クレッシェンド

クレッシェンド

彼は時計塔の隣に立っている。
彼は雲の溶ける音を聴くように耳を澄ます。
彼の目は開いているが光の反射を映すことはない。

  
彼は靴音を探している。
彼の探す靴音は星の落ちる音に似ている。
彼は雑踏の中ただひとつの靴音を拾おうとしている。


こつん。
星が落ちた。
石畳ではねた。


彼女は驚いた。
彼女は急に見知らぬ男に呼びとめられた。
彼女は深い水底の目と杖を見て彼が盲目だと悟った。
 

彼は砂漠をさまよう声で尋ねた。
あなたは僕に街を案内してくれませんでしたか。
彼は彼女の声が小鳥のさえずりのようであることを祈った。

 
いいえ初めてお会いします。
彼女は途端に肩のしぼんだ彼へ同情した。
彼女は彼がひとを探していると知って手伝うと決めた。


探すのは靴音。
うつくしい小鳥の声。
それはいつか彼に街を案内した女性。


時計塔で交錯する音を聴いて過ごしていた彼。
ふいに組まれた細い腕は彼を強引に街中へと連れ出した。
小鳥のおしゃべりのようにそのひとは次々と街の光景をさえずった。


鳩の徘徊を誤って首切られる花を風船へ触れるしゃぼん玉を。
果実屋の息子と本屋の未亡人と肉屋の親父のいかがわしい合戦を。
不法に並ぶ罪深き自転車へ釘打つ遊びをグレートヒェン像の背中に落書きされたメフィストフェレスの笑みを。


こつん。
こつんくつん。
こつんこつんくつん。


小鳥のさえずりと星の落ちる靴音。
めまぐるしく変わる街模様は砕ける宇宙。
そして時計塔へ彼を戻すやすぐに小鳥は飛び去った。


彼女は忠実な犬として街へ群れる靴を監視した。
彼女は踵に星を仕込んでいそうな靴の女性を捕獲し幾人も彼へ献上した。
しかしそのたびに彼を落胆させるばかりで暮れそむ街とともに彼女の胸もまた深い群青に沈みやがて群青は涙となった。


涙を生む音は時計塔の針の動く音よりもはるかに小さかった。
けれど雲の溶ける音さえ聴こうとする彼の鼓膜は確かにふるえた。
その音は彼のうちにひそむ湖へゆっくりと波紋を描きいつしか彼の手に彼女のつむじをやさしくなでさせた。


どうしてあのひとを探していたかというとね。
もしも会えたなら今度は僕が案内したかったのです。
ただね今あなたを案内したいと思ういつも僕が聴くこの街を。


彼女は目の前に差し出された彼の手を取った。
涙の温度が彼の手に伝わり涙を吸いとる肌の温度が彼女に伝わった。
彼はしっかり彼女の手を握ると靴音を鳴らして足を踏み出したそれはまるで星が落ちるように。


こつ。
こつくつ(こつ)。
こつくつん(くつんこつん)。

 
三日月の街に靴音。
星の落ちる音が重なり。
どちらともなく声はさえずる。


こつん(こつ)。
くつんこつん(こつん)。
くつんこつんこつん(こつんこつんくつん)。


こつん。

クレッシェンド

2012協同企画展おんさ出展品

クレッシェンド

小鳥の靴音を探す彼と、彼を手伝う彼女のおはなしです。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-10-07

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