イン・インサイド

この作品のお題は【鳥】です。
私たちもいつか気付くことがあるのでしょうか。

 風がそよぐ草原に寝転がって、空を眺めていた。抜けるようにきれいで、思わず手を伸ばしてしまう。微かに落ちた影が広がって、曖昧に僕を包んだ。
 西の方から一羽、鳥が飛んできていた。高いところにいて、ゆったりと、悠然と、通り過ぎていく。僕の手のひらはその鳥をぎゅっと掴んだが、鳥は、我関せずとこぶしをすり抜けていった。そろそろ秋が終わる。
 今日、僕は十二歳の誕生日を迎えた。もう一人前の歳だ。先ほどまで家族や友人が集まり、祝い、口々に未来を願ってくれた。僕も大人としてそれに応えた。ただ、だからといって何かが変わるわけではない。養い子から働き手となるだけで、この村から抜け出せるわけでも、何か権限が与えられるわけでもない。歯車の場所が移っただけで、結局、生活の一部に組み込まれたままなのだ。それの何が一人前なのだろう。与えられた仕事をするだけなら、子どものままでもできるではないか。
 すり抜けた鳥は、そのまま東へと飛んで行ってしまった。
 自分もあの鳥のようにと、他の大人たちは思わなかったのだろうか。友人たちは思わないのだろうか。外が不毛の荒野だということは知っている。村の領域を出てしまえば、再びこの地を踏めないことも。ただそれでも、外に生き物がいないわけではないのだ。もしかしたら、ここと同じような村があるかもしれない。交流ができれば、活動範囲も、生存確率も、上がるかもしれない。その可能性を、みんなは考えないのだろうか。
 禁忌の書。
 大人になる準備として閲覧が許された本のことが、自然と思い起こされた。村の中で絶対にしてはいけないことが書かれている本だ。殺人、強盗、姦淫などに並び、〈旅〉があった。初めて聞く言葉だったが、〈旅〉とは、『住んでいる場所を離れ、よその土地を訪ねること』らしい。簡単に言えば、村から外界に出ることだろう。それは、〈旅〉と本に書かれるまでもなく、村の全員が知っていることだ。それこそ子どもの頃から沁みついている。
 つまり、だ。逆に言えば、その行為にちゃんと言葉があるくらい、過去において〈旅〉は日常的なものだったし、許されていたということになる。
 なぜ〈旅〉は禁じられたのだろう。いつから、〈旅〉をすることは禁忌となったのだろう。理由を聞いてみたが、誰も答えてはくれなかった。本に書かれているからと疑問にも思わず、盲目的に信じ、守っているような、そんな印象を得るばかりだった。
 陽はすっかりと落ち、地平線に灯る炎も勢いを弱めていた。寒さも増している。そろそろ家に戻らなくてはならない。自分しかいない、誰もいない家に。そして明日の仕事の準備をする。とまれ、生きていくため、そして計画のためにも、しばらくは変わらぬ日常を過ごしていく必要がある。幸いにも僕の仕事場は図書館だ。目録の見直しとして、古い文献に目を通しても、怪しまれることはない。
 恐らく、何らかの情報はあると考えている。〈旅〉のように、教わっていない歴史が。なぜ不毛の大地となったのか、どうして村の外へ出てはいけないのか、過去に外に出た者はいないのか、いたとして、戻ってきた者はいないのか。わかれば、〈旅〉の助けとなる。
 そう、旅だ。僕は旅に出ようと思っている。空を飛ぶことはできないが、あの鳥のように、自由に。目的があるわけではない。ただ、違う場所へ行ってみたいのだ。村に戻って来れなくなろうとも、この熱のまま、遥か大地の彼方まで。追ってくる者もいない、一人の冒険の旅を。
 僕は立ち上がり、村の明かりへ向かって草原を歩き始めた。遠くから、鳥の低い鳴き声が聞こえたような気がした。

 

「自動航法システム作動」
〈自動航法システム、作動しました〉
 操縦をマニュアルからオートに切り替えて、私はヘルメットを脱いだ。本来操縦席で着脱することは禁じられているが、今日は一人だ。咎める者もいない。そのまま小脇に抱え、後部スペースへと移った。灯りはさすがに点けなかった。問題ないとは思うが、万が一ということもある。
 戸棚からぬるい炭酸水の瓶を取り出し、多少は座り心地の良い椅子に座って、いっきにあおった。刺激のある液体が喉を通りすぎていく。気の重い任務が、ほんの少しだけ、泡となって弾けたような気がした。
 小さな窓から地上を眺めると、一か所、大きな円の中に散らばり、ぽつぽつと光る灯が見えた。その周囲には何もなく真っ暗で、また、視界をより遠くへ飛ばしても、同じように人工的な灯りはない。完全に隔絶され、大地に残された村が、そこにだけ、ある。
 ため息が漏れた。そろそろこの実験もやめてしまえばいいのに、と思う。やることがなくなったお偉方の、暇に飽かせたシミュレーションでしかない。しかも、続ける事にも飽いて、ただの惰性になっている。
 人はいかにして好奇心を取り戻すのか。
 与えられた情報から、いかに真実を探っていくのか。
 あの村は、その目的で作られた。もう何世代も前、記憶を抹消され、寿命処理をされた罪人たちが集められたのだ。初めは管理者も住んでいたらしいが、亡くなって久しく、今あそこは完璧に現代社会と遮断された空間となっている。そして、今もって、あの村から外界に出た住人はいない。
 失敗しているのだ、もう。手を引くべきなのだ。
 あそこの住人は、私たちとは違い、六十年と経たずに寿命を迎える。罪人の子孫とはいえ、彼らにその咎はない。純粋な一個の生命として、あの地で団結し、懸命に生きている。長命の代わりに怠惰を得た私たちとは違う、ある意味で、誰よりも人間らしい人間たちなのだ。惰性となった上空からの観察なんて止めて、もう、関わるべきではないと思う。彼らはもう、ちゃんと自由になって良い。押しつけのルールなんて消してしまえば良い。
〈本日成人となった男性、一名。図書館へと配属〉
 村の上空を通り過ぎると、往路と同じメッセージを機械音声が告げた。あの村では十二歳が成人年齢となる。我々の成人は五十歳だ。
 私は炭酸水を飲み干し、操縦席へと戻った。それでも私は、艦に戻らなくてはならない。そして「変化なし」の報告を、上にあげなければならない。生きていくために、思いとは裏腹に。
 最後にもう一度、大地を見た。灯りは先ほどよりも少なくなったかもしれない。
 私は、消えた灯の下にある強い生命を思った。彼らの自由を願った。
 私たちはもう、それを得られない。

イン・インサイド

イン・インサイド

私たちもいつか気付くことがあるのでしょうか。

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-10-20

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