狂 気 前 夜

狂 気 前 夜

Raymond Kobayashi 作

まえがき

下の本文に掲げるのが、小林伶門(1960?1961? ~ 1982・12・19)の遺書です。Raymond Kobayashiとも書き、フランス人を母親に持つ混血児でした。

遺書は、叔父であった小林信[まこと]牧師にあてた長大な書翰の形をとっています。原文はタイプライタで打った英文です。ゆえあって、2006年にわたくし天野が翻訳するような事になりましたが、伶門の作るセンテンスは論理的で緻密、全体的に長くて難解、所々意味不通でさえあります。

元来は婚約者兼被害者女性の手がきノートと合冊して出されたものを、ここでは独立した読み物として扱います。さてネット掲載するのに、どんな標題をつけたらよいか、悩みましたすえに、『狂気前夜』としました。むろんこれは、故人の与り知るべくもないところです。



平成27年8月24日
天野なほみ






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本 文

本 文

訳者注:カッコ[ ]は翻訳する際につけたルビ。 [ひっきょう]畢竟 、 [そけいぶ]鼠蹊部 の如く、語の前に置くものとする。





1982年11月24日

親愛なる叔父さんへ


   この予期せぬ手紙は貴方を少なからず驚かす事と想像します。僕がそう云うのは、僕がこれを外国語で書いているからでは無く、僕がこの中に書こうとしている事柄に因ってです。
   何度か英語で語り合った事があるとは云え、普段、我々のコミュニケーションの媒体は日本語だったのですから、僕から貴方への最初にして最後の手紙は、仮名で書かれるのが、或いは自然かもしれません。しかし、僕が今掘り起こそうとしている、僕の心の内奥に秘められた、マグマの様にドロドロとして僕自身にも明確には定義も理解もできない何物かに、言語的な輪郭を与え且つそれを貴方に伝える手段として、仮名を用いる事は、僕の能力を越えます。僕は幼時より、自分の内側にある思想を、いつもフランス語か英語かであらわして来ました。日本語は僕の言語ではありません。僕がここに書こうとしている事柄も、僕の最も内側にある思想です:定義不能・理解不能であっても。
   僕がしようとしている行為 ─ 貴方がこの手紙を受け取る時分には僕がし終えているであろう行為 ─ それを見て、貴方は考えるかも知れません:僕が背教者の身に転落した結果であると。僕に洗礼を授けた貴方がその様に考えるのは如何にも当然です。しかし、それは真実ではありません。そもそも僕は、未だ嘗て本当の信者だった事が無いのです。
   僕が信仰を表明したのは希望からで無く絶望からでした。貴方はそれを知っていたと思います。貴方は知っていました:僕が心理学、言語学、人類学、哲学との我慢比べに破れ、帰国した事を。〈訳者注。伶門は1981年1月、大学三年生の時、中退して帰国した〉僕が自分自身に絶望していた事を貴方は知っていたと思います。
   僕がティーンエージャーの頃より知性の錬磨に主力を傾注し、そうすることで心の安らぎを求め、理性を極めれば人生を極められると信じていた事は、貴方に告白しました。僕にとって、理性の中心にあるものは科学でした。科学を話す為の言語が数学でした。そして数学こそは、自己完結した究極のもの、人類が手に入れた純粋で完璧な美だと信じました。それ自体は宇宙の仕組みに就いて何も語りませんけれども、科学と手を結べば、数学ほど雄弁に、明晰に、宇宙を語る言葉は無い。しかも、数学それ自体が美の中の美、美術は[もと]素より、音楽よりも美しい美、いえ、芸術など比較にならないほど美しい美、決して自家撞着する事のない完全な美の体系だと信じて、十三歳よりその虜になりました。実に、数学こそが僕の初恋、僕の神様でした。僕の第一の絶望は、十六の時にやって来ました。即ち、僕の恋を数学的に立証する事は己の影を追う類、バケツの中に立って己を持ち上げる類の夢物語だとの証拠を、自分の目で見た時。それは取りも直さず、人間の理性そのものが不完全である事を意味しました。仮に僕がどんな偉大な頭脳を獲得しようとも、理性そのものが不良品ではどうしようもありません。理性が間違いなく理性的だと云う事すら、それを理性のみを以て立証する事は不可能なのでした。それは立証できるのでした。皮肉にも、理性は自身の不完全さは立証したのです。彼女は拳銃を自身の頭に突き付けており、いつ引き金を引かない限りでもない。僕は引かないと信じはする。引かない保証は無い。僕の初恋は、そう云う気まぐれな自殺志願者なのでした。直観的に心配していた事が、厳密に示されていたのです。僕の落胆を想像して下さい。僕は完全主義者です。多分、僕は理性を通して完全に近付こうとしていたのだと思います。明らかに、全ての真理を知ることは出来ません;三年生だってそんな事は企てません。しかし、少なくとも、頭脳を研ぎ澄ませば、自家撞着しない知性を手に入れる事は可能だと信じていました。神様は、僕のささやかな望みを、僕が生まれる以前に既に打ち砕いていたのです。僕がどんなに努力しようと、自家撞着しない保証は無い。僕は知性の錬磨から、知識の集積に重点をずらしました。出来るだけ沢山知りたかった。第二の絶望は直ぐ後に続きました。完璧でない知識 ─ ついでに云わせてください:その頃の僕に取って、完璧でないものは、ガラクタよりかほんのちょっとだけ増しだったと ─ それを満足に知るのにさえ、僕の能力では三百年間生きなければならないと悟った。それからと云うもの、僕は人生に絶望し続けているのです。貴方に告白したのは、実はそう云う絶望でした。
   今の僕を見て他人が思うかも知れないような怠け者では、僕は決してありません。僕は他人の何倍も(恐らく五倍も六倍も)頭脳労働をして来ました。先生たちは僕が授業中に勝手な本を読む事を許してくれました。第八学年の終わり〈訳者注。中学二年生、伶門十三才〉までにはファインマン教授の『物理学の講義』、シェークスピア集、『論語』、『古事記』などを読み終えていました。これを自慢して云うのでない事を、貴方は知っています。この程度の事で満足が得られたのなら、僕はどんなに幸福でしたろう。小さな達成感のようなものは直ぐに失せてしまうので、読んだ本をどんなに積み上げても得意になれませんでした。むしろ、それを読むのに払った努力を思う時、中国の古典などと言われる物は、腹の立つくらい馬鹿らしい代物でした。
   僕は不幸せでした。いつも心の安らぎを求めて、いつも得体の知れない何かを求めて焦っていました。人を完全に満足させるもの、其の万古不易なる巌の上に彼の精神をどっかと据え、其の見事な美しさをただ賛美する事が即ち涅槃、そう云うものを求めていました。しかも、それを発見する前に人生が終わってしまうかも知れない!僕は人生の基盤を求めていて、そしてそれを見つける前に肝心の人生が終わってしまう。何と笑止な事でしょう。僕の不安の程を理解して貰えると思います。
   僕は四つでした。この上もなく確かで変わらないものを見つけて、それを所有する願いが心に芽生えたのです。言うまでもなく、四つの歳で、自分の願望をこう云いおおせたのではありません。ある日、父が六色の別々のインクの出るペンを呉れました。僕はそれに夢中になり、他の沢山の単色ペンとの書き較べに満足した後、僕の複数色のペンを父に向かって高々と持ち上げ、これが完璧なボールペンかと尋ねたのです。同じ年のクリスマス、彼はレコード・プレーヤーと何枚かのレコードを買って呉れました。以後十日ばかり、昼も夜もそれらをいじくり回して、とうとう僕を魅了した機械を壊してしまいました。僕が突然音楽への情熱を燃やし始めた訳ではありません。このレコード・プレーヤーをして、一台のレコード・プレーヤーたらしめているものが何であるのか、それを知りたい欲求に突き動かされていたのです。エジソンの好奇心を以てではなく。父が与えて呉れた物が最良のレコード・プレーヤーでない事を僕は知っていました。豪華なステレオ・セットが彼の書斎に鎮座ましましました。特別な折、彼が上機嫌の時、僕の大好きな『イタリア奇想曲』とか『合唱幻想曲』とかを掛けて呉れたものでした。従って自分のよりも優れたレコード・プレーヤーが少なくとも一台は存在する事を知っていました。僕はその差が何に因るのか知らなければなりません。自分のレコード・プレーヤーをひっくり返して、底がどうなっているか見ました。揺らして、中に何が入っているのか、カタカタいう音で当てようとしました。回転盤に指を載せて止めました;針を指で撫でた時に出る音にびっくりしました。しまいにはネジ回しを手にしていました。そして心に誓いました:いつか父の書斎にあるようなレコード・プレーヤーを、いや、もしそれよりも優れたやつがあるのなら、その理想的なやつを所有しようと。
   僕は第二学年にいました。担任の先生の名前を覚えているので確かです。彼の名前はブラザー・バールドでした。〈訳者注。伶門が通ったセント・ジョセフ・カレッジの授業は、多くブラザーと称する[いるまん]修道士、或いはファーザーと呼ばれる神父が行った。第二学年とは小学校のそれ〉ある日、授業中に戦争の話をしていました。僕は手を挙げてブラザー・バールドに聞きました:理想的な爆撃機は何か知っていますかと。彼は何時もの人の好さそうな笑顔の上に位置する眉を寄せて“理想的な爆撃機!それは上等な単語ですよ、‘理想的。’高等学校の単語です。良く出来ました!”と云って皆の前で褒めて呉れました。彼は質問を理解していませんでした。“先生、僕は理想的な爆撃機が何であるか云えます。それはB29です。それは最も爆弾を落とすのに適している飛行機だからです。でも、それは理想的な飛行機ではありません、なぜなら飛行機の最も飛行機らしい機能は爆弾を落とす事で無くて、人間を高速で空中輸送することだからです。でも爆撃機と云う特殊な飛行機の中ではB29が理想的です。僕は理想的な飛行機だって知っています!”僕はブラザー・バールドの驚きの表情をまだ覚えています。僕はその少し前に自動車に興味を持ったので、それに就いて読める物は手当たり次第に読みました。そこから交通手段一般に興味が広がりました。自動車からトラック、バス、オートバイに移り、そして忽ちそこから船、飛行機、ロケットへと拡大していきました。僕は何時も本や百科事典ばかり読んでいるので、自分が他の男の子たちと非常に違っていると知っていました。彼らを愚か者と決め付けていました。ブラザー・バールドなら僕を分かって呉れるかどうか、彼を試している積もりだったのです。僕のこの理想的なものへの憧れは、僕自身が判断しうる限り、外より植え付けられたので無く、生まれながらにして持っていたものです。そうして、云いました通り、四才の頃には、日常生活で目にする品々を[ふるい]篩に掛けていました。
   僕は十四才でした、そして第九学年にいました。もはや色ペンとレコード・プレーヤーと飛行機は僕の興味の対象である事を止め、複雑な分析の本が、それらに取って代わっていました。他の九年生達の多くは、僕と大変違った興味を持っていました。彼らの頭脳は異性の複雑さを分析するのに忙し過ぎて、数字などを分析していられませんでした。ジャンは分析家の中で最も物言いがはっきりしていました。
   それは五月の、軽井沢への修学旅行での事でした。ジャンは、素晴らしい雑誌を何冊か手に入れたから、それらを楽しみたい者は彼の部屋へ来いと誘いに来ました。僕のルームメートも分析家だったのです。“レーモン、何でお前は来ないんだ?お前も気持ち良くなりたくないのか?”とジャンは云いました。“放っておいてくれ、”と僕は云いました、“僕はなりたくない。” “偽善者め。一人で自分の寝室にいる時、気持ち良くなっていないなんて云うなよ、”とジャン。“お前の好きなように思え。僕はならないんだ、”と僕。僕は嘘を云っていませんでした。勿論、彼らがどのようにして気持ち良くなっているのかは、百も承知でした。
   なぜなら僕は習慣的な自慰者だったから。それでいて僕はジャンに嘘をついていませんでした。僕が自慰する時、気持ち良くありませんでした。それは痛かった。僕はそれをしたくなかった。しかし、その要求は圧倒的でした。苦痛にも関わらず、それをしなければなりませんでした。さもなければ、僕は思考する事が出来ませんでした。思考出来ない事は、僕には死を意味しました。
   八センテンス前に云った事を修正させてください:僕は完全には嘘をついていませんでした。言い換えれば、部分的には嘘をついていたのです。ジャンは外に聞いた事がありました;それに対して僕は嘘を云った;“お前は自慰しないのか、レーモン?”
   しかし、僕の嘘は嘘では無かった。僕の自慰が彼らのそれとは違うと云う意味に於いて。僕の生物の教科書にオルガズムと自慰に関するこう云う記述がありました;僕は一字一句覚えています。まずはオルガズム。それを定義してこう云ってありました;“男性の場合、その直後に精液の放出を伴う快い感覚。”次に自慰;“思春期に達した男の子は、自慰と呼称される活動に従事する事が、一般的に知られている。オルガズムを得る目的で人が自身の性器を操作するこの行為は、成人期に入りつつある男の子(と女の子)にとって正常であり、節度を以て行われれば健康に有害では無い。”これを見れば、僕の行為は正常で無かった。或いはもしかしてそれは自慰では無かった。僕はそうで無いと決めました。
   ジャンに並ぶ自慰の熱心な奨励者はテリーでした。彼は自慰が“サイコウに気持ち良い”と云う見解を持っていました。彼は得意な数学を使って自慰の過程を分析しました。それはこのような事でした。まずは、裸の女性(綺麗な顔をした方がより合目的的)の写真が沢山載っている雑誌を開いて、ページを捲ってゆけばゆくだけ(然るべき映画を観ても同じ効果をもたらすが)下着がきつく感じられて来る。其れの与える圧迫感が気になり出した其の布切れを、おもむろに取り外す。指、或いは掌、或いは両方(場合に因ってはkで始まる日本の食材、その他あらゆる口にすべからざる物)を用いて、体 ─ まあ、単純さの為にであるが、まあ、圧縮不可で完璧にリジッドな体 ─ その表面上の全ての点に、時間の機能として狂暴に変動する圧力を加える:例の布切れにでは無く、勿論。待つこと凡そ300秒。“気持ち良さ”はこの300秒間、時間に対して急激な曲線として示される。(ベースは1に非常に近いと考えられる、でなければ・・・。)300秒に最大があり、そこで機能は途切れている。そこに大きなジャンプがある。300から凡そ330秒(個人差はプラス・マイナス15秒ほどあると云う)の間で、曲線は線型に0に到達する、つまり急降下するのだが、凡そ10の箇所に於いて途切れたジャンプがある。(ジャンプの個数にも、上の15秒に対応する個人差が予想される。)そして、甚だしいパラドックスではあるが、最大の起こる300秒でよりも、他の途切れでこそ一般には楽しむ。(これの説明として、“気持ち良さ機能”の最大は実は300秒には無くて、他の途切れの内の一つにあり、しかも、それら10箇所の内の複数に於いて、300秒での値を凌ぐ、こんな事が考えられるであろう。)
   “全くの話、急激に気持ち良くなるんだ!”とテリー。それが彼らの云う自慰でした。それが彼らの射精でした。ジャンは嘲笑するように僕に尋ねたものでした、“綺麗な女を見たらお前はhardにならないのか?雙葉の********・***** 、彼女をget laidしたくないのか?”
   僕は彼女を*** ****したくなかった。綺麗な女を見て僕は****になりませんでした。自ら汚す時は雑誌を見ませんでした。射精の衝動を起こす為に雑誌が必要だったのなら、僕はどんなに幸せだったでしょう!人生は平穏だったに違いありません。今でも僕にとってそうであるように、射精衝動は雑誌を[めく]捲るページ数とは無関係だったのです。むしろ、『孟子』を捲るページ数と相関していた。ある夕方、漢字ばかりが縦列を作すその本の意味がなかなか分からず、辞書を引き引き苛立たしい思いで読み続けていた時、我知らずズボンの上から性器をいじっていました。若し読むのをふと中断してその事で何かを思ったとしたなら、そんな汚い物に触れていた事にただ嫌悪感を催しただけで、それ以上の事は何も無かったでしょう。何か考え事をしている最中に我知らず指で鼻孔を掃除している事に気付く時と同じように。罪悪感はありません。急に何かが痙攣したように感じて手で強く抑えました。もだえながら体を二つ折りにする恰好になりました。頭が真っ白になりました。この初めて汚れた折、今のが性欲の仕業だったのだと直ぐには心付きませんでした。人間が生殖する為に男女が性交するものだとは、本で良く知っていました。しかし、それは、今自分が体験した事と結び付かなかったのです。
   僕はその感じを大いに嫌いました。苦痛の新種でした。それ以上に、それは汚かった。僕の着衣を汚しました。それは酷い臭いでした。二度としないと決めました。僕はそれを次の日にしていました。その衝動は圧倒的でした。それをし終えるまで思考する事が出来なかった。それをし終えるまで死んだ状態でいなければなりませんでした。
   それは恰も痛む歯があった事に今気付いて、その苦痛を取り除く簡単な方法はそれを抜いてしまう事、そのようなものでした。ちょうど歯痛の気になり出した人が居ても立ってもいられないように、あの下腹部の異様な疼きが気になり出した僕は居ても立ってもいられなかった。痛くて血まみれになる療法だろうと悪い歯を抜いてすっきりしてしまえ!痙攣的でグジャグジャな仕事だろうとお前の知性を人質に取っているものを殺してしまえ!しかし、帰宅した人質が今は僕を軽蔑していると、僕は知っていました。それはサイコウで無かった。
   ある日の倫理の時間で、自慰が熱を帯びた討論の主題になりました。“自慰は是か非か?慎む事は美徳か?”先生が仕切る中、多くの者の目は血走っていました。ジャンを始め過半の者が是も非も無いと主張しました。食事や睡眠や排泄に道徳が関わるか、同じく生理的要求に従って行う自慰に道徳が関わるか。非難する者はそれが快楽を求める行為だと云う点を根拠に非難しがちだけれども、それならバッハを聴く事も非難すべきだ。中には非とする者もいました。食事とは明らかに違うでは無いか、“性的飢餓”で死んだ者がいるか。確かにバッハの音楽は快楽を[もたら]齎すけれども、同時に魂を高める作用がある。この発言をした生徒は勇敢でした、と云うのは、当然次の反論が期待されたから。“では君が自慰する時は魂を高める目的でする、言い換えれば、魂を高める効果が期待出来ない場合は慎む、そう云う事か?”いや、そう云う事では無い、が彼の返答でした。自慰した時、彼は魂が打ちのめされた気分になり、罪悪感を覚える、であればこそ自慰が悪だと主張した、と。彼はクリスチャンでした。
   僕は黙っていました。彼らは何かしら僕と無関係な人間活動に就いて話し合っていたのです。今論議されている“自慰”は定義上“心地よく”あり“自由意志による”のでした。誰もそれを疑っている様子はありませんでした。生物の教科書に書いてあった事に照らしても、自慰は心地よくて自由意志によるのでした。
   信じがたい事に、クラスメートのある者は、よく、昼食後とか部活動の始まる前など、少ない時間を遣り繰りして彼らの雑誌をカバンに忍ばせ便所へ行き、300秒後に輝く顔で出て来るのでした。彼らは一日分の充実を味わったのでした。それは丁度僕にとって、腐った食べ物を自分から詰め込んで気分を悪くしておきながら、喉に指を入れてその後に起こる事をサイコウに楽しんで、心身共に生き返る、と云う程に不可解な事でした。
   また喫煙をも僕はしません。タバコが好きになれません。正直の所が、あれを好む人がいるとは信じにくい。しかし、僕は敢えてそれを信じましょう。あれをサイコウと思う人がいる事をさえ信じます。仮に僕が喫煙を強制されるなら多分サイコウとは思わないでしょう。僕は喫煙者達とは作りが違っているのです。
   僕はクラスメート達と作りが違っていました。射精後、僕の顔は輝きませんでした。暫く活動が再開出来ない程に疲れ果てました。破壊されました。それは全然サイコウで無かった。
   故に、僕は自慰しなかった。“僕はしないんだ”は嘘で無かった。そうして、僕はそれを真実にしなければなりませんでした。それを、僕はしました。多くの試行錯誤の末。最初の射精があって二年と八ヵ月後、最終的に。一つのライターが効き目を発揮しました。それ以降、僕は[もうか]孟軻の本を開けばいつも直ぐにそれを脇へ放り出して深い溜め息をつくのでした。あの男の云う通りだ、ホルンこそは無秩序の根源である、と自分自身に云ったものです。彼は誰よりも良く知っていたでしょう。
   子供の時分、こむら返りで目を覚まされる事がありました。頻繁にでは無く、偶にです。同じぐらいの頻度で、睡眠時の射精がありました。全部で四回だったと思います。それは大学に入って初めて経験した事で、十ヵ月間悩まされた現象です。大学に入って最初の学期、その前日は眠らず、その日も朝方まで起きていて、非常に疲れて眠りに落ちました。間もなく、二年近く忘れていた異様な苦痛で目を覚ましました。その後も時々、正確には三度、疲労に押しひしがれた時には特に、あの痺れるような発作で飛び起きる事がありました。そして奇怪な夢を見ていた事に気付くのです。この際ですから僕の叔父には洗いざらいぶちまけてしまいましょう。これは非常な恥を忍んで云うのです。それも[ひっきょう]畢竟、滋子への僕の思いがどんなものかを推し量って貰う、これも何かの手掛かりにならない限りでないと考えるからです。実に、こんな事を書く途中で彼女の名前を記す事を、彼女に対する侮辱のようにさえ思うのです。
   全てを書きつけましょう。僕の体に射精を起こさせる奇怪な夢は、いつもみな大同小異でした。それは見知らぬ者と交合するのです。それは正常な交合ではありません。その者は分娩時に取る恰好を取って、大森の家の僕のベッドの上と覚しい所に寝ています。その者は両手で僕の髪の毛を掴んで、僕の顔をそれの[そけいぶ]鼠蹊部に押しつけています。僕は抵抗せずそこに顔を埋めます。段々そこに液状の物が滲みだし、見る見るそれが垂れて行きます。僕はそれを思い切り吸い込みます。喉につかえるほど粘性の高いその物質は、味覚に極めて苦い。後から後から滲んできてベッドカバーに付きそうなので、一心に吸い続けるが、口中に粘ついて飲み込めない。何ぞ変な臭いが気になり出して少し顔を離してみる。よくよく見ると今まで口を付けていた所は、熟し過ぎたメロンの断ち割りのように輪郭が崩れている。そう見るや、今までの臭いがただの臭いでは無くて、耐えがたい動物の死臭のように感じられてくる。僕は極度に興奮して、この世の物でない物の持ち主を確かめるべく、顔を動かそうともがきます。ところがその者は僕の頭を髪の毛でもって押さえつけ、両脚で僕の顔を締めつけるので、身動きが取れません。何とかその者の顔を見届けようと目を上げる。眼前の小丘を越えて見えるのは、カーテンの間より忍び込む弱い光にぼんやりと浮き出た象牙彫刻のような、高く盛り上がる乳房で、その向こうにある顔はそれらに遮られて見えない。僕が目をもっと高い位置に持って行こうとするのに合わせて、その者は腰を浮かして抵抗します。そしていよいよ両脚が締めにかかります。僕はあきらめます。また吸引し始めます。僕の興奮は激しい動悸になり、息が出来ません。目眩で何も見えなくなった中、ひたすら[にが]苦みと悪臭の虜になっています。僕は憤然と自分の性器を掴み、顔をそこに挟まれ、窒息しつつ錯乱した状態で、射精します。同時に、下半身の感覚を奪われる程の痙攣で目を覚ますのです。
   さて、僕はここまで告白しました。嘗てこのような事どもを叔父に告白した甥がいたでしょうか。ただ僕はこれ一つを[こいねが]冀うのであります;即ち、貴方も僕と同じ心の誠実さを以てこの手紙を読んで下さる事を。
   僕は魔婦との交合を酷く恥じました。潜在意識にはあのような獣的欲求が隠れていたのです。ひょっとして僕は何か不明瞭にしているかも知れません。大学に入るまでその夢を見なかったのではありません。一二度は幼い時分に、そして三四度は思春期に入ってからと、同じ夢を見た事がありました。言い換えれば、合わせて十回ほど魔婦と交合したことになります。従って、夢が僕の欲望の現れで無いとは考えられません。ただ、大学に入って初めて、その為に射精したのです。
   僕を更に苦しめた事は、夢精があった後の二三日間は“本物”の射精衝動、つまりライターの助けで絶った欲求が、俄に高まるのでした。云いましたように、夢精が起こるのは決まって疲労の溜まった状態で就眠する時でしたから、疲れる事を避けて短い昼寝を取る習慣を付けました。授業と授業の合間に寮へ戻って、十五分か二十分、横になるのです。これは単純ながら効果的な対処法でした。五回目の射精は無かったと思います。
   僕は自分の中に潜む悪を正当化する積もりは毛頭ありません。夢は貴方以外には話せない事柄です。それを一方では認めながら、睡眠中の現象である夢精は、意志の力の及びにくい種類の生理現象だと、一方では考えるのです。少なくとも、この特定の夢の中で起こった事を、僕の意志で阻止することは不可能でした。意志の範囲内の事、それは克服し、克服し続けました。一度ライターの威力を知った者にとって、射精の欲求は意志の力で抑えられる種類のものでした。“本物”の射精衝動には二度と屈しませんでした。じきに魔婦も諦めたのでしょう、大学で二年目を迎える前には、あの、僕の知力を奪う現象、脳髄を麻痺させる痙攣的生理現象に、完全に勝利したのです。“お前が何を云おうとね、ジャン、僕はしないんだ。”ここにおいて、軽井沢以来四年と三ヵ月、僕が作り上げて来た真実は、事実になりました。勿論、僕は聖なる男ではありません。イエスは僕に姦淫した責任を負わせるでしょう。僕は[えんじん]閹人ではありません。そうであろうとしたに過ぎません。そうして殆ど成功しました。
   もはや知識の集積に意味を見出す事が出来なくなり、去年の一月、日本に帰って来ました。殆ど世の中との交わりを断ち、日がな一日、自室に籠もってワーグナーを聴いたり、詩を読んだりして暮らしました。新約聖書も読みました。一読パウロは取るにたらぬ男でした。キリスト教会は、僕の神が住まう神殿で無かった。
   その頃自由が丘のマツバラ・ヤエコ女史の所で再びピアノの稽古をつけて貰っていました。大学に行く以前、四年程通った教室です。マツバラ女史は、課題曲を出すと先ず三週間自宅での練習期間を呉れます。三週間が過ぎると、生徒は練習の成果を自由が丘へ披露しに行く。その日から週一回、二週間の内に計三回の稽古をつけて貰う。初回の日、次の課題曲を与えられ、それはそれでまた三週間後に備えます。つまり、のべつ新旧の課題曲を抱えながら、五週間の周期で曲を入れ替えてゆくのです。課題曲は三四分ずつの短い楽章とは云え大概三曲です;どちらかと云えば骨の折れる仕事と云うべきでしょう。一年以上通っていると以前に習った曲を再び課せられる事があるので、僕の場合重複曲がいくつもありましたけれども(大学に行っていた二年五ヵ月を差し引けば、締めて五年一ヵ月マツバラ女史の指導を受けたことになります)レパートリーが最低でも千二百分間は膨らみました。
   去年の十一月、最初の水曜日、ニューヨーク・スタインウェイのコンサート・グランドが据えられた室にいつも通り入って行くと、先客が一人、ソファーに掛けてマツバラ女史が来るのを待っていました。僕が入って来たのに気づくと、彼女のほうから軽く会釈してコンバンワを云いました。彼女が掛けているソファーは三人しか掛けられない小さな物で、生徒たちは、ピアノに向かっていない間はそれに掛けるか、そうでなければ床に座るかして、授業に参加するのでした。通常の授業は四人乃至六人ですから、二人がソファーを占め、二人乃至四人が床に座りました。僕は、その生徒と一緒になるのはその時が初めてでした。何でもない場合なら、僕はその先客の女生徒にコンバンワを返して彼女が座っている反対の端に掛けるところです。そして、自己紹介をした事でしょう。これはしかし、何でもない場合とは違いました。僕の入室と同時に片端に寄り、座りやすい状態にしておいて、ほのかな笑顔で見上げているこの女性を前に、僕は自分が統合不全に陥りつつあるのを意識しました。そこに道化のように突っ立っていました。いっそ顔に[おしろい]白粉が塗ってあったなら、少なくとも赤面の恥ずかしさからは逃れることが出来たでしょう。一瞬間、ソファーに掛けたものか床に座ったものか迷いました。でも、後の選択肢はいかにも不自然であるに違いない。僕はおずおずソファーの反対側に[あと]能う限り小さな領域を占めるとともに、コンバンワを云いました。自己紹介もしないで、手に持っていた(神よ感謝!)ドビュッシーの『喜びの島』の譜面を開き(これが課題曲でした)それに没頭し始めました。親愛なる叔父さん、僕の無様さと頭の混濁を想像して呉れるべきです。
   彼女も僕と同じ曲を習いに来たのでした、と云うのも、同じ曲を勉強している生徒は一緒に授業を受けてお互いに批評し合う仕組みになっていたのです。黙って楽曲研究に入ってしまった者と二人きりになったのが彼女も気詰まりなのでしょう、むやみに咳払いしています。どうしたことか他の生徒が来ません。今日は彼女と二人だけの授業なのか?時間も過ぎている。いったいマツバラ女史は何をしているのだ!生憎、僕の隣人は開くべき譜面を持ち合わせませんでした。(彼女はどんな曲もわけなく暗譜するので手ぶらで教室に入って来たのでした。)異様な沈黙にたまりかねて(と、後日、この日のことを彼女が僕に告白したように)彼女は独り言でも云うようにつぶやきました。【先生、遅いですね。どうしたんでしょう ・ ・ ・ 。今日の曲、難しい曲ですね。わたし、あまり練習できなくて ・ ・ ・】〈訳者注。ここはローマ字で表記してある。以下、原文が日本語の場合、すみつき括弧〉【そうですね。そうですか。僕も、練習の時間がなくて。】僕は音声を呑み込むようにして意味のない相槌を立て続けに打って頷き、彼女を見ました。すぐさまその晩二度目の、数分以前に僕を立ち往生させた、何かしら深刻な事柄をでも訴えかけるように大きく見開かれた、あの信じがたく美しい目に再会しました。貴方もよく御存じの、彼女が人の話を聴く時にする、あの目です。その目達に見つめられている、あの二人きりの教室にいて、僕は自分自身の取り扱いに困りました。何か話の種は無いかと、頭の中を引っかき回しました。僕は生来、慌てるとまるで何も考えられなくなる質です。藪から棒に【趣味は何ですか。】と云ってしまった自分に呆れて、彼女の顔をぽかんと見ていました。彼女の目は益々大きく、いよいよ深刻そうに、あまっさえ大層潤んでいました。上気してかッかとなっている僕の顔を、一つの滑稽な対照物に為し得る、淡い蒼味を帯びた顔をして、彼女はひとことひとことゆっくり発声しました。【趣味 ・ ・ ・ わたしの趣味は、詩を読むこと。色々な国の、色々な時代の、詩を読むこと。たまに、自分でも、下手な詩を作ったりして。それから、どこでもいいから、都会の音が聞こえて来ない、寂しい所に旅して、一日中、ぼうっと、山を見て過ごすの。あの山には、きっと、仙人の庵があって、夕方になると、炉には、火が入る。仙人は、採ってきた山菜で、晩の食事を作る。そんな空想をしたり。馬鹿馬鹿しいでしょう?あなたは?】発言中焦点を失っているようになっていた彼女の瞳が、僕に向けられました。彼女の問いに対して趣味はピアノだと云い、云った後、自分の重ね重ねの愚劣さにへどもどして、今更自己紹介しました。そして右手を彼女に差し出しました。どうぞ随意に笑ってください。続いて彼女も自己紹介をしましたけれども、僕は全く動転していたので、何も聞こえませんでした。
   彼女の名前は滋子でした。
   誰かせわしなく扉を開け閉てする物音で我に返りました。いつもの小刻みな足取りでマツバラ女史が入って来るのでした。彼女は遅くなったのを詫びて、今日は『喜びの島』を研究します、いま『喜びの島』をやっているのは貴方がたお二人だけだから、今日から三回、我々三人で研究を進めますと宣言しました。貴方がたお二人はお互い知っていたかしらと、僕を見て尋ねました。僕ははいと答えました。彼女はそんなら早速始めましょうと云って、滋子に弾いてみないかと提案しながら腕を伸ばして鍵盤に向けました。云うまでもなく、僕は滋子が弾くのを聴くのはそれが初めてでした。僕を驚かした事に、彼女は椅子に座ると何の合図も断りもなく音階を弾きだして、暫くそれで遊んでから、今度は気まぐれな和音をあれこれ奏でていましたが、これまた何の合図も断りもなく、本演奏に移りました。ただその事一つで僕は気を呑まれてしまいました。ところで貴方は彼女の演奏をよく御存じです。その夕方の彼女の演奏がどんなものであったか、説明は省きましょう。彼女は一度も止められることなく、全曲弾くことを許されました。マツバラ女史はただ“今のは非常に良かった、”といって笑顔を浮かべました。さて僕の番になりました。御存じかも知れないように、小品は長いトリルで開始します。その冒頭のトリルを行いつつあった僕の右手をマツバラ女史はいきなり抑えて、駄目を出しました。“こんな風に、”と始めの数小節を実演してみせました。その夕方の僕の演奏がどんなものであったか、残りの説明は省きましょう。僕は何度となく止められ、やっとの事でおしまいの最低音を叩き出すことを許されました。アルペッジョは余りに弾き違えが多いので、マツバラ女史は閉口していました。
   『喜びの島』は確かに難物です。それで、課せられていたのは通常の三曲で無く、その一曲のみです。滋子がもう一度ピアノに来るように促されました。二度目の演奏中、今度は要所要所で中断して、ここはこんなフレージングにしてみたらどうか、この曲は完璧な出来だから貴方のように可能な限り譜面に就くのが最良なのだけれども、サムソン・フランソワなどはこんな風にやったもので面白いと思わないか、など提案めいた実演を鼻唄交じりにして聞かせていたが【伶門君、あなたどう思う?】と出し抜けに言いました。はっとして二人の顔を見上げました。滋子は例の目です。それよりもマツバラ女史の顔に発見した悪戯っぽい笑みには、すっかりどぎまぎしました。
   僕は二度目を弾くまでも無く定刻前に辞去しました。最後まで授業を受ければ、滋子と一緒に自由が丘駅へ歩かなければならなくなります。
   僕の親愛なる叔父さん、その夜の事をここに告白するのに垂れた[こうべ]頭を以てするのです。十五才の冬、あの[い]凍てつく夜の血塗られた闘いで閉じ込めることに成功して以来、長い間厳しき鞭もて脅しつけ飼い馴らして来た野獣;[かつ]曾て僕の若い精神と肉体とが相剋の限りを尽くした末、上天に輝いた精神の勝利が、青春に授与した侵しがたい勲章と言うべき ─ そしてあのライターと共に今や一つの記念物に成り下がった ─ 野獣;その飼い馴らされた記念物が揺り起こされたのでした。初めは断続的に、何とも言えず悲しげな啼き声が聞こえていましたが、それはやがて等間隔な規則的な不吉な[うな]唸りに変わり、そのものは臭い息を、耐えがたい獣の臭いを、吐き散らし辺りに充満させ、空気を重くしました。[だいたいこつ]大腿骨に這い上がってくる怪しい地響きと共に伝わる等間隔で規則的な唸りは、もはやライターの如きは玩具同然の虚仮威しだと言いたげです。そのものの息は一段と臭く、空気は一層重く、それの唸りは僕の腰部をぴくりぴくりと引きつらせます。勢いにのってそれは[たけ]哮り立ち、異様な苛立たしさで[おり]檻の中を行きつ戻りつします。そしてその夜、[よ]克く復た勝つを得なかったのです。獣は曾て見た事が無いほど荒れ狂いました。一度はその強迫に屈伏しておとなしくさせても ─ いな、寧ろ一度屈伏してしまったが為にと言うべきでしょう ─ いずれまた勝ち誇ったように起き上がって挑んで来ます。檻を放たれた獣は容易にはその獣性を静められる事を嫌いました。久しく捕らわれの身になって牧草を食むようにさせられていたそれは、[よひとよ]夜一夜、五度六度と肉を割き骨を噛み砕き生き血をすすり、[こら]堪えに堪えてきた空腹を満たすものの貪り方で、唾液[ほとばし]迸る牙を深く僕の臓腑にもぐりこませました。その都度僕の手は汚れに染まってゆきました。僕の手、前日の夕刻、滋子の手を握った手です!
   それでも僕は努めて滋子の面影を追い払いました。どうして彼女の顔を獣の餌食にできましょう:貴方が、ラファエロを彷彿させると思わないかと、いつだったか彼女の奏でる礼拝堂のピアノを貴方と僕とで聴いていた日曜の午後、僕にそのように言われたその顔を。マツバラ女史の教室で彼女の視線が初めて僕に向けられた刹那、その女性の顔を見た時、僕の脳裏を過った映像は、正に画集で見ていた、無限に柔らかくてたおやかな表情 ─ 慈しみに満ちた表情 ─ を湛えながら、仮にも我が抱くものに危害を加えさせじと、目には見られぬ力どもに向かって目を瞠る、無限に強い顔でした。そうです、あの呪わるべき夜、僕は一方では滋子を意識の外に逃がすことに努めつつ、他方では己が精神を生贄に、己が肉体を餌食に、獣の貪婪をしずめたのです。
   僕は自分自身に言いました。これは断じて世間一般の場合と同じでは無い。証拠に今僕は、思考の中から不純な想念を追放している。ただ極度に苛立っているだけなのだ。今日は余りの緊張の為に神経を破壊された。この行為は興奮し錯乱した精神を安んじる目的で行うのだ。止むを得ない行為だ。もし敢えて覚醒中に捌け口を与えてやらなければ、その時こそ例の魔婦の手に落ちない限りではない。そうなれば、自由意志に麻酔をかけられた状態で悪むべき泥沼に引きずり込まれるのだ。純粋に精神の安定作用を目的とした、生理上の処置として行う場合と、世間一般の場合とを、同日に論ずべきで無い。
   僕は一晩中発作の波に襲われました。体内に埋め込まれた鉛が鈍く疼いて居たたまれなくなる。邪念を払って疼きを断つ。開放と自己嫌悪とが相半ばする中で浅い眠りに落ちる。彼女の夢で目が覚める。ぶりかえしてきた疼きにまた悩まされる。 ・ ・ ・ カーテンの隙間より光が差し込んで来る時刻、心身ともに困憊して最後にもう一度ベッドに体を投げ出したのが、覚えている最後です。
   親愛なる叔父さん、僕が以後七日間をどのように過ごしたか想像してくださるべきです。水曜日が来ればまた彼女と同じ部屋に居るのです。行くべきか。欠席すべきか。行ってあの目に見つめられれば支離滅裂に陥ることは請け合いです。マツバラ女史の冷やかすような目付きは別の意味で僕を困らせるでしょう。行かないとなればどうか。今度の回を欠席すれば、その次も欠席しないのは不合理です。なぜなら一週間後も何ら状況は変わらないのですから。そうなると、確実に彼女に会える授業、それはもうありません。(『喜びの島』を勉強する三回が終了すれば、次からは新しい課題曲 ─ 前日逃げ出す間際、二楽章からなるベートーベンの嬰ヘ長調ソナタとスクリャービン作品8より第二番目の小品の譜面を渡されましたが ─ それらを新しい仲間と勉強する、この事を再度述べさせて下さい。自然、曜日も時間帯も再編成されます。)そうしてみれば、行かないという選択肢はありません。僕は彼女を狂うように恋していたのです。
   あるいは、僕は狂いつつあったのです。期待、恐怖、絶望、困惑、期待、恐怖、期待、絶望、困惑、が、僕の頭をごしゃごしゃにしました。夜が来るのを恐れました。もっと正確には、自分の部屋で一人になる事を恐れました。今となっては再び獣を檻にこめるすべはありません。精々僕にできる事は、部屋にいる時間を最小にする事です。日中彼女の面影を慕って彷徨する。博物館に入ったり、皇居の回りを歩いたり、当ても無く電車に乗ったり。夜が来れば眠らぬ夜を明かしに厭わしい部屋に帰り、鍵を掛け、彼女の幻影に怯えながら、自分の立てる物音に普通でない注意を凝らすのです。こんな夜を七たびも迎え得るものでしょうか?
   神よ証言し給え、僕は彼女を汚しはしませんでした。僕の頭の中の思いのせいで彼女に微塵の汚れも及びはしませんでした。獣の言うままにした時でさえ、彼女をしてあらぬ姿態を取らせる事は絶えてありませんでした。その時は彼女の存在を忘れました。これだけは胸を張って言えるのです。
   貴方は僕の言葉を以て不信とするかも知れません。恋に狂った男が、狂わせる恋をした男が、夜な夜な自らは汚れながら、しかも彼が恋する客体を汚さない事が、どうして可能か。僕の答えは単純です;彼が恋うる所の者である思慕の客体と、本能が彼をして欲せしむる所の者である性欲の客体と、上二者が一致しない場合に於いて。
   全てを考え合わせれば、自ら汚す行為が性欲に原因する事は明白です。精神を安定させる、この場合一種の鎮静剤であると認めるにせよ、更にはそれが肉体的苦痛を伴うものであると認めるにせよ、それが性的行為である以上、性欲を満たす行為で無いと立証する事は難しいでしょう。しかしまた、性欲がいつもある特定の客体を持つと立証する事も同等に難しいに違いありません。人が有性生殖をする生物である事実を踏まえる時、性欲を持たない男は極めて稀だと推測されます。なぜなら、偶然何かの拍子に、まるで性欲を催さない男が生まれたとしても、子孫を残さない彼はその稀な形質を伝えませんから。逆に、性欲旺盛な人種ほど繁栄して来た筈ですから、自然淘汰の原理は、現代人が一般的に旺盛な性欲を持つものであると予測します。あけすけに云ってしまえば貴方も僕も性欲のかたまりだ、とそう決めてしまって大丈夫でしょう。更に、直截かつ正確な用語として、“射精衝動”を提案します;既に数ページ来使っている用語です。貴方も僕も射精衝動を催します:時には強く、時にはそれほど強く無く。ある時は、そんなものを持っている事を我々は殆ど意識しません。ある時は、それは圧倒的です。そう云う時々には、我々は思考する事すら出来ません。貴方は僕が何の事を言っているのか分かると考えます。ところで、貴方はそんな圧倒的な衝動をやり過ごす事がどのようなものだか分かりますか?
   僕は分かります。僕は十五の時に分かりました。それからずっと分かり続けました:ついに獣を解き放したあの夜まで。初めの内、それは拷問です。事実、自分を肉体的に責めることで乗り越えました。クリスマス前の冬の夜、僕はあのライターを使いました。暫くの間、何本かの縫い針が僕の最もお気に入りの道具でした。大概、それらで巧く行きました。行かなくなった時、ライターの出番でした。学校の実験室で“借りてきた”のでした。それは強い効果がありました。慎んでから三十日間は時に発狂しないばかりに襲う衝動も、ライターを携帯していればやり過ごすことも不可能では無いものです。その使用回数は九十日辺りから徐々に減り、あの衝動も意志の力だけで克服できる程度に弱まりました。ちょうど五ヵ月間我慢したその日、僕はライターを実験室の引出しに戻しました。第十一学年の終わりに近い五月の下旬でした。僕は引出しに収まったライターを見下ろしながら、或る、曰く言い難い“物事に対する能力”の感じを味わって、揚々と退室したものです。
   思うに射精衝動は性欲の一つの現れ、言い換えるならば性欲の特別なケースです。もしそうであるならば、ここで次の事が言えます。自ら汚す行為は射精衝動による場合とそうでない場合があると。さて、尋ねさせてください。ここに射精衝動が原因で居ても立ってもいられない男がいます。彼の頭の中には必然的に特定の客体が存在するでしょうか、射精衝動が彼をして欲っせしむる、ある特定の者が?僕は答えが否であると言います。ちょうど、飢えた人間が、食べたい衝動が原因で居ても立ってもいられない時、彼の頭の中に必ずしもチーズとサラミのピッツァが思い描かれているとは言えないように、食べられる物なら何であろうと口に詰め込みたいように、射精衝動の支配下にあって自ら汚す彼は、第一義的にはその捌け口を求めるので、必ずしもマリリン・モンローを思い浮かべるのではない。この場合、彼の性欲に客体が無いと言えます。
   間違えないでください、確かに彼女は僕の思慕の客体でした。僕は彼女に(滋子のことですが)恋していましたし、彼女の顔の映像と彼女の声の音はいつも僕の頭を去りませんでした。前段落に因って僕は結論付けますが、僕の性欲の客体は存在しませんでした。故に僕の思慕の客体と僕の性欲の客体とは一致しなかった。それですから僕は[い]謂うのです:僕は彼女に狂っていた七日間、夜な夜な自らは汚しながらも、彼女をば微塵も汚すことがなかったと。
   “ああ、でもしかしね、”と貴方は言いましょう、“どこかに論理の飛躍が無いかね?お前の議論は有効らしい。話を聞く限り確かにお前の言う通りだ。お前の恋する所の者である滋子と、生殖本能がお前をして欲っせしむる所の者 ─ お前の主張によると、今話題にしている特定の場合に限って云えば、それは非存在 ─ 確かに二者は等しく無い。ところで、お前の議論を作り上げている前提の中に、一つだけ疑わしいと云えば疑わしいものを混在させなかったかな?外でもない、前々文中に引用した非存在者の前提ですよ。お前の所謂“射精衝動”の捌け口として自ら汚しつつある男が、必ずしもマリリン・モンローを思い描きながら行為を行うとは限らないとする意見、仮にそれは認めよう。では聞きましょう。彼は必ずマリリンを思い浮かべないのか?時々は思い浮かべないか?
   “お前の場合を話そう。お前は自ら汚す行為の最中、決して滋子の事を考えなかったと威張っている。ところが彼女の顔と声はいつもお前の頭を去らなかった。そんな事が可能かね?本当に!つまり、昼も夜も彼女の事で頭が一杯だったが、例の行為を行う時だけは彼女を頭の中から消す事に成功した、毎度成功した、とこうお前はわたくしに言っているわけだ。御尤もなお話ではありますよ!”
   尤もでは無い、が、本当です。僕は毎度成功しました。彼女は獣を揺り起こした原因ではありました。特別な意味でです。
   僕は射精衝動を意識した当初から、それを催すのが精神的圧迫下にある時だと知りました。性欲は僕にとって、苛立ちに比例するものなのです。しかも、僕の場合は射精衝動即ち是れ性欲、射精衝動以外の性欲が無いと思うのです。この意味において恐らく僕は、特異な精神生理複合体をなす人間の一人と考えます。従って、ジャンに向かって“僕はしないんだ”と言い張ったのは、ある見地に立てば、少しも嘘でなく正に本当だった。
   僕が獣を檻から放った時、僕の行為はやはり自慰でなかった。いまだに痙攣的でグジャグジャでした。それは一つの苦痛を伴う過程;其れを放置しておく事は更に大きな苦痛を意味するトゲ、其のトゲを除去する過程でした。チーズとサラミのピッツァに就いて考える時間ではなかった。
   貴方はそれなら尋ねるかも知れません:どのようにして滋子がこれら全ての引き金になったのか;お前自身が認めるように彼女は獣を揺り起こした原因なのだから。どんな“特別な”意味で彼女が原因だったのか。
   その質問に対してはただ、マツバラ女史の音楽室にいた七十分かそこら、僕は非常に[うろた]狼狽えていたと繰り返させて下さい。以後ずっと、狼狽えて日々を送りました。勿論、僕は真の原因を推測しているに過ぎません。僕はジグムント・フロイトの信奉者ではありませんし、自分を分析する事について確かになれません。確かになれることは、未だ嘗て若い女性と二人きりで同じ部屋にいたことがなかった事と、それから、たまたま彼女が美しかった事、です。それは僕が経験した事が無い種類の狼狽えでした。
   ではもう、僕に関して、一種の無罪を、大雑把には立証出来たと考えます。“大雑把に”とは、僕は自慰に就いての論究を行っているので無いから。ただ、滋子への僕の思いの性質を明らかにしたいだけなのです。
   最後まで僕を憂えさせたのは、しかし、彼女の大きな見つめる目たちでした。それらが最も追い払いにくかった:ぼくの恥ずべき行為の前、ほかの全ては忘却しつつあった時も。僕はそれらが行ってしまうまで必ず待ちました。
   しかし後ろめたさ、からは、決して逃れられなかった。それを持ったまま、僕は『喜びの島』の二回目のレッスンへの途上にありました。ただマツバラ女史の所へ行くか行かないかの問題のみが未決定でした。僕は電車の中で滋子にばったり出会うのを恐れて遠回りをしました。わざわざ渋谷まで行って、そこから東横線に乗るのです。もちろん、これはあまり意味がなかった、と云うのも、僕は彼女がどの方向から来るのか知らないのですから。でもその時は、そうするのが完全に論理的なように思われました・・・渋谷に到着するまでは:そこで急に自分の行為の非合理性が思われたので。僕は結局マツバラ女史の所に行かない決心をしました;いずれにせよ時間に間に合うようには行くまいと。僕は山手線を一周、旅しました。それから僕は予定通り渋谷で東横線に乗り換えました。都立大学で降りました。レッスンは直ぐに終わる筈ですし、僕は彼女が駅に現れるのを待ち受けるのです。これもやはり無駄かも知れない、なぜなら彼女が都立大学駅を自由が丘駅に優先させる保証は全く無いから。(言い忘れましたけれども、マツバラ宅は都立大学駅と自由が丘駅のほぼ中間に位置しますが、後者へ行くには道を何度も曲らなければならないので、前者を優先させると徒歩で約二分の節約になるのです。)事実、僕は常に自由が丘駅の利用客でした。更に、自由が丘はナントカ線と云う別の路線〈訳者注。東急大井町線〉の乗客の駅でもある為、彼女の交通手段が電車だと仮定しても、僕が空振りに終わる可能性は、そうでない場合に三倍しました。でもやはり、その時はその事が頭に浮かびませんでした。その週は一夜も安眠を得なかったのです。彼女の目を追い払うのに忙しかった。多分僕は発狂しつつあったのです。そして彼女は来ました。駅の出口に立った途端、彼女が真っ直ぐ僕の方へ進んで来るのが見えました。
   僕は惑わされているので無いのでした。僕は正しいのでした。七日間、ただこの一事を確かめたかったのです。彼女は美しかった。今はもう疑いがありませんでした。彼女の美しさは僕の想像が勝手に作り出したので無かった。僕が彼女に持っていた印象は多少の修正が要りました、しかしながら。彼女は信じがたく美しかった。これを、ダブル・チェックしました:後日、狂っていなかった時に。今は、僕は逃げるのでした。問題は、既に彼女は僕に気づいてしまった。
   (またもや、あの大きく開いて僕を見ている目たち。)彼女は若干唇を開いて小さな悲鳴を上げました。あるいはそう僕は思いました。間違いなくそれを聞いたと思いました。僕は彼女の方へ飛び出しました。彼女の横を過ぎざま【どうも。】と口ごもった調子で云い、そのまま行進して行きました。それが、僕が彼女を見た最後でした。
   僕は真っ直ぐマツバラ女史の所に行って辞めることを伝えました。僕は狂っていました、そうして僕は愚かでした。大体この滋子なる者は誰なのか?僕は手掛かり一つ無かった。辞めてしまった今、多分得られないでしょう。ひょっとしたら彼女は結婚しているかも知れない。それはあり得るどころではない。彼女は僕よりずっと成熟しているように見えました。もしかしたら誰かの婚約者かも知れない。彼女は母親であることだって可能だったのです!しかし。マツバラ女史の所から遠ざかって来ながらでさえ、僕は彼女が未婚だと思い込んでいました。そうでない考えは脳裏を掠めませんでした。丁度、高校生の女の子が結婚しているかも知れないとは、僕の脳裏を掠めないように。あの目達はどういう意味だ?どこまでも可能性としてだが、彼女は僕に引かれている事はあるまいか?いや、それはあり得ない。僕の為には彼女は美しすぎる。僕は女性と云うものをまるで知らない、それなのにいきなりあの女性と親しくなる、そんな事は考えられない。僕は彼女を見ることに堪えないだろう。だから逃げているんぢゃないか。何故彼女はあんな悲鳴をあげたのだ!・・・今晩は眠れるぞ。あれで終わったんだ。
   この喜劇的にしてきりきり痛む事態は、僕が望んだほど直ぐには終わりませんでしたが、終わりはしました。それが始まったのは、僕が彼女を大人びた女学生と見なしたからでした。若い女の子と話す事は毎度僕を落ち着かなくさせました。でも結婚している女性なら何ら問題はありませんでした。僕の埒外にある女性なら、トロイのヘレンとも気の置けない友人のように会話した事でしょう。結婚適齢期の女性となると、目二つと鼻一つでじゅうぶん僕を驢馬に変えることが出来ました。我々の出会いの時、滋子が小さな女の赤ん坊の母親だと知ったのなら、ぼくは幸せで嬉しかったでしょう。それならば僕は彼女の美しさを称賛できた筈です。人はラファエロの品を称賛するのにそれを所有する必要はない。称賛者にして同時に所有者である者も、少数ながらいはした。僕はその内の一人たるべき者で無かった。そして僕は逃げました。それは去年の十一月でした。
   さて親愛なる叔父さん、オバアチャンの追悼式が行われている間、僕が本当はどんな心境だったか想像して下さい。貴方が疑ったように僕は具合が悪いのでは無かった。ある人を知っているような気がして逃げ出そうか逃げ出すまいか真面目に考えているのでした。彼女はその晩のピアニストでした。彼女の名前は滋子でした。彼女がピアノに向かって歩もうと席を立って二列後ろに座っていた僕を見たとき、彼女は若干唇を開いて小さな悲鳴を上げました。僕はそれを聞いたのみならず、今度は証拠がありました。彼女の母親がそれを聞いて【どうしたの!】と彼女にささやくのが聞かれました。彼女が鍵盤の前に場所を占めたとき、僕の思いの中にあったのはオバアチャンではありませんでした。ひとり目を瞠って見る者がありました、一人ほかに下を向く者がありました。二三音の弾き違えが聞かれました、僕は自分の罪を数えました。彼女は信じがたく美しかった。僕はやっとダブル・チェック出来ました。
   あとは貴方も知っています。〈訳者注。二段落前の末尾にある十一月は1981年の十一月。翌月12月14日、伶門父方の祖母が亡くなった。小林牧師の実母である。18日夕刻、教会で追悼式が執り行われた。わたくしも出席していた。宗教を嫌った伶門は、それ以前、叔父の教会を訪れた事が無かった。鎌田家の人々は、教会が川崎に移される前からの信者。伶門と滋子はこの追悼式で再会したのであるらしい。翌年伶門は教会員になり、5月30日、婚約発表。同日、叔父の手で洗礼を授けられた〉
   僕が知らなかった事は、僕はクリスチャンで無かった;紙芝居をして公園の子供たちにイエスがどんなに素晴らしくて優しいかを言って聞かせている時でさえ、です。僕がこの事実に気づいたのは滋子との交際を通してでした。彼女は世界が六日間で創られたと信じていました。信じている振りなどしていませんでした。僕は振りをしたと思います。彼女はルカ伝23:39-43にひどく感動を覚えるのでした。でもマルコ伝15:27-32を読んだ事が無いと云うのではありませんでした。僕たち二人が祈るとき、彼女は僕の手を握って彼女だけの言葉を話しました。彼女はそうではないと云いました。僕は使徒行伝の第二章やマルコの最終章をまだ読まないのか?彼女が話していること、は、彼女が話しているのでは全然ない;それは[せいれい]聖霊が天の父と[みこ]御子とを賛美しているのである。そして彼女が賛美している時は!目は閉じ手は半ばまで上げられ、彼女が神を讃えるその姿は!その非現実の美を数分間目撃する為なら、僕は小児のようになる用意がありました。苟モ小児ノ如カラズンバ以テ滋子ヲ仰視スル無ケン、敢ヘテ小児タラザランヤ!僕は信じたかった。ついに僕は信じていると信ずる事に成功しました。
   僕はずっと欲しくて仕方がなかったものを、漸く手に入れたのでした。父に六色のペンを貰って以来、ずっと欲しくて仕方がなかった、あの完全な何かを。それを手に入れた暁には、僕はその万古不易・金剛不壊の巌の上に魂の神殿をしっかと建て、雨降り、流れ[みなぎ]漲り、風吹いて倒れず、何人の侵入をも許さぬ心の桃源郷に憩う筈でした。滋子に初めて会った時分、其の[ひづめ]蹄に[さび]錆を見付けた、人知と云う名の黄金の子牛を、神に祭り上げる事が出来そうも無いと悟った僕は、自殺する手前の崖っぷちに立っていました。いったい僕は真の憩いを知り得るだろうか?僕の魂に安息の場所はあるのか?
   あるのでした。全ては公案の一種に過ぎなかった。
   僕は滋子と共にイエスの為の愚か者になれば良い。全く、一生を愚か者で過ごす程の幸福は無い。知識が力だなどは根拠の無いざれごとだった。僕を不幸にする力だけしか持たなかった。滋子と手を握ってお祈りする幸福を知った今、知識など無価値でした。ソクラテスが幸福だったでしょうか?ニュートンが幸福だったでしょうか?僕が神様と崇めていた数学は(少なくとも、僕が信仰していた種類の数学で、今日一般に行われている数学は)神様で無い;数学を住まわせる神殿=理性は(少なくとも、人間の理性は)欠陥住宅である;この事を我々の為に初めて証拠立てて呉れた賢人は、発狂して自ら餓死したと聞きます。僕自身の事を述べれば、知識を得れば得るほど渇望も大きくなり、その渇望を満たす事が以前にも増して困難なのに焦燥し、結局、後の状態が前よりも酷いのです。僕の巌は僕の愚かさです。イエスを仰ぎ見る滋子を仰ぎ見る己の愚かさです。滋子を僕のものにする事が出来るのなら1+1が11であろうと111であろうと構いません。僕の愚かさを完全にすれば良いのです。
   彼女は僕にとって完全な女性でした。問題は、僕が彼女にとってそこそこの男であるかです。これらのページの中で間違った印象を与えたかも知れません;一つはっきりさせてください。僕は性的不能者ではありません。彼女との婚約は、彼女と御両親に対する不信行為ではありませんでした。九年生の時、僕は自分の精子細胞を顕微鏡の下に見て、その活発な運動に驚愕した覚えがあります。お父さんは何よりも孫を望んでおられます。僕は彼の期待に応える自信がありました。ただ、僕は滋子との精神的な結び付きを尊びました。僕も人間です。悪い思いはあります。しかし、決して自分がそう云う思いに耽る事を許しませんでした。彼女はそう云う事柄を超越した存在でした。何時までも婚約者同士でいて、結婚の日が来ない事を、僕は秘かに願いました。可能な間、彼女の清らかさを仰いでいたかったのです。もちろん、アンドレ・ジドの妻のようにする計画は毛頭ありません。僕は同性愛者でもありません。それは飽くまでも秘かな、子供っぽい願いです。しかし、彼女を見ていると、彼女のような濁りの無い目をした女性とは、肉の結び付きなど存在しなくても夫婦でいられる気がして来ます。滋子は出来るだけ沢山子供が欲しいと云います。云い方がまるで少女のようで、ひょっとしたらコウノトリが運んで来て呉れるものと信じているのでは無いかとさえ思えます。明らかに、彼女は精神の結び付きを至上とする人です。
   彼女は僕にとって完全な人でした。あまりにもそうで、彼女が女性である事を、僕は殆ど忘れていました。振り返ると、忘れていたと思います。少なくとも彼女が[めす類]femaleである事を。
   今年のまだ梅雨のさなか、ある晴れた日曜日の午後、教会のあとで、僕は彼女にプールで会いました。教会で別れる時に約束した通り彼女の家に行くと、お母さんが、滋子はプールにいて、僕をそこで待っている、と云いました。僕がプール端に到着した時、教会の女の子に泳ぎのレッスンをしてやっていました。彼女は[まり]真理を腕より支えて、バタ足の練習をさせていました。彼女は僕に頷いて真理を向こう端へ引いて行きました。真理の外に久美子と絵美がいました。
   その朝、僕は彼女の半袖姿を初めて目にしたのでした。その同じ日、僅か数時間後、僕は彼女を水着姿で見ていました。僕の驚愕を想像してください。僕にとって、滋子は聖女だったのです。そうして僕は、彼女を水着姿で見ていました。僕だけではありません。皆、彼女を見ていました。彼女は向こう端から僕が立っている端まで、泳いで来ました。彼女は仰向けになって泳ぎました。皆、その乳白色の姿を目で追っていました。近くで、若い男のグループが、彼女のある特定の部位を【すげえな!】と称賛しました。正直に云わせてください。僕はその時まで、それらの部位をそうした関連で考えた事が無かった。一人がもう一人に、彼女に声を掛けてみろと促しました。彼女はこっち端に着く少し手前で泳ぐのを止めて、水中で立ち上がり、僕に両腕を振ってほほえみました。(僕は、水着を着ていませんでした;ただプール端で彼女を見ていただけです。)親愛なる叔父さん、全く正直に云います。僕は少しも得意ではありませんでした。僕は、ただの一分たりとも彼女に水着を着ていて欲しくありませんでした。嫉妬と云う単語の意味が分かりました。彼女は水から出ると、少し赤くなりながら僕の側へ来て、自分の泳法をどう思うかと尋ねました。僕も水着を買って来たらどうか、そして一緒に泳ごうと彼女は提案しました。間違いが無いようにしましょう。彼女が水泳のレッスンを授けている事実は、彼女がその目的の為に最適の装いをしている事をば意味しませんでした。彼女は競泳用では無く、他の三人の女の子と同じ型の水着を着ていました。テレビで女の子が着ているのを見る、上下に分かれた、あの種類です。彼女の濃い青の水着を着て、滋子は僕の前に立っていました。僕はベンチに腰を下ろして、見ないようにしました。気分が悪いと云いました、家に帰らなければならない。彼女は僕の隣に掛けて、あの深刻そうな、ラファエロの目で見つめました。
   僕の魂はまた乱されていました。僕は非常に困惑していました。しかし、僕は困惑している事が恥ずかしかった。どう云う訳か、困惑している事を彼女に知られたく無かった。僕は芝居を打たなければなりません。巧くやり通す積もりでした。そうしたと思いました。その午後、僕は水着の事を口にしませんでした。その晩、僕は自ら汚しました。彼女を汚しました。彼女が水着で立っている姿を頭から消す事が出来ませんでした。僕が一番大事にしている物が、何か損なわれたような気持ちでした。数学が不完全だと知った時以上に落ち込みました。僕は数学にがっかりして自瀆した事はありませんでした。しかし、僕はその晩以来、自瀆行為がやめられなくなりました。さんざん偉そうな事を云っておきながら、結局、僕は常習的な自瀆者として死ぬのです。
   プールの次の日の月曜日、僕は滋子の家に行きませんでした。そうしてその間、彼女はまた教会の女の子達とプールにいるかも知れないのです!その晩おそく、彼女は泣きながら大森にやって来ました。僕は電話を切ってありました。(父は大阪に出張していました。ミセズ・タカノが来る日でもありませんでした。)彼女は泣いていました!彼女の涙を見て心を動かさない者は石の心を持っているに違いありません。【もんくん、どうして電話に出てくれないの?わたし、何か、悪い事をした?】僕は嘘をつきました。音楽を聴いていたから電話に鳴って欲しく無かったのだと云いました。彼女は明らかに嘘だと知っていましたが、信じる振りをしました。彼女は僕の胸に顔を埋めてめそめそ泣き続けました。彼女は水着の事で怒っているのかと尋ねました。僕はそんな事は無いと云いました。【本当?もんくんがいやなら、わたし、もう、着ない。】僕はそうで無いと言い張りました。全然気にしていない。【本当?でも、わたし、もう、プールには行かない。】彼女は天使でした。
   しかし僕はそうでは無かった。彼女の過去の夏のことで、僕は非常に疑い深かった。僕の聖女は何人の人に自身を水着姿で現したのか。テレビで見るように、水に飛び込んだ時は、水圧でそれが取れた事があるのか。彼女の体型なら大いにあり得た。そのような場合、僕の知らない滋子を、知っている男たちがいるのです。僕はその考えに堪えられませんでした。僕の魂を押し潰す考えでした。彼女が何度あの水着を着たかを考えるだけで、僕を惨めにさせました。
   滋子は次の晩も僕の家にやって来ました。僕はこの天使に嘘をつきとおす事が出来ませんでした。僕は彼女の膝を抱いて、自分の顔を隠すようにし、この二日間、僕を責め苛んでいたものが何であるかを告白しました。彼女は泣いて謝りました。もう一生水着にならないと誓いました。そして、その時から、僕は彼女の特定の部位に並々でない興味を抱きました;それまで全然僕の注意の対象で無かったそれらに。服を着ていない状態の彼女がどんな風に見えるかしらと、絶えず想像しました。
   親愛なる叔父さん、これだけの枚数を読んで下さったのなら、既に僕の精神構造を理解して貰えた事でしょう;この長い手紙の目的、半分はそれなのです。もう半分、それは直に扱います。
   僕は知らなければならなかった!自分の目で見なければならなかった。
   僕の心的葛藤を想像して頂きましょう;全く、どうやって、男が婚約者に、彼が何よりも愛し尊敬する人に、目の前で服を脱いで呉れるように要請するのでしょう。どうやって、彼は彼女に、体を[つぶさに見]scrutinizeさせて呉れるように頼むのでしょう。そして、僕にはそれが生か死かでした。僕は彼女の体をscrutinizeしなければならなかった;一平方インチも余さずに。するまで僕は思考する事が出来なかった。
   しかし彼女にそれを頼む事は出来ませんでした。一再ならず僕は頼む決心をしました。頼む前に、彼女の目に阻まれました。それはまるで彼女が僕の考えを知っていて、目で僕に哀願するかのようでした:どうかそんな頼み事をしないでと。彼女の目!あの信じがたく美しい目!僕は彼女に頼めませんでした。水中で水着が取れたかと、尋ねる事が出来ませんでした。
   親愛なる叔父さん。罪の中でも最も醜悪なものを、いよいよ僕は告白すべき時が来たようです。さっきは、その告白を念頭に置いて、これらのページの目的の半分と云ったのです。間違いました。それが目的の全てです。そして、僕が告白し終えたら、僕は歴史に名を留める事でしょう:婚約者に対して最も破廉恥、最も[にく]悪むべき、最も異常な罪を犯した男として。神よ我が魂を救い給え、僕は彼女の神聖さを踏みにじりました。僕は薬を使って彼女を眠らせました。彼女を水着姿で見た二十日後、土曜日のことです。二十日です、叔父さん。その二十日間の僕の状態は描写する必要が無いと考えます。出来ません、どうせ。
   その土曜日の午後、僕達はこの大森の家の僕の部屋 ─ 僕が今これらの言葉をタイプしている、正にこの部屋 ─ ここで軽い食事をしました。細かい粉に[ひ]碾いた睡眠薬を彼女のスープに入れ、サンドウィッチに塗りました。薬の効果は[てきめん]覿面に現れ、既に食べ終える前から、食べ物を持ったまま、ぼうっとしていました。
   夜、彼女が僕のベッドの上で目覚めた時、彼女は暫く天井を見ていました。自分に何が起こったのか理解しようと努めるらしかった。彼女はその深刻そうな目でベッド脇の僕を見つめました。もしかしたら彼女は何が起こったのか理解したのかも知れません。彼女は僕に手を伸ばしました。僕に接吻して欲しかったのです。彼女は水を一杯頂戴と云いました。
   さて、僕は告白すべき事を告白し終えました。僕が去る前に、物事をはっきりさせて下さい。滋子の純潔は微塵も損なわれていません。僕が彼女を眠らせたのは知的要求からでした、肉の欲からではありません。くどくど説明するのは止しましょう;貴方は分かると思います。ただ一つ心残りなのは、あの小さな濃い青の布切れが外れたか外れなかったのか、知らずじまいです。多分知らない方が良いのでしょう。もし外れた事があるとしたら、とそう考えるだけで、僕は今にも狂い出しそうです。あの美しいもの ─ それにしても何と美しい創造物でしたろう!結局彼女は天使ではありませんでした。彼女は人間でした。彼女は人の肉と人の毛のにおいがしました、その味がしました、その手触りでした。ああ、しかしそれは何と美しい創造物でしたろう!夢で見たものの対極をなす存在でした。正にそれは清らかさと同時に稔りの象徴 ─ それは僕一人の所有でなければならないのに、もし外れたのだとしたら!僕は知らない方が良いのです。
   それと僕の信仰告白。あれは出鱈目でした。僕にあったのはイエスでは無くて、イエスが一緒になってくっついて来た滋子でした。黄金の子牛に祈って与えられなかったものを、彼女が与えて呉れました。僕はそこに神殿を築き・・・築き掛けた;それで善しとします。惜しむらくはバートランド・ラッセルの長寿に恵まれず、僅かながらの知識も得ず、他人の苦しみに対しては極めて冷淡な利己主義者として死ぬことです。しかし、彼の五分の一の時間で彼の三分の一になり得ました。悪くはありません。


貴方の弟子にして甥
レーモン・コバヤシ






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訳者あとがき

訳者あとがき





11月26日は金曜日だった。

Kobayashiが叔父あての手紙を書いたのが水曜日、11月の24日。したがって、二日後。

Kobayashiの日本名は小林伶門ゆえ、以下「伶門」としよう。

叔父の名が小林信。「まこと」と読む。キリスト教会の牧師だ。伶門の父親は「とおる」で通。大学教授だったらしい。

さて、手紙が書かれた二日後である11月26日の金曜日 ─ 16時過ぎ ─ 封を切ってそのただならない内容に接した信は、大森に向かった。

大森には兄通の家がある。伶門が生い育ったのもその家。大学を中退してからというもの、ぶらぶら遊んで居候を決め込んでいる。(幼少のみぎり二親は離婚し、母親がフランスへ帰国して以来、父ひとり子ひとりで成長した)

かよいの家政婦が扉をあけた。伶門の部屋がある二階へ、信を連れてあがった。

中の様子を見ながら聞いた:私も来たばかりです、お二人は病院にいらっしゃいます、と。信はあとを任せて親子のいるもとへ急いだ。

急ぐ程にひどい様子だ。血の中を這いまわりでもしなければああはなりにくい。

手の跡に足の跡でもって床がべとべと。血のにおい。汗のにおい。息のにおい。暖房機の出す熱。蒸発する薬品類。 ……… こもった温気がむッとするようだった。

机の上へ蓋のとれた消毒用アルコールが転がっている。そばに縫い針が七八本、血糊の中で固まっていた。

ベッドがまた偉いことにシーツなんか真っ赤だ。血が染み込んだ模様から、人が寝ていたと分かる。ここにも一本、針が黒糸をとおしたまま落ちていた。

信が病院に着いた時、甥は集中治療室に入れられていた。18時ごろだ。薬物を飲んだといい、胃を洗ったあとだった。

解せないのがしかし、あの二階部屋。受けた医療的処置は胃洗浄だ。大きな切り傷を縫合する、といった事ではない。外傷はないのだ。外傷がないけれども部屋はあの通りで、この謎に答える物証は、彼の体内から出た。

大きさで言うならマッシュルームの傘ぐらいだろう。相手は相当な怪我だ。胃袋になまの人肉が入っていた。死のうとする寸前、人の肉を食べたのに相違ない。なんぴとか女と見られる他者よりちぎった。切り取った肉片ではない。刃物を使わないで、食い千切ってあった。生きた人間の肉を食い千切ったら、あんな部屋になった。

こうなるともう分かっている。肉片のもとの持ち主は、甥と婚約した娘しかいない。滋子 ─ 例の娘の名だったが ─ 御覧のとおり、甥の遺書は滋子のせいで思考力を奪われ悩殺され呻吟する文字どもで埋まっていた。極ネクラにして完全オタクの彼であってみれば、ほかに女の出入りがあったろうとも思われぬ。

その滋子。

咬まれて暫くのあいだ、気を失ってしまった。目がさめると、薬を飲んだと思しき伶門がひっくり返っているのを発見したので、119番を回し、自分はタクシーを呼んで立ち去った。その現場を、信はさっき大森の二階で見て来たわけで。

父親の通は何をしていたか。服毒自殺の急報が入るやいなや、大学の研究室を出るなり病院へ直行した。息子の犯した人食いを知るよしもない。少し遅れて駆けつけた弟牧師に、血だらけになった部屋の話を聞いて驚いたろう。

自殺は失敗した。天才児が初歩の薬学を踏まえないでやったものらしい。伶門は睡眠薬を飲んだ。しかしながら、昔の映画ではないのだし、まさかそんな事で人間が一人死ねはしない。今日一般に処方している睡眠導入剤は ─ 1980年代当時もそうだったというが ─ 見て字のごとく眠りに誘うのみで、腹いっぱい飲んだから死んでしまうなど、まずありえない。胃洗浄を施されるのが関の山である。とはいえ、それで口へ鼻へと管を差し込まれるのは、むしろこの方が死ぬ苦しみなのだそうな。伶門も次の日に帰された。

ところで、事を起こす少し前に右の脚に肉腫が見つかって、手術を控えていた。だから自殺しようと欲したのかもしれない。脚を切断後、リハビリの目的で滞在していた療養施設で首をつって、今度は本当に死んだ。それが12月の19日だった。(まえがき参照)

全体、滋子は咬まれたのだったか、咬ませたのだったか、定かでない。愛する男がいずれ長くはないと決まった時、我が身を与えて別れのちぎりとなしたのでもあろうか。生涯語ることなくシングルライフを貫いた彼女までがいなくなった今、いろいろな場合を考えるよりほかに仕方はあるまい。

狂 気 前 夜

狂 気 前 夜

1982年、今から三十三年前の11月26日。 前代未聞といってよい事件を起こした天才青年 Raymond Kobayashi。 婚約者の一生を棒にふらす怪我を負わせながら、被害者方に好奇の目が注がれる事態を憂慮した警視庁が介入を見合わせたため、報道されなかったのみならず、Kobayashiは傷害の罪さえ免れた。 犯行に至るまでの異常な心理を記した、彼の遺書を見る。

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  • 青年向け
更新日
登録日
2015-08-24

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  1. まえがき
  2. 本 文
  3. 訳者あとがき