わっぱの中に短歌と俳句

「ママ、宿題でタンカー作ってって、先生が」
いつもは玄関にランドセルを放り投げ、Uターンでまた外に出て行ってしまう息子。珍しくランドセルを背負ったまま近くに来た。何? タンカー? 工作か何か作るの? 巨大クジラのような船を思い浮かべ、イメージに押しつぶされそうになり怖くなる。
私は大きなものが苦手。閉所恐怖症という病気があるそうだが、私みたいなのはなんていうのだろう。そのせいか食器洗い洗剤も大容量のものが得だとわかっていても、小さい方を買ってしまう。化粧水もシャンプーなどもそう、不経済的な病だ。
 話を戻そう。息子、どういうことだろう。
「タンカーってお船のやつ?」
すると小さな頭をぶるんぶるんと振り、
「ポンジュース」
ええ? タンカーがポンジュース? 一体何を言っているのだろうこのお猿ちゃんは。
「ジュースなの? 船なの?」
困惑する私の顔を見て、今度は地団太を踏み出す。
「だからあ、学校の宿題がタンカーで、今僕が飲みたいのがポンジュース」
ああ、そういう事。脱力しつつ冷蔵庫からジュースを取り出しグラスに注ぐ。
「はい。あ、手を洗ってうがいしてからね」
グラスを掴もうとする手がピタッと止まる。どうしてもダメなの? という顔でチラッとこちらを見る。むむっ、「今日だけいいでしょ」の目線。でも子育てに“今日は特別”は禁物。眉をきゅっと寄せて、今度は私がゆっくりと首を振った。それをみた息子は、外人がよくやる、手を水平にして肩をちょっと持ち上げるジェスチャーをして洗面所に吸い込まれていった。
いつの間にこんな大人びた仕草を覚えたのか。いやいや違う、多分テレビの『クレヨンしんちゃん』だろう、あれはなって欲しくないオトナコドモの例だと思っている。なのに、子ども達は大好きで、見せないようにしているのに勝手に録画してこっそり見てしまう。初めてそれを知った時は、もうこんな事が出来るなんてと怒を通り越して感心してしまった。つい先日までほかほかの肉まんみたいに、身じろぎも寝返りも出来ない赤子だったのに。そんな訳はないが、一瞬のワープでここまで大きくなった気がした。

いつの間にこんなに大きくなったのだろう
つい昨日まで赤子だったのに

あまりにもベタなものが出来てしまい、反省。もっと捻って赤子や喜びを他の何かで表現しなければ。出来れば少し難しい漢字を使うといい感じなのではないだろうか。ダジャレではない。でも考えすぎると空回りして出来ない、ぱっとひらめいたインスピレーションで作りたいものだ。

私は最近、「短歌や俳句」を作るのにはまっている。通信生として通っている大学で短歌と俳句の授業があり、あまりにも自由すぎるエキサイティングな講義にすっかり惚れこんでしまった。「短歌、俳句」のワビサビの世界にもっともそぐわない、「ゾンビ先生」について下句を考えたり、オカルトやSFな世界感を表現したり、いい意味でイメージを裏切られた。こういった異質なものとリベラルな文学との取り合わせの妙は、私の琴線をかき鳴らし、すっかり詠むことが楽しくなってしまった。
一句、もしくは一首ひねる時の自分の俳号は「星夜」にした。実家の祖父が陶芸家で、「玉峰」という作家名だったので「峰」だけ拝借。そこから様々に変えてみてしっくりきたのが「星夜」だった。最初は「百峰」だったが五つくらい変えた後これになった。私は飽きっぽい。中性的な感じでいかにも詠み人というイメージで非常に満足。そういえば祖父は陶芸をしていたせいか俳句をよくひねっていた。
ご近所に住んでいた歌人を思い出した。年もうんと上だったし、近寄りがたいオーラで挨拶するのがせいぜいだったが、今頃気になり母に聞くと既に亡くなったという。ご存命だったら、挨拶に行きたかったのにと思った。新作の本に「サインしてください」なんて、ちょっと厚かましい言葉を東京からの手土産と共に。

夭折の歌人を想い詩詠う故郷は
近くにあれど遠くなりけり

両親それぞれの話では、歌人の亡くなり方の認識に食い違いがある。どちらの説が本当なのか、不可解な状況というのはもしかしたら言いにくいコトの方だったのかもしれない。実家の親達は歌人の両親とは親交があったけれど、どちらも先に鬼籍に入られた。歌人はご両親がなくなってひとりになられ、都市に単身引っ越してしまわれたそう。きっと私と同じでご近所のお節介やしがらみを、ちょっと暑苦しいと感じてさっぱりしかったのではないか。そのせいでうちの両親も様子がわからなかったということなのだろう。
本当のところどうだったかは私などにわかる筈もないが、歌人と私が故郷に置いてきたものは同じものだったと思う。そのありがたみに気付くのは、それが掌中から消えた時というのはなんと切ない真実なのか。それらはひとりで暮らしていた歌人の胸にしみじみと染み入っただろう。ひとりが侘しいと泣いたかもしれない。人は自分がひとりぼっちだと感じればそのまま孤独に繋がってしまう。
歌人は早くに頭角を現し、当時の現代女性歌人として世に出ていた。決して周りに誰もいない訳ではなかった筈だ。私も周りに人がたくさんいて、結婚して、新しい家族がいるし友達もいる。なのに、どうしょうもなく「ひとり」だと感じる時がある。そんなぽっかり開いた穴に、落ちてしまわれたのかもしれない。
つい最近の「角川短歌」という雑誌に「特別企画」として歌人の高校生時代の作品が載っていたそうで、今でも人気のある歌人だと知る。著書『太陽の朝餐』に、「何ゆえに人は生き、何ゆえに人は死ぬのか」という文言から始まる書付もみられる。自分はこれを書いた歌人と同じ年頃に何をしていたか考えてみた。
友達と待ち合わせて学校に行き、部活は剣道と美術部どちらも適当にやり、時々部室でお茶を飲み、帰りに友達と何か食べ、夕飯もしっかり食べてテレビを観て寝る。そんな毎日で、何かを深く考える事なんてあっただろうか。
いやまて、そうだ、私も生や死について色々考えていたし、答えの出ない問答を延々と頭の中でループさせていた。世代や頭の出来は違えど、同じところを歌人も私も通ってきた。もう少し早くこれら思いついたなら、大学の卒業制作に研究論文として書いたかもしれない。こういう時だけせっせと帰省し、両親に在りし日の歌人やその周りについて聞いたかもしれない。でもこういうのも縁だ、慌てなくともそんな事を書く機会が訪れるやもしれぬ、来ぬかもしれない。
などとあれこれ考えてみても、もう歌人がいないという事実は変えようもなく残念で仕方がない。彼女と人生について対話してみたかった。生きるということはどういう事なのだろうか、しみじみと考えてしまった。

嬉しい時も哀しい時も忘れずに 
「歯磨きお風呂もう終わったかな?」

これは息子の購読していた「チャレンジ一年生」の入学準備号についていた「しまじろう目覚まし時計」が夜になるとつぶやくセリフを詠んでみたもの。しまじろうが繰り返し言うくらいだから、寝る前の歯磨きとお風呂は生きて行く上で一番大切なことなのだろう。でなければ「漢字と算数ドリルやったかな?」と鳴るのではないだろうか。
それとも勉強の方こそやるのは当たり前で、言うまでもないからセリフに採用しないと言いたいのだろうか。
ふと思い出したが、故郷を後にする時姪っ子に言い残したのもこのセリフだった。

 嬉しい時も悲しい時もお風呂と歯磨き忘れずに

ギリギリ極限状態になったとして、お風呂と歯磨きが出来てさえいれば明日を信じて生きていけるという一句。季語がないのでスローガンだろうか。ともかくどこに行っても暮らしても、寂しい気持ちはただの感傷だと嗤い飛ばしながら生きて欲しいと願う。
 そう思うとやはり「短歌と俳句」は常に私の身近にあった。思い出したが特に母は折に触れ言葉をひねっていた。多分今でも季節の移ろいを句にしているのではないだろうか。私が子どもの頃俳句をどこかに投稿して、採用されると喜んでいた。母はいつも本を読んでいて、影響されたのか本を読むのが私も好きだ。短歌や俳句にはまりだしたのも、同じことなのかもしれない。
とはいえ若い頃の私はちっともそれらに関心が向かず、のんべんだらりと暮らしていた。学生時代は折々に短歌も俳句も作った覚えがあるが、内容を全然覚えていない。全く興味のもてない、つまらないものと映っていたのだろうか。なのに今はとても興味深い。大学で授業を受けてみて、脈々と伝えられる日本文学というよりロックな塊に感じた。そんなロック魂で作ったのはこちら。

いつの間に懐メロになったのラルクアンシエル ハイドの歌声赤子に消されて

 大好きだったL’Arc〜en〜Cielも聞いていられない程、子どもを産んだら自分の時間がなくなってしまったという一首。聞こえるのは赤子の泣き声ばかりで、ハイドのハの字も消えたという意味。
でも「今」を切り取るのがこの世界の暗黙のルールらしく、ちょっと過去なので、どうなのだろう。でも閃いたのだからまあいいか。その後続けて浮かんだ一首がこちら。

 趣味の友急にモーゼの海満ちる  
電波少年知らぬと聞いて

これは趣味のオフ会で会った人と話していて、世代の違いに驚いた時の一首。年齢がずいぶん違うだろうなと思ってはいたけれど、ここまで違うとはと思わなかった。電波少年の話をしたら知らないと言われて驚愕した。『電波少年』ってつい最近の若者文化的象徴だと思っていたのに、それを知らない世代だったなんて。ジェネレーションギャップにも程があると感心してしまった。自分が年をとったと再認識したというか、いつのまにか長生きしたという驚きもある。「驚き」って短歌にするとピッタリくると気付いた。これから何かびっくりすることがあったら、すかさず一句ではなく、一首詠むことにしよう。
※豆知識:短歌は一首二首と言い、俳句は一句二句と数える。

 パフェ食えば鐘が鳴るなり釈迦三尊像 
 詩歌の師匠はいい匂いがした

これはすっかり心の師匠となった先生の作品をリスペクトして作ったもの。「釈迦三尊像」は語呂がいいので使ってみた。「シャカサンゾンゾウ」という言葉が「チェケラ」的ラップ音に乗せたら面白そうだと考えた。ちなみに先生の作品に採用されていた言葉は「誕生釈迦像」だった。「いい匂い」というのは実際に香った訳ではなく、遠くからでもわかる芸能人オーラというか、美形の人だけがもつ際立ちというか、実際のものではなくイメージとして詠んだだけ。
だが先生はちょっと引いていたように感じた。
私ってどうしてこう「禁句」みたいな言葉をつるんと選んでしまうのか。学友達は面白いとか才能を感じると褒めてくれるが、こういう踏み絵的性質は一般の人には受け入れられない風味を醸し出すように思う。これも「匂い」だろう。出来れば消したいと思っていたが、この分野で伸ばせるならなんとかマッチさせたてみたい。でも世の中そう甘くはない、それより普通の幸せよウエルカムだ。私は今はお母さんなのだし。
あっ、これももう、五七五になっている。せっかくなので後の七七をつけて短歌にしてみた。さきほどの「俳句プラス下句七七をつけて短歌に」というやつだ。

名はいらぬ普通の幸せウエルカム
私は今はお母さんなのだし

うん、出来た!「今は私は」だと「は」が繰り返されるがこれはこれでよしとする。これ、本当にそうだ。芥川賞とか直木賞とかノーベル文学賞とか神仏に祈念したりするけれど、せっかく母親になったのだから子ども達を幸せにするのがまず大切な仕事。なのに、大学にイベントにお付き合いに、今度はこども食堂とか自分の家をまず掃除しなさいよと。わかってる。
それにしても「普通のお母さん」ってどんなのをいうのだろう。私を起点にしてくれたら色々納得できるのに、お前は違うと周りが言っている気がする。被害妄想だろうか。
それと、これも「名はいらぬ普通の幸せウエルカム」だけで俳句になりそう。季語を入れなくては。ならば「ウエルカム」を「藤の花」に変えたらどうか。藤の花言葉は「歓迎」だそう。
日本の花鳥風月、季節のうつろいを季語をモティーフにしてぎゅっとコンパクトに閉じ込めたのが「俳句」。そんな風に一瞬の風景を切り取るのが「俳句」なら、それに美しく補足説明の下句を貼り付けたのが「短歌」でいいのではないかと。
「短歌から七七を取り除いて、季語を添えれば俳句になるんじゃない?」
一緒に短歌と俳句の授業を受けた学友が、発見して教えてくれた。大発見ではないだろうか。この方は俳号もすごく良かった。才能を感じる。
※「短歌引く下句足す季語イコール俳句」「俳句足す下句引く季語イコール短歌」

本当にそうだ。すごい事を思いつくなあと、学友の感性に納得してしまった。斬新な発見やアイデアがあちらこちらから飛び出していた。

 名はいらぬ普通の幸せ藤の花

どうだろう、ちょっとこじつけっぽいけれど、なんとかいけるのではないか。「短歌と俳句の法則」すごい。それにしても、どんな先生に巡り合うかで、その教科が好きになったりそうでなくなったりの不思議。人生は阿弥陀くじだとも感じた。

 誰に遭う阿弥陀くじ哉人生は
好きになったり嫌いになったり

 また一首出来た。なんでも短歌に出来ると感心。
 そして次の句は、時を戻せるならデリートしてしまいたい黒歴史的作品。

 先生へ時間になったら終わってネ
私朝ごはん食べてないから

 今思えば「ふざけすぎやろ?」という一句だが、作った時は真剣だったし上手く五七五七七に納まり喜び勇んで提出した。詠んだ時の先生の困惑の声がリフレインする。作った背景は、一時間目から授業が始まるのに寝坊してしまった。朝食抜きで家を出たが、私はもともと朝ごはんは食べない。午前中は胃がからっぽの方が頭がよく回る気がするし、炭水化物を食べるとぼーっとして何も出来なくなるからそうしている。
でもその日は静かな教室でお腹がぐうぐう鳴ってしまい、恥ずかしいので早くお昼にならないかと焦っていた。なのに授業が終わる時間に先生が気付かず、それならと一首詠んでみた。先生もわかってくれて、生徒もにっこりノープロブレム。よかった。
それにしても、どうして大学にはチャイムがないのだろう。キーンコーンカーンコーン、起立、礼って、大学でもやればいいのに。
それよりこんな作品を初対面の先生にぶつけるなんて、どうなの私。子ども達にはこういうのは遺伝して欲しくない。こういうのって「学習」ではないとつくづく思う。もともと持っている要素とかDNAとか「そういう風に出来ている」とでもいうのか。人間の性質は十歳くらいで完成すると心理学の師匠も言っていた。こういう私はどんな要素でどういう課程で完成したのだろうか。未完成で自分もまだ子どものような気がする時もある。未だ色々上手くいかないのは、そのせいだろうか。

 「ママ? タンカーって何?」
 息子の声でふと我に返る。息子がオレンジジュースを飲み干す一瞬の間に、「短歌と俳句」の授業の思い出や様々な記憶が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、バーエンディングストーリーを創作してしまった。徒然というのは楽しい。
息子が怒り出す。
「だからあ、言葉を区切って並べるやつ?」
 言葉を並べるタンカー? ああ、もしかしなくても、「短歌」? 
息子がランドセルから連絡帳を引っ張り出し、私に見せる。今日の給食はカレーだったのだろうか、連絡帳を開くとちょっといい匂いがした。今日の夕飯にカレーは避けようと思った。続けては嫌だろうし、給食で出るカレーほど美味しいカレーがあるだろうか。大量に作るカレーは美味しい。
それは置いておいて、連絡帳を拝読。
(今日のしゅくだい、タンカーたんか一首)
やはり短歌か、納得。息子の担任の先生は、生徒が連絡帳に書いたものを毎日チェックして下さる。そうしてこんな風に間違った文字を線で消して、正しい語句を横に書き足すのだ。小学校の先生が激務だと問題になっているが、こういう小さなものの積み重ねもあるのだろう。
 そうだ、息子が一年生だった去年は、夏休みの宿題で何か作ったのだった。あれは短歌だったか俳句だったか。確か「季語を入れる」とあったので俳句だったはず。短歌には季語は必要がない。これも先日の授業で知ったことのひとつ。こうして考えると、短歌と俳句って私のような一般の人からしたら、ただ文字数の違いだけのように思われるが、それだけではない様々なセオリーがあるのだとわかる。それにしても「季語があるかないか」ってかなり大きな違いじゃないだろうか。
※短歌に季語はない俳句にはある

 さっそく息子に短歌を作らせてみる。五七五は出来ても、下の句がなかなか出来ない様子。苦心して色々書き散らかしている。見れば全部食べ物が書いてあり笑ってしまった。昨年作った俳句も、

 アイスはね、あまくてつめたいおいしいね

ちゃんとアイスという季語を使っているしリズムもいい。息子、天才。
 短歌だけではない、大学の授業では俳句もいくつも作った。「吟行」といって、外苑の校舎を出て、近くの公園を散策しながらあれこれイマジネーションを広げて創作をする。先生の案内で訪れてみて、大学の近くにこんな由緒のある公園があるなんてと驚いた。作家の吉田修一の小説『静かな爆弾』に出てくる「御観兵榎(ごかんぺいえのき)」と「ベンチともいえない冷たい岩」がそこにあった。
明治神宮に繋がるこの辺り一帯は、都心とは思えないような広い贅沢な土地がある。この公園もそうだが、ひっそりという言い回しがピッタリの風情で私たち以外誰もいない。かと、思えば突然家族連れに出会ったり。開門が九時、閉門は十六時。私たちの学舎は近くにあるが、その中で朝から晩まで授業を受けているせいでわからなかった。
大きな木々の間をゆっくりと歩く。見れば大木に似合う巨大な蜘蛛の巣が陽の光を受けてきらきらと輝いていた。それを支えにまたいくつかの巣がかけられ、マンションみたいだねと誰かが言う。それを聞いてブルーになる。マンションでのご近所付き合いを思い出してしまった。
それでもそれらに全く繋がりのない学友に話を聞いてもらえたり、気持ちの襞をわかってもらえてスッキリしたり。大学に通っていて良かったと思ったことのひとつ。しがらみのない私だけの世界がここにある。そんな風に気を取り直して作ったのが次の句たち。

青々とだんだん赤く初紅葉

初紅葉さらさら冷たい外苑の風

どんぐりをコロコロ降らす秋の風

過ぎゆきて戻りつ拾う松ぼっくり

落ち葉踏み顔を上げると白い雲

キラキラと天に伸びたる蜘蛛の糸

門番の箒にじゃれる木の実たち(「特選」作品)

「吟行」の後は教室に戻り、改めて作品を創り「句会」で披露し合った。最後の句はとても評判がよかった。講評の「点盛り」で学友が何人も点をいれてくれて、先生から「特選」にも選んでもらえた。
公園を訪れた時どんぐりがいくつも落ちているのを目にし、子ども達に見せたら喜ぶだろうな、じゃれて遊ぶだろうというイメージを重ねて詠んだ。なんとなくさっと閃いた言葉の醸し出す妙というのか、うんうんと捻ったものより高得点という不思議。なんでもそうかもしれない。句を詠んでいるうちに、憂鬱な気持ちもいつしか消えてしまった。

 肝心の息子、私が夕飯の下ごしらえをしている間静かに短歌を作っているかと思いきや、ノートを開いてその上に突っ伏している。眠ってしまったらしい。子どもは寝ている時が一番可愛い。起きていると餓鬼だが、寝ていると天使だ。
そういえば、最近娘の寝顔をみたのはいつだろうか。寝室が別なせいで、彼女の寝顔をみる機会はぐっと減った気がする。私は娘に注目したり考えたりするのは、あまり良くない知らせの時ばかり。そのせいか娘に対峙する時の私は、大概ぷりぷりと怒ってばかりだ。夕べ珍しく「ママ、今日一緒に寝て」と娘が来た。
昨日は大学の授業の後、帰りに息子の携帯電話修理に店舗に寄ったら二時間も待たされた。そこから、ああでもないこうでもないとやっていたので帰りがとても遅くなってしまった。宿題もあるし色々書くものが溜まっていて焦っていて、おまけに作品集の提出物も遅れていた。そんな焦っている時に彼女が来たものだから、無下に断ってしまった。
今思えばいつも反抗的な娘がそんな事を言うなんて、よほど何かあったのかもしれない。なんだかんだ、息子、息子、と書いているが、面白いネタがたくさんあるので書きやすいだけ、娘への気持もしっかり溢れているのを感じる。時々それが過多になり、苦しくなってしまう。なので、心配だけれど気にならないふり、あまり考えると心配が増えてしまうように思うから。
最近ぴこぴこと顔を出すようになった白髪だって、気にして触ったり抜いたりすると増えるという。「抜いたら禿るわよ」と美容師が言っていた。どうしたらいいのだ。そんな風に考えあぐねているうちに、いつか心も頭も真っ白になるのだろうか。その時は娘が私と同じ悩みで、うんうんと唸っているかもしれない。夕べはやはり一緒に寝てやれば良かった。

寝顔見て心安らぐ母の幸せよ
早く終われよ永遠に続けと

考えれば考える程、色々なものが折り重なり、心配ばかりをしてしまう毎日。早く子育てが終わらないかという気持ちと、ずっと今のままでいたい複雑な母心。
子ども達、特に娘の悩みにはいつまでも寄り添ってあげられるようにと、長く生きたいと思うようになった。子どもが産まれた途端に、生への執着も生まれたように感じる。

それよりも息子の短歌、彼の好きなモティーフは食べるものばかり。見れば書き散らかした文字の中に、「わっぱ」の文字がある。「わっぱ」とは、曲げわっぱの弁当箱のことだろう。手に持った時になじむようにちょっとくぼんだ形のわっぱの弁当箱が彼は大好き。洗って食器棚に仕舞っておくと、いつの間にか出してきて色々なものを入れて遊んだりしている。
「食べるものを入れるハコだから遊んじゃだめ」
今日もいつの間にか彼の机の上にある。時々石を入れてカラコロ鳴らしたりするので、「わっぱが痛むじゃない」と怒ったりするが、いい音がするなあと密かに感心したり。
わっぱが好きなのは息子だけではない。私が昔から好きで、遥か昔買ったものをずっと使っている。もうウン十年経ているが、どこも綻びずかえっていい色になってきた。最近娘に買った真新しいまん丸の形のわっぱとは、やはり一目で年季が違うのがわかる。
娘もわっぱがすっかり気に入り、お弁当がいるとなるとこれに詰めてと言ってくる。娘のものもいつしかいい色になり、自分で色々詰めてどこかに運ぶのだろうか。下の段に手作りの菓子など入れて、上の段に手紙など忍ばせたり。私がよくやるので、娘もそうするだろう。
それぞれのわっぱの中に、子ども達はこれから何を詰めるだろう。食べることは生きる事、美味しく食べて幸せになって欲しい。たくさんの優しさを、人生に彩りよく詰められるようにと願うばかりだ。

きみにかかればわっぱもおもちゃ
カタカタ鳴らす中に石ころ

赤いタコ笑いたるわっぱ弁当 
彼の笑顔を誘いたまらん

弁当にふりかけ絶対かけないで
ぼくは真白きご飯が好き

あかきいろ緑と黒いパラパラと
バランスばっちり愛情少し

ママ今日はふたつおにぎり握ってよ
僕はこれからアメリカに行く

色々出来た。息子が起きたら見せてあげよう。「アメリカに行く」は、息子が三歳の頃に突然言い出し驚いた思い出。桃太郎のきびだんご的発想だったのだろうか。
そろそろ娘も帰ってくる頃だ。彼女は無邪気な息子と違い、まだ小学生なのに驚く程様々なものを肩に乗せているように感じる。女子たる娘は学校で、家で、あちらこちらのコミュニティで、色々大変な日々なのだろう。苦しみも哀しみも、いつかしみじみと思い出に変えて欲しい。その前に今少しでも重荷が軽くなるように、ほっと出来るように、娘の好物を作って待ちたい。

蓋あけて湯気立ちのぼる茶碗蒸し
娘の笑顔がゆれてほころぶ

娘に披露したらなんと言うだろうか。何でも私の真似をする娘は、きっとすぐさま一首二首と捻り出すだろう。今度一緒に詠みあってみようか、「連歌」も楽しいかもしれない。

 娘と詰める季節の色どり徒然に
 わっぱの中に短歌と俳句

わっぱの中に短歌と俳句

わっぱの中に短歌と俳句

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-05-23

Copyrighted
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