日を超す柘榴はひと粒ばかり

 真紅の柘榴を一粒、指ではさみ、力を入れて、でもその粒を壊さないように加減して、白い皮の部分から取り外す。硬く、まるで小石みたいな真紅のソレは少しの力だけで外すことができた。外は寒く、遠くで拍子木の音が聞こえる。もう何時間もなく日は過ぎる。
 今日は特別な日だからと、本当になんとなく柘榴をひとつだけ買ってきた。昔はよく食べていた。お母さんが死に、お姉ちゃんもいなくなってこの広い家に一人で暮らすことになり、ほとんど果物を食べなくなった。本当は今日だって、単に年末だからってインスタントの蕎麦を買いに行っただけだった。でも寂れた八百屋さんで、たったひとつだけ残っている柘榴を見て、なぜかとても気になって、だから買ってしまった。
 火の用心。遠くで声が聞こえる。電車の音が遠い。仲の良い友達は、あの人と初詣に行くんだって報告してきた。楽しんできてね。良いお年を。そんな当たり障りもない会話だけで、最も仲の良い友人とも別れ、部屋の中で過ごす。出かける気はしない。行く場所もない。

 真紅の粒をひとつ、口の中に放り入れる。舌の上で転がし、それだけではほとんど味はしない。噛み潰す。甘酸っぱいそれが口の中で弾ける。懐かしい味だった。お母さんは柘榴が好きだった。私も好きだった。でも死んでしまってから、疎遠になっていった。お母さんを思い出すのが辛かった。
 もうひと粒、指先でつまむ。拍子木の音。遠く、また電車の音。その粒は、皮をナイフで切る際に潰れてしまっていたみたいで、指先を真紅に染める。少し慌てて、その粒と指先を口の中に入れて、舌で舐める。甘酸っぱい。美味しい。

……遠く、電車の音。

……乗っても良いかな。

……でも行くところがない。

 もうひと粒。でもダメだ、これも潰れてる。仕方がないから、切られた柘榴を手に持ち、口元に近づける。歯に当てて、削り取るように、いくつかの粒を口の中に入れて、噛み潰す。甘酸っぱい。友人は、あの子は今はあの人と一緒に笑っているのだろうか。じゃあ、私は?
 もうひと粒。今度はしっかりとしている。皮から外し、指先でつまみ、よく見てみる。向こう側が見えそうな紅さ。力を込める。潰しそうなほど。でも小石のような硬さのそれは潰れることはなく、でもほんの少しだけ指先を汚した。

……拍子木の音は、気がつけば聞こえなくなっていた。

……笑い声が通り過ぎる。

……口の中は甘酸っぱい。

 お姉ちゃんは、どこにいるだろうか。気がつけばいなくなった。連絡もない。携帯も変えたらしく、もう使われない番号だけが私の携帯電話に残っている。昨日もその番号に電話をしたが、もう使われていないと機械的に返されただけだった。
 広い家。柘榴は、もう半分ほど食べてしまった。あと半分は、お母さんに捧げることにした。好きだったから。でも勿体無いから、明日には食べてしまおう。真っ白い、お母さんが好んで使っていた小皿に半分になった柘榴を載せて、仏壇に供える。お母さん。これ、食べて。

……外でまた笑い声。

……きっとあの子も笑っている。

……私は、最後に笑ったのはいつだったっけ?

 出かけることにした。「行ってくるよ」そう、お母さんに報告する。行く宛なんかない。でも今日は、日をまたいでも電車は動いている。どこにだって行ける。あの子に会いに行くこともできる。そんなことはしないけれど。

「大丈夫、すぐに帰ってくるから」

 出かけるときは、お母さんにいつもそう言ってたっけ。

「でも今日は、良いでしょう?」

 日を越せば、今年は終わり、来年になる。柘榴は、明日には食べてしまおう。だめになってしまう前に食べなければ、またお母さんに怒られる。外は寒いらしい。笑い声。着替えを始める。あの笑い声に交じるために。

日を超す柘榴はひと粒ばかり

日を超す柘榴はひと粒ばかり

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-12-31

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