羅湖の馬

 返還前の香港に住んでいた頃、とある週末に友人雪子さんから馬に乗ってみないかと誘われた。やはり英国の植民地、香港島はスタンレーあたりに会員制の乗馬クラブでもあるのだろう。そう思っていたら、場所は中国の広東省だという。
 これはまた遠くまで、と思いそうだが、香港は広東省の盲腸みたいな場所に位置する。国境までは日本の通勤電車のような鉄道が一日に何十本も往復しているので、日帰りは当たり前の距離感なのである。
 そして土曜の朝、我々一行は牧場があるという国境の街、羅湖へと出発した。メンバーは雪子さんと香港人の彼氏レスリー、その幼馴染パトリックと私の四人。
 口を開けばすぐに銭と金の話が出てくるレスリーに対して、大陸の生まれだというパトリックはどこか呑気な風情があって、同じ会社で働いているという二人は一種の凸凹コンビに思えた。今回の乗馬ツアーはパトリックの提案で、馬が大好きだという彼が口コミで牧場を見つけてきたという。
 電車に揺られて一時間もしないうちに、我々は終点の羅湖駅に到着した。改札を抜けるとそこは広大なイミグレーション、大陸に行く人戻る人でごった返している。ほとんどの人が大きな荷物をいくつも持っていて、その中に一定の割合で生きた鶏が混じっているという具合。
 空気はもやっと淀んでいて、その基調をなすのは洗っていない髪と磨いていない歯と漢方薬の匂い。実のところ英国の植民地という雰囲気が強いのは香港島と尖沙咀あたりまでで、九龍半島を北上して新界を行くにつれて大陸の気配が濃厚になり、羅湖まで来るとすっかり中華人民共和国だ。かといって北京語はほぼ聞こえず、耳に入るのは広東語ばかり。大阪駅で関西弁しか聞こえないのと同じ状況である。
 そんなこんなで国境を抜けると、そこはもう中国。多くの旅客はこの羅湖から更に省都広州に向かう列車に乗り換えるが、我々は駅前から小巴と呼ばれる、乗り合いのマイクロバスに乗った。辺りは緑が深く、赤土の畑が目を惹くのどかな農村で、そう長く走らないうちに目指す牧場に到着した。
 牧場、といっても北海道のような広大なものでは全くない。看板に「なんとか牧場」と上がっていて、厩舎があり、柵の中に馬が何頭かいるので牧場だと認識される程度のものである。我々が入って行くと、主人らしい小太りの中年男性が現れて、どうぞどうぞと案内してくれた。
 彼は遠く山東省から馬を連れてきて、この牧場を経営しているらしかった。といっても我々の他に客はおらず、儲かっているかどうかは不明。そして従業員の姿は見当たらず、代わりに彼の息子とおぼしき、十二歳ぐらいの男の子がうろついている。と思ったら、彼が馬に鞍をつけたりしている。
 こんな事で大丈夫なのだろうか。
 私の不安はいい感じに的中して、我々はヘルメット等、乗馬らしい装備一切なしで、鐙の高さなども調節せず、足元もスニーカーのまま、適当にあてがわれた馬に乗った。
 雪子さんは何度か乗馬の経験があると言っていたが、私は初めてである。せめて基本的な心得ぐらいは教えてほしいと思ったが、これもせいぜい、手綱を右に引いたら右へ行き、左に引いたら左。両方引いたら止まる、ぐらい。しかも急に強く引くと落馬するかもよ、と脅される。
 レスリーとパトリックも初心者らしかったが、あちらはけっこう平然としている。仕方ないので私も彼らの後について、馬場の中をふらふらと歩いた。生き物の背中に乗る、というのは、たとえゆっくりとした動きでもかなり大変な事である。まさにおっかなびっくり、という感じでようやく慣れてきたかと思ったら、パトリックがとんでもない事を言い出した。
「外に出てこの辺りを散歩してみようか」
 いやそんなの無理だから、と言ってはみたが、そこは香港人得意の「無問題(モウマンタイ)」で押し切られ、頼みの綱の雪子さんも「やってみようよ」と乗り気である。
 もし馬が早く歩き過ぎたら「慢下(マンシア)」と声をかければよいらしく、日本語でさしずめ「どうどう」といったところだろうか。この単語だけを小声で念仏のように唱えながら、私も覚悟を決めて馬場の外、少し開けた草原へと馬を進めた。
 最初のうちはまだよかった。馬も穏やかに歩いている。しかしそれでは面白くないのがパトリックである。彼の目的は馬を「走らせる」事。というわけで、先頭をきって走り始めた。
 馬というのは群れで生きる動物である。
 一頭が走れば皆走る。
 というわけで、あっという間に雪子さんとレスリーの馬も走り出し、私の馬もその後に続いた。例の言葉、「慢下」を何度叫んでも効果なし。私、今日初めて乗ったんですけど、という事も馬には関係なし。
 実際のところ、馬の「走る」には二種類あって、一つは「速足」という、人間でいえば軽くジョギング程度の走り。これは速度は大したことないが、上下動が激しく、お尻の痛さが半端ない。そしてもう一つが「駈足」。これは全力疾走で、とにかく速いが上下動は抑えられ、前後の揺れが大きい。
 さてここで究極の選択である。怖くはないがお尻の痛い「速足」を選ぶか、非常に怖いが体の負担は軽い「駈足」を選ぶか。だが残念なことに、私にはその変更を馬に命じる技量がない。だからひたすら馬の気持ちの赴くまま、何とか落ちないようにと鞍の上に貼りついていたのである。
 後から考えるに、馬上で姿勢を安定させるにはまず両足で鐙をしっかり踏んで、馬の胴体を内腿で押さえる必要があるのだが、そんな事を知るわけないので、鐙なんかとっくの昔に外れている。眼下を流れる草むらを眺めながら「ここで跳び下りたらやっぱり怪我するよなあ」と考えたりするうち、いつの間にか牧場に戻っていた。
 たぶん私たちが実際に乗馬していたのは一時間ぐらいだと思う。しかし、永遠と思えるほどに長かった。一体どこの世界に、初心者にいきなりここまでハードなプログラムを与える乗馬クラブがあるんだと、私は怒り半分だったが、同じく初心者のはずのレスリーとパトリックは「いやー楽しかった」と、堪能したご様子。悔しいことこの上ない。
 そして私の災難はこの日だけで終わらなかった。翌朝、目が覚めても全身が筋肉痛で動けないのである。一日中、初めて電源を入れられたロボコップのように、ぎこちない動きで過ごす羽目になった。
 あれから一度も馬には乗っていないが、私は密かにリベンジの機会をうかがってきた。当時に比べ、はるかに体幹を鍛えているのである。今なら、やれる。加齢は念頭に置かず、そう考えている。問題は日本の乗馬クラブの費用の高さ。体験コースならお手頃価格だが、大したことはさせてくれないだろう。
 となるとやはり再び、羅湖へ行くしかない。しかし雪子さんがレスリーと別れてしまったので、あの牧場の場所も名前も判らなくなってしまった。

羅湖の馬

羅湖の馬

馬に乗ったこと、ありますか?

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-04-13

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