熱帯夜。エアコンも明かりもつけずに暗い部屋に横になっていると、ベランダにある訪問者が現れる。 モリ君と名乗る、巨大なコウモリだった。なんとも礼儀正しく腰がやわらかいモリ君は、横になってるりょう君を夜の飛行に誘う。 ぎらぎらした繁華街の明かり。夜に生きるようになっているコウモリ君にとって、昼のようなネオンの明かりはつらいということ。 りょう君は森に行くことを提案したが、モリ君はその森から来ていた。かつての森と違い荒れ果てた森は、食料もなくただの闇へと化していた。だからやむなく街に降りてきたのだと。しかし、それらを一切責めず自分たちの判断だというモリ君。 そして、自分たちが昼の明るさが怖いのは、暗さばかりをみているからだと。その逆も当てはまり、明るさ・暗さどっちかばかりを求める者にとって、その反対のものには恐怖を覚えると。だからたまには逆さになるといいと伝えて去っていく。
明るさが君を傷つけたとして、僕はそれを恨むだろうか。暗さが君を引っこ抜いたとして恨むだろうか。 なんで隣にいて、何もできなかったか後悔するのだろうか。恨みもするし、後悔もする。 しかしその起伏を起こさせる物事は、常に規則正しく世界を回っている。 メビウスの輪のような世界に、いつの間にか誘われ入り込んでしまっている。 僕は、色んな葛藤をしていく。陰陽は常に、悠然とただ回っている。 見るたびに僕は思い起こすことになるけれど、いつか忘れて見ることという行動だけが、残る。 そしてなんて綺麗なんだと思うだろう。その両極があってこその世界なんだ。 そしてまた同じことを繰り返していく。それもまた綺麗なことだ。
思いもかけないで半身不随になった若い啓子と、「認知症」と陰でささやかれる横溝老人と、西域シルクロードへ二人旅行を。夢はふくらむ ...... 〔完結〕 有女同車 の標題で掲載中のサイトあり
かつてこの世は妖魔が支配していて、人間はその奴隷だった。 優は謎の石板で呼び出した妖魔りりりとともに、魔界に封印された妖魔たちを復活させるために「妖魔ヶ穴」へと向かう。 自殺志願者であり、この世を憎む優はりりりとの契約で、妖魔が復活したあかつきには人間をこの世から滅亡させ、自分も殺して欲しいと頼む。 果たして彼らの目的は果たせるか? ※この作品は「小説家になろう」さんにも重複投稿しています
支配者は壁をつくりガラスで覆っていく。しかしそれは台風の風や雨には通用しない。 ひっかかること。それが、この世界をぐらりと揺らすことになる。 支配者は奴隷や使用人に命令し、飼いならしている気でいる。 しかし、現場を知らない支配者は、逆に支配されている。自分の意志というものの所存に関係してくる。 いくら、スマートにふるまっていても、台風がくればそれは一瞬に砕け散る。 常に自分以外の外部の者が下した中にいる。その既存の中で生きる我々は、自分の人生を歩むには、無意味の意味を提示することが不可欠になる。 しかしそれも含め台風のなかの目的というものに縛られていても、それは目的の奴隷のままだ。 だから、偶然の足で踊ることが、自分の意志で決定を下すことだ。言葉はただ重たい者のためにある。重たい者が扱うの
ゴキブリは自分たちの歴史を振り返る。 そして、新たな住処で起こっている、異様さについて、語る。 それは自分たちは常に訳も分からぬまま悪で、迫害を受けていると。 しかし、迫害を受けている自分たちよりも、加えている人のようが、窮地に立たされているように感じている。 ゴキブリの想いをつらつらと語る噺。
ひと夏の蝉のセリフ。 蝉からみた、猫やゴキブリを通して見える、人の接し方の絶望的な差。 同じ命というけれど、という、蝉の声にのせて。 陽気に、皮肉にうたいましょう。
アメリカルート66を旅するために集まった主人公と友人達がおくるドタバタ劇。 ミステリー要素も若干入ってますが基本コメディです。読んで笑ってください。
1982年、今から三十三年前の11月26日。 前代未聞といってよい事件を起こした天才青年 Raymond Kobayashi。 婚約者の一生を棒にふらす怪我を負わせながら、被害者方に好奇の目が注がれる事態を憂慮した警視庁が介入を見合わせたため、報道されなかったのみならず、Kobayashiは傷害の罪さえ免れた。 犯行に至るまでの異常な心理を記した、彼の遺書を見る。
真夏。 涼しさを求めていろんな方法が探される。その一つにホラーがある。 それをお話しすることで、納涼になれば幸いです。 そう語り口が進みます。 その合間に、”僕”の体験談がとぎれとぎれにはさんで進んでいきます。 よく出るというホテルへ、友人は周りの鼻を折ってやろうと出向いてしまったのです。 阻止するために”僕”は階段を走り、そのホテルの部屋へと向かいます。そして向かった浴室にで、”僕”は体験してしまいます。 ホラーという求心力を人は覗いてしまうのです。
森の中に善人が一人いました。その時は、周りの草木や小動物などとも話せていました。 新月と満月のとき、善人は胸の内になにかもやもやを感じていました。 しかし善人は森の中で、同じ姿のものに出合い、どんどんと出会い、集落をつくります。そこに住んでいた生き物たちはびっくりしました。そうしてより良い生活のためにいろんなことをしていきます。塀をつくったり、もやもやが気にならなくなったことで夜遅くまで活動できるようになったりと。 ある善人がまた森で人に出合い自分たちの集落に誘ったが、断られたと騒ぎます。その人は森が作り出した「キジン」だと叫ばれるようになりました。 そして、食べ物の分け前で、トラブルが起き「悪人」がでました。 集落にいたある者―「キジン」は、一連の出来事を書いて集落を去ります。それはのちに文献になるものです。
久々の休日を一人でショッピングをして楽しんでいた彼女。 人ごみに交じり、昔の彼氏の姿を見かける。それはありえないことだった。遠い昔にすでになくなっているのだから。 しかしそのはっきりした、彼の後姿から視線を外すことができずに、追いかけてしまう。付き合っていた頃に、よく二人で歩いた道であることで、彼女はどんどんついていく。 そして、小道に入ったそこで、見かけない駐車場へとたどり着く。そこに彼の姿は見当たらない。そして、彼女は怖くなり逃げ出す。 この出来事を聞いた後、彼女の行方はわからなくなってしまった。
児童の閲覧は、お勧めできません。 この作品には、人の心に潜む影の部分が描写されています。 1枚のコインに、表裏があるように、この作品が蔭となり、他の作品は光となります。光あるところに、必ず影ができます。 強い言語、思想、描写、が含まれています。これらのことをご理解の上、ご覧ください。 【陽、極まれば蔭となり、蔭、極まれば陽となる】 この世の理(ことわり)を現す言葉です。
海を臨めるはずが、窓の向こうは五月雨に煙ってしまっていた。 ベッドに横たわる女の傍らに、その少年は腰かけていた。 私の今回の依頼は、彼を捜すことだった――