あおい

この作品のお題は【あおい】です。
知らない思い出の中に感じる郷愁のような、奇妙な話。

 小学生の頃、度胸試しに夢中だったことがある。多分、どこの学校でも、どの学級でも、一度は流行ったんじゃないだろうか。ピンポンダッシュ、住宅街の塀渡り、工場跡や廃屋など立ち入り禁止区域への進入、子どもだけでの森探索、深夜に抜け出しての肝試し。私の地元は都会と言える場所でもなく、また、今のように一事が万事安全、という時代でもなかったので、出来ることはたくさんあった。より危ないことをすれば勝ちで、やっては自慢し、いずれ親や先生に見つかりこっぴどく怒られ、しかし性懲りもなくまた新たなアイディアを試し、後先考えず盛り上がる。その繰り返しだった。
 ただ──そう、あれは、小学五年生の秋のことだ。
 その日私は、クラスの友達と一緒に〈信号機ゲーム〉をやっていた。その時期、たった一ヶ月ほど流行った遊びだ。ルールは簡単。廃屋のせいで見通しの悪い、緩いクランクの道をすこし行った所に立ち、車が来る直前に逃げる、というものだ。先にも言った通り、地元はどちらかと言えば農業地域寄りで、車どおりは多くないが、そのスピードは速い。道路に立っている方は目をつむり、車が来たかどうかは音で判別する。ただ、それだけだとさすがに危ないので、もう一人か数人が近くに立ち、手前にある信号が青になったときは「あお!」と教えてあげる。どこまで勇気をもって我慢できるか、それが勝敗を決める。本当に危険な遊びだ。一歩どころか半歩間違っても死んでしまう。なぜそんな遊びが流行ったのか、今考えてみても本当に思い出せない。そういう年頃だった、というしかないかもしれない。
 私と友達二人は、放課後、いつも通りに様々な度胸試しをしながら帰っていた。その日の私は返ってきたテストの点数が良く、気分が上々で、身体も軽く、度胸試しでも勝ち続きだった。そして、「負ける気がしない」「次は勝つ」などと話しながら、最後の仕上げとして行ったのが信号機ゲームだ。スリルという意味でも群を抜いたそれは、勝敗を決するにもとどめを刺すにも、ちょうど良いゲームだった。私たちは道路の真ん中に立ち並び、さも厳かな開会式のように、まだ影も形もない車を思い浮かべた。順番は、私が最初だった。
 ただ、私たちの興奮をよそに、その日はまったく車が来なかった。道路の真ん中で待っている間、寒さと、「あお!」という言葉が往来するばかりで、たまに車が来ても、のろのろとした安全運転である。逃げる前にあちらが止まってしまう。何順かはしたが、元々負けが込んでいた友達二人は飽きてしまって、「じゃあな」とあっさり背を向けて帰ってしまった。私は大満足の一日が尻すぼみになってしまうようで、収まらず、かと言って一人で何をできるでもなく、憤然とその場に立ち止まっていた。
「シンジ」
 しかし結局帰るしかないとわかって、足を家に向けようとしたときに、後ろから声をかけられた。
「やっぱもう少し遊ぶか」
「ツトム! お前帰ったんじゃないのかよ!」
 振り返るとそこには、先に帰っていったはずのツトムがいた。
「帰ったんだけど、なんか収まらなくてさ。負けっぱなしも嫌だし、戻ってきた」
「マサルは?」
「あいつはそのまま帰った。よし、じゃ、やるか。シンジからな」
「おう、やるぞ! 負けないからな!」
 私は大喜びで、再び道路の真ん中に陣取り、目をつむった。ツトムが戻ってきてくれたことも大変嬉しかった。普段から仲が良い方ではあったが、そんなことで『あいつは大親友だ』とわくわくしていた。『だから、絶対勝つんだ』とも思った。
 しかしそうは言っても、車が来ないのはどうにもならない。私は目をつむりながら、秋風がさやさやと肌寒くなる中、「あお!」の言葉と駆動音を待っていた。時刻は夕方で、そろそろライトが灯る。灯ると、光を圧で感じるので、難易度が下がる。ただ、それでも、車は来ない。
 なにくそと思っても、やはり子どもだ。先ほどの二人と同じように、私は少しずつ飽きを感じ始めていた。多分、私にとって、戻ってきてくれた、ということがすでにピークだったのだと思う。ルール違反ではあるが、私はツトムに話しかけた。
「なあ、車来ないか?」
「来ないな」
「やっぱ今日車少ないよな」
「だな」
「なんだよなあ。折角のゲームだってのに」
「ほんとほんと」
「……なあ、やめ──」
「お! 静かに!」
 ツトムが急にそう言ったので、私は慌てて口を閉じた。耳をそばだてると、小さく車のエンジン音が聞こえる。ついに来た。私はすぐ動けるよう緊張感を持ったまま、車を待った。
 音はどんどんと近づいてくる。相当に速そうだ。しかしツトムはまだ「あお!」を言っていない。信号は赤だ。一旦は止まる。そこからが勝負だ。
 自分の心臓の鼓動が聞こえた。
 車はさらに近づいてくる。
 ツトムは何もしゃべらない。
 音が止む気配もない。
 ツトムは何も、しゃべらない。
 なぜだか急に『あれ?』と思った。なんでツトムは「あお!」を言わないのだろう。あいつが戻ってきて、ゲームを始めてからも時間が経つが、まだ一度も「あお!」を聞いていない。そんなに長く信号が変わらないことがあっただろうか。
 音はどんどんと大きくなっていく。
 そういえば、と思った。なぜツトムは、後ろから声をかけてきたんだろう。あいつは俺に背を向けて帰っていったはずだ、と。しばらくは一本道の、この道路を。
 ツトムは、何も、しゃべらない。
 おかしい。
 プウウウウウウウウウウ
 そう思うのと、クラクションが鳴り響くのは同時だった。
 目を開けると、すぐそこまで車が迫っていた。
 私は瞬時に足を動かし、もつれながら、間一髪で車を避けた。
 通り過ぎた車の窓から、「馬鹿野郎!」という怒声が遠ざかっていった。
 あとは、早鐘のような自分の鼓動しか聞こえない。
 私は道路脇にいるツトムを見た。彼はいまだ黙ったままそこに立ち、今まさに引かれようとしていた私を見下ろしていた。しばらく、その、冷たい目を見ていた。
「……なんで、あおって、言わなかった?」
 何度か唾をのみ込んだあと、私はかろうじてそう呟くことができた。
ツトムは私を見下ろしたまま、考えるように口を開き、にっと笑ってこう答えた。
「だって、あれ、みどりだから」
 そしてそのまま、背を向けて帰っていった。

 翌日、びくびくしながらツトムに会うと、彼は昨日の出来事を全く覚えていなかった。いや、覚えていないというか、全く知らなかった。私が震え、半分泣きながら説明し、責めても、困惑するばかりだった。近くにはマサルもいて、話を聞いていたのだが、彼も困惑しているようだった。
「シンジさ、良くわかんないけど、そんなことあるわけないって」
「でも、昨日確かに、あのあと、俺はツトムに会って──」
「だからよ、それが、そんなわけないって。だって俺ら、お前と別れたあと、ツトムの家寄ってゲームして遊んだから。おばさんにも会ったし、おやつももらったし。そらあ、お前を呼びに行かなかったのは悪かったけどよ」
「え」
「そうだよ。それは悪かったけどさ、そんな嘘つかれるほど、ひどいことかよ」
 そう言って二人は、気味悪そうに、私から離れていった。
 私は茫然と、その場に立ち尽くすことしかできなかった。

 それから、私は、度胸試しをすることをやめた。

あおい

あおい

知らない思い出の中に感じる郷愁のような、奇妙な話。 ノスタルジックホラー。

  • 小説
  • 掌編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-10-06

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