ゴースト・クリスマス(ソフィと魔物の物語)

          1

 
 みなさんはゴースト・クリスマスを知っていますか?
12月24日の晩に家族が集まって、いろいろな幽霊の話や不気味な魔物の物語りをするのです。
それはこの日の日没から25日の日没までが、キリスト誕生を祝う日であると同時に、その死と復活を意味し、また、冬(死)
が終わり、春(生)の最初の日を迎える日とされるからです。
では、わたしもみなさんに、ひとつのお話しをしてみましょう。

          ☆ * ☆ * ☆

 とても寒い陽の暮れ方でした。
海からの風はヒューヒュー叫びながら、カチコチに凍ったあられを叩きつけてきます。
吹き寄せられたゴミだらけの汚い砂利道には朝方降った雪がそのまま残り、陸の方には荒れ果てた空き地が遠く広がっています

ここにはたくさんの家々があったのですが、運河を作る工事のために無理やり立ち退きをさせられてしまったのです。
海運会社は家を失ってしまった人々に、代わりの家を建ててあげたりはしませんでした。
お金のある人はまだしも、貧乏な人々はそのままホームレスになって、ロンドン市街の東のすみに重なり合うように暮らすしか
なかったのです。

 19世紀中ごろのこのころはお金持ちと貧しい人の差が激しく、ガツガツをお金をためることを恥ずかしいと思う人がだんだ
んに少なくなっていたのです。
産業革命以降の大規模な工場を持つ資本家たちの多くが、一度お金をつかんだら絶対に手離したくないと考えるようになり、人
々への賃金も惜しむようになっていました。
豊かな人々は主にロンドンの西側(大ロンドン)に住み、銀行や会社、大小の商店などもそこに集まっています。
貧しい人々は毎日そこまで通うか、年にいちどのクリスマスの夕方に、たった1日の休みをもらって家に帰る「住み込み」とい
う形で働いていました。

 凍えそうに風の吹きつのる、家の跡だけしか残っていない荒れ地を、粗末な服に身を包んだ少女が歩いていました。
大ロンドンにあるお金持ちの家にお針子として住み込んでいる14歳のソフィ・ブラウンです。
たった1日のお暇をやっともらって、大急ぎで東ロンドンの家に帰る途中でした。
本当はこんな人気(ひとけ)のない寂しい所は通りたくないのですが、ここを突っ切れば近道になるのです。

 遠くからパカパカと走る馬のひづめの音がします。
折しも今日の最後の夕日が不機嫌にギラリと輝いて、分厚い雲の向こうに沈もうとしていました。
赤茶色の光に照らされて、大きな黒馬のようなものがみるみる近づいてきます。
でも、とても不思議な姿です。
真っ黒な毒蛇の束のように不気味にうごめく、長いたてがみをなびかせる頭の部分は見えるのですが、その他の体は闇を引きつ
れたようにモヤモヤをしてはっきりしないのです。
12月24日の日没から、次の日の日没にかけて現れるという「オーヴァゲッシュ」という魔物でした。
このような荒れ果ててさびしい荒野や、海藻がうずたかく打ち寄せられる海辺、凍りかけた水がわだかまる湿地などを通る人の
前に現れて、いくつかの質問をし、その答えが気に入らないとたちどころに命を奪ってしまうという、恐ろしい魔の馬です。
ソフィ・ブラウンは怖くて怖くて、声も出ません。

 「ここはおれ様の領分だ。断りもなく通るおまえは、なぜ、そんなに急ぐ?」
尋ねる声は地下の牢獄から響いてくるような暗くて低くて重い、とてもいやな響きです。
「本当にごめんなさい。でも、わたしは一刻も早く自分の家にたどり着きたいのです。どうか、ここを通るのを許して下さい」
怖さに涙が出そうになるのをこらえて、必死にお願いします。
オーヴァゲッシュは、「バルルイッヒヒン」というように鼻で嗤いました。
「ほほう。おまえがそんなに帰りたい家とは、たとえば、こんな家かな?」
重苦しい声が言い終るか終らないかに、あたりの風景は一変しました。


          2


 ソフィはなんと、華やかな大ロンドンの大邸宅の中でもひときわ立派な市長さんのお宅にいたのです。
舞踏会で何百人もの上流の人々を集める邸宅の正面には広い楕円形の馬車回しがあります。
その真ん中にはものすごく大きなクリスマス・ツリーが、キラキラ輝くすばらしいオーナメントをいっぱいにぶら下げてそびえ
ています。
どこから見てもまばゆいばかりで、物語りか夢の一場面のようでした。
「ブルッフ、どうだ?急いで帰りたい家とはこういう家を言うのだぞ」
オーヴァゲッシュは得意そうです。
きっとソフィが魂消(たまげ)て、自分の言うことに大賛成すると思ったのでしょう。
「いえ、こんなおうちは、わたしには不相応です。こんなところに帰りたいとは思いません。さぁ、早く、わたしを元のところ
に戻してください」
「なに?バルッフウ。では、これはどうかな?」
ダンス会場の大広間の後ろにはもうひとつ広間があって、そこにはクリスマスを祝うたくさんの食べ物がガス灯の明かりに照ら
されて豪華に並んでいました。

 肉や魚や果物、スパイスのとてつもなくいい匂いがします。
本物の黄金の皿に乗っているのは豚や仔牛の丸焼き、スペアリブ、レアのサーロイン、切り分けたロースなどの高価な肉料理で
す。
その向こうには美味しそうに味付けされたクリスマスならではの七面鳥、ガチョウ、チキン、鳩、ウサギ、中国からの北京ダッ
クやピータンも見えます。
キラキラ輝くキャビア、水揚げされたばかりのカキの大樽。
スズキという魚のトマト煮の横には日本から持ち込まれた大きなタイが、金銀の水引細工に囲まれて王様のように飾られていま
した。
さまざまな風味に味つけられた大小のソーセージの輪、くん製の山、白や黒のトリュフ、クリや香ばしいハシバミ。
肉入りや魚のパイ、干し果物やクリームいっぱいのパイ。
その真ん中にはプラムの見事に詰まったクリスマス・プディングが、とても上手に蒸しあげられてたくさん並んでいます。
これは食べる前に極上のブランディーでフランべされるのでしょう。
様々なお酒の樽やビン、いろいろな味のホット・ワインのそばには、たくさんの果物を浮かべたフルーツ・パンチの大鉢が、甘
い匂いを振りまいて鎮座しています。
本当に美味しそうで、どんな偏食の人でもこのごちそうの前では、よだれを流さずにはいられないと思うほどです。

 「どうだね?おまえの家とやらにひとつ持ち帰っては?おれ様が許可する」
ニタニタといかにも魔物らしく歯をむき出しながら、オーヴァゲッシュがそそのかします。
このたくさんのぜいたくな食べ物のどれかひとつでも持ち帰れば、お父さんやお母さん、幼い兄弟たちはどれほど喜ぶでしょう

うれしそうな顔が目に浮かぶようです。
思わず、手近な一つを手に取ろうとした時です。
ソフィの良心と誇りが強く押しとどめました。
「いえ、けっこうです。わたしは乞食ではありません。これは市長さんのお客様のためのものです。あなたが許可を下さったと
しても、お客でもないわたしにはこれを持ち帰る権利はないのです」

 オーヴァゲッシュはイライラと蛇のようにうねるたてがみを振りました。
「バルッフ。では、これならどうかな?」
またまた、周りが一変しました。
今度は金色の紋章から見て、ロンドン郊外のウィンザー城のようです。
ソフィはイギリスの歴代の女王様を迎える素晴らしく金ピカの「ステート・ダイニングルーム」にいたのです。
周りには赤いポインセチアやモミの枝、温室で咲かせたバラの花で飾られた大きなアーチ型の生け花が、いくつも飾られてまる
で森の中のようです。
真っ白な絹のテーブルクロスをかけた大きくて長い食卓には、たくさんのお菓子がまるで宝石のようにきらびやかに並んでいま
した。

 真ん中に誇らしくそびえるのはビターの黒、砂糖とミルク入りの茶色、ココアバターいっぱいの白の3つのチョコレート・タ
ワーです。
その下には親子の猫ちゃんをかたどった砂糖菓子がまるで本物のように愛らしく並んでいます。
ガラスの器に盛り上げられた色とりどりのキャンディは、円形、楕円形、星形、杖の形に固められて、にぎやかで楽しいおもち
ゃ箱の中身のようです。
その隣に並ぶのが、なんと童話にあるような、ステキなお菓子の家。
クッキーの壁にはジャムの木目、ブラックチョコレートのひさしと窓わく、ゼリーのガラス。
白いバター・クリームをいっぱいに乗せた分厚いカステラの屋根にはちゃんと暖炉の煙突がついていて、それは全体がホワイト

チョコのかたまりなのです。
粉雪に見立てた粉糖がふんわりかけられていて、優しい甘い匂いがします。
その向こうにある大きなデコレーション・ケーキは、色とりどりのバラの形をした生クリームにたっぷりと飾られて、まるで夢
のようでした。
チョコやマロン、ドライフルーツがいっぱいのもの、ラムネ菓子やゼリーで飾られたものと、種類も豊富です。
丸型だけでなく、ノエルやピラミッドの形に整えられて、もう、目移りしてしまいそうです。

 そして極めつけは、窓際に飾られたアイスクリームやシャーベットのガラス鉢。
周りに敷き詰められた硝石をまぶした氷の上で、金色の取り分けスプーンを従えて、虹やクレパスのような優しいパステル・カ
ラーに染まっています。
マンゴーやパイナップルなどの南国の果物味、チョコやミント、イチゴなどの人気味、ちょっと大人のコーヒーやナッツ、ラム
酒の味など。
部屋中の甘い香りで、頭がボーッとしそうでした。

 「ケーキやアイスはどうだ?どれでも持っていくがいい」
またまた、オーヴァゲッシュがそそのかします。
ソフィは今度こそ、心が動いてしまう気がしました。
可哀想な彼女の弟たちは、このような立派なお菓子を食べたことがないのです。
持っていけば、どれほど喜び勇むでしょう?
それでも彼女は首を振ります。
「いいえ、これは盗みです。悪いことです。盗んでまで持ってきたことを家族が知ればどれほど悲しむでしょう?『盗むなかれ
』と神様もおっしゃっているではありませんか」
「バルルウッフフゥ」
オーヴァゲッシュは悔しそうに唸りました。


          3


 魔の馬はしばらく不機嫌に黙っていました。
それでも、なにか思いついたらしく、
「おれ様は興味がある。おまえの家にはどれほどの価値があるのか?見てみたい。さぁ、行こう」
と、ソフィを急がせるのです。
「だめですっ。来ないでくださいっ」
必死に断ります。
こんな魔物に来られてはだれだって大迷惑です。
でも、無駄でした。
一瞬ののちにはもう、みすぼらしい自分の家のドアの前にいたのです。
軒の低い古ぼけた狭い家です。
それでもホームレスの人たちよりはましです。
幸いにもソフィの家は運河の建設地域から少し外れていたのです。

 「いいか、おれ様の姿はおまえにしか見えない。だれも気付かぬから安心しろ」
オーヴァゲッシュはソフィがどんなに困っていようと、そんなことには関知しません。
言うが早いか、彼女を頭で突き飛ばしました。
いかにも魔の馬らしい荒っぽいやり口です。
ソフィは転がるようにドアを入りました。
「あら、お帰り。寒かったでしょう?ずいぶん急いで帰って来たのね。息がはずんでるわよ」
なにも知らないお母さんが粗末な台所から声をかけます。
そしてニコニコしながら、帽子やケープや手袋をはずすのを手伝ってくれました。
「去年より大人になったわね。もう、立派なレディだわ」
住み込みですから、1年ぶりに会うのです。
お母さんのはずんだ声に、小さな弟たちが歓声を上げて飛びついて来ました。

 狭い台所のすみでたきぎを割っていたのは長男で10歳のハリー。
質の悪い泥炭に火をつけようと一生懸命がんばっていたのが、7歳のフレディです。
2人とも自分がいかにお母さんの役に立っているかを見せようと、居間とつながっている台所へ引っ張ります。
「だめ、だめ。お父さんにただいまを言わなきゃ」
ソフィの声に、たった一つしかない寝室にいたお父さんが出てきました。
「ああ、お帰り。とてもいい娘になったね。お父さんとお母さんの誇りだ」
そううれしそうに言って、しっかりと抱きしめてから、おでこに祝福の口づけをしてくれました。

 お父さんは以前は小さな町工場に勤めていましたが、大手の工場の進出でつぶれてしまい無職になってしまったのです。
もともと大して裕福ではなかったこの家は、たちまち貧乏になっていました。
ソフィのわずかな給金では、とても一家5人が食べていけません。
事務職だったお父さんはあせって、若者たちに混じってきつい肉体労働に励んだため、今は身体をこわしてしまっていたのです

 でも、この家族は愚痴を言ったりはしません。
子供たちは以前よりずっとお手伝いに熱心になりました。
お母さんはわずかな庭で苦心して野菜を育て、遠くの肉市場まで行って肉のクズや魚のアラと交換してくるようになりました。
ささやかでしたが、この家の人たちは物乞いなどをせず、自分たちで工夫して生きて行こうとしていたのです。


          4


 ソフィが帰ってきたことで、クリスマスのお祝いの準備は急ピッチで進みます。
ツギハギだらけですが、きちんと洗濯されたテーブルクロスをかけ、塩ゆでしたジャガイモの鉢、タマネギをベーコンの切れ端
でいためた皿、ちっぽけなピクルスのビン、それにミルクつぼと固いパンが並びます。
とでも貧しい食卓ですが、それでも今日はガチョウの丸焼きがあるのです。
リンゴや洋ナシ、いろいろな香草や香辛料をお腹に詰めて形を整えたガチョウが、いい匂いを周り中に振りまいて食卓に出され
るとみんなの歓声が上がります。
ほめ言葉や感謝の声、明るい笑いが小さな部屋いっぱいに広がります。

 19世紀中ごろのロンドンでは裕福な家の台所にはすでにガス管が引き込まれていました。
でも、大多数の家はコークスや石炭、さらに貧乏な家では石炭クズや泥炭、たきぎが生活の中心でした。
「霧の町ロンドン」はとてもロマンティックな言葉ですが、実態は石炭や泥炭の燃えカスの黒くて汚いスモッグでした。
ですから、当時はソフィのお父さんのように、無理して身体を使うことによって呼吸器を痛めてしまう人が多かったのです。

 たった一つしかない燭台に明かりがともされると、いよいよ今夜の立役者「クリスマス・プディング」の登場です。
弾丸のように少しとがった先端に赤い実をつけたヒイラギの枝を飾って、しっとりと重量のある、小さくてもとても出来のいい
プディングです。
良く熟成されていて、ほうじゅんな香りがみんなの笑顔をさそいます。
安物のブランディーをほんの少しだけ、大切にたらして火をつけます。
青くてきれいな炎に、子供たちが大喜びで手を叩きました。

 「とても素晴らしい出来だね。マギー。神様もきっとお喜びになっているよ」
お父さんはうれしそうにお母さんをねぎらって、神様へのお祈りの言葉をつぶやきます。
「天上におわせる父ならびに御子よ。われらが家族そろって幸いなるクリスマスのこの日を迎えられましたことを心より感謝い
たします。どうか地上におけるすべての魂に、あなたの眼差しが届きますように。慈悲深きあなたの愛があなたの御心のままに
、この地上に満ちあふれますよう祈ります。アーメン」
「アーメン」
家族全員が敬虔に唱和して、いよいよ晩さんの始まりです。

 プディングとガチョウを切り分けるのは、家長のお父さんの役目です。
お父さんはこれを実に上手に果たしました。
きっと神様ですら、これ以上平等に分けることはできなかったでしょう。
家族のみんなは大満足で、とても幸せな気分です。
暖かいミルクで身も心もほっこりし、おいしいごちそうに心から舌つづみを打つのです。

 そう言えば、オーヴァゲッシュはどうしたでしょう?
すっかり忘れていたソフィは、そうっと居間を見回します。
いました。
2メートルくらいしかない低い天井の真ん中にオレンジ色の実をつけたヤドリギが下げてあるのですが、その横。
不気味にうごめくたてがみをふり乱した黒い頭が、天井などないかのように浮かんでいます。
闇色でモヤモヤしている体は壁と一体化して、部屋の中に何があろうと少しもじゃまになっていないのです。
さすが魔物です。
意地の悪い目は相変わらずニタニタとけいべつを含んで、この貧しくも幸福な家庭のありさまを見下ろしていたのでした。

 「姉さん、とてもいい話があるんだけど。聞きたい?」
長男のハリーガ楽しそうに言いだします。
「なぁに?聞きたいわ」
「あのねぇ、ぼく、働けるかも知れないんだよ」
そうなのです。
10歳になったハリーに、ガス灯の点灯夫の話が来ていたのです。
ロンドンの町の街路灯は地下に埋設したガス管を使っていましたから、夕方になると長い火灯し棒で街灯を灯す、点灯夫という
職業があったのです。
もちろん、朝になれば点けた火を消しに街を巡ります。
「すごいわ、ハリー。もう大人ね」
ソフィが心からほめます。
このころの子供たちは早く一人前に働いて、家計を助けたいという強い気持ちを持っていました。
ですから、大人と言う言葉は最高のほめ言葉だったのです。
ハリーは得意そうに胸を張り、弟のフレディはそれをうらやましそうに見守りました。

 「うれしいことだね」お父さんが言いました。
「わたしは本当にいい子供たちに恵まれた。ソフィ、ハリー、フレディ。もっとよく顔を見せておくれ。みんなのおかげで元気
が出て来たよ。クリスマスが終わったら、働き口を探しに行こう。こう見えてもお父さんは有能な事務員だったんだ。それをわ
かってくれる雇い主がきっといる。なぁ、マギー」
「ええ、きっと。わたしもそう思いますよ」
家族全員が明るい希望で楽しそうに笑いました。
「バルッフヘヘヘヘ」
天井の方からオーヴァゲッシュが無遠慮に冷たく嗤います。
でも、幸いなことにそれが聞こえたのはソフィだけでした。


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 食事が終わるとテーブルの上はきれいに片づけられました。
これから家族そろって、ゲームで楽しむのです。
一番最初は「いつ・どこで・だれと・だれが・なにをしたか」という遊びです。
みんなで1枚の紙を回して、だれにも見られないようにして、「いつ」からひとり1回づつ、書き込みをするのです。
ルールがあって、最初に「いつ」を書いた人は次の回では違うところを書くようになっていますから、「どこで」や「だれと」
を書いたり、最後の「なにをしたか」を担当したりと、回を重ねるごとにいろいろな言葉を書くのです。
みんなで回し書きをした1枚目の紙は、
いつ=昨日、どこで=ロンドン橋の上で、だれと=神様と、だれが=お巡りさんが、なにをしたか=ゴッツンコをした、となって
、みんながいっせいに笑いました。
次は、
いつ=この世に始まりに、どこで=天国で、だれと=お母さんと、だれが=お父さんが、なにをしたか=結婚式をした、となって
いて、まるでひとりの人が書いたようにうまくまとまっていました。
家族中が「う~ん」と感心します。
この遊びは、かなり長く続きました。
ソフィの家の子供たちは学校へ行く余裕などありません。
そのため、せめて遊びによって必要な文字を書けるようになるようにと、お父さんお母さんがこれを奨励していたからです。

 そのあとはみんなでシリトリをしました。
それにあきると、お母さんがいい声でクリスマスの歌を歌います。
家族全員がそれに合わせて声を張り上げます。
童謡や流行歌、ロンドン市の市の歌も歌われました。
楽しくてみんなの顔は明るく上気し、寒さも感じません。
ついに喉がからからになって、お茶を入れて飲むありさまです。
「バルッフウ、実にくだらん。おろかなことだ」
魔の馬の不機嫌そうなつぶやきが聞こえますが、ソフィはもう気にしません。
大きなお世話だからです。

 「さぁ、もう寝よう。明日は教会に行こうね。では、マギー、ソフィ、ハリー、フレディ、お休み」
お父さんの言葉でソフィを除くみんながたったひとつの寝室に行きます。
この家にはベッドが2つしかないのです。
お父さんはフレディを抱き、お母さんはハリーといっしょです。
ソフィは居間の隅にテーブルを移動し、その上にわら布団を敷いて寝ます。
寒くて粗末でささやかですが、ソフィにとっては素晴らしい我が家の寝床なのです。
住み込み先のお金持ちの家では怖い女中頭のお婆さんがいて、いつもガミガミ小言を言ったり、夜中でも用事を言いつけたりし
ます。
そのせいで他の女中さんやお針子のソフィたちは寝る時もゆっくり寝られないのです。
たとえ女王陛下がやって来てこの寝場所を取り替えてくれと言ったとしても、きっと断ったでしょう。
新聞で見たような、あんなに広くてお飾りだらけな部屋でたった1人ぼっちで寝なけれないけないなんで、きっと寂しくてネズ
ミに引かれてしまいます。

 伸び々と身体を伸ばして、幸せな気持ちで横になりました。
天井を見上げると、あいかわらずオーヴァゲッシュの黒い頭が見えます。
小馬鹿にしたようなまなざしが、斜めに見下ろしています。
おそらく、明日の日没まで居座るつもりでしょう。
ソフィはずっと気になっていたことを聞きたくてたまりません。
このチャンスを逃したら、もう、聞くことはないと思われます。
勇気を出して言葉をかけてみました。
「オーヴァゲッシュさん、わたしはあなたのクリスマスが知りたいわ。あなたはどんなクリスマスを過ごすのかしら?」

 「おれ様のことを知りたいだと?おれ様に質問とは無礼千万だ」
地獄の底のような声が、荒々しく返事をします。
それでもオーヴァゲッシュは気分を変えたようでした。
「ブルッフフゥム、まぁ、いい。おまえの疑問に答えてやろう」


          6


 ソフィは一瞬で海鳴りのさわぐ、ろくに草も生えていない寂しい岬の道にいました。
弱い夕陽が沈もうとしていて、絶えまなく風が吹きすさぶ空には海鳥の姿もありません。
時折、身を切るように冷たい波しぶきが風に運ばれて身体にかかります。
人っ子一人見えない、荒れ果てた向こうのほうから、だれかがやって来ます。
「ここはおれ様の領分だ。断りもなく通るおまえは、なぜ、そんなに急ぐ?」
オーヴァゲッシュが行く手をさえぎりました。

 その人は荒海の突端の灯台を守る灯台守の老人でした。
荷馬車を御して、なにやら急いでいます。
 「ああ、魔の馬だね。頼むから通しておくれ。わたしの灯台はアルガン・ランプだから、オイルを燃やすだろ。そのオイルが
もう、4週間も届かない。困り果てていたら、ついさっき電信で連絡が来てね。町まで取りに行くところさ」
「明日にしろ。もう、日も暮れる」
「わたしだって明日にしたいが、そうもいかない。オイルが残り少ないんだ。もし、灯台の光が途絶えたら、あんたに何の関係
もない船乗りたちが難儀する。あんただって、それじゃあ後味が悪かろう。さぁ、通しておくれ。わたしの言うことを聞いてく
れるなら、あとでお礼に美味しい「ふすま(馬の飼料)」をまいておくよ」
「ブルルヒヒヒヒン」
オーヴァゲッシュは上機嫌で道を開けました。

 次はもう、真夜中のようでした。
冷え切った月明かりに照らされた沼地と、枯れかけた木々の見える薄気味悪い道を、みすぼらしい馬車が急いでいました。
炭鉱で使う大きな馬が引いているところをみると、やって来るのは炭鉱夫でしょう。
御者台にはお父さんが座り、ボロボロの幌の中には痩せたお母さんが、ぐったりした子供を必死に抱いています。
「ここはおれ様の領分だ。断りもなく通るおまえは、なぜ、そんなに急ぐ?」
オーヴァゲッシュがさえぎると、炭鉱の馬がびっくりしてはね上がってしまい、馬車がこわれそうにゆれました。

 「なにをするっ。見てわかんねえのかっ、バカッ。大事な子供の具合が悪いから急いで医者に行くんだよっ」
お父さんはそれだけ言うと、オーヴァゲッシュを掃きどけて、さっさとすり抜けようとします。
さっきの灯台守は穏やかで物の分かった人でしたが、この炭鉱夫は職業柄、少々短気で荒っぽい人でした。
それに加えて、自分の子供の容体が心配で気が立っていましたから、思わず、魔の馬をおこらせるような行動を取ってしまった
のです。
「ふそんなやつめ。許さんぞ」
案の定、オーヴァゲッシュが地獄のとびらを開けるようなおそろしい声を出しました。
魔物特有のワニのように鋭い歯をむき出しにして、バリバリとかみならします。
幌の中のお母さんはあまりのおそろしさに気絶しそうになっていました。
それでも必死に正気を保って神様の名前を唱えます。

 ソフィはもう、だまって見てはいられませんでした。
「オーヴァゲッシュさん、あなたが悪いわ。子供が病気になった時、親がどんな気持ちになるか想像もできないなんて。気の毒
だとも助けたいとも思えないなんて。さぁ、行ってください。これは魔の馬なんです。魔物の言うことなんか聞くことないわ」
それを聞いて炭鉱夫は大急ぎでピシリと鞭を鳴らし、ちょっと頭を下げて通り抜けて行きました。
それから先はがむしゃらな全速力で、あっという間に遠ざかったのです。

 「よけいなことをっ。おれ様を怒らせたなぁっ」
オーヴァゲッシがかんかんになって叫びます。
気味悪くうねるたてがみを振り上げ、雷のような音をさせて足をふみならすと、あたり一面が地震のようにグラグラと揺れるの
です。
ソフィは怖くて怖くて悲鳴を上げて地面にひれ伏します。
それでも必死で言いました。
「あなたはわたしたちを苦しめるお金持ちや地位の高い人たちと同じだわっ。自分のことだけ、自分の都合だけっ。神様は絶対
にお許しにならないわっ」
「うるさいっ、黙らないとひどいぞっ」
闇をまとった凶暴なひづめが、まるでふみ殺してしまうように高く振り上げられました。
それでも重いひづめはソフィをぎりぎりのところで避けたのです。


          7


 アッと思った時には、ソフィはわら布団の中にいました。
夢でしょうか?
いいえ、夢でない証拠に、不機嫌で耳をピッタリ後ろに寝かせたオーヴァゲッシュが天井にいます。
魔の馬はあんなにおこったのにソフィに危害を加えることはなかったのです。
なぜでしょう?
とでも不思議なことでした。 

 実は、オーヴァゲッシュは絶対にみとめないでしょうが、ごうまんで怒りっぽくてかたくなな心の中に少しの変化が起きてい
たのです。
王宮や上流階級の邸宅やごちそう、子供たちの大好きなお菓子を見ても、ソフィがちっともうらやましがらないどころか、なに
ひとつ持ち帰らなかったこと。
貧しくつつましやかな家族がとても仲が良くて、楽しく工夫し協力しながら生きて行こうとしていること。
そして病気の子供を連れて医者に急ぐ炭鉱夫に言った言葉。
「子供が病気になった時、親がどんな気持ちになるか想像もできないなんて。気の毒だとも助けたいとも思えないなんて」
これらのことを目の当たりにして、さすがの魔の馬の心にもほんのちょっぴりですが、自分を悔いる気持ちが芽生え始めていた
のです。

 「あら、ソフィ、起きてたの?とてもいいお天気。素晴らしいクリスマスの朝よ」
楽しそうなお母さんの声に、家中が起きてきます。
さっそく火が起こされ、かまどに鍋がかけられます。
今日の朝食はオニオン・スープに昨日の固いパン、それに小さなチーズがひとつ付くだけです。
それでもだれも文句も言いません。

 食事が終わると、25日の今日は教会で神様にごあいさつをするのです。
貧乏なこの家でもせいいっぱいの晴れ着に着替えてでかけます。
お父さんは一張羅のモーニング・コートに白いチョッキと白いシャツ。
古くてちょっとヘタっていますが、きちんとブラシをかけるとなかなかのものに見えます。
お母さんはもう何年も前の服ですが、ドレスのえりを変え、自作のペティコートを使って裾のふくらんだ今風のものに見せてい
ます。
ソフィも去年もおと年も着たドレスに、少しだけですが新しくてかわいらしいレースのひだとリボンを付けています。
お針子なのでお裁縫はお得意なのです。
2人の弟たちはカラーの高いシャツに、ソフィのお手製の子供用蝶ネクタイで、うれしそうにジェントルマンを気取っています

これらを見ると、お父さんが病弱になる前は、普通の市民の家だったことがわかります。
でももう、家は漆喰がはげ落ちてボロボロで、一度貧困に落ちるとなかなか元にもどれない世の中であることを示していました

 外は澄んだ朝日がさして、明るく穏やかな光に満ちています。
「クリスマスおめでとう」
「やぁ、とてもいい日だね。おめでとう」
「クリスマスおめでとう。お元気そうでなによりだわ」
町の通りのあちこちから、着飾った人々の楽しそうな声が聞こえます。
みんな知り合いだけでなく、行き合った人にだれかれなく挨拶しますから、にぎやかでゆかいな声があちこちから響きます。
「バルッフ、やかましいやつらめ。まるでカササギだ」
オーヴァゲッシュがイラついて毒づきますが、ソフィ以外のだれにも聞こえません。
もちろん、ソフィは無視しました。

 教会の鐘が鳴り響いて、クリスマスのミサが始まることを伝えます。
ソフィの家族たちも上機嫌な人々と一緒に教会のいすに座って、聖書を朗読したり、神様をたたえる歌を歌ったり、イエス様に
心からの感謝とお祝いをお伝えしたりします。
驚いたことに、どこにでも瞬時に移動できるはずのオーヴァゲッシュは教会に入ることが出来ませんでした。
魔の馬は神の祝福を受ける資格がないのでしょう。

 ミサは1時間ほどで終わったので、一家は町を散策します。
表通りには大ロンドンほどではありませんが、中小のお店が軒をつらねているのです。
ショーウインドウにはツリーやモール、ガーランドが美しく飾られて、楽しいお祝い気分を盛り上げます。
ソフィの家族はそれぞれに、ほんの心ばかりですが、物乞いの人たちに施しをしました。
政府の社会福祉のない19世紀のこのころは、不景気で失業したり、年を取って働けなくなったり、病気になったり、けがをし
たり、家を失ったり、騙されて財産をまきあげられたりした人はホームレスになるか、物乞いするしかなかったのです。
篤志家の運営する救貧院もありましたが、とてもひどい扱いをされるので、多くの人々は町の中で生きることを望んだのです。

 東ロンドンの町の一角にも、大ロンドンほど立派ではありませんが、公園があります。
人々が楽しそうに散策したり、のんびりとベンチで休んだりしています。
園内巡りの馬車を引く丸々と太った小馬も、今日はお休みをもらって、うれしそうに子供たちの差しだすニンジンやリンゴをか
じっています。
「バルルル、肥え太りおって」
オーヴァゲッシュが苦々しげに言います。
でも、その目はなぜか、みんなに可愛がられている小馬を離れませんでした。

 あちこちをゆかいに見て回って、一家は家に帰りました。
クリスマスおめでとうを言い疲れて、のどが痛くなりそうです。
お母さんがお茶とお菓子を出してきました。
サンタやトナカイ、ツリーの形をした大きめのクリスマス用のクッキーです。
ちょっとだけ砂糖のかたまりのついたお手製なのです。
「わぁ、かわいい」
ソフィの言葉にみんなが口々にほめそやすので、お母さんは終いにエプロンで顔をかくしてしまいました。
こんなささやかなお菓子でも大喜びしてくれる家族の心づかいに、うれしさのあまりちょっぴり涙があふれてしまったのです。
「バルッ、ヘ…」
オーヴァゲッシュがせせら笑いかけてなぜかだまってしまいます。
ソフィが不思議に思って見上げると、魔の馬は歯をむき出して、向こうを向けというように脅しました。
 

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 早い冬の陽が、もうかたむきかけています。
ソフィはこっそり家を抜けだして、オーヴァゲッシュを立ち退き跡の荒れ地まで送って行きました。
でも、奇妙なことに道々、闇をまとった魔の馬は何度も遠ざかっていく町の方を振り返るのです。
「オーヴァゲッシュさん、もしかしたら、町が気にいったのではなくて?あなたの住む荒野や海辺や沼地は、あまりに寒くて寂
しいわ」
ソフィの言葉に魔の馬は強く耳を伏せて、荒々しく頭を振り立てました。
「バルルッ、なにを言うっ。バカ娘めがっ」
そして「ブルルヒッヒヒヒヒ~ン」と力いっぱいいななくと、まるで大きな鳥が飛び立つように大地をけって走り出しました。
禍々しい毒蛇のようなたてがみがうずまき、モヤモヤした真っ黒な体を闇が不気味におおい、死神を引きつれたようなひづめの
音が遠ざかって行きます。
ソフィはその足音がたそがれの中に全く聞こえなくなるまで、そこに立ちつくしていました。
そして、彼女がオーヴァゲッシュの姿を見たのはそれが最後になったのです。

 やがて月日がたちました。
魔の馬の現れたさびれた荒野は運河になり、多くの船がにぎやかに行きかうようになりました。
イギリスに大きな開発の波が押しよせたのです。
荒れ地は様々な工場になり、海辺には港が次々にでき、沼地は干拓されて家々が建ち並びます。
オーヴァゲッシュの現れそうな荒れ果ててさびしいところはどんどん失われて行きました。
そのうちに魔の馬の話も忘れ去られてしまったのです。

 ソフィは大人になって幸せな結婚をし、女の子に恵まれました。
その子がちょうど14歳になったクリスマスの日でした。 
家族そろって教会でお祈りをしたあと、みんなで公園を通ります。
過ぎ去った昔のあの時のように丸々と太った馬車引きの小馬が、やっぱりお休みをもらって子供たちに囲まれていました。
とてもおとなしい利口な黒い馬で、子供たちが差し出すリンコやニンジンを、子供の指を傷つけないように、上手に舌とくちび
るでからめとって食べるのです。
子供たちも安心して次々に差し出します。

 「え?」
ソフィは思わず立ち止ります。
なつかしい名前が心によみがえったからです。
ちょっとためらいましたが、そっと呼びかけてみました。
「オーヴァゲッシュ…さん?」
渦巻くたてがみの黒馬は「ブルルッ」とびっくりして、頭を振り上げます。
そしてソフィを目が合うや、とぎまぎと明らかにろうばいしたのです。
大あわてでクルッと後ろを向くや、とっとと走って自分の馬小屋に駆け込んでしまいました。

 ソフィは思わず、クスクスと笑います。
「どうしたの?お母さん」
娘が不思議そうに聞いて来ます。
「あのね、お母さんは今、昔のお友達に会ったかもしれないの。詳しいことはおうちで話してあげるわね」
魔の馬は消え去ったのではなかったのです。
ちゃっかり人間社会に住みついて労働力を提供し、昔に比べたら信じられないようなやさしくおだやかな性格で、子供たちのア
イドルになっていたのです。
そして丸々と肥え太って…。

          ☆ * ☆ * ☆

 これでわたしのゴースト・クリスマスのお話しは終わります。
なんだか、ちっとも気味悪くなかったって?
まぁ、寒い寒いクリスマスの晩ですからね。
みなさんがかぜをひいてもいけないので、背筋も凍る本当にこわいお話しは、真夏のホラーにおまかせしましょうということで
す。

ゴースト・クリスマス(ソフィと魔物の物語)

ゴースト・クリスマス(ソフィと魔物の物語)

19世紀のロンドンの町です。 24日のクリスマスの日没から25日の日没にかけて現れる「オーヴァゲッシュ」という魔の馬に出会ってしまった14歳のソフィ・ブラウン。 さぁ、どうなるのでしょう? 当時のごちそうやお菓子、家庭の在り方や世相や文化にもふれた、小学校高学年~中学生のためのお話です。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-12-16

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