どこから来て、どこへ行くのか

 「母なる太陽」、「母なる海」、「母なる大地」という言葉から私は母性のあたたかい愛情、おおきな包容力、限りない恵みを感じ取る。近年は宇宙開発が始まり「母なる地球」という言葉も聞くようになった。この言葉から私が受ける印象は生命の由来である。
地球上の生命はどこから来たのか。神話は別として、これには諸説があり、地球の海の底(深海底の熱水噴出孔)で発生したという学者や、地球外からの彗星によって運ばれたという学者もいる。いずれにしても、発生場所は何処であれ生命誕生に適した所だったに違いない。因みに、海底熱水鉱床の調査が本格化する少し前に行われたユーリー・ミラーの実験では無機物からアミノ酸が作られたことにより、非生命体から原始生命体発生への望みを開いた。しかしその後、原始細胞が人工的に作られたという話は聞かない。
地球上に生命が誕生した時期については40億年前らしい。その時から霊長類を経て今のユニークな人間に至るまでの変遷についてはダーウィン進化論や系統樹などに記されている。
 私も原始生命誕生には興味を持っている。40億年前の生命誕生の現場として熱水噴出孔が有力視されていて、テレビ映像を見ることがある。太古の昔と比べれば現在の太陽や地球の環境は変化し、地球は燃え盛る火の玉ではないし、原始の海もない。それでも熱水鉱床には特異な生物がいるというから、私は「母なる地球」のロマンを捨てきれないでいる。
生命の宇宙由来説を除けば、太古の海で発生した一個の細胞が共通祖先となり、進化を経て、今の生態系を作ったという考えがあるが、これに対して私は遺伝子配列が少しずつ違った複数の細胞がほぼ同時期に、あるいは時期をずらして、その後も継続的、断続的に発生しているのではないかと想像する。その時々の太陽と地球の状態に合わせて「生物発生の条件」が整いさえすれば、その場所で新しい原始生命が誕生すると思う。そして夫々の細胞は途中消滅したり変異したりしながら進化の過程に乗り、生き残ったものは先行集団を追うことになる。類似点は有るものの多種多様な相違点を生物界に見るが、その中の人間社会にもこれまでとは違う突出した人や異質な政治家を認めると、後続集団が追いついて来たのかなと想像し、私は彼らに期待したり警戒したりする。
 太陽や地球の消滅は必ず来るらしいが、あと何十億年、何百億年後か分らない。人類の滅亡はもっと早いと言われている。それまでの間に宿命的に繰り返されてきた競争、戦争をやめることができたら、人類は更に大きく進化して行くと思う。AI時代に入り、その可能性がずっと広がってきた。平和利用に徹すればプログラミング次第では人類の歴史は伸びて行くだろう。しかし、過去、現在と同じく未来にまで旧態然とした争いを続け、挙句に「生きた化石」と言われてしまう道を辿れば、地球は環境破壊、温暖化、核汚染等で住めない所となる。そうなれば「母なる地球」に別れを告げて、星々の宇宙人に「私は地球から来ました。よろしく」と助けを求めなければならない。その時、彼らに「ああ、あの美しかった地球から逃れてきた難民か」と言われたら悲しくなるだろう。
 2018/3/30

どこから来て、どこへ行くのか

どこから来て、どこへ行くのか

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-04-01

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