大きな流れは変えられない世界だけれど、それでも変えられることはあるのではないのでしょうか。皆さんでしたら、止められない流れをどのように解釈するでしょうか?
こんなことを考えても、どうしようもないのは分かっているのに止められない。誰も考えなさそうなことを考え続けているのが、その人がその人であるためではないか、と思います。 【追記】自由詩をまとめるためにタイトルを変えました(5/7)
人間の父母にそだれられた鶏デミーは、二階の屋根よりも高いアカシアの木を飛び越えさせようとの父の夢を実現すべく飛翔の鍛錬を心がけるようになる。人の思いは鳥にも通じるのかも知れない。 スズメ一家との交流の中でデミーはたくましく成長してゆく。両親の深い愛情とスズメの美奈の声援を受けて大空に向かって飛んでゆくのだ。人も鳥も自分に関心を寄せてくれる存在が幸せにしてくれる。
(私には微妙に合わなかった)PS2版『ドラゴンクエスト8』をプレイしていたころの個人的な経験を振り返ってみました。
大人の女性になった自分を姿見に映したときに、あふれた思いを詩にしました。大人になんてなりたくなかった、子どもの私から大人の私へ。そして最後は大人の私の思い。
人を怒らせたり、倫理に違反することいったりして 知り合いを他人にする実験1 愛を否定して相手がユーモアで返すか実験 人間に挑んだ冒険活劇 いや、散文