Why do you climb?

この作品のお題は【煙】です。
こんな学生生活は送っていませんが、友達と登山したら山頂ですいかを出されたことはあります。
どうりで大きなリュックだと思った次第。

 僕は今、先輩と二人で山に登っている。市内にある低い山で、アクセスも良く、気軽に登山をできるスポットとして人気の場所だ。ただ、冬なので気軽ではあるが手軽ではなく、他に登山客はいない。あと、当然熊も出る。全ての熊が冬眠はしているわけではないのだ。熊避けのベルは必須で、逆に緊張感が増す。
「これ、本当に大丈夫なんですか?」
「どうだろうなあ。冬場の熊は、むしろ気が立ってるからなあ」
「ちょっと先輩。なぜそんなところにかわいい後輩を連れてくるんですか」
「俺に男の後輩をかわいがる趣味はない」
「帰っていいですか?」
「帰れるもんなら帰ってみろ。ベルは俺が持っている」
「ぐぬぬ」
 まあ、本当に帰ろうとは思っていないのだが。
 先輩にこうやって連れ出されるのは何度目だろう。基本的にこちらの時と場合は選んでくれるが、今日みたいに有無を言わさないことも、ままある。「いるか?」「何でしょう」「行くぞ」「は?」「支度しろ」で、車に引きずり込まれるのだ。初めは面食らったが、もうすっかり慣れてしまった。先輩曰く「俺の人徳」らしいが、単に僕が諦めただけである。なせなら、ゼミに入った頃には数人いた同期の道連れはみんな諦めなかった。先輩の気まぐれにノーを突き付けたのだ。先輩も、傾奇者を気取る割に存外常識人なものだから、拒否する人には尻込みしてしまう。結果、唯々諾々と従う僕だけが、先輩のお目付け役のような形に収まった。僕の祖父は良く、「苦労は買ってでもしろ」と訓戒を垂れていた。諦めという言葉が外聞が悪いのであれば、これは修行──そう修行なのだ。
「そう唸るなよ。登り切ったら良いもんやるから。な?」
「期待しないで楽しみにしてます」
 まあ、先輩は悪い人ではない。
 登山道はほとんどが真っ白だ。奇特な先人が踏み固めてくれているからまだしも、もし前日に雪など降っていようものなら、僕らは入って十分で遭難していただろう。別に先輩は登山のスペシャリストというわけではないのだ。もちろん僕も。体力に自信はあるが、普段殊更運動をしているわけでもなし。先輩なんてヘビースモーカーである。すでに呼吸は早い。
「なぜわざわざ冬山にチャレンジを?」
「ふ。そこに山があるからさ」
 面倒くさいので言及するのは止めた。正直、朝に先輩が来たとき、今回ばかりはぶっちぎろうかと思った。ただ、なんだか先輩の目が当社比切実そうに見えたので、仕方なくついてきて、今に至る。
 そんな大変な山道だが、登っていると、どうしてだか落ち着く。無駄口を叩くと疲れるので、お互いあまりしゃべらない。雪を踏む音に隠れて、遠くで揺れる枝のざわめきや鳥の鳴き声が小さく響いてくる。息をひそめる小動物の気配も感じられる。天気も良く、大きく息を吸い込むと、肺が引き締まるような冷たい空気が取り込まれる。新鮮な冬の香りが身体を巡っていく。まるで真っ当に生きているみたいだ。だらけた大学生活が嘘のようなフレッシュネス。細胞が入れ替わっていくのが肌で感じられる。
「……ふう、……先輩」
「……なんだ」
「まさか、これを感じ、させるために……?」
「……はあ? ……ふっ、……はっ、……何の、ことだ?」
「日頃の、不摂生が、……流されていく、ようです」
「……俺もだよ」
 男二人が息も絶え絶えである。
 ようやく山頂に登りついたのは、登山を始めてから実に二時間後のことだった。普通の人だと一時間半くらいらしいので、慣れない我々にしては頑張った方である。ところで、体力の自信とは何だったのか。
 山頂は観光地化されていて、展望台やレストラン、プラネタリウムが見れるホールもある。最近日本新三大夜景に認定されたとかで、眺望も抜群だ。今はまだ昼だが、ロープウェイや車で──そう、中腹までは車が入れるのだ──登ってきた観光客の姿も少なくない。小洒落た格好のカップルの姿もある。羨ましくはないが、なぜ隣にいるのが先輩なのかとは思う。
「良い眺めだなあ。清々しい。だろ?」
「そうですね。ロープウェイとは言わずとも、車だったらより清々しかったです。登り口までは車だったわけですし」
「男のロマンを解さない奴め」
「ロマンじゃ飯は食えんです。先輩、腹が減りました」
「そうか。では約束通り良いものをやろう。ほれ、おにぎり」
「……先輩、そこにレストランが」
「ロマンに金はない」
「ロマンに追いかけられてる俺に金はない、とちゃんと全部言ってください」
 まあ、おにぎりは美味しかった。
 景色もおにぎりも堪能し、帰る手段はやはり徒歩である。またあの道を歩くのかと思うと足も若干重くなるが、先輩は急かすように「行くぞ」とのたまう。目が切実さを訴えている。そういえば、だから付いてきたのだった。そろそろ登山の理由がわかるのかもしれない。
 トイレだけ済ませて、下山ルートに入った。一度通れば勝手知ったるもの。自分たちのつけた足跡もついている。滑ることだけ気を付けて、山を下りて行った。と、しかし、先先輩は元来たのとは少し外れた道に足を踏み入れたのである。しかもまた登っている。どこに行くというのだろう。
 五分くらいでついたのは、簡素なベンチが置いてある開けた場所だった。山頂よりは低く、建物も何もないが、眺めだけば抜群である。
「先輩、ここは一体?」
「第二展望台だよ」
「本当に?」
「本当だ。非公式だが」
 言うや否や、先輩はいそいそと懐から煙草を取り出した。まるで貴重な宝石でも見るように天に掲げ、一本を取り出し、口にくわえて火をつける。深く吸い込み、たっぷりと肺に取り入れ、味わい、細くゆっくり、惜しむように煙を吐き出す。香りが、冬の大気に混ざって僕の鼻にも届けられる。
 僕は煙草は吸わないが、必要を感じないだけで、それ自体が嫌いというわけではない。薄く流れてくる煙草の香りと、吸っている人のフォルムは、寂しさの概念みたいでむしろ好きだ。少し背を丸め、口を覆うように煙草を吸う先輩の姿は、正に好みのそれ。要するに先輩は寂しい人なのである。
「くぅー、この一本のために生きているぜ」
「何、事後、みたいな顔してるんですか」
「俺は山と寝たのだ。そのために我慢していたのだ」
「はいはい。てか、向こうで吸えば良かったじゃないですか」
「敷地内は全面禁煙」
「ここは?」
「多分オーケー」
「多分ダメなのでは? ところで、まさかとは思いますが、もしかして、だから山に?」
「……ふう。飯を美味く食べるための最高のスパイスってなんだと思う?」
「いや、そんなしたり顔されても」
 まあ、途中から薄々予想はしていた。車の中でも吸っていなかったし、先輩がこんなに長時間、煙草の〈た〉の字も出さないのは、異例なのである。
「……あー、病みつきになりそう」
「いっそもう、死ぬ前まで禁煙したらどうです? 最期に幸せな気持ちで逝けますよ? 僕の平穏も守られるし」
「……それもいいかもなあ。むしろ今死ぬか」
「止めはしません」
 結局、たっぷり二本分吸い切って、僕らは山を下りた。
 帰り道、先輩は上機嫌で、ちゃんとご飯もおごってくれたし、スーパー銭湯の風呂代も出してくれた。汗はかけども凍えてもいる。たっぷりのお湯は身体の疲れを浄化させてくれるようだった。
「今日はありがとな」お湯につかりながら、先輩はのほほんとそう言った。「お前が良い奴で良かった」
「おや、感謝とは殊勝な心掛けですね、先輩」
「俺だって礼くらい言うわい」
「では受け取っておきましょう。でも、次も付き合うとは限りませんよ」
「ふん。俺が誘わなければ一人寂しい大学生活になるぞ?」
「ちゃんと友達も恋人もおりますので」
「え?」
「いやー、それにしても良いお湯ですね」
「おい、ちょっと待て。え、恋人? 聞いてないぞ? え?」
「ほら先輩。ちゃんとつからないと風邪ひきますよ? あと公共の場で騒がないでください」
「これが騒がずにいられるか。え、マジで? マジなの? 誰? 俺が知ってる子なの? どうなの? おい──」
 僕は先輩を無視して、身体を口元まで湯に沈めた。寝そうである。
 隣の先輩はまだまくし立てているが、周りに配慮して声を落としているあたり、やはり、ちゃんと良い人なのである。

Why do you climb?

Why do you climb?

こんな学生生活は送っていませんが、友達と登山したら山頂ですいかを出されたことはあります。 どうりで大きなリュックだと思った次第。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-10-14

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