袋小路今昔

この作品のお題は【地図】です。
どんなところにもいるものはいるし、悲喜交々もあるのではないかと考えたりします。

 最近流行りの〈げえむ〉というもの。この世界とは別の世界に出現し、いわば第二の生を謳歌できると風の噂に聞いた。なんと面白そうなところだろう。
 年老いた私だが──いや、年老いた今だからこそ、生来からの好奇心を抑えられず、えいやと無理矢理潜り込んでみた。
 そして、何の因果か出られなくなった。
 初めはこの環境を楽しんでいた。年は若くなり、足腰も軽くなり、腹が減ればいくらでも飯を食うことができる。大きな声も出せるし、耳もはっきりと聞こえる。〈なびげえたあ〉という職業も私に合っている。私は道案内するのが大好きなのだ。そのおかげで、久しくいなかった友人も作ることができた。難点といえば、その友人たちがたまにいなくなることだろう。彼らには実世界での生活もある。まあ、健全であることは美徳だ。
 私自身には時間はいくらでもあったが、だから、彼らに諭されて、一度〈ろぐおふ〉ということをやってみた。戻って楽しい実世界ではないが、夜のシンと暗い重い空気や、木の下を通る冷たい風、草いきれの青臭い香りは、確かにこの世界で感じることはできない。根本的にむさくるしさのない世界なのだ、ここは。
「……おや?」
 そして、である。友人と並び、一緒に〈ろぐおふ〉をした。したが、私の姿だけがそこに残っていた。操作は間違っていないはずだった。右手で空間を払い、そこに出た〈うぃんどう〉にある、〈ろぐおふ〉という文字を押す。それだけだ。
 それだけなのに、私は、ここから出ることができない。何度〈ろぐおふ〉を押しても、手ごたえがないのだ。結局百度くらい同じ動作をしたが、終ぞ達成されることはなかった。
 戻ってきた友人たちにそのことを話すと、「何かの獏だろう」とのこと。獏、とはまた、驚いた。私にとっては良く知った存在だが、若い友人たちには馴染みがないと思っていたからだ。
 しかし、なるほど、獏。夢を食う怪異である。つまり、今の私にとってはこの世界が現実で、実世界が夢になってしまっている、ということだろう。なんともけったいな話だ。まさか私が獏に捕えられるとは。
 友人たちは〈うんえい〉とやらに相談してくれるとのことだったが、別段私は不自由を感じていなかったし、いたずらに身辺を探られるのも嫌だったので、「自分でうんえいに行くよ」と言い、その場を離れたのであった。もちろん、〈うんえい〉が何なのかは知らない。
 それから、はてさて、何年経ったのだろう。この世界で時間がどのように流れているかはわからないが、もう随分と長い間、ここにいるように思う。友人たちとも少しずつ会う機会が少なくなり──というよりも、友人たちがこの世界に来ることも少なくなり、私だけが一人取り残されている。もっと言えば、そもそも人口が少ない。まさかこの世界にも過疎があるとは思わなかった。
 たまさか通り過ぎる者たちから漏れ聞こえたところによると、今はこことは別の世界が流行しているらしい。流行り廃りが世の常ではあるが、世界そのものにもそれが適応されるとは思っていなかった。しかし、どうせなら人がたくさんいる世界へ行きたいな、と私自身思うのだから、いわんや他人をや、である。無常なり無情なり。
 まあ、私は出ることができない。変わらず〈なびげえたあ〉をしている。
 今日も今日とて、過疎の広場でぼんやり過ごしていると、手元の地図を見ながらうんうんと唸っている者がいた。「おっかしいなあ」とか「なんでだろうなあ」とかぼやいている。
「どうしたんだい?」私はいつものように話しかけた。久しぶりの客だ。「そんなにうんうんと唸って」
「ん? ああ……いや、この地図見てくれよ」
「なんだいなんだい」
「ここを右に曲がって、真っすぐ行って、この建物の間を抜けるだろ」
「ふんふん」
「そうしたら公園があって、宿があって、商店が並んでいる」
「そうだなあ」
「で、そこを通り過ぎると次の街への道に出るはずだろ」
「間違いない」
「なんだけど、どうしてかこの広場に戻ってきちゃうんだよ!」
「おやおや」
「なんかのバグかなあ」
「獏ってことはねえだろ。あれは夢を食べるもんだ」
「夢?」
「そうさ。道を化かすのは昔から狐狸って決まってる」
「こり?」
「ああ。……いや、まあそれはいい。おいらは〈なびげえたあ〉だ。道なら案内するぜ」
「おお、そりゃありがてー……って、いや、やっぱいいや」
「いい? よすってことかい?」
「よす? ……ああ、止めるのかって? うん、止めるよ。懐かしくて久々にこのゲーム入ったけど、人もいないし、バグも出るし。話には聞いてたけど、始まりの町から出られないってのはよっぽどだね。運営も原因が突き止められないって噂、本当なのかもな」
「いや、〈うんえい〉のせいではないだろう。獏のせいかもしらんが」
「バグが原因なら運営のせいだろ。うん、まあ、いいや。とにかく俺はオフるよ。あんたはまだここに?」
「ああ、出られないんでな」
「出られない? なんかのバグ?」
「ああ、獏のせいさね」
「大変だな。戻ったら運営に言っとくよ。いつかバグ退治してくれるさ」
 言うが否や、その者はこの世界から跡形もなく消えてしまった。余計なことはしなくていいと、言う間もなかった。
 そして私はまたぽつねんと、広場で一人、である。
 この町から出られない? そりゃそうだ。道を惑わしているのは私だ。昔から人を化かし、道を惑わせるのは私たち狐狸の類と相場が決まっている。それがここじゃ「獏だ獏だ」と繰り返し、なんとも胸糞悪い。やはり今の若い者は怪異というものをわかっていない。
 まあ、ともかくとして、である。道に惑わせ、迷わせる。助けたところで仲良くなって楽しむ。ご覧の通り今じゃ全くできない。ここから出られもしない。万事休すだ。やはり、化け際の妖気を使って潜り込むのが良くなかった。
〈うんえい〉とやらが獏を退治したらどうなるのだろう。私は実世界に戻ることができるのか。それとも獏の手先として葬られてしまうのか。
 ああ、なんとも袋小路に迷い込んだものである。何の因果も何も、因果しかない話であった。

袋小路今昔

袋小路今昔

どんなところにもいるものはいるし、悲喜交々もあるのではないかと考えたりします。 絵のない御伽草子。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-10-13

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