*星空文庫

私は肉の袋

衣更絲子 作

創作は肉であり、毒だった。




 私が創作をし始めたのは、何時だろう。下手くそな絵をそれなりに整えようと思ったのが、中学時代だった。それから並行してだろうか、私は詩のようなものを授業中にノートの隅に書き認めたり、父のワープロを借りて打つようになった、気がする。


 私はその頃から所謂オタク、更に言うなればフジョシ、という属柄であり、それの一環として練習、していたのだろうか。何故曖昧な物言いをするかと言われたら、あまり記憶にない。
 それから男性同士の恋愛模様を綴るようになった。データは全て飛んでしまったが、記憶によれば多分悍ましくて見れたものではないだろう。この時の創作は、それだけだった。
 ただ、私という女は十五のあたりから人生の雲行きが怪しく、それを打つのと並行して、私は病気になりたくて腕を切る真似などをしていた。この女は病名こそつかなかったものの、後々本当に可笑しくなったので、この辺に関しては勘弁して頂きたい。今思い出しても、自身のことを気違いだと、思うことがあるんだ。
 並行して、メルマガを打った。何を書いただろう、覚えていない。ブログも、打ったかな。都合が悪いから忘れたのだろうか。事実そうだろうね、私はたくさんの人を傷付けたし、酷いことをしたし。やっぱり気違いだったんじゃ、ないかな。
 その時の私は、表現したいものはなかったのではないか。言葉を並べて遊ぶのが好きだったので、あれは一種のミルクパズルだったのかもしれない。



 個性が、特別が、欲しかった。そんな風に気取ったことも、よくあった。それでも私はその頃の文章は好きだった。今でも思う、この時の文章が書けたら、なんて。あの頃を夢見がちなのだけど、私は夢から覚めてしまったし、幾ら残されているデータを眺めたところで、自身が自身を模倣できるとは到底思えなかった。
 要は、環境。環境が変わると思考もそれなりに変化する。だからもう二度と、あの世界にログインはできない。
 それはいいか。話を戻そう。それから程なくして、私はシャカイとやらに踏み出していた。因みに良い思い出がなさすぎて、私はファースト職場の悪夢を未だに見る。辞めてからもう七年は見てる。未だにトラウマから逃れられていないんだ。
 その間、創作なんてできるわけもなかった。ブログも書けない、二次創作なんてロムがギリギリで、この時何していたんだろう。ああ、中々にファンキーな彼氏がいた。この最中も人生のはやっぱり可笑しかった。人様に比べたら大したことでもないのだが、私は情緒不安定のクソみたいな女だったので、なっぱり人を傷付けるだけだった。思い出すだけでよく生きてられるなと思う。自殺未遂をしてから死ぬのが怖くなっただけなんだけど。




 それから旦那に出逢い、精神が安定してきて、数年振りに創作を始めて、それから文章のリハビリをして。その時から、男性間の恋愛ではなく、相関図やら、心理描写やら、主観で感じる五感、そこにある景観、色彩、空気、そんなものを書きたくなっていた。



 そういうのが上手い人がごまんといたからだ。そういうのが好きで、私も書けたらなという、憧憬の元で書いて書いて、それから今のスタイルになったのだと思う。
 色んな作品に出逢った。二次創作だと恋愛がメインになりがちで、私の作風は、個人的に異端だと思う。現在のテーマなんて死生観だ、誰が見るんだそんなの。でも不思議と、その界隈では恐らく上位ではないかというくらい読まれた。不思議なこともあるもんだ。



 気付けば、私が生きてきた数十年で感じたこと、得たこと、失ったこと、碌に学もない女が巡らせた得体の知れない哲学もどき、そんなものを織り交ぜている。
 それから字の形の美しさなんかも覚えた。悋気、という言葉に想像も読み方も追い付かなくて調べたら、これは焼きもちという意味なのだという。りんき。面白いものがたくさんある。




 しかし私は素晴らしいから教えようだとか、こんなことを感じたから共感してくれとは微塵にも思わない。だって書き始めてから揺らがなかったんだ、自己満足が。
 結局は書く行為も、それを書くに至る自分も好きで、自分を何処までも嫌った自分を愛せる唯一のツールでもあるわけだ。お陰様で自己肯定能力はここ数年で上がった。有難いものだ。
 私が欲しいから、理由付けが欲しいから、そう、結局強欲でしかないんだ、私の創作なんて。
 最近のテーマと、twitterのフォロワーさんが「内臓を掴まれている感覚」と例えてくれたこと、それから白状するとエログロも少し執筆していたりしたので、この数日で私のスタンスが初めて形となって、その輪郭を現してくれた気がする。



 肉。



 何も怖いことではないと思う。私たちは生ける肉。内臓を詰め込んだ肉の袋だ。思考するのも肉、生かすのも肉。三十六度の巡り巡り、エロスとタナトスを循環する肉、なら私はそんなもので在りたい。
 そこに意味なんか要らない。後付けでいい、私はたまに意味を押し込めるかもしれないけれど、それじゃあ窮屈だ。肺胞が潰れて窒息しかねない。そこまで人に押し付けたくもない。ただ只管、目の前で呼吸していてほしい。
 この肉があなたを生かすかもしれないね。それなら食べやすい方法で食べてみて。不味けりゃ吐けばいい、捨てればいい。食えるなら似るなり焼くなりすればいい。
 捨ててもなくならないから。腐ってもなくならないから。命だったものは、何処かで誰かの命を繋げているのかもしれないし、何処かで誰かの命を虐殺しているかもしれないね。
 でも私くらい、そんな創作をしていいと思うんだ。この年になって初めて思うんだ。



 私はね、創作は私に対して毒だと思っています。殺すも創作、生かすも創作。薬になるかは私の塩梅。まあ、八割方は毒だから、それ故に毎回吐きそうになりながら書いているのかもしれない。
 そんな毒が種を産み、肉に托卵して上手く咲いてくれたら、それでいい。綺麗な花が咲くか確証はないけれど、内臓から四方八方に花畑でも作ってくれたら、良いのではないかな。そこは未来の私がどうにかしてくれるでしょう。




 私は肉のようなものしか生み出せないから。
 私は毒のようなもので作るしかないから。



 マザーテレサも言っていたでしょ。わたしにはできないことが、あなたにはできます。あなたにできないことが、わたしにはできます。それができない日には、私は中也ばりに自殺しなければならないかもしれないし、しかし奉仕の心は持てっこないかも、しれないね。





 どうでもいい話をしたね、ごめんね。
 じゃあ、おやすみ。明日はローストビーフにでもしよう。あなたがベジタリアンだったら、もうどうしようもないけれど。


 

『私は肉の袋』

『私は肉の袋』 衣更絲子 作

ひとりごと

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 青年向け
更新日
登録日 2018-07-13
Copyrighted

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