リピート
この作品のお題は【声】です。
実際こういう夢を見たことがあります。最近はあまり夢を見ません。
目が覚めた。
頭のすぐ横から、涼やかなBGMに乗せた爽やかな声が聞こえる。
「──確かに、今年は例年に比べて寒い日が続きますが……、そういえば最近は毎年、こんなセリフを言っている気がしますね。知っての通り、私は地下鉄を使ってラジオ局まで来ているのですが──」
しゃべりは淀みなく、止まらない。時折英語を混ぜてのフリートークを聞きながら、なぜFMラジオのパーソナリティは英語が流暢なのだろう、なんてことをぼんやりと思った。
寝ぼけた頭が少しずつ覚醒し、僕はスマホのアプリを止めた。昨夜、ラジオを聞いていて、そのまま寝てしまったようだった。何某か夢を見ていたような記憶があるが、淡い霧のようにつかみ取れないまま、その内容はどこかへ行ってしまった。
身体を起こしてみると、そこは見慣れない場所だった。自分は真っ白なベッドにいて、周りはクリーム色のカーテンに仕切られている。天井も白で、ついていない蛍光灯が二本、真上でじっとしていた。それでも明るいのだから、恐らく、陽の光が入っているのだろう。周りには荷物を置くような台も何もなく、ただ、床に靴が一足、あるだけだった。服はパジャマではなく、好んで着るデニムパンツと紫のパーカーだった。
目はしっかり覚めているはずなのにおかしいなと思いながら、まだ疑問を頭に定着できずに、僕は靴を履き、カーテンを開けた。すっと、消毒薬と、ガーゼの、懐かしい匂いが鼻をくすぐった。
そこは──ここは、小学校の保健室だった。
隣には空っぽのベッドがあり、奥には先生のデスクと、身体測定の機器や、救急セットなどが詰まった棚がある。窓からは思った通り陽が差しており、遠くには住宅街が見えた。近づいて確認したが、その街並みはやはり、見慣れた風景だ。壁には手洗いうがいを促すポスターや、風邪の予防、ケガ人が出た時の対処の方法などのプリントが貼られている。目に入った日付は、汚れてわからなかった。
まだ夢を見ているのかもしれないと思いながら、頬をつねってみた。馬鹿にしていた行為だが、直面すると、実際やってしまうものなのだろう。頬は痛かった。
キーンコーンカーンコーン──
チャイムが鳴った。この音も懐かしい。授業が終わるときはワクワクして、昼休みが終わるときはがっかりしたものだ。怒られながら廊下を走った記憶が甦る。ただ、こういうシチュエーションで聞くと、寂しさも覚える。みんなは集まっているのに、自分は具合が悪くて保健室で一人、寝ている。すごく心許ない気がしたものだ。
キーンコーンカーンコーン──
段々と耳障りになってくる。時計がないのでわからないが、恐らく五分くらいは鳴り続いているだろう。心なしか、音色にもトゲが出てきたように感じられる。
思い出して、スマホを取り出した。
デジタルは、零時零分を示したまま点滅していた。アプリを起動してみても、ラジオはかからない。SNS等は見ることができたが、書き込みはできなくなっていた。
ここにいても埒があかないと、保健室を出ることにした。
扉を開けたところで、チャイムは止んだ。
廊下に出ると、やはり学校の中だったが、違和感があった。確か目の前が階段で、右が突き当り、左に職員室と校長室があったはずだ。今は、階段はあるものの、左は美術室、右は廊下が続き、突き当りが角になっている。
ああ、と思わず声がもれた。保健室は小学校のものだったが、この廊下は高校のものだった。さすが夢の中だ。妙な感心をしながら廊下の角をまがると、二年生の教室のサインが奥に向かってずらりと並んでいた。中を覗くと、中学校の教室だった。
ごった煮の学校の中を、僕はあてどなく、懐かしさにまかせながら歩いた。
キーンコーンカーンコーン──
三階にあがったところで、またチャイムが鳴り始めた。今度は最初から、少し攻撃的な音色になっている。音も大きく、単純にうるさい。高校の校舎は、上から見ると〈W〉の形になっていて──廊下のつくり自体は複雑ではなく、上辺と下辺、それに中央は直線で繋がれている──ぐるりと一周することができるのだが、三階を周る間ずっと鳴り続け、階段に戻ってきたところでやっと止まった。
僕は音酔いをして、階段に座り込んだ。脳が揺れるような感覚は初めての経験で、しばらく立ち上がることができなかった。
ある程度回復して、さてどうしたものかと、いつもの癖でスマホを開いてしまった。一体何を検索するというのだろう。夢から醒める方法? 夢占い? いずれにせよ、スマホは使えない──と、時計が十七分ほど進んでいた。動いている。試しにアプリを起動すると、ラジオもしっかりかかる。同じパーソナリティがしゃべっていた。
「──からのお便りでした。うーん、夢、ですか。良い夢、悪い夢、色々ありますけど、あなたが見た夢はお幸せそうで、僕もなんだか嬉しくなってきましたよ。ありがとうございました。またメールくださいね。いやー、それにしても、夢。僕は、けっこう見た夢を忘れちゃう方なんですが、この前見た夢は鮮明に覚えてます。昔通っていた学校の中にいて、出ることができないんですが、そこでチャイムが一定の間隔で鳴り続けるんですよ。キーンコーンカーンコーン、と。しかも、回数を重ねるごとに大きくなる。あれ、別に嫌な音ってわけじゃないですが、さすがに段々うるさく感じて、耳を塞いだんですね。そしたら今度、手を突き抜けるような空気をつんざく音量に変わりまして。もう不快を通り越して、身体に物理的な痛みを感じるくらいで。うわー、これ、死んでしまうんじゃ……、と思ったところで目が覚めました。はい、勘の良い人はわかったと思いますが、耳元では目覚ましがなっていました。あはは。リピート機能でも全然起きなかったんです。笑っちゃいますよね。前日夜更かしをしていたわけではないのですが──」
キーンコーンカーンコーン──
急にラジオが消えて、チャイムが鳴った。先ほどよりも数段大きな音になっている。耳への攻撃もさることながら、身体を圧迫されるような見えない波に押され、地面に這いつくばってしまった。チャイムが鳴っている間中、なんとか耳を塞ぎながら、僕はじっと耐えることしかできなかった。
先ほどの内容、細部は覚えていないが、寝る前に聞いたような記憶が、朧気にあった。
チャイムが消え、再びラジオがついてすぐ、僕はふらふらと立ち上がり、一階にある放送室へと向かった。この音の正体に気付いても目を覚まさないのだ。こっちで止めるしかない。それで起きられるかはともかく、そうしないと、音に潰されてしまうかもしれない。
幸いにも、変に足止められることもなく、放送室の中に入ることができた。この部屋は高校の配置だった。つまり、勝手知ったる部室である。都合が良いのか悪いのかわからない夢だ。
僕は副調室の卓に座り、配線やつまみの配置を確かめ、安堵の息を吐いた。こちらも昔と変わりなかった。チャイムは定時で流れるようセッティングされている。フェーダーは最大で、何ならマスターも最大になっていた。
ただ、僕はフェーダーは下げず、卓そのものの電源を落とすことにした。理由はないが、何となく、そう思ったのだ。スイッチを切ろうと。
目が覚めると、枕元ではスマホの目覚ましアプリが音楽を鳴らしていた。ぼやけた頭をかかえながら、すでに不快になったその音楽を消した。目覚ましの良いところは目が覚めることで、ダメなところは、かかる音や曲を嫌いになることだと思う。それはどことなく、学校のチャイムを思わせるような曲だった。
急に記憶が鮮明になって、僕は再びスマホを手に取った。改めて確認すると、時刻は八時四十四分になっている。部屋は見慣れた自分の部屋で、カーテンをあけると、行き交う車と、隣のマンション、近所の小学校が見えた。窓を開けると、街のざわめきと朝の匂い、うっすらと冷たい空気が入り込んでくる。つねった頬は痛かった。
大きく脱力して、次に身体を精一杯伸ばした。寝しなに聞いたものに影響されて嫌な夢を見るとは……、これまでそんなことはなかったが、もしかすると、忘れているだけなのかもしれない。
キーンコーンカーンコーン──
びくりとしてスマホを握りしめてしまった。
すぐにそこの学校のチャイムだとわかったが、心臓に悪い。
はずみでボタンを押したようで、スマホからはラジオが流れ始めた。
ため息を吐いて、僕は朝の支度のため洗面所へと向かった。ラジオはそのままだ。どのみち、普段もこの時間はラジオを聞いている。耳慣れた声が、爽やかに語っている。
「──からのお便りでした。わかります。早起きって大変ですよね。僕も、この番組のために早起きするので辛いのなんの。あはは。もう慣れましたけどね。この番組があなたの目を覚ますのに役立っていれば嬉しいのですが。お便りありがとうございました。……ああ、そうそう。そうだ。今日、早起きの前に変な夢を見まして。僕は、けっこう見た夢を忘れちゃう方なんですが、今日のは覚えてますねえ。夢の中で、僕は朝起きて、支度をして、ご飯も食べて、こうやって仕事に来て、普通の一日を過ごすんですよ。家に帰って子どもと遊んだりとか、夕ご飯を食べた後にネットニュースを見たりとか。で、もちろん、一日の終わりとしてベッドに入って目をつむるわけです。そしたら、目が覚めた。あたりはまだ暗くて、奥さんも横で寝ていて。何が起こったかわけがわからなくて、挙動不審になってしまいました。つまり、それが夢だったんです。寝た感じが全然しなくて、だから朝から疲れて疲れて。ほら、声にも疲れがのってませんか? あはは。良ければ皆さんも、変な夢のエピソード送ってください。それでは続いて──」
外からはまだ、学校のチャイムが聞こえ続けていた。
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