意味は生と死の狭間で悩み、求め続けた先に自分で手にするものだ。 私はその結果、真理を見たよ。真如は語り切れない程の全知全能と永遠なる至福。終末に呼応して審判者からは『ご苦労様』と呼ばれて世界に至ったのだ。 心が死んで、世界と一になる。 そう、梵我一如、汎神論、多次元宇宙論、仮想現実世界。すべて正しいよ。
僕はたくさんの人に守られている。たくさんの存在に守られている。有名だとか無名だとか関係ない。なにより大切なのは僕が僕であること。ありのままの自分を愛すること。それがニーチェの愛した運命愛なのだから。僕は僕のままでいい。変わろうとしなくていい。そうだ! あの冬の日の僕は、真に愛に満たされていたんだ。それは自己愛。自己愛としてのヘレーネは、天上楽園の乙女。あの日、マンションの屋上で高らかに永遠の愛を歌った。
私はあの日から永遠とか真理とか、そういう類いの概念を探し求めていたんだ。その美しさを語るに足りる言葉などない。至高体験。まさしく天国的な経験。それは永くは続かなかった。幸福の増大につれてそれは薄れていった。