この町の片隅には

この町の片隅には

1

この町の片隅には、客も少ないし、今にも潰れそうなのだけれど、何年も営業をしている水族館がある。
ここに来た理由は、簡単だった。だた、唐突に「生きている」ものが見たいと思っただけなのだ。


「すみません、大人一枚ください」
そう言うと、受付の女性は少し驚いたような顔をした。


「え・・・?大人一枚・・・ですね、かしこまりました。少々お待ちください」

驚くのも当たり前だろう。閉館する一時間前に男一人が、目立った魚もいなければ、イルカショーもやらない、こんな古びた水族館に来ているのだから。しかも水族館といえば、恋人や友人と来る場所であって、男が一人で来るものではないのだろう。・・・多分だけれども。それでも、僕はこの水族館が好きだ。ここに来ると、何か大切なものを得ることが出来るような気がするから。まあ、気のせいなのかもしれないけれども。


「閉館時間まで残り一時間となりますので、ご了承下さいませ」

2


僕はいたって普通のサラリーマンであり、いたって普通に生きてきたと自分では思い込んでいるのだけれど、実際の所はどうなのだろうか。
そもそも、「変わっている人」と「普通の人」の差が理解し難い。自分の思っている「普通」という価値観と、他人が思っている「普通」という価値観は異なるはずなのだ。それなのに、なぜ人間は自分の思っている価値観が正解だと勝手に決めつけては、それを他人に押し付けようとするのだろう。人間という生き物はなんて、なんて汚いのだろう。それに比べてこの巨大な水槽の中で泳ぐ魚たちはなんてきれいなのだろう。僕もこの水槽の中で泳ぎたい。いっそのこと、人間なんて辞めて、会社にも行かず残業もせず、水槽の中で泳いでいたい。


「まあ確かに、魚になれたら楽かもですね。考えてることが全て口から出てますよ、誰もいないからって」

「・・・って、え?今、誰か、何か・・・?」


こんな古びた水族館に誰も来ないだろうと思っていたのに、いつのまにか僕以外に少年が隣に立っていた。
制服を着ているということは、中学生だろうか。隣に立っている少年は、身長が175cmある僕より、幾分小さく感じられた。二十代後半である僕と比べたら当たり前だろうけれども。黒髪の僕とは真逆の茶髪であったが、素朴な顔立ちをしており、真面目そうな雰囲気が感じられた。確実に僕の中学時代よりも大人びていた。それにしても、サラリーマンを差し置いて茶髪とは、最近の中学生はそうゆうものなのだろうか。


「もしかして・・・俺の身長バカにしました?」
何故わかった。また考えていることが口から出ていたのだろうか。
「違いますよ、今度は口からじゃなくて顔から出てる」
「・・・そうか、悪かった。次からは気を付けるよ」


これは僕の昔からの悪い癖だった。僕は嬉しかったことや、悩んでいること、怒っていることなどがほとんど顔に出てしまうのだ。よく言えば素直という言葉で片付けられるのだが、生きていく上ではとても不便でならなかった。この癖のせいで何回仲間や上司、友人や元恋人に怒られたことだろう。


「・・・貴方って、面白いですね」


お前の方が僕をバカにしているだろう、と大声を出してしまいたくなった。しかしここはたとえ客が二人しかいなくても水族館である。・・・我慢。


「君、中学生か?親御さんはどうした?そろそろ帰らないと心配するだろう」
何故この少年はこんな時間にここにいるのだろう。しかも僕と同じで一人で、である。家出だろうか?それとも他に理由があるのだろうか?
「・・・あの、俺高校一年生なんだけど」


やってしまった。とりあえず謝らなければ。


「・・・・・・いや、その、えっと・・・すまない・・・」
「いいよ、俺の成長期はこれからですし。でもなあー傷ついた。俺ってば超傷ついた」

少年が傷ついたような顔をしたのでいよいよ僕は焦った。
「・・・あの、その、本当に、本当に、すまない!」
「・・・ぷっ。面白すぎだし騙されやすすぎ。嘘だよ、嘘」
「・・・へ・・・?嘘・・・なのか・・・?」
「そうですよ。俺はこんなんで傷ついたりしないしね」
僕としたことが二十代後半のサラリーマンが年下高校生に騙されてしまった。恥ずかしすぎる。穴があったら入りたいとはまさにこのことではないだろうか。



「あの、名前聞いてもいい?俺は佐藤結城。貴方の名前は?」



「・・・雲母光太郎だ」


「え、・・・き、きらら?えっと、それは名字・・・ですよね」
「名字だ」
「全体的に輝いていて、とてもいい名前ですね!」
僕はお前のように驚かれない名字が欲しかったよ、と叫んでやりたくなった。しかしここはたとえ客が二人しかいなくても水族館である。・・・我慢、我慢。

3



僕は佐藤と共に水族館の中にあるベンチにとりあえず腰を掛けた。とりあえず僕はずっと疑問だったことを佐藤に聞いてみることにした。

「で、佐藤はどうしてこんな時間に水族館にいる?」
「・・・雲母さんはどうしてここへ?」
「僕の質問を無視するなよ」
「雲母さんの理由を聞かせてくれたら話します」


「・・・仕事が嫌になったから。他人との価値観の違いが嫌になったから。だから人間以外の生きているものを見たくなった。はい話した。佐藤は?」


「僕も雲母さんと右に同じです」

「・・・ふざけているのか?」
「・・・さあ?どうでしょう」

どうやら佐藤は真面目に答える気がないらしい。それにしても、佐藤祐樹という少年は、背はともかく、高校生にしては少々言動が大人っぽすぎるのではないか。このまま順調に佐藤が成長すれば、きっと背もすぐに追い越されてしまうだろう。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

しばらく僕も佐藤も黙り込んで何も話さずに水槽を眺めていた。その間も水槽の中にいる魚たちは優雅に泳いでいる。僕は佐藤に話しかけられる少し前に考えていたことを思い出していた。

「生き物っていいよな」
「・・・え?どうしたんです、急に」
無言に耐えられなくなったわけでもないのに、僕は無意識に佐藤に話しかけた。
「魚もいいよな。いや、動物もいいかも・・・植物でもいいな」
「な、何の話?」


「いつもこの水族館に来ると、魚って本当にきれいだなって思う。それにくらべて人間って本当に欲ばかりで嘘で溢れていて本当に汚い。人間以外の別のものになれたらどれだけ楽出来るのかって考えてしまう」


「・・・・・・」
「でも、結局欲ばかりで嘘で溢れているくせして、僕の場合どうしても人間が一番良いっていう結論になる・・・ってあれ、何を言っている僕は」


本当に何を言っているのだろう。初対面の高校生にこんなことを言ってもドン引きされるだけだろう。
「・・・雲母さんって、正直なんですね。やっぱり面白いです」
そう言いながら佐藤は僕の方に体を向けた。どうやらドン引きはしていないらしい。
「・・・・・・大人をからかうのも大概にしておけ」


「からかってなんかいませんよ!そうですね・・・つらい時って、人間辞めたいなって思っちゃう時もあるんですよね。でもそれができないから、尚更つらくなっちゃうんですよね」


佐藤にも色々事情というものがあるのだろう。何かを考え込んでいるように見えた。
「・・・ところで、雲母さんは水族館の魚の中で何が一番好きですか?」
「え?そうだな、僕は・・・アザラシ、とかかな」
「アザラシ!俺も好きですよ!俺、魚は基本的に全部好きなんですけど・・・特にエイが好きです!図体はあんなにでかいくせしてかわいい顔してるのがたまらないんですよ・・・!」
魚の話をする佐藤の目はとても輝いていて、楽しそうだった。そんなに魚が好きなのだろうか。
「魚・・・とか好きなのか?」
「はい!俺は見るのも育てるのも食べるのも全部好きです!」
「そうか・・・食べるのも好きなのか・・・」
「俺何か変なこと言いました?」
「いや、なんでもないなんでもない」


「ちょっと、俺のことまたバカにしました?」

「してないしてない」

4


『皆様、本日は誠にお越しいただきまして、ありがとうございました。閉館時間10分前になりましたことをお知らせいたします。館内に残っているお客様は、時間内までにご退場お願いいたします。』



館内アナウンスが鳴り響くまで、僕達は色々なことを話した。どれもくだらない内容だったけれど、最近の会話が事務連絡で埋め尽くされていた僕にとっては、とても有意義なものに感じられた。
「もうこんな時間か」

館外に出ると、いつのまにか暗闇に包まれていた。秋になってから、随分と日が暮れるのが早くなったように感じられた。今の服装では少し肌寒く感じるほどだ。


「・・・雲母さん、あの・・・一つ聞きたいことがあるんですけど・・・いいですか?」


夜の暗さのせいで佐藤の表情をあまり読み取ることが出来なかった。

「・・・僕に答えられることなら何でも」



「俺は、変わり者だと思いますか?俺は、普通じゃないんでしょうか」



「・・・何故そんなことを聞く?誰に言われた?」


「・・・俺には夢があるんです。その夢は昔からのもので、俺にとってはとても大切なことなんです。でも、母親と父親に言われました。偏差値の高い大学に行って、有名な会社に行くのが普通で、それが俺にとっても一番幸せなことだって。俺の夢はおかしいと言われました。俺はそれが本当に幸せなことだとは思えなかった。思えるはずなかった!いくら母親と父親に言っても分かってもらえなくて・・・」



「それで家を飛び出してここに来たのか」
「・・・水族館」
佐藤が俯きながら小さな声で何かを話した。
「・・・え?悪い、聞き取れなかった。もう一度頼む」



「水族館!俺は水族館で働きたいんです!俺は魚を見ることも育てることも好きなんです!これって駄目ですか?普通じゃないんですか?俺にとって幸せなことって、本当に偏差値の高い大学に行って、有名な会社に行くことなんですか?」



今まで悩んでいたのだろうか。佐藤はとても真剣に僕に向かって話した。僕は何と言ってやるのが正解なのか少し迷った。


「・・・そもそも、「変わっている人」と「普通の人」の差が僕は理解できない。お前が思っている「普通」と他人が思っている「普通」は違うはずだと僕は思う」

「それは・・・さっき雲母さんが一人で話しているときに聞きましたけど・・・」



「普通って価値観が違うからこそ、親御さんと言い合いになってしまうのだと思う。けどそれって、当たり前・・・だと思わないか?佐藤は、親御さんをきちんと説得したのか?」



「・・・いいえ、まだです」



「なら、説得をすればいい。ちゃんと話し合えばいい。それで理解してくれる大人もいるのだから。それでも理解してもらえない時は、証明してやればいい。これが自分にとっての一番の幸せだって、理解させてやればいい。そこまでしてやらないと分かることが出来ない大人もいる。そこは、許してやってくれ」



 僕は思っていることを正直に口に出した。それは、自分自身にも言える事だった。言っている自分が一番当てはまることだと気付いた。僕は会社でも、結局は理解してもらえないのだろうと勝手に決めつけて、説得や話し合いするということを面倒だと避けていたのだ。



「・・・雲母さんらしいですね」
「・・・いや、実は僕が一番価値観を共有することを面倒だと思っていた。自分で言っていて今さっき気付いた。偉そうに言ってすまない」


「・・・あはははっ」
 佐藤が急に笑い始めた。何がおかしいのだろうか、その笑いは一向に収まる気配がなかった。

「何がおかしい・・・。いい加減笑うな、バカにしているだろ」



「すみません、バカになんてしてませんよ。ただ・・・俺も、人間辞めたいなって思っちゃう時もあるけど、結局は大好きな魚より、人間でいたいって思っちゃうんですよね。・・・帰ります。俺、ちゃんと話し合ってきます」



佐藤は、出会ってから一時間ほどしか経ってないはずなのに、表情が断然明るくなっていた。やる気に満ち溢れている、そんな顔をしていた。


「ん、そうか。頑張れよ」
「今日はありがとうございました、本当に。じゃあ、さようなら」



「・・・さようならはおかしいだろう」



「・・・は?」



「お前は水族館で働きたいのだろう?それなら、さようならっていうのはおかしいと思わないか?」
「・・・雲母さんって、本当に面白い。変わっている人ですね」
「は?いや、だからそれは価値観の問題であってだな・・・!」


「嘘だよ、嘘。やっぱり騙されやすすぎ!では、またお会いしましょう!今度は俺の客として、絶対に来てくださいね、雲母光太郎さん!」



「お前僕を馬鹿にしているだろ!僕はお前のように驚かれない名字が欲しかったよ!」

5



あれから、何年か経った。あの後、僕は転勤をすることになったため、この町に戻ってくるのはとても久し振りだった。何も変わっていない館内がとても懐かしく思えた。



「すみません、大人1枚ください」



受付に行くと、そこには一人の男性がいた。何年か前に来たときは女性だった記憶がある。


「大人一枚ですね。少々お待ちください、雲母さん」


「雲母さん・・・って、え?」
聞き覚えがある声に正面の男性の方を向くと、僕よりも身長が高く、たくましくなっていた。あの頃の少し生意気な高校性の少年は、すっかり大人の男性に成長していた。


「お久し振りです。本日は本館のご利用、誠にありがとうございます」

「お前・・・佐藤・・・か?」



 そう言うと、佐藤は微笑むようにして僕に言った。僕があの時、水族館に入る時に受付の女性言われた言葉を、今は佐藤が店員として、言った。


「閉館時間まで残り1時間となりますので、ご了承下さいませ」


この町の片隅には、客も少ないし、今にも潰れそうなのだけれど、何年も営業をしている水族館がある。それは、何年も経った今も変わらない。客も少ないままだし、今すぐにでも潰れそうだ。


それでも、きっとこの先も水族館は営業していくのだろうと僕は思う。そして、また僕はこの場所から、大切なものを受け取って、明日へと向かっていく。





この町の片隅には

この小説は約1年前に書きました。
サークルの部誌に掲載したものです。
加えて主人公(?)の「雲母光太郎」の名字は私のPNと同じものです。特に意味はなく、気に入ったから使わせていただいてます!

雲母光太郎は名前に強い印象を持たせたかったのに対し、佐藤結城はなるべく名前を平凡にしたかったのを覚えています。佐藤結城にとって雲母光太郎は今までの大人とは少し違った存在にしたかったのです。大人にもこんなに面白い人がいるんだと思ったに違いありません。佐藤結城にとって雲母光太郎は光のような存在であったと思います。・・・きっと、たぶん。
なにせ昔に書いたものなのであんまり覚えていないというのが本音です。
でも個人的にはかなり気に入っている一つです。
ここまで見て頂いた皆様、ありがとうございました。

この町の片隅には

この町の片隅には、客も少ないし、今にも潰れそうなのだけれど、何年も営業をしている水族館がある。 そこで僕は君に出会う。 君は僕に出会う。 ただ、それだけの話である。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-02-23

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