彼らのくる季節

 春眠暁を覺えず。季節が移って寒さが遠のくと、寝具の隙間から入る冷気に目を覚ますこともなくなり、本当に泥のようにいくらでも朝寝ができたりする。しかしたとえ週末でどんなに気持ちよく眠っていようと、私はあの鳴き声が聞こえた瞬間に目を見開き、一気に覚醒して起き上がる。
 すぐさま窓辺へ駆け寄り、できるだけ勢いよくカーテンを開く。闘いはもうこの時点で始まっているのだ。運がよければ彼らはこの段階で立ち去る。しかし図太い相手だとそうはいかない。ガラス越しにベランダの手すりに居座る彼らの姿を確認し、これまた勢いよく窓を開け放つ。
 さすがにここまでやると、向こうも嫌気がさして飛び立ってゆく。青空にはばたくグレーのシルエット、鳩。平和のシンボルといわれるこの鳥と私は、残念ながらとても相性が悪い。

 事の起こりは数年前、今と同じような春の朝。久々に目覚ましをかけずに惰眠をむさぼっていると、何かの声が聞こえた。くーくーとかそんな風に聞こえて、夢うつつに「ああ、鳩だな」と思った。
 それからまたしばらくうとうとして、昼近くになってようやく起き上がり、カーテンを開けると、ベランダの手すりに鳩がとまっていた。こちらを見ても動じる気配すらない。珍しいものだと思いながら窓を開けると、ようやく逃げていった。
 よく見ると手すりの上に糞が点々と落ちていて、どうやらこの鳥は数日前から頻繁に来ているらしい。こちらは少し多忙な日を送っていたので、鳩の訪問など全く気づいていなかった。
 まあいいか、とベランダの手すりを掃除し、洗濯ものを干していると、隅の方に何か落ちている。十センチほどの小枝が一本。風で飛んできたのだろうかと思いながら、拾って捨てた。
 そしてまた慌ただしい一週間が過ぎて週末になり、朝寝を決め込んでいると、例によってくーくーという声が聞こえてきた。また鳩が来てるのか、うちのベランダは東向きだから、日向ぼっこにいいんだろうな。夢うつつにそんな事を考えていた。
 ようやく起き出して洗濯機を回し、さあ干そうかと窓を開ける。その頃にはもう鳩は飛び立っていたけれど、不思議なものが目に入った。前の週に小枝が落ちていた、まさにその場所に、こんどは何本も、明らかに「集めました」という意志を伴って小枝が置かれている。
 しかもその小枝はただ無造作に置かれているのではなく、円形に配置されていた。見方によっては古代遺跡のストーンサークルに似ていなくもない。
 なんかこれ、巣に見えるんですけど。
 そう思ってしまってから、私は慌てて自分の考えを打ち消した。いくら何でもそんなはずはない。何故ならその「巣」はあまりに稚拙で、枝の間から透けて見えるコンクリの面積の方が大きいぐらいだったからだ。
 もしこれが本格的な巣になるようなら、その時は対応を考えよう。
 とりあえず目の前の物体はなかった事にして、私は窓を閉めた。そして翌日、再び窓を開けた瞬間、驚きのあまり絶叫しそうになっていた。
 卵がある。
 前日より少しだけ厚みを増したストーンサークルの真ん中、それでもコンクリの上に直接、鳩は卵を一つ産み落としていた。いくら何でもこれは困る。うちで洗濯物を干す場所はこのベランダしかない。ここで鳩に子育てされるわけにはいかないのだ。
 餌でもとりにいったのか、親鳩の姿はない。ほんの一瞬迷っただけで、私はすぐさまゴミ袋をとりに走り、「巣」であった小枝と卵を放り込んで、捨てた。
 この強硬対応にもかかわらず、鳩はその後もベランダに現れて住まいの再建を試みた。もちろんこちらも必死だから、鳩の気配がしただけで勢いよく窓を開けて威嚇する。そんな事を繰り返すうちに、向こうもさすがにこのベランダは駄目物件だと認識したのか、姿を見せなくなった。

 後日、友人にこの話をしたら、予想外に強い調子で非難された。ベランダに鳩がやってきた、と聞くだけで温かい気持ちになるのに、あなたはなんというひどい仕打ちをするのか、というのだ。
 確かに私は鳩の住まいを破壊し、彼らの子孫を虐殺したことになる。鬼畜の所業と言われても弁解のしようがなかった。
 
 それからも毎年のように、春が深まるとあの鳴き声とともに鳩がベランダに現れ、私はひたすら追い払い続けた。しかしこれはこれでけっこう疲れるというか、自分は嫌な奴だねえ、という気持ちになってくる。
 知り合いに何気なくそんな事を話すと、いやいや、それでいいのだ、と私の行いを支持してくれた。
「学生時代の友達に、下宿のベランダに来る鳩を追い払わずに、巣作りさせてた奴がいたんだ。卒業で引っ越すからって手伝いに行ったら、ベランダに鳩の糞が一メートルぐらい堆積しててさあ、それをスコップで掘り起こしてゴミ袋に入れて捨てて。大変だったよ」
 彼は何の報酬も取らずにその作業を引き受けたという。鳩と共生していた友人ともども、いい人である事は間違いないが、私にそんな人徳はない。よって今年の春もまた、あのくーくーいう声が聞こえると同時に飛び起きる日々を送っている。
 
 

彼らのくる季節

彼らのくる季節

この季節、ちょっと迷惑なあの生き物がやってくる。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-05-07

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