孕毒(どくをはらむ)

孕毒(どくをはらむ)

孕毒(どくをはらむ)

 何処へという目的があって(うち)を出たわけではない。お昼を食べていたときの妻のある言動が、わたしを揺さぶったからだ。言葉を掛けられたときはそれほどでもなかった。しかし食後のコーヒーを飲んでいるうちに、しだいに胸のうちに黒いわだかまりの溜まってくるのが感じられた。侑香(ゆか)は言った、「いつも美味しいって言って食べてくれてるけど、顔はちがうこと言ってるみたい。いいけどね」。
 しぐれそうな曇り空を見上げる。そうだよな。美味しい。旨い。満足した。言葉と本心が連動していたのはいつまでだったろう。何を食べても心が躍らない。そう感じる理由は、自分の内側にあるのか、それとも外側にあるのか。どっちだろう。
 子供であった期間よりも、大人である期間のほうが長い年齢になった。たしかに、子供のころのほうが感覚が鋭敏で、何事にも鮮烈な印象を持つことが多かった。でも、二十代の半ばあたりまでは、ものを食べているときに美味しいことをちゃんと実感していた。お店で食材を扱っていたころ、独り暮らしで自炊をしていたころ、ちゃんとしたものを食べている感覚を保持していた。それがどうだろう。食べるものが総じて自分の味覚に、クリティカルに旨いと感じさせてくれなくなった。それと知らずに、妻に負担をかけていたことになる。いいけどね、と言ってくれたけど、いいわけがない。何が、どうして、こうなってしまったんだろう。
 もやもやした気持ちを抱えたまま家に帰るのも気がすすまないため、ちょっと出るつもりだった散歩を方針転換して、駅前まで足を延ばすことにした。駅前なら時間をつぶす種のひとつやふたつ、見つかるだろう。雨が降り出してもおかしくない天候なので、気持ち、歩く速度をあげていく。
 十月のはじめで秋らしい気候だった。一雨ごとに気温が下がりだして、もう二度、三度、秋雨前線が上下すれば、季節はぐっと冬へ近づくにちがいない。マフラーと手袋が恋しくなる季節も、もうすぐだ。歩道と車道の間には、色付く予感を孕んだ公孫樹(イチョウ)並木がつづいている。見上げると小さな丸い銀杏(ぎんなん)の実が、いくつも()っているのがわかった。焼いた銀杏の味を思い出して、口腔に唾液がわいた。なにかが頭に閃いた。それは微かなものであったため、正体を突き止められなかった。閃いた感覚だけをもって先を急ぐ。歩道を歩くうちに気づいたことがある。ほとんどといっていいほど人と行き合わない。平日であれ、休日であれ、何処かへ行こうという目的のために人は道を歩くはずなのに、昼の一時過ぎに通行人の姿がほとんど見られない。脇の車道には、乗用車が列をなして走っているのに。
 信号で待たされる。十字路の右手から一台の自転車が走行して来る。乗っている中年男性は、わたしの待っている脇にブレーキを利かせて、キッと停める。歩道の向こうにも中学生か高校生らしい女の子の二人組があかるい声で話しながら青になるのを待ちはじめた。自分以外の人の存在が感じられると安心感が芽生えた。
 歩道の信号機が青に変わる。自転車がわたしの前に滑り出し、あっという間に背が遠くなる。向かいの二人組の女の子もこちらに向かってくる。すれ違うときに二人ともが、ドリンクを手に持っているのが見えた。プラスチックの半透明の容器の底には黒い粒々が見える。液体も薄茶色だったから、タピオカミルクティーだなと想像がつく。歩道を渡り切ってしばらくしても、頭の中にタピオカミルクティーのことが残存した。午後の紅茶のミルクティーに近いものに、ぐにゅっとした食感の粒々が入ってる飲みもの――これまでに飲んだことはなかったし、おそらくこれからも飲むことはないだろう。スターバックスでもモリモリのメニューを頼む気になれず、サイドメニューをひとつ選んで、ホットコーヒーと合わせて注文するくらいで、甘いものに懸想する気持ちになれなかった。でも、すべての甘いものが嫌いなのではない。わたしにも甘いものを食べたいタイミングはちゃんとあった。
 子供の頃はお小遣いを握りしめ、近所の、駄菓子屋も兼ねるタバコ屋に行って、十円や二十円のお菓子をいくつか買って口を喜ばせていた。丸川のイチゴ味のフィリックスガムや、いろんなフルーツフレーバーの箱入りマーブルガム。コリスから出ていた二十円のフーセンガムも鉄板だった。五円チョコというのもあったし、チロルチョコも十円でいろんな種類を買ったことがある。ガムは買うけど、アメは買わなかったし、チョコは買うけど、塩味のお菓子はほとんど選ばなかった。グミ類もけっこう買っていたように思う。ボトル型をしたコーラグミとか。ガム、チョコ、グミ。甘いものばかり口に入れていた子供時代だった。二十代のときに付き合ったことのあった同い年の女性と、互いの子供の頃に食べた駄菓子の思い出について話したことがあった。「わたしたちって、子供のころから工場で作られた化学物質たっぷりのお菓子を美味しいって思って食べてたのよね。だからこういうのを食べることに抵抗がなかったりするね」といって、ファストフードのハンバーガーを向かい合ってかじったものだ。狙った固さにするため、ツヤや、色を出すために用いられる素材。限度ぎりぎりまで材料費を切り詰める執念。子供の頃にとっくに決壊してしまった抵抗の壁は、いまも修復されることなく、ほとんどの食品を無抵抗に受け入れている。それがいいことなのか悪いことなのか。だから、お昼に妻に指摘された言葉が、余計に自分の心にこたえたのだ。
 ティラミスが流行ったり、ナタデココが流行ったり、パンナコッタがあり、タピオカミルクティーがありと、流行りは続いた。リバイバルみたいな形でいまの若い子たちは、その甘いドリンクを支持している。前の流行りのときは知らなかったけれど、いま現在、大きな流行としてけっこうな確率で街中で容器を持っているのを見かけるのは、子供の頃、甘いものを好んでいた存在としては、遠縁ながら、どこかお仲間に出会ったような気分になれるから不思議である。
 駅前に向かって歩いているいま、多くのお店の並んでいるさまを思い浮かべる。うどん・そばを出す〈おおすが食堂〉が駅にもっとも近い場所にあって、お好み焼きの店〈みちよ〉がその隣。わたしが中学・高校時代に通いもしたゲームセンターだったお隣りさんは、いまは廃業して、JRの格安チケットなどを売る金券ショップになっている。その隣はパチンコ屋で、路地を挟んでつぎが〈麺や 喜楽〉。そこのラーメンは鶏ガラ醤油のスープで、野菜もたくさん入っている。なにより人気店だ。平日はサラリーマン、休日は家族連れが席を埋める。百メートルほどつづく駅前通りの向かい合った二本の通りは、さいきんでは、飲み放題や一杯150円、200円といった提供のされ方をする居酒屋も新規で出店していた。しかしきょうは、そういった店に入りたい気分ではない。夕方には帰宅して妻の作るごはんを食べることになるだろう。
 やがて駅前に着く。記憶していたのと同じ風景が駅前に広がっている。目新しいものは皆無だし、新旧交代している印象もなく、見慣れた光景が広がっている。〈麺や 喜楽〉の前にはいつものように空席待ちの家族連れが二組ほど待機しているし、パチンコ店の前ではなんの商売をしているのかわからない怪しいおっさんたちが、下賤な言葉づかいでなにか息巻いている。その脇を男子学生が縫うようにすり抜けていくし、部活があったんだろう、休日にもかかわらず、制服姿の男女が駅に向かって粛々と歩いていく姿も見受ける。
 変わったことでも起きてくれないかという期待が胸のうちに込みあげる。どうせなにもないことはわかっていても、ちょっとした変化でいいから身辺に起こってほしい、その刺激によって自分の精神は活性化するのではないか。勝手に期待して、勝手に落胆するサイクルを無数に繰り返しながら駅前通りを進む。
 四十路の自分としてこの通りを歩いているいまと、小遣いをポケットに入れてこの通りのゲームセンターに押しかけていた中学生や高校生のころ、同じ場所のはずなのに、受ける印象が違っていることに気づくのは、過去の印象のほうが劣化しているからこそ、自身が勘違いしているだけなのかといった疑問が浮かんでくる。未成年時代は人生の経験が少なかったから、外界から受ける印象がいまとは違っていたのか。子供と大人とでは物の見え方がちがうということなのか。なにかがちがうという意識だけがどんどん色濃くなってくる。
 通りの角、交差点になっているところを左に曲がって、少し行ったところにあるデパートに入る。デパート……? と自分の語感を疑う。子供だった頃、デパートという言葉は、ちゃんと市民権を得ていた、はずだ。デパートという言葉はいまでは聞かなくなっていると今更ながらに気づく。ならいまはこの商業施設のことをどう呼ぶんだろう。三十年前にデパートだったものは、この三十年後にはデパートではなくなっているのか。とはいえ、百貨店というほどに大きな規模ではないし、やっぱり自分の中では今から入ろうとしている屋上付き六階建ての目の前の商業施設は、いつまで経ってもデパートというしかない。
 手押し式のドアを押して、中に入る。黄色味を帯びた照明が、レトロな雰囲気を醸している。しかし入っているテナントは、いまのものを売る店ばかりだ。途中、婦人服売り場の二階は飛ばしたけれど、フロアをめぐりながら、エスカレーターを使って順序良く上階へとあがっていく。文具売り場を冷やかし、食器売り場を眺め、書店の本をいくつか手に取ってページをめくり、なにも買うことなく、フロアの際――窓の側に置かれたベンチに腰を下ろす。
 駅前に来る途中に見かけた銀杏のことを思い出すと、あの振り塩をした(にが)しょっぱい味と一緒に流し込むビールの心地よさが恋しくなった。銀杏にはすこし時期が早い。あそこで自分が感じた閃きはなんだったんだろう。気にかかりだすと、頭のなかがそのこと一色になった。
 子供の頃、茶碗蒸しのなかに入っていた銀杏を、父や母、そして祖母が旨そうに口にする姿を目にして、変なものを見ている気分になったことを思い出した。苦いもの、まずいと思いこんでいたものが、実は深い味わいを持っているんだと気づくには、歳月が必要だったんだろう。でも――、あるいは、子供の頃に感じていた感覚のほうこそ本物であって、こうして大人になるにあたって、いろんな感覚をごまかしたり、紛らせたりしていく過程で、本当に大切な判断能力まで低下してしまったなれの果てが、銀杏やビールの苦みを旨いものと錯覚する大人の感覚ということにならないか。そもそもこれは、どちらかが本物で、どちらかが偽物ときっちり判定することのできる問題なのか。
 苦み――そして甘味。
 フルーツは糖度が正義になって久しいし、野菜のえぐみ、苦み、渋みみたいなものもうまさを感じるのに不可欠な部分だったのに、それが消されて行って、味もそっけもない代物――形だけの野菜になってしまった。肉はもとから、脂身の多い、さしの入ったものが偏重されるし、魚は販売される名前と種類が一致しないものが多すぎてややこしいうえに、気にしている人も少ない。
 なかでも、大半の総菜に砂糖などの甘味の使われていることが、わたしが出来合いのものを好きになれない理由だった。食べる側の脳を、てっとりばやく騙して、これは旨い、と判断させるには甘味を加えればよい。本来砂糖を使うレシピでないはずのものにも、砂糖や、砂糖以外の甘味成分をくわえたものが巷には氾濫している。どうしてそんなことになっているんだろうと考えてみると、問題の根っこは、わたしのさっき感じていたことと同じなのかもしれない。
 つまり子供の頃から、駄菓子などの甘いもの、工場で作られたものに慣れ親しんできた結果、いま商品開発をしている人たちも、味を決めるときに、自分の、甘味に馴らされた舌が基準になってしまっているために引き起こされている(わざわい)なのではないか? 買う側はどうしてその味付けを受け入れているのか。甘いものに誤魔化され、馴らされ、甘やかされたい人だらけになってしまったことを示しているのではないか?
 そうだ。それだ。と考える。
 90年代から00年代への流れを思い返すと、国内の文化の上に、実に多くの変化があった。明確に変化が感じられたのは、1995年1月の阪神大震災と、同年3月に起こった地下鉄サリン事件という、のちのちまで語られることになる、世上を大きく揺るがす二つの事件の起こって以降だ。震災が起きたときはどのテレビ局も震災関連の特番を連日繰り返し、サリン事件の起こった後は、メディアの話題はオウム一色になった。半年――あるいは、それよりすこし長くつづいた、メディア発の日本の狂乱、狂奔は、その報道熱が冷めてみれば、それ以前とそれ以後、日本は、文化的に大きな変質を遂げたように感じられる。
 バブル経済のはじけた影響も効いたことだろう。援助交際や貧困問題について取り上げられることが多くなり、邦楽では、小室サウンドが猛威を振るって、電子打ち込みの音を流しながらパラパラに興じている人たちをメディアでは大写しにしたりした。こぞって女子高生などにインタビューするテレビのテーマは、たまごっちの流行であったりもした。低年齢層に受ける文化を取り上げ、一般に蔓延させるチューターの役割として、通信全体は、自身の戦略を組み上げていた。仕事の現場でも、良いものを作ろうとする職人よりも、安くても悪くても一定の品質さえ保てて、ちゃんと売り上げも出せればよしとされる商売人のほうに重きが置かれるようになった。物が安ければ安いほどいいという風潮になり、一円でも安い店を見つけることに血眼になる人たちが目立つようになった。あらゆるものにコスト削減の命題が課せられ、その過程で、食品関連でも、甘い味付けにさえしておけば、大向うに受けやすい。だいたい消費者はころっと騙されてくれるというようなもので、砂糖偏重文化が形成されていったのではないか。よくいわれているけれど、日本全体ではコメの消費量は落ちているけれど、糖尿病患者、その予備軍は増加傾向にあるという話――それはそうだ――ほかの食べ物に多く糖類が含まれているのだから、外で売られている物や、出来合いの物を食べる頻度に応じて、病気の発症者も増えるというメカニズムなんだろう。
 だとしたら、誤魔化されたい、甘やかされたい人たち。音楽にたぶらかされ、食べ物に舌を篭絡され、ゆるきゃらに心をくすぐられ、低俗な萌え文化に身も心も蕩かされ、大の大人や高齢者までがテレビに自身の子守をしてもらっている現代に、甘ったれた、砂糖漬けの精神に、気合を入れ直す機会なんて今後とも訪れるんだろうか。
 ほんとうに旨いものを食べてみたら、わかることがある。なにが良いものとして判断されているのか、いったんその世界を見てしまったら、いまの砂糖まみれの、甘いものに甘やかされることを甘受する社会は、とてもではないけれど真の安住の地ではないと感じる。
 それこそ炊き立てのごはんにミネラル分を多く含んだ塩をつけて握るおにぎりだけを食べたくなるときがある。あるいは、簡単なドレッシングをつくって、適当にあつめてちぎった葉物野菜にまぶしかけ、むしゃむしゃ豪快に食べたくなるときがある。それは猫が自分の毛をなめて毛玉を作るようなものなのか。今現在の異常な生活文化をもった社会から受けざるを得ない毒素を体外に排出するために必要な儀式といっていいのか。ちょっと意味がちがう気もするけれど、わたしは毛玉のようなものを吐き出したくなるときがある。
 甘やかされた大人も子供も、甘え切ったままいまの日本に暮らし続け、国外との対比において競争力をどんどん失っている現実に対して盲目であることにも気付かないまま、どこまでも沈んでいくことと思う。ふだんは考えないようにしている。でも、ときおりぶり返す。堕ちるところまで堕ちてしまえばいい。そうしたら、たぶん、上へと向かう上昇志向なんてほとんどの人間は持たないまま、べつにこのままでいいし、と自分に言い聞かせることだろう。それくらい何事に対しても負けてしまっている精神が、この国には満ちている。
 不穏なことを考えていると、そこから脱したくなった。ベンチから立ち上がり、階下へ向かう。踊り場に自販機が置かれてあった。ブラックの缶コーヒーを買い、熱いにもかかわらず、ほぼ二口で飲み干した。飲んでみても、もやもやが落ち着かない。もうすこし散歩して、河川敷まで行ってみよう。ひさしぶりにケヤキ並木を歩きたい気分だった。そこらをぐるっと回れば、たぶんいい時間に家に戻れるだろう。
 夕食は妻の料理を食べるし、自分はもう包丁は握らないと決めたんだから、文句は肚に収めておこう。
 つまるところ、現状が変化する見込みはないのだし、どう考えても、いったん甘いものに堕した世間が、性根を入れ替えるとも思えない。
 みんな夢を見たがってるんだから。

孕毒(どくをはらむ)

孕毒(どくをはらむ)

  • 小説
  • 短編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-09-25

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