SHION

SHION

1

 子どもの頃は大人という存在に憧れを持っていた。

 それは小学生、中学生、高校生になってからも同じだった。ほんの少し先の未来の自分の姿がどうなっているのか、様々な想像を重ねていた。大学生になってようやく、その想像がどれだけ無駄なものだったのかと思い知らされた。

 時の流れは速いもので、私もすっかり社会人になってしまった。会社に出社して、仕事をして、そこまで苦にもならない残業をして、家に帰宅をする。

 恋人というものも私にはいなかった。というより、出来なかった。思春期の頃は、大人になったら自然に出来るものなのだろうと漠然に思っていたけれども、そんなに甘いものでもないのだと大人になった今だからこそ気づく。

 きっと年を重ねて老人になっても思うに違いない。『あまりにも普通の人生だった』と。





「お姉さん、大丈夫・・・?」



 前言撤回。



「ひゃっ!・・・きゅ、急に目を開けても大丈夫なんですか・・・?」


 今すぐ前言撤回したい。
 私の人生は普通の人生じゃなかった。
 今の私の状況を整理すると、公園のベンチに横になっているのだ。ここまではまだあり得ることだと思うのだが。
 はちゃめちゃ可愛い女の子(小学生?)の膝の上に私の頭が乗っているのだ。俗に言う『膝枕』というやつではないだろうか、これ。よくわからない違和感がすごい。

 というか、なんでこんなことになっているのだろうか。覚えていない。


「あ、あの・・・、えっと・・・、ぼ、僕は、あやしいものでは・・・ない・・・です・・・」


 『僕』っ子。


 本当にいるんだ、初めて生で聞いた、生きていてよかった。素直にそう思ってしまった私のほうが断然あやしいものだし変態っ子だ。こんな純粋無垢な子どもに失礼だ。

「大丈夫よ、でも・・・少しだけまだ頭痛が痛いからこのままでも大丈夫かしら?」

失礼だ・・・けれどももう少しだけ膝枕を堪能しよう!仕方ない、だって頭痛が痛むのだから!社会人になってこんなにも古典的な必殺奥義『頭痛が痛い』を披露することになろうとは思ってもいなかったぞ私!


「よ、よかった・・・。お姉さん、急に倒れたんです・・・お疲れだったんですか・・・?」


 急に、倒れた?・・・私が?
 ・・・少しずつ、記憶が蘇ってくる。
 私はいつも通り残業を終えて家に帰ろうとしていた。けれども終電がなくなっていたので、なんとなく歩いて帰ろうとした。たまたま公園を見つけたので少し休んでいこうと思った。そして、倒れた。・・・倒れた?残業で?
 確かに普段より仕事の量は多かったように思える。他の人の仕事まで引き受けていたからだろうか?そのせいか最近は睡眠時間も少なかった。極め付けに明日は久し振りの休暇ということでなかなか浮かれていた気もする。早く家に帰りたくて電車で8駅ほどの道を歩いて帰ろうとしていた。
もしかして、もしかしなくてもこれは疲労というやつではないだろうか。
そこまで苦にもならない残業、という発言も撤回した方が良い気がしてきた。

「お、思い出してきた・・・。私、本当に急に倒れたみたいね・・・。ごめんなさいね、心配かけちゃったみたいで・・・」

「い、いえ!そんなに気になさらないでください!起きてくれて安心しました!よかったです・・・」

「今度お礼させて頂戴ね。君、名前は何て言うの・・・って、名乗るなら自分からよね。私は高梨って言います」
 さすがに推定小学生の女の子の膝の上に頭を乗せたまま自己紹介をするのは気が引けるので、名残惜しさを抑えつつ、体を起こした。

「えっと、僕は、紫苑っていいます。望月紫苑、です」

「もう、只でさえ深夜で真暗なんだから、お姉さんにもっと顔を・・・」



 ・・・あれ?



 私、今、何て言った?
 あまりにも下を向いて恥ずかしそうに話すから、整っている顔をもう少し見たいなと思って、深夜の暗さで見づらかったから顔を見せてほしいと頼もうとしたのだけれど。

 思い返してみれば今は深夜ではないか?そもそも私は終電を逃しているのでは?何故この子は私が倒れたのを見ていたのだろう?

 どうしてこんな時間に、こんなところにいるのだろうか?

 何故初めから疑問に思わなかったのだろう。考え直せば違和感だらけだったのに、私は膝枕にとらわれすぎていた。

 家族は?両親は?兄弟姉妹は?
 考え出したら多くの疑問が溢れてきて、一杯になってしまった私はいつのまにか、


「お、お姉さん、恥ずかしい、です・・・」


ほっぺたをむにむにしてしまっていたらしい。


「あ、ごめんなさい」
 目の前の子は深夜の暗闇にも負けないくらい、ゆでだこに匹敵するくらい真っ赤になっていた。

2



「はい、どうぞ」

「・・・ココア、だ」

「ココアなんて久し振りに飲むわね~って、貴方くらいの歳なら結構頻繁に飲むのかしら」
 結局何をどう聞いていいか分からなかった私はココアを買ってあげた。

 独身生活が続くと人に対してどう接していいのか分からなくなる。普段の仕事では給料をもらっているから割り切って営業などにも回れるのだけれど、プライベートはまた別の話だ。ココアを買ってあげたのも、ココアが嫌いな子どもなんていないだろうという私の勝手な偏見だ。

「望月さんは、歳はいくつなの?」


「ふーっ、ふーっ、あっ、えっと・・・小学6年生、です」
 ココアが熱くて飲めなかったらしい女の子は『ふーっ、ふーっ』していた。長らく会社のおじさんたちがコーヒーを冷ます手段としての『ふーふー』しか見ていなかった。久し振りにこんなに可愛らしい『ふーっ、ふーっ』を見たぞ私は。


 そんなことはどうでもよくて。
 ふと気づいたけれど、小学6年生にしてはジーパンに薄手のパーカーという服装が男の子っぽいような気がする。女の子がショートヘアなのも関連しているのかもしれないが、それでもおしゃれに気を使い始めそうな年頃にしては少しカジュアル過ぎるような。けれども可愛い女の子は何を着てもダサくはならないのが不思議であり、少しだけズルいと思う。

「・・・寒くない?その格好」

「い、いつもこんな感じなので、大丈夫です・・・。あと、お姉さんがくれたココアがあるのであったかいです!初めて飲んだんですけど、こんなに美味しいものなんですね!」

「・・・え、初めて?もしかして、ココア飲んだこと・・・ない?家とかでお母さんとかお父さんとかが出してくれたりしないの?」
 ココアを飲んだことがない小学生がいるという事実に、驚いた。それと同時に察してしまった。この子の家庭環境はあまり良いと言えるものではない、と。


「・・・・・・えっと、おじいちゃんとおばあちゃんなら、います!お母さんと、お父さんは・・・あの、えっと・・・」


「・・・そっか。もしかして、こんな時間に公園にいたのも関係あるのかしら」



「・・・・・・」



「あ、いや、無理に話さなくても良いのよ。さっき出会ったばっかりなんだし、聞いた私がいけなかったわ、ごめんなさい」

 数10分前に出会った赤の他人の私に話せと言われても、話せるわけがないだろう。きっと私だったら同じように戸惑ってしまう。家族の話を聞いてしまって少し無神経すぎたかもしれない。



「・・・お姉さんには、お母さんとお父さん、いますか?」

「いるわよ、でも一緒には暮らしてない」

「・・・え、なんでですか?さみしくは、ないんですか?」

「この年になると寂しくはないわよ。そうね、一人で暮らそうと思ったのは自分のやりたいことを叶えようとしたから。それまで私は親の言いなりだったし、親が全てだと思ってたわ。でもこれは私の人生なんだから、自分がやりたいことをしなきゃ!なんて気合い入ってたんだけどね」


 いったい誰の話をしているのだろう、とぼんやりとしているのに勝手に口が動いていく。



「でも、結局叶えられなかった。私は夢を諦めた」



 そうか、私か。これは紛れもなく、私の話だ。


「・・・努力しても、努力しても、結果が何も残せなかった。だから辞めた」


 それでもまだ、後悔はしている。どうしてあの時もっと踏ん張れなかったのだろう、と。
 今でも想いだす。親指と人差し指だけピンと伸ばし、両手を使って四角いフレームを四本の指だけで作る。このポーズは、昔の癖みたいなものだ。この小さなフレームに収める景色が、好きだったのだ。


「貴方はこんな大人になっちゃ駄目よ。大人なんて、結局こんなもんなんだから。でも、貴方が本当にやりたいって思ったことなら、自分の意見をしっかり言いなさい。私が後悔していないのはそのくらいだから」

 子どもの頃は大人という存在に憧れを持っていた。それが今はどうだろう。現実は甘くないぞ、と社会から圧力をかけられているような。見えない呪いでも受けているのだろうかと錯覚してしまうほどに、大人という存在は憧れが利かない。子どもの頃の夢も満足に叶えられない。こんな子どもに偉そうに言っている私が一番駄目な大人なのかもしれない。 少し考え直して、やっぱり私の言ってることなんて気にしないで、と言おうとした。


 それなのにふと顔を挙げると。



「・・・お姉さんは、高梨さんは・・・すごい・・・ですね」


 目の前にいる子が泣いていた。

「な、なんで望月さんが泣くのよ・・・、こんなたいしたことのない話で・・・」 

 この子だけじゃない、すぐに自分も泣いていることに気付いた。涙を流す久し振りの感覚に戸惑いを隠しきれなかった。


「高梨さんはすごいです・・・!たいしたことなくないです・・・!お父さんや兄さんに反抗して、なんてこと、僕は今まで考えた事ありませんでした・・・。お父さんとか兄さんが全てだって、僕もずっと、ずっと思ってました・・・。でも、僕の人生なんですよね、僕、やりたいこといっぱいあるんです・・・。自分の意見、ちゃんと言わないとダメ、ですよね・・・!大人になるなら、高梨さんみたいな大人になりたいです!夢を追いかけられるような、大人になりた・・・って、た、高梨さん?えっと、た、高梨さん・・・?」


 咄嗟に顔を隠した。

 涙が、止まらなかった。

 この子に救われた気がした。

 何年も前に置いてきた色々な感情が、一気に蘇ってくるようだった。



「僕、お母さんがいないんです。なんとなくですけど、高梨さんと話してると落ち着きます、初めて会ったのに。不思議です、ぽかぽかして、温かいんです。高梨さんはお母さんみたいです!・・・お母さんがいたらこんな感じなのかなって・・・今なら・・・お父さんや兄さんにちゃんと自分の意見が言えるような気がします・・・。そしたら、お父さんにも息子だって、兄さんにも弟だって、認めてもらえたのかな・・・」



 咄嗟に顔をあげた。

 涙が全て止まったと思う。

 この子が何を言っているのか分からなかった。

 少し前に女の子の膝枕で喜んでいた自分が、一気に蘇ってくる。


「え?息子?」

「はい・・・僕、ずっと女っぽいって、お父さんとか色んな人に言われてて・・・。でも、もっと男らしくならなきゃだめですよね」

 ごめんなさい、私もつい何秒か前まで女の子だと思っていました、と素直に土下座しそうになった。この子ははちゃめちゃかわいい女の子ではなく、はちゃめちゃかわいい男の子だった、ということだ。


「・・・・・・・・・・・・」


 恥ずかしい、すごく恥ずかしい、今すぐ消えていなくなりたい。

 膝枕で浮かれていた私、気持ち悪い。

 他にも色々思い出される羞恥はあるものの、あえて思い出さないことにした。そして望月さん・・・いや、望月くんには私が女の子だと思っていたことは絶対に黙っておこう、絶対に。

「もっといっぱい食べて、筋肉とかつけたら、高梨さんを守れる男になれますか!」

「ぷっ・・・あははっ!いや、望月くんが筋肉ムキムキの男の中の男になったら大分面白いけど、今のままでも充分素敵だと思うわ!」


 なんだか馬鹿みたいだ。今までずっと夢を叶えられなかったことを後悔しながら、引きずりながら普通に人生を送っていたのに。こんな小さな子どもに笑わせられるなんて。私の人生も、捨てたものではないのかもしれない。

3


「・・・あの、僕、高梨さんに会えてよかったです、ほんとに、本当に!」


「・・・私も、貴方に会えてよかったわ。望月く・・・いいえ、紫苑くん」


 すると、遠くの方から少しずつ「紫苑!」と叫ぶ声が聞こえてきた。

「お~い!紫苑!お前、こんなところでこんな時間まで何をやっているんじゃ・・・。ばあさんとずっと探し回ってたんだぞ!・・・っと、あんたは・・・」

「おじいちゃん!」

「え、おじいちゃん!?」

 二人きりの公園に息を切らした男性が入ってきたと思ったら、紫苑くんのおじいちゃんらしかった。いや、若すぎる、若すぎるだろう。どう見ても50代にしか見えない。お父さんの間違いじゃないのだろうか?


「うちの孫が大変ご迷惑をおかけしたようで・・・」

「あっ、いえ、私が紫苑く・・・望月くんに迷惑をかけてしまったんです、望月くんは何も悪くありません」

 紫苑くんのおじいさんはとても優しそうな目をしているなと思った。お母さんとお父さんはいないかもしれないけれど、こんなに良い人が近くにいるなら、紫苑くんも安心だな、とまるで母親のようなことをふと思ってしまった。

「いやいや、とにかく、ありがとうございました。紫苑、帰るぞ、ばあさんも心配しとる」

「うん・・・。あの、高梨さん」

「なあに?紫苑くん」



「・・・また、会えますか?」


 今まで確信できないことは約束しないようにしてきた。紫苑くんに次いつ会えるかなんて、確証もなければ、決定もできない。けれども、私もまた会いたいと自然に思った。確信なんて持てなくてもいいから、信じたいと思った。



「紫苑くんが本当にやりたいことをして、後悔しない道に進んだら、会えるわよ。それまで私もがんばらないとね!」



「は、はい!僕、高梨さんにまた会えるように頑張ります!」



 その時の彼の笑顔を私はきっと忘れないだろう。


 彼は私の事をお母さんみたいだと言っていたけれども、やはり違うのだ。


 彼の事を女の子のようだと思っていたが、やはり違うのだ。


 私たちは結局は他人なのだ。しかも、ついさっき出会って、少し話しただけの。


それを忘れてしまうほど、身内よりも親密な関係になっていたような、あの素敵な笑顔の彼と一緒に話した時間を、私はきっと忘れないだろう。




 公園からおじいちゃんと紫苑くんが見えなくなるまで手を振った。紫苑くんもずっと後ろを振り返ってくれていた。


「よし、私も帰るとしますか」



 そうだ、帰ったら久し振りに写真を撮ろう。
 手で作るフレームも悪くないが、やはりあのシャッターを切る音が恋しくなるのだ。今まで会社の仕事に追われていたからすっかり忘れていた。


 今から会社を辞めて、写真を撮るということを仕事にしたら、年を重ねた自分はどう思うのだろうか。無謀だったな、と笑うのだろうか。辛かったな、と泣くのだろうか。


 未来の事は分からないけれど、これだけは言える。



 きっと年を重ねて老人になっても思うに違いない。『あまりにもおかしな人生だった』と。



 そして、何歳になっても今日の事は忘れないだろう。


 私の人生の中に望月紫苑という少年がいたということを、きっと忘れないだろう。



 昔も、今も。

SHION

ご閲覧いただきありがとうございました。ということで「SHION」でした。いかがだったでしょうか、相変わらず文章が拙くて申し訳ないです・・・!!!

少し解説というか追記なのですが、紫苑という花をご存知でしょうか!知らない人はこの小説を読んだ後ぜひ調べてみてください、素敵な花言葉が隠されております。花言葉を知った後とか、またこの小説を読んでみると発見できることもあるかな?と思います。

前回の小説もよかったら立ち寄ってみてくださいという露骨な宣伝をして終わります。→http://slib.net/70100

SHION

ふと目が覚めたら、膝枕をされていた。 この出会いを、彼を、あの時間を、私はきっと忘れない。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-04-19

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