桜木（さくらぎ）／謡曲風詩歌

悲しきは　尽きぬ運命(さだめ)か人の世の

悲しきは　尽きぬ運命か人の世の

契(ちぎ)りし縁(えん)の深ければ

匂う黒髪　褪(あ)せずして

逝きにし妻が夢枕

夜ごとに立ちて袖濡らし

我恋しくば在所なる

吉野の奥山分け入りて

立つ桜木(さくらぎ)の花の下(もと)

霞(かす)む弥生(やよい)の望月(もちづき)の

昇りし宵に返り来て

一夜(ひとよ)の逢瀬を過ごさんと

言い残しつつ失せにけり

言い残しつつ失せにけり

住み慣れし

都を離れ遥かなる

彼方に見えし山の端(は)の

霞みを抜けて草枕

幾夜凌ぐや袖の露

辿り着きたる吉野路の

金峰(きんぷ)の深山分け入りて

人里遠きその先に

知る人もなき桜木の

愛(いと)しき影や其処に在り

愛しき影や　其処に在り

幹(みき)を抱(いだ)きて一年(ひととせ)の

寂しき想いを明けの月

昼は添い寝の膝枕

夜は焚火(たきび)に寄り添いて

露を払うや語り草

過ぎゆく日々の徒然(つれづれ)に

交わす想いの積もり雪

やがて射したる小春日に

緩(ゆる)むや蕾の春風に

掛かるも優し春雨の

恵みもゆかし裳裾(もすそ)より

開きし花の重なりて

やがては梢の上までも

色を染めるや紅枝垂(べにしだ)れ

掛かる朧(おぼろ)の月夜には

夢幻(ゆめまぼろし)か待ちしひと

現れ出でて逢瀬をば

交(か)わす一夜(ひとよ)の春の夢

花の命の短さを

惜しむや衣の移り香に

落とす涙の花弁(はなびら)は

積りて未練の敷き衣(ごろも)

残して消えし面影(おもかげ)を

偲びて涙に仰ぎ見る

梢も哀し旅衣(たびごろも)

共に近いし来年の

逢瀬を胸に帰り来ぬ

逢瀬を胸に　帰り来ぬ

　　　　　　　　〔完〕