姿見合せ

3200字程度の掌編小説です。一応純文学っぽいですが、多くの方に読んでいただければ嬉しいです。

森と虫の声とせせらぎと、見えないなにかしらの狂気。
※昆虫の苦手な方はお気をつけください。

足音を立てて蠢く狂気、絶えず止まない虫の声

 潺湲(せんかん)と流れる川の音を耳にしながら、僕はただその源流へ向かっていた。
日頃から出不精(でぶしょう)な僕が、源流を見ようと思い立ったのが何故かを僕自身が説明できない。

またそれも理由は不明だが、近頃の僕は出不精であるのに落ち着きを失い、外出狂のごとく家をあけがちだった。なににせよ、僕は現に、今、人の気配のない森閑(しんかん)とした山の中で、聞いたこともない得たいの知れぬ虫たちの鳴き声を全身に浴びている。
その巨大な鳴き声にかき消されそうな僕の微かな足音を、僕は辛うじて意識下に掬い上げ、そうして一定の歩調(※※※※※)を保つことで泥濘(ぬかる)腐葉土(ふようど)に足を取られるのを堪えながら進んできた。
はじめはより慎重に歩いたためにかなりの汗をかいたが、踏み込みと重心に気を配るのに慣れてくると、足取りを早くできた。そうして一度も転ばぬまま、多少切り開かれた中腹の小川に上ってこられた。
運動の苦手な僕がこれほど器用な能力をそなえていたことを僕は全く知らなかった。もちろん身につけた覚えもなく、その力に不気味さと不思議さを感じずにはいられなかったが、ともかくここまで無傷で上がって来られたのはその力のおかげに違いなかった。

水辺に引き寄せられる中腹の生き物と増長する文章

 中腹に位置する森を切り開いたようなこの河原は、日が良く射し込んで穏やかな雰囲気を醸しているのに、僕の脳内では付近の空間が歪曲(わいきょく)したのではないかと錯覚するほどの、地鳴りのように揺曳(ようえい)した虫の声が絶えず鳴り続けている。
振り払おうとしても容易に掻き消きえない残響が僕の頭を冒していくうちに、僕は目をつぶり恍惚と催眠と放心との混じった不思議な心地よさに没頭していくのがわかった。どこかへ連れ去られてしまう感覚を僕は味わいつくそうとしながらもその状態を保つことができず、諦めて目を開けることにした。
僕はそのような異様に長く感じられる時間を浅い川原の透き通った水際で過ごした。

僕が水際に立っているのは足元にいる一匹の蟷螂(かまきり)を見下ろして注視するためだった。
山中でこれだけ大量の虫が生息しているのだから蟷螂がいるのはごく自然に思われて特に観察するに値しないのかもしれないが、目の前の一匹を見つけたときに、道中の川下の水辺でも別で二匹見つけたことが不意に思い出され、僕は彼らの水辺に集まる気味の悪さを覚えずにはいられなかった。
どの蟷螂も岸から水辺へ伸びた枝の上を伝って、水の方へと向かっていくのだが、そこに何かがあるとでもいうように不思議な力で導かれていく。
僕は早くその場から立ち去り一刻も早く目的地へ向かおうと思いながら、怖いもの見たさの好奇心に突き動かされて足を目的遂行とは関係のない水辺に立ち寄り、水辺へと引き寄せられる彼らを眺め続けた。
しばらくすると、徐々にではあるが蟷螂の尻らしき場所から最初はフンかと思わしき黒い物体が、しかしその謎の黒い物体は途切れることなく外に飛び出すと蟷螂と分離して水の中を漂いだした。蟷螂は心なしかぐったりとし、枝にしがみついたまま動かない。長細いなにかは僕に激しい嫌悪感と鳥肌と薄気味悪さと喉の渇きを与えるとともに、僕の中で行方不明であったこの生物の名前の記憶を引き出した。

ハリガネムシと名付けられたこの寄生虫のことを、僕は確実に覚えていたはずであったのに、今、その姿をはっきりと見るまで全く思い出すことができなかった。まるでその生物の記憶だけが削げ落とされていたのではないかと思えるほどで、蟷螂から不可解な生物が出てきたこと以上に、僕は僕自身の不可解な記憶喪失に驚愕するばかりだった。

驚きの反動のせいか、落ち着くためであるのか、不意に僕は水がほしくなった。

ハリガネムシの差し金と見下ろされるかまきり

 落ち着きを取り戻すにつれ鳴き続ける虫の声と流水音が耳に届くようになると、僕は忌々しく漂うハリガネムシを目に焼き付けながら記憶を整理した。彼らは彼らのすみかの水辺まで蟷螂をあやつり移動させ、そうして体から這い出してくる寄生虫で、母体となった蟷螂は産卵機能を失い衰弱していずれ事切れていく。
この時期、水辺に近寄る蟷螂は自分の意思ではないハリガネムシの意思によって水際へと現れるのだろうと僕は結論をつけると、見下ろすのをやめて屈みこみ、そうして衰弱した蟷螂を憐れむ気持ちになった。
折り畳まれたまま使われる術もない逞しい鎌をみると僕は皮肉を感じて一層気の毒な気にもなった。
一人の人間にこのような心情を抱かれ、遠方から眺められ、至近距離から見つめられていることに蟷螂は気づいているだろうか。おそらく息絶えるまで気づくことはないだろうし、昆虫にわかるはずもないと僕は想像で一人合点しながら、近頃僕の頭の片隅に潜んで住み着いた、源流へ向かおうとする衝動にかられて立ち上がろうとした。
僕が体を動かしたからであるのか、今まで同じ姿勢でいた蟷螂が首を左へまわして僕の方を振り返って見上げた。

その時、僕は、今、間違いなく、"蟷螂に見られている"、と直感した。

しかし僕の瞳と比べれば蟷螂の瞳は僅少(きんしょう)であるため、何も見えてなどいないようにも思えた。

果たして蟷螂の目は見えているだろうか。
その問いは僕にはわからなかった。

蟷螂は僕と目の合ったことを意識できているだろうか。
それも僕にはわからぬ問いだった。
僕は僕の思いたいように蟷螂をみていることだけを理解した。先刻には蟷螂がハリガネムシに操作されて水辺にきたと断言した僕だったが、反芻して考え直してみれば、本当のところは当の蟷螂にしかわからぬことであるのではないかと思えてきた。
蟷螂はもしかすると自分で水辺へ行きたいと錯覚していたかもしれず、またはやはりあやつられているために蟷螂の意識はないのかもしれないとも僕は思い直した。
どちらにしても、僕は、僕の立場からでは蟷螂の体感を到底理解することはできないと当たり前の答えを導くことしかできなかった。

打撲されたような、虫のうごめくような。最後の足取り

 そのまましばらく三角形をした蟷螂の広い顔を凝視していると、その小さな顔に僕の顔が照り返って映っているのに気付いた。
そして映りこんだ、その僕と目があったとき

"蟷螂にみられていたのではなく僕自身に見られていたのではないか"

と悟った。

僕は蟷螂を見るばかりで僕自身の姿が全く見えていなかったのではないだろうかと決まり悪さを感じずにはいられなかった。
蟷螂は僕の無知と盲目加減を僕自身にに突きつけるために、僕の顔を見つめ続けていたのではないかと思えてきた。
じっと見つめられているうちに、僕は蟷螂の視線が同族を憐れむものに感じられてきたが、これは僕自身が疑心暗鬼を起こしかけている所為だと気付き、いつも気持ちが乱れたときに行っている自己流のまじないをかけてそれを解こうとした。
しかし僕自身が盲目であるのは一つの事実であるという一念を振り払うことができず、ただ蟷螂を見つめて瞠目(どうもく)するしかなかった。
疑心暗鬼であるからか、僕の脳内は疑念で埋め尽くされ、そのせいで頭の働きが鈍くなるのを感じた。その鈍重なままの思考回路で、僕は

"蟷螂は僕に見下ろされていることをしっかり認識していたのではないか"と仮定した。

では、僕は、僕は、どうであろうかと思った。それを確かめるために蟷螂の仕草をわざと真似するように左に首を回し、振り返って上を向いて空を仰いだ。

僕の視界には、雲のゆっくり流れる空が見えている。
そして、蟷螂の顔が僕の顔を映したように、僕の矮小な瞳は、今、僕が見ている光景を映しているだろうかと考えた。
そして僕の瞳の景色の中に、もし僕の見えている景色とは別の"なにか"が映り込んでいたとしたら、僕は本当に蟷螂よりも何も見えては


突如、僕は、僕の頭を何かに打撲された(※※※※※※※※※※)ような、また、頭の中を虫がうごめくような頭痛に襲われ、、、



彼はしばらくその状態でうずくまっていた。そして不意に立ち上がると、川を登りはじめたときと同じく、ふらふらとした(※※※※※※※)足取りで上流を目指し歩き始めた。川原の砂利を踏む一定の音と不規則な音(※※※※※※※※※※)がバラバラに混じりあいながら辺りに響いた。絶えることのない水のせせらぎが、こだまとなって森中に鳴り渡り続けていた。

姿見合せ

このような拙作を最後まで読んでいただきありがとうございました。大変感謝します。
もともと文章を作るのが苦手な上に、わざわざ長くしたことあり、余計に読みにくくさせてしまったかもしれません。

答えは特にありません。
もし何かを感じとっていただけたなら、僕はそれだけで嬉しく思います。

姿見合せ

せせらぎの響く鬱蒼とした森の中、彼は不思議な衝動にかられて川の源流を目指す。透明に流れる水の音、腐葉土のぬかるみ、切り開かれた中腹の川原。 自然と人間と狂気との混淆した、得体の知れない意味不明のゲテモノ小説を、あなたに。 昆虫の描写ありますので、苦手な方はお気をつけください。

  • 小説
  • 掌編
  • 青年向け
更新日
登録日
2020-08-11

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 足音を立てて蠢く狂気、絶えず止まない虫の声
  2. 水辺に引き寄せられる中腹の生き物と増長する文章
  3. ハリガネムシの差し金と見下ろされるかまきり
  4. 打撲されたような、虫のうごめくような。最後の足取り