正しい

この作品のお題は【正しい】です。
認めた上で理解できないことと、そもそも理解しないことには、大きな差があると思います。

「自分がいなくなったらとても辛い思いをするだろうから、悲しまないように先に死んでもらおうと思って」
 殺人罪で捕まった男は、供述でそう言ったそうだ。
 なぜ、結局本人だけ死ななかったのかは、そのニュースではわからなかった。ただ、コメンテーターたちがこぞって男を非難し、憤り、同調の言葉に我が意を得たりとまくしたてる姿が、そこにはあった。
 醜いので、テレビを消した。
 私も、基本的にはこういう事件に憤りを覚える。死にたかったら一人で死ねと、思わなくはない。ただ、そうしようとする加害者の気持ちが、わかってしまう。取り残される者の悲嘆を考えるなら、事前にそれを感じないようにすれば良いというのは、理に適っていると思うのだ。それは優しさだと思う。
 こういう話をすると、「意外とサイコパスなんだ」と言われる。異常人格者とはまたひどい言い草だが、実際どうなのだろう。みんな、本当に、この気持ちはわからないのだろうか。
 死の痛みと、取り残される者の辛さが同列ではないことはわかる。ただ、一瞬で終わるものと、記憶ある限り永続的に続くものが、二者択一であるなら、そのどちらかを選ぶのはかなり難しいのではないか。一思いに死んでしまった方が楽、という考え方をする人は、ゼロではないと思う。人間は多分、長い痛みに弱い。
 それが極論だとしても、そういう考え方がある、ということを頭から否定してしまうのはどうかと思うのだ。あのコメンテーターたちが醜かったのは、「そんな考え方はない」と断定していた点にあった。別に非難するなとは言っていない。ただ、〈ある〉ものを〈ない〉と言ってしまえる傲慢さが、腹立たしい。どんな衝動であれ、人が見てどんなにおかしな振る舞いであれ、思い実行しようとする人にはそれなりの筋があると思う。正誤や善悪の問題ではなく、有無の話だ。その人の中で繋がっているなら、その行為は真実なのだ。それは、常人だろうが狂人だろうが、同じだろう。
 今日、父が帰ってくる。
 父はかつて、私と、母を殺そうとした。事業に失敗し、何もなくなり、自棄になっていたのだ。みじめな思いをさせるくらいならと、自分も死んで、家族も共に消し去ってしまおうと考えた。私と母の身体を拘束し、隙間という隙間を目張りし、練炭を焚いていた父。全てを悟り諦めたようにうなだれる母。何が起こっているかわからず、茫然と両親を見つめる私。
 結局、それは未遂と終わった。父が最後にどう思っていたのかはわからない。怖気づいたのかもしれないし、やはり一人で死のうと思ったのかもしれない。目張りを外し、中途半端にやりかけの状態で、父は家を出て、そのまま消えてしまった。
 我に返った私がたてた物音と大声により、私たちは救出された。
 その後、家を売り、小さなアパートを借りて、二人で暮らした。母は何もできなくなってしまったから、私が働くしかなかった。高校中退の私の給料では、借金を返しつつの毎月の生活は苦しく、夜の仕事にも手を出した。
 語り尽くせない十年が過ぎ、心が掠れて摩耗した分だけ、生活も多少安定するようになった。少しだけ大きな部屋を借りて、一つの布団を二人で使うようなこともなくなった。テレビも見ることができるようになった。母はいつもぼんやりとしているが、ベッドで寝ているときは安らかな顔をするようになった。
 そして、父から連絡があった。どうやって探し当てたのか、ハガキが届いたのだ。
「すまない。話したい。会いに行って良いか」
 簡素な内容だった。
 私の心は、マグマのようにどろどろとした高温の塊となり、一瞬で全身を駆け巡って、そのまま冷えた。自分でも、どういう感情なのかはわからない。懐かしく安心するような、それでいて怨嗟と憎しみに彩られているような、歪んだ不定形の気持ち。ある意味では、愛と呼べるのかもしれない。
 私は、心中を図ろうとした父の考えが、わかってしまう。事後の、私たちの生活がその答えだ。それまでの比較的裕福な暮らしとは一変し、無様に生きてきた。そんな仕打ちを、大事な家族に受けて欲しくなかったのだろう。
 ただ、だとしたら、なぜ途中で止めたのだ。
 そしてなぜ、再び私たちの前に現れるのか。
 今日、父が帰ってくる。私は、「会いに来て」と返した。
 準備はできている。目張りしてじんわり広げるのではなく、袋か何かに詰めて嗅がせた方が苦しむことはない。母はすでに、隣の部屋で穏やかに眠っている。
 父がどんな話を持ってくるかはわからない。でも、そんなことは関係ない。私はもう、歪に固まったマグマだから。燃え上がるのも、流れるのも、疲れてしまった。
 インターホンが鳴った。
 私は、ゆっくりと玄関に向かい、覗き穴を確認して、ドアを開けた。
 明日、あのコメンテーターたちは何と言うだろうか。
 そんなことが、ちらりと頭をよぎった。

正しい

正しい

認めた上で理解できないことと、そもそも理解しないことには、大きな差があると思います。

  • 小説
  • 掌編
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-10-12

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