混ざりあう死の神と生きる者

終焉の刻

この死の神と出会ったのは、いつだっただろうか。それからと言うものの、
幾つもの戦場をこの死の神と渡り歩いた。
死の神は無限の死者を僕に貸し与え、僕はその数でもって戦場を安定させる。
この狂乱の中でも、特に注意されるべき存在であるように振る舞ってきた。

でも、どれもこれも全て無駄になった。世界の終焉は、やはり止めることはできない。
死の国から死者が溢れ出し、それは死の神でさえ制御できぬほど。
山の幾つもから火を吹き、そして世界に魑魅魍魎、悪魔、神、混沌としたもの、そして人が、
なんの目的もなく、ただ相争っていた。

「無駄になったな」

人と接するときにしか使わないという、珍しい死の神の声。
骨がこすれ合い、乾き切り、しかし尊厳は失わぬ、幾つもの声が混じり合うような声。
声の主は、様々な骨、人や動物区別なく、大きさも何もかも不揃いの、ただの骨の塊だった。
そして巨体である。どこが顔なのかどこが本体なのかもわからぬ骨の群体が、
僕を見下げている。

「……止めることができたはず、だったのに」

惜しいところまでは手が届いていた、はずなのだ。
しかし今や、誰を止めればこの終焉を止めることができるのか、誰にもわからない。
僕と死の神が立つ丘からは、まだ抵抗を続けている人々が魑魅魍魎に囲まれ、
やがて死に絶えていくのがよく見える。
本当ならば、僕はあの者たちを救うはずだった。
しかしそのための兵がいない。いつもならば死の神が死者を呼び出してくれるが、
もはや死の国に死者は存在しないという。
死と生が混ざり合い、死ぬこともできぬ生者が、生きている死者に対抗している。
その光景は、地獄よりも恐ろしい。ただ相容れぬ、その理由だけで相争っているのだから。

「僕は失敗していないよ」

その言葉に反応して、骨が擦れ合う。まるで笑い声のように。

「我も失敗していない」

それは、どういう意味なのだろうか。尋ねようとそちらを見ると、人間の頭蓋骨が僕を見た。
眼窩の中にドス黒い光が見える。
この向こうに死の神がいるのだろうか。そう思いながら、言葉を飲み込んだ。

「誰も失敗はしていないさ、誰も」

その意味を理解するのに、少しの時間がかかった。

「誰も失敗していないからこそ、こうなったんじゃないの?」

骨が笑う。違いない、と。

「この世界を嫌う者がいて、失敗しなかった。ただそれだけのことかもしれないな」

頭蓋骨の歯がぶつかり合い、カタカタと声を出す。見上げると、別の顔の骨、
それは巨大な動物だったり、もしくは見たこともないようなものだったりと様々だが、
はすべて眼下に広がる平原で、死ぬこともできずただ争うだけの人々を捉えていた。
人が好きなのだ、この死の神は。だから僕も、この死の神のことは好きだった。

「諦めるの?」

その場に腰を下ろす。動きやすいように、そして暑くないような衣服は、失敗だった。
死の神の近くは気温が下がる。あと死者の軍勢が優勢で、辺りの気温が下がっていた。
だから、少し肌寒い。耐えきれないほどではないが。

「……死せぬ生者、生きる死者」

骨がこすれ合う。この声は僕を見る人間の頭蓋骨ではなく、少し上の骨から発せられていた。

「やはり分かり合えぬものだったな」

死せぬのだから、両腕がなくなろうと両脚がなくなろうと、体が半分になってしまっても、
そのものは生きている。生きて、苦痛に晒されている。
死の神はそのような者に速やかな死を与える役目をしている、と聞いた。
その役割を担う一つに告死鳥がいる。死の神に仕える、美しい半人半鳥の娘。
死を与え、その魂を死の国まで案内する役割を持つ鳥たち。

「あの子たちも、あそこにいるんだよね」

それぞれが、自らの使命も忘れて、それぞれの思惑を胸にどちらかの味方をしている。

「……そろそろ、僕たちもはじめない?」

僕はこの死の神を好いていた。人間が好きで、とてもじゃないけれど神様らしくはなくて、
その図体の割には怖がりで、どこか人間臭い。
最初に出会ったのはいつだっけ。そう思いながら、立ち上がる。
生と死は、やはり混ざり合えぬものだったのだ。
あそこであいつを殺していれば、きっと分かり合えたはずなのに。

「もう、この憎しみを抑えきれそうにないんだ」

今はただ、目の前の骨のカタマリが、憎かった。

死せる生者

死の淵の感覚は覚えている。なぜ死にかけていたのか、その原因は覚えていない。
ただ気づけば、体に大きな風穴が開けられたまま、街中に転がっていた。
こうなった記憶はない。体を起こし、周りを見る。まだ陽は高いが、人の気配はない。
腹に手を当てる。ぬるり、とした奇妙な感触とともに右手が赤く濡れた。
ひどく出血しているらしい。服をめくりあげる。
大きさは、だいたい手のひらをいっぱいに広げたぐらいだろうか。そのぐらいの穴が、
僕の腹に開いていた。痛みはなかった。

「……死んでんじゃないの」

この出血量からして、まだこの穴が開けられて間もない。
周りを見る。誰もいない。後ろを振り向く。不思議と血痕も見当たらない。
立ち上がろうと足に力を入れようとしたが、やはり動くことができない。
当然だろう、こんな穴が開いているのだ。普通は死んでいる。

「どういうこと……?」

徐々に混乱してきた。何も思い出すことはできない。なぜこんな風穴が空いているのか、
覚えていない。痛みさえもない。わけがわからない。
どうしよう、どうしようか。右を見る、左を見る。上を見て……誰かが僕を見下げていた。

「おっはよ」

黒く、あまり長くはない髪の少女だった。しかしその声は、どこか中性的な含みがある。
幾つかの声が混ざり合っている、というのが最も正しいだろうか。

「……誰?」

少女の目を見つめる。黒曜石よりも黒く、深い。吸い込まれそうなほど。

「そっか、叔父貴のミスって君だったか」

その微笑みは、とても無邪気な感じに思えた。

「ミスって、なに?」

尋ねると、彼女の指先が僕の口まで伸びてきた。
人差し指でそっと触れられる。静かにして、とでもいうように。

「それはこちらの話」

垂れ下がった彼女の黒い髪が、少し傾いた陽光を遮ってくれている。
訪ねたいことはたくさんあった。なぜ僕は死んでいないのか、そもそも君は誰なのか。
ミスとはなんなのか。

「ほんとに死ねないんだね、君」

背後に立っていた彼女が、目の前まで移動する。
伸びた両足にまたがるように、彼女が腰を下ろした。真っ黒い衣服は、少し血で汚れている。

「なぜ死ねないか、知って―――……っ!!」

尋ねようとすると、彼女の両手が首元まで伸びてきていた。
その表情は変わらず少しの笑みを浮かべながら、突然のことに抵抗さえもできず、
少女とは思えぬ力で押し倒され、柔らかい彼女の両手で、首を絞められる。
殺されるのだと思った。息が詰まってしまうのかと思った。

不思議と苦しくはない。それは呼吸ができないことには、関係がないみたいだった。
空気は吸えず、言葉も発せることはできないが、死ぬ気配はない。
彼女はそんな様子を見て、ため息に近しい吐息を漏らした。

「……もー、叔父貴ったら……こんな例外を作っちゃって……」

両手が離れる。何がなんだかわからず首をひねる。

「うん、いきなりでゴメンね。ビックリしちゃったでしょ」

その首を絞めた柔らかな手で、頭を撫でられる。
言いたいこと、尋ねたいことはあるが次の彼女の言葉を待つことした。
というか、また僕から何か話すと首を絞められるのではないかと、不安になった。

「えっとね……えー、と」

徐々に彼女の表情が歪む。笑みは次第に苦笑に、やがて困ったように。

「……えー、と?」

あー、と大きく口を開けた。忘れたのか、となんとなく思った。
けれども彼女の言葉を待つ。首を絞められるのはもうゴメンだった。

「……んっ、ひとまずその大きな傷をなんとかしよっか!」

血は全て流れ出たようで、しかし両手を動かすことはできた。
なぜ僕の体はまだ生きているのだろう。それとも死んだまま動いているのだろうか。
そう疑問が残りつつも、彼女に背負われて適当な屋内へと運ばれた。

夜まで続くお喋り

傷はすぐに治された。薄い緑の発光とともに、
自分の体の傷が見る見るうちに小さくなっていくのは、いささか奇妙な感覚だった。
きっと、普通ならば激痛で、それこそ死に至るほどなのだろう。
でも今の僕は痛みを感じることはない。死んでいるのだから、当然とも言える。
死者が痛みを感じるだろうか? 子どもの頃の疑問の答えが、そこにあった。

緑色の発光は暖かく感じた。痛みを感じぬこの体が、
しかし暖かさは感じることに少しの違和感を覚えた。感覚が麻痺しているわけではない。
恐らくは死に関する感覚、それこそ痛みや恐れなどはもう不必要なのだから
鈍感になってしまっているのだろう。その場ではそう結論づけて、振り向く。
僕の体に直接触れて、両手は暖かに発光している黒髪の少女は、僕の顔を見てはにかんだ。

「痛みはなーい?」

緩く、やはり幾つもの声が交じる声。複雑で、奇妙で、けれども聞き取りやすく、
何より元気があって、少し好みで……。
彼女に運ばれて入ったのは、どうやら酒場のようだった。
しかし人はいない。そもそも荒らされた形跡があるし、棚に並んでいるはずの瓶は、
その全てが地面に落ちて割れているか、もしくは紛失しているようだった。

「痛みはないよ」

そっか、とその少女が笑う。痛みのない世界はどんな感じなのだろう、興味はある。
傷はほとんど塞がった。もうこの頃になると流血もほとんどなく、
自分の体の中に血液はほぼ残されていないという確信と、感覚があった。
指先が冷たい。暖かさや冷たさは感じるのか。少しだけ安心した。

「それでー……」

尋ねたいことはたくさんある。なぜ僕は死ねないのか、そもそも叔父貴って誰のことなのか。
それに君は誰なのか、名前は? 人間じゃないよね? なんで僕のことを知っているの?
……僕は誰なの? どうして、記憶が全て抜けてしまってるの?

「んっ、カンセイっと!」

尋ねようとした言葉はその子の元気の良い声に遮られる。
腹に手を当てる。さっきまでの大きな穴は、痕跡さえも残さず消えていた。

「ありがとう」

ひとまず治してくれたことに、お礼を言う。

「どーいたしまして! ねね、痛くなかった? うまいもんでしょ! 得意なんだよね!」

言葉が止まらない。胸を張り、背中から生えている小さな黒翼をピンっと張らしている。
暖かくなり始めたとは言え、まだ風は冷たいこの頃。
その子の見るからに薄手の黒い服装、袖はなく無用な装飾もないシンプルなドレスだと、
見ている方が少し寒気を感じるほどで、
しかし屈託もない元気の良さはこの外気温を気にする様子もない。

「ちゃんと元通りにしたからね! どこかヘンな場所とかもないでしょ! えっへん!
ああ、これは正確には治癒とかじゃなくて元に戻しているだけで―――……」

……このままだと永遠に話すように思えた。

「待って待って! 僕にも―――……」

そう大きな声を出すと、彼女の口が止まり……それと同時に、目つきが鋭くなる。
明らかに僕に対して敵意を持っている感じだった。殺される、と身を固くしてしまうほどに。
それでも、聞きたいことはたくさんある。たくさんあるはずなのに……。

「……いや、なんでもない……」

譲ってしまう。たぶんこの子は自分が喋っているのを邪魔されるのが、
それこそ死ぬほど嫌いなのだろう。まさかあのように殺意のある目で見られるだなんて、
思いもしなかった。
……と同時に、少し不安になる。何も聞き出せそうにない状況と、
この子は僕の味方ではない点と。誰か、誰でも良いから頼りになる人が欲しかった。

「……もー、ダメだよ! 乙女が気持ちよく話しているのを邪魔しちゃ!
存分に話した後で、ちゃんと君の質問に答えるから! それまでちょっと喋らせてね!」

長くならなければ良いのだけれど。その時はただ、そう思うだけだった。

 -----

日は暮れ、どんどん気温は下がっていった。幸いにも室内に薪はいくつか残されており、
暖炉もまだ使えそうだったから、火を熾すことにした。
その子は、そんなものいらないでしょ? なんて言っていたけれど、僕は寒さを感じていた。

「……で、質問に答えたげる! ほら、どんどん質問してよ! なんでも―――……、
はちょっとムリかも知んないけど! できるだけならば答えたげるから! ほらほら!
早くしないとまたシャベリ始めちゃうぞ! 良いのかな!
黙ってるってことは良いんだよね! 喋りたいことは―――……」

……ああ、これはその子の言葉を遮ってでも質問しないと。どうか、殺されませんように。

「ええっと!」

意を決して、大きな声を出し隣に座るその子の顔を見る。
暗い店内に暖炉からの灯りが、どこか楽しそうなその子の顔に影を作り、揺らめいていた。
表情は、どこか満足そうな感じだった。夜まで話し続けたのだから、当然とも言えるが。

「……僕は死んだの?」

それはひとつ目の疑問で、どうしても知りたかったこと。
僕は死んでいたのだろうか。それとも、もともと僕はこんな存在だったのだろうか。
記憶はない。だから、尋ねるしかないのだ。

「そ、君は死んでた」

簡単な答えだった。次の言葉を期待して、その子の顔を見る。
僕の顔をジッと見ているその顔からは、
とてもじゃないけれど詳細を話してくれそうにはなかった。長くなりそうだ、そう感じた

混ざりあう死の神と生きる者

混ざりあう死の神と生きる者

死の神と出会ってからというものの、生きる意味は良い意味で失われ始めていた。 しかし終焉のときは刻一刻と近づいてくる。僕は死の神と出会うまでは、むしろ望んでいた。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • アクション
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-07-12

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 終焉の刻
  2. 死せる生者
  3. 夜まで続くお喋り