私の運転歴

 正月早々、温泉旅行帰りに私は息子が運転する高速道路で悲惨な交通事故を見た。大破した車は自分の過去の運転を思い出させた。
自動車学校の最終実技が終わって車を降りた時、私は指導教官に「免許を取っても、あんたは運転しないほうがいい」と言われた。学科も実技も最短時間でパスして自信満々だった私は少し気分を害したが、あとで思うと彼の忠告は正しかった様だ。
 日曜出勤の朝、その日の国道は凍結してツルツルだった。途中、私はいつもの大きな川にさしかかった。橋は全長300メートル、車幅が広く、対向車も後続車もなかった。ぶつかる物は何も無い。私はいい機会と思って、ブレーキテストを思い立った。まだABSのない頃だから、急ブレーキを踏むと車はスーッと滑り出し、右に90度回転して、橋を横切るようにそのまま滑って行く。私は焦ったがハンドルもブレーキも制御不能になった車は滑りをとめない。この時ばかりは背筋がゾクッとした。橋の欄干を突き破り30メートル下の川に車もろとも落ちて死ぬのを覚悟した時、「ガツン」という音がして車は止まった。
 行楽日の山道、その日は交通量が多かった。私がカーブの多い坂道の片側一車線道路を走っていた時、ワイパーを全開しても3メートル先が見えない程の土砂降りになった。徐行運転をするか、速い前の車について行くかの判断に迫られ、私はスピードダウンした。すると後に居た大型トラックが私の車をしつこくあおり始めた。やむを得ず私も速度をあげて前の車を追い、その後についた。
追突されるか、追突するかの板ばさみ状態がしばらく続き、運転操作は俄然忙しくなった。坂道のカーブを右に左にハンドルを切り、右足はアクセルを踏んだりブレーキを踏んだりせわしない。目は前車の尾灯を一点凝視しつつ、対向車にも注意しなければならない。どれか一台が道から外れたら、巻き添えで崖からの転落や玉突き事故が起こっただろう。
 私はいつしか「ゆっくり走ろう、云々」の交通安全標語に従うようになった。必要のない時に必要のない追い越し、追い抜き、割り込みをやめ、車間距離を十分にとった。スピード運転をやめたメリットは大きかった。それまでは一車線道路でスピードを出すと前の車にすぐ追いつき、その尻に付く事になる。常に最後尾にいる不満足感と次の追い越しの緊張感があるだけで楽しくなかった。今度は二車線道路で安全スピードを保っていると他車が勝手に追い越して遥か前方に離れて行くから私の前に車は無くなり、私はいつも先頭を走っている格好になる。法定速度は守っているので他車の迷惑にもならない。リラックスして辺りの景色を見る余裕があるから快適だった。この様にして私は安全運転を楽しみ、また家族の命を守った。
 雪国生活の私は車も変えた。二台目からはマニュアル車はやめた。4WD, ABS装備のオートマチック車にこだわり、その車で左の足はブレーキペダルに、右の足はアクセルペダルに乗せた。夫々の足は緊急の際でも反射的にペダルを踏むことが出来、今までのように右足だけでブレーキとアクセルを移動する必要は無くなったし、踏み間違う恐れも無くなった。以来、私は安全運転ゴールドカード保持者になった。
 しかし、私の時代も終わろうとしている。自動車産業の進歩は目覚しく、カーナビは当たり前になったし、AI搭載自動運転車の一般実用化も目の前だ。他車による横からの衝突や後からの追突を完全に防御するシステムも開発されるに違いない。道路整備や歩行者の問題など課題はまだあるが、それらも徐々に解決していけば交通事故ゼロの日も夢では無いだろう。
私はAI車大歓迎だ。体の不自由な私でも右手の指はまだ動かせるし、認知症でないから目的地設定は可能だ。タクシー運転手に行き先を告げるのと同じことで、ナビにセットしてスタートすればいい。助手席に妻が居れば鬼に金棒である。規制緩和により多少のアルコール摂取や居眠りが許されたら私にとって尚さらいい。障碍者でも完璧な安全性と利便性を備えた快適な車に乗れる日がやって来るような予感がする。その時にはまだ果たしていなかった日本一周自動車旅行に出掛けるつもりだ。各地を気の向くままのんびりと回り、温泉に寄ったり、美味いものを食べたりしたい。その頃までには私の病気も良い薬が出るだろう。    2018/1/5

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