Immortal Ephemerals

霧島

 春風を、気の向くままに浴びていた。
 林床にも日差しが届いて、雪を溶かしていく。
 そうして露わになったばかりの小径を、私は靴が汚れるのも気にせず歩いていた。
 足元には、新しく小さな花たちが顔を出している。名前はよく知らない。白い花、青い花、黄色い花。そんなか弱い花たちは、やがて大きな草木に隠されて、姿を消してしまう。まるで春の妖精だ。年に一度のお祭りに、歓びをあふれさせている。
 共感のあまり、陽気になって歩いていくと、いつの間にか林の反対側まで来ていた。隣の村の風車が見えている。太陽は高く昇り、夢中になっていた時間の長さに気づいた。
 引き返そうとして踵を返す。通ってきた道などわからないので、念のため持ってきた方位磁針を頼りに、なるべく広い道を通って帰ることにした。
 それから、ほんの少し歩いて。私は不意に、開けた草地に出てしまった。林の中で、その辺りだけ木が不自然にまばらで、整列したように立っている。見回すと、そこは木柵に囲まれた広場だった。入口に古びた看板を見つけた。
 墓地。ここには、人の魂が眠っているのだ。そんな場所にも春は訪れ、妖精の宴がそこかしこに見つかった。賑やかで明るいけれど、墓地らしくはないと思う。
 墓荒らしに間違われるのも困るので、引き返そうとも思ったが、どうにも道がわからない。方位磁針は、この墓地を横断する方向に私の村があることを示している。私は今回だけのつもりで、墓地の反対側を目指した。
 隣の村が樹木葬をしていることは知っていたけれど、ここに墓地があったのは知らなかった。外界から何もかもが隔てられたようで、実に静謐な場所だ。私の村や、ほかの多くのところでは、石の墓標を建てる。亡くなった人の魂や、縁者の心の拠り所が末永くそこにあるようにと願いを掛ける。だからこの村の樹木葬は、奇異なものだと思われていた。
 私もそう思う。自然なのか、不自然なのかわからないこの樹木の一本一本は、ひどく頼りなく見える。中には樹齢百年はありそうな大木もあるけれど、さりとていつ枯れてしまうかわからないのだ。
 少し歩くと、出口が見えてきた。それと同時に、私はこの異様な空間の中でも、特に不思議な光景を目にする。
 ある一本の若い木。高さも太さも、最も大きな木の半分くらいしかないその木の周囲だけ、草花が一本残らず抜き取られている。抜き取られた草花は、その木の傍らに堆積され、それ自体も塚のようになっている。
 土のむき出しになった範囲は、木を中心とした扇形に広がり、半径は五歩ほどにもなる。明らかな人為だった。しかも掘り返したような跡ではなく、やはり生えていたものを手で抜き取ったのだと確信する。
「そこにいるのは誰!」
 見つかった。いきなりの大きな声に、全身が硬直する。恐る恐る振り返ると、十歳くらいの少女が一人いる。煤を被ったような麻の服に、質素な花籠。幸運なことに、普通の村娘だ。敵意を持って睨みつけてくる彼女を、私はなんとか説得しようと決める。
「ごめんなさい。私は隣の村のアリア。この林を散歩していたら、ここに迷い込んでしまっただけなの。ここはあなたの家のお墓? 勝手に近づいて、本当にごめんなさい」
「……本当に、何もしてない?」
 彼女は花籠を地面に置いて、その若い木の周囲を点検した。やはり彼女の家の人が眠っているようだ。彼女は特に、草花の抜かれた部分を念入りに見ている。
「どうして、お父さんのお墓を見てたの」
 さすがに謝ったくらいで、信じてもらえはしなかった。私は彼女の花籠の青い花を見ながら、言い訳の言葉を探す。
「ここは、とてもお花が多くて、綺麗なところだけど……そこだけ、草花が抜き取られていたのが気になったの。もしかして、あなたがやったの?」
「そうよ。あたしが好きな花を植えるの。お父さんと、ずっと近くにいるために」
 それで、私のほうは納得がいった。そこは彼女だけの花壇になるのだ。私たちも、墓前には美しい花を手向ける。彼女が持ってきた花は、そこに植えられる苗……と思っていたら、少し違った。
「この花……作り物?」
 布の花弁と葉が、針金のような茎に括り付けられている。遠目に見れば、そこらの花と見紛うほどの巧みな造花だった。しっかりと、地面に植えるための「根」も作られている。
「触らないで! もういいでしょ。用がないなら帰ってよ」
 興味から、ついまじまじと見すぎて、また怒られてしまった。彼女はいよいよ、私を手で追い払おうとする。これ以上気分を害せば、村の人を呼ばれてしまうかもしれない。私はもはや、逃げ帰るしかなかった。
 それにしても、私は彼女のことが気になって仕方がなかった。最後に見たのは、彼女の小さな手だ。両手ともに土で汚れ、赤い傷がたくさんあった。それでも、父親のために花壇を造ろうとしている。何が彼女をそこまでさせるのか。
 これきりにしたくはなかった。彼女の姿は思い出すほど儚げに感じられて、まるでこの春の花のようだったから。

 私の村にも新しい墓地ができた。小さい頃お世話になった近所のお兄さんたちが入るのだという。私はまだ、大人ではない。でも、それがどういう意味なのかはわかっている。
 私も父を早くに喪っていた。それはただ、この林での事故だったと聞かされている。それ以上言うことがなかったのだろう。父の死には、誰もが冷淡だった。
 彼女と会ってから、少し考えたことがある。私はどちらの墓地で眠りたいだろう? 形だけでも、一族と同じ村の墓地に入るのか。それとも、この林の木の下で眠るのか。あれだけ違和感を持っていた樹木葬に、興味を持ち始めている自分がおかしかった。
 この間と同じくらいの時間帯。彼女が花壇の前に跪いているのが見えた。草花を抜いて、花壇を拡げようとしているのだ。
「ねえ……あなたの花壇、見せてくれないかな。お願い」
 声を掛けると、彼女はすぐに振り向き、目を見開いた。
「また来たの」
「あなたの花壇に、花が咲いているところを見たくて」
「……じゃあ、手伝って」
 手伝うと言えば、彼女も心を許してくれるのではないかと思っていた。だから、私も今日は畑仕事をするような格好で来た。彼女の隣にしゃがんで、草を抜き始める。
「私はアリア。あなたの名前は?」
「フィーナ」
 彼女は私が問いかけても、手を止めなかった。そこに生えているものなら、草も花も無差別に抜いていく。ひょろひょろの新芽も、頑丈なロゼットも、器用に根から抜き取ってしまう。そこに感情は感じられなかった。
「花も、抜いてしまうの?」
「当たり前よ。そんなもの、夏になったら枯れてしまうのに」
 咲いている花の群落を壊すのは、私だったら心が痛む。そうまでして、彼女はここを造花で埋め尽くしたいらしい。
「……できないなら、あたしがやる」
 結局、私はほとんど躊躇しているばかりだった。花壇はまた少し広がり、抜き取られた草花の塚は少し高くなった。そして、同じ青の造花が植えられた。
「綺麗でしょ? この花は、ずっと枯れない。ここで生き続けるの」
 確かに綺麗だと思った。花びらの青は、自然の花に近い鮮やかな発色だった。しかし彼女は、自分で植えた花を眺めて何故か、悔しそうに唇を噛んでいた。花壇が広がったことを喜ぶ様子は少しもなかった。
「どうして、作り物の花を植えてるの?」
 それは単なる興味だったけれど、軽薄な質問をしてしまったと思う。彼女は怒鳴った。
「枯れない花がないからよ! 花は枯れてしまうし、人は死んでしまう……だから……こんなもの!」
 怒りのままに、彼女は草花の塚を蹴り飛ばした。咲いていた花、開きかけの蕾、それらを支えていた茎や葉……さっきまで春を謳歌していた妖精たちの遺骸が辺りに散らばる。
 そのときまで、私は気付かなかった。抜き取った花を積み上げるとき、どこか許されたような気分になっていたことに。植えられた造花の美しさが、これほどの業の上に成り立っていたことに。
 青い造花は墓標だった。ひとしきり暴れた彼女は、崩された塚の上でじっと立ち尽くしていた。その後のことは、よく知らない。

 短い春も終わりに近づき、畑仕事の季節になった。働き手の少なくなった村では普段以上の労働を強いられ、気晴らしに林へ行くような暇もない。最初こそ彼女のことは気になったけれど、自分が生きるための労働の中で、次第に存在感を失っていった。
 貧しさから逃れようと、村を離れる人たちもいた。中には先祖代々の墓を置き去りにした家族もいただろう。私なら、そこで思いとどまってもおかしくないと思う。生前の父の記憶は多くないけれど、やはり、愛着はあったから。
 皮肉にも、石の墓標はそう簡単に壊れたり、なくなったりするものではない。家族が村を離れても、半ば永久にそこにある。掃除をしたり、花を手向けたりする人がいなくなっても、ずっと。
 畑仕事が落ち着く頃には、雨がちな夏が近づいていた。私は久しぶりに、一日の休みを得て、朝から林に入ることに決めていた。
 林は絶え間ない雨音に包まれている。私はその中を歩くのも好きだ。しばらく見ない間に木々はたくさんの葉を茂らせ、その大きな林冠の下では雨がよく遮られた。私でも、あまり全身が濡れるのは好きではない。
 だから私は、いつの間にか行きついてしまったその広場の前で立ち止まった。隣の村の墓地だ。来てしまったからには、彼女のことも思い出される。あの造花はどうなったのだろう。花壇はまた広がったのか。考えながら、私は再び歩を進めていた。
 彼女は今日もまた、そこにいた。雨に濡れるのも構わず造花を植えていた。しかし、彼女の衣服は前よりも汚れ、穴もそのままで、露出した腕にも傷が増えていた。
「……フィーナ。久しぶり」
 まずは冷静に声を掛ける。反応はない。
「フィーナ」
 少し近づいて、大きな声で呼びかけた。すると、彼女は肩を震わせ、ようやく振り向いた。その顔から、明らかに痩せた印象を受けた。痩せたのは、私も同じかもしれない。
「……」
 しばらくの間。彼女の表情は、無で塗り固めたようなものだった。再会を喜ぶでも、私が長く来なかったことを怒るでも、悲しむでもない。そこで私は、彼女の手に握られた造花が、以前よりも随分と小さくなったことに気付いた。花壇も少し広がってはいるけれど、最初に植えられた中央から離れるにつれて、徐々にまばらに、小さな花が植えられるだけになってしまっている。
 彼女はもう、このまま花を植え続けることはできない。限界だ。
「ねえ、もうやめようよ。このままだと、あなたの体がもたない」
「いいの!」
 そう言った途端、彼女は目を見開いて反射的に叫んだ。そして間もなく、大きく咳き込んだ。
「……時間がないの。だから。ずっと、お父さんと、いる」
 とても強い執念だと思った。これほど弱っているのに、気力だけで動いている。
「この花は、あたしだから。あたしだから、ずっと、枯れないの」
「どうして、そこまで」
 私の言葉はどこまで届いたのか。彼女は手を止めなかった。
「枯れない花になって、ずっと……」
 そのとき、乱暴な足音が聞こえた。隣の村の側から、二人の猟師風の男が向かってくる。
「いたぞ!」
 一瞬のことだった。二人の男は私を突き飛ばし、彼女を抱え上げてそのまま連れ去ってしまった。私たちには、抵抗の余地も与えられなかった。
 残された花籠には、頼りない造花が一輪入っていた。私はそれを、なんとなく持ち帰ることにした。もしかしたら返す機会があるかもしれない。叶わない期待なら、したくなかったけれど。

 彼女がどこへ連れ去られたのか、その後どうなったのか、私の乏しい知識や想像力では、少しもわからない。そして、私にもそこまで他人の心配をしている暇はなかった。厳しい生活の中で、明日のことをも考える余裕はなかった。
 持ち帰った造花も、疲れ切った心を癒すためにはあまりに頼りない。あの穏やかだった春はもう、全てが夢だったかのようだ。私も彼女のように花壇を造ったら、あの春を永遠にとどめておくことができたのだろうか?
 永遠……そんなもの、手に負えるはずもないのに。
 夏も半ばに近づいた頃、ひどい嵐が村を襲った。二年に一回くらいは、こんな嵐がある。川が溢れ、木が倒れ、畑も荒れたりするけれど、そうしたら私たちは、復旧作業をするだけだ。そうしてずっと、生きていくのだ。
 ただ、そんな嵐の夜に、私は一つの心配事を持ってしまった。それは、彼女の花壇のこと。根を張るように埋めてはいたけれど、この激しい風雨の前で、耐えられるとは思わなかった。まして、後に植えた小さな花など、すぐに根こそぎ吹き飛ばされてしまう。
 次の日も風が強く吹いていたけれど、雨は止んでいた。作業はまだできないと聞いて、私は飛び出さずにいられなかった。彼女の花籠を持って、すっかり憶えてしまった道を走る。
 せめて、私は見届けてあげたい。彼女の願った永遠が、果たされるのかどうか。
 久しぶりに持った希望だった。しかしそこにあったのは、これまでで一番の無残な光景だった。
 積まれていた花と吹き飛ばされた造花が、一緒くたに辺りに散乱していた。造花はことごとく分解されていて、花壇のあったところには、針金が薄気味悪く生えているだけだった。
 ひとまず、私は拾える限りの針金を回収した。形を一部とどめた造花を何本か見つけたけれど、もはやここには植えていけないと思った。
 すっかり裸になった花壇の跡を見て、私は涙を流した。それがどれだけ罪深いものであったとしても、なくなってしまうことは、悲しいのだ。でも、私は春が過ぎると見られなくなる花に対して、こんな感情を持ったことはなかった。
 こんな光景を彼女が見たら、もっと悲しむだろう。私はせめてもの罪滅ぼしに、その場で目を閉じて、なけなしの祈りを捧げた。
 フィーナ。あなたが願った永遠は、果たされるものではなかった。申し訳ないけれど、私は最初から、いつかはこんな結末を迎えると思っていた。でも、残念に思っていないわけではない。
 この花を、あなたは自分自身だと言った。この花として、ずっとここにいたいという願いを、私は聞いていた。だから、私は無理だとわかっていても、一緒に永遠を願いたいと思った。そうして、生きる希望を持っていたいと思った。
 だから、私はまだ諦めない。今度は、私が……。


 それから五年のうちに、世の中は少し明るくなった。村には子供が増えて、私は畑を管理する大人になった。生活は劇的に変わったわけではないけれど、村で暮らしていられることが幸せだった。
 林には相変わらず通っているけれど、あれから隣の村の墓地には近づいていなかった。そもそも、完全なよそ者である私が、無暗に立ち入って良い場所ではない。
 それでも今日、私は五年ぶりにその場所を訪れた。彼女の花籠に、自分で育てた花の苗を持って。私のは、本物の生きた花だ。
 こんなことを思い立ったのは、最後の嵐の日に見た、何もない花壇が忘れられなかったからだ。彼女の方法は上手くいかなかったけれど、その強い思いだけは、決して無下にはできなかった。だから私はこの青い花を、その場所に植えてあげようと思ったのだ。
 しかし、その花壇だった場所には、既に妖精の宴が盛大に開かれていたのだ。私たちが根こそぎ全てを抜き取ったことなど、まるでなかったかのように。
 近づいて見ても、紛れもなく本物の花だった。きっと、あの年の花は抜いてしまったけれど、土の中には種がまだ残っていたのだろう。
 せっかくなので、私はなるべくその花に囲まれた場所に、苗を植えることにした。
 フィーナ。いつかあなたが戻ってくるときのために、私は花を植えようと思う。この花も、夏には枯れてしまうけれど、毎年ここに植えようと思う。
 永遠に枯れない花はないけれど、春は何度でも来る。儚い春も、生きている限りは何度でも楽しめる。きっとそれが自然な在り方で、私はそれが好きだけれど、あなたはどう思う?
 フィーナ。あなたに気に入ってもらうために、私も頑張ってこの花を育てた。あなたの作った造花の青に負けないほど鮮やかな青い花が、もうすぐ咲くと思う。
 その花の名は、「永遠の春」。

Immortal Ephemerals

Immortal Ephemerals

枯れない花を植える少女と出会った、儚い春の記憶。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-07-09

Copyrighted
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