幸と極光
マナが産まれた深夜、町の上空にはオーロラが訪れていたという。
妹の誕生日の話とはいえ、年が近いベルガはそれを記憶に留めてはいない。ただおぼろげに、母の大きかった腹が窄まって、代わりに赤ん坊がやってきたことはおぼえている。そう言うと、
「あら、だって」
長姉のデルフィナが目を細め、
「ベルガは見てないんだから、おぼえてなくて当然だわ。わたしはあの時、おばあちゃんと一緒に表に出てオーロラを見たの。ベルガにも見る? って訊いたけど、あなたはマナとお母さんにくっついて離れなかったから」
柔らかな声で懐かしんだ。
「そうだったの? ……」
ベルガは頬杖をつき、十六年前へ心を移す。ものごころついて以降、オーロラなんてこの町で何べんも見てきたが、妹が産まれた晩のそれはどんなに美しかったことかと思う。むろんあの時は、幼心にオーロラがどれほどきれいでもそれ以上に、目の前の小さな妹と母に寄り添っていたい、と願ったのだろうけれども。
「それで、」
ふと、ずっと俯いて手を動かしていた祖母が声を発した。
「それであの子は、今年は何が欲しいって言ってるんだい」
暖炉に一番近い揺り椅子は祖母の定位置だ。そこで編みものを続けながら、声音だけをこちらへ向けてくる。ベルガは姉と顔を見合わせた。
「それがね」
「ね」
「マナのことだ。どうせまたえらい無理難題なんだろう?」
祖母の嘆息へ、薪の爆ぜる響きが励ますようにかぶさる。
「そう。毎年のことだもんね、マナのわがままは……おばあちゃん、今年はあの子、花だって。花が欲しいんだって」
「花ときたかい。この真冬に、」
ベルガが言い上げると、祖母は丸い肩を動かして笑った。足元の毛糸玉もつられて揺れる。
「困ったもんだね、草一本生えちゃいないのにあの子ときたら。デルフィナ、どうするんだい、もう明日だろう?」
窓の外は降り積もった雪でまっ白だ。花どころか青葉一枚見えはしない。だが、
「ふふ。大丈夫よ」
姉のデルフィナが微笑する。
「こんなこともあろうかと、夏にお花を乾燥させたのを多めにとってあったの。それでブーケをつくってプレゼントしてあげようと思って。ベルガ、後で手伝ってくれる?」
さすが姉さん、と上げたベルガの声と、さすがデルフィナ、と讃えた祖母の声とが重なった。
姉はいつも、温かくやさしかった。そのやさしさは父母を喪ってからなお増し、ベルガと妹のマナにとって親代わりにも等しい姉だった。
翌日の宵、さし出された花束に妹は目を丸くした。その輝くばかりに美しい頬を上気させ、
「え。うそ。花……本物のお花じゃん!」
リボンでまとめられた花束と、ベルガとデルフィナを交互に見た。よく干せたラベンダーと犬薔薇は夏の色を鮮やかに映し、マナは口元を歪ませたかと思うと、
「……あたし、あんなしょーもないわがまま言ったのに……おねーちゃんたち、今年も、叶えてくれたなんて……」
デルフィナの胸へ顔を埋める。ベルガは姉と一緒にマナの頭を撫でながら、今年もこうして、妹の望みをかたちにしてやれたことに安堵した。
マナは放埓でわがままだが、素直で純真な子だ。ベルガにとってこの十六年は、妹が寂しい思いをしないよう、姉や祖母と一日一日、温めるように繋いできた日月だった。
「よかったねえマナ、ほれ、鮭のシチューができたよ」
台所から祖母の柔い声が立つ。
「ありがとおばーちゃん、あたし、おばーちゃんのシチュー大好き!」
マナは花を抱いて仔犬さながらに跳ねていき、デルフィナが笑みをこぼす。
「よかったわね。なんとか今年も、あの子のお願い叶えてあげられて……ベルガ、ありがとう」
「ううん、姉さんが準備してたおかげじゃない。……お母さんがいたら絶対、姉さんとおんなじことしてたと思うし」
「……だといいんだけど……」
そのとき表が賑わって、開けられた扉から隣家の幼なじみたちの声が聴こえた。
「おーい、オーロラ見えたから出てこいよ、マナの誕生祝いだな、」
「え、行く行く!」
表から吹きこむ凍風に、花を抱えたマナが足を弾ませる。
「ね、早く、おばーちゃんもおねーちゃんたちも行こっ」
マナに急かされ、ベルガは姉や祖母と玄関へ押しだされた。「そんなに急いで、オーロラなんてまた見れるわよ」と言うデルフィナ、「あったかくして出ないと風邪をひくよ」と案じる祖母との間で、ベルガは感慨にくるまれる。
両親はなくとも、こうして祖母と姉妹で明るく暮らせていること、マナの産まれた日に訪れていたオーロラを今みんなで眺められること。その朗らかな喜びが、犬薔薇とラベンダーの香気に溶けて風に乗る。
こんな日々がずっと、ずうっと続いてゆくだろうと、ベルガは願うまでもなく信じきっていた。
幸と極光
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