閻魔様のみぞ知る

僕は、薄暗くてジメジメとしているトンネルの中にいるらしい。
低い天井にはコウモリ達がいて、ポタリ、ポタリ、ポタリ、ポタリ……と茶色い糞が混ざったしずくを垂らしているのだ。
我々の汚れた肉を狙って飛んでくるのを、力なくかわしながら前の人々に続いて、足元でビチャ、ビチャビチャ、ビチャと、木霊≪こだま≫する、カビ臭い匂い鼻につくどこまでも続きそうな道を、黙々として歩いていた。
翼を広げた時に二メートルにも達するコウモリ達が、よく発達した視覚を使い、本来なら植物性の食物を好んで食べる筈なのに、我々の既に腐っているような肉を齧りに急降下してくる。
理由は、全然判らないが、とにかく、丸十四日位、どういう訳か、全員が四列に整然と並んで歩を進めている。
唯ひたすら前に向かってトボトボ歩き、やっと、どこからか薄日の射す、暗さに慣れた目には変に眩しすぎる、広大な東京ドームの何十倍もあるような開けた砂地に出てきた。
前がつかえているのか、なかなか前に進まないので、暇を持て余している僕は周囲を見渡すと日本人はすぐに判別出来る。だが、他の人々の国籍を知ろうとして、ボデイランゲージを駆使した結果、主にスリランカ、ミャンマー、カンボジアの人々で、数は少ないが白色人種もいた。
そう――全ての人は,仏教をある程度は信じている人々らしい。
ところが、女性の姿はどこにもなく、皆、男性なのが不思議ではあったが……。でも、なぜなのかは分からない。
前後の人々は皆、青白い顔をして下を向いて、遥か前方の大きな悪臭漂うヘドロを煮詰めたように、ドロドロしていそうな川に向かい前進しているようだ。
どこからか、微かに神経を逆撫でする阿鼻叫喚が聞こえて来たので、僕は、何だか悪寒と嘔吐をもよおしその場で全身震えながら、水っぽそうで粘る液体を少しだけ四条の糸を引き、吐いたが、なにぶん、食事はしていないので多分、胃液だけだろう。お腹がすくという、人間本来の欲求すら忘れてしまったのだった。
胃液は、細菌やウイルスを殺菌したりして、身を守る生体防御システムとしての役割を持っているらしいが、死んでしまった僕には全く用はない。
遥かかなたに見えるのは、吉本新喜劇で、おじいさん役が渡ろうとする有名な三途(さんず)の川かなぁ?
僕が、生きている時、高野山の二千六年に新設された、スピリチュアルケア学科での夏期講習を受けた時に聞いていた、三途の川とは全く大違いであった。
比叡山と共に、日本仏教における聖地である高野山は、平安時代、弘法大師空海が修行の場として開いたのだ。和歌山県にある、標高約千メートル前後の山々が連なる高野山の曲がりくねった山道を、タイル屋を経営している社長から、無料でいただいた車で何度も登った僕は、信仰心に溢れた好青年だったのだろうか?
川幅は広くて、何度も目をこすりながら、向こう岸を見ようとしたが、無駄であった。対岸を視界に捉えられなかったのだ。視力は、裸眼で一.五なのに。
ぬかるみに足を取られながらも、胸まで浸かる程の深い川を悪臭と闘って、案の定十四日も費やして、やっとの思いで渡りきる事ができた。
収穫物を悪霊から守る、と、言われているススキが生い茂る土手らしき泥だらけの対岸を、四日かけて、やっとの思いで這い上ると、黒と白のまるで碁石のように大きさが均一の玉砂利を敷きつめた平らな場所に出てきた。
すると、全身青い鬼が立ちはだかり、まるでローン会社等の宣伝コピーを印刷したポケットティシュを配るかのように、何を基準に分けているのか判らないが、赤、黄、青色の三色の番号札を各人に渡し胸の左に付けるよう、尊大に文字通り上から目線で、しかも、変に響く野太い声で旧式の拡声器を使い怒鳴っていた。
なにしろ青鬼達は、三メートルをゆうに超える背丈があり、鍛え上げた筋骨隆々の肉体美を見せびらかすようにして、颯爽≪さっそう≫と仕事をこなしていた。
服がないか、あるいは、服がボロボロになった者には、青鬼自ら直接左胸に鋭利なピンをじょうずに通して,番号札を付けてやっていた。かすかなうめき声は無視して……。
事故死なのか、上半身を無くした者には左足に同じようにしていた。
(さすが、地獄なのだなぁ)と、今更ながら自分の犯してきた罪の深さを反省したが、もう手遅れだ。首から上のない者、手足をなくした者、轢死≪れきし≫したのだろうか、体中がボロボロに切断されてはいるが、かろうじて薄い皮膚で繋がっている者。頸部に、絞搾≪こうさく≫された縄索の痕の縊溝≪いっこう≫が鮮やかに残っている者。綿飴≪わたあめ≫のように、白い鼻水がそよ風になびき、白目をむいた縊死者≪いししゃ≫。青酸カリか農薬を飲んで、口から泡を出し続けている者等、死に様は、それこそ多様そのものだった。

幸い、うまく適量の睡眠薬を飲んで自殺した僕は、少し胃が痛むだけで、到って元気である。誰が言ったか知らないが、死ねば、生前の五体満足の状態で,あの世に旅立てるなんて嘘っぱちである。そのような神に選ばれた人々は、深見東州氏の著作よれば、二層あるいずれかの天国に昇天しているそうだ。
ギリシア神話の主神ゼウス、オリュンポス十二神を初め、ローマ神話のアイーウス、アウステル、アウトマティア等、また、現在は歴史上最も多くの彫像が作られている実在の人物だった仏陀、彼の聖書が世界一多く読まれているイエスキリスト、アッラーの神、孔子達が暇を持て余しているに違いない天国。
残念ながら、僕には縁がないので、そんな天国の様子はあくまでも勝手な想像だが。
地獄に落ちたひがみからか、「コンチクショウ」と、思わず呟いてしまった。
暇を持て余している証拠に、このような小説がある。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という小説に、(僕の記憶の範囲内だが)次のような文章がある。
「何気なくカンダダが頭を挙げて、血の池の空を眺めますと、そのひっそりとした暗の中を、天上から、銀色の蜘蛛の糸が、まるで人目にかかるのを恐れるように、するすると自分の上へ垂れて参るのではございませんか。
カンダダは、これを見ると、思わず手を打って喜びました。この糸に縋りついて、どこまでものぼって行けば、きっと地獄からぬけ出せるのに相違ございません。いや、うまく行くと、極楽へはいる事さえも出来ましょう。そうすれば、もう針の山へ追い上げられる事もなくなれば、血の池に沈められる事もある筈はございません」
という文章があるが、この小説程、皮肉に満ち満ちた恐怖そのものの話を、僕は知らない。
彼に続けと、おびただしい数の地獄で苦しむ有象無象≪うぞうむぞう≫が、細い蜘蛛の糸に縋り付き、辛い地獄からの脱出と極楽行きの希望を、結果として踏み躙≪にじる≫であろう事を予見出来ないお釈迦様ではないでだろう。
これは、地獄で聞こえる阿鼻叫喚が、僕に強いる歪んだ考えなのかも知れない。
でも、極楽から蜘蛛の糸が降りてくれば、僕が一番に縋り付くに違いないだろう。

僕の番号は黄色の千百九十二番で、平氏を滅ぼした源頼朝が征夷大将軍となり、相模の国に鎌倉府を開いた年号だなぁと、ぼんやり思った。でも、千百九十二年は高校の教科書の記載されているのであり、中学の教科書には、千百八十五年(いい箱、と覚える)と載っていて、あれ程栄華を誇っていた平家を滅亡に追いやって、頼朝が朝廷より守護・地頭の設置を認められた年である。鎌倉幕府の成立をどの時点とするかについては、諸説があるが、ある一時期をもって成立したと見るのではなく、数段階を経て成立したとする見解が、学会では受け入れられているらしいのだ。
前の人に続いて徐々に進むと、今度は、変な風貌をした年齢不詳の大きなオジサンの前にきたのだ。ああ、このオジサンが、いわゆる地獄で有名な閻魔さんだと、直感で分かった。
インドの神話では、もともと光明神の一人であったのだが、人類最初の死者として下界を支配する死の神、「地獄の王」となったオジサンだ。
中国宋時代の変テコリンな服を着、冠を斜めに被り赤ら顔で怒って憮然≪ぶぜん≫とした顔をしていて、痩せ細って、今にもくずおれそうな薄汚い水牛に、居心地の悪そうな姿勢で乗っている。なんともはや、その姿は滑稽そのものである。
笑いを堪えるのが非常に困難な事を、この時に初めて知った。笑いを噛みしめる苦しさに負けそうだったが、どうにか我慢できた。ホーと溜息さえ出たのだった。
しかし、威厳と恐怖のオーラは十二分に出ていたので、閻魔さんの面目は辛うじて保たれていたのだ。
我々のいるカビ臭いが漂う片麻岩を砕いた、腐った水溜りの多い所と違い,閻魔さんは、深紅のペルシャ絨毯≪じゅうたん≫を敷き詰めた、趣味の悪さの典型カナと思えるような安普請の歌舞伎もどきの舞台で、色っぽい赤鬼達を大勢、顎で使って能率の悪い作業をさせていたのだ。
でも、赤鬼達は誰もが美人であり、スタイルもグンバツだ。ロマン主義運動の高まりの中、オスマン帝国のハーレムに出てくる、ベリーダンサーのようにグラマーで、身のこなしは、艶やかな魅力に満ち溢れている。
閻魔さんの総事業には、相当なイニシャルコストに加えて、維持に必要なランニングコストも、相当多額の投資をシテイルナーと考えると同時に、どこからそんなに多額の費用を賄っているのか、閻魔さんに聞きたかったが、いまだ僕の罪状朗読(?)、判決も下されていないので後にした。
赤鬼達の一人(一匹?)に命じて、薄汚れた1冊のA4ノートを持って来させ、滔々≪とうとう≫と読み出したのだ。
「四歳十一カ月の時、自宅の庭にて、当時高価であった角砂糖を五個も庭に置くや、集まって来たアリの巣を探し出し、残酷にも、沸騰した薬缶の湯をドク、ドク、ドク、ドク……と巣の中に流し込み、何ら罪の無い四百四十四匹のアリ達の崇高なる命を奪い……」
こんな調子で長々と罪の数々を列挙し出したので、欠伸したいのを我慢しながら、僕は、妖艶な赤鬼達の品定めをしていた。
どうも、主文が後回しのようで、死刑判決を言い渡す場合に、判決理由から始まって、判決の内容(主文)は最後になることが多く、あの世では、これを「主文後回し」と一般的に呼んでいるが、このようにする理由は、先に死刑を言い渡してしまうと、被告人は衝撃を受けてしまい判決理由が頭に入らなくなるからだ、と言われている。
閻魔さんの判決理由は、まだ続いている。
「……幼い頃より、君、山下啓二は、神童と呼ばれる程に頭脳明晰であり、IQは、ずば抜けて高く、日本では名門のN中、N高、T大の経済学の修士課程を優秀な成績で出て、母校の助手をし、ドイツの社会学者・経済学者で、社会学の黎明期の主要人物として、エミール・デュルケーム、ゲオルグ・ジンメル、カール・マルクス等と並び称されるマックス・ウェーバー(Karl Emil Maximilian Weber)に関する博士論文を書きながら、女性を4人孕≪はらま」せ、残酷にも、四人ともども堕胎させたのだ。
最後に関係を持った五人目は人妻であったので、不倫に苦しんでいた君は、鬱状態となった挙句の果てに無理心中を図ろうと、何年も前に入手していた、適量服用すれば死を招く程に強力なドイツ製の睡眠薬を、瓶の約半分程飲んだところで、ガー、ガー、ガー、ガー……という大イビキをかき、口から白い泡を吹きながら、訳の分らないうわごとを喚きだした。
ともにベッドにいた人妻は怖くなり、慌てて恥も外聞も忘れて、旅館の人に救急車を呼んでもらい、君は救急病院に搬送されたのだ。
そこで、胃洗浄する為に、一般のホースより一回り大きい管を口から胃まで挿入され、二十リットルの水で洗われ、小腸にまで入り吸収された薬物を排泄させる為の輸液を使い、更に、小腸に入った薬物でまだ吸収されていないものを、便として排泄させる下剤を使用する等したが、現代医術の甲斐もなく、君はあの世、つまりこの世に来たのである」
と、A四ノートを見ながら、閻魔さんは僕に言い聞かせるように、話をし、
「今、ちまたに、あるのはベンゾジアゼピン系・非ベンゾジアゼピン系と言った睡眠薬(睡眠導入薬)で、数万錠から百万錠、あるいは二百万錠服用しないと自殺できんわ。上手く手に入れたものヨノウ。」
と、立派な口髭をもてあそびながら、大いに感心をしている。
例の赤鬼の一人が、純金製らしい花瓶のような器に入った液体を、閻魔さんに渡すと、TVのビールのCMで良く見るように、ゴク、ゴク、ゴク、ゴク……と、喉を鳴らして一気飲みし、全く何の前触れもなく、深紅の炎を吐き出し、あわや、僕の顔に当りそうになったので、慌てて横飛びして難を逃れた。
ここで、僕は発言しなければ、焦熱地獄等に送られるだけだと思い、しかも、閻魔のオジサンに言わせるだけ言わした後なので、今度は聞いてもらおうと、勇気を出して皮肉をたっぷり込めた質問をした。
「閻魔さんは人類最初の死者だと、僕の記憶では、思っているのですが、四百三十から四百五十万年前のラミダス猿人は、既に二足歩行をしていたのですが、そうすると、脳の容量もチンパンジー程度だし、身長も百十から百四十センチメートル位ではないのですか?」
この質問に閻魔さんは、「ウーン」と唸ったきり、下を向いて黙ってしまったのだ。
ここぞとばかりに、閻魔さんに言ってやった。
「第一その格好には、センスをみじんも感じられません。どうして、中国人の出来そこないのような服装で、偉そうな顔で死人に向かって、地獄にいなければならない量刑を言い渡せるのですか?」
僕の全ての問いに対して、閻魔さんは何も答えられなかった。
(ざまーみろ)と、僕は内心で、ほくそ笑んでやった。
これで、僕の閻魔さんに対する優位性を、確かなものとした手応えを、はっきりと肌で感じた。
更に、追い打ちをかけてやったのだ。
「事務手続きを始め、なぜ、旧態依然としたトータルシステムに甘んじているのですか? 
ただ単に、Aは極寒地獄に四百年、Bは叫喚地獄に九百年、Cは血の池地獄に千年等と刑を下して、その刑期を終えて再び(何度目かも判らない程の死人達もいるだろうが)人間として、どこかで、生まれ変らせるだけで、その間の数百年間、数千年間は、何も付加価値を創り出すような生産的活動は、一切させていないではありませんか? ここらあたりで、抜本的な変革をしなければ、死者達に、馬鹿呼ばわりされるのではないでしょうか?」
と、語気を強めて言うと、鬼の目にも涙、じゃなくて閻魔さんの目にも、薄らと涙がこぼれているのを見逃さなかった。
あくまでも、ていねいな言葉を使い、そのくせ内容は、かなり閻魔さんにとっては厳しい事を、量刑が増えるのを覚悟して言いたい事をほんの少しだけ、僕は言ってやったのだ。
(こんな、例えが適切ではないかも知れないが、明治天皇のようにある意味立派に伸ばした髭、その髭を真似たジイサンに、負けてなるものか)と、強がっていたのかも知れない。

ところが、案に相違して、閻魔さんは今までの表情とはコロリと変わりニコニコして、僕の顔をまじまじと見つめて、
「山下君に、ぜひとも頼みたい事があるので、別室に来るように!」
と、言い渡された。
(ちょっと言い過ぎたかなあー)と、少しだけ反省しながら五メートルを超えているだろう閻魔さんの後に、早足で続いて行くと、チョーダサイ部屋に入ったのだ。何とも悪趣味な金・銀を表面にはめ込んだキンキラキンに輝く椅子に腰をかけて、ヘンナオジサンと二人、向かい合あわせにすわった。間髪を入れず、薄く透き通るようであるのに、なぜか良く見透かせない、正絹の長いドレスを見事に着こなした、なかなかの美形の赤鬼が二人入って来て、金のティーカップに香りの良い紅茶を入れて閻魔さんと、僕の前に置き,(何度も、何度も、繰り返し、鏡の前で練習を重ねて来たに違いないと思える程)優雅に、颯爽≪さっそう≫とドレスをひるがえして部屋から出て行った。
僕は、紅茶を口に含むなり、
「セイロンのウバ、中国のキーマンと並ぶ、世界三大紅茶と言われるダージリン・ティーですね? 素晴らしく美味しいですね!」
と、褒めると、閻魔さんは嬉しそうな顔をして、
「オヌシハ、なかなかの博学デンナー」
と、妙なイントネーションの大阪弁を使った。
「閻魔さんは、一体、何ヶ国語位会話出来るのですか?」
と、尋ねると、
「えーと、人類の栄枯盛衰は実に多いし、方言とやらも数え切れん程あるし……」
と、ブツブツト呟きながら、何やら真面目に数えているようだったので、
「約でいいですよ」
と、助け舟を出しても、いまだに、大きな目玉をぐるぐる回しながら数えているようだ。
世間で言われているのとは、実際の性格と行動様式は全く真逆であって、好々爺≪こうこうや≫で、真面目過ぎる位に、真面目だ。
オレオレ詐欺やイカガワシイ商品の売り込み等に、直ぐにだまされる類の人を疑えないタイプであり、精神心理学的に見て、潜在意識、顕在意識ともに、常に躁状態であるのにもかかわらず、いつも怖い形相で、怒っているふりをしているだけのようだ、と思う。
死人に対峙する場合に、決して本心を見せないのは、
(相当の精神修行を積んで来た証ではないのだろうか?)
その後の、我々の様々な活動に対しても、常に、ニコニコとして見守っていてくださった。

僕は,既に、閻魔さんを敬愛し、我が師として、この人の為であれば死んでも良いとさえ考えていたのかも知れない。
閻魔さんに、僕の持論である死刑廃止論を述べたのだ。この考えの中には、閻魔さんの地獄統治に対する批判をも込めていたのだ。
「元々、僕は死刑廃止論に賛成であるが、死刑は、ただ単に、死刑囚に恐怖以外の何ものも生み出させず、この世に何も利益をもたらしはしない。そうであるならば、死刑に替えて、恩赦、特赦を一切認めない言葉の正しい意味での終身刑とし、本人に労働をさせ原価計算を厳密にすべきである。つまり、刑務所の減価償却費、各種資材、機材等の減価償却費、刑務官等の諸人件費、食事代を初めとする本人にかかる費用負担等を、全てを差し引き、本当に本人が生み出した剰余価値のみを正しく計算し、遺族等に対しての見舞金として、毎月あるいは、毎年支払うべきではないだろうか?
遺族等が、そのような金をいただくのは、かえって亡くなった者の記憶を更に一層強くさせ、いつまでも忘れ得ない、と判断し拒否すれば、国庫に入金すれば良いのではないでしょうか?
いずれにしても、人は唯単に生まれて死に向かうだけの存在ではなく、たくさんの罪を敢えて意識して犯すか、気がつかないうちに犯すかは別にして、他者に対峙して善を成すのが人に課せられた宿命ではないだろうか?
この世で、前世の垢«あか»を少しでも落とす為にこそ、諸々の修行(なにも修験者のようなものでなく、日々の中で善行をなす事)を敢えてして、他者(人間だけに留まらず、全ての生命、全ての自然をも含む)にある意味での恩を、返すべきではないのでしょうか? 人類は、単に、進化(最適者生存の原理、または突然変異の繰り返し)してきたのではない。現在、鷹が鳥類の頂点に位置しているように、我々人類は、地球上のありとあらゆる生命の頂点に、君臨している。にもかかわらず、やがて七十億にも達する種としての我々は、猿から進化した人類ではあるが、猿同様、いまだに、種族間、国家間の争いの絶えた事はなく、核兵器の開発を現在この瞬間でも進めている国さえあり、ラッセル・アインシュタイン宣言の決議を今でも、いや今だからこそ、思い浮かべるべきであろう。

『およそ将来の世界戦争においては、必ず核兵器が使用されるであろうし……、世界の諸政府に彼らの目的が、世界戦争によっては促進されないことを自覚し、この事を公然と認めるよう勧告する……』
特に、最近の少年犯罪は、凶悪化、知能化(政治事件,収賄、詐欺)よりも、むしろ、粗暴犯罪化(暴行、スリ、ひったくり、エゴに基づく無差別殺人等)の低レベルの犯罪が多く、マスコミでは、凶悪化した少年犯罪を大々的に報じているのだ。
しかし、犯罪に占める凶悪化した少年犯罪の割合は、むしろ減少傾向にあり、多くはマスコミの餌食になっているだけである。この事は、最新の警察白書を読めば、誰でも理解できるのである。何を言いたいのかと言えば、人類の未来もそんなに悲観すべきものではない、と断言し得る事は間違いなく、そうであるからこそ輪廻転生して、再び生まれ変わるあの世への過程としての地獄での生活を、充実させねばならないのである、と堅く僕は確信している」
これらの僕の持論を、閻魔さんはニコニコした笑顔をして、相槌を打ちながら熱心に大きな耳を傾けて、一切、口を挟まず聴いていたのだ。
閻魔さんに、
「僕の持論に対する考え、反論等があれば、ぜひ、お伺いしたい」
と、言うと彼は一言だけ言った。
「この地獄における全ての事柄は、閻魔大王法典に準拠するだけである」
「それでは、僕にその法典を読ませて下さい」
と、懇願すると、以外にもアッサリと、
「エエデオマスセー」
と、言う返事が即返ってきたのだ。
「ソヤケド、多分、君には読解することは無理だろから、明日から十三日間かけるのがエエデー。教養のある赤鬼に命ずるので、翻訳、説明、解釈その他質疑応答の為に、A教室を使って教えてもらいなさい」
(ヤッターマン)と心の中で叫んでしまった。閻魔さんが、僕の話を受け止めてくれたのに対してか、妖艶な赤鬼に会えるからなのかは、どちらとも言えない。
翌日から、色気ムンムンするがそれでいて教養たっぷりある赤鬼と、閻魔大王法典なる代物について、議論を交わしながら勉強させてもらった。楔形文字≪くさびがたもじ≫で書かれた三百九十九枚の粘土板を乾燥させた法典は、百九十六・百九十七条にある「目には目を、歯には歯を」で有名なハムラビ法典を、彷彿≪ほうふつ≫とさせる程に、良く考慮され整った法典ではある。
ところが、その内容たるや前近代的であり、加筆、訂正の必要を強く感じさせるものであったのだ。そこに記述されている根本思想は、紀元前五百八十二年から紀元前四百九十六年まで生きた、古代ギリシアの数学者であり哲学者でもあった、「サモスの賢人」と呼ばれたピタゴラスの輪廻思想だった。
(因みに、有名なピタゴラスの定理は、彼本人でなく、ピタゴラス学派の人の発見ですよ、豆知識デース)
閻魔大王さんに敢えて逆らう気は、毛頭ないので、
「閻魔大王法典は、閻魔さん直筆の粘土板ですか?」
と、問うと
「イエス、アタボーヨデゴザイマスルワ! ワンワン、ワワン犬のおまわりさん、泣いてしまってニャン、ニャン」
という返事が返って来たので、ここは、お追従の言葉を述べる事にしておいた。
「とても素晴らしいできですね! 大変感服致しました」
こんな些細な事柄で言い争っても、何も得るものはないと判断したからだ。
ついでに、気になっていた事を聞いてみた。
「ここは地獄ですが、天国はあるのですか? あるとすればどんな神様が住んでいらっしゃるのですか?」
そう問うと、即座に閻魔さんは次の神々の名を述べ始めた。
「アイテール、アスクレーピオス、アプロディーテー、アポローン、アルテミス、アレース、アテーナー、ウーラノス、エーオース、エロース、エレボス、オネイロス……」
ギリシア神話の神々の名を列挙しだした。最後まで聞く根気もないし、まして、興味もさらさらないので、
「有難うございます。おかげで良く分かりました、もう結構です」
と、素っ気なく言ったのは、少し無礼だなとは思ったが途中で遮った。最後まで聞けば、夜中になりそうだったからだ。
「この地獄で、一番知識と教養のあるのは、当然、閻魔さんですよね!」
と、尋ねると、大きな胸を更に大きくして、またしても「アタボーヨ」と言って、両手で大きな拳を作り、まるで、外敵を威嚇≪いかく≫する際に、二足で立ち上がり両手を使って胸を叩
き、ポコ、ポコ、ポコ……と高く響く音を立てる、ドラミングと呼ばれる動作をするゴリラのような行動を、貧相な牛から降りてしたのである。
貧相極まりない牛のホーとした安堵に満ちた表情を、すかさず見つけた僕は、その痩せ細った牛に対して惻隠≪そくいん≫の情をおぼえた。

閻魔さんの今までの言動から判断して、地獄は紀元前より、殆んど進歩していない事が窺い知れた。
早速、閻魔さんに申し出たのだ。
「地獄全体が、余りにも旧態依然過ぎるのではないでしょうか、僕に近代化のお手伝いをさせてください」
「出来るなら諸改革を、わしもしたかったノヨー。君が先頭に立って、ぜひそうして欲しいノデゴジャルワイナ、イナイイナイバー」
またまた、変に訛った機嫌のよい答えが返ってきたのだ。
もう一つ、これまでズート、僕が疑問に感じていた事を尋ねてみた。
「なぜ、成人ばかりいて、しかも、見たところ、殆どの人が東洋人ばかりなのは、どうしてなのですか?」
「二十歳未満、および女性達は、わしのチョー、チョー、チョー、チョーお気に入りの美形の赤鬼に、三十カ月の妊娠期間を経させて、難産ではあったが、やっと産ませた双子の男の子達に、担当させておるのじゃよ。それと、仏教を信じない外国人は、その信ずる地獄の主のもとに行くから数が少ないのじゃわい。例えば、キリスト教信者は、このような地獄はないのじゃ。全ての人は、永遠の人格を持つ存在とされ、永遠の生命とは、愛,善の源である神との交わりの中で霊的な命として、至福の中に入るのですわ。勿論、君も知っての通り、悪魔の巣みかの地獄は存在するが、そこには誰も人間はいないのだ。また、イスラム教では、アッラーの神に対して絶対的に帰依する。だがしかし、アッラーの神は天地万物の創造主でありながら、一方では愛の神、他方では怒りの神でもあり、服従を拒む信仰者は、世界の終末でその罪を問われるのじゃ。
聖典コーランの地震の章で、恐ろしい終末が述べられておる。
「きっと、きっとお前たちは、その目で地獄を見るぞ。
もう一度言おうか、きっとお前達その目で、地獄を眺めるぞ。
その日こそ、お前達、遊びほうけてきた罪を問われるぞ」
第百二章一の八節にあるように、最後の審判の時まで地獄なるものは無いのでゴジャル」
「ではなぜ、こんなにも多くの東洋人が、毎年四百万人程も地獄にくるのですか? 死者の殆んど皆が地獄行きなのは、とうてい理解出来ません。天国に行く人はいないのですか?」
「君はまだ、地獄をよく理解してないじゃないカイナ? 生前に、殺生、盗み、邪淫、過度の飲酒、妄語、邪見等の罪を犯した人間は、皆、ここにくるのじゃ。従って、殆んど全ての人が、何らかの罪を犯しているので、彼等は、青白い血の気の失せた顔をして、自分はどのような種類の地獄――焦熱地獄、極寒地獄、賽の河原、阿鼻地獄、叫喚地獄に落とされるのだろうか? そうして、何年、いや、何十年、何百年、何千年、苦しまなくてはならないのだろう、と、我が身の事のみで、脳味噌が一杯になっているのじゃ。奴らは、哀れな餓鬼に成り下がっておるのじゃヨ。当然だろうが、他人の事は、一切目に入らなくなっておる。我さえ良ければ、他人、例え、肉親でさえ、どうなろうと関係ないと言い切る、いわゆる利己主義亡者となり下がっておるわい。君と違ってのう」
「詳しく、再度、お聞きしたいのですが、なぜ、今は殆どの人々が東洋人だけなのですか?」
「良い質問じゃ。それは、紀元前四年頃にあの世に生を受け, 紀元後二十八年頃に磔の刑になって、ユダヤの同胞に殺されたイエス・キリストが、地獄を否定したからデスネン。東方諸教会、正教会、カトリック、聖公会、ルター派、カルバン派、メソジスト、バプテスト等その他、多くの宗派が布教した為に、殆どの人類が、地獄には悪魔しかいないと信じているからなのじゃ。
それまでは、多くの民族、部族が地獄の存在を信じていたから、わしは、多くの言語を学んだのでアルヨン」
「では、なぜ、人類最初の死者である閻魔さんが、そんなに多くの知識・教養を持たれているのですか?」
「それはのう。神様から授かったIQの抜群の高さと様々な超能力、正直さ等の徳があるからデゴザイマスル。わしは、いろんな超常現象、心霊現象もできるよ。ノーベル物理学者のブライアン・ジョセソンもこれらの現象を肯定しているゾヨナモシ。人間もやっと、我々の事を理解し始めたなぁ」
感慨深げに大きな目を更に大きくして、薄暗い青空に向けた閻魔さんの顔には、神々しさが溢れていた。
「でも、どのようにして、一日に約三十万人もの死者それぞれに判決を下せるのですか?」
この質問には、十四日間も飲まず食わずで、歩かされた皮肉をも込めていたのだが、果たして、どこまで、閻魔さんは気がついたろうか?
「それは君、簡単だよ。死者の額に刑罰の種類と期間が浮き出ており、わしはそれを読み上げるだけじゃ。自分の罰は、己の額に明確に記されるものである。皆青い顔をし、かつ、おののいて下を向いているが、君は皆とは違ってわしの目を純粋な心で見ていたので、第九感でビビビビーと来たのだよ。君こそ長年探しておった、わしの右腕になれる者だと確信したのじゃ。ノートで詳しく確認して、あのような罪状の披歴とともに、短い命であったが優れた才能と信念のある死者だと考えたのじゃ。この思いは、今でも当然であるが、変わってはいない。わしの目に狂いは一切ないのだヨンダモンネー」
僕の事を誉め過ぎでこそばゆかったが、更に質問をしたのである。
「ところで、ここと我々のいた地球とは、どのような位置関係にあるのでしょうか?」
「うーん。またまた、これも良い質問じゃのう。君達のいたテラとこの場所は、同じ所に重なって存在している、パラレルワールド(平行世界)の一つとして、厳然と存在するのでゴザル」
アーサー・C・クラーク、ロバート・A・ハインラインと合わせて三大SF作家と称されているが、ヒューゴー賞を七回、ネビュラ賞を二回、ローカス賞を四回受賞しているアイザック・アシモフのパラレルワールドをテーマとしたSF小説「住宅難」に代表されるように、今を去る百四十七億年前に起こったビッグ・バンの過程において、我々が知っている宇宙(高性能を誇っているハッブル宇宙電波望遠鏡でさえ、百三十七億年前までしか解析出来ないのが、現状だ)以外にも、他の宇宙が泡の如く無数に生じている、という仮説を宇宙物理学者等が提示しているのも事実である。
「良く判りました。それでは、早速、地獄の近代化に着手したいと思いますので、皆さんの知恵と力をお借りしたいので、赤鬼さん、青鬼さん、それぞれのIQ、教養の程度と人数をお聞きしたいのですが!」
「赤鬼、青鬼のIQと教養の程度は、君達の世界で例えるなら、千六百三十六年に設置されたアメリカ合衆国の私立大学であり、卒業生として四十八人のノーベル賞受賞者を輩出しているマサチューセッツ州にあるハーバード大学の、行政・政治学大学院であるケネディスクールで、教鞭を執る事が可能な位のレベルだよ。赤鬼、青鬼の各四百名が、わしが与えた仕事を卒なくこなしておるノジャヨ」
「それでは、閻魔さんを含め皆さん方の勤務時間帯を教えて下さい」
「うん。朝の九時から夕方四時までじゃよ。全員同時に地獄食堂A,B、C、Dの四か所で食事と休憩させる為、昼は十二時から二時まで仕事をさせていないのじゃ」
「それでは、勤務時間が終われば、皆さんは何をなさっているのですか?」
「各鬼は、自分達が専攻しているテーマの研究論文を、寝る間を惜しんで書いておるのじゃ。毎月、一度わしに提出させ、採点後、わしがじきじきにコメントを書いて返却し、更なる向上心を彼等に与えておる」
「では、総理大臣は閻魔さんとし、僕が総理を補佐する副総理となります。閻魔さんは、次のポストにふさわしいだろう、と、お考えになる鬼達を選んで下さい。
ペーパーテスト、面接等で選抜してはいかがでしょうか? 総務大臣、法務大臣、財務大臣、文部大臣、科学大臣、厚生大臣、労働大臣、農林水産大臣、経済政策大臣、産業育成大臣、国土交通大臣、環境大臣、行政改革大臣、地獄公安大臣の各大臣一名と、各副大臣三名、政務官五名を選考してください」
「そんな事はた易い事じゃ。テストなんて不必要ダワイワイ、シズマレ、トノノオトオリジャ。わしの頭には、直ぐに適任者の顔が浮かんで来るゾヨ」
「なる程、で、各鬼さんに名前はあるのでしょうか?」
「いいや、そんなややこしい名前等ない。青鬼一,二,三、……、赤鬼一,二,三、……と呼んでおるのじゃ。たかが、八百名じゃ。皆の精神構造、行動パターン等は、わしが全て把握しておる」
「さすが、閻魔さんですねぇー」
大いに感心して賛辞を素直に述べた。
「四百万年から五百万年の付き合いじゃからのう。この地獄を統治、管理するコンプライアンス統括の最高責任者として、当然であろうゾ」
閻魔さんの強い責任感には、脱帽ものである。
「では、書物や文具用品等はどうして手に入れているのですか、その他全てのここ地獄での必要な品々も含めて」
「うん。毎月一日は、全鬼達に地獄の通常業務を休ませて、まる一日を費やさせ全品棚卸をし、各種発注書に記入し、神様に宛てて伝書鳩を飛ばし発注しておる。翌日には天より、商品を満載したコンテナを牽引してある、後部に数十台連結した自動操縦式無人トレーラーが、所定の場所に着陸し、担当しておる鬼達が全数検品した後に、指紋を押印した受領書を数十羽の伝書鳩を使って、神様宛てに送り返すのじゃ」
「それでは、緊急、発注漏れ等の対応は?」
「同じようにして、神様に宛てて発注すると翌日には天より届くのじゃヨ。何でもわしが認めれば送って下さる。勿論、発注書の表紙の稟議書には、発注責任者とわしのサインは必要じゃが」
「生鮮食料品も、そうして手に入れているのですか?」
「ウンニャ、いやいや違うゾナモシ。生鮮食料品に関しては、我々が努力して全てを自給自足しておるのじゃ。主食の米は一等米区分のSSSランクバイオテクノロジーを研究していた、最近ここに来た優れた者をリーダーにしている四十名からなるチームが、更に美味しいコメを研究しておるのじゃ。わしが食べるご飯は、料理の天才と言える赤鬼達が、ヌカ釜で炊いておるのじゃヨ。また、フランス産最高級のピンクガーリック、フランス産フレッシュミニ・キャロット、アスパラ、イタリアの野菜カーボロフィオーリヴェルディ(ロマネスク)、フランス産フレッシュミニ・ポワロー。その他、イタリア産ピゼリ(フレッシュグリーンピース)、指宿のサツマイモフレッシュ、イタリア産カーヴォロ・ヴェルッツァ(チリメンキャベツ)、等を栽培しておる。
しかし、太陽は、太陽系の全質量の九十九パーセント以上を占めておるが、その膨大なエネルギーは、この我々の住む地獄には、君達の住んでいるテラの十パーセント位しか、恩恵に浴さないのだ。その為、植物に欠かせない光合成を補うのを目的に、我々にとって無害な君の国の山陰地方の大学で開発された植物育成促進液を使っておる。同時に、北海道大学農学部、京都大大学院で教鞭をとっておった優秀な者達を中心として、更に栄養素に富み美味な食べものを、わしらの為に日々研究させておる。幸い、ここには、虫なぞいないので、無農薬野菜を温室で、重油をたいて育てておるのじゃヨ。蛋白源は、三途の川で投網を使い捕獲した魚類から摂取しておる。更には、斜度十五度の牧草地帯で育てた牛の霜降り肉が,舌に入れた途端とろけそうで、美味なのじゃ。そこで育つと、足腰ばかりか全身が鍛えられ、素晴らしい牛に成長するのじゃそうなのだワイ。ワイワイ、子供達が『子供みこし』を担いでワーイ、ワーイ」
僕は、またまた感心したのだった。
食生活は,事細かに十分聞かせていただいたが、多分、中世哲学(キリスト哲学 · 初期イスラム哲学、 ユダヤ哲学 )しか学んでいないだろうと思われる、閻魔さんに形而上学の考えをお聞きししたいので、次のように質問した。
「閻魔さんは、神様をどう捉えているのですか?」
「精神的・物的には、この世に存在する全ての素粒子の創造主であり、調和の美そのものじゃ。
絶対的、完全なる存在であり、我々の知覚を超越した全宇宙の創設者であるとともに、真・善・美そのものでアリンス、ワイノウ。宇宙物理学的には百四十七億年前のビッグ・バンと同時に存在を始められたのじゃ。初期の宇宙の段階から、今では、高エネルギー物理学で解明されているが、これにより、陽子、電子、中性子、原子核,原子を生成し、最初の恒星、クエーサー、銀河、銀河団、超銀河団、を造られた創造主でアル、アル、アルキメデス、チャン」
意外にも、最新科学にも精通している閻魔さんの博学に驚くと同時に、僕にも理解出来る言葉で、語ってくださった。
「それでは、直ちに、この後進的な地獄の近代化に取り組みたいと思いますが、閻魔さんのご返事は?」
「タノンマッセー」
の一言を関西弁で述べられたのみであった。
「それでは、まず手始めに全ての地獄をなくしてください」
と、言うと巨大な建物の地下にあるようなボイラー室と、地獄専用の電気系統を制御する厳重なドアで守られた配電盤室に連れて行かれ、僕の目の前で、全てのスイッチをオフにした。その結果、直ぐに、焦熱地獄の炎は消え、阿鼻叫喚地獄からは苦しみの声も消える等、全ての地獄での拷問活動は、一切無効化されたようである。

僕は、神様に頼りたくはなかった。
だが、この地獄には近代的な設備、機器等一切ないので、最初の六年間は様々な機材等を発注せざるを得なかった。
次第に、ライフラインを整備し、図書館、美術館、劇場等の文化的建造物等さえも、一から創造していったのである。勿論、地獄に落ちた優秀な死人達に組織化させたのだ。
早速、地獄にいる大勢の細胞生物学、 遺伝学 、発生生物学、 バイオテクノロジー 、人工臓器等に詳しい者等の中から、最新知識と技術を持つ科学者を、リーダーとしたチームを結成させた。
首から上のない者、手足をなくした者、体中がボロボロに切断されてはいるが辛うじて薄い皮膚で繋がっている者、縊死者……などを、まともで元気な体にする為に個体全身を作製するクローンではなく、体細胞クローン技術や、その途中経過である移植者自身の体細胞より発生した幹細胞を利用し、臓器を複製したり、機能の損なわれた臓器と置き換えたりする等、また高等な技術を要する、幹細胞移植による再生医療を完成させた。
更に、induced pluripotent stem cell を略したiPS細胞の実用化に向けての更なる研究、実験も始めているのだ。
次に、住民達の総背番号化を進め、ここにいる全ての人達を、特技分野別に分類して仕事に従事してもらう事にし、地獄の改造計画はここに幕を上げたのである。
《「礼記」大学から》小人≪しょうじん≫閑居して不善をなす。
(つまらない人間が暇でいると、ろくなことをしない)
の諺通りだ。その諺の正反対をさせる為に、地獄にいる者は全て、何らかの仕事に就き地獄の近代化に寄与すると同時に、報酬と何よりも達成感を味わうのが、人間本来の姿であるだろう。米国の心理学者A・マズローが発表した学説である、欲求階層説(欲求ピラミッド、欲求五段階説)は、精神病理を解明する精神分析に対して、人間の肯定的な側面に注目した点も、頷けるのだ。誰だって、自分の持つ能力を最大限発揮して、創造的活動をしたい筈である。A・マズローの説く最終段階の自己実現である。僕は、徐々にそうなるようにしていったのだ。
十九の州には、各四十か所の「地獄ワーキングステーション」を設置し、専門の係員を配置して、ここにいる期間に、各人がスキルアップ出来ている程度と意欲を見極めて、次の職業を斡旋するのである。
勿論,半官半民のエンタープライズを次々に創造していったのだ。ここでは、カンパニーとは呼ばない。なぜなら、(俗ラテン語)companio(一緒にパンを食べる仲間)と言う意味での会社、商会と商社としているからだ。彼等を、より高次のポストを紹介するのだ。無論、一部の例外を除くと、新しい生を獲得すれば、何の記憶の断片すらも受け継がれはしないが……。
しかし、人類は、マズローの説くピラミッドの頂点である自己実現へと登り着くよう努力する動物だ、と僕は思う。

僕は、閻魔さんがどの程度の哲学的素養を持っているのかを、どうしても知りたくて質問したのだ。
「ところで、閻魔さんは、サルトルをご存じでしょう?!」
「なんじゃと、サルトビサスケならよく知っておるのじゃが。ワハッハッハ、ワハッハッハ、冗談、冗談、冗談じゃよ。ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル、千九百五年六月二十一日生まれのフランスの哲学者、小説家、劇作家、評論家であろう。
こう見えても、知識欲は誰にも引けは取らんと自負しておるのだ。
しかし、彼等の実存主義は、無神論的哲学を基礎に理論展開をしておるから、全幅の信頼を置けんのじゃ。特にサルトルの実存主義は無神論的実存主義と呼ばれており、「実存主義はヒューマニズムであるか」において、「実存は本質に先立つ」と主張しておる。また、「人間は自由という刑に処せられている」と言い切っているわい。
しかし、サルトルは、そのような一切を創造する神が存在し得ないのだ、としたらどうなるのか? あらゆるものは、その本質を(神に)決定される事がないまま、現実に存在してしまうことになるのじゃ。この場合は、「実存が本質に先だつ」事になり、これが人間の置かれている根本的な状況なのだ、とサルトルは書いておる。また、サルトルは、即自と対自という対概念を導入して、持論を展開しておる。これは物事のあり方と人間のあり方に分けて、対比させたものであるのじゃ。即自である物事とは、「それがあるところのものであり、あらぬところのものであらぬものである」としておる。
これは物事が、常にそれ自身に対して、自己同一的なあり方をしている事を意味し、このようなあり方を即自存在と呼んでおる。
それに対して、対自である人間とは、「それがあるところのものであらず、それがあらぬところのものであるもの」としておる。
人間は、物事のように自己同一的なあり方をしていないノジャヨ。
AはAであると言われるのは、即自存在においてのみであって、胎児においてはAはAであったとしか言われえない。対自は、仮に存在と言われたとしても、それ自身は無である。
人間は、あらかじめ、本質を持っていないという事を意味しておるわい。
サルトルは「人間とは、彼が自ら創りあげるものに他ならない」としており、人間は、自分の本質を自ら創りあげる事が、義務づけられているとしておるのじゃ。人間は、自分がどのようにありたいのか、またどのようにあるべきかを思い描き、目標や未来像を描いて実現に向けて行動する「自由」を、持っている事になるのじゃよ。
自由とは、自らが思い至って行った行動の全てにおいて、人類全体をも巻き込むものであり、自分自身に全責任が跳ね返って来る事を覚悟しなければならん。今述べた、あり方における実存が自由であり、対自として「人間は自由という刑に処せられている」というのである(人間は自由であるように、呪われているというのじゃ。
とは言え、人間は自分で選択した訳でもないのに、気付いた時には、常に状況に拘束されておるのじゃ。他人から何ものかとして見られる事は、私を一つの存在として凝固させ、他者の眼差しは、私を対自から即自存在に変じさせるじゃ。
彼の言う、地獄とは他人である。死においては、既に賭けはなされたのであって、もはや切り札は残されていないのである。対自から永久に即自存在へと変じさせる死は、実存の永遠の他有化であり、回復不能の疎外であると述べておる。
自由な対自としての限りでの人間は、現にあるところの確実なものを抵当<GAGE>に入れて、いまだあらぬ所の不確実なものに自己を賭ける<Gager>事ができる。自己が主体的に状況内の存在にかかわり、内側から引き受け直す事ができる。現にある状況から自己を開放し、新たな状況の内に自己を拘束することは、アンガージュマン<engagement>と言われておる。
サルトルは、自らのアンガージュマン<engagement>(社会参加)の社会的歴史的状況に対する認識を深め、マルクス主義を評価しておるのじゃ。
『存在と無』に続く哲学的主著『弁証法的理性批判』では、実存主義(あるいは現象学的存在論)をマルクス主義の内部に包摂する事によって、史的唯物論を再編しておる。
『弁証法的理性批判』序説の『方法の問題』によれば、ソ連を初めとする共産党の指導者たちが、マルクス主義理論を教条化する事によって、それにそぐわぬ現実を切り捨てていったからだワイワイ。
『彼等は、教条を経験の力の及ばぬところに置いた。理論と実践の分離はその結果として、実践を無原則な経験主義に変え、理論を純粋で凝結した“知”に変えてしまう事になった』(「方法の問題」人文書院 30頁)
要するに、『批判』で、サルトルがしようとしたのは、実践弁証法によって史的唯物論を再構成し、「発見学」<euristique>としての本来のマルクス主義を、基礎付け直す事だったのじゃ。
『弁証法的理性批判』は(1)「構成する弁証法(個人的実践)」、(2)「反弁証法(実践的惰性態)」、(3)「構成された弁証法(集団的実践)」の三つの段階を進んでいくのである。
わしが、知っておる彼の理論とわしの理論とは、互いに相反するのじゃ。
彼の話はこれ位にしておこう」
 この程度の知識なら、たいして、閻魔さんは、哲学に明るいとは言えないだろう、と思ったが、敢えて口にはしなかった。
そんなことより、地獄改造計画をいかにして推し進めていくか、と言う難題の解決策の糸口を見つけるのが先決であると僕は思った。
閻魔さんに尋ねた。
「地獄には、どのようなエネルギーが存在するのでしょうか?」
「エネルギー源としての化石燃料、砂鉄からレアメタルまで、君達がいたテラと同じようにアルノヨ」
心強い返事に、僕のやる気は更に増してきた。
アメリカにあるシリコンバレーのような、IT産業を軌道に乗せて地獄にネット世界を築いた。そう、僕は、神様に依存する体質を改善したかったのである。
僕には、あり余る程の年月が、与えられているのだから。

当然、各種の検事、大学教授、弁護士、代議士、役人、医者、カウンセラー、風俗関係者、前科のある人、単なる善人、いまだにあの世に未練を残す自縛霊、ガン、心臓病、脳梗塞等で亡くなった人、自殺者、自殺の意思がなかったにもかかわらず、自殺してしまって、いまだに戸惑っている人、老衰で天寿を全うした人、霊道を使って、霊感の強い生きた人々の前に現れて、生前の恨みを訴えかける、いわゆる幽霊として活躍(?)する亡者、エンジニア、工務店の社長、コンピューター関係者、親のすねをかじって引きこもっていた人、無職を恥じハローワークに通い続けていた人……など、死前に携わった職種は数え切れないのだ。
政務官の元に、死者のリーダーを十名から二十名を配置し、閻魔さんと私が、約二年かけて名簿を作成した。
短、中,長期計画に基づき、約百四十年を費やしてSCPオンラインを導入した。
各種学校、総合病院、市場、遊技施設、病院、アウトレットモール、百貨店、大型スーパーを核とした総合商業施設、図書館、集合住宅、シリコンバレー以上のコンピューター関係の施設を築いた。
官庁の各庁舎、リニアモーターカーとその関連施設、閻魔道(地獄道、準地獄道)、風俗店等を次々と完成させ、私達、閻魔さん、青鬼、赤鬼は目を回す位の多忙さに、ややもすれば、挫けてしまいそうだったが、一致団結の精神で堅く互いに結ばれていたおかげで、何とかやり遂げた。
それぞれのエリアを、十九の道州に分け、フランス式二院制を導入し、閻魔会(国会)を年間二百日開催して諸問題の解決、地獄法案の検討と通過に努めた。
通貨制度をもうけ、一閻を最小通貨とし十万閻札を上限とし、全てを日銀ならぬ閻銀の発行とし、金融政策は、閻銀の若いが勉強と地獄の活性化に燃えた人物を総裁ポストに据え、運営に関して大幅な権限を与えた。
当然、成果主義を導入し、働く人々に閻金を毎月末に支払った。
閻魔さんと議論を重ねた結果、地獄社会の根本思想としてベンサムの功利主義を基礎にした。つまり、「最大多数の最大幸福」(the greatest happiness for the greatest number)という、「個人の幸福の総計が社会全体の幸福であり、社会全体の幸福を最大化すべきである」という意味である。
今は、例え地獄にいるとは言え、いずれは、あの世に生まれ変わるのであれば、儒家の主流派、孟子学派が強調して説く性善説を広めて、道徳的に矯正しようとするのではなく、人々の内面を信じ、その覚醒を引き出そうとし、先天的な道徳可能性を認める為に平等主義的な思想を主眼としたのだ。
経済政策の根幹は、いわゆる大きな政府を目指したのだ。有名なマーシャルの弟子でもあるジョン・メイナード・ケインズを師とし、有効需要理論に基づき政府の公共投資を活発にして、雇用の創出を円滑にして地獄の活性化を図った。
閻魔さんを含め地獄の仕事に携わる、全ての鬼達の意識改革を図るのを目的に、勤務時間後、土、日を除き、毎日四時間講義を行うことを了承していただいた。
僕は、半年前から、ジェレミ・ベンサム、ジョン・デューイ、ジョン・スチュアート・ミル、ジョン・メイナード・ケインズ、ジョージ・オーウェル、エミール・デュルケーム……などの書物を、再度研究し直し、彼等の説く社会自由主義こそが、この地獄に最適の思想基盤だと信じている。
社会自由主義(Social Liberalism)は、自由主義に属する政治思想の一つであり、自由主義の立場から、個人の地獄社会における自由と人権を積極的に擁護し、地獄での社会的公正が必要だと考えて、古典的自由主義に含まれる自由放任や市場原理主義に反して、閻魔さんを頂点とした、政府による介入を図るのだ。
青鬼、赤鬼の視力検査をし、その結果、青鬼は驚異的な視力を持ち、三.〇~八.〇程度と推測されたが、優れた暗視能力をも併せ持つマサイの人々を遥かに上回る、平均十九.四の視力である。が、一方、赤鬼の視力は三~四であったので、千名は悠に収容可能な広大な教室の前半分の席に赤鬼を座らせ、後半の席に青鬼を座らせるようにしたのだ。しかも、図体のデカイ青鬼でも、ゆったりと抗議を受ける事が出来るよう自分達で講義室を改造させた。
従って、千名収容出来たのに八百名に減少したのは、仕方の無い事ではあったが、ちょうど鬼達の座る席は確保できたのだった。講義室では、鬼達全てが地獄IT産業の開発した、約三十四時間、内臓バッテリーで作動する、無線ラン方式十.一型 ワイドTFTカラー液晶ノートPCを使用し、各鬼に無線マイクも装着して、僕と双方向で講義を進められるようにし、僕専用の赤鬼十名で抗議資料を作成させている。
ブローレイディスクを、巨大な百四十V型LED液晶テレビで映しながら、僕は講義したのである。

めでたく地獄を卒業し、あの世に人として生まれ変わる同胞の為には、盛大な壮行会を催し、皆で、第二次次大戦時、赤紙が来て両親、親戚、隣組等大勢の人々の万歳の声で送られたように大きな拍手と万歳三唱で祝って、あの世に送り出したのだ。
閻魔さんも僕も、地獄の素晴らしい善に満ち溢れた現状に大いに満足し、地獄に暮らす、誰一人として邪悪な考えを、腹にしまいっている人達が存在するとは、夢にも思はなかった。
しかし、ある天気の良い朝、閻魔御殿で青鬼,赤鬼四十名集まって、今後の宇宙探査計画について激論をしている時、突然、イスラム原理主義を曲解した四人が無断で入って来て、
「我々は、ジハード(聖なる戦い)の為、ここにてお前達を道連れに死んでやる!!!」
と、腹一杯に巻いたダイナマイトを見せて、導火線に百閻ライターを使おうとした時、
「話せば判る!」
と、どこかで読んだセリフを、閻魔さんの口から発せられた。が、時、既に遅く、真っ赤な大きな炎と、煙、爆風、灼熱、を全身で感じた時には、もう僕の意識は闇の中へ吸い込まれるように薄れて行き、信教の自由を推し進めた己を悔やむと同時に、千九百三十年代、ドイツのゲーリング、ヒムラーの創設したGestapo(政治警察、和名、ゲシュタポ)制度を、なぜ導入しなかったのかと後悔をした。
だが、既に遅かったのだ。

俺は、暗くてジメジメしたトンネルらしき中を、前の人々に続いてビチャ、ビチャと木霊する
長くてカビ臭い道を、黙々として歩いていた。
あれらの一連の出来事は、訳のわからぬ行進の為に疲労困憊している俺が、勝手に描いた希望だったのか、単なる幻想であったのか?
それとも、未来の自分の行動の予知夢かは、神様、否、閻魔様のみぞ知る、である。



                          ―完―

閻魔様のみぞ知る

閻魔様のみぞ知る

俺は、暗くてジメジメしたトンネルらしき中を、前の人々に続いてビチャ、ビチャと木霊する長くてカビ臭い道を、黙々として歩いていた。 一連の出来事は、訳のわからぬ行進の為に疲労困憊している俺が、勝手に描いた希望だったのか、単なる幻想であったのか? それとも、未来の自分の行動の予知夢かは、神様、否、閻魔様のみぞ知る、である。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ホラー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-01-23

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