花毒

花毒

顔を寄せれば藤の香の
縁に赤みが差す君の

耳朶(じだ)の薄さの(はね)の如しよ
リラは重みに重なりつ

一朶、ニ朶と(ようよ)う積のる


まぶたを閉じたり開いたり蝶の羽休めのようにぎこちなくはたはたやっていたら、やがて開く力がなくなった。
ここはたぶん野外なのだと思う。だけどあんまり心地よくって、警戒心がうすくなる。

眠い、眠くない。眠い、眠くない。

自分の夢に出演している。
この世界は澱んでいるのに、澱んだ世界に生きるあなたは美しいのね。
美しいので、澱みの世界の継続を願ってしまうこの葛藤。この矛盾。やがて自身も惰性で緩々(ゆるゆる)と淵から深みへおちてゆく。汚らしく濁っていて生暖かで、でも一度浸かってしまったらもう何も構わなくなる。
時折ちらとのぞく華奢な背中がある。この角度からでも、長い睫毛はしっかり見て取れるからあなただと分かる。
飾っていない美しさというのはどうしてこうも求心力があるのだろう。私はにこりとも笑わずに息を詰め監視している。あなたと対を為すように私は、醜い。
なぜ醜いか。
なぜ醜いかなんて、そんなもの。
そんなものは生まれつきに決まっているじゃあないか。
程よい重みのある水の中のような世界で、私はそこの主となった。
毒性が脳を冒して徐々にあなたを憎みはじめる。
この世界で生きるには、あなたは優し過ぎる。
あなたは本来、もっと美しく澄んだ世界に生まれるべき者だったのだ。それが憎い。
突如、あなたが振り返る。白目の影が青く、赤みのさした血色のよい肌は健やかさのしるしである。けれど、あなたを輝かせている根源はあなたの生命力そのものだ。こちらに気付いたらしく、躊躇わずに笑いかけてきた。私は嘘がとても上手なので、笑顔で滑らかに返す。
「こんにちは」
警戒も全くなしに、あちらからするするやって来る。
「こんにちは」
私の方ではあなたが憎いのに。でも、同じくらいに慕わしい。自分の片手に持った何かを後ろ手に隠して一歩前に進もうとしたら、

目はそこで醒めた。頭を上げたら、積もっていた何かが次々落ちてきた。この香り。甘くて、しつこいくらいで。落ちて来たのは、大きな花房だった。
リラ、藤、ライラック、ウィステリア。そのあたりの種類の花なのだと思うのだけれど、植物に疎いものでどの名がどれを指すのか判らない。三角の房に果実が実るようにして付く花弁。この種の植物のどこかの部位には、軽い毒性があるらしいと聞いたのだけれど。
──苦手な香りだな。
お婆ちゃんの古い鏡台に仕舞い込まれた古めかしい香水みたいな香りだ。新鮮な生花なのに(いにしえ)の気配を感じる。
せっかく夢から醒めたのに、夢よりも夢のようなシチュエーションだった。花に埋もれて眠る女。整えられた庭園。ミツバチの翅が唸る音が聴こえる。景色はもやもやと、不自然なほどに(けぶ)っていて全体像が曖昧だ。
ただ、花に埋もれて眠る女──私──は先程の夢と(たが)わず美しくはなかった。夢の中でくらい美しくあってもいいものを。
じんわりと残る麻酔のように、私の身体は痺れたように重く、緩慢な動きしか出来ないのだった。ここはどこだろう。
見ると、私の腕は剥き出しで、黒い虫が幾匹も肌を喰いちぎって侵食してきている。体の半分が私の肌に埋まるほどだ。悲鳴を上げて走ったら空気の重みが妙で、分かった。これもまた夢だ。怖い。

またあなたに会った。あちらは私の前方にいて、見られていることに気付いていない。
透明色の髪を綺麗にまとめあげて、頭の形に沿わせている。それは畝りながら這う蔦植物のように自然で、まるで芸術作品のような様子なので見蕩れてしまう。
でも、耳に化粧しないのはなぜだろう、あんなにはだかなのに。耳は、もっとずっと、飾っていなくては駄目だ。いけない。
挿したい。あなたの耳に挿したい。先程の夢に見たあの、重くて華々しい房花の群を。
何故飾らない。
いいえ。あなたは飾らないから美しいのに。飾りの無さが、あなたの飾りなのに。
でも気付いてしまう。私は夢を跨いで右手に幾房もの花をしっかりと掴んでいた。

あなたに刺した、気がする。鋭い茎部分を突き立てて耳を攻撃した気がする。毒を、毒が行き渡るようにと念じた気がする。
翅のように繊細な皮膚は、すぐに穴が開いたので簡単に重たい生花を引っ掛けられた。香りが強くてくらくらする。私はすぐさま(いにしえ)へ向かう。あなたが痛がったのか、気がついたのかどうかすら記憶があやしい。



知っている? 小説家なんて嘘つきよ。存在しない世界の、存在しない人間の話をさも実話のようにまことしやかに語るのだから。その人たちに感じる必要のない苦しみをわざわざ与えて、重みで動けないようにしたりさえするの。私を喰っていた虫みたいにね。私にとって、嘘の世界なんて簡単よ。そういうのとても得意なの。がっかりした?
がっかりしてよ。
がっかりしないと泣いてしまうな。泣いてしまう。
私のこと、おとなだとおもわないで。私はどこもかしこも未完成のままだよ。おとなみたいに見えるでしょう。でも違うの。どうしようもないの。

そうしてね、私なんて結局書くことしか出来ないの。悲しみも苦しみも喜びも愛しさも、書くしかない。その方法でしか出せない。でもそれさえ後悔したり、不意に閉じたくなったり。その繰り返しだ。
世界は私視点でズームになっている。周りが見えない。ズームになっている。ズームになっている。ズームになっている。
あなたはひどく罪深い。憎くて慕わしい。どうして良いかわからなくなる。
とても、口には出せない。出してはいけない。
言えなかったし、言ったら駄目だった。駄目という決まりだった。

だから書く。私は滑らかに嘘をつき続ける。

花毒

花毒

絵を描くみたいにして言葉を書いたら、こんな風になった。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-02-20

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