*星空文庫

猫のしっぽ

遠藤健人 作

 猫のしっぽを追う。ひたすら追う。猫が走るから私も走る。猫は速い。ほとんどしっぽしか見えていない。猫ならたぶん三毛猫、だけど本当にあなた猫なのかしら?
 野を越え山越え、うそ、スーパーの駐車場を越え公園のロケットを越え、てなもんで、みんな何事かと振り返る。私はいいの、私じゃなくて猫、猫猫、猫を見なさいよ。
 コウタが呼んでいる。道路の向こうで、おーい何してんの? 猫を追ってるの。遊んでるの? 違うわ、いや、そうなの遊んでるの、遊ぶのに忙しいのじゃあねまたね明日ね学校でね。
 猫は私の中学校のグラウンドを突っ切って校舎裏の一本の木にがささと音立てて登って行った。生い茂る葉の間からしっぽだけが垂れ下がって見えている。やつはしばらく動くまい、私は校舎のかどっこに身を隠し、猫を見張ることにした。カバンの中からメロンパンをがささと取り出してほおばった。
 刑事よろしく張り込みかねぇ? 用務員のササキさんが話しかける。違うわ、これアンパンじゃなくてメロンパン、ササキさん、私メロンパン好きなの、ちっちゃいときにね、私お父さんと逆上がりの練習したの、私全然できなかったんだけど、帰りに必ずお父さんメロンパン買ってくれるの、私そのときから…。
 猫動く。朝刊一面トップ「猫、動く!」。各国首脳が声明を出す。株価が乱高下する。評論家が朝までがなり立てる。私は走る。
 猫は学校を出て神社へと続く急な階段を駆け上がる。ここに来るのはいつ以来だろう。前は初詣に毎年家族で来ていたのだ。人でごった返す中、コウタ一家とバッタリ会って、コウタが、あっちで甘酒配ってるよ、って言うから私はアマザケって何だか知らなかったけれどひょいひょいついていったんだ。そんなこと思い出しながら汗垂らしながら私は石段をぜえぜえ登る。かわいい巫女さんからもらった甘酒はなんとも不思議な味で、他のどんなものにも似ていなくて、おいしいともマズいとも言えない感情を私は初めて知ったのだ。
 知ったのだの「だ」の濁点を打ちつけるつもりで最後の一段を踏みしめる。目の前にはお社がでんとそびえたっている。猫はいない。風がびゅうと吹き抜ける。木々が揺れる。賽銭箱の上に垂れ下がっている鈴のついた縄も揺れている。猫のしっぽのように揺れている。追いついたんだ、と私は思う。
 私はゆっくりと賽銭箱まで歩き、財布を取り出す。五円玉がないから奮発して? 百円玉を投げ入れる。猫のしっぽを掴んで豪快に揺する。手を合わせ目をつぶる。でも願い事なんて特になかった。そうだ、こういうときは自分の名前や住所を言う? 念じる? とご利益があるって最近テレビでやってたので、そうする。私もずいぶんゲンジツテキな娘に育ったもんだとしみじみ思う。
 振り返ると真っ赤で真ん丸の夕陽が鳥居の向こうで沈んでいくのが見えた。そうだ、夕陽を背に鉄棒に向かっていた私は、初めて逆上がりができたとき、反転した世界で鋭い赤が急に眼に突き刺さって、なんだかぼうっとしてしまったんだ。お父さんはそれはそれは喜んでくれたし私も嬉しかったけれど、メロンパンは今日が最後なんだなってちょっと淋しかったんだ。
 あの頃、私には何か願い事があったんだろうか。毎年私はここで何を祈っていたのだろう。今の私はあの頃のメロンパンや甘酒の味を思い出したいと強く思う。けれど、その願いはどれだけ猫のしっぽを揺すっても決して叶えられやしないだろう。

『猫のしっぽ』

『猫のしっぽ』 遠藤健人 作

猫のしっぽをひたすら追う。1,389字。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2017-06-09
CC BY

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