生涯学習

 最初に息子が私の病気を心配して「何でもいいからリハビリのために書いてみたら」と新しい日記帳を机の上に置いてくれたのを考えれば、毎日の体温、血圧、症状の変化などを記録していればよかったのかも知れない。それに反して私は随分逸脱した文章を書いていた。気分転換をして、病気から逃げていたきらいがある。しかし、現実を意識しないでいることは難しく、そこから逃げ切れるものではなかった。
それでも書いてきた効果はあったようだ。少しずつ心の持ち方が変わって来た。生きとし生けるものの命は必ず終わりがあるのは仕方がないのに、なぜ今更生きる事に拘泥しているのか、自分が見えてきた。
 私がまだ50代の元気なころ、年一回の会合で大学の先輩でもあり恩師でもある老医師にお会いした時の話であるが、「○○君、僕はもう地位とか、名誉とか、金は要らないよ、今欲しいのは時間と健康だけだ。残りの命は短いと思うから、好きなゴルフと碁と酒の三つだけを続けてやっていこうと思う。」と言った。人生を達観された先生はその後長生きし、最近亡くなられた。
その話を思い出すと、難病にかかってしまった私の余生は先輩のように行きそうもない。一縷の望みを持って特効薬が開発されるのをジクジクとした気持で待っている事しか出来ないのか。このままだと我が人生は燃焼しきれず不満が残ってしまう。我もまた納得できる残りの人生を送りたい。どうしたらいいか。そのためには無為にすごさず自主的に生涯学習するのもいいのではないか。私にいま出来る事がある。テーマを「ALSを経験して」と決めれば自分の身体が生きた教材になるし、実際に体験しているから都合がいい。幸い、この病気は知能障害を来たさないから、闘病生活で経験したことを最終局面まで全て記憶できる。もし、新たな知見を得たり、問題点をみつけたら報告できるかも知れない。
また、生き永らえているうちに特効薬が開発され、私の病気が奇跡的に改善することもあり得る。少しでも長く生きる事ができるとしたら、その時間はとても貴重だ。先輩のように功成り名遂げて、老後は悠々と過ごすということは出来ないにしても、せめてALS患者だった事が無駄にならぬように、同じ病気で苦しんでいる人に会ったら何でも話をし、話を聞き、寄り添うことが出来るようになっていたい。それを張り合いにして残りの人生を生きて行こうと思う。
2017年3月24日

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