クロワッサン
この作品のお題は【三日月】です。
自分の存在について考えることは、過去も今も、多分未来も、頻繁にあるでしょう。
明日の朝食を買って、店を出た。
話題の店でも、近所の馴染みでもない、帰宅途中にある駅前のスーパー。
日はまだ落ちきっておらず、同じように家路を急ぐ人で通りは賑わっている。もちろん、これから繁華街に繰り出そうという人も。
時間的にも、そもそもの気分的にも、このスーパーである必要はなかったと思う。朝は目覚めが良く、昼もすっきり事務作業をこなした。夕方には難航していた契約を一つまとめ、手厳しい上司からの意外な感謝の言葉もあり、満足に部署のドアをくぐることができた。信号にも引っかからず、電車もタイミング良く、全てがスムーズだった。
ただ、最寄り駅で降り、独り帰る部屋を思ったとき、不意に『どうでもいいか』という気持ちがこみ上げてきた。『こんな日々を過ごしたところで』と、脈絡なく、今日のすばらしさが帳消しになってしまった。
何もかもが泡沫なのだ。
今日という日はいつだって、過去と未来の経過の中にしかない。昨日は一昨日の明日で、明日は明後日の昨日だ。僕が生きる今は、社会がそうと決めている主観の上に成り立っている。だから、社会が消えれば今はなくなるし、僕が社会の枠組みから外れても、消える。そしてそんなことはざらにある。
昔仲が良かった友達が、今どこで何をしているかもわからない。そういうことだ。
黄昏の空に、沈みゆく陽は見えない。
ぼんやりと気持ちをさまよわせつつも、ほとんど習慣でスマートフォンを取り出した。SNSを開くと、それぞれの他愛のないログが現在進行形で通り過ぎていく。
彼らは本当に〈そこ〉にいるのだろうか。
どん
「あ、ごめんなさい」
軽い衝撃と、聞こえるか聞こえないかの声が、蜘蛛の糸だった。いたって何でもないふうを装い、無駄に小鼻をかきながら、取り繕うように入ったのがこのスーパーだった。
明日の朝食は、スーパー内にあるパン屋で買った。何のことはない。美味しそうな匂いがしたからだ。
左手に鞄、右手にパンの紙袋を持ち、通りを歩いた。すれ違う人も、同じ方向へ行く人も顔が合うことはない。買いすぎたパンを抱える男を奇異に思う目もない。
一瞬バランスを崩し、つんのめる。また何でもないふうを装って、大きな紙袋を胸に抱えなおした。焼きたてだったのだろう、胸元がほんのりと温かい。
昨年、姉が子どもを産んだ。初めて抱いた姪は、小さくて、フニャフニャしていて、脆そうで、とても温かかった。首が落ちないよう、幼い匂いを逃さないよう、びくびくしながら大切に背中を叩いた。
がさがさと音が鳴る。漂うのはバターの香りだ。吸い込んだそれに代わって、染み込む前の毒が少しずつ漏れ出ていった。染み込んでしまったものは、もう僕の一部だ。そうやって鈍感になっていくに違いない。
道路と並行に走る薄明の空。そこに瞬きがないのを不思議と思わないことも。
孤独なアパートに戻ってきたとき、僕はだいぶまともになっていた。
晩御飯のことを忘れていた、なんて思いながら階段を上っていると、足が一段に届かなくて転びそうになった。そういえば、覚束ないのは昔からだった。そういうところは変わって欲しい。
振動でパンの紙袋が開いてしまった。つぶしていないかと覗くと、形の良いクロワッサンが笑っていた。
「だけどお前、明日には食べられるんだぞ?」
クロワッサンは黙って笑ったままだった。
クロワッサン