密に落ちる(有間ゆり)

「だぁかぁらぁ」
 くっそ暑い昼。
 夏。
 散らかった狭い部室。
 そんな地獄の中、僕は部員――会田桜子に説教されている。
「男は――とくにあんたは夢見すぎー。いまどき清楚で身も心も穢れてなくてかわいくて――あとなんだっけー?」
「質素で慎ましくて男に耐性が無くて恋に恋してる」
 と僕が補う。
「そうそう。そのうえ胸がキュンキュンする純愛もの恋愛小説を書いてる女だぁ? いるわけねぇだろ、そんなもん」
 そういうと桜子は勢いよく机を蹴る。机の上の本がなだれるように床に落ちた。
 僕は大学の文芸部に所属する4年生。
 文芸部は、部員は僕を含めて3名の、まごうことなき弱小部である。
 部員のひとりは目の前にいる会田桜子。僕の理想とする女の子像とはかけ離れた女。
 もう一人は部室来ない幽霊女部員、宇佐美あおい。同級生である。
 そしてもうひとりは。今はどういうわけだか来ていないけれど岩淵アメノという後輩かつ女の部員がいる。
 そして僕、遠藤。男である。
 元々弱小部な上に幽霊部員もいる。もう火が消えかかってる。
「それでもさ、実際コレ書いてるやつがいるんだからさ」
 そういって、僕は先月この部、文芸部の出した薄っぺらい部誌を開いて見せる。
 そこでちょうどアメノが部室に入ってきた。
「声大きいですよ。廊下まで響渡ってます」
 すまない。
「いや桜子先輩の声です。ところで、なんですかなんなんですか。どんな痴話げんかですか」
「先週のこれの話読んだ?」
 桜子が部誌のある1ページを指差して見せる。アメノは読みましたよ、と頷いた。
「ええ。ちょっと文体の硬い携帯小説という印象でした」
 純愛ものって言えよ。
「それでね、これにエラクイタク感動した遠藤が、この作者に会いたいっていうのよ。この作者が絶対、俺の夢見る理想の女の子に違いないからーって。気持ち悪いわよねー、アメノ」
「そうですね。気持ち悪いですね」
 ぐさりぐさりと刺さるような刺さらないような。いや、刺さってこない。
「ところでこの、フミノってペンネーム、アメノじゃないわよね?」
「違いますよ。というか、その質問、もっと早い段階でするべきだったでしょう」
 相変わらず僕が気持ち悪いだとか部屋が汚いだとか文句を垂れながす桜子。
 それに対してナダメタリスカシタリしながら部誌に投稿された小説を酷評するアヤメ。
 そんな二人を横目に僕はフミノの活字に思いを馳せる。
 僕は前々から――部に入って4年間、ときどき投稿されるこの「フミノ」さんの純愛ものが大好きだった。シリーズになっていて4年で8作目。
 なにに惹かれるって、これを書いてるフミノの恋愛観に、だった。直接書かれているわけではないが、物語に、登場人物のセリフに、一挙一動に透けて見える。
 嘘じゃないもん、はっきり見えるもん。
 それがまさに僕の理想。
 文芸部に所属する面々は限られている。だから、「フミノ探し」をしようと思えば別に難しいことではなかったのだ。でも4年弱、僕は文字に恋することを選んでいた。
 桜子はからかうように言う。
「遠藤ってば一字一句暗唱してんの。気持ち悪ぃ」
「お前らが適当に流し読みしすぎなんだよ」
 一文字、一単語にフミノの価値観や思いが詰まってるんだからな。
「フツーそういうものでしょ。他人様の書いたもん、一字一句覚えてなんかられるかっつーの」
 まあ、たしかに。恋でもしてなけりゃ。
 僕だって、フミノの文章じゃなければ一字一句までは覚えてないさ。

「なあ、フミノに会おうと思う」
 僕は二人に告げた。
「いまさらどうしたのよ」
 桜子が言う。机に脚をのせたまま。
「敢えて誰だかわからないから好きでいられるんだって、気持ち悪く語ってたじゃない」
 その通りだ。気持ち悪くはないがその通り。だけどさ。
「僕は4年だ。今年で大学を卒業する」
「単位大丈夫なんですか」
 とアメノが水を差してくる。
「そうなると僕が投稿できる部誌は秋と冬に出す、残り2回ということになる。
 だから、最後の作品――冬号に出す作品はフミノと合作で書きたい」


「たかが大学の部活動に、大げさねえ」
 と桜子。
「暑苦しいですね。だから文学男ってきらいです」
 とアヤメ。
 今度こそ、ぐさりと刺さった。
「だからフミノがお前らのどちらかなら名乗り出てほしい」
「あたしじゃないわよ」
 と桜子。
「私でもないです。けど、たとえ私だったとしても今ココでは、ものすごく名乗りにくい状況ですね」
 とアメノ。
 まあ、その通りだろう。
「今じゃなくてもいい、あとから『実は自分でした』とこっそり僕に連絡してくれれば」
 すると桜子が馬鹿にしたように笑う。
「絶対あたしじゃないけど、もしあたしたちのどちらかが『フミノ』だとして、そしたらどうなのよ、あんた的には」
 そりゃあ、複雑、というか、失望、というか。
 でもだったら誰がフミノだったら僕ががっかりしないのかって話。
 たぶん、最初からがっかりに向かって歩き出しているのだと思う。
 このフミノ探し、どう成功しても複雑で失望してがっかりなのだ。
「まあ、自然に考えて、部活動に顔を出さない宇佐美あおいさんが『フミノ』ですかね」
 アメノが言う。
「これで、実は遠藤自身が『フミノ』だったら最高に気持ち悪いわよねぇ」
「ええ、反吐が出ますね。末期こじらせ文学少年ですね」
 いや、さすがにそんなはずないだろ。あるわけないだろ。やめろよ恐ろしい。
「さあわからないわよね、文学男は面倒だもの」
「そうですね。信用できませんね」
 アメノが笑いながら言う。
「文章書く人なんて嘘つきばかりですから」

**********
 その日、幽霊部員・宇佐美も含めた3人に「フミノだったら合作したいから名乗り出て」メールを送った。
 しかし、帰ってきたのは桜子からの小馬鹿にしたメール一通だけで、第一容疑者・宇佐美からはウンともスンとも反応無い。
 もちろん、本命フミノさんからは音沙汰なし。
 とりあえず、僕は僕にとって最後の2回となる部誌、秋号・冬号の編集者に立候補した。フミノと「原稿のやり取り」という形ではあるがコンタクトとれる唯一の立場だと思ったからだ。事情を察したからか、桜子とアヤメは二つ返事でOKしてくれた。
 ……いや、そんな親切な理由じゃないだろう。僕が入部して以来編集長を務めたのは僕と、今はナキ(卒業した。存命ではある)先輩方ばかりで桜子、アメノは編集をやったことも、やりたいと言ったこともない。今回も、めんどくさい用事は僕に、ってこと。

 そして秋、秋号発行。
 またフミノの小説は載った。
「それで、編集長? 愛しのフミノさんとは会えたわけ?」
 秋号を手にした桜子が言う。顔が僕を馬鹿にしているぞ。
「いいや」
 僕は編集長だから、当たり前だけれど、フミノの名前で原稿の添付されたメールが送られてきた。
「フミノのアドレスに返信して、たとえ直接会えなくても冬号で合作しませんかっていってみたんだけどな」
「うっわ、気持ちわりいな、うっわ。っていう返信来たー?」
「おまえじゃないんだからそんなこと言うかよ。音沙汰なしだよ」
「気持ち悪いって言われてるようなものじゃない。登場人物の心情を読み取りなさいよ」
 うるさい女だなぁ。やっぱり僕は音沙汰ない系女子が好きだよ。
「今回どうですか。フミノさんの作品は」
 アメノに訊かれる。
「今回に限らずいいね、最高だね」
「今回に限らず気持ち悪いですね、遠藤先輩は」
 お前もか。
「でも正直な話」
 と、僕は付け加える。
「今回の『作品』を見て、最初に思っていたほど辿りつくところはがっかりじゃないのかもなって思ったんだよ」
 なによそれ、と桜子にあしらわれた。

*****************
 寒くなってきた。季節が変わるのは思ったより突然だと季節が変わる度、思う。
 そろそろ僕にとって最後の部誌、冬号の準備を始めるころになる。
 しめきりまで後1か月ですから、そろそろ書き始めてくださいね、と部員3人に加えてフミノのアドレスにメールを送る。
 さて。
 加えて僕は、片思いの相手だけに宛てて、メールを送る。
 
***************:
 冬。

 冬号の発行までにはまだあと1か月程ある。
 ここ数日部室に通っているが、今日は珍しく先客がいた。
 うるさいし、理想の女の子とは全く全然違うけれど、斜めに差し込む陽の中で静かに本を片付ける女の子の姿にどこか心惹かれる。
 あえて言うなら文学的に。
「撤収準備?」
 背後から声をかけると、彼女は大袈裟なほど体を震わせて驚く。
「いるんなら黙ってないで一言声かけなさいよ!

 ……そうよ、だって私もこの冬で卒業だもの」
 あんたと違って単位は余裕だから、現実的にね、と桜子が言う。
「宇佐美も入れて3人卒業か、さみしくなるだろうな」
「どうかしらね、アメノってしれっとちゃっかり楽しくやっていきそうじゃない」
「新入部員入ってくるかね」
「どうかしら」
「入ってこなくてもアメノにはやめないで欲しいな」
「そこまでして守る部でもないわよ」
 桜子は私物の撤収作業に戻る。
「フミノの話なんだけどさ」
「んー?」
 桜子がたいして興味もなさげな返事を返す。
「投稿してるのお前だよな、桜子」
「はは、疲れてるんならさっさと家帰りなさいよー」
 僕も、自分の私物を回収しながら続ける。
「秋号だけどさ、僕は編集長になって、フミノの小説に手を加えた。
 って言っても、ストーリーには触らない、細かい言い回しを3か所、勝手に変えた。
 たぶん、僕みたいなフミノマニア、フミノ自身じゃない限り気がつかない。
 だって、桜子、お前も言ってたろ、他人の書いたもの、一字一句覚えてられるかって」
 桜子が黙っているので続ける。
「それでも、紙媒体の部誌を見た桜子、アメノ、それから部誌を送った宇佐美からは何の指摘もなかった。指摘があったのは3人が部誌を見ただろう当日じゃなくて少し後の日になってからだった。部誌を渡したその場で桜子とアメノは部誌を読んでた、僕の目の前で」
 だからまず秋号の段階で、誰かがフミノの代わりに投稿してるんだ、と解った。
 じゃあ、次は誰がフミノと僕の間のパイプ――つまり、投稿者か、だ。
「この前、フミノのアドレスにメールを送った。会えないのだとしたらどうしても手渡しで手紙を渡したいって。手紙は部室にひっそりおいておくからって」
「それで?」
「その翌日から僕は毎日部室に通った。今日まで誰も来なかったよ」
「それで、今日はあたしがいた?」
 僕が頷くと、桜子が観念したようにこちらを向く。
「やっぱ、めんどくさいわ、文学男」
 
*****************
「フミノの名前で出してる小説はね、4年弱前――ちょうどあたしが文芸部に入部したころまでに死んだ妹が書き溜めてた文章なのよ」
「桜子の妹?」
「そうよ。
 というか、順番が逆ね。ちょうど4年前の冬、趣味で小説を書いてるこじらせ文学少女の妹薫子が死んで、それを投稿しようって思って、あたしはたいして興味もない文芸部に入ったわけ」
 とくに味も涙っ気もなく桜子が話す。
「べっつに、あたしがフミノだってこと隠す必要もなかったんだけど。1作目を投稿して早々、気持ち悪い遠藤って部員が『僕はフミノが好きだ』とか『理想の女の子だ』とか抜かすから言い出しづらくなったんじゃない」
 まったく僕のせいである。
「妹の作品を投稿できれば、それであたしは満足だったんだけど、遠藤にあたしが投稿者だってばらしたくなかったし、それに。
あたしはあたしのペンネームで小説出すようになってからなんか、フミノがあたしと関係ない人、違う人、別な人、みたいな気がしてうれしかったのよ、妹が死んでないみたいじゃない」
 桜子が言う。センチメンタルなことをノンセンチメンタルに。
「で、これが本当のところよ。あんた的にはハッピーエンドじゃない?」
 だって知らない、しかも死んだ人物がフミノなら、いくらだって美化できるでしょ?と。
「残念ながら、書いてたのはあたしじゃなくてよ」
「残念じゃねえよ」
「それで?フミノに渡すって言う手紙は?」
「そんなもん用意してねえよ。投稿者が誰か、フミノが誰か突き止めたかっただけなんだから」
「それで、ここまで話たんだから、ついでにすごく文学ちっくな話していい?」
 桜子が言う。
「妹の書いた小説は前回秋号で載せた分で終わってるの」
「途中じゃなかったか?」
「そうよ、途中で終わってるの。本当は、最後の最後に投稿せず、連載作品は未完で正体を消す、ってロマンチックな終わりかたをあたしは用意してたんだけど。
 せっかくだから、というか、もう失うものもないから、最後はあんたが書いて完結させてよ、フミノの名前で」
 今度は僕がフミノの名前で文章を書くっていうのか。笑ってしまう。
 僕は桜子の目を盗み、本棚の隅に忍ばせた手紙を回収して部室を出た。

***************
「泣かないんですね」
「泣かないだろ」
「まあ、そうですね」
 卒業式を終えて、文芸部に唯一のこる後輩、アメノと会う。
「来年も部に残るのか」
「いいえ、辞めます」
……。
「うそですよ。残ります。残ってやりますよ。
 辞めてようが続けていようが、たいして変わりもない部活動でしょう」
 それでも今ほっとしてる僕は、それなりにあの弱小部に思い入れがあったのかもしれない、なんて。
「結局、フミノさんには会えました?」
「会えてないから冬号でフミノと僕の名前が隣にないんだろう」
「そうですね。でも、そんな恋の終わり方が遠藤先輩らしいです、先輩」
 絶対ホメてないだろう、後輩。
「桜子には会った?」
「いいえ。でも桜子先輩とは卒業しても時々会いたいと思ってるんで」
 僕とは?とは聞かない。粋な先輩だから。
「お前ら、けっこう仲良いもんな」
「そこそこですよ」
「ところで、桜子の……兄弟とかに会ったこと、あるか?」
「桜子先輩のご兄弟ですか」
 アメノが首を傾げる。
「いませんよ? 桜子先輩は生粋の一人っ子です」
「……昔から?」
「どういう意味ですか?
 私の知ってる限り、桜子先輩は生まれてからこのかた兄弟姉妹はいませんよ」
 言葉を失う僕に、何を察したのか何か知っているのかアメノは笑う。
「だから言ったじゃないですか」
 そういえば。
「文章書く人なんて嘘つきばかりです」



 
 

密に落ちる(有間ゆり)

密に落ちる(有間ゆり)

実際以上に弱小な文芸部の話。超薄口の恋愛もの。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-07-11

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