何になりたいか

 私がぼんやりと「夢」に思いを寄せていた時、新聞に「夢」の文字があった。高齢女性の文章である。小学3年生の時先生から大きくなったら何になりたいかと聞かれ、女子の全員が「従軍看護婦」、男子の全員が「上等兵」と答え、当時の世相を反映したこれらの夢は今にして悲しいことだったと書いてあった。私もそう思う。
 では戦争が終わって平和になり、人々が自由を謳歌している現在の世相は今の子供達にどのような夢を持たせているのだろうか。ある調査によると一位は男の子が「サッカー選手」、女の子が「パティシエ」で、それに続く様々なものがあった。いくつか拾ってみると「学者」、「消防士」、「お医者さん」、や「保育園の先生」、「看護師」、「美容師さん」などがあった。殆どが社会のため、人々のためになることばかりでとても頼もしい。迷わずにこのまま夢に向かって真っ直ぐ進んでいってもらいたい。
 しかし私は少し物足りなく思ってさらにインターネットの検索を続けたら、「仮面ライダー」になりたい男の子や「プリキュア」になりたい女の子もいることを知った。悪と戦う人間になることを夢見る子供達がいる。こういった子供達がいつかは世の中の邪悪をなくしてくれるかも知れない。私は未来の世界を彼らに託しつつ自分なりに応援したいと思う。
平和な世の中と言っても、よこしまな野望、欲望を持ち犯罪をおかす人間は少なからずいる。あどけない女の子が犠牲になるなど痛ましい事件がニュースに流れると、またかと悲しくなる。
小さい子供のいる家庭にとってはひとごとでなく、とても心配だ。「良い人に見えても、知らない人には近づくな、人を疑え」ということなど本来は子供達に教えたくないが、人々を導くべき聖職者の中にも、立派であるべき「先生と呼ばれている人」の中にも、そして、治安を守るべき警察官の中にも得体の知れない者が混じっている現実を考えればやむを得ないのかも知れない。深い愛情を注ぐはずの親でさえわが子を虐待するとは、何とも殺伐とした世の中になってしまったものだ。社会が変質してきたのだろうか。原因はなんだろうか。
私は心配性だからさらに心配する。多情多感な悩み多い青少年時代は仮面をかぶった悪魔が寄ってきて甘い言葉で誘惑し、堕落の道に落とそうとする。物事に対して盲目的になりやすい若者の人生が狂ってしまったら大変だ。この時こそ信頼ある人の意見もよく聞き、忍び寄った危機を回避してもらいたい。
そして大人になったら投票によってみんなで良い社会をつくるために政治に関心を持とう。理性的な考えと客観性のある目をもって政治を見ていれば、政治家の演説や行動からその政治家の本性を見抜く力が養われるだろう。むずかしいが、それは大切なことだと思う。平和を説く政治家が、平和を創るほうに顔が向いていないのはよくあることだ。人々が言論統制でとらえられたり、警棒で打たれたりする国になってはならない。
残念に思うのは、戦争の有る無しによらず、拉致、誘拐、殺人、強姦、さらに、放火、強盗、詐欺、偽装・・・などの忌まわしい事件が世の中から消えないことだ。私のみならず誰しもこのようなことがなくなるのを願っているはずだ。
 私は本当に安全で平和な世界がもたらされたならばもう一度地球に住んでみたいと思う。今度生まれてくるとすれば私にも「夢」がある。妻と暮らすのなら今度こそ家族にとってもう少しましな夫、良い父親になろう。あるいは、人間でなくて「花咲か爺さん」の「ポチ」になっても構わない。「意地悪爺さん」のいない環境ならもう棒で打たれることはなさそうだ。気ままな散歩を楽しみながら、「正直爺さん」のために宝物を掘り当ててあげよう。あるいはまた、人里はなれた山奥の石になるのも悪くない。歩くことや、食べること等は必要なくなる。ALSで悩むことも、悲しむことも、苦しむこともない。森の澄んだ空気の中で小鳥や草花と話をしながら、夜は月の光を受け、昼は太陽の陽を浴びて地球の運命と共に「生きて」いくのもいいかと思う。  
2017年5月18日

何になりたいか