時間と人生

蜆川無溟(仮名)

人生とは、本質的に、時間でしかない。そう思った、夏の日の夜。

 煙草(タバコ)を吸いながら、思ったことがある。煙草を吸っていると、吸い付いていなくても、煙草は徐々に燃えていく。だから待っていれば、見つめているだけで煙草は燃え尽きていく。吸い付けば、味わえるが、もっと早く煙草に火が回る。僕は結構早く吸い終わってしまい、ゆっくり味わう方法に慣れていない。
 煙草を吸う時、燃えていくものは、煙草そのものではなくて、時間であるような気がする。一時の(やす)らぎをもたらす、時間。その時間を味わうということが、煙草を味わう楽しみである。ただし、もちろん安らぎの後には焦燥が待っているから、煙草はダメなのであるが。時間は煙となって立ち消える。その時に、僕はなんだか人生の無常を想うのだ。僕はあと、どれくらい生きるつもりなんだろうか、などと考えてしまう。
 酒を飲むことも、同じであるように思う。酒は飲めば減る。おいしいものを食べることもそうだろう。食べれば無くなる。それは当たり前だが、そこで失われるのは誰かのかけがえのない時間であるように思う。作った人の時間、消費する人の時間、色々な時間が失われていく。そしてまた、人間は時間を使って何かを作り出す。それを繰り返す。
 芸術(Ars)に触れることも、同じかもしれない。そこには時間がある。その時間の重み、その時間の意味づけ、その時間の発するアウラ(Aura)のようなものに、僕たちは出会う。芸術の中にある時間と、僕たちの中にある時間が出会い、その共鳴の中で新しい感覚(Sense)が生まれるような。例えば読書をする。そこでページを一つ一つめくるたびに、残りのページは減っていく。その時に減るものは、物語の残りではなく、物語の時間である。
 セックスも同じだろう。愛し合うこととは、かけがえのない一つの時間を、共有することである。セックスとは快楽を共有することではない。時間を共有することなのだ。人生の中で、使える時間は限られている。その有限の時間を、できるだけたくさんその人のために使いたい、その人と過ごしたい、と思うのが愛である。その極限がセックスであり、行為の際には、ひたすらに相手を(いた)わり、二人の持つ時間を濃密なものとする。誰よりも濃く、誰よりも深く時間を分かち合う。それがセックスであり、愛するということである。
 つまるところ、人生とは時間なのである。これは言うまでもない事実であるが、多くの場合、僕たちは時間ということをあまり意識しないのではないか。時間が無限にあるように考えてはいないか。いつか終わりが来るという事実を見ないようにしてはいないか。この日常が、どこまでも続いていくように思いはしていないか。
 人生は、時間である。限りある時間である。そしてその時間は、天体の規模から考えればとても短い時間である。その時間を、誰とどのように過ごすのかは、一人一人の選択にかかっているように見える。そう見えるのも確かではあるが、もしかしたらより大きな無意識的な運命に導かれて生きているのかもしれないとも思う。結局それはわからない。ただ、僕たちの時間が限られているということは確かだ。この人生を苦しむのか楽しむのかは自由だ。ただ僕は、限られた時間の(とうと)さを噛み締めて生きたいとは思う。

時間と人生

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  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 青年向け
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