君の声は僕の声  第五章 4 ─自然体─

君の声は僕の声  第五章 4 ─自然体─

自然体

「歳は? いくつ?」
「八歳」
「僕の名前は秀蓮だよ。よろしく」

 秀蓮が手を差し出すと、結は「知ってる。玲が教えてくれた」と顔を上げ「秀蓮と聡。ここは秀蓮のお家」と、にっこり笑った。

 聡と秀蓮は思わず顔を見合わせた。
 玲は放漫な態度をとるが、思ったほど嫌な奴ではないのかもしれない。心をここに連れてきたことにも、玲は特に反対しているわけではない。心の気持ちを優先しているのか。玲は、感情を交えずに冷静に状況を判断し、みんなをまとめているのかもしれない。

「もう一度歌ってくれる?」

 秀蓮が結に山羊の餌を渡してお願いすると、結はほっとしたように笑い、山羊に餌を与えながら歌いだした。透明な歌声。結の歌う歌は、優しくどことなく切ないメロディだった。

 ふたりはしばらく結の歌声に聴き入っていた。が、聡が困惑したようにうつむいた。そのうちに聡は聞いていられなくなりそっと家の中に入っていった。結は歌うのをやめ、心配そうな顔で、聡が閉じた玄関の扉を見つめた。

「綺麗な歌だね」

 秀蓮が言うと、「ダニーボーイっていう曲。杏樹のお母さんがいつも歌ってくれたの」と恥ずかしそうに笑った。

「杏樹のお母さんは、君のお母さんなんじゃないの?」

 結の答え方を疑問に思って秀蓮が訊ねると

「違うよ」
「君のお母さんは?」

 秀蓮の質問に、結は首をかしげてきょとんとしていた。



 聡は扉の中からふたりの会話を聞いていた。結が歌っていたのは戦場へ行った息子を想う歌。

 ──私の愛するダニー
 早く帰ってきて。あなたが帰って来る頃には、私はもう生きていないかもしれない。それでもいつか必ず私のところへ帰って来てくれる。あなたは私の眠っている場所を探しだし、そしてあなたはこう言うの、私を愛していると。私は安らかに眠り続ける。あなたが帰るその日まで。
 私のダニー、こんなにもあなたを愛しています。

 そんな歌。

 ──杏樹に歌って聴かせていた? 杏樹の母親が……?

 聡は杏樹の母親がどんな人なのか考えながら、いつしか自分の母親のことを想っていた。

 聡のすぐ上の兄が生まれてすぐに亡くなっていたから、母は人一倍心配性だった。聡が少しでも熱をだせば、夜中に何度も様子を見に来た。熱が下がって学校へ行くときには、「大丈夫だから絶対ついてこないでよ」と念を押しても、そっと途中までついてくる。聡が遊びに夢中になり、夕食の済んだ頃に帰れば、顔を真っ赤にして怒りながらも、力いっぱい抱きしめてくれる。そんな母親だった。

 どんなに心配しているだろう……。

 聡の痛みを感じたのか、そのあとは心が出てきて聡にまとわりついていた。聡に笑顔が戻ってくると、聡がテーブルに座って本を読んでいる横で、心は安心しきった顔で眠った。しばらくして目を覚ましたのは陽大だった。陽大は心や結のように、悲しんだり、人の気持ちを察したりすることはない。そのかわり、とことん陽気で話し好きだった。

 陽大(はると)がいると明るくなる。
 夕食は、陽大がまた、得意の物まねをしながらお喋りをした。陽大にはもうひとつ、際立ったものがあった。
 記憶力。
 寮の少年たちの真似が上手いのも、瞬時に人の癖を記憶してしまうからなのかもしれない。

 夕食の片づけを終えた聡と秀蓮は、まるで迷路のような陵墓の地図を見ながら苦戦していた。
 歴代の帝だけではない、皇后や妃の墓がいくつも並んでいる。誰の墓だったか覚えられずにいるふたりに、陽大は平然と、次から次へと皇族の名前を言いながら墓を指さしていったのだ。
 
「凄いな、陽大」

 目を丸くして自分を見つめるふたりに、

「なんで、こんな事も覚えらんねえの?」

 陽大は答えた。


 一日中、杏樹と一緒に過ごしていて、何人かの人格と話をするうちに、それぞれが特異な能力に長けていることにふたりは気づいた。

 (れい)は論理的な思考、陽大(はると)は記憶力、(じゅん)は日常的な作業、(ゆい)は音楽、(こころ)は人の痛みを敏感に感じ取る。だが、みんな性格や能力が極端にはっきりしている。
 分裂しているからなのか……。それにしてもその能力は常識を超えている。
 玲は聡と秀蓮が起きているときに出てくることはなかった。ふたりが寝た後に起きてきて文字の解読をしてくれているようで、翌朝テーブルの上には、いつくかの文字と、文字の絵が何を意味するのかなどが書かれた紙が置かれていた。 



「今日は釣りをしよう」

 KMCへ行く前に作っておいた保存食がなくなり、朝食を食べながら秀蓮が言うと、陽大が目を輝かせた。

「それなら僕、釣りは得意だから秀蓮の分も釣ってくるよ。君は遺跡のこと調べていろよ」陽大が「なっ」と嬉しそうな笑顔で念を押す。

 陽大は遊び感覚の仕事は大好きだった。だが、楽しくない仕事となると途端に引っ込んでしまう。
「釣りへ行く前に洗濯をするから」と聡が陽大に洗濯物を渡すと、陽大はいなくなり、純が何も言わずに洗濯物を引き受けた。洗濯物を干し終え、釣竿を純に渡そうとすると、陽大がにっこり笑って受け取った。


 釣りは得意だと言った通り、聡がまだ三匹しか釣れない間に、陽大は十匹以上も釣り上げていた。
 陽大はいつでも楽しそうだが、釣り糸が引かれるたびに口笛を鳴らし、実に楽しそうに獲物を釣り上げていた。初めは一緒になって喜んでいた聡だが、次第に陽大の口笛を聞くたびに、口が固く結ばれていく。陽大のバケツの中では魚が窮屈そうにビチビチと跳ねている。聡は自分のバケツの中で悠遊と泳ぐ三匹の魚を見つめた。食糧を確保してくれることはありがたいことだが、なんだか面白くない。
 そんなことを気にしていない陽大は、仏頂面で釣り糸を垂れる聡をよそに、釣竿を置くと、いきなり服を脱ぎ始めた。

「な、何やってんだよ」
「水浴び」

 陽大がシャツを岩に放り投げて平然と振り返った。

「駄目だよ。こんなところで……そ、その、水だってまだ、冷たいし」

 慌てたのは聡だ。立ち上がった勢いでバケツを倒しそうになった。

「だってここへ来てから、体を拭くだけだぞ。おまえも汗臭いよ。脱いじゃえよ」

 そう言いながら聡に近寄り、嫌がる聡の上半身からシャツと下着をはぎ取ると岸へ放り投げた。自分も下着を脱ぎ捨てると、さっさと川に潜り込んだ。水を得た魚のごとく、解放された人魚のように泳いでいる。 
 川から立ち上がると「聡も来いよ」と聡に向かって手を振った。

 聡は目のやりどころに困って、視線をそらした。顔が赤くなるのが自分でもわかる。いつまでも突っ立っている聡に、水をかき分けながら陽大が寄ってきた。

 いつの間にか陽大は何も身にまとってはいない。
 陽大が「ほら」と笑いながら、聡の手首を掴んだ。

 杏樹の細い指が触れて、聡は身体の奥がひやりとするような熱くなるような、不思議な感覚に痺れた。杏樹の身体を見ないように意識すればするほどに、聡の気持ちはそちらに向いてしまう。陽大はそんな聡を気にすることなく聡の手首を握りしめる。聡は戸惑った。相手は男の陽大だ。だけど身体は杏樹だ。 

 心が、杏樹と同じ身体を持ちながら聡の歩幅について歩けないように、陽大は自分は男だから、聡と同じ身体だと思っているのだろうか。それとも、陽大にとっては気にするようなことではないのか。堂々としている陽大に、恥ずかしがっている自分のほうがおかしく思えてきた。
 陽大の髪や身体から滴る雫が、太陽の光できらきらと輝きながら揺れている。陽大の少年とも少女ともつかない身体は綺麗だった。
 自分の身体を隠そうともせずに、夏の太陽のまばゆい光の下にさらして笑っている陽大は自然体だ。あの日、聡が森で見た狼を美しいと思ったように、森の中の泉が美しいと思ったように、杏樹を美しいと思った。

「早くしろよ」

 杏樹に見惚れてぼうっとしていた聡は、不意に陽大に引っ張られてよろめいた。とっさに陽大が聡を抱える。杏樹の少し膨らんだ胸が聡の胸に触れた。

 聡は慌てて体を引き離した。思わぬ柔らかな感触に、鼓動が早まる。

「大丈夫か?」
 
 赤くなった顔を見られないようにうつむいた聡をのぞき込んで、陽大が言った。


 陽大に手を引かれて、聡は川に入った。陽大が笑顔ではしゃぐ。陽大の屈託のない笑顔。彼には痛みも悲しみもないのだろうか。光の中だけで生きている陽大は、常識や先入観にとらわれることなく、自分の体をありのまま受け入れているのかもしれない。

 自分も陽大のように思うことができたら……と思う。少年の姿のまま、どうして堂々と生きていけないのか。

 ──人はなぜ多数の中で安心しようとするのだろう。なぜ自分とは違うものに偏見や恐れを抱き、排除しようとするのだろう。僕たちは自然と生まれてきたものだ。誰かが手を加えて作り出した訳ではない。それとも、僕たちはもう、神が作り出した自然体ではないのだろうか……。ヒトの手によって歪められた存在なのだろうか……。

「!」

 ぼんやりしている聡の顔に水を引っ掛けて、声を上げて陽大が笑った。

君の声は僕の声  第五章 4 ─自然体─

君の声は僕の声  第五章 4 ─自然体─

自分の身体を隠そうともせずに、夏の太陽のまばゆい光の下にさらして笑っている陽大は自然体だ。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-02-10

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