「妻の手」

 ここにある「孫の手」は二度目のグアム島旅行の時、日本兵だった横井庄一さんが終戦を知らずに28年間も潜んでいたジャングルの隠れ家(それは地面を掘り下げ、中も狭い、屋根と言っても椰子の葉や小枝をかぶせた粗末なものだった。すぐ近くを川が流れていた。)を訪れた際に、近くの土産物店で買ったものである。女性をかたどったアジアンテイストの素朴な工芸品で、横井さんは地元の人にこれを作ることを教えたらしい。
 体が痒い、殊に背中が痒いのは今の私には一番困る事である。一度目のグアム島旅行の時は46歳で、自分の手だけで不自由しなかったが、二度目の時は66歳で体が硬く、背中に充分手が回らない。柱の角に背中を擦りつけるのも行儀が悪いので買って来た孫の手を重宝していた。
今は病気が進むにつれて筋力が低下し、恥をかいた時に自分の手で頭を掻くことも、背中が痒い時に孫の手を使う事も困難になっている。
孫娘が来るのが待ちどうしい。本物の「孫の手」は特別だ。小さな可愛い手が背中で運動会を始めると幸せを感ずる。私が「ありがとう」と言うと、孫は「おじいちゃま、いつでも呼んでね、すぐ掻いてあげるからね」といたわってくれる。
孫が帰って行くと、後は「妻の手」を頼ることになる。しかしながら、この手は手強い。この手は忙しそうに他の仕事もしているから、私が自由自在に使うわけにはいかない。タイミングを見て遠慮しがちに頼んでみる。背中に入った手をピンポイント(痒いところ)に合わせるのも一苦労だ。妻はそのポイントを知らないのだから、私のコントロール如何にかかってくる。「ミギ、ヒダリ、モウチョットウエ、シタ、イキスギ」など繰り返していると、次第に爪が立ってくる。でも私は「イタイッ」などと言って怒ることは決してしない。何しろ妻の手は私の手に代わって顔拭きでも歯磨きでも何でもして貰わなければならないから、機嫌を損ねてちょくちょくストライキされては困るのだ。
 背中が痒いのは、会話が出来なくなったら、私にはますます深刻な問題となりそうだ。妻との以心伝心もピンポイントが分かるほど完璧ではない。毎日軟膏をベタベタ塗られるのも嫌だし、飲み薬もなるべく増やしたくない。手の不自由な人に便利で、「妻の手」に代わる「背中掻き器」なる物を作ってくれる発明家はいないか。イグノーベル賞間違いなし。2017年2月26日

「妻の手」