いま、まるで流行り言葉のように聞こえてくる『古き好き(よき)昭和』……。昭和44年、開校して間もない大学に入学した僕は、新しい仲間たちとともに親元を離れた生活を始める。それぞれが皆青春の中にふわふわと浮き漂いながら何かを探しているようだった。何か特別なことが起こるべくもない平和な時代の中、いったい何を探していたのだろうか? そして僕たちはそれを見つけることができたのだろうか? 古き好き昭和。それが本当によき時代だったのかどうか……確かに時だけは総てを包み込んで、ゆったりと流れていたのかもしれない…… ***『青年たちの浮漂』はこれで終了です。第二部『青年たちの憧憬』は投稿までまだ暫く時間がかかりそうです
小学校5年生の夏休み。私はいつもの遊び仲間たちと函館山の二合目にある軍事施設跡――二合目の防空壕――を探検する。そこは幽霊が出るという噂の廃壕だった。そこで私たちは不思議な体験をすることになる……時は流れ、私たちはみな夫々の進路を歩み成長する。やがて40歳を迎えようかというころ、私は出張先で防空壕を一緒に探検した友人の一人から、其その探検に限らずいつもでリーダーだったガミが交通事故にあい急死したことを聞く。そしてガミの死にはあの防空壕での出来事が。
人生の後悔や疑問って誰にでもあるよね? その時自分はどの立場だった? 加害者?それとも被害者?はたまた傍観者だったりして。 み~んなで俺の気持ち、考えを共有できればいいのに…。 きっと、誰か一人くらいは俺と同じ経験、考えをているだろう―――。 特に『苛め。』についてはね。
人生は列車のようだ。 生まれれば誰もが強制的に線路に乗せられる。 そしてそれは自分の意志とは別に急に脱線させられる。 でも、人間であるが以上線路には乗らねばならない。 そして、この線路の上には思いがけないチャンスが転がっている。 人生とは皮肉なものだが、まっすぐ諦めない。 そんな、どこまでも走り続ける列車と自分を重ねて...