おきな草

 子供の時おきな草で遊んだと言ったら妻が興味を持って聞いてきた。
しかし、70年も前のこととなると記憶はあっても正確さは自信が持てない。それに、当時私がおきな草に関心があったのは植物図鑑的なことではなく、単に遊び道具としてだけだった。
 ともかく、妻に話すために記憶を辿ろう。
家から農道を山に向って20分ほど歩くと、「デンベッパラ」という広い野原があった。昔、伝兵衛さんという人が所有していたのかどうか、本当のことは知らない。酸っぱい実を付けたヤマグミの木が二、三十本散在していたのを先ず思い出す。春は山桜、ワラビ,コゴミ、秋は栗、ススキ、キノコが目につき、運がいいと百合の花やアケビをみつけることもあった。
その野原は子供達の格好の遊び場で、鬼ごっこ、チャンバラごっこをして走り回っても足をとられる事はなく、お腹が空けばグミの実を食べ、のどが渇けばカッコウやウグイスの鳴く近くの小川まで走った。山から来る細い流れは比較的急で、冷たく、澄んでいた。
 さて、遊びつかれて家に帰る頃になると必ずおきな草に手が伸びる。
おきな草は背丈15センチ程のものが野原のあちこちに群生していて、老人の様に背中が曲がり、くすんだワインレッドの花は下を向いていた。花は終わりに近づくと、老人のアゴヒゲのようなもじゃもじゃした毛にかわる。そのうちに多分タンポポのように飛んでいくのだろうが、残念ながらその様子を見たことはない。今は絶滅危惧種らしいと妻から聞いたが、当時こどもの私は花を愛でるよりも先に、ゴマ粒のような種を付けた毛を夢中で摘み取った。手のひらイッパイになると、両手で無造作に丸め、あとは手の平のなかで転がしながら家路につく。家に着く頃にはゴマ塩おにぎりが出来た。私が何時も不思議に思ったのは、柔らかい毛がボールの中側に入って、硬い種が外側に出ている事である。作ったボールはキャッチボールするとすぐに崩れて壊れたが、再び手のひらで転がすと修復できた。やはり毛が中、種が外だった。妻がそれは柔らかい毛どうしが絡まるからじゃないかと言ったが、手芸をしない私はまだ理解出来ないでいる。
 その野原は開発されて、ホテルやハーブ園になったらしい。きっと、おきな草の楽園は無くなったことだろう。
年月が経って我が身も翁となってしまった。パッとした人生の花を咲かすことは無かったが、高齢者になって口髭、あごひげを生やしたら息子達に受けが良かった。しかし、介護生活となってからはヒゲ、髪の毛は何の役にも立たないどころか、邪魔になるだけだからと言われて妻に刈り取られてしまった。私は顔も頭もサッパリして不満はないが、私に毛を摘み取られたおきな草の気持はどうだったろうか。
  2019/3/20

おきな草