待合室
斜め前の女性は、モンゴル語の勉強中。指で文字をなぞりながら。層になって波打つテキスト表紙の角。
壁掛けのモニターでは「さんまの梅味噌焼き」。見入っていた親子。「さんまは塩焼きが美味いよなぁ。」と父が言えば、「いや、梅と味噌が体にいいんでしょ、お父さん。」と母親が言い、娘が「お父さんは酸っぱいのきらいだもんね。」とうなずく。
そのとなりでは、スーツを着た息子が携帯を耳に当て外へ出ていく。話終えて戻った来た息子に、車椅子に座っている母が、「仕事大丈夫なの?」とたずねる。
一人で座っている黒縁眼鏡の女の人は、置いてあったフリーペーパーの紅葉ドライブ特集の記事を、携帯のカメラで撮る。
私の隣では、夫が健やかな寝息をたてている。時々、間隔が空くリズムが気になって、顔を覗き込むと、ああ、と言って目を覚ます。それから、息子の野球のグローブをメルカリで一緒にさがす。オレンジ色がいいらしい。
待合室。
ここにいる人たちは、みんな、
かつて行ったか、これから行くモンゴルの想像や、
同じものを食べる食卓や、
時々辞めたくなる仕事や、
いつまでも気にかかる子どもや、
気軽な旅の計画や、
身近な人の気楽さなどの、
毎日の、
ささいな、
取るに足りないように思える、
時々煩わしく、腹が立ち、
でも、ふと顔がほころんだり、
目がよく開いて、空気がよく入り、
ほっと体がゆるんだり、あたたくなったりするような、
日常の、当たり前のような、そんなことに、支えられている。
ここにいる人たちは、みんな、
ずっと、傍らに不安を抱えて座っていて、
ずっと、どっしり在り続ける願いを持って座っている。
日常の、当たり前のような、そんなことに、支えられながら。
待合室