させられる事はあったが、悪魔による強化でようやく発動できた魔法と考えると、かなりの力や範囲でそれが可能なのだろう。」
「やべーな。どーすりゃいーんだよ。」
そう言いつつも楽しそうな強化コンビ。でも確かに、オレだったら全部の回転剣をあの巨人に回収されそうな勢いだもんな……ほんと、どうすればいいんだ?
『オオオオオッ!』
レモンバームさんが叩きつけられた場所へ向かった四体の悪魔がそれぞれに剣を振り下ろすが、その直前に無数の金色の針がウニみたいに突き出して剣を弾き返し、その隙をついて電光をまとったレモンバームさんが飛翔、巨人に捉えられないようにジグザクに飛び回る。
「速いですが、それならば落とすだけです!」
巨人が両手をあげて勢いよく振り下ろす。瞬間、観客席から見える風景が歪むくらいの重力が闘技場内に発生する。勿論自分たちには重力がかからないようにしているのだろう、そんな強力な全範囲攻撃でレイテッドさんと巨人、それと四体の悪魔を除く全てがぺしゃんこに――
「――っ!!」
――なったかと思った瞬間、その高重力が地面をへこませる一歩手前でかき消え、巨人の姿にノイズが入って歪む。
「咄嗟に回避するなんてさすがだわ。でも片腕はもらったわよ?」
見ると左肩を押さえているレイテッドさんの横に巨大な黄金の刃――ギロチンのようなモノが地面に食い込んでいた。
「ティ、ティアナ……何が起きたか見えてた……?」
「えっと……さ、さっき空と飛びまわってたのは……電気の光でわかりづらかった、けど……金で作った偽物で……ほ、本物はレイテッドさんの真上に移動、して……大きな刃物を作ってて……すごい重力かかかった瞬間……レイテッドさんが自分自身にはそれがかからないようにしてたから真上にいたレ、レモンバームさんは重力を回避、して……で、でもその安全な場所をはみ出すくらい大きかった……刃物は重力を受けて……勢いよく落下して……レイテッドさんに……」
そ、そんな大胆な事をしていたのか……ピカピカ光って飛び回ってる方に完全に目を奪われてたぞ……
「やれやれ……なんだかんだ対戦回数が多いと対処の仕方も見つけてきますね。」
「次があったら二度と通用しないでしょうけど。それに偽物で注意を引くのはさっき貴女もやってたじゃない。」
「そうですね。では今のダメージもやり返しませんと。」
レイテッドさんがそう言うと巨人が勢いよく手刀を振り下ろした。バチンと移動したレモンバームさんは、その手刀の延長線上の地面に深々と斬撃の跡のような切れ込みが入っているのを見て苦笑いをする。
「貴女、重力魔法の使い手よね……いつから第八を?」
「これも立派に重力魔法ですよ。」
部室で教えてくれた、重力の形を変えるという技術。面ではなく線状にかける事で斬撃のような一撃にする技……どうやらレモンバームさんに見せるのは初めてだったらしい。
「それとこれも初めて見せますが……私、最近『コンダクター』と模擬戦をしましてね。」
!? オレ!?
「風を使って無数の剣を操る――普段の私では無理ですが、『グラビティタイタン』を出している今なら似たような事ができるのではと思いまして。」
ふわりと浮き上がり、レイテッドさんが巨人の胸の前で静止すると、巨人から更に腕が二本生えて――うぇえっ!?
「まぁ、指揮者ではなく人形使いのようですけどね。」
広がった四本の腕それぞれに対応するように四体の悪魔も浮き上がる。それはレイテッドさんの言うように、巨人が四体の悪魔を糸で操るかのような光景。ただし実際には操られているわけでなく、それぞれが意思を持っている。
つまり、四体の悪魔をあの強力な重力でサポートするという事……!
「ああ……これこそ『デモンハンドラー』かもしれませんね。」
レイテッドさんのふふふという笑いを合図に宙に浮かんだ四体の悪魔が砲弾のような速度でレモンバームさんの方へ突撃していった。電磁力を利用した高速移動で距離を取ろうとするレモンバームさんだったが、そのスピードでも振り切れない。
「この――!!」
無数の針の生えた黄金の壁を出すが、速度をそのままに軽々と回避する四体の悪魔。
それぞれの本能的な反射は今は関係ない。何故なら空中を飛ばしているのはレイテッドさんであり、俯瞰から見ていれば回避の方向はわかりやすい。
四体の悪魔は術者であるレイテッドさんが「その場所」へ運んでくれるのを待ち、そこへ至ったならばそれぞれの判断で攻撃をしかける。
言うなれば、オレの回転剣が敵に近づいた段階で勝手に動き、遠くから見ているオレよりも最適な判断でもって攻撃を加えるようなモノだ。
「余計な事をしてくれたわね『コンダクター』っ!」
レモンバームさんのお怒りが響き渡り、なんとなく申し訳ない気分でいる事数分、レイテッドさん自身を狙って果敢に攻めるも縦横無尽に攻撃してくる四体の悪魔と、レイテッドさんが仕掛けてくる重力魔法を前にレモンバームさんはひっちゃかめっちゃかになり――選挙戦はレイテッドさんの勝利で終わった。
「しかしロイドの曲芸剣術をヒントにパワーアップする人が出てくるとは驚きだ。あんな特殊な剣術を。」
「だな! あの巨人の腕はあと何本増えて、悪魔は同時に何体出せんだろうな! 新しい『デモンハンドラー』爆誕だぜ、ありゃ。副会長が魔王に見えてきたぞ。」
レイテッドさんとレモンバームさんの選挙戦の余韻を噛み締めながら一度闘技場の外に出たオレたちに――いや正確にはオレに、学食で向けられるような様々な視線が集まっていた。
「ふむ……結果として次期生徒会長ナンバーワン候補の現副会長を更に強くしたロイドくんという事だから、支持率としてはプラスになってしまうかもしれないな。」
「ロイくんてば!」
「えぇ……」
完全に予想外というか、『ビックリ箱騎士団』との模擬戦で色々つかみたいという事だったけどああいう形のモノが出来上がるなんて思いもしなかった。曲芸剣術が悪魔の人形劇に進化するとは……
……んまぁ、とは言えレイテッドさんのパワーアップは個人的に……少し嬉しい。あまりいい理由ではないのだが……初めからそういう心配はしていなかったものの、あのレイテッドさんに勝てそうな人ってあんまり思いつかないし、万が一生徒会長に……キブシがなる、っていう可能性はだいぶ低くなったんじゃないだろうか……
……自分て思っておいてあれだけど、オレは相当あの先輩が嫌いらしい。キキョウの事から始まり、エリルたちへの侮辱……
ああ、そういえばフィリウスに言われたな。オレは――
「何やら『デモンハンドラー』が新たな力に目覚めたようだが、問題あるまい。まずは貴様を倒して会長への第一歩とさせてもらうぞ!」
「その言葉、そっくりそのまま返すぞ、ブラックムーン。」
「だから『ダークナイト』と――おや?」
今日から始まった生徒会長立候補者の選挙戦。レイテッドさんとレモンバームさんの一戦が終わったならば、次に控えるのはブラックムーンさんと……キブシの戦い。出入口近くにいたオレたちは、今から入場するのだろう二人と鉢合わせた。
「……ロイド・サードニクス……」
一瞬……何か嫌な感じに驚いたキブシだったが、すぐに普段の偉そうな表情に戻った。
「ふん、どうやらその辺の連中では飽き足らず、レイテッドにまで――」
「それ以上ほざくな。」
何を言うのか途中から予想できたオレは強めにそう言う。キブシは苦い顔をして……隣のブラックムーンさんは目を丸くした。
……横目に見えるエリルが心配そうな顔をしているから、きっとオレはまた……殺気というやつを出しているのだろう。こういう感情はコントロールできないといけないと思うが、この男相手だとどうもダメだ。
「そういう考え方しかできないのか。いい加減にしろ。」
「ふ、ふん……まぁどうでもいい。勘違いした連中がお前を高く評価するほど、おれが勝利した時のおれの評価も上がるというモノ。同志たちの代表として天誅を下し、手間賃がわりに支持率も貰うとしよう。」
「つまり、負けたら選挙も天誅とかいうのも何もできずに終わるわけだ。」
「……選挙はともかく、「天誅とかいう」だと? おれを含め、お前は同志を更に傷つけるわけか……」
「同志ね……聞いたぞ、オレの被害者の会とかいうらしいな。フィリウスがよく言っていたよ、男の嫉妬は一番醜いと。」
「女好きのたらしこみの言う事だ、真に受ける方がどうかしている。」
自然と近づく距離。オレは――キブシもそうだが、自分の武器に手をかけて目の前の男を睨みつける。
「田舎出の農民風情が、十二騎士の七光もここまで。勢いだけで歩めるほど騎士の道はあまくない。お前の背中にある数々の勘違い、あらゆる誤解、それをもとに起きた同志たちの悲劇。その一切を修正してやる。」
「勢いだけで歩めるほどあまくないらしい道を、オレは勢いだけで今の場所までやってきたというわけか。オレの経験をそんな言葉で片づけるなんて、それこそあまく見過ぎじゃないのか?」
「屁理屈を。所詮は村ごと滅んだ雑魚の――」
――と、キブシが看過できない何かを言い終わる前に、その姿が数メートル横にふっとんだ。
「白熱するのはいいけど場外乱闘は困っちゃうよ。熱は選挙戦に持っていこう。」
そう言いながらオレの肩にポンと手を置いたのはデルフさん。目の前にいた腹の立つ男の顔が爽やか笑顔の会長になった事で、オレはふっと力が抜ける。
「あ……す、すみません……」
「キブシくんもだよ。全く、ちょっと口が過ぎるんじゃないかい?」
やれやれという風に離れたところに転がっているキブシの方へ歩いて行くデルフさん。
「……またおっかない顔になってたわよ、ロイド。」
「うん……悪い。」
「まぁ夫の色々な顔を見られるのは嬉しいし、今の暴言に怒るなとは言わないが、それでもロイドくんにはいつものすっとぼけが一番だ。」
「あ、あたしも……怒ってるの、ちょっとカッコイイかも……だけど、すっとぼけが、いいかな……
「す、すっとぼけ……」
「あ、何ならあいつ、ボクが暗殺しちゃおうか?」
「それは色々台無しだよー、商人ちゃん……」
「知名度が上がれば否定する者も増えるという世の常だ。心も鍛えていかねばな、ロイド。」
「心の鍛錬か……なんだ、悪口言われまくるとかか?」
みんながそれぞれに言葉をかけてくれる。
あぁ本当に……いい仲間だ。
田舎者の青年が少しほっこりしているその背後で、おどおどしているブラックムーンを置き去りに、地面に転がるキブシへと近づいたデルフはゆっくりとしゃがみ込み、そしてキブシが目を見開くような表情でぽつりと言った。
「君、死にたいの?」
騎士物語 第九話 ~選挙戦~ 第八章 副会長の進化
初登場させた時は仕事をしないデルフ会長を叱る副会長――くらいにしか考えていなかったヴェロニカさんですが、デルフさんを登場させるとちょいちょい顔を出すので気づけば色々な背景を持つ人になりました。キャラクターの一人歩きですね。
強さに関しても、あんな人形劇をやる人になるとは……
さて、次回いよいよはロイドとスオウの勝負――に、なる予定です。上級生との勝負なわけなので、ロイドの知らない事を色々とやるつもりです。
……しかし愉快で楽しいデルフさんがどんどんと本性――いえ、別に隠してもいなかった部分が目立つようになってきました。
これもまた、キャラクターの一人歩きです。