君の声は僕の声  第五章 2 ─新しい同居人─

君の声は僕の声  第五章 2 ─新しい同居人─

新しい同居人

 ふたりが手を繋いで歩き出すと『(こころ)』は小走りで歩き、そのうちに息を切らし始めた。(そう)は気づいた。体は杏樹でも、『心』は小さな子供だから、聡の歩幅についていけないのだ。聡が歩みを遅くすると、心は聡に微笑んだ。
 心の素直な笑顔に、聡も思わず頬が緩む。

「心はいくつなの?」
「七歳」
「そう、なの」

 聡は無理に笑顔をつくった。
 なぜ七歳のままなのだろう……。この子が『心』だということは受け止めてはいる。話し方や態度から、小さな子供だということはわかるが、聡とほぼ同じ高さの目線で『七歳』と言われてもどうもしっくりこなかった。

「お待たせ」

 秀蓮が走って戻ってきた。振り返った聡に笑顔でうなずくと、ふたりが手をつないで歩いて行く後ろについて歩いた。三人は森の中を、心の歩みに合わせてゆっくりと歩いた。

「どこに行くの?」

 心が嬉しそうに訪ねる。
 聡は、秀蓮の家が森の中にあること。そこでふたりで生活していることを話した。すると秀蓮が「心も一緒に暮らそう」と言う。聡は一瞬驚いたが、心は喜ぶというよりは、安堵するように微笑むのを見て、聡はやるせない気持ちになった。陽大(はると)は寮の生活を楽しんでいたが、心にとって、寮はあまり居心地の良い場所ではなかったのかもしれない。
 寮を出てから一時間もしないところで、心の頭がこっくりとうなずいた。聡は、玲に代わるのではないかと緊張したが、心は瞼を無理に開けながらこっくりしている。眠いのだ。

「ちょっと休もう」

 秀蓮が言い、三人は木陰に腰をおろした。心は聡の膝に頭を預けて眠ってしまった。眠りながら心の手は、聡のシャツを握りしめている。七歳ならまだ親に甘えたいだろう。だが、寮に来る前、その親にも甘えることができていたのか……。聡は心の頭にそっと手を置いた。
 しばらくそうして心を寝かせていたが、他の誰かが出てくる気配はない。仕方なくふたりは交互に心を背負いながら家に帰りついた。


 心を寝台に寝かせ、食事の用意をしていると、寝室から大きな物音が響いた。聡と秀蓮が音に驚いて振り返ると、寝室のドアが勢いよく開けられた。そこには、茫然とした杏樹が立っていた。

「あんたたちか」

 杏樹はふたりを確認すると、大きく息を吐き、肩を落とした。

『心』ではない。目が覚めたら寮ではなく、見覚えのない部屋に驚いたのだろう。聡と秀蓮の顔を見て安心したようだった。それから「ここはどこだ?」と眉をひそめた。

「ここは僕の家だよ」

 秀蓮はそう言いながら、不安気な顔をしている杏樹を居間に誘い、椅子に座らせた。聡は研究室から丸椅子を持ってくると杏樹の隣に腰掛け、秀蓮がお茶を運んできた。

「ここは寮から二時間ほど西に向かった森の中。ここで僕たちはふたりで暮らしているんだ」

 秀蓮が「どうぞ」と杏樹にお茶を差し出した。杏樹はふたりを交互に見ながら「ふたりで?」と、眉を寄せた。

「そう。僕たちも君と同じ。でも『特別クラス』には行ってない。ここで自分たちで生活しているんだよ」
「自分たちで?」

 杏樹は部屋の中を見まわした。他に人のいる気配はない。

「僕は何でここにいるんだ?」
「心が一緒に来たいって言ったんだ。櫂には話しておいた。心配ないよ」

 秀蓮が杏樹の不安を払うように応えた。杏樹は考えこんでいる。

「陽大」

 じっと杏樹の様子を伺っていた聡が、杏樹に向かって名前を呼んだ。杏樹はびっくりして顔を上げた。

「陽大、だよね?」

 聡が自然な笑顔でもう一度名前を口にする。『陽大』は戸惑った。いつも杏樹と呼ばれていたから、自分の名前を呼ばれることに慣れていない。

「わかるのか?」
「やっぱりそうだ。良かった。陽大と話がしたかったんだ」

 にっこり笑っている聡に、陽大は少し顔を赤らめた。動揺していた。

 ──誰もが自分の事を『杏樹』と呼ぶ。それが当たり前だった。初めて『陽大』と声をかけてきたのは玲だった。頭の中で声がして、玲が『僕たち』のことを教えてくれたのだ。自分たちは杏樹の中にいること。記憶を失うのは、その間は他の人格が外に出ているのだと言う事。そして他の人格との話し方などを。そして玲が、僕たちのルールを作った。
 僕たちはそれに従った。

『僕たち』のことは誰にも秘密にすること。

  ──家族にも 

 誰も自分を杏樹とは別の人間なのだと、解ってくれる奴などいなかった。
 誰も自分を『陽大』と認める人間などいなかった。
 
 かたくなに他人の侵入を拒み、みんなで築いてきた心の壁が崩れていく気がした。
 秀蓮はふたりの様子を目を細めて見ていた。陽大は戸惑いながらも、自分を認めて名前を呼んでもらえたことを喜んでいる。聡は医者がそうするように、治療を目的として相手の気持ちを聞きだそうとしているわけではない。友達として陽大に触れようとしているだけだ。

 陽大は照れを隠すようにお茶を口に含んだ。

「美味しい……」

 思わず声になった。

「だろ?」聡が身を乗り出して「秀蓮の入れるお茶は美味しいんだよ」そう言って自分もお茶を口にした。秀蓮は陽大の相手を聡に任せ、夕食の支度をしようと席を立った。

 食事は、都へ行く前に、聡と秀蓮が作っておいた肉の燻製やチーズだった。聡は燻製にするまでの話を陽大に語った。食事が終わっても、ふたりは陽大に何も訊ねてはこなかった。秘密を知る前と変わらぬ態度で接してくる。そんなふたりに陽大は少しずつ警戒心を解いていった。

 夕食の片づけられたテーブルにランプを灯し、秀蓮が、瑛仁から渡された書物を広げはじめると、陽大が興味深そうにのぞき込んだ。

「僕たち、来週からキャンプに行くんだ。キャンプと言っても遊びじゃない。陵墓へ入って、遺跡を調べに行くんだ。君も行く?」

 秀蓮が唐突に陽大を誘った。秀蓮の向かいで地図を見ていた聡は思わず顔を上げた。櫂たちもいるのに、陽大を誘って大丈夫なのか? かと言って自分たちはもう寮へは戻らない。ここへひとり置いていくわけにもいかないか……。

 秀蓮は初めからそのつもりで心を連れてきたのだろうか。



 ※  ※  ※



 ──暑い
 
 ふたつしかない寝台のひとつに杏樹を寝かせ、聡は秀蓮とふたりでひとつの寝台に眠った。狭いのは我慢できるとして、この季節に一緒に寝るのはきつい。

 聡は水を飲みに寝台から抜け出した。外はもう明るい。寝室を出て窓を開けて風を入れると、風に乗ってテーブルの上に置かれた何かが床に落ちた。紙切れだ。

 拾い上げてみると、そこには、瑛仁から受け取った書物の中に描かれていた絵のような文字が、五つ並べられていた。その下には載秦語で、走る、小麦、鳥、冬、怒、と書かれている。その下には絵文字が十文字書かれ、さらにその下に、種三千植える五月。と書かれていた。 

 夕べみんなが寝た後に、秀蓮がひとりで解読していたのだろうか?

 テーブルに紙を戻し、聡は水を飲みに外へ出て行った。畑の横に、秀蓮の父親が川から引いたという水が流れている。聡は頭から水に突っ込んだ。

「気持ちいい」

 濡れた顔を上げ、そのまま風を受ける。汗が引いていく。しばらくそのまま風を受けていた聡は、頭も服も濡れたまま家へ戻った。
 扉を開けると、部屋の真ん中で、秀蓮が背を向けて立っていた。聡はそっと自分の姿に目を落とす。髪や服から水が滴り落ちている。足もとはびしょ濡れだ。このまま家の中へ入るのはまずい。秀蓮に怒られると思い、聡はそっと扉を閉めてこっそり出て行こうとした。

「聡!」

 秀蓮に振り向きざまに大声で呼ばれ、聡は「やばい」と肩をすくめ、顔をしかめた。

「聡、これおまえがやったのか」

 秀蓮が大股でやってきた。手にはあの紙を持っている。

「はっ?」
「なあ、これ」

 秀蓮が聡の濡れた腕を掴んだ。てっきり秀蓮だとばかり思っていた聡はすぐに応えられなかった。

「まさか。秀蓮がやったのかと……」

「…………」

「じゃあ、杏樹が?」

 ふたりは顔を見合わせた。

君の声は僕の声  第五章 2 ─新しい同居人─

君の声は僕の声  第五章 2 ─新しい同居人─

誰も自分を杏樹とは別の人間なのだと、解ってくれる奴などいなかった。誰も自分を『陽大』と認める人間などいなかった。かたくなに他人の侵入を拒み、みんなで築いてきた心の壁が崩れていく気がした。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-02-08

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