【連載】万田ワールドへようこそ

万田 竜人(まんだ りゅうじん)

プロローグ

万田 竜人 (まんだ りゅうじん) として、一生涯学生作家の生活を、小説家
そして俳人としてインターネット上で活動を始めてみて、ある程度の作品群が、
顔を見せて来た、そこで、気付いたことは案内マップの必要性である。

私が案内マップとして、最も魅力を感じている存在は、東京ディーズニーランド
におけるガイドマップである。

その魅力に名実ともに嵌っている私は、株式を保有することで、運命共同的な
体感を味わっている。ミッキーマウスは子供の頃からの友達であった。田舎の
学校育ちだった私は学校の主宰する映画鑑賞会で定期的に街に出掛けた。

映画鑑賞会の想い出として、強く・印象に、残っている映画はディーズニー映画
およびオリンピック大会の記録映画である。

また、父親と出掛けた映画鑑賞は、アメリカの西部劇の鑑賞が主体で・・・

劇中、主人公のカウボーイが、悪役共に屋外から急襲されて、武器を持たずに
敵に対面した時に、屋内に居たパートナー(奥さん)が、主人公に向けて咄嗟に
ライフル銃を投げ渡すシーンがあった。

このシーンを観た父親が、私に 「勉(つとむ)よ、将来的に・嫁さんを探すなら、
このような凛々しいタイプの女の人が善い」 と云っていたがイメージ的にほぼ
近い感じの女性に恵まれた。

また、自分が成人した時に観た映画では 「アラビアのロレンスの行動指針」に
感銘を受けたことから、新入社員の時代に強い影響を受けた土光スプリットとも
コンバインさせて、企業人としての生き様に反映させた。

そして、映画に限らず、我が人生航路において、多くの成功例も体験してきたが
時には致命的な失敗例も経験して来ている。

その時、本人にとっては、大きな傷(ダメージ)を負い、二度と立ち直れない様な
状況の中で、その都度、家族や友人・知人の支援によって立ち直ることが出来
たが、それぞれの思いを作品の中に抽出するには限りがある。

作品の中では語り切れない部分や作品間での関連事項など、また、これからの
作品展開など、デーズニーランドが示す株主向けの 「将来の夢の展望マップ」
なども参考にしながら、永遠に未完成の 「万田ワールド」 のご案内を・・・

兼好による名著 「徒然草」 や 清少納言の 「枕草子」 なども参考にしながら
本音を吐露してみたいと考えている。



001 生涯学習という新しい境地に入り込んだきっかけ

一生涯学生作家として日々を過ごしている私にとって学び舎として知見を得る
拠り所としてきた放送大学の文京学習センターに通うことが、新型コロナ禍の
影響で難しくなり、お気に入り学習の「対面授業」を3期連続で欠席した。

そして今回 「4期連続で欠席の場合は除籍になります」という案内が届いた。
来年で傘寿(80歳)を迎える私にとって除籍(退学)という選択肢もあると
考えたが、そうなると「一生涯学生作家」という看板を降ろすことになる。

それではと、万田ワールドの看板を月並みな 「一生涯青春作家」とするか?
と考えて星空文庫での標示を変えてみた。しかし、どうもスッキリしない。

これは、本末転倒な思考回路になってしまうかもしれないが、マスクを厳重に
重ねて面接授業「交流分析に基づくカウンセリング」を受講することで看板に
て意思表示している「一生涯学生作家」を貫けないか、と、考えた。

そして2021年度1学期の受講希望に交流分析の対面授業の申し込みをした。

その際に講座一覧においてオンライン授業の存在を知り、かつて心理学を専攻
して卒業の際に卒業研究でお世話になった岩永教授が放送大学の副学長に就任
されて、自ら、オンライン授業を率先垂範されていることを知り、一気に興味
が湧いた。

授業科目は「生涯学習を考える」として従来にも増して多面的な見方において
オンライン授業ならではの双方向の考え方の交流も織り込まれており、一気に
受講に向けて気持ちが動き、受講の申し込みをした(授業開始は4月初旬)

そこで前回の卒業研究「サービス業における教育開発および生涯学習への反映」
を引っ張り出してみた。

ここで関連情報として頭をよぎったことは・・・

〇 練馬の孫が学習院に入学したものの、新型コロナ禍の影響でキャンパスに
 通えず、オンライン授業で、学習を続けているという。
(本人は、早く、キャンパス・ライフをエンジョイしたいと云っている)

〇 俳句を趣味とする最年長の俳友(俳号:シェフさん)は現在98歳である
 が娘さんの介護援助を受けながら、ベットに据え付けたインターネット上で
 俳句の交流を続けている。

この二つの話題から考えたことは、今後、放送大学での学びをオンライン授業
に絞り込んで行けば、まさに、私が星空文庫で看板に標記している・・・

「一生涯学生作家」を名乗り続けられることになる。

そうなるとここで 「私に人生の希望の光」を提供してくれた岩永教授からの
卒業研究時の学びについて、振り返ってみることの重要性を感じ取った。

当時、定年を前にしてシニアとしての「今後の人生の在り方」を考えている時
に「60歳以上の講師(兼)コンサルタント」募集という読売新聞の募集記事
を目にして、即、応募させていただいた。

応募者は200名、採用は2名という難関は、3次面接までの振るい落としが
あったものの当時の専務(後の社長)との相性の良さで採用いただき、新たに
準備された研修センターにおいて「ゼロからの構築」が始まった。

この過程において、放送大学の岩永教授が提唱されている「生涯学習の考え方」
のテキストは大いに参考になった。

私が放送大学で学ぶようになったきっかけは多くの企業において管理職に昇進
すると社内研修を受講する機会がほとんどなくなり、企業環境の変革に沿って
たゆまぬ自分磨きを続けるには、自ら、学習機会を探求して行く必要がある。

そのような自分自身の渇望状況にあって電車内の吊り革広告で社会人に向けた
放送大学における学びを発見して以来、学び続けて来たものだが、その延長上
で定年前に岩永教授の「生涯学習」のカリキュラムを見つけた。

しかしながら、岩永教授による「生涯学習論(現代社会と生涯学習)」については、
当時、放送大学大学院文化科学研究科のテキストであった。

このテキストに到るまでには・・・

定年を前にして60歳以上の講師(兼)コンサルタント募集の記事をきっかけに
して、次の様なステップの積み重ねがあった。

〇 最初に訪れた幸運は、放送大学の対面授業おいて「生涯学習と自己実現」を
執筆されたお茶の水女子大学の三輪健二教授および担当講師との出会いであった。

この授業の過程で「松尾芭蕉の如く川の流れに身を置いて・自分自身を分析する」
という課題において、自分自身が作家(小説家)として成長できる可能性を発見、

同時に、シニアの年齢域において加齢が進んでも、文学の分野においては、個人差
はあるものの、自分の能力を伸長出来ることを知った。

そして、これから始まる、販売・サービス業における講師(兼)コンサルタントの
遂行に当たっても、顧客の対象が若手からシニア層まで多層に及ぶ場合は、シニア
の特性に応じたカリキュラムを用意しないと成功しない。

など既に定年まで企業内で社外コンサルトと共に推進してきた企業内革新における
社内コンサルタントとしての経験から準備して、既に、顧客の了解を得てきた研修
カリキュラムについても、さらに、顧客にフィットさせた新鮮味を加えるアイデア
が湧いてきた。

〇 同時に「コミュニケーション論」大橋理枝放送大学准教授・根橋玲子明治大学
准教授による共著についても学んでおく必要を感じて受講

〇 さらに「臨床心理面接持論」大場 登放送大学教授・小野けい子放送大学教授
からの受講も加えて、顧客の気持ちに添える準備をした

これらの準備を整えて講師(兼)コンサルタントとしての活動を開始してみて・・・

せっかく意欲的な活動を展開するのであれば、長年にわたって放送大学で学んできて、
これからの研究活動を放送大学の卒業研究のテーマとして登録、担当教授からの適切
なフォローアップを受けられれば、さらに、鬼に金棒と考えた。

その際に担当教授として、お茶の水女子大学の三輪教授がイメージされたが卒業研究
の担当教授には予めの登録があって、この枠の中から、お願いする必要がある。

私は、生涯学習という専門分野にこだわりがあったので、登録されている教授陣の中
から迷うことなく「岩永教授」を選ばせていただいたが該当の生涯学習の科目登録は
放送大学大学院からのものであり、早急に、大学院の履修生として受講を申し込んで
受講に辿り着いた。

実際の卒後研究がスタートすると、当時、岩永教授は東京足立の学習センターの所長
の任についており、私の勤務先が松戸であったので通勤途上で対面できるという便利
さも、おまけに付いてきたので、助言などを受ける際には助かった記憶がある。

そして、おまけは、こればかりでなく、放送大学大学院の履修生として・・・

〇 大学院テキスト「発達心理学特論」内田伸子お茶の水女子大学副学長・氏家達夫
名古屋大学大学院教授による共著

〇 同じく大学院テキスト「人間情報科学とeラーニング」野嶋栄一郎早稲田大学人間
科学学術院教授・鈴木克明熊本大学大学院教授・ 吉田 文メディア教育開発センター
教授による共著

などにも学習範囲を広げて、多面的な学びの中から講師(兼)コンサルタントとしての
視野を広げていった。

結果、販売・サービス業への講師(兼)コンサルタントとしての任務は、当初の4年間
契約から6年間まで伸長、採用時の専務も社長に就任されて、社内における教育体制も
整って来たことから、私の任務は修了となった。

当時、私の卒業研究は「研究テーマ:サービス業における教育開発および生涯学習への
反映」としてまとまりをみせ「A評価」をいただいた。

思えば、思いがけず「オンライン授業」という形態で、岩永教授(副学長に昇進)との
対面授業に近い形での授業にての再開となるので前述した「テキスト一式」についても、
今から、振り返り授業を重ねて新学期に臨みたいと考えている。



002 生涯学習のテキストから学んだ「なるほど」の午後の世界

最初、放送大学から届いた「生涯学習と自己実現」堀薫夫大阪教育大学教授・三輪建二
お茶の水女子大学教授による共著の 「まえがき」に興味深い記述を見付けたことから
この物語が始まったと考えると、学ぶことにも新鮮味が帯びてくることになる。

〇 堀薫夫教授は、メリアムとクラークという実在する人物の言葉として・・・

「人生の良いと思われる時期や、悪いと思われる時期において、人生の悪い且つ困難だと
思われる時期においてこそ自己変容への学習がより多く生起している」と指摘している。

「人生上の困難や痛みを伴う時期こそが学習への潜在的可能性を秘めた時期」だという
のである。つまり、痛みの伴う自己実現は、同時に、生涯学習の出発点であると云う。

〇 また堀教授が、大学を卒業する際に、甲田和衛・大阪大学教授(当時)から・・・
「君たちは社会へ出て、良き職場や、良き上司に恵まれて社会生活を送るかもしれない。
しかし多くの場合は、そうではない。有能だと思えない上司、自分に合わない仕事内容、
さて、どうする?」 本当の意味の賢さは、そこから始まるのだ。

この記述を拝見して、私は管理職定年(55歳)のときに体験した理不尽な記憶を脳内
から引き出した。

そして、この理不尽な体験は筆者の小説「背中に翼を背負った女神」としてゴールデン
エイジの物語のシリーズに編み込んだので、ここでは内容を省略するが・・・

たしかに、あの理不尽な体験があったからこそ、定年後に生涯学習という大きなテーマ
に取り組み、再び、活躍する舞台を得たのかもしれないと堀教授の記述に納得した。

テキスト「生涯学習と自己実現」の記述のなかから生涯学習についての手がかりを得た
内容は 「カール・ユング博士による発達論」からであった。

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この要旨は、心理学の権威であるユング博士が「人生の正午」という論文で太陽の日中
の変化を人生になぞらえて正午を40歳前後と見立てて、太陽が東から登る段階を人生
における前半とみなし、正午を起点にして西に沈む段階を人生の後半とした。

そして、人生前半の発達と、後半における発達には、大きな違いがあるとした。

現代の日本に置き換えて考えれば、人生百年時代にあって、正午を50歳前後とすれば
人生50歳以降も 「人間は、成長・発達し続ける」と説いたのがカール・ユング博士
である。

具体的な例示をすれば・・・

人生の前半における発達が「働くことと家族愛を軸においた社会的な立場の確立と発達」
とすれば、人生の後半における発達は 「自分の内面からの声を聞きながら」自分自身
が「より望む姿になって行くこと」に関心が向けられる、と、したことである。
 
特に、後半におけるプロセスは、個人に内在する可能性を発見して実現させ、その自我を
より高次なものに統合して行くという意味において、個性化や自己実現のプロセスである
とした点に特徴があると云える。

かくして、ユング博士が唱える発達観の中では 「人生前半の発達」と「後半の発達」と
いう「二つの発達論」を明快に分けて論じており、それは、今日の生涯発達論のルーツに
なっていると云える。

そして、ユング博士の二つの発達論に感銘を受けた、私は「ユング心理学」大場登著に
ついても学ぶことにした。

また、その勢いを借りて、放送大学の大場登・小野けい子の共著「臨床心理面接特論」
についても興味が湧き放送大学の授業を受講した。

そして、話題は前後するが、この「ユング心理学」大場登著は、折に触れて何度か読み
返すことになる。

1回目は、私と家内がミラノ着の直行便でイタリアに旅行した時に、ミラノのスカラ座
の前に広がったピカデリー広場で、レオナルド・ダ・ヴィンチと弟子たちの銅像を目の
前にした時のことであった。

銅像は中央の一段と高い頂上部に、レオナルドが立ち、地上を取り囲むようにして弟子
たちが立ち上がった像で弟子たちは外面に向けて師匠のレオナルドを取り囲んでいた。

この時に、ツアーコンダクターの女性から、面白い「都市伝説」が紹介された・・・

銅像になっている「チーム・レオナルド」が、街中をかっ歩するときに彼らの一行には
オーラが立ち昇り・一陣の風が吹き抜けたと云うものである。

私はこの都市伝説的な話を聴いた時に、たしか「ユング心理学」大場登著にレオナルド
と弟子の関係を詳述した記事があったことを思い出して帰国後に通読した。

最初に通読した時と、この都市伝説的な話を聞いた後では、読んだ印象が変わった。

ここで、ユング心理学の一文を要約して、復唱してみることにしよう・・・

ミラノ城から出てきたレオナルドと友人は少年でサライと名乗る泥棒に財布を盗られた。
少年はレオナルドから盗んだ財布を決して盗んだと云わなかった。レオナルドは巻き毛
の美しい泥棒の少年を理由はわからないが、最年少の弟子として加えることになる。

サライは、無知のまま、神と信じていたレオナルドが人間であること、周囲の人たちが
尊敬と名声に惹かれていることをものともせずに、対等な関係で居ることとなった。

サライはレオナルドの顔から気持ちを読み取り、レオナルドが苦しいときには笑うよう
に心がけていた。レオナルドはそのような態度をとるサライに心を許し人の噂話も本音
も彼になら云うことが出来た(まことに不思議な関係性である)。

サライは、考えたり・責任を持ったり・努力したりすることは大の苦手で、その場限り
のユーモアと、冗談と、とんちと出まかせやずるさや嘘などは彼の得意とするところで、
カメレオンのようにその場その場に自分を合わせる生活を続けていた。

サライは、レオナルドが、自分を必要としているのは・・・

〇 常識や教養に対するサライのいいかげんな態度であることを知っていた。

〇 また、サライには、人の心を見抜く直観力がありこれにより、見栄っ張りを笑い飛ば
 せる力を、本や知識とは全く異なる方法で、身に付けいたのであった。

レオナルドは、自尊心が高く、そのために、他者と親密な関係をとることを避けていた。
しかし、天才レオナルドにとって、サライの浮浪児性や無責任さが、レオナルドをして
心の開放につながって行った(サライのこの性質・性格こそが道化の本質と云える)。

レオナルドが、実際に、サライを助手として手元に置いておいたのは、事実の様であり、

「レオナルドに対して、サライが荒々しい狂気のようなものを補給し続け」

「当時の雇い主のミラノ公に縛られていたレオナルド、と、自由奔放なサライとの関係
性は、創造性をいつも求め続けられていたレオナルドにとって、まさに影の人格を必須
としていたレオナルドにとって、なくてはならない存在であった」と云える。

「サライは道化であって、影の存在であり、道化は表舞台に出ることは少なく中心人物を
苦しめたり、危険にさらしたり、助けたりする」

「このことからサライの立場は心理療法家に近いとも指摘できるが、レオナルドにとって
サライは荒々しい狂気のようなものを補給し続けた存在」とみることも出来る。

イタリアの旅において、レオナルドが弟子を連れて街中を歩くときにオーラのようなものが
漂い、一陣の風が吹いたという都市伝説的な話は、日本的なとらまえ方をすれば・・・

レオナルドの「清濁あわせて呑む」という感覚に近い度量の大きさが、チーム・レオナルド
によって、都市伝説的に、オーラを発し・一陣の風を吹かせたのかもしれない。

二回目に、ユング心理学を読み返したのは、卒業研究の際に、岩永教授との間で共通課題と
して抱えたまま、今日に到り 「解を得た」のだが、まさに長期間にわたっての課題解決で
あり四月初旬から始まるオンライン教育において話題になることもないと考えるが、課外に
おけるルートでの機会が持てれば望外の幸せと云える(なんと10年越しの課題解決)

二回目の話は、長話になるので、次回に譲ることにしよう。



003 それは何を意味するのか 


「ユング心理学」大場登著を二回目に読み返すまでには、約10年間を超える年月を
要しているので、極めて長話である。
(今回は前半部を記述する)

具体的な話をすれば、定年後の講師(兼)コンサルタントを担当している時期に放送
大学の岩永教授にご指導いただいて「生涯学習」をテーマに据えた卒業研究を進めて
いたことは前述した通りである。

この過程において岩永教授が「大人のための学問のススメ」を工藤庸子教授との共著
で講談社から出版されて、池袋のジュンク堂において、出版記念会が行われた。

その際に、岩永教授から卒業研究について、指導を受けていた仲間にもよかったらと
いうことで招待があり、会場には多くの識者も集まるので文学全般について質問事項
などがあれば、せっかくの機会なので、出版記念会の会場で投げかけてみてください
との言葉をいただいた。

ジュンク堂の会場には、先生方の多くのファンが集まり、岩永教授からご挨拶いただ
いた後で、予定通り「質問コーナー」が設けられた。

次々と質問が投げかけられて回答は岩永教授からだけでなく、参加者の方からも貴重
な解答やご意見が寄せられた。

私からの質問は、当時、気になっていたこととして・・・

「松尾芭蕉は、おくの細道の旅において、旅の道筋を間違えてしまったときに、俳人
としての旅路であれば、そのままの旅程を先に進めれば良いと考えるが、あえて道筋
を元に戻して旅をやり直しているが、これについては、当時の幕府から密命を帯びて
の旅であったためでしょうか?」と、いう素直な質問をぶつけてみた。

日頃から漠然とした思いとして「芭蕉隠密説」を脳裏に描いていたので、思い切って
質問を投げかけてみたのであった。

これに対して世間は狭いものである・・・

岩永教授の出版記念会の会場に、松尾芭蕉のおくの細道に、随行者(同行者)として
参加した「曾良」の末裔にあたる方がいらっしゃたのである。

挙手をされた方は続けて 「奥の細道において幕府からの密命を受けていたのは曾良」
であったようですと云う(その時、その説明を聴いて納得出来るものがあった)

当時、私は 「松尾芭蕉が、何故、あのように多くの名句を詠むことが出来たのか?」
そのことに興味があって、芭蕉の足跡を徹底的に追っていた時期であった。

山形県の山寺で、あの名句「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」の碑を拝観できる場所の
近くに、とても狭い通路があって、足首がやっと入る場所があるのだが、もしも芭蕉
がこの路を歩いたのであればと考えて、足の裏をこすりつけるようにして歩を重ねた
ことが、まだ記憶に新しいが、まさに芭蕉ファンの心境とはそのようなものだ。

そもそも、松尾芭蕉に心酔するに到ったきっかけは大手町の本社に勤務していた時代
にお世話になったK部長から 「月は東に 蕪村の夢 漱石の幻」森本哲郎著が贈呈
されてきたことで、私の心にスイッチが入ることになった。

この書籍は新潮社版であり、文面の特徴は、蕪村の俳句と漱石の俳句を徹底的に比較
して、両者の作句における境涯の共通性にスポットを当てたもので、推理小説を読む
様な感覚で読み進めているうちに自分でも俳句を詠みたくなるような仕掛けになって
いた(ただし、この仕掛けは、私が勝手に感じ取ったものなのかもしれないが?)

結果、早稲田大学のオープンカレッジに入学、日曜俳句講座という社会人が参加しや
すい俳句教室(早稲田大学の英文科の高橋教授が担当講師)に飛び込んだ。

講座では 「古池や蛙飛びこむ水の音」にはじまって多くの俳人の名句や秀句が紹介
され、高橋教授自身が多くの秀句を詠まれていることから、俳句を作る際のポイント
や花鳥諷詠における事物や人物の見方などその要点が分かりやすく語られた。

一通りの授業が終わった後で、私の印象として・・・

〇 何故、松尾芭蕉は、あれほど多くの名句を作ることが出来たのか?
 
〇 芭蕉の次世代としては蕪村が圧倒的な存在感を示しているが、蕪村は一時は芭蕉
 に心酔して屏風に芭蕉の俳句を書き写すほどの関係性であったが、ある時期に芭風
 から離れて独自の境地を生み出して行くことになるがそこには何があったのか?

その様な思いも働いて、私自身、芭蕉の境地を知るために東北の旅などにも三度ほど
出かけてみた。そして当時、放送大学で心理学を学んでいたこともあり心理学の世界
からも、芭蕉の深層心理に迫ってみることにした。

かなりの時を経て、知り得たことは・・・

〇 芭蕉は名句を後世に残すために、多くの旅に出向いた、そして名句を生むために、
 弟子たちとの全国行脚の過程において多彩な句座を催し名句を残すための意見交流
 を繰り返した。そして、ひたすらに名句を探求した。

要するに、名句を残すという明快な命題の下に、自らを奮い立たせ衆知を凝縮させて
行った。具体的には、名句 「古池や蛙とびこむ水の音」に到るまでの句座の実況を
知れば容易に納得が行く。要は、他に動かしがたい究極の俳句に仕上げて行くのだ。

蕪村にしてみれば、なるほどの名句揃いなので屏風に書き写すほどの惚れ込みようで
あったものの、自らが編み出した蕪村自身の絵になる俳句の世界とは、異なった世界、
いわば出来過ぎの世界に嫌味を感じたのかもしれない?

どの世界でも「両雄、相いれない世界はあり得る」「私とは違うな」「俺とは違うな」
と、どちらも優れていて、同じ鞘には収まらない名刀の存在はあるものだ。

心理学の世界においてもユング博士とフロイト博士の決別が歴史上の事実としてある。

ユング博士は37歳から38歳にかけて「学問的・心理療法的・人間観的相違」から
フロイト博士と決別することになるのだが、当時、フロイト博士の精神分析の考え方
に対して、違和感を覚えるようになったのは・・・

「フロイト博士が理論と方法論を同一視して、それをある種の教義として仕立て上げ
ようとしている意向を知った時に、ユング博士は、彼との協力は難しくフロイトの処
から退く以外に選択の余地はないと判断した」

「ユング博士にとっては、患者にとっての解釈や応答・連想などの自由さが、重要で
あって、規則や理論の適用よりも、クライアント中心の療法こそが重要と考えた」
(結果として、当然、曖昧さや矛盾点は包含されてくる)

「しかし、この姿勢はフロイト派の精神分析的な視点からは『明確な技法に欠けた』
曖昧模糊とした治療姿勢と映るため、ここでも 『筋のとおった解釈』を主張する
フロイト派への、ユング博士の疑問こそ、相入れぬ関係性と云える。

ユング博士のこの感覚は、後に、ロジャース博士のクライアント中心療法にも考え方
として通じて行くことになる。

このユング博士やロジャース博士に共通したクライアント中心療法の今日への発展分野
は、その詳述が「臨床心理面接特論」大場登放送大学教授・小野けい子放送大学教授の
共著にも述べられていることを知り、私は放送大学院に履修生として席を置き本格的に
学ぶことにした。

「臨床心理面接特論」の授業は、1学期における学習単位が30単元で構成されており、
通常授業の15単元に比べて2倍相当、テキストの厚みも2倍あり、通常なら週1回の
授業だが、30単元となると週2回の授業となってくる。

当時、販売・サービス業の講師(兼)コンサルタントを担当していた私からすれば授業
の内容が、即、役に立つ内容であったことから、即、授業に引き込まれていった。

授業の最終段階では単位認定試験もあり理解度の判定には好都合と考えて受験、結果は
自分でも驚いたが「全問正解」であった。

そしてなによりの成果としては・・・

あらゆる場面において「それは何を意味するのか?」この設問をもって人生を生き抜く
ことの重要性を知るに到ったことである。

話題は、結果的に、全方位的に、拡大発展することになったが・・・

多くの天才や才人は、自分を磨くことで、やがて師匠の教義には収まりきらない自分の
世界を編み出して行き、独自の道を歩み出すことがあるということだろうか?

〇 ユング博士が 「クライアント中心療法という矛盾点の包含をむしろ善し」として
フロイト博士から決別したように。

〇 蕪村が、眼前の風景を絵画的に描写する俳句の世界を標ぼう、あくまでもトコトン
名句を追求する芭蕉とは違った世界を切り開いたように。
(私は、これを蕪村はアナログの世界探求、芭蕉はデジタルの世界探求と観ている)

同じような出来事は、ホップスの心身一元論とデカルトの心身二元論にも見られ・・・

ここでは詳述は避けるが「心とは何か」という問いに対して一時は共通の友人を介して
良好な関係にあったのだが、ある時にデカルトから、ホップスの著作への攻撃が始まり
両者は断交するに到った。

ホップスはデカルトよりも早く生まれ、デカルトよりも長生きしたが、彼らがお互いに
主張した「心身一元論」と「心身二元論」については 「どちらが適切な答えか?」に
ついては、今日に到るも、未だに結論は得られていない。

さて、私からの松尾芭蕉にかかわる、遠大な心の長旅を経ての質問は、次の様なQ&A
によって、あっさりと回答が得られることになったが、

Q:松尾芭蕉は、おくの細道の旅において、旅の道筋を間違えてしまったときに俳人と
しての旅路であれば、そのままの旅程を先に進めれば良いと考えるがあえて道筋を元に
戻して旅をやり直しているがこれは当時の幕府から密命を帯びての旅であったためか?

という素直な質問をぶつけてみた。これに対して曾良の末裔と名乗る方から・・・

A:「奥の細道において幕府からの密命を行けていたのは曾良」であったようです、と。

しかし、あの出版記念会から、長い年月を経た、今になって・・・

松尾芭蕉は「おくの細道」の旅に出掛ける前に、芭蕉が師と仰ぐ「北面の武士であった」
西行法師が辿った奥の細道をなぞるように歩いており、当時、芭蕉も西行法師に習って
旅の初めに、幕府を訪ねていることからも、ジュンク堂では密命を帯びていたのは同行者
の曾良という明快な解答があったが、実は「芭蕉こそ曾良の知らない処」で幕府の密命を
背負っていたことは否定できないのでは? 

という疑問が再び浮かんできたが、ジュンク堂では説明を口頭で聞いただけで確証となる
資料も入手していないことから、再び、疑問が再燃してきている。

今になって 「それは何を意味するのか?」 と考えたとき・・・

あらためて「悪党芭蕉」嵐山光三郎著を手にしたときに、それは、最早、ファンタジーの
世界なのかも知れない。



004 オンライン授業の準備完了


その後、放送大学の岩永教授に、卒業研究の場においてジュンク堂における興味深い
出版記念会に参加出来たお礼を述べて・・・

「ところで、松尾芭蕉の時代にあって、イギリスの文学界ではシェークスピアの活躍
があって、同じ地球儀上で、同じ時代に、我が国においては芭蕉に代表される俳句の
世界において文学的に超短文が江戸文化に始まって日本中を席巻、一方、ヨーロッパ
ではシェークスピアを筆頭に、より複雑なストーリー構成による文学が盛んであった
が同じ時代にあって、この違いはなんなのでしょうか?」と、問うてみた。

これに対して岩永教授からは・・・

「その質問こそ、ジュンク堂で投げかけていたらより盛り上がったかもしれない?」 と
云われたものの良く考えてみれば、出版記念会のようなごく短い時間の中での課題消化
は難しいのではないかと考えた。

当時、この課題に気付いた経緯は・・・

家内の実家(葛飾区)を訪ねた時に、義父の隣に居を構えている義弟ファミリーと一緒
に食卓を囲むことになり、その時に義弟から、当時、私が文学面に興味を抱いて色々な
視点から学びを進めていることを家内から聞いていて「イギリス文学」という彼の蔵書
を贈呈していただけることになった。

義弟は、上智大学を卒業後、イギリスの大学院に留学して、英語学を本格的に探求して
きた学研肌でイギリス文学にも詳しかった。そして、学習熱心と思われる私がイギリス
文学に対してどのような興味を示すことになるのかにも関心があったようである。

私が、イギリス文学の世界に目を転じて、最も惹きつけられた課題は・・・

シェークスピアが多くの名作を残しているが、あれだけの多作は信じ難く、複数の学者
や著者の言として、

「多くの作家がシェークスピアの名前を語って名作を残すことになったのではないか?」
と云うところの疑問を投げかけ、当時、イギリスの文学界を挙げての大捜索があったと
いう経過について述べた顛末記であった。

結論は 「やはり、すべて名作は、シェークスピアによるののである」と、いう締めくくり
に到って、一大論争は締めくくられたが、日本においても芭蕉によるとされている多く
の名句は、すべて芭蕉によるものか? という話題は日本でもあった。

これについては、芭蕉の名句に到るまでの過程として句座における門弟たちからの自由
闊達な意見具申は数多く寄せられ、芭蕉自身も弟子たちの貴重な意見を耳にしているが、
最終的には芭蕉自身が「これにて動かし難い俳句に仕上げており」多くの名句は芭蕉に
よるものといって間違いはない。

このような発想を重ねているときに、前述のような・・・

「同じ時代にあって、日本の芭蕉の世界では、より短文の五七五の世界が頂点に立ち、
イギリスのシェークスピアの世界では、より複雑な物語の世界が隆盛を極めた」

そのような比較論からの経緯を経て、前述のような質問が飛び出したのであった。

しかしながら、岩永教授との「この共通の話題(課題)」は、卒業研究の修了と共に
私だけの課題となって私の脳内に残った。

あれから約15年の歳月を経て一昨年(2019年)12月、新型コロナウイルスが
中国の春節を機会にして、中国の旅行者によって、日本に持ち込まれる前に、家内が
フラダンス同好会の仲間と共に南イタリアの旅に出かけて、その土産話から、ユング
心理学の記述に発想が飛んで 「この課題の答え?」としての推論を得たのであるが
その後、岩永教授との意見交流は経ていない。

その様な発想を思い浮かべている時に我が家に今年4月から始まる予定のオンライン
授業の振込票が送付されてきた。

これは、オンライン授業「生涯学習について」(岩永教授担当)の受講許可が降りたと
いうことである。受講者が多ければ抽選と云うルールもあったので最悪の場合、抽選に
外れれば除籍という可能性もあったので、早速、授業料の振込を済ませて、オンライン
授業の受講環境を整えた次第である。

そのような訳で、振込票が届くまでは、幾分ヒヤヒヤものではあったが、これにて除籍
の危機は切り抜けて、我が家にも孫たちに遅れること2年弱にしてリモート学習の環境
が整ったことになる。

しからば、ユング心理学の記述を2回も読み返して、答えを得たものの・・・

岩永教授とのオンライン授業の際に、前述の共通の課題について触れる機会がもてれば
その時に、後述することにしても良いかと考えて、いったん筆を置く選択をした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして、本稿の筆を置いてしばらく考えた・・・

本日は、2021年3月11日、あの東日本大震災から10年間の歳月が経過した。
 
今、我が家では外壁工事が盛んに行われている。南側の外壁に歪みが発生してクラック
が多発、その外壁交換工事が行われているのであるが当時(10年前)の大震災の影響
ではなくて、外壁メーカーの工場移転時の一時的な製品不適合のためメーカーのご高配
で鋭意、外壁工事が行われているものである。

あの東日本大震災時の我が家や周辺における出来事は小説「セイシュの湖」として記録
を残したが、あの時、我が家のエコキュートが大揺れに揺れてヒヤヒヤした記憶が未だ
記憶に生々しい。

ここで、あらためて、星空文庫において「地震波で給湯器が危ない」と改題、10年前
を振り返ってみたので合わせてご笑覧いただければありがたい。


005 加齢に伴って伸びる能力


放送大学における対面授業において 「私にとっての生涯学習」というセッションに
参加することで、定年後の仕事として「講師(兼)コンサルタント」を、続けながら、
次の自分の人生の過ごし方についてイメージが明確になった。

対面授業ではテキスト「生涯学習と自己実現」の著者でもある三輪健司お茶の水女子
大学教授から総論が語られ、同大学の西原講師からは、グループディスカッションの
ガイダンスに沿って実体験的な授業が行われた。

三輪教授からの総論において、興味深い内容は 「成人以降の知力・知能の変化」に
ついて、ある程度の目安が得られたことであった。

具体的な内容としては、高齢者と大学生を比較研究することによって、加齢に伴って
どのような変化が起きて来るのか、その目安が可視化されたことにある。

〇 動作性検査においては、大学生よりも、高齢者が劣る傾向にあることが分かった。

具体的な、動作性検査の要目は、積み木などに代表される、視覚から運動技能などに
連なる一連の動作で、積み木などにおいては空間認識なども求められるため、高齢化
に伴って、そのような作業は、だんだんと苦手になって行くようである。

〇 一方で、言語性検査においては、大学生と高齢者の間に差異は少なく一般的知識
や一般的な理解力においても差異はなかった。

また、単語問題など言語を伴った検査においては、高齢者が大学生を上回るケースも
散見された(日常生活においても俳句を詠むことなどに具体例が見て取れる)

これらの事象に関連して、キャッテルとホーンが主張した・・・

〇 「流動性知力」 と
〇 「結晶性知力」 の

理論は注目に値する。

キャッテルとホーンの説によると・・・

〇 流動性知力とは、神経生理的な基盤をもち、生活や教育からは独立していると考え
られる知力である。これは、人間が本来的に有している情報処理能力や問題解決能力の
基本的過程の反映ともいえる。

したがって、この能力は青年期をピークにして、その後、加齢に伴って次第に低下して
行くものと考えられている。具体的には、短期記憶・概念形成・抽象的な関係性の知覚
や推論・情報処理能力や瞬発力を必要とする学習などが挙げられる。
(この内容は、前述の動作性知力に、かなりの部分で対応性がある)

〇 これに対して、結晶性知力は、後天的な文化的接触や教育的および生活経験などに
よって培われた知力であり、それまでの経験や学習が反映される知力である。

この知力は、成人期を過ぎても低下しにくく、あるいは学習のペースさえコントロール
出来ていれば、上昇も期待出来る知力である。

これらの具体例としては、語彙・算術能力・文化遺産の理解(哲学・思想の理解など)
一般的理解・社会規範・判断力などを挙げることが出来る。
(この内容は、前述の言語性知力の一部に対応する)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここで「年をとったからこそ伸びる」知力があることが明らかにされた意味は大きい。

具体的には「生活の知恵」や「生活経験からの知恵」「結晶性知力」などという表現で
語られて事柄に、その端緒があるかもしれない。

われわれの日常生活を見回しても、学校教育の基準だけでは測れない「かしこさ」という
ものは、いたるところに存在していると云える。

最終的に、究極の意味合いから考えると、知力の問題も「生きる力の問題」として、理解
されて行く必要性があるのかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

総論として、三輪健司教授から学んだことを整理すれば、前述の通りであるが・・・

これによって、私が意欲を強くしたことは、現状で、放送大学において「心理学」を専攻、
卒業研究にも取り組んでいるが、次は「人間学」を専攻して文学的な学びを重ね文筆活動
にも趣を置いて生涯学習的な生き方を探求することに自信を深めることが出来た。



006 吊り橋理論の創案

総論について述べられた三輪教授に続いて「私にとっての生涯学習」というテーマで各論
について、お茶の水女子大学の西原講師による指導でグループ・ディスカッションが行わ
れた。

西原講師によるグループ・ディスカッションは、自己紹介から入って行き、自分を動物に
例えると、と、いうようなユニークな導入部を経て、本題に入っていった。

これは、後で分かったことであるが、放送大学の学生には、元会社の管理職や役員経験者
などもメンバーとして入っていて、グループ・ディスカッションが堅苦しい雰囲気になる
ことが多いという経験則を生かして、頭の体操的な脳内をほぐす仕掛けの時間であった。

このような脳内のほぐしが行われた後で・・・

〇 放送大学に入学した動機

〇 放送大学で学ぶ目的

などが、各自から熱心に語られて、仲間意識が醸造された段階で、本題に入っていった。

グループ・ディスカッションで与えられた課題は・・・

「川をテーマにして自由に絵を描いて行くもの」で、私は、川を中央に配置して描き、
川の左右両側にリバーサイド的に自分の現在に至るまでの人生を描いた。

そして、川上に向かって、人生の奥深くに何かを感じ取って行くものとして、茫洋と
文学界を目指す自分の姿を描いてみた。

その具現化は、テキスト「生涯学習と自己実現」から「シリル・フールの考え方」に
出会ったことから「成人の学習の3タイプ」を参考にして・・・

〇 一つ目の「目標志向型」の学びの具現化として、川をテーマにして描いたところ
 の上流に向かって、自分の人生の奥深くに、例えば、生かされて白寿に的を置いて、
 そこに向けて 「吊り橋のワイヤーケーブル」をイメージ的に張り渡す。

〇 そのためには、今までの人生を振り返ることも含めて、二つ目の「学習志向型」
 の学びとして、知識の獲得自体に意味を見出して放送大学で学び続ける。

〇 この具現化のためには、現在、専攻している「心理学」を卒業したら、次の学び
 としては 「人間学」に専攻を移して、文学面からの学びに軸を移す。

〇 三つ目の「活動志向型」の学びとしては学習活動の中から、何かを得ようとする
 目的で、実際的に小説を一作品毎に丁寧に書き上げて行き、これを橋脚として配備
 して行く。

そして、日々の小説の原案の書き連ねは、一枚一枚を踏板として近未来に向けて張り
出して行く。

総論の部で学んだように「老いてなお文筆活動は可能である」と論じており現実的に
「一生涯学生作家」としての願望は、こうして、視野に入ったと云える。

現に、小説の第一作目は書き上げて某出版社の作品公募に応募して最終審査まで残り、
大賞受賞こそ逃したものの完成度が高い作品として実費出版を勧められた。こうして
一番目の橋脚は完成、今回の経験を踏まえて、今、二作目の小説を手掛けている。

さて、グループ・ディスカッションであるが「川をテーマにした作品」をそれぞれに
描き上げて、グループ内で、お互いの作品を見せ合って、それぞれの思いを皆さんに
紹介して意見交流を重ねた。

グループ・ディスカッションにおいて、面白いと思ったことは・・・

〇 メンバーの四人の中で、三人が、船に乗って、川から海に出る絵を描いていた。

〇 そして、私だけが、川を上流に向かって船を進め、川幅が狭まって船を進める
ことがことが出来ない場所からは、源流に向かって吊り橋を架け、さらに、上流に
向って前進する絵を描いていた。

ここで、私は、人には、それぞれの思いがあって、面白いなと思いながらも・・・

自らの発想に対して 「吊り橋理論」 と云う命名をさせていただいた。

あれから15年間が経過して、最近は星空文庫に出会ったこともあり、インターネット
の世界で、当時の夢を 「一生涯学生作家として小説を書き・俳句を詠むという文学」
の世界で日々の生活を過ごしている。

まさに「グループ・ディスカッションで語ったことを具現化できたということであり」
その夢を具体的に絵にするキッカケを与えて下さった西原講師には感謝・多謝である。

・・・・・・・・・・・・・・・・

その後、アウトルックのメール機能の不具合が起こり、修復のためのマニュアル類など
を探している過程で、偶然、当時の学習ノート「生涯学習と自己実現」を見付けて頁を
開いたところ・・・

〇 当時の対面授業が、2006年(平成18年)であり、定年後4年を経過した時期であり、
 今から15年も前であることを思い出した。

〇 受講後は、レポートを提出することが課せられており、レポートへの記述の内容は
 省略するが、講師コメントとしては「この調子で頑張ってください」と記されており、
 お茶の水女子大学の三輪教授の押印が確認された。

そして、私自身、面白いと感じたのは・・・

学習ノートの末尾に、当時、これぞ「生涯学習と自己実現」と、して受け留めたと思わ
れる某雑誌からの転載記事を見付けて、受講後のことを懐かしく思い出した。

【茶の湯のこころ】を語る 小堀宗慶(遠州茶道宗家12世)前家本 1923生まれ

「茶事では、お客さま、と、亭主のこころが、物を通して通いあうことが大事」
「若いときには若いときなりの、年齢を重ねてからは、それなりのお茶の在り方がある」

ときどき「お茶とはなんですか?」と聞かれることがある。
この質問に「お茶とは私です」と答えることにしています。

その人の修練の積み重ねから、生まれる工夫やこころが、そのお茶に表れる。
私のお茶は、そのようにして、お茶とともに、生きてきた私自身であると思うのです。

まさに「生涯学習と自己実現」を茶道を通じて端的に表している言葉ではないだろうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ついでの話題となって、恐縮だが、当時 「吊り橋理論の実践」として書き出した原稿を
前述の受講ノートと一緒に見付けたので、近日中に、あらためて推敲を重ねて星空文庫に
掲載してみようと考えている。




007 オンライン授業の開始

放送大学では2021年度第一学期のオンライン授業を4月5日(月曜日)から公開
開始したので、早速 「お試しの心づもり」 で取り組んでみた。

先ず「心理と教育」専攻における卒業研究の際(2007年)にお世話になった岩永教授
が、本年度に、放送大学の学長に就任されたことを、このオンライン授業の最初の回
で知ることになり、この場をお借りして、祝辞を申し上げたい。

「おめでとうございます」

さて、オンライン授業であるが、興味津々で受講したが、なかなかエキサイティング
な創りになっていて、私には 「適合性がある」 と感じた。

講座の10分程度を聴いてすぐにお試しテストがあって恐る恐る回答してみたが結果
は4問中で4問正解であった。次のテストでは4問中で即答の出来ない問いがひとつ
あった。はじめの内は、講座は1回きり聴けないと思い込んでいたが、その様なことは
ないだろうと考えて、講座を2回聴いてから回答した(4問正解だった)。

この繰り返しで、講座毎のテストでは全問「正解」を繰り返して、少し自信が持てた。
次に第1回目のまとめのテストに臨んだ。通算で全問正解を目論んでいたが、まとめ
の総合テストでは、3勝1敗の苦渋を味わった。

案外、勝気な私は、最終のおさらいノートを熟読しながら、間違った1問がおさらい
ノートの振り返りによって、正解に辿り着けるか、と、検証してみた・・・

結果は、読書百遍を繰り返しても、私には正解には到らないという自己診断に到った。
(したがって、本講では、全体を通じて3勝1敗で良しとする目安に到った)

ところで、新型コロナ禍の中で、私の様な後期高齢期にあっては、オンライン授業も
魅力的な授業と受け止めたが、練馬在住の孫の様にせっかく学習院の大学に合格しな
がら、オンライン授業のみと云うのも気の毒な気がしてきた。

それというのも、今回の 「生涯学習を考える」  の1回目の授業の中で・・・

ヒトは生きるための最少限の知能を持って生まれ、人との交流を重ねる過程で社会化
を果たして行くものだと学んだ。

「ヒトは、人と人との間で交流を経験して、社会化を積み重ね、人間に成って行く」
というのである。

であれば、せっかく学習院という大学に入学したのであれば、キャンパスに通うこと
で教授陣や学友と語り合い・交流を重ねることで、人間としての成熟を果たしながら、
社会化を果たして行くのではないか?

たしかに、オンライン授業で、知識は学べるが、画面を介しての学びなので、そこに
教授陣の息遣いや血流の様なものは感じ取れず AI から学ぶのと同じような感覚
を持つに到るのである。

そこに魂のやり取りはあるのか?
(これについては、二元論者的な発想を、否定出来ないが)

このままでは、学習院という大学を志願して受験を介して入学、生身の教授陣や多く
の学生仲間や先輩・後輩との交流など生身の人間交流を介しての「社会化の実体験」
を時間的な経過とともにドンドン失って行くことになるのではないか?

そのように考えると・・・

「ヒトは、人との交流を介して、社会化して行く過程で、人間に成って行く」
「ましてや、大学や大学院においてこそ、この人間同士の触れ合いが最重要と考えて
きた日本の教育風土において、オンライン授業一辺倒には欠点があると考える」

この様なことを感じるのは、私だけだろうか?

ひるがえって私は社会人としての出だしの第一歩において大講堂で入社式が行なわれ、
当時IHI「土光敏夫」社長から電子ビームの様な眼光を浴びることが出来たことは、
社会人一年生としての衝撃的な社会化の第一歩であったのかも知れないと考える、と、
感慨深いものがある。

これは、ヒトとして生まれ両親による保護の下で社会化に踏み出すことになった愛情
を基盤に置いた少年時代の社会化とは異なった性格のものであり・・・

自らが求めれば、周囲の支援や応援を受けられるが、自分が自ら動かなければ社会化
の機会は廻ってこないという点において「ダイナミックな社会化」と云えるだろう。

これに対して、ヒトとして生まれ、成人までの両親に支えられた社会化は・・・

「スタティックな社会化」と、して、層別する必要性を筆者は感じ取っている。

そして、私の場合、そのダイナミックな社会化においては「実証実験的な社会化」を
好んで体験してきた実感を持っている。
(その詳細については、段階を追って、随時、記述して行くことにする)

そして更に「生涯学習と自己実現」の対面授業においては、昔(2006年)定年退職後
や前期高齢期から後期高齢期に到る年齢層においては「超越」という言葉で、過去の
体験を超える取り組みを勧めているが、このステージでの社会化については・・・

「スーパー・ダイナミックな社会化」とでも表現すれば良いのだろうか?

さらに、この三つのステージにおける社会化について、生涯学習の範囲は何処をどの様
にカバーしていると考えれば良いのであろうか?

その自らの問いには、これから進めて行くオンライン授業「生涯学習を考える」を学ぶ
過程で的確に見極めて行くことにしよう。



008 オンライン授業におけるレポートの提出


放送大学のオンライン授業 「生涯学習を考える」 を受講して第1~3単元まで
進捗、だいぶ学びのスタイルが把握出来てきた。第1単元に続けて、第2単元でも
まとめのテストでは、4問中:3勝1敗であったので少し考えてみた。

目安としては、3勝1敗で良しとしてきたが、なにせ物事の実行には必ずバラツキ
というものが付いてくる。バラツキで更にひとつ間違えれば2勝2敗で、百点満点
であれば50点の出来ということになる。

あまりプライドを気にしない私でも50点の出来には悔いが残る。それに、四つの
問いが私にはテニスの試合における得点(ポイント)に見えてきた。テニスゲーム
では4ポイントを取れば、1ゲーム奪える。

頑張って3ポイントとっても、4ポイント取らなければゼロポイントと同じである。
この4ポイント目の取得がなかなか難しいのだ。

私が企業人として管理工学の世界で飯を喰ってきて「習熟性理論」という考え方に、
随分とお世話になって来た。これを簡単に説明すれば、物事の実行を繰り返した時
に、1回目よりも2回目、3回目と急速に上達する、世の中で三度目の正直と云うが
三度目でだいたい自分の力量が掴める。

テニスの試合でもお互いに3ポイント取ればあるいは3ポイントを失えば相手の得手
や不得手も大方は把握出来てしまうので、ここからの挽回は可能でありゼロポイント
でも、ここから3ポイント連取すれば、ジュースに持ち込んで逆転も可能となる。

お互いに4ポイント目の勝負のときには、お互いに習熟、お互いに簡単にはポイント
を譲れない状態になっており、3ポイントを取っても安心出来ないのがテニスだ。

それを考えると、4問に対して3勝1敗で良しとするのは、ただただ粘りが足りない
と云うことになってくる。そこで、第3単元の回答の段階で考えた。

「4問を、全問正解するにはどうしたら良いか?」

しかも、出題者は、岩永教授(放送大学学長)である。

私の記憶が確かなら、岩永教授は東京大学経済学部卒業後、同大学院教育学研究科
で博士課程を修得されて満期退学後はメディア教育開発センターに在籍、その後は
開発センターが独立法人合理化計画によって廃止されて、その業務が放送大学学園
に移管されてからは放送大学教養学部の助教授を経て教授となり、2021年から
放送大学学長に就任されている。

主に、高等教育・生涯学習・才能教育を研究されており、私が、心理学専攻で卒業
研究についてのご指導をいただいているときには、東京足立学習センターの所長を
努めておられた。

現在、展開されているオンライン授業も、メディア教育開発センターの時代に多様
なメディアを高度に活用して行う教育事業を文部科学省所管の独立行政法人として
行なっていたことを考えれば、当然の帰結とも推測出来る。

その岩永教授が出題する「4問」とのガチンコ勝負は、戦略と戦術を練りに練って、
対面しないと、4問(全問)正解して、1ゲームをゲットすることは簡単ではないな
と考えて作戦を練った。

既に、第1単元・第2単元ともに、3勝1敗で、1ゲームも取れていないことになる。

要は、答えは「◯の筈」「×の筈」といったレベルの、こちらからの一方的な見立て
では正解は得られないことが分かった。

それではと、徒然草の名人といわれる人の記述にヒントを見出して「負けない手立て」
を考え出して、思考法を練りに練った。

ポイントは、出題者が回答者に向けて注いでいる視点がどこにあるか? を探り出して、
妥協せずに他に答えは「なし」と云うレベルまで考え抜くことがポイントと気付いた。

結果、第3単元・第4単元共に「全問正解」に達した。この分野でも習熟性理論は充分
に活用出来る分野であることが分かり、なか・なか・面白い体験・経験をした。

次に、レポート問題と云う出題があり、設問に沿って、400字以内にまとめるのだが
文章が膨れ気味となり、400字という貴重な紙面の使い方に脳内が活性化した。

ここまで文章を絞り込むと、対面交流などで対談などを行った時に文面から溢れた出た
文字が対話を活性化させることになる? のではないかと推測した。
(おそらく回答の5倍相当の文字が場外に弾き出されている)

それでは、実際のレポート(400字以内)を紹介することにしよう。


【第1単元のレポート】

「生涯学習を考える」を学ぶ動機と目的

【背 景】
かつて、放送大学において心理と教育を専攻、
卒業研究では生涯学習について探求、その時
の知見を生かして、次には人間と文化を専攻、
現在、一生涯学生作家の道を歩み始めており、
星空文庫に万田竜人のペンネームで作品群を
掲載している(http://slib.net/a/4264/)
ここでの肝は、吊り橋理論として、放送大学
で学び続けながら作品を書き続けている。
【問題発生と解決のための方向付け】
しかし新型コロナ禍の影響で面接授業を三期
連続で欠講、大学の継続か否かを真剣に考え、
オンライン授業の存在に光明を見出した。
【動機と目的としての起死回生策】
(1)オンライン授業であれば高齢であっても
生かされて百寿まで自宅で学び続けられる
(2)生涯学習についても新しい知見を加える
ことで作家生活の再構築を図れると考えた。


【第4単元のレポート】

Q:子供の学習との相違に触れた上で、成人
が学習する意義(400字以内で回答)

A1:子供の学習と成人の学習の相違
日本では国民として生活できるための知識や
技能・規範などが修得できる様に義務教育化
が図られている。しかし子供の頃は当たり前
という意識で小・中学校で熱心に学習に取り
組んできたが中3の適性検査で工業・商業・
文学系のいずれにも適正有りと知らされた。
親戚筋の平井晩村に憧れていた私は文学面に
興味があったが、父親からは福沢諭吉の学問
のすゝめを踏まえて、喰って行くためにはと
工業系を勧められ成就、その経験から・・・
□子供の学習には:親などの支援が不可欠
□成人の学習には:自らの決断と準備が重要
□ここに両者の相違点があると考える
A2:成人が学習する意義
一般論として頭も身体も使わなければ錆びる
経験論としては、企業人後半は管理職の学習
定年後は、文学系で能力伸長の可能性を知り
そこに意義を感じて、人間学を学習、小説家
そして俳人を日々の生き甲斐としている。

ここまで記述して、オンライン授業は私には適合した授業と感じ取った。
(生身の教授や同窓生との魂の触れ合いがないのは残念だが)



009 どっちともとれる微妙な試験問題にウンザリ

放送大学のオンライン授業を始める前に、コロナウイルスのワクチン注射の予約
にチャレンジすることにした。
(予約開始は午前8時30分から)

予めインターネットにおける予約システムをリサーチしておいた。ログインまで
の入力方法などが、放送大学のオンライン授業における入場方式に似ているので
ワクチン注射の予約券番号やログインパスワードなどを明確にしておいた。

前日の夕方、NTTからテレビ放映で全国一斉に高齢者のワクチン予約が始まる
ため、5月10日(月曜日)午前8時30分からは電話が混雑して救急医療など
に影響が出る恐れがあり、通信制限があると聞いていたので、電話予約は難しい
と判断した。

それでも、電話での予約は家内が応援してくれることになったので、電話による
予約は家内にお願いして、私はインターネットでの予約に専念することにした。

さて午前8時30分となったが入力画面が、まだ調整中との表示があり待機する
ことに、やがて調整中の文字が消えてクリックするとサイトに入って行く気配が
あり、しばらく待つと入力画面が登場、券番号とパスワードを入力した。

その後、順次、ガイダンスに沿って入力を進め希望するクリニックにての予約が
完了した。一方で電話による予約はなかなかつながらず私がインターネット予約
を完了する直前においてもコールセンターに電話がつながることはなかった。

当日は午前中に地元の市営コートでのテニス練習が予定されていたので練習仲間
には、当日、ワクチン予約があるので少し遅れるかもしれない、と、メールして
おいたが予定時刻に間に合った。

しかしテニス練習が始まってから、女性陣の二人の仲間からそれぞれの旦那さん
が出掛け前にまだワクチン予約が取れていない状況だったとの話があった。

Sさんの旦那さんは電話を掛け続けていたがコールセンターにつながらない状態
が続いていたのだという。Tさんの処はインターネット予約に取り組んでみたが
ログインできて手順通り進めたものの、途中で、停滞して初期画面に戻る状態を
繰り返していて、出掛け時もその状態が続いていたという。

私の場合は、放送大学のオンライン授業で、ログインから始まるインターネット
対応は、日々、繰り返して、慣れているためにスムーズに展開できたが、日常的
に世の中との窓を開けておくことの重要性を痛感した。

さて、そのオンライン授業「生涯学習を考える」だが、まとめのテストにおける
全問(4問)正解にチャレンジしてきたが、第6単元で思いがけず、3勝1敗の
苦杯を味わうことになった。

具体的な設問は開示出来ないが、テニスゲームに例えれば、思わずビデオ判定を
申請する様な 「〇か×か?」どっちともとれる微妙な設問であった。

第6単元までで、4ゲーム取得を目論んでいたが、現在、3vs3ゲームで均衡
状態であり、6ゲームを先取して、1セットをゲットするまでには険しい道のり
になりそうな気配だ。

さて、これから第7単元に取り組むことになるが、現段階でまとめのテストには
少々嫌気がさしてきたことから、末尾のレポートを先行させることで、気持ちを
引き締めることにした。

第7単元のレポート

今回の講義を踏まえ、近隣の社会教育施設の
活用についてあなたの考えを400字以内で
述べて下さい。

【レポート】
私にとって入間市(在住)の社会教育施設は
必要不可欠なものであり私自身、同好会など
の世話人として役立ちたいと考えている。
(身近な三つの事例を次に示すこととする)
1.市営テニスコートにおける同好会活動
最初は32歳の時に入間市のテニス協会主催
の初級テニス・スクールに参加された市民が
中心となって結成した同好会に私はまとめ役
として招かれて参画、以来47年が経過して
おり最初は勤労青年団体としてコートの優遇
措置を受けてきたが最近はシニアの同好会に
シフトして現在に到っている。
2.近隣の公民館における俳句の同好会活動
早稲田カレッジで俳句講座に学び地元公民館
の句会で作句を重ね、現在はインターネット
句会で世話人を努めている(句歴25年超)
3.市営体育館における卓球同好会の活動
最近、超高齢スポーツに向けて市営体育館で
卓球同好会を立ち上げ世話人を努めている。


010 山のあなたの空遠き想い出

埼玉県知事による強い意志も働いて、変異株によるコロナウイルスの猛威に向けた
まん延防止策の徹底により、日々、飼い犬と通っていた彩の森入間公園の駐車場が
入場禁止となった。

飼い犬を自動車に載せて、彩の森入間公園に行くことをルーティンにしていたので
少々困惑した。昨年も、コロナ対策による駐車場の閉鎖があって、飼い犬を自転車
の後ろ籠に乗せて通ったが、最近、自転車のサドルが股間に当たって慢性前立腺炎
を引き起こす恐れがあることが分かり、今回は少しばかり躊躇することとなった。

結果、同じく近郊の富士見公園の駐車場まで飼い犬を運び、そこから新しい散策の
コースを探すことにした。ここからなら彩の森入間公園への道のりも模索出来る。

富士見公園の駐車場で飼い犬に散歩の支度をさせて歩き出すと、公園前の野仲さん
の音楽教室では、生徒への案内看板に、コロナ対策の徹底が明示されていた。

音楽家の野仲さんとの面識は、入間市において生涯学習に熱心に取り組んでいる方
の取材の際にお世話になったのだが、その時には、まだ、富士見公園前にはお住い
ではなかった。

あの時は、私が放送大学で専攻した「心理学」の卒業研究に際して、今後のテーマ
として自分が棲んでいる入間市において生涯学習をテーマにして地域で役立つこと
を文末で約束、入間市役所に出向いてなにか役立つ事があるか?

と問うたところ、入間市広報で年間2回、生涯学習で活躍されている方々の取材が
紹介され、具体的な広報記事として、音楽家の野仲さんの取材を任された。

私自身、音楽家の野仲さんの取材がきっかけとなって、文筆活動を本格化させ星空
文庫でのデビューなどにもつながって行った。

その取材の過程において、音楽家ご夫妻がご自分たちの手造りによって、群馬県の
山間部に音楽堂を建設された経緯をパンフレットに綴っておられて、音楽ファンに
配られていてものを拝見させていただいた。

私も、そのコピーをいただいて、大いなる興味をそそられて、そのパンフレットを
下地にしてミュージカル風にアレンジしたら面白いか、と考えて、早速、執筆して
みたことがある。

早や8年前のことになるが、その時には音楽家の野仲さんが富士見公園前に自宅兼
音楽教室を建設することなど想像もしていなかったことである。

まさに「光陰矢の如し」時代は確実に走っているのだ、そのような思い出にしたり
ながらも当時の音楽家ご夫妻の音楽堂の建設経過をミュージカル風に仕立ててみた
文面を想い出して取り寄せてみた。


【音楽家ご夫妻の冒険の始まり】
        
 ~ そこにはスイスを思わせる風景があった ~


早朝に目覚めた音楽家W氏は、新聞の朝刊に折り込まれていた土地の売り出し広告を
見て 「こんなに安い土地があるのか?」と、驚き半信半疑のままで、まだベッドで
寝ている奥様を揺り起して声をかけると「きっと山奥の辺鄙なところよ」いう答えが
返ってきて、一瞬、冷静になって考え直した。

しかし、独りキッチンの椅子に座って考えているうちに 「一度、現地を見てみたい」
という気持ちが膨らんできてもう一度、広告に目を通しここならば車で行けると思い、
レンタカーを借りることを考えた。
(実は、交通事故で愛車を廃車にしてしまった直後のことであった)

「自分たちの音楽堂を建てたいという夢を抱き続けていた」ので、広告の土地の値段が
本当ならば「その夢が叶うかもしれない」と思うと居ても立ってもいられず・・・

「車をレンタルして現地に向かいながら」も、はやる気持ちは抑えがたい。

10月中旬のドライブは、紅葉も間近い風景で、天気も晴天・・・

渋川伊香保インターで高速道路を下りてそこからは奥様が地図を見ながらの案内役で、
やがて目指す「T山」の看板が目に入り、快適な道路を道沿いに登って行くと風景が
広がってきて「スイスを思わせる」ような見事な風景の場所に辿り着いた。

土地の広告チラシを見て、場所を確認する、と、斜面の高いところに、該当の土地が
見つかった。そこには、広告に示されている 200坪の土地があった。ここならば、
音楽堂を建てるには絶好の場所であり、音楽堂の完成した姿がイメージ出来た。

土地の購入は、ご夫妻で揃って 「その日の内に現地で決めた」という。しかし土地
の購入はしたものの建設資金はまだ用意出来ていない。それでも、W氏は現地で頭の
中に描いた「音楽堂のイメージ」を設計図として形にする欲求を抑えきれず、音楽堂
と住居を一体にした図面を書き始め 「何枚も何十枚も書上げて行った」と云う。

ご主人は、現在は音楽家でありオペラ歌手であるが、元々は機械製図が専門であった
こともあり図面を書くことは得意であったので夢見るように図面を書き上げて行った
のだという。

その後も、W氏の音楽堂への思いは加速するばかりで・・・

かつて、アメリカの本屋で買い込んだ 「マイホーム建設のすべて」を、建築設計の
バイブル(聖書)のようにして、建築設計を細部まで掘り下げて行った。元々ご夫妻
で音楽堂への夢を語り合っていた二人はアメリカの本屋でこの本を目にしたときには、
ご夫妻で、即、目の前の本を買うことを決めたという。

そのようなご夫妻が、土地を取得した、今 「気持ちが加速すること」は当然の成り
行きと云える。

比較的、早起きが好きな、ご主人は、朝から、この建築設計のバイブルを読みふけり
着々と建築の知識を深めて行く。奥様はと云えば 「そんなに早い時間帯はまだ熟睡
状態」である。

都市部においては 「一般人による建築設計は許されていない」が・・・

「無指定地域の山林での設計は一般人にも可能である」ので、現在は、オペラ歌手と
して活躍しているものの、元々はといえば機械設計製図が専門であったので建築設計
のバイブルを読み進むうちに建築における学びの世界は、やがてツーバイフォー建築
を学び取る段階に発展して行くことになる。

そして「習うより慣れろ」をモットーにして自己設計を開始する。自己設計における
強みは「好きなように設計変更できる」ということである。

そばで見ていた奥様も「何度も自分で気に入るまで設計図を書き直して行く」ご主人
の熱意には頭が下がる思いであったと云う。

そのようにして「出来上がった建築設計図をツーバイフォー協会の会長に送付」して
基準に合致しているかどうか確認したところ・・・

「設計基準への合致」が確認された。

T山に土地を購入してからあっという間に10ケ月が経過。T山と云う地名は全国に
あるが 「ここのT山は、群馬県にある山村の地名」としてよく知られている。

W氏が 「自分の素手で音楽堂を建設する」と云いだしたときには、さすがに奥様も
驚いたと云う。

すぐに、行動を起こす性格のご主人は現地に、出掛けると整地から始めた。

「シャベルを握り15分間地面を掘っては5分間休む」これを繰り返しているうちに、
「5分間掘り15分間休む」というペースに変わってくる。

都会暮らしの生活で、これといった運動もせずに、近所にも車で出掛け、スポーツの
趣味もなく、体力が持つ訳がない(たちまちギブアップ状態である)。

我が家に辿り着くとどちらからということでもなく、夫妻の間で作戦会議が始まる。
先ずは都内のマンションからT山まで約130キロの行き帰りの問題が難題である。
日常的な職業人として、音楽活動が優先するので、建設作業は週末限定となる。

その度に、車での移動となるが一般道を通うことで高速料金は節約できる。しかし、
週末ごとのホテル代は相当の負担になってくる。そこでご主人のアイデアでテント
暮らしが提案される。

一瞬、奥様は、仰天するものの 「それが一番か?」と、思い同意する。

早速、ホームセンターに出掛け部屋が二つに区切られているテントを購入してきて
マンションで広げてみると「これなら二人で暮らして行けそう」と云うことになり
T山におけるテントの中での生活スタイルを二人で相談する。

次に土地の整地と土木作業については本格的な建設用の重機を使うことを計画する。
一般的には「ユンボ」と云われている整地用の重機を使うことにする。リース店で
二番目に小さい機械を借りることにした。

「奥様にも操作できる」ということで30分間にわたり操作方法を教わる。実際に、
両手で操作をしてみる。

いつものピアノを弾くときとは訳が違う。いくぶん怖いという気持ちが先行するが、
「危ないと思ったら手を放せば大丈夫」と教わり、これで少し安心かと思いながら
練習を繰り返した。
(さて、次は、T山での現地作業が待っている)



【音楽家ご夫妻の負けない勇気】

  ~ 自然環境の中で、お二人の活躍の舞台は、第八幕まである ~

この舞台における活躍ぶりをオペラ(歌劇)に仕上げることが出来たとしたら、本場
イタリアはもちろん世界のどこの劇場で演じられているオペラよりも、ダイナミック
かつ不屈の闘志で、その偉業に、取り組んだ姿には鳴りやむことのない拍手で場内は
総立ちになることだろうと想像する。

【序 幕】

音楽家夫妻は、週末になって、準備した建設用の機材を車に積み込み群馬県のT山に
向けて発進する。現地入りするとすぐに手筈通り先ずはテント張りから着手。寝室用
の部屋には手作りのベッドを持ち込み床にはじゅうたんを敷き詰めて完了である。

隣のリビングの部屋には、二人でかけられる目線が低目の椅子と、テレビを配置する。
食器棚などを配置して食事をする場所も確保出来た。これで、T山に我が家のベース
キャンプ(前線基地)が出来た。

このベースキャンプのおかげで、音楽家夫妻は夏から冬にかけて、約5か月間を過ごす
ことが出来たと云う。まさに雨風や寒さから身を守ってくれたテントに感謝である。



011 【第一幕】

テント生活における週末の朝は早く、鳥が唄い、目覚まし時計の代わりとなって目覚
めれば、新鮮な空気が爽やかな朝を届けてくれる。東京都内の暮らしで窓からの日照
時間の少ないマンション暮らしの朝とは、比べようもない快適さである。

朝食をとりながら、遠くの山々を眺め、青空に思いを馳せて「さあ、今日も頑張ろう」
と忙しい一日が始まる。

想像もしていなかった建設重機「ユンボ」を操縦して、先ず車庫の基礎部分を3日間
で整地した。これで雨が降っても週末の車の出入りが容易になる。

整地作業に区切りがついて昼食時間にテントに戻ると目にも入らぬ素早さで何者かが
外に走り抜けて行く。

「タヌキ?」かと思いながらキッチンに入って行くと昼食用に用意していたカレー皿
に小さな足跡が残っていた。

テント生活も秋を過ぎる、と、すぐに冬が訪れてきて、夜などは冷え込んでくるので
建設作業の疲れを癒すことも兼ねて近くの温泉場に出掛ける。

すっかり温まった身体で我が家に帰り夕食の準備に取りかかるとテントの中に設えた
食器棚の上に子猫が乗って、こちらのやることをじっと見ている。テントにも、鍵は
ついているが、森の仲間(動物)たちには出入り自由になっているので、入り込んで
帰りを待っていたようである。

動物好きのW氏は子猫にご飯を食べさせてから、森に放してやったと云う。

翌朝は、W氏の建設作業の音で夫人は目を覚ました。早起きのご主人は、一生懸命に
基礎枠を運んでいる。今日は、いよいよ土木工事の始まりである。

朝食が済むと夫人も通称「ネコ車」という単車を手にして、砕石や砂などの土木用の
材料の運搬をする。今更「箸より重いものは持ったことがない」などとは云ってられ
ない状況なので、吹き出す汗を拭いながら怪我をしないようにと、一生懸命に砕石と
砂を運ぶ。

生コン車が到着するとますます忙しくなる。生コン車から流れ出るセメントをネコ車
に積み込み基礎枠まで運ぶ。両腕をしっかりと固定するもののセメントは思ったより
も重みがありネコ車が横揺れする。

左右のバランスをとりながら足を踏ん張り前に進む。それを見ていた生コンの運転手
さんがセメントの量を減らす。

「もう少し大丈夫よ」といって強がりを云うがネコ車のほうが正直で横倒しになって
セメントが地面に散乱する。このときに、夫人は、とっさに自転車の練習をしていて
初めて転んだときのことを思い出したという。

今、汗まみれになって施工している土木工事が、一番目の大仕事である。この仕事は
二つの工事で構成されいる。一つ目は山林部などの周囲から流れてくる水が敷地内に
入らないようにするためのブロック工事である。

二つ目は、敷地内に降った雨などを地下に逃がし、同時に、外部からの水が地下水と
なって湧き出した場合にも対応できるよう排水パイプを地下に埋め込む工事である。

敷地は、奥行22メートルの間に、高低差が5メートルあるので、現状では雨になる
と山林から流れてくる水は敷地内を一気に駆け抜ける。ここの土地は赤土で水分さえ
含まなければ硬い土である。したがって山林からの水の流入を止めてやれば土砂崩れ
は防げる。

その具体策としては、重量ブロックで敷地を囲み、水の流入を防ぐようにする。

重量ブロックは、セメントで固めて頑丈な造りにした。セメント工事はなかなか難し
い作業で、夏の暑さの中ではどんどん固まってしまうので、気持ちがあせるなか暑さ
で足元がフラフラしていたためか、後で見たら、西側のブロックが蛇行していた。

土木工事による基礎工事は完了してしまえば、目には見えないところだが、実は一番
たいせつなところと教わったので大いに反省するところとなった。排水用のパイプは
多目にして、4本を地下2メートルに埋めたので、雨水の排水対策は、これで完璧な
仕上がりとなった。


012 【第二幕】

敷地内の整地と排水対策が終わって、いよいよ、家の土台をのせる基礎工事である。
これが二番目の大仕事である。

先ず家の土台がのってくる場所を決めて杭を打ち込む。そして、鉄筋を張って行く。
鉄筋は縦横に組んで行く。このときにセメントを軽く流し込んで固めて行くのだが
なかなかタイミングが難しくて、なかなかにじれったい。

組んだ鉄筋が倒れないように、横から角材で支えて行く。そしてその鉄筋を囲むよう
にして型枠で固定する。型枠は通常は15センチメートル幅であるが今回は頑丈さを
狙って25センチメートル幅で仕上げることにした。

このとき、最初の段階で直線部分が曲ってしまい、それを補うために厚めにしたこと
も理由のひとつである。今日は型枠の中に実際にセメントを注入する日である。前夜、
手作りの木製の型枠を念入りにチェックしておいた。

今朝も、何度も手で揺らしてみたが大丈夫。朝一番で生コン車が到着してセメントの
型枠への注入が始まる。生コン車からのセメントが型枠の中に、どんどん流れ込んで
行く。

その時である、私の足元に位置する型枠を支える斜めの角材がほんの少しだが動いた。
とっさに手で支えるが、ものすごい勢いで流れてくるセメントに、型枠が弾き飛ばされ
て、あっという間に外れた型枠の部分から生コンが溢れ出してきた。

二人で、呆然としている、と、生コン車の運転手さんが、咄嗟に生コンの流れを止める
操作をした。

その晩はさすがに、二人とも疲れ果てた。夫人は、夜中に生コン暴走の夢をみて恐怖で
目を覚ましたと云う。そうこうしている内に今度は台風が到来する。週末になってT山
に行くと・・・

先ず目に入ったのは、村のあちこちで強風になぎ倒されたとうもろこしの姿であった。

ご夫妻は心配しながら基礎工事の現場に着くと、多くの鉄筋が将棋倒しになっていた。
やり直しほど億劫な作業はないが、二人で気を取り直して鉄筋を元通りに修復した。

前回のセメント注入時の失敗もあるので、二人で相談して、一応、万全の体制を整え
たつもりであるが不安もある。一方で「今度こそ」という気持ちで生コン車を待って
いると、二人の目の前に、生コン車が到着した。約束した朝一番の8時半である。

生コン車を目にすると、前回「セメント暴走の失敗」を経験しているので二人に緊張
感が走る。今日は、長靴に、ビニール手袋、セメントを突っつくための長い木の棒と
仕上がりを平にするコテなど、準備は、万端に整えての生コン車の出迎えである。

あまり緊張しすぎても良くないと考えて少し肩の力を抜くことにする。

生コン作業の場合は、通常、生コンを型枠に直接入れて行くポンプ車の方が便利だが、
費用が割高になるので、今回は生コン車のシュートを使って型枠の一箇所に流し入れ、
そこから先は角材や木の棒で掻き出し、型枠全体に、セメントを行き渡らせる方法を
とっているので、セメントを泳がせる手間が余分に必要となる。

生コンを一掻き、二掻き、そして三掻きと、セメントを泳がせて行く動作は、全身で
ボートを漕ぐ感覚に近い。

セメントが腕やシャツに飛び散り顔にも跳ねてくる。

ビニールの手袋にも、セメントが入ってきて、気付くと手のまわりはセメントまみれ。
セメントはどんどん固まって行くので、手を洗っている時間はない。まさに土木工事
は体力勝負である。

生コン車の運転手さんも見かねて「少し休もうか」と声をかけてくれるまで休むこと
なく作業を続けていたので、もはや体力の限界を感じる。

生コン車は、毎朝、定刻の8時半に来て、午後には帰って行くが、時折、夕方になる
こともある。当然、二人作業で処理できる量には限界があるので日々の作業量は決め
ておいて、その日の所定の目標を達成すると、近くの温泉に出掛けて、疲労困憊した
我が身を癒す。温泉に入っているときに、W氏は考えた。

「生コン車に取り付けてあるシュートは、長さがせいぜい2メートル。この長さだと
セメントが流れてきても型枠までは届かないことが多い」「そうだ流しそうめんだ」
と、アイデアがひらめいて、波型のプラスチック板に、ほどよく丸みを持たせて曲げ、
角材で周りを補強する。

これに角材で足を取り付ければ自前のシューターが完成である。

これを幾つか作って、つなぎ合わせれば長さは自在に伸ばせるのできっと上手く作業
が出来る。このようにしてシューターの準備を済ませて、後は生コン車の到着を待つ
ばかりである。本日の生コン注入は型枠まで約8メートルの場所である。

生コンが、シューターをどろどろとゆっくり流れて行く。

生コン車の運転手さんも、セメントに水をかけて流れを助けてくれてこれで大成功と
思った瞬間のことであった、手作りのシューターは、セメントの重さとカーブに差し
掛かる遠心力であえなく横倒しになってしまった。

無残にも、セメントは大地に山盛りとなり惨敗という結果となった。ここで考えてい
ても始まらないので、元の方法に戻し手間はかかったが、自分たちの身体と相談しな
がらなんとか生コン作業を完了させた。


【ハプニング】

東京育ちの夫人にとっては「T山での体験は兎に角驚くことの連続」であったと云う。

ある日のこと、玄関の基礎コンクリートにたれかかっている電気コードを横目で見な
がら、道具箱の中の金槌に手を伸ばすと、動く筈のない電気コードがすべるようにう
ねっている。何気なく手に触れたその電気コードは蛇であった。

直径にして5センチメートルほど、長さは約2メートルもある。

今 「思い出してもぞっとする」と云う。悲鳴を聞きつけて駆け付けたW氏は、蛇を
木で差し押さえて、それを退治したという。
 
ここで、夫人は音楽家W氏の優しさと勇気と俊敏な行動力に対して、あらためて尊敬
の念を抱くとともに「大いに頼りになる存在感である」ことを再認識したことは云う
までもない。



013 【第三幕】

さて、土木作業も、三番目の大仕事に取りかかる。鉄の型枠(300個)をお城の
石垣のように積み上げて行く作業である。それも、重さが、1個で30キロもある。
重量物を取り扱う終盤の最も難しい土木工事と覚悟を決めて取り組むことにする。

音楽家ご夫妻が購入した土地は斜面の高い場所に位置する約200坪の広さである。
奥行22メートルの敷地内の高低差は約5メートルある。そして敷地の横幅は30
メートルもある。

ひな壇のようになっている敷地内の土砂が崩落しないようにするためには、敷地手前
の斜面に城壁のような頑丈な構造物を造り込んで行く必要がある。

斜面の高さは、約3メートルある。二人にとって、簡単には持ち上がらないこの鉄板
30キロを8段も積み上げるとなると想像を絶する難工事である。

この鉄の型枠は土木業者が現在は使っていないということで無料で借りたものだけに、
鉄の型枠は錆びて変形している。そのため鉄の型枠どうしを連結するためのクリップ
も、なかなかスムーズには、型枠の穴に入らないときている。

しょうがないので金槌で叩いて嵌め込んで行く。この鉄の型枠の積み上げも4段から
上がたいへんな作業であった。作業する位置がだんだんと、上方に移動して行くので、
梯子を使い重量挙げの選手のように、鉄の型枠を持ち上げて積み上げて行きクリップ
で連結して行くのであるが、雨の日などは梯子がすべるので極めて危ない。

雨の日には、カッパを着て、長靴を履き、手袋をして、梯子に登る。

連結用のクリップはカッパのポケットに入れて蓄えておく。二人の「手造り建設」の
噂を聞きつけた業者が見学に来て「素人にはとても無理だよ」と云って専門業者たち
が自分たちへの発注を盛んに誘ってくる。

それでも、とうとう、二人の自力だけで、鉄の型枠300枚を積み上げた。

この鉄の型枠は、生コンの運転手さんが、知り合いの土木業者に声をかけて、無料で
借りられるように手配してくれたものである。

基礎工事の時に手作りの木製の型枠で苦労している私たち夫婦の姿をみていて親切心
が沸いてきたようである。無料で借りた鉄の型枠だけにその苦労もたいへんであった
が無事に難しい作業を終わった状況をみて、我がことのように喜んでくれた。

建屋の骨格となるツーバーフォーの躯体工事は業者に任せる必要があるので、その前
にホームセンターで見つけたアメリカ製の水平測定器を使って基礎工事の仕上がりの
具合を確認した。
(この測定器は赤い光が両側に出る仕掛けになっていて日が沈むほど良く見えた)

測定の結果 「我が家の基礎の誤差は1cm」 であった。

ツーバイフォーの躯体業者が、我が家を訪れて、基礎工事の最終誤差を確認した。

ツーバイフォー業者は 「これでは工事を請け負えない」と不満顔で、自分たち業者
に与えられている責任ある立場を時間をかけて丁寧に説明された。

音楽家ご夫妻は、それから三日がかりで基礎コンクリートの表面を手直しすることに
なった。手直しをしながら夫人が叫んだ。

「ああ手が痛い、これが済めば、来週は東京でリサイタル!」



【音楽家ご夫妻の強靭な意思と推進力】

ここで 「ついの棲家」 として我が家の建設を担っていただいた棟梁の矢吹さんと
音楽家ご夫妻の作業環境を比較して、素人が建設事業に取り組むことの通常ではあり
えないたいへんさに思いを馳せてみることにする。

昔風の呼び方をすれば、我が家を建設した、Jグループの矢吹さんは、棟梁を兼ねた
大工職である。技術レベルは匠の世界に達しており、その矢吹さんが、昼夜兼行で、
しかも、休日返上の連続操業により、突貫工事的に我が「T&Kのついの棲家Ⅱ」を
建ててくれたので、超特急的かつ上質な仕上がりは当然の結果でもあった。

「厳しい日程でしたが、日々の時間を増やすことで、良い仕事が出来ました」
という、矢吹さんの言葉がすべてを云い現わしている。

一方で、音楽家ご夫妻の場合には、自分たちの素手で、しかも週末の集中作業により
音楽堂を建てたのであるから、その取り組みは驚異的な奮闘ぶりと云える。そのたい
へんさは想像を絶するものであり、ご夫妻の建築日記からも週末作業のたいへんさが
ひしひしと伝わってくる。

ちなみに、音楽家ご夫妻が、建設のために費やした期間は、約5年間の歳月に渡る。

「建築現場への往復は、自家用車の走行距離で、約15万キロメートルを超える」
と、云うことから、そのことだけをとっても凄いことである。

その移動のほとんどが、住まいの都内と建築現場のT山との間の往復に要した移動
距離であるから・・・

「その熱意と精神力は鉄人的」であると云える、その他、建材の運搬には貸し出し
用の軽トラックを自ら運転しているので、更に移動距離は伸びている。

結果 「自動車の運転技術は格段に上達した」と云う。そのような建築現場の環境
を思い浮かべながら、ご夫妻による音楽堂の建築日記を読み進んで行くと、味わい
深いものがヒシヒシと伝わってくる。

ただし、私が体験した我が家の建築における施工順序などに照らした判断から観て、
奥様の施工記述には若干わかりにくい記述や前後の工程の入れ替りなども感じ取れ
たので、修正が必要と判断した部分は手直をして、物語に整合性をもたせた。


014 【第四幕】

基礎工事を完了させると、今度は建材の調達が重要な仕事になってくる。建材調達の
ための上海旅行には5回ほど二人で出掛けた。

これは、まさに冒険旅行と云えるものであった。町の中心にあるホテルから、建材店
のある郊外まではタクシーで出掛ける。商談は、台湾生まれで中国語の分かるご主人
の役割である。

商談に疲れはつきものであり商談後の上海における中華料理の美味さが二人の疲れを
吹き飛ばしてくれる。

建材の約80%は上海で調達した。

上海で調達すれば費用は通常価格の約10分の1で済むために必死になって交渉する。
格安なものでは約100分の1の値段で買ったものもある。中国語が話せれば商談に
有利であり、上海語が話せれば、さらに安くなるという不思議な世界である。

上海で買い求めた建材はコンテナーに積み込んで上海港を出航させた。

東京港に到着したこれらの建材は個人輸入のためエックス線による検査を受けて無事
に税関を通過した。シアトルからの外壁材と屋根材は、東京港で税関後に、ご主人が
2トンのロングトラックをレンタルして、自らの運転でT山村まで運んだというから
鉄人的な冒険家と云える。



015 【第五幕】

自分たちで施工した基礎工事の上に専門業者によるツーバイフォーの躯体が乗り所定
の工事が完了すると、ご夫妻に向けて建築工事の作業が山のように押し寄せてくる。

しかも、季節は秋、早や11月であるということは、急いで外壁を張らないとすぐに
冬がやってくる。先ずは、躯体の外側に、防水紙(タイベック)を張る。

その上に、長く薄い角材(どうぶち)を縦方向に約45cm間隔でビスを使って留め
て行く。そして、その上に強化プラスチック製の外壁材を固定して行く。

外壁材は上海で見つけたものである。

この外壁材は、アメリカで一般的に使われているものであることを上海で聞きつけて
から、アメリカにおける入手先を探し、安価で入手出来るホームデポ(家屋用建材の
供給センター)が、シアトルにあることを知り、そこから取り寄せたものである。

屋根材もスレート系のものが安価で購入出来ることが分かり一緒に購入した。屋根材
は、じゅうたんのように敷くだけで施工できる優れもので、素人にも、簡単に作業が
出来る素材て大いに助かった。

屋根材を留めるときには釘を使うが、錆びない釘を使ったので、雨漏りの心配はない。
外壁材の作業は、二人で力を合わせて、なんとか完了させてから、厳しい冬を迎える
というタイミングであった。
(この時、外の足場に登ると、アルミの踏み板が凍結していた)

太いツララが頭に当たって思わず驚く。

なんとか、厳寒時に、内装の仕事に移れて良かったと安心していると、目の前の工事
として待ち構えていたのが、二階への階段造りであった。

専門業者によるツーバーフォーの躯体工事には、二階への階段造りは含まれていない
仕様になっていた。
(それではと、外の足場から二階に廻れば、ツララの世界が待っている)


016 【第六幕】

二階への階段に使う材木は、型紙を作って慎重にカットして取り付けて行き、頑丈な
階段が出来上がった。次に待っている仕事は、断熱材の取り付け作業である。

グラスウールの断熱材は、安価で手に入るが、素人の手作業では壁の中をずり落ちて
しまうので使うのをやめた。代わって密度の高い発泡スチロールの断熱材を使うこと
にした。次の仕事は、石膏ボード張りであった。

これには 「石膏の粉が目にしみて懲りた」 と云う。

次に、内装の仕上げを壁紙にするかペンキにするかで迷ったが、適材適所でその都度
考えながら施工して行くことにした。天井のペンキ塗りの時は白い塗料が髪に落ちて
困った。

天井から壁にかけての壁紙張りは、作業が下方向に行くに連れて壁紙が斜めになって
行くのには閉口したと云う。

床に張るタイルは、上海で買ったものを使った。タイルの場合は材料が重いが接着剤
を使って貼り付けて行けば良いので、一般的には容易な作業であると云われている。

しかし、我が家の場合は、ツーバーフォーの躯体工事の直後に降った大雨で床が微妙
に変形しているために、隣り合ったタイルどうしの高さを合わせるのに工夫が必要で
あった。

フローリング材も上海で買い求めたものだが、こちらは1枚20秒という速さで嵌め
て行けたため、爽快感を感じながら、金槌を振り上げることが出来た。

一目惚れで買ったシャンデリアは、中国製。梱包を開けて説明文と組立図を手にしな
がら組み立てて行ったが「なんと一日がかりの作業」になってしまった。

家の中の戸棚はすべて同じ仕様で仕上げた。

本棚・クローゼット・下駄箱・システムキッチンセット・洗面台・飾り棚などすべて
を、横幅2メートル40センチ、高さ1メートル20センチ、厚さ2センチメートル
の両面が白いカラーボードを70枚使って仕上げた。

扉の数は100枚、全ての扉に取手を取り付けた。

したがって我が家の戸棚は皆兄弟である。玄関ドアも上海で買ったものを取り付けた。
これは二人で持ち上げないと無理なほどの重さがあり、しかも正確に取り付けないと
開閉が出来ないというので、二人で相談の結果・・・

「あらかじめ金具類はすべてドア本体に取り付けておく」
「取り付け誤差が出ないように、出来る限りの工夫をして」
ドアを取り付け、無事にスムーズな開閉が確認出来た。

お洒落な出窓は、10箇所ほど設えた。見本のダンボールの型紙通りに作業を進めた
のだが、材料の切り方に問題があったのか、出来上がった出窓の接合部に縦に沿って
隙間が生じている。

そこで思い付いたのがシリコンによる埋め材、結構、上手くいったので隙間風はない。

家の中の仕上がり具合を二人で総点検する。
◯ 素人の失敗は家の隅に集まるようである。
天井・床・壁などすべて隅に隙間が出来ている。

これを隠してくれるのが、石膏製の装飾材。これも、上海で買ったものである。

フローリングの失敗隠しだけは、まだノウハウが見つかっていない。そこは、ごみが
好む処らしく気付きやすいので二人ともすぐに目が行ってしまう。




017 【第七幕】

水周りの仕事は二人で声をかけあって進めた。

「水出して」「水止めて」 この繰り返しであった。温水と冷水の配管および排水
パイプの設置は、トイレ・台所・シャワー・洗面台と続く。作業は元栓を締めたり、
元栓を開けたりと、二人で、忙しい思いを繰り返した。

床下の水道管の施設には、さすがに、二人とも閉口した。

床下の作業であり膝の下には砂利が敷かれているため、膝頭と手の平に砂利が突き
刺さり痛い。うっかり頭を上げようものなら床下にゴツンと頭が当たって痛い。

それでも、しかたなく、手の平と膝頭を支点にして二人で床下を這い回る。しかも、
その日はなんと、テノール歌手のご主人の誕生日であったと云う。

日が暮れたことも知らずに 「映画で見る戦場の戦闘員のような終日」を過ごした。
暗くなった中を、建築の拠点にしている居室に戻り、ようやく誕生日の乾杯をする。

排水用のパイプは、あちこちを這い回る上に、太目のパイプであり、連結部分も多い
ので余計に手間がかかる。うっかり切り方を間違えるとたちまち材料が足りなくなる。
下方から排水パイプを目安だけで上に送り出して行くと、右に行って欲しいパイプが
左に行ったりして、その度に、やり直しとなる。

排水パイプの場合は 「排水する目的地に向けて、傾斜を付けて行く必要がある」が
直進したり、右折したり、また左折したりしている内に、傾斜が逆になってしまって
またやり直しとなる。

これらの仕事は、どれをとっても、なかなかに難しい作業であったが、唯一、救われ
たのは、地球には重力があるために 「排水作業が上手くいったかどうか?」の点検
は実際に排水をしてみれば、結果が、すぐに分かることであった。


018 【第八幕】

憧れの芝生の庭造りには 「2070枚の芝」を張った。芝生は手をかけないと自然
環境にぴったりと合った光景は保てないので、雑草取りなど手間はかかるが、芝生を
手入れしているときの音楽家W氏の姿は輝いて見えたという。

芝生の手入れが終わって、二人で紅茶を楽しむ時間が、音楽家ご夫妻にとっては至福
の時であったという。

その至福のときに・・・

ヨーロッパの友人のお母様が命名して下さった『美音里ホール(Vinely Hall)』の
看板を二人で造って音楽堂に掲げようと云うことになって、街に出たのだと云う。

街の通りで「看板作ります」という案内を見つけた二人は・・・

「家も手造りなら、看板も手作りにしなくては」と云うことになり、二人で看板作り
に励んで「美音里の看板」をアルミ板で作り上げ一番目立つところに取り付けた。
(最後まで手造りに徹したご夫妻でした)。

看板を見上げて、二人でやり遂げたとはいえ、音楽堂の建設の過程では多くの親切な
方々に助けられ電話一つの相談でも親身になって考えてくれた方々への感謝の気持ち
を二人して改めて確認しあい・・・

愛読書「自分で建てる夢のマイホーム」の著者である藤岡等さんにも大感謝であると
して、二人で、芝生の上で紅茶を楽しみながら、愛読書の頁を手繰って二人で微笑み
を重ね、美音里音楽堂(Vinely Hall)からのオペラを終演とした(喝采)



019 野仲音楽教室は週末も盛況

群馬県の山里に在る美音里音楽堂(Vinely Hall)に比べると、野仲さんの音楽教室
は街中に在り、富士見公園の真正面に位置しており、週末など音楽教室に通う子供
たちを送迎する親御さんの方々の車も、音楽教室の駐車場に待機しておりその盛況
ぶりが伝わってくる。

音楽教室の建設当時、入間市営の運動公園でのテニス練習の帰途、脇道を通ることが
あったが、通常の住宅用地の3倍近くの広さの建設現場に、いつも5名程度の職人の
方々が作業されていたので、音楽教室として凝った造作であろうと想像された。

直近では、埼玉県のコロナ対策としてのまん延防止期間は、彩の森入間公園の駐車場
が入場禁止となっていたため、富士見公園の駐車場まで飼い犬を連れて行って彩の森
入間公園まで家内と飼い犬と私と三人連れで歩いていたが、たまたま野仲先生が音楽
教室前の駐車場奥の花壇で、菫に水遣りをされていて挨拶の機会があったが、いつも
通りの変わらぬ柔和な笑顔であった。

そのような日常の中でも、相変わらずのコロナ禍に気配りをしながらの生活が続いて
いたものの、来年に傘寿(80歳)を迎える私には入間市からワクチン接種の優先的
な案内が届き、無事に、副作用もなく二回の接種を完了することが出来た。

同時に、オンライン授業として進めていた「生涯学習を考える」も、15章まで完遂、
最終レポートも次の通りの発信をして無事修了となった。


第15単元のレポート

15回の講義全体を振り返り、生涯学習につい
てあなたが学び、考えたことを800字以内で
述べてください。

【レポート】
☆ヒトとして生まれ人とのかかわりを通じて
人間として成長して行くという社会化の基本
を知りそこに生涯学習の意義があると学んだ。
☆それでは自分が実際に「どの様な人々」に
出会いどの様な影響を受けて育って来たのか
自分自身の「来し方を振り返り」これからの
「行く末」について考えてみることにする。
☆先ず私をヒトとして産んでくれた母親との
かかわりは、私の清濁(善悪)をすべてその
まま受け入れてくれたプラットフォーム的な
姿として、それは大地の様な存在感であった。
☆15歳春の大失敗で失意のどん底にあった
私に「人間万事塞翁が馬」という言葉により
再起動してくれた父親は学問のすすめにある
福沢諭吉の示唆に則り、私を工学系機械科の
道にガイドしてくれて結果、実社会への門出
において、稀有な純国産ジェットエンジンの
設計部門に送り込む段取りを付けてくれた。
☆社会人としての第一歩では当時の土光社長
から、学歴不問・適材適所という指針をいた
だき上司はまとめ役であって偉い人ではない
ので気楽に相談するようにと云われ、素直に
呑み込んで、以来、定年退職まで実証実験的
な人生を送り完遂することが出来た。
☆配属先では設計部長からジェットエンジン
設計の神髄を教わり、生産部門に送り込まれ
てからは本部長に昇格された同部長によって
欧米における管理工学(IE)の人々との間
で約1ケ月間交流の機会をいただき自身創案
のビデオによる管理工学の世界を構築した。
☆その後は芝浦工大の津村教授主宰の社会人
ゼミにも参加、異業種の人々と交流を重ねた。
☆管理職昇進後は放送大学で教授陣との交流
の場で心理・教育学や人間学に学び、人間的
にも成長の機会をいただき実践的に役立てた。
☆これからの「行く末」を考えた時に、学習
意欲に燃える孫たちに、私の生き様を文書化
して、いつでも解読出来る様な環境を整えて、
彼らの生涯学習に少しでも役立つ事が出来れ
ば幸いと考えている。

そして、オンライン授業の終了段階では、講座に対するアンケートが求められて、
私は文末において、自身「ヒトとして生まれて」と題する長編小説への取り組み
を表明、学びを形にすることを約束した。


(続 く)

【連載】万田ワールドへようこそ

【連載】万田ワールドへようこそ

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-07-26

Copyrighted
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