花路

この作品のお題は【ロードアート】です。
通学路には不思議があると、今頃になって懐かしく思っています。

 高校の頃のことだ。自宅近くの駅から学校の最寄り駅まで電車で移動し、そこから三十分の道のりを歩いて通学していた。地下鉄やバスを使うこともできたが、これまでの自分の生活範囲では見られなかった景色を歩くことが、正に新鮮だったのだ。途中からは自転車も使うようになったが、結局、在学中のほとんどは歩いていたと思う。
 不思議なもので、そうやって歩いていると、適当に進んでいても迷わなくなる。道の作りというか、性格というか、「ここを通ればあそこに着く」ということが何となくわかってくるのだ。私は積極的に、知らない道を通って通学するようになった。
 今になってみれば、そんな万能感を覚えるのは若さ故と思う。自分は特別でありたいという願望だ。しかし、当時の私にとっては、本当に本当だった。
 だから、その日も、私は歩いて学校へ向かっていた。駅前の商店街を通り、幹線道路を渡って、住宅街を抜ける。これが基本だが、商店街と住宅街には細い路地がたくさんあるので、選ぶ道に事欠かない。多少遠回りでも、新たな経路を開拓していた。
「あれ?」
 住宅街に入って少し歩いたあと、思わず呟いていた。目の前には、学校へ向かう道と、商店街に戻る道、そしてそのまま直進する小路があった。風景としてはなんの不思議もない、住宅街には良くある交差点だ。数は少ないが、知らない同級生や先輩たちも、立ち止まった私を気にすることなく、普通に歩いていく。方角的には直進した方が早いのに、皆一様に、学校へ向かう右の道を選んでいく。
 私は彼らが通り過ぎるのを待って、もう一度小路を見た。本来であれば、古びたアパートが目の前にあったはずだ。また、仮に真っすぐ見通せたにしても、この方角なら、民間企業が持つ医療関係の施設にぶつかるはずだ。それなのに、道は見通しが良く、住宅を脇に並べながらずっと続いている。
 迷うことなく、私はその小路に入っていった。そのほうが早く着くはずだし、何より、知らない道に好奇心がうずいた。
 小路は、普通の小路だった。朝の慌ただしさから抜けた時間帯で、周りの家からは、少し弛緩したような雰囲気があふれている。青みを帯びた陽光がそれらを優しく照らし、食器を洗う音や、洗濯をする音、掃除機をかける音、それに反応して吠える犬の声などが聞こえてくる。このあたりではどこにでもある風景だ。
 わくわくは少し減ったが、それでも、知らない風景ではある。私はあたりをじっくり見ながら歩みを進めていた。
「そこ、踏まないで」
 突然、そんな声が聞こえた。
 びっくりして先を見ると、子どもが一人、しゃがんだまま私の方を見ている。五、六歳くらいだろうか。短パンにTシャツで、頭は丸刈りの男の子だった。
 視線に促されて下を見ると、そこには大きな建物の絵があった。よく見れば──よく見ずとも、そこかしかにたくさんの落書きがされている。建物をはじめ、人や動物、花に木に、乗り物もある。男の子の手には、白いチョークが握られていた。
「ああ、ごめん」
 謝ると、男の子はまた地面に向かい、手を動かし始めた。今書いているのは、どうやら、線路のようだった。しかも、大作だ。道の中央に長めの線路があり、その両脇はすべて花で埋め尽くされている。私が通る幅もないくらいだった。先ほどの男の子の願いを守るなら、どうしたって真ん中の線路を行くしかない。
「なあ、そこ、通っていいかい?」
 なるべく優しく声をかけた。私には年下の兄弟もいないし、どれくらいの親しさで話しかけて良いかわからなかった。
 男の子は手を止め、今度は立ち上がり、僕を見た。そして、チョークを差し出した。
「じゃあ、その空いているとこに、お花を描いてよ」
 指の差す先には、ぽっかりと、花二つ分くらい空いたスペースがあった。住宅の仕切り壁の近くで、中央からも、〈花畑〉と道路の境からも離れている。おそらく、男の子の体格では、他の花を踏まずにそこを埋めることは難しいのだろう。私は「わかった」とチョークを受け取り、男の子の描く花に似せて、その空白を埋めた。絵は得意ではなかったが、割と上手に描けたと今でも思っている。
 描き終わってチョークを渡すと、男の子は満足気な顔で笑った。そして自分の場所をどけて、私の方へ近寄り、「どうぞ」と道を譲ってくれた。
「落ちたら、戻れないからね」
 ニコニコと、そんなことを言う。
「ありがとう」と礼を言い、慎重に、花畑を渡る線路を進んだ。高校生にとってはわずかの距離ではあるが、知らず、深呼吸をしていた。すると、微かに、美しい匂いが鼻に届いてきた。「おや」と思う間もなく、白ばかりのはずの花畑から、赤や黄、桃、オレンジ、紫といった鮮やかな色合いが目に飛び込んでくる。いつの間にか、周りの住宅地もない。
 あっけに取られて立ちすくんでいると、後ろから、鈴のように笑う男の子の声が聞こえてきた。意を決して振り向いたが、姿は見えなかった。
 突然、強い風が背中を押すように吹いた。その風に飛ばされた花びらが宙を舞い、私の視界を遮る。私は、翻弄されながらも、線路からは落ちないように屈み、目をつむり、じっと堪えた。
 しばらく経って目を開けると、そこは何の変哲もない住宅地の中だった。覚えのある場所で、近くに学校も見て取れる。時計に目をやると、もうすぐ始業のベルが鳴る時間だった。不思議な高揚感を覚えながらも、あわてて、校舎へと駆け込んだ。

 その後、再びその道に行き会うことはなかった。もちろん、男の子にも会っていない。同じ場所に行っても、おんぼろのアパートが通せんぼしているだけだ。また、図書館などで調べてみても、その場所にかつて道があったという記録もなかった。
 あれは一体何だったのかと、今でも考える。夢だったのか、思春期の幻だったのか、単なる勘違いなのか。はたまた、魑魅魍魎や、もしかしたら、古くに祀られていた神様の、歩くのが好きな私へのいたずらだったのか。答えは、もちろん知れない。
 ただ、全ては私の記憶の中にしかないが、一つだけ、証拠がある。
 あれから、花を描くと、微かに匂うようになった。花が舞いはしないが、匂いだけ、美しく香る。
 あの出来事を信じてくれなかったとしても、それだけは、本当のことだ。

花路

花路

通学路には不思議があると、今頃になって懐かしく思っています。 ノスタルジックホラー。

  • 小説
  • 掌編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-10-10

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