1500文字小説まとめ

お題 「青い、と彼女は言った。」

青い、と彼女は言った。なにが青いんだい? そう彼女に尋ねるように、目を向ける。
彼女は空を見上げた。僕もつられて、空を見上げる。
なるほど、確かに青い空がそこにあった。
でも、ただそれだけのために、青いと言ったのだろうか?
また彼女のほうを見る。彼女は相変わらず空を見上げていた。

僕は喋ることができない。だからいつもは、紙に言いたいことを書いて伝えている。
まどろっこしいと、いつも思っている。思っているが……しょうがないことだった。
だから、彼女にはいつも助けられていた。彼女はなぜか、僕の言いたいことがわかるらしい。
いつもは口数の少ない彼女だが、僕の伝えたいことは確実に伝えてくれる。
だからというか、依存してしまうのに時間はかからなかった。
僕にとっては、必要不可欠の存在だった。
彼女はいつも僕のそばについていてくれた。理由を尋ねても、いつも無言だった。
理由なんていらない、なんて言葉があるならば、そうであってほしいと願っていた。

見上げていた彼女は、その彼女を見ていた僕に気づいたのだろう、こちらに目を向けた。
目と目が合う。艶やかな宝石のような黒い瞳。丸く、しかしどこか濁っていて、
一度でもこうして目と目が合ってしまうと、簡単に外すことができないような、そんな瞳。
今日もまた、その瞳に捕らわれ、視線を外せなくなってしまった。

いち……に……

いつものように、頭の中で数字を数える。十秒ぐらいならば、
かなり正確に数える自信がある。
でも決まって、十秒以上は彼女と見詰め合ったままになってしまっている。

さん……し……

じぃっと見つめられる。今日は何秒で許してくれるのだろうか。
もちろん僕が視線を外せば、それで終わりではある。でも不思議と、外すことができない。
外したくないだけなのかもしれない。

ご……ろく……しち……はち……

鳥の声がする。これは、たぶん鳶の鳴き声。甲高く、耳に心地良く、そしてうらやましい。
瞬きもせず、もうそろそろ十秒に届く。長いときは、一分って時もあった。

きゅう……じゅう……じゅういち……じゅう、に……

今日は暖かい日だった。だからこうして彼女を誘い、散歩に出かけた。
公園、というにはあまりにも何もなく、その代わりに空が広いこの広場を、
僕は気に入っていた。そしてきっと、彼女も気に入っていると思う。散歩となると、
いつもこの広場まで足を伸ばしているのだから。

じゅうさん……じゅうし……じゅう、ご……じゅう、ろく……

このぐらいまでなると、正確かどうか自信がなくなり始める。
でも、時計を見ることはできない。彼女の真っ黒な瞳から逃げることができないのだから。

じゅうしち……じゅう、は……

「二十秒」

彼女が言った。やっぱり、ずれていた。彼女なりのイタズラのつもりなのだろう。
口に手を添えて、声もなく笑っている。
少しだけウェーブのあるあまり長くはない黒髪が、まだぬくもりの残る風に揺れる。
こうして遊ぶのも、いつの間にか日課になっていた。

「怒ってる?」

この程度で怒るはずもない。でも少し、悔しいのも確かではある。
十秒ぐらいまではズレはないはずだった。
少なくとも、子供のころにテスト時間とかで遊んでいたころは、十秒は完璧だったのだから。

「うん、完ぺき」

やはり十秒ならば完璧らしい。

「……二十秒まで伸ばそう?」

しょうがないな、とポケットから時計を取り出す。
銀の細工が施された、彼女と共に行った古物屋で購入したもので、あまり高くはない。
しかし彼女が、興味津々だったから購入したもので、いつか彼女に渡そうかと思っている。
でもそれは、今日ではなかった。

「太陽が昇る」

 湿った空気。夜明けまではもう少し時間がある。空はまだ暗い。手にもつライトだけが唯一の光源だった。虫の声は騒がしいほど。背中には薄暗い森。ガサと揺れるのは風か獣か。怖くはない。むしろ楽しみである。真っ赤な太陽が、あの山の向こうから顔を出してくれるのを、ただひたすら待ち続ける。
 本当は隣に君がいるはずだった。いてほしかった。君も今日という日の出を待っているだろうか。深く白い吐息。青く白い懐中電灯に照らされて、暗い空に消えていく。

 ……わずかに、空の端が明るくなってきただろうか。

 なぜこうして日の出を待っているのだろう。今日は何でもない。新年でさえもなく、何かの記念日でさえもない。なんなら今日は仕事がある。このあと下山して、スーツに着替え、いつものように電車に揺られ、キーボードを叩く。

 ……気のせい、ではない。確かに空に端に色が見える。だけれど、日の出まではもう少し時間がかかるだろうか。

 君はまだ眠っているのだろうか。その夢の中に僕はいるだろうか。いるとして、それは何度目の僕なのだろうか。君はあの日からずっと眠り続けている。あの病院のベッドの中で、白い布団に包まれて、まるで死んでいるかのように。意識を失って一年も経つのか。もし、奇跡的に目を覚ましたとしてももう立ち上がることはない、腕も何もかも動かすことはできないだろうと先生は言っていた。目を覚ますのも奇跡。そして立ち上がるのも、また奇跡なのだと。

 ……わずかに、けれども確かに広がる空の色。

 僕のせいだった。僕の運転する車がトラックと接触事故を起こし、彼女だけが傷ついた。よくある話だ。なぜ僕はこうして立っているのだろう。なぜ君の代わりにならなかったのだろう。じわりと滲むような紅を見て、冷たい風に頬を濡らす。いつかこうして夜明けを見ようと約束したのに。一緒に、飽きるまで。

 ……それはまるで血のような、それよりももっと激しく、けれども優しい明けの色。一筋、もう一筋と、宵闇を切り裂く。

 夜が明ける。何千何万と繰り返された、いつもの夜明け。どうして今日、本当ならば君のそばにいなくてはならない僕が、こうして一人で夜明けを待っているのだろうか。一年前のあの日、夜明けを見ようと僕が言い出したからなのだろうか。その贖罪? それとも、ただの自己満足か。涙が頬を伝う。隠すことはできない。本当ならば一年前のあの日、君と一緒にこの夜明けを待つはずだった。

 ……ああ、夜が明ける。朱は墨を飲み込み、一面に、一気に、広がる。

 太陽の端が見える。たったそれだけで、こんなに空は明るくなる。色づき始めた山々はにわかに騒ぎ始めるように、鳥たちは目を覚まし、優しい風が、木々を揺らす。世界が、世界だけが目を覚ます。君は、この夜明けを見ているだろうか。君と一緒に、この夜明けを見たかった。

 ……もう世界は暗くはない。顔を出した大きな太陽は燃えるように赤く、熱く。いつの間にか流していた涙も、乾いていた。

 太陽が昇る。世界が目覚める。君を置いて。優しげな朱の光。やがてそれは直視が難しいぐらいの強く白い光へ。半分ほど顔を出したぐらいで、ついに直視するのが難しくなってしまった。つけっぱなしの懐中電灯の光は、もう見えなくなるほど。虫の声も消えた。その代わりに鳥たちが騒ぎはじめる。

 ……次は君の番ではないか。

 きっとこの夜明けにそう願いたかったのだろう。太陽が、いつものようにして目が覚めるのならばきっと君も目を覚ます。その時は、どうすればいいだろうか。まずは謝ろう。君を危ない目に合わしてしまった。そしてこの夜明けのことを語ろう。君はお月さまが好きだけれど、だからこそ夜明けも気に入ってくれるはず。だからいつか、一緒にこの夜明けを見に来よう。君の足で、僕が手を引いて。

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「見てよかっただろう?」

 横に立つ君は頷く。僕は太陽に照らされたその横顔を見て、ようやく、肩の力を抜くことができた。

1500文字小説まとめ

1500文字小説まとめ

即興小説トレーニングさまよりお題のみを頂き、1500文字程度で書いていきます。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-12-08

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  1. お題 「青い、と彼女は言った。」
  2. 「太陽が昇る」