私を救ったもの

 ボート部の夏合宿が終わって帰ったとき下宿の小母さんに「あんた、病気じゃないの?」と言われた。それほど私の痩せ方はひどかったらしい。大会に出る為とはいえダイエットはきつかった。続けて「極端なことをすると体が壊れてしまうよ。気をつけなさい」と言われた。
 小母さんといっても、腰が曲がって歩行も危なっかしい高齢のお年寄りだ。詳しい事は知らないが、ずっと独身で下宿屋をやってきたという。私が世話になった頃の下宿代は朝晩2食付で月6000円が相場だった。私の所は学生3人、社会人4人が世話になっていた。海が近いので下駄履きでちょっと出れば泳ぐことができ、押入れつきの6畳間は机と本棚を置くと、窓から松林の涼しい風が入ってきて夏は快適だった。風呂、トイレ、洗濯機、電話は共同利用で、部屋掃除は学校に行っているあいだに小母さんがしておいてくれた。彼女は厳格な一面もあって、ご飯のおかわりは無く、食事の時間がずれるとお膳はかたづけられ、門限を過ぎると門灯は消された。何事にもキチンとしていたが人間的な温かさもあった。大鵬と饅頭と朝市が好きで、大鵬が柏戸に勝って優勝した日はみんなのお膳に饅頭が乗り、私が朝市に手を引いて連れて行ってあげた日はニコニコして私にご飯のお代わりを勧めてくれた。空腹でお金が無い私にとっては有難いことだった。
 私の生活費は仕送りの他に奨学金、家庭教師のアルバイト料だが、合計してもわずかなもので、そこから授業料、下宿代、教科書代、昼食代(学生食堂)を払うとトントン。必然的に3K(勤勉、倹約、健康)を心がけざるを得ず、楽しみといえばポケットに僅かに残った小銭で毎月一冊の本を買う事だった。金遣いの荒い男子学生と付き合ったり、ステキな女子学生を見つけてデートする事などは考えられなかった。
 私が運動部をやめて過度なダイエットから解放された後は地獄だった。減らした体重がすぐ元に戻ったのはいいとして、困ったのは満腹感が得られなくなってしまったことだ。いくら食べても、食べても、まだ何か食べたい。夜は本屋の道と反対のパン屋に行ってポケットの小銭を使い果たし、それが無くなると机の引きだしを何回も開けて、あるはずのない小銭を探そうとした。
そうこうしている内に体重は更に増え、私の顔はブクブク太ってきた。またも小母さんに「あんた、病気じゃないの?」 と言われ、それ以来饅頭もご飯のおかわりも無くなった。ここにきて万策尽きた。あとはひもじさをじっと我慢するしかない。
 その後、1年ほどたつうちに、いつの間にか私の飢餓中枢と満腹中枢の異常は落ち着いて、体重は正常となり、顔も元に戻った。
今では、極端な痩せと極端な肥満を病気とみて食事の管理をしてくれた小母さんが懐かしい。それと、お金が無かった事も自分を救ってくれたと思っている。 2018/8/28

私を救ったもの