*星空文庫

ゴールデンエイジの物語(1.1~2.22話)

万田 竜人(まんだ りゅうじん) 作

 

ゴールデンエイジの物語

プロローグ(1)

 赤レンガ倉庫の1号館を横切ってピア赤レンガ桟橋に出ると海風はまだ寒かった。
昨日、誕生日を迎えた私に誕生祝と云って、「横浜クルーズ」のチケットが送られて
きたのはつい先日のこと。私の誕生日はモーツアルトと同じ「1月27日」である。

 家内に云わせると、「モーツアルトは偉人、貴方は凡人、比較することがそもそも
大間違い」と大笑いされた。

 定年(60歳)の前にも、大笑いされたことがある。
「定年後には、どんな夢をもっているの?」と聞かれたので・・・
「映画俳優か?」「小説家か?」「ビジネス・コンサルタントかな?」と答えた。

 大方、笑い終えた後で、しっかりと釘を刺された。
「小説家とコンサルタントは夢としては良いかも知れない」、でも、その顔で、世間
に向かって、「映画俳優が夢ですなどと云わない方が無難ですよ」と。

 良く世間で云われることに・・・
「夢は口に出して公言すると実現する」と、「そうかも知れない」と、私も思う。
定年の1週間前に、「講師とコンサルタントを兼ねた60歳以上の人材募集」と
いう新聞広告をたまたま見つけて応募したところ、応募者総数が約200名の中
から2名採用という状況の中で、3次試験の面接を経て、幸運にも採用されて、
約6年間、やり遂げた。

 最終面接で、私を採用した社長の言によれば、「あなたが優秀だから採用した訳で
はない。優秀な人材は他にも大学の准教授やコンサルト会社のメンバーなど多数居た
が、私と相性が良さそうなので、貴方を選びました」と。

 ところで、社長が主宰する講演会場までは、交通機関を乗り継いで行くのだが、
およそ2時間を要することがわかった。そこで、移動時間を有効活用するために、
定年退社するときに後輩たちが贈ってくれたパソコンで小説を書くことにした。

 ここで恐れ多くも、モーツアルトとの類似性を述べることになるが・・・
「モーツアルトは楽曲のすべてを脳内に描き、それを譜面に移すため、楽曲の修正が
なく、修正だらけのベートーベンとは対照的であった」とテレビ番組で知った。

 ここでも奇遇であるが私が愛聴している「モーツアルトのピアノ協奏曲 第20番
ニ短調」は原曲はモーツアルトであるが、ベートーベンが好んで演奏した曲でもあり、
私の保有するCDについては、カデンツァ(編曲):ベートーベンと記されている。
第一楽章・第二楽章・第三楽章で構成されており、私は癒し系の第二楽章が好きだが、
この第二楽章については、映画「アマデウス」のエンディングにも使われた曲である。
モーツアルトとしては、数少ない短調の曲であり、ドラマチィックな魅力が、映画の
エンディングに余韻をもたらしたのかもしれない。

 話は、だいぶ飛んだが(私は書き手として発想に飛癖がある)・・・
「私も文章を書くときに、文章は予め脳内で書き上げておき、後で、パソコンに吐き
出す方法をとるため電車内で膝の上にパソコンを乗せておけば文章化は可能である」
こうして書き上げた小説だが、たまたま懸賞募集の機会に恵まれて3次審査まで通り、
最終選考に残ったが入選は果たせなかった。

 どうやら、私の小説にはドラマ性がなく、面白さや意外性もないので、多くの読者
を惹き付ける魅力に欠けるようである。自分でもその様に思うので納得は行く。
しかしながらインターネット上において、手前味噌に小説家を名乗れる環境になって
きたので、身を任せることにしている。

 その様な経緯で、私が再認識したことは、夢は口にすれば、「確実?」に実現する
という「都市伝説?」である。
「コンサルタントの夢はビジネスコンサルタントとして実現、6年間も活躍出来た」
「小説家の夢は、売れない作家ではなく、売らない作家であれば、一生涯を大学で、
学び続けながら一生涯学生作家としてインターネット上で活躍の場は確保出来る」
「映画俳優の夢は、口にしないことで釘を刺されているので、実現はありえない」

 しかし、小説家を続けるには、困ったことがある・・・
「私の書斎は二階にあるため、二階に、こもってパソコンに向かっていると、飼犬が
寂しがり階段の途中まで迎えに来る。家内も同様、一緒にくつろぎたいようである」

 かつて、作家の童門冬二先生は・・・
「御二階さんに徹して、奥様は一階での生活」と、都庁退職後は割り切って作家に
転身されたと大昔に講演会でお聞きしたが「私には、そこまでの決心はつかない」、
困ったものである。そして、私の経験談としては・・・
「小説家にしても、コンサルタント業にしても、それを課業にしようとすると、けっ
こう詐欺まがいの話があって、騙されることがあることを経験的に知った」

 冬の海を眺めて、そのようなことを思い出しながら、横浜クルーズの乗船までには
時間があるので、赤レンガ倉庫内のコ洒落たレストランに家内共々入店、熱いコーヒ
をオーダーした。


プロローグ(2)

 ピア赤レンガ桟橋でクルーズ船に乗り込むと目の前に階段があり乗客は1階と2階、
どちらでも選択できるように自由席としての設えになっていた。昨日は、強風のため
全便が欠航と聞かされていたので乗船するまでは気になっていたが、今日は、風も比
較的おだやかに感じられる。私たちは、1階の前側に席をとり、状況に応じて2階の
甲板に移動することにした。やがて船が出港するとクルーズガイドが登場して、船内
アナウンスが始まった。最初は横浜港の玄関口を知らせる赤灯台を左手に見てやがて
横浜ベイブリッジの下を抜けて本牧埠頭に向かう。

 本牧埠頭の海側からは、ガントリーポイントを目の前で見ることが出来る。ここで
クルーズガイドのアナウンスが名調子となり、わかりやすい解説口調となる・・・

「今、目の前で船内に自動車を盛んに積み込んでいますが、この大型船には約5千台
の車を積載します。積載効率を考えてドライバーは車同士を約10センチ間隔で並べ
て行きます」。

「その卓越した運転技術に敬意を表して、彼らは愛称でギャングと呼ばれています」

 次に案内されたのが、本牧埠頭の日本最大と云われている最新鋭メガコンテナター
ミナル、目の前ではコンテナがクレーン操作によって巧みに積み込まれている。

ここでも、クルーズガイドが登場して解説・・・

「このクレーン操作は、風が吹く中での作業となるため極めて難しく熟練が必要とさ
れています。操作に当たる技能者は地上からエレベーターでクレーンの操縦席に乗り
込み、風を計算した上で、コンテナを積載して行きます」。

「彼らにも愛称があり、ガンマンと呼ばれています」

 そして、クルーズ船は、再び横浜ベイブリッジの下を通り抜けて、ペリーポイント
に向かう。1854年にペリー率いる黒船艦隊が錨を下ろした場所である。クルーズ
船から陸地を見ると、海からの海岸の景色が水平に目の前に広がっている。

 ペリーは、実際に、日本開国の任務が与えられる1年以上も前の1851年1月に、
日本遠征の基本計画を海軍長官に提出しており、その中で、日本に対しては・・・

「日本も中国と同様に、友好関係を訴えるよりも、恐怖に訴えるほうが有効である」
「長崎における日本との交渉は、オランダの妨害が想定される」
などと明確な戦略と戦術を述べている。

 そして、1853年に、ペリーが日本との交渉の場として選んだ浦賀では艦上から
数十発の空砲を発射して威嚇行為を行っている。
(この時、幕府側には事前通告をしている)。

 ペリー艦隊が2度目の来日をしたときに、ようやく幕府がペリーとの交易の交渉を
受け入れ、交渉の場を横浜に設営した。ペリーは本牧付近の海域(ペリーポイント)
に投錨、将官や船員など約500名と共に横浜村に上陸した。
(時に1854年3月のことである)。

 この時、ペリーは日本側から歓待を受けており、その後の交渉が円滑に進捗したと
いわれているので、横浜港のペリーポイントは、日本が米国との交易に向けて進路を
決める、きっかけとなった記念すべき場所であり、浦賀とは違った意味で、象徴的な
ポイントの一つとも云える。

 その後、ペリーは和親条約の細則を下田において、全13か条からなる下田条約と
して締結、その帰路に立ち寄った琉球王国とも通商条約を締結、帰国後は、その成果
を「日本遠征記」としてまとめあげて、大役を果たしていることから横浜港のペリー
ポイントはペリーにとっても記念すべき場所であったと云える。

 やがてクルーズ船は将来的には大型客船も停泊できるような工事を進めている湾岸
の近くを通り抜けて、みなとみらい地区の近代的なビル群に近づいて行った。それぞ
れのビルについては、建設設計のコンセプトが明確に説明されて楽しかった。

 その中でも、ヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテルは・・・

「海に浮かぶヨットの白い帆を連想してデザインした」と、云う特徴的な外観からは
オーストラリアのシドニーの海から見るオペラハウスを脳内で思い浮かべた。

 そして、クルーズガイドからのアナウンス・・・

「船内1階のお客様も是非、船室から出て、肉眼でご覧になって下さい」
「これは、クルーズ船だからこそ見える景観です。インターコンチネンタルホテルの
最上部に、背中に翼をもった女神像を身近な感じで観ることが出来ます」

 実際にビル最上部の内壁に翼を背負った女神像を発見して感動、凝視して拝観した。

 そしてそれを機会に、家内共々、クルーズ船の2階の甲板に出た。やがてクルーズ船
は、海上保安庁の船のそばを通り抜けてピア赤レンガ桟橋に向かった。日差しは暖かく
感じられ、今日はクルーズ日和であったことに感謝、桟橋に近づくと広場では子供たち
が楽しそうに遊んでいた。思わず甲板から手を振ると、手をつないで海に向かって歩い
ていた母子が、こちらに向かって手を振ってくれた。桟橋に船が着いて、船から降りる
時に、クルーズガイドさんに・・・

「今日は、楽しいお話をいろいろと、ありがとうございます」と云って感謝の気持ちを
伝えた。



プロローグ(3)

 ピア赤レンガ桟橋から、赤レンガ倉庫1号館の前の広場に戻ると、長蛇の列が出来
ていた。「これが、話題の鍋料理の店に連なる行列か?」と最後尾に目をやったが、
最後尾は視界に入らない遠方のようである。クルーズ船でも、クルーズガイドから
鍋料理の体験談が語られていたので、店内の様子については予備知識はある。行列の
最後尾の先は、自転車タクシーの溜まり場になっていた。

 自転車タクシーは人力車のように座席には、二人が並んで座れるように設計されて
おり、それを地に足を着けての人力ではなく、自転車の推進力によって牽引して行く
仕掛けになっている。

 昨年の秋に新幹線に乗って東北地方の紅葉狩りに行ったときに、角館では人力車が
紅葉の景色に良く似あうなあと思って眺めたことがあったが、ハイカラなイメージの
横浜港の風景には自転車タクシーが良く似合っていた。

 「物珍しさで乗る人もけっこう多いのかもしれない」。

 横浜港は、昔から、外国との交易で栄えてきた場所だけに、赤レンガ倉庫の佇まい
も良く似合うと云う印象が強いが一時期は廃墟に近い状況であったことを聞くに及ん
で、なにごとも人知の思い入れの強さが文化を支え続けて行くのだと、今の盛況ぶり
をみてあらためて納得した。

 横浜港は明治の時代に生糸の貿易港としても栄えた。私の祖父も明治の時代に群馬
県前橋市萱町1丁目1番地で、生糸業を営み、工場経営と輸出業に携わっていたので、
祖父にとって横浜港はイギリスやフランスとの商いを進めて行く上で、生糸業として
の要の場所であった。私の父親は次男であったが次期社長として祖父からも期待され、
横浜港も仕事場の一つであり前橋と横浜港をつなぐ物流ラインは祖父と父親にとって
は、まさに生命線であった。

 太平洋戦争に突入すると父親は軍需産業に召集されたため、私が後継として生糸業
に携わることはなかったが、祖父がフランスへ出掛けた際のお土産の双眼鏡が父親を
経て私に譲られたので、温もり感は伝わってきている。それだけに私にも横浜港への
思い入れは強い。

 私たちは、とりあえず、自転車タクシーの利用はやめて、みなとみらい線の馬車道
の駅に戻り電車で中華街まで出て、春節の雰囲気を味わってから、みなとみらい駅に
戻って、予約されている中華料理店に向かうことにした。

 目的地のロイヤルパークホテルの中華料理店は、みなとみらい駅からは、徒歩で約
3分と聞いているので、みなとみらい線をフル活用することになる。

 横浜のロイヤルパークホテルの中華料理店は私たち夫婦が共に1月生まれで・・・
「家内は古希の70歳となり、先日は、熱海のホテル後楽園に招待されて歓待を受け
たときに、私は飼犬のペットホテル嫌いを考えて留守番をしたため気をつかってくれ
たようである」。鎌倉ファミリーはなにかにつけて私たち夫婦に気をつかってくれる
のでいつも感謝している。

 今回の感動の横浜クルーズも、鎌倉ファミリーからのプレゼントである。

「私は後期高齢期に入った75歳の誕生日で、いつも飼犬との留守番役では気の毒と
云う思いも働いて、横浜なら二人で一緒に来ることが出来る」と云う判断から、今回
のプランが浮上して、お招きいただいたと聞いている。

 中華料理店で受け付けを済ませると、担当スタッフから・・・
「ご予約の5名様から、お二人様に変更になったこと伺っております」。
「お孫さんが今朝になって急に熱を出されたとのこと、ご心配ですね」と
68階の窓側の席に案内された。

 数年前にも、同じようなことがあったので、私たちには急な発熱にも多少の免疫性
はある。(しかしながら、出掛けの際に、孫の急な発熱を知らせる電話には、出発の
支度は済んでいたものの中止と決めたが、娘からの強い勧めで出掛けてきた)。

「あの時は、夏休みに我が家に一泊してから、池袋駅で日光行きのスペーシアに乗車
して那須に避暑に行こうと計画していて、前夜、急に孫が発熱して翌朝の状態を観て
決めよう」と、いうことになり・・・
「その晩は保留にしていたが、翌朝はケロッとして元気になり出掛けた」

 やがて、いかにも美味しそうな生ビールと料理が運ばれてくる・・・
「古希の誕生日おめでとう、この前、還暦のお祝いをして、もう古希とは驚きだね」
と云うと「あなたも75歳の誕生日おめでとう」というお祝いの言葉が返って来る。

 「美味しいね」と云いながら、家内に取り分けてもらった中華料理を頬張り・・・
私の所信表明の演説を始めることにする。

「私としては、75歳からを後期高齢者と云う堅い漢字の呼び方は好まないので還暦
を過ぎて、65歳からをシルバー世代と呼び、乗り物にはシルバーシートが用意され
る現状を踏まえて、75歳からを意識的にゴールドエイジと呼ぶことにしたい」

「そしてゴールドエイジの物語として、私小説的な味付けでファンタジー小説を書く
ことにする。合わせて還暦を過ぎてから書いた小説は、シルバーエイジの物語として
再編集、インターネット上での公開を計画して行くこととする」


第一章  


背中に翼を背負った女神が語る真実(1)

 夕餉の「お疲れさまの乾杯」のビールの後で、小樽産のロゼを試飲してみる。
最近は、白ワインと赤ワインの中間的な存在としてのロゼが二人のお気に入りである。
煮魚に箸を進めながら、横浜での楽しかった出来事などを二人で振り返ってみる・・・

「鎌倉ファミリーは、夕食は、済んだかしら?」
と云う家内からの気付きで、食後、鎌倉の自宅電話に通話を入れると、
「今、食事が終わったところ」だと云うので、
「どう、熱は下がった?」と、家内がたずねると、電話のオープン・スピーカーから、
元気な声で、「もう熱は下がって夕食前にピアノの練習をしていたわよ」という返事
があり、一安心である。

・・・・・・・・

 いつも通り、午後11時には就寝、二人共、寝つきは早いほうである。
寝返りをうって、眠りに入る姿勢をとったときのことである。
目の前で、星がキラキラと輝いている。

「なんだろう」と思って、目を凝らすと・・・
背中に翼を背負った女神が立っており、こちらに向かって微笑んでいる。
「本日は、横浜港に、ようこそ、ゴールデンエイジ入り、おめでとうございます」

 背中に翼を背負った女神は、なにもかも、お見通しのようである。

「貴方のお気持ちに緩みが生じているようですので、今日は、たいせつなメッセージ
を持参して、お伺いしました」と云う。

「貴方が、かつて、退職した人間の生命の与奪を、退職した後まで追いかける権利が、
たとえ昔、役員の職にあったとは云え、T氏に、そこまでの権限はあるのか?」
と憤っていましたね。

「そして、そのT氏が、昨年、逝去されて、貴方は気持ちが緩んでいませんか?」
「彼らは、私的な組織活動とは云え、チームとして解散したと云う話は、聞いており
ません、貴方の気持ちが緩んだ時が彼らの狙い目です」

「M乳業ですと云って、若い男性が試飲ものを持ってきたことはありませんか?」

 確かに最近まで細心の注意を払ってきた。私の被害妄想と思われても困るので周囲
には話さずに、私に何かあったときの用意として考えられる因果関係や関係筋を明確
に書き出して信頼できる弁護士さんに預けてある。
(これは非常事態には助けになると考えている)。

 その事実をここで振り返れば・・・
(私としては、信じたくない出来事だが!)

「20××年に、昔の職場のOB会が紆余曲折を経て実現、喜んで出席するも、その
後、激しい胃痛に見舞われて、急遽、かかりつけの内科医に駆け込むことになった」

「顔馴染みの先生に診てもらって、念のため血液検査を受けたところ、体内から微量
の水銀が検出され、血液検査の結果からは、大量のお酒を飲んだ時の異常反応も検出
されて、体内で異常なことが起きている可能性があると云われて胃カメラによる精密
検査を勧められた」

「その前段では、顎に赤い湿疹が出て、皮膚科で診てもらったところ花粉症の可能性
が有ると云うことで、治療のための注射もしていただいた」
(その後アレルギー体質の可能性について血液検査をしたが異常は検出されていない)

「そして今度は心臓に異常を感じて、かかりつけの内科医に再び診て頂き、その断定
までには到らなかったものの外部からの異常な行為に遭遇しなかったかと問われた」

私も、それなりに、当時のことを振り返ってみると・・・

「昔の職場のOB会の宴も終わりかけたときに盃に一杯の日本酒を勧められて、それ
も恩人O氏からなので断りきれず、口に運んで、上唇に、お酒が触れた瞬間、これを
勧められるまま呑んだら、昔のように盃を重ねることになり、二日酔いでたいへんな
思いをしたことが記憶として蘇り上唇が少しお酒に触れた瞬間にやめた」のであった。
(私は日本酒にすこぶる弱く、今でも、悪酔いした経験が頭から離れないでいる)。

 お酒の盃を私に手渡してきた恩人O氏は、私の目の前の席ではなく横列に一人置く
位置関係で手を伸ばしてきたので、私が上唇に付けただけで盃を下に置いたことを、
恩人のO氏は知らない。

 恩人のO氏は、元役員T氏の愛弟子にあたる。かつて元役員のT氏は、私に対して、

「俺の眼が黒いうちは、絶対に、あいつは管理職には任用しない」と、云い切ったと、
漏れ伝え聞いている。昔、同じ社内とは云え、関ヶ原の合戦のような構図があって、
こちらは小兵、あちらは総大将、あちらが負けて、後の人事で相当に悔しがったとは
聞いている。小兵と云えども、こちらには科学的な戦術があり負ける要因はなかった。

 そのような事情もあって、私の管理職任用は、およそ10年遅れた・・・

「あのまま、盃を呑み干していたらどうなっていたのだろうか?」真相は闇の中だ。
しかし、手がかりはなく、恩人の「O氏を疑うには」心に抵抗感がある。



翼を背負った女神が語る真実(2)

 私は、定年(60歳)直前の波乱万丈のまるでエアポケットのような状況に到る
までの経過と、その後の年齢層に応じた年代別の層別してみたら面白いかもしれな
いと考えて、そのアイデアを背中に翼を背負った女神に提案してみた。

 先ずは、大ぐくりな層別から・・・

【概ね、順風満帆の人生航路の層別から】

◇20代から30代の前半は、武蔵野の大地を自由に駆け回った印象から、
                    この時代は「グリーンエイジ」と命名

◇30代後半から40代前半は、人生に静かな情熱を注いだ印象から、
                 この時代を「ブルー&レッドエイジ」と命名

◇40代後半から50代前半は、紅茶の味がわかるようになったことから、
                    この時代を「オレンジエイジ」と命名

【突然、乱気流に巻き込まれて、航路を取り戻すまでの層別を踏まえて】

◇50代後半は、職場で針のむしろに座らされていたような暗黒の印象から、
                    この時代を「ブラックエイジ」と命名

◇60代前半は、初期化を図り少年時代に戻って限りなく透明に近い印象から、
                    この時代を「ホワイトエイジ」と命名


【イタリアの旅で、中世のルネッサンスに触発されてからの層別として】

◇60代後半から70代前半を・・・「シルバーエイジ」と命名
◇75歳からを       ・・・「ゴールデンエイジ」と命名

 そのような発想に対して、背中に翼を背負った女神は微笑みながら、今、問題に
する必要のある必須の課題は・・・

◇ブラックエイジの暗黒の陰を断ち切り、ゴールデンエイジでは、善循環の環境を
整えること。それを考えると、今や、「暗黒の時代の人間関係を躊躇なく断ち切る」
ことが最重要である。そこに妥協の余地はなく、話し合う余地もない。

◇そのためには、「ブラックエイジの時代のコミュニケーションを断ち切る」ことが
一番です。したがって、OB会などへの出席は、論外です。

「確かに、貴方が脳内でイメージしているように、ブラックエイジの暗黒の時代にも、
一筋の光明として、希望の光をかざしてくれた多くの恩人が居り、その方々への恩義
を忘れてはならないことも確かであり、たいせつなことです」

「しかしながら恩人であるO氏のように、貴方に希望の光を与え続けながらも元役員
T氏からの圧力と私的な組織力の働きかけによって貴方に盃を差し出すことになった
人も居ることは、確かな事実であり、真向いの席から盃を勧めなかったのは、貴方に
差し出した盃を呑み干して欲しくなかったのかもしれません」

「一方で周囲を説得して、貴方を遅ればせながら管理職への任用を推挙したのも恩人
のO氏であることを考え合わせると、恩人のO氏も辛い立場に置かれていたのかもし
れません。しかし、貴方にとって油断は禁物です。これからも、恩人とは云えO氏に
隙を見せてはいけません」

 そのことを伝えたくて、貴方の処を訪れたというのが「私からの真実」です。

「人間が生きて行くために、裏切らざるを得ない事例は、いくらでもあります。だか
らと云って、貴方が命がけで、私怨に付き合う必要はないと云うことです」

「カオス(混沌とした状況)の世界では、いつでも、私怨の類の愚かな事実を隠して、
複雑な様相に仕立て上げて、巧妙に仕掛けて来るものです。貴方自身が時間をかけて
考え抜いても、貴方を取り囲む世界において、貴方自身、なかなか、その事実に行き
付けなかったことでしょう」

「しかし、私たちは明確に真実を見通せます。私たちからの真実を真摯に受け止めて
いただければ、私が貴方の処を訪問したことも報われます」

「実は、私たちも貴方の横浜港への訪問を随分長い間、待っておりました」
「これは、ゴールデンエイジ入りしたからこその運命の出会いかもしれませんね」と
微笑むと、キラキラと輝く星を引き連れて女神は去って行った。

・・・・・・

 確かに、ブラックエイジの陰影は、後遺症的な作用として、無意識の中でなんらか
の影響を及ぼしているかもしれない。

 そして、過去に、目に見える形での影響としては・・・

「昔なら管理職定年に当たる55歳の時に我々の事業本部は活況を呈していたのだが
全社的な業績悪化の影響を受けて、管理職としての役職は維持したままで、年々、
10%づつの減俸が3年間続いた。定年まで5年あったので定年時は給与が半減する
のかと、年度初めは戦々恐々の辞令待ちが続いた。

 しかし、定年の2年前から新制度の賃金制度に移行した。さすがに、優秀な人材の
散逸が始まって制度の見直しとなったようである。

 この間、給与の減額を示した辞令を家内に渡す度に・・・

「なんとかするわよ」という家内からの励ましの言葉に救われながら3年間を耐えた。
新制度の賃金体系になってからは若干の昇給もあり、家内にも安堵の様子が見られた。



翼を背負った女神が語る真実(3)

 プリンス&プリンセス(P&P)テニスクラブの入り口はメルヘンチックな雰囲気
で、玄関口の両脇には鉢に植えられた花々が飾られていて、玄関ドアはアンチークな
デザインになっており、テニス仲間が入って行く時には、思わず笑みが浮かぶ設えに
なっている。 クラブハウスの室内は、ウェスタン調で、オレンジが美味しかったカル
フォルニアのレストランを連想させる。4月からのテニススクール入会の予約は電話
で済ませてあるので、今日は銀行の振り込み手続きなどを済ませれば、P&Pテニス
クラブへの仲間入りとなる。

 私はゴールデンエイジ入りの記念に「老齢を超越する場」を探していた。たまたま
現役時代にお世話になった狭山のテニスクラブのHテニスコーチが、こちらのテニス
クラブに着任されたことを知り、早速、現地を訪れた。幸いにもご本人に偶然お会い
して挨拶させていただいた。長年、お世話になった狭山のテニスクラブは、一昨年、
オーナーの老齢化および遺産相続への配慮から紆余曲折を経て、多くのクラブファン
の期待も空しく、一昨年末に閉鎖となり、それまでは、恵まれていた全天候型の室内
テニスコートを失うことになった。

 それまでの間は、木曜日に狭山のテニススクールで、「ゆっくりと打ち合う並行陣」
という独特のテニス・スタイルに学び、月曜日には入間市の市営のテニスクラブで、
その週に習ったテニスのおさらいをするということで、テニス仲間とのリズムが出来
あがっていたのだが崩れ去った。その後は、近郊の室内テニスを行脚したが、お気に
入りのテニス環境には、廻り会えなかった。P&Pクラブもプランにはあったのだが、
距離的に遠いと云う印象が強かった。しかし狭山のテニスクラブで、お世話になった
名コーチH氏が就任したと云うことで見学に行ったのであった。

 実際に現地に着いて、自宅からは自動車で約30分間と思ったよりも近く帰路には、
お馴染みのサイボクハムが運営する源泉かけ流しの温泉にも立ち寄りが可能なことに
気付き入会に向けて気持ちは一気に傾いた。

 決まれば早い、幸い4月から入会枠が1名分空いていた。
  入会キャンペーンで、プリンスのテニスシューズをいただいた。最近、購入した
お気に入りのテニスラケットもプリンス、入会したクラブがプリンス&プリンセス、
なにやらプリプリ化してきた。帰りがけにプリンスの風貌を感じさせるHコーチに
挨拶をして帰路についた。時に、3月3日の金曜日、お雛祭りの日である。
この後には、啓蟄と云う地中に冬眠していた虫も暖かくなって、穴を這い出る時期
となる(今年は3月5日が啓蟄である)。

 自宅に帰ると1通の封書が届いていた。昔の職場のOB会へのお誘いであった。
 元部長が、「まだ足腰がしっかりしているうちに皆に会いたい」と、手紙の案内人
の女史に声がかかったと云う。私も元部長には管理工学(IE)の分野でお世話に
なったので会いたいと思う。ただし、今回のOB会の対象職場は、約7年間で、
3人の部長の交替があり、今回の案内は初代に相当するT部長が統率したメンバーで
あり、和気あいあいとしていてチームワークの優れた職場であった。

 その後は、私たちが主体になって業務革新の旗振りをした斬新な職場であった。

 最終段階の3年間は、新しい部長の着任と同時に職場の空気は一変した。
 私が、「ブラックエイジ」と云う表現で前述した暗黒の時代入りである。時に私は
管理職定年にあたる55歳、職位と責任は維持されたまま、毎年10%の減俸に突入
した年である。これだけであれば「武士は食わねど鷹楊枝」で耐え忍ぶことも出来た
が事態は甘くなかった。突然の嵐のように、毎日、出社するや、部長に呼びつけられ
て「徹底的な人格否定」が開始されたのである。

 おおよその訳も・理由も・経緯も・分からない状況で、これが、約3年間も巧妙な
手口で続けられた。
(当時、地獄で針のむしろに座らされるとは、このようなことかと思った)。

 しかし真相は意外なところから伝えられた。原動機の事故調査にあたった技術職の
先輩から、「おまえ、今、たいへんらしいな」と云う一言で話は始まった。

 新任のM部長の異動は、この原動機の事故調査とも、密接な関連が想定されており、

 「彼が原動機の軽量化と称して、鋼材から、軽量・強化プラスチックへの材質変更
を図り、その回転体が作動中にバックリング(座屈)現象を起こして、軸受部の損傷
を引き起こした」

「その原型の設計は、かつて、私が描いた図面であり、もちろん強度試験や耐久試験
も済ませて万事抜かりなく、材質も鋼材を使用しているので、今まで問題が発生した
ことはなかった」

「ところが、M部長は初期の図面を描いた私に責任があるとして論調を押し通したが、
事故調査委員会では、M部長の安易な軽量・強化プラスチックへの材質変更が主原因
と特定した」

 今回のM部長の人事異動が、そのことに関連が有るとは、誰にも断定出来ないが、
たまたま、私が、M部長の異動先に在籍していたため、「格好の攻撃目標になった
可能性は否定できない」と云うことのようである。

 「お前さんも、良く3年間も耐えたものだよ」と同情を越えた温情のようなものを
感じ取った。その後、私は以降の顛末は知らされていないのだが、当時、役員に就任
していた恩師O氏の計らいもあり、私は他部門に異動することになった。
(この経緯も後日談として聞いた)。

 さて、今回、ご案内いただいたOB会に出席するか否か・・・

 祖父から譲り受けた双眼鏡を手にして翼を背負った女神の居る横浜港の方角を覗い
てみると、女神が、こちらに向かって微笑みながら、何か話しかけている。
口元を真似て辿ってみると・・・

 「横浜港に来て、ペリーポイント辺りを眺めてみなさい」と云っているように見て
とれた。最近は、入間市からも横浜の中華街行きの直通電車が走るようになり、海の
なかった埼玉県も「海が近くなったような気がしているので、早速、行ってみるか!」



老齢を超越するロケーション(1)

 横浜港の翼を背負った女神のお膝元に、もう一つの「老齢を超越する場」を設けて、
海を眺めながら思索に耽るのも良いかもしれないと考えてインターネットの路線案内
を調べてみた。自宅を9時半過ぎに出れば、直通電車で11時過ぎには横浜港に着く
ことが出来る。横浜港の近郊で昼食を摂り、午後3時頃には直通の帰りの電車もある
のでお手軽な散策コースである。家内と共々出掛けて、たまには、鎌倉ファミリーと
中華料理を楽しむのも良い考えかもしれない。

 今日は、タイミング良く放送大学から授業のテキスト「日本文学の名作を読む」も
届いており、4月から始まる授業の予習として直通電車の車内で読みふければ、自宅
から横浜港までの移動空間を含めて、老齢を超越するロケーションとして動く書斎の
如くに活用出来る。既に、P&Pテニスクラブとサイボクハムのかけ流しの温泉と
入間市のテニスコートをつなぐ広域地帯に老齢を超越するロケーションを設けたので、
さらに、これに加えて、サイバースペースにおける趣味の俳句と吊り橋理論に沿った
星空文庫の小説家としての活躍の舞台を整えれば、老齢を超越するゴールデンエイジ
としての活躍の舞台はほぼ用意出来たことになる。

 今回、横浜港までの電車の中で読もうとしているテキスト「日本文学の名作を読む」
は、島内裕子教授が新境地で解析された「枕草子」における新発見も収録されている
ようなので、読む前からワクワク感が先行している。この著者の島内裕子教授の授業
は何度か受けているが、テキストの文面は分かりやすく、講義の際のお話しも楽しく、
思わず引き込まれる魅力がある。今までの受講内容と経緯を追ってみると・・・

◇日本文学概論 島内裕子 放送大学教授 著
◇日本文学の読み方  島内裕子 放送大学教授 著
◇徒然草をどう読むか  放送大学 叢書 島内裕子 著

 などがあり、他にも「徒然草」島内裕子校訂・訳については授業で徒然草の原文
に沿って、みんなで声を出して読み合わせるなどの画期的な授業も体験した。また、
訳文は島内裕子教授によって深層心理にも触れた斬新な解釈も加えられており文面
を紐解いて行くと独自の現代版徒然草ワールドに誘ってくれる。島内教授は徒然草
のリズム感はモーツアルトの楽曲にも共通するところがあるという独自の解説も加
えている。

 私はこの徒然草の島内教授による訳文は何度となく読み返して楽しんでいるので、
これも入間から横浜港までの直通電車内で読み返すのに最適かも知れないと考えた。
今までにも、徒然草の島内教授の訳文を読み返すことにより、次のような「テニス
へのヒント」を得た具体例があるので、あらためて通読することで新たなヒントが
得られるかも知れない。

【テニスにおけるヒントの二つの具体例】

 一つ目は、徒然草「第百十段」からのヒント
           (先ずは、島内裕子教授の訳文から抜粋)

 訳 双六の名人と言われた人に、その必勝法を尋ねてみましたところ「勝とうと
して、打ってはいけない。負けまいとして、打つべきである。どういう手を打つと、
すぐに負けてしまうのだろうかと熟慮し、その手を使わずに、たとえ一目なりとも、
遅く負ける手を選んで打つべきである」と言うのだ。

これは、双六の道の奥義に達したうえでの教えである。自分の生き方をきちんとし
国家を正しく保ってゆく道においても、また同じことが言えるのだ。

☆これはまさにテニスの試合などにも共通する話であり、テニスの試合においても
最初から「勝ちに行く試合」には、気持ち先行のゲーム展開の傾向が強くそこには
戦術に欠ける面がある。負けないテニスと云うのは、練習試合で負けたりして、
「何故、負けたかを考え、分析した上で、負けない戦術を練る」、そして戦うので
テニスを科学するプロセスが加わる、したがって、本番の試合が始まってからでも
「この負けないテニスが目指すところの科学する眼が、試合中に作動すれば、以降
のゲームにおいて軌道修正が可能である」、結果、負けないのである。

【さらなる、テニスにおけるヒントの具体例】

 二つ目は、徒然草「第九十二段」からのヒント
           (先ずは、島内裕子教授の訳から抜粋)

 訳 ある人が、弓を射ることを習う時に、二本の矢を手に持って、的に向かった。
すると師匠が言うには、「初心者は、二本の矢を持ってはならない、後の矢をあて
にして、最初の矢を射る時に、いい加減な気持ちが出てしまうからである。毎回、
絶対に失敗のないよう、最初の矢で必ず的を射なければならないと、思いなさい」
と言った。師匠の前で、たった二本の矢のうちの一本を、おろそかにしようと思う
人はいないだろう。けれども、弛む心を本人は気づかずとも、師匠は気付いている
のである。この教えは、すべてに通じると言ってよい。

 道を修行しようとする人は、夕方には翌朝があることを思い、翌朝になると今度は
夕方があることを思って、後でよく修行して身に付ければよいと、ついつい先延ばし
にしがちである。ましてや、一瞬の間にも弛み怠る心が、自分にあるということが、
わかろうか。本当に、「ただ今の一念」、つまり、この一瞬のうちにしなければなら
ないことを、すぐさま実行することが、何と困難なことであろうか。

☆これは、まさにテニスでサーブを打つ時の基本姿勢として、指針そのものである。



老齢を超越するロケーション(2)

 西武電車で、入間市から、元町・中華街までの直通電車内での過ぎし方を想像して
いるうちに・・・

 脳内で、今回の「昔の職場のOB会」へのお誘いについて結論が出てしまった。
答えは「不参加」である。たしかに、オレンジエイジの時代の懐かしいお付き合いで
あり古き善き時代の思い出も手伝って、参加したい気持ちも強いが、案内状を封書で
送付いただいた女史は、同じ部門において、ブラックエイジの時代にも、席を並べた
仲間でもあり、OB会の準備を進める過程で、OB会の対象も範囲が広がる可能性も
ある。会場に着いてみて、ブラックエイジの時代の三代目のM部長が居ることに気付
いて、急遽、帰ると云う訳にもいかない。

 ここは、翼を背負った女神からの貴重な警告も考慮して、あの時代の黒い影を再び
踏むようなことはしないほうが賢明のようである。

 私の企業人としての人生を大きな瓶の中における航海として例えるなら管理職定年
としての55歳からの約3年間は、M部長によって瓶にコルクによる蓋をされて窒息
寸前まで行きつき、恩人のO氏によって、ようやくコルクの栓が抜かれて、息継ぎの
機会をいただき、定年の60歳までを、まさに、休暇を取る暇もなく一生懸命に駆け
抜けた感がある。それだけに定年の日を迎えた、その翌日の朝の感動は、今でも忘れ
ない。あの朝は飼犬との散歩に出掛けて、林の中の新緑に眼が癒されて、心の中で思
わず「セーフ」と叫んだ。それだけ暗黒の約3年間の陰影が色濃く心を支配していた
ということである。

 そして、私の定年(60歳)までの約2年間の一生懸命は、定年後の講師を兼ねた
ビジネス・コンサルタントの仕事にも、そのままの勢いでつながって行き、オーナー
の期待に大いに応えることが出来た。

 私の吊り橋理論の「吊り橋」は、見方を変えれば現役時代のオレンジエイジと定年
後のシルバーエイジをつなぐ、私にとっての「心の架け橋」であったのかも知れない。
そして、眼下には底知れない暗黒の谷のようなブラックエイジが観て取れる。

 私が、定年の日の翌朝に、あれほどの安堵の気持ちになれたのも、定年の日の晴れ
舞台があったからこそと思っている。私が、定年の前の約2年間に任された任務は、
設計部門と生産部門をつなぐ技術情報のデータセンターの近代化であり、これも因
縁的なめぐり合わせであるが、該当の部署は、かつてM部長が統括していた部署で、
データセンターの機能は、三事業所にそれぞれ独立する機能として配置されていた。

 当時、現地に着任して分かったことは、M事業所では、「M部長による業務改革を
うたい文句にして約5名の減員があり」効果が確認されていない段階での人員削減を
図ってしまったために、3年間で「職場は大混乱の状態」に陥っていた。
また、T事業所では、改革システムが円滑に機能していないために機能麻痺の状態に
陥っていた。そして、K事業所も、T事業所と同じような状況に陥っていた。

 私としては、三つの事業所を1週間のスケジュールを割り振ることで巡回して移動
中は情報機器を活用、現地の状況を逐一把握しながら、「新しいシステムの構築」と
「人員の適正な補充」に注力、外部のシステム・エンジニアの助けも借りて約1年半
で軌道に乗せることが出来た。この過程では、コンピューターの2000年問題にも
遭遇、正月返上でシステムを守り抜いた。

 このような経過で新機能を装備したデータセンターは高く評価されて全社的な表彰
を受けた。私の定年の日には、このシステム構築に関わった他部門のメンバーも定年
の日の宴席に加わってくれて、「至福の喜びの会」となり、当日は自宅までハイヤー
で送っていただいたのであるが、帰路には、あちこちで桜が満開、そのような喜びの
日の翌日の朝であっただけに、林の中の新緑が、いっそう目に映ったのかもしれない。

 そして、実際に「吊り橋理論の概念」を引き出すことになった研究論文は、定年後
のビジネス・コンサルタントの時代に書き出したものである。

 実は、この話にも紆余曲折があって、約20年間の歳月を要して結実したものでも
ある。そもそもの話の起点は、今回のOB会の実質的な発起人であるT部長の後輩の
A氏の早期退職制度への応募がきっかけであり、その潔さに鮮烈なインパクトを感じ
取ってからの一念発起とも云える。

 当時、私は40歳代、勤めていた会社は、急激な円高の影響により輸出が激減して、
大幅な業績悪化が避けられず、やむを得ない経営判断として、会社は人員削減に経営
の舵を切った。そして第一の手だてとして早期退職を募集した。多くの優秀な人材が
早期退職に応募、その中には管理工学(IE)の権威者でもあるT部長の後輩のA氏
も手を挙げたことを知り、驚きと同時に、その決断に眩しさを感じた。

 あの時、大いなる衝撃と同時に痛切に感じ取ったことは、これから先、再び同規模
の大型不況が押し寄せてきて、企業としての経営が危うくなった時に、「企業に残る
にせよ」「去らざるを得ないにせよ」専門性を身に付けていないと、「先行きがない」
と云うことを痛感したのであった。


兀型の専門性

 私は専門性ということを考えた時に・・・

 自分にとっての専門性は「T型の専門性を身に付けることが有用な方策ではないか」
と考えた。即ち幅広の経営戦略の基礎を身に付けて、自分で、今、活躍している管理
工学(IE)の実践をさらに深く掘り下げて行く。そして、ある程度の実績を積み重
ねた時点で、もう一つの専門分野を開拓して、「兀型の専門性」に発展させて行く。

「それは将来に向けて布石を打つことになるのか?」

 私は、この考え方で準備が出来れば、盤石の構えで準備が出来ると確信した。
現に、管理工学(IE)の分野では、他社との異業種交流の場で、お互いの事業所や
工場訪問をして現地・現場での実践交流にも参加しており、管理工学(IE)の専門
職として、他社においても通用する手応えを感じ取っている。

 そして外部に向けた講師としての経験では、日本IE協会の推薦で日本生産性本部
が主催する「生産性の船」にも講師として約2週間の乗船経験があり、中部IE協会
では名古屋において、自ら、開拓した独自のIE技法であるところの「ビデオIE」
を駆使した工場革新の事例などを紹介する講演を経験しておりT型の専門性における
深堀の分野では実績も重ねてきている。

 さらに、これを「兀型の専門性」に発展させて行くための「もう一つの専門性」の
深堀分野の開拓として、社会人向けに公開されている放送大学に入学して「心理学」
を専攻することにした。ただし、この場合は、文部省認可の大学であり単位認定試験
などを伴う学習となるため、学習時間の確保など家内の協力も必要になって来るので、
よくよく相談の上での決心となった。

 幅広の「経営戦略の基礎」の習得については・・・

 家内から、「これからの企業人は、自分自身に向けた資金投資も必要になってくる」
と云う励ましと応援により、プレジデント社が発刊している「経営大学院(商品名)」
全25巻の購入を決めて、即、注文すると、すぐに段ボール2箱分の教材が届いた。

 教材の構成はテキストとビデオ&カセットの充実した内容であり、特典として前述
したことがある作家:童門冬二先生の講演への招待券が付いていた。

 これによって、「兀型の専門性」習得のための学習教材と学習環境はほぼ整った。
そして、それからの猛勉強は久々のものであり、帰宅後の深夜および休日は、学習
また学習と云う日々を過ごすことになった。

 私にとって、これらの学習はやがて実践経験を経て血肉となって行ったが・・・

「現在、企業で活躍している息子や孫世代にとっても役立つ内容であろうか?」

「私自身、ゴールデンエイジとして日常を過ごして行く過程で役立つだろうか?」

「さらに、飛躍して、ゴールデンエイジにおける脳トレ的な思考訓練として現代社会
が抱える多くの問題や課題について、ファンタジックな夢を描くときに、どのような
夢物語を描くことが出来るだろうか?」

そのような興味で、当時の教材を振り返ってみるのも、楽しいかなと考えた。

 それでは経営戦略の基礎となった教材を逐一取り出して検証してみることにしよう。



【01:発想力】 から学んだ事柄

 先ず、「成功体験から脱却せよ」と云う堺屋太一先生の話で始まるこの教材には、
大いなる説得力があった(これこそが経営戦略の基礎と云える)。

 最初に、地下鉄を考えた、アメリカ人のヤング氏の事例は、私の発想力に決定的な
ヒントを与えてくれた。地下鉄を見たことのない人に、いくら熱心に地下鉄の画期的
な点を訴えても乗ってこない。そこで、ヤング氏は、1862年にロンドンの2回目
の万国博でこの地下鉄を実現させそれを皆に現実の姿として見せることに成功した。

 実際に地下鉄を見て、実際に乗車体験した人たちは、その便利さを体験、世界中に
同じものをどんどん普及させていった。ただし、この時代の地下鉄は、蒸気機関車で
車両を牽引していたので、今でもロンドンの古い街には煙突のついた地下鉄トンネル
が残されている。電気モーターによる牽引になったのは、19世紀末から20世紀に
かけてであるが、最初に、地下鉄を考えたヤング氏の苦労に比べたら、電気モーター
への発展は当然の成り行きと云える。


 海底トンネルの場合も、これを最初に発想した人は、ハンブルグのエルベ川に橋を
かけると大きな船がくぐれないので技術者に、川の下を通るようにしたらどうかと説
いた。しかし技術者たちに、このアイデアは理解されなかった。

 そこで、作戦を変えて・・・

「なぜ、橋は川の上にあるのか?」と質問、技術者たちは、その理由をいろいろ説明
するのだが、これを端から論破していった。なにも橋は川の上になくてはならないと
云うことはない川の下にあっても良いのではないかと、その考えを誘導していった。

 これに対して、技術者たちは川の下では水が入ってきて橋にはならないと反論した。
それなら橋の上に屋根をかければ良い、それには土管を使えば良いと云うのが発想者
のアイデアであった。 

 さてどうする・・・


発想力と強い頭(1)

 ハンブルグに沈埋トンネルが、最初に作られたのは、1920年代であった。
この工法は含水地帯や水底トンネルをつくるための特殊な工法であり、あらかじめ
トンネルを作る水底をさらってトンネルの基礎を作りドッグで造られた鋼製または
鉄筋コンクリート製管を溝底基礎の上に沈めてトンネルを作る方法である。

 海底トンネルを最初に発想した人は、結局、数年がかりで、技術者たちを説得して、
やっとの思いでエルベ川の下をくぐるトンネルを掘り上げたのであるが、これが出来
ると後は話が簡単で、同じようなものが各地にたくさん出来ていったのである。

 前述の二つの例に見るように、新しいコンセプトを実現するためには、単なる思い
付きだけでは成し遂げることは出来ない。それが出来るためにはその前提条件として、
問題意識を強く持つと同時に必ず答えはあると云う信念をもつことがたいせつである。

 人間は、今までやってきたことには答えを持っている。だからやりやすい。しかし、
新しいことには、答えがあるかどうか分からない。それに対して、この問題には必ず
答えがあると信じなければ、新しい発想は湧いてこない。

 従来からやってきた仕事について、これ以外に、方法はないのだと思ってしまうと
答えは出てこないし、アイデアも湧かず、発想は生まれてこない。とにかく、答えは
必ずあると云う信念をもって、人々を説く人が成功を収めているのである。

 発想力を磨くための最後のポイントは従来の成功体験から脱却しなくてはならない。
従来、我が社はこうやったから成功した。この仕事はこうやったから成功したという
具合に考えていたら、新しい発想は出てこない。しかしながら、過去の成功体験から
逃れると云うことは非常に難しい。

 これを歴史の世界で辿ってみると、戦国時代の織田信長は、いろいろ自由な発想を
したことで有名であるが、彼が最も優れていたのは、桶狭間で、今川義元を急襲して、
大軍を打ち破ったが、信長はこの奇襲作戦を生涯二度とやらなかった。つまり効果的
な成功体験であってもそこからまた脱却できる力量をもっていたと云うことである。

 かつて光通信の三要素をはじめ、世界的な発明が10以上に及んだ東北大学の西沢
潤一教授は発明があまりにも先進的すぎて、日本の学会や企業には、受け入れられず、
常に、外国で先に認められてきたという歴史をもつ人物であるが、その優秀過ぎるが
ゆえに異端視される傾向は、若い頃に、「恩師にさえ3年間も論文発表を禁止される」
ほどであった。

 画期的な偉業と云える pin ダイオードを発見したときにも、「そんなことが
出来る筈がない」と相手にされなかった。この pin ダイオードの発明は、従来
の整流特性を飛躍的に高めたことで有名である。半導体レーザーの発明においては、
国内の通信研究所に持ち込んで実用化を頼んだが「出来るかどうか分からないものに、
金は出せない」と云って門前払いをくったと云う経緯がある。

 これらの独創は、いずれも、後に、外国で同じ種類の発明が発表されたことにより、
その先駆性が証明された。やがて、その実績に対してエレクトロニクスのノーベル賞
と云われているところのジャック・モートン賞を受賞することで、西沢教授の名声は
確実なものになっていった(かつて、西沢教授を非難・排斥してきた学者や研究者た
ちも、今や顔色なし、自らの不明を糊塗するのに懸命のありさまであった)。

 西沢教授はやがて独創を生み出す頭脳について、「頭の良さ」よりも「頭の強さ」
のほうが大事であることに気付いて行く。

 頭の良さとは、回転の早い頭であり「あいつは頭がいい」という言い方をされる。

 頭の強さとは、「一つのことを考え抜く集中力である」と西沢教授は云う。

 西沢教授は心理学者の宮崎音弥東京工大教授が「天才は異常な集中力から生まれる」
と説いている記事を読んで共鳴する思いがしたと云う。西沢教授自身が、それほどに、
実験で得た結果について、集中的に考えることを繰り返していたのであった。

 西沢教授は「子供の頃は、そんなに頭がいいほうではなかった」と云う。
ただしこれも学業成績は上位ではあったが最優秀ではなかったと云う意味合いである。
しかし、東北大学工学部電気工学科へ入学、成績はだんだんと上がって行き、大学を
卒業するときにはトップになっていた。しかし、頭の良い学生は別に居て、その学生
の回転の早い話ぶりにはコンプレックスを感じていたと云う。

 やがて、西沢教授は、アメリカの物理学者でノーベル物理学賞を受賞したP・W・
ブリッジマンが書いた「現代物理学の論理」の論文に記されたところの・・・

「人間が自然を観察しつづけそこに法則性を見出しそれを記述するのが学問である」

「自然は実験によって理解するものである」

「実験を中心にして、自然現象を理解する」

ことが必須であるなどの実験至上主義の考え方に共鳴して行くことになるのである。

西沢教授は、後に・・・

「実験を重視するのは、自然の法則は自然現象の中にしかなくて、本の中にあるもの
じゃないと考えているからです。本の中に書いてある法則は、人間が自然現象を見て、
その中にある法則性を取り出して書いたものです。だからそこには人間の主観と思い
込みが入っているし、また未知のことは書かれていないわけです。本に書かれた自然
の法則には、恒久的に真理だと云えるものはないのです」と述べており、

そこに「頭の強さ」の真骨頂が結実している。


発想力と強い頭(2)

 一方で、西沢教授は・・・

「本の中の法則を軽視している訳ではない」。
「すなわち、本の中の定説についても、完全に理解しておかなければ、一つのことに
集中して、考え抜くことは出来ない。定説を完全に理解した上で、一つのことを考え
抜いたときに、その定説の限界を見破り、新しい仮説へと飛躍することが出来る」

「定説を理解すると云うことは、それを鵜呑みにせず、もとの理屈から分かっておく
ことである」

 西沢教授は、子供の頃に、「なぜ、1たす1が2になるのか、こだわった」と云う。
これは、定説を原理にかえって考えてみると云うことであり、一つのことを集中して
考える頭の習性は、生まれながらにして、持ち合わせていたものなのかも知れない。

 物事に取り組んで、「途中でギブアップせずに、とことん考え抜く、諦めてはいけ
ない」、これが、「強い頭」をさらに強くして行く養成方法なのかも知れない。

 西沢教授が、pin ダイオードを誕生させるまでの過程で、これにつながるアイ
デアは、風呂を焚いていたときに、パッと思いついたのだと云う。頭に、浮かんだと
云うと簡単な思い付きのような印象も与えるが、事実は、前述のように、定説を原理
から理解している人間が、集中力を発揮して死に物狂いで研究して考え抜いたときに、
初めてパッと閃いたということであって、強い頭だからこそのヒラメキでもある。

・・・・・・

【豊洲問題における発想力の生かし方】

 発想力と云うことで、今、世の中で話題になっている「課題」について考えてみる
ことにしよう。なんといっても直近の課題は、「豊洲市場」を、この先、どうするか
と云う問題であると考える。

 現時点で豊洲問題を考えるときに発想力の起点として捉える基盤(プラットホーム)
は、2016年9月に設置された豊洲市場における土壌汚染対策などに関する専門家
会議が結論として位置付けした、2017年3月の最終的な発表であり・・・

「豊洲市場は、科学的・法的に、安全である」という評価の結果であると考える。
そして東京都の都知事が目指す「安全と安心」の確保については、専門家会議として
「科学的・法的に安全」と結論付けたので、最終判断は、安心の面を包含する形で、
都知事に判断を預けたと云うのが現状であると考える。

 これについて、企業人を経験した立場から観て行くと・・・

◇ 先ず思考の出発点として、豊洲市場の土壌汚染対策を長年に渡って施工してきて、
 最終検査の結果が、所期の設定基準を越えたと云うことは、判定としては「不合格」
 である。

◇ しかし、この場合に、企業であれば、案件が大規模なだけに、保留扱いとなり、
 「保留票」が発行されることになる。

◇ この保留判定について、専門家会議は、「地下と地上とは分けて考えることが
 出来るので、地上については、科学的・法的に安全」と云う判定を下した。

◇ この判定によって、知事は「安心の具現化」と云う面から総合科学的なフリー
 ハンドを得たことになる。

◇ 最近の知事の会見ニュースにおける「鳥の眼」で鳥瞰的に判断をして行きたい
 と云う言葉からも、総合判断における、フリーハンド(自由裁量)を得た感触を
 掴み取ったと云う印象を受ける。


【発想力の本領発揮】

◇ 先ず、鳥瞰図で「東京市場」全域を眺めた時に、これは東京都民のみの市場では
  なく、周辺の県域を含めた東京圏の市場であり、関東および日本全域を含めた市場
 と考えたほうが妥当であると考える。

◇ そういった意味では豊洲市場の登場は、東京市場に豊洲市場を加えることが可能
 になったということである。これは単に築地市場から豊洲市場への移転を意味する
 ものではなくなってくる。

◇ 鳥の眼からの総合判断としては、加わった「豊洲市場をどのように生かすか?」
 という自由な発想が可能になったことを意味してくる。

◇ 例えば豊洲市場の地下における土壌の汚染対策を引き続き進めて行き、かつ地下
 と地上との遮断(シールド)を更に確実なものにして、2020年までは・・・

 「東京オリンピック」における国際センター的な位置付けとして活用して行く。

 東京シティーの中心に位置して、オリンピックに訪れた世界中の人々に向けて、
「世界の食事」を提供して行くことの出来る「ビッグシティー」的な存在感の魅力
 は大きい(かつ、警備面からの対策なども、このエリアなら行き届きやすい)。

◇ その上で、オリンピック終了後は・・・

 所期の計画通り「豊洲市場を築地からの移転先として選択するか?」

  または

 新たな都市開発として「豊洲市場を新たな買い手に譲渡して行くか?」

 ・・・ 選択肢は大いに広がることになる。


◇ この場合に、築地市場も、5年先を見据えて、東京の他市場との連携を視野に
 置き、市場関係者や顧客(東京都民だけでなく多くの国民)の要望も取り入れて
 の「再構築の可能性」は、現実味を帯びてくることになる。
 (勿論、この資金は、豊洲地区の超高層化などによる売却費から充当する)。

◇ 同時に「強い頭」的な発想をすれば、現在、東京都市部の大震災発生時に被害
 発生が予想されいる戸建て密集地の木造古民家に向けて、この豊洲地区の超高層
 ビル建設を特区として推進すれば被災予防のための移住先としても有効である。

◇ かつ「食に関する大災害発生時の備蓄・支援センター」としての機能も温存・
 併設しておけば大都市における救援センターとしても力強い存在となって行く。



パラダイム・ショック(1)

 我々が真摯な対応を続けて懸命に企業努力を続けていても、時として、あまりにも
理不尽とも思える状況に追い込まれることがある。

 戦後の経済状況の経緯を考える上で、円高の問題は、その代表例と云える。

 海外から資源を買い付け、そこに技術的な知見や創造を加え、それを加工して付加
価値を加えた製品などに仕上げて輸出することで、企業としての存続を成り立たせて
きた日本企業にとって、ニクソン・ショックを起点とした円高の問題は、避けて通れ
ないことであったが、一面で、理不尽とも云える経営環境の激変をもたらした。

 そして、その影響は現在も続いている。


【02:パラダイム・ショックへの対応】から学んだ事柄

 ニクソン・ショックと云う言葉も、既に、遠い過去のものとなった。

 1971年8月15日のテレビとラジオによる突然のニュースとして当時のニクソン
大統領から、米国の不況とインフレに対する対策として「新経済政策」が発表された。
同時に、為替レートについても、1ドル360円の固定相場制度から変動相場制に移行
した。この新しい政策に対して米国民は諸手を挙げて新政策を歓迎した。

 当時の日本の経済状況も、米国による新経済政策発表前から不況の兆しが見えてい
たので、この米国の新しい政策の影響によって、即、日本が不況に陥った訳ではない
が、為替レートの変動制への移行による円高の影響は日本国内の輸出業に深刻な打撃
を与えていった。

 当時、身近な問題として私は管理職任用への登竜門と云える企画職への昇進の内示
を受けていた。しかし、このニクソン・ショックによって全社的にすべての昇格人事
は凍結されて、やがて、昇格や昇進は全てが白紙に戻された。

 当時の感覚で円高の問題を考えた時に、1ドル360円の時代が長期間にわたって
続いていたため、現在の100円~150円と、云った振れ幅の推移の中における、
日本企業の生き残りなどは想像もつかない世界であった。

 まさに、これ以上の「パラダイム・ショック」は想像が付かないと云ってよい。

 ここで、パラダイムという言葉について辞書を引いてみると正確な日本語訳はない
ようである。「規範とか」、「枠組みとか」、「すべてのものの原則や基本とか」、
解釈は多様であるが、私たちが、パラダイムと云う言葉から受ける意味は・・・

 「ショッキングな内容を含んでいる」と云う印象を受ける。



 ここで分かりやすく歴史上の過去を辿って考察してみると・・・

 14、5世紀頃のヨーロッパでは、当時の人間の英知として、「地球は動かない」
動くのは星々であると云う天動説を信仰していた。天動説は聖書にのっとっており、
ローマ法王以下当時の学者や宗教家、哲学者などすべての権威者が認めるところで
あった。地球は動かないと云う説に疑いをもつものはいなかった。

 そこに疑いをもったのが、ドイツの占星術師のケプラーであった。

 ケプラーは、地球からの天体観測を続けている中で遠くの星は定期運動を繰り返し
ているが、一方で、迷い歩きをする星がある。この迷い歩きする星を、惑う星と云う
意味付けから、惑星と名付けた。

 やがてケプラーはヨーロッパの天文台の第一の占星術師であったチコ・ブラーエル
の元に入門して、200年もの観測データを譲り受けることになる。

 そしてケプラーは占星術の仕事を放り出して、星の動きを計算、計算に計算を重ね
てやがて惑星の楕円軌道を考え付き「ケプラーの惑星の法則」を発見することになる。

 ケプラーは、これによって、地球は、太陽のまわりを回る星々の一つであることを
数学的に証明した。

 ケプラーの発見した法則は、やがて、ニュートンの知るところとなり・・・

 「ニュートン力学」の発表につながって行く。


 その後、1543年のコペルニクス(ポーランドの天文学者)の地動説の証明と
発表によって、天動説は完全否定されることになる。

 しかしながら、天動説から地動説に科学の世界が書き変えられそうになったときに、
世の中が大変なことになるという世の中の知性派は、この変化に対して猛烈な反対を
唱えたのである。

 ジョルダノ・ブルーノと云う人はケプラーを信じたために焼き殺されることになり、
天体学者のガリレオはコペルニクス説が正しいことを天体観測によって証明したこと
により、宗教裁判にかけられることになって、後、シエナに幽因されることになる。

 コペルニクスも、大変な迫害を受けるが、やがて風潮として理性派が上回って行き、
地動説は動かしがたいものとなって行くのである。

 これこそが、本当の意味の「パラダイム・ショック」の事実を示す歴史的な出来事
と云ってよいと考えるが、時に、凄まじいエネルギーとエネルギーのぶつかり合いで
あることが理解できる。


パラダイム・ショック(2)

 パラダイムと云うものは、その中に居る人間にとっては、「当たり前のこと」でも、
そこから外れた人間にとっては、「見当もつかないこと」であると云う性格をもって
いる。

 地球が丸いと云うことは、現代知識のある我々には、当たり前のことである。
一方で、我々が日頃から見ている世界地図では、当たり前のように日本が地図の中心
に位置付けられている。しかし、これは世界中に共通したことで、どこの国でも自国
を中心に置く。

 つまり、世界地図の画き方は、いろいろであり、初めてイギリスで、世界地図を見せ
てもらったときなど、あまり見慣れたことのない地球(地図)と対面することになる。

 北極を中心に置いた世界地図を見たときに、アメリカとロシアは驚くほどに近い。
今や、この北極を中心に置いた地図はアメリカやロシア・イギリスなどにとっては、
世界戦略的な地図として重要な存在となっている。

 南極を中心に置いた地図においても、最後の資源大国的な存在として、南極および
周辺地域のフォークランド諸島などを描いた地図は、この地域が、イギリスやアルゼ
ンチン・アメリカなどにとって、世界戦略上の重要な地域になっていることが、良く
理解できる。

 しかしながら、この地域からは遠く、地球の反対側に位置する日本にとって、南極
付近の現地の状況を的確かつ俊敏に把握して、実情を正確に理解することは難しい。

 つまり、パラダイムと云うものは、その現場で・現物を観て・現実を把握している
人間にとっては、ごく当たり前のことであっても、そこから、遠く離れていて・現場
から外れ・現実を直視することができない人間の立場からは、パラダイムやパラダイ
ム・ショックの存在そのものについても、まったく見当がつかないことである。

 したがって、前述のような、まさに、天動説を信じきって生きてきた人間にとって、
地動説などと突然のように云われても、おおよその想像もつかないという状況は良く
理解できる。

 そして、即刻の対応は難しいとしても、この場合に限って云えば「地球儀的な見方」
や「大きな鳥になって」、鳥瞰図的に地球や他の惑星を見渡すことの出来る「鳥の眼」
の必要性が理解されてくれば事態はだいぶ変わってくると考える。



【そして私は鳥になった】

 パラダイム・ショックについて、教材に書かれた記事を振り返ってみて、私自身が
南半球に旅をして、実際に南十字星を仰ぎみて、薄暗い鳥舎にうずくまっていたキウ
イバードの姿を見たときに、自分自身が、当時、体重が10キロ増の状態にあって、
まさに、我が姿を垣間見た思いがして「飛べる鳥」になりたいと考えたあの瞬間が、
私にとってのパラダイム・ショックだったのかも知れない。

 そのように考えると、こちらから見れば、地球の反対側にあたる南半球の旅は、
私にとって、「必然性のある旅」であったのかもしれない。

 そして、帰国後の懸命な努力で・・・・

  「私は飛べる鳥になった」

 そういう眼で、当時の南半球の旅をあらためて振り返ってみたときに、私は運命に
おける必然性のようなものを感じ取った
(これから先は、全文が『シルバーエイジの物語』からの引用である)。



オータム・ショック

 あの日、成田空港に集まったツアーの仲間は、多彩であった。新婚組の若手が2組、
60歳代後半の夫婦が3組、親子連れの混成が2組、70歳代の友人ペアのお二人。
他のお二人はシングルで参加されていた。

 そして、年齢的には平均に位置する私と家内であった。

 まだ、初対面で気心も分からず、ツアーの女性コンダクターが掲げる旗に連なって
ぞろぞろと歩いた。出国手続きが済むと、出発時刻まではそれぞれ自由時間となって
いる。成田の出発ゲートで、私は、手荷物だけを持って、家内と一緒にベンチに腰を
かける。「この待機の時間は、なんとも夢があっていいわね」と家内が云う。

「すぐにも海外に向けて飛び立つ時間が刻一刻と近づいてくる感覚が好きなのかな」
と想像する。それとも、松尾芭蕉の「奥の細道」の序章にある風情、「月日は百代の
過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」という心境なのかと、、次々に想像を膨ら
ませる。

 やがて、NZ090便に乗り込む。機内に乗り込むとJL090便と共同運航便に
なっていた。機内で、通路を挟んで、隣り合せとなったツアー仲間のご夫婦と挨拶を
交わす。ご主人が名刺を差し出して挨拶される。私も財布のポケットに名刺が入れて
あることを思い出して名刺を差し出す。いただいた名刺から、新橋で弁護士事務所を
開設されていることが分かる。

 他のツアー客にも、機内を歩き回って盛んに名刺を配っている。「ご自分の仕事に
全力投球する商売熱心な方」なのかなと想像する。私も、弁護士さんに習って家内を
挟んだ隣席の親子連れの母親と思われる、60歳代後半の女性に名刺を渡す。

 こういう場面での名刺交換の経験はあまりない。しかし、それも自然な成り行きで
あった。弁護士さんの気さくな態度に学んだのと、同時に「新幹線における5分間の
理論」を思い出していた。

「新幹線に乗ったときに東京駅などで、隣席の方がシートに座ったときに目安として
5分間以内になんでもいいから、一言でも声をかけておくと、後の時間を気持ち良く
過ごせる」という経験則である。

 そんなことを思い出していると、名刺を渡した女性が唐突なことを云い出す。
「あなたは出世をあきらめての海外旅行ですか?」、
「なんということを」と絶句する思いであったが、そのまま、しばらくは沈黙を守る
ことにした。

 「会社の永年勤続の表彰旅行です」と間をおいて答えると、「おみかけするところ
まだ働き盛りのご様子で、そのような時期に海外旅行とは出世をあきらめた方かと」、
このなんともハッキリとしたものいいには恐れ入った。

 「そうでしたか。永年勤続のご旅行でしたか。銀行関係では、勤続15年くらいで
皆、海外旅行させるようですよ、そして本人が旅行中に身辺調査をして不正が起きて
いないか審査するそうですよ」と女性が続ける。

 その後、ツアーに単身参加の銀行員が、まさに、勤続十五年で参加していることを
知って、この女性の話題には、真実味が帯びてくることになる。新々人類を思わせる
情報通のその女性には、旅の途中で、何度か、貴重なアドバイスをいただきお世話に
なることになる。

 飛行機がニュージーランドに近づくと女性コンダクターからそれぞれに入国手続き
の書類が手渡され、記入を終わって、身の回りの整理や整頓が始まる。

 クライストチャーチに到着すると空港には見るからに頑丈そうなベンツ製のバスが
待機していた。大型バスということもあり「快適な観光ツアーの始まり」という印象
を受けた。やがてバスは花壇がよく整備された建物の前に到着する。
(これは大いに庭造りの参考となった)。

 花壇を抜けて行くとエイボン川のほとりに出た。
「あら鴨がゆうゆうと泳いでいるわ」という声をきっかけにツアー仲間がいっせいに、
鴨を背景にして、お互いの連れや家族にカメラを向けて、写真を撮り始める。

 その場所で、一時、みんなでゆっくりとして奥に行くと、グランド一面が、バラ園
になっていた。ほとんど、同時に、全員が歓声をあげる。

 良く手入れされたガーデニングの眺めを楽しんで、全員がバスに乗り込むといっせ
いに「疲れた、疲れた」と口に出しはじめた。思えば、成田で飛行機が出発したのが
17時55分。クライストチャーチには、現地時間で、朝の7時35分着であった。

 日本とニュージーランドでは時差が3時間あるので日本の現地時間に換算をすれば
明け方の4時半に叩き起こされての入国手続きということになる。まだ、気持ちの上
では、脳の機能の半分が寝っている状態での観光であった。

 やがて、バスは、市内の大聖堂に到着する。英国ゴシック様式の大建築物は尖塔が
空よりも少し濃い青色で、大窓のエンジ色とのコンビネーションが、とても、お洒落
な印象で見栄えが良い。建物の縁取りは、白色で統一されている。

 次に、カンタベリー博物館を訪問した。ここで、ニュージーランドの歴史を学ぶこ
とになる。ニュージーランドは、地形的に日本列島から北海道を取り外した大きさで
あり、北島と南島からなる。

 クライストチャーチは、南極寄りの南島の東岸に位置している。
クライストチャーチの丘陵地帯からの眺めは素晴らしく、市内を一望できる。旅程に
おける天候が快晴ということも手伝って、旅先での秋を大いに満喫できる幸運に恵ま
れた。丘陵からの視界には、背の高い建造物はなく、秋が一面に横たわっていた。

 私は、この旅行の出発前に東京で暮らしていて、これが初めてとも云えるほど見事
な桜を会社の桜祭りで満喫した。

 そして、地元の稲荷山公園でも桜を楽しみ成田を旅立った。「海を越え一瞬にして
秋の眺望に変わるなんて、なんとも不思議な体験だね」と家内に呼びかけると、
「素晴らしいわこれがほんとうのオータム・ショックね」と目を丸くして喜んでいた。

 「ニュージーランドでは眺めの良い丘陵地帯に家を建てることが、ひとつのあこが
れになっています」と女性のコンダクターから説明があり、丘陵から広がった視界の
良さを見て、「なるほどね」と納得した。

 この眺望を楽しんでいるとき、隣には、私と家内だけで「ミセスCIA」と呼んで
いる奥さんが一緒に風景を眺めていた。
(なんでもご存知の奥さんに敬意を称しての称号である)。



理想的な居住空間

「たしかに高級住宅が丘陵地帯に密集して建っているわね」という家内の感想に続け
るようにして、ミセスCIAから「この丘陵地帯には自然保護運動を展開した政治家
ハリーエルが建てた英国風の建築物があるのよ」ということで、みんなで、見に行く
ことになった。

 その建築物は、さすがに、どっしりとした風格であった。現在はレストランに改造
されていて、一般に公開されている。ロビーに設えたテーブルに座ると、なんとなく
気持ちが落ち着くから不思議である。外の景色も、居ながらにして、手に取るように
見える。外観的にも、外壁は石積み風になっており、どっしりとした落ち着きが感じ
られる。

 その時の「居心地の良さから来る好印象」の衝撃は大きく、私と家内にとっては、
「理想とする我が家のイメージを目の当たりにした手応え」であった。

 当然、帰国後には、終の棲家のリフォームや「ついの棲家Ⅱ」を新築する際に
大きな影響を与えたことは云うまでもない。

 市内観光も終わり、今晩の宿泊ホテルに着くと、それぞれに、部屋の鍵が渡されて
ディナーでの再会が、女性コンダクターから、アナウンスされる。部屋に入り、旅行
カバンを片付けてから、二人で、ロビーに行くと、ツアー仲間の若いカップルから、
声がかかる。「すいません。教えて下さい」と云われて「なんでしょうか」と答える
と、若い女性から、「先程、ディナーの案内がありましたがどんな服装で出ればいい
のでしょうか」、ここは家内の出番である、「くつろげる感じの気軽な服装で大丈夫
じゃないかしら」と、やがて暖炉の火が燃えているレストランにツアー客が集まって
来る。

 席は、自由席のようである。先程の若いカップルがこちらに向かって近づいてくる。
その後から情報通として有名人になったミセスCIA親娘と60才代後半のご夫婦が、
談笑しながら歩いてくる。私と家内もレストランの係りの女性に案内されて席に着く。
私と家内の前には、若い新婚夫婦。隣の席にはミセスCIAチームの四人が席に着く。

 大きな八人掛けのテーブルが、たちまちいっぱいになる。隣のテーブルには弁護士
さんたちが友人と一緒に案内されて席に着く。こちらのテーブルでは、最近、出かけ
た旅行の思い出から話しが始まっている。

 ミセスCIAとは、親友と思われる女性が、スイス旅行の話しをご主人と掛け合い
よろしくとても楽しく紹介して下さる。「スイス旅行では登山電車での山登りが一番
楽しかったわ」という。「あっそうそう。ビデオが撮ってあるから、今度、家に遊び
にいらっしゃい」という話しに発展する。

 ミセスCIAの友人が、「どちらにお住まいですか」と聞くので、「埼玉県入間市
です」と答える。「私たちは新所沢よ」、ニュージーランドからの距離感では、ほと
んどピンポイント的に、同じ地域といって良い。世間は狭いものである。新婚夫婦の
新居は相模原だという。「今度この旅行から帰ったら我が家に遊びにいらっしゃい」
と両家で誘って下さる。「ありがとうございます」と云いながら、ご近所のしかも、
隣組という親近感が湧いてくる。

 やがて、ディナーの料理が運ばれてくる。「どちらかというと薄味だね」とお互い
の感想を述べあって運ばれてきた料理を口に運ぶ。新婚夫婦は「海外旅行は初めて」
だといって、とても楽しそうに、皆さん方の話しを聞いていた。

 食事の途中、女性コンダクターから今回の旅程の概略が、あらためて紹介された。
「昨日は、機内泊のため、みなさんそろそろ眠くなってきたと思いますので」と云う
心遣いで要点だけが説明される。明日は、マウントクックから、クイーンズタウンに
バスで行き、4日目の旅程については、オプションでミルフォードサウンドの観光が
計画されているという。

 そして、後半には、北島のオークランド泊が旅程の仕上りとして用意されている。

 話題満載のディナーは、あっという間に時間が過ぎた。的確な会話は食事の調味料
というが、今回について云えば、話題そのものがメインディッシュという盛りあがり
ようであった。

 それに皆さん、パワーに満ち溢れていて、パワーを分けていただいた気がする。
「ご一緒しているだけで自然に気持ちが明るくなってくるね」とその日のことを振り
返りながら、その晩は、早目にベッドに入ることにした。

 充分に睡眠をとったこともあり、翌朝は、早起きして外に出るとテカポ湖の水面が
目に入ってきた。「あらもう霜がおりているわよ」と、家内が枯れた芝生の上を先に
歩いて行く。「テカポ湖の風景も一緒に撮っておこうか」と、家内に、振り返っても
らってカメラに収めた。

 やがて朝食が済むと、「希望される方には今からバスの出発前に、テカポ湖周辺の
ご案内を致します」という案内があってガイドさんに付いて行くことにする。
「善き羊飼いの教会です」と説明があり、内部に入って行くと外部からの見た目には
小さな教会だが、内部からの景色は大きく広がっており厳粛な空気が伝わってくる。
「きれいにしているわね」と家内が感動の声をあげる。たしかに、内部の掃除が行き
届いている。近くには犬の銅像が建っていた。

 ニュージーランドの犬たちは、羊たちの面倒を良くみる。犬たちの活躍が羊毛産業
を支えているといってもよいだろう。その中にあって銅像になっている忠犬はある時、
牧場主の危機を救ったのだという。



南島の屋根マウントクック

 雪をかぶったマウントクックの姿は、美しく、ずっと観ていても飽きが来ない。
ミセスCIA親娘は、バスの前列に陣取り娘さんが盛んにビデオで前方の風景を撮影
している。南島の屋根ともいわれているあのサザンアルプスの最高峰マウントクック
は、探検家キャプテン・クックの名前を記念して命名されたものである。しかしなが
らニュージーランドを三回も訪れたという英国の探検家キャプテン・クックは、この
秀麗な山を一度も見ていないのだという。

 ベンツ製の頑丈なバスは、全員にシートベルトを着用させて、制限速度なしの高速
運行で突っ走って行く。バスの進行方向の左手には秋の野原が一面に広がっている。
「春にはこの野原一面が花でいっぱいになります」というガイドさんの説明がある。
この野原で採れる蜂の巣は、そのまま、スライスされて、天然産の蜂蜜として売られ
ている。右手には湖が続いている。空が写っているような青さが印象的である。この
バスに地元の案内役として、同乗した日本人ガイドさんは、ニュージーランドが気に
入ってそのまま住みついてしまったというだけあって土地の事情に詳しい。

「皆さまの右手に見えております、この湖には、2メートル級のうなぎが棲んでおり
ます」、「ときには水を飲みにくる子羊を呑みこんでしまう」と、聞いておりますと
いう説明には思わず背筋が寒くなった。

 目の前にあるトンネルは最近の雪崩のときに大雪で埋まってしまい、ブルドーザー
で掘り出したのだという。ミセスCIA親娘が、「あっ、虹よ」といってビデオを
回している。地平線上に完全な形で跨ぐ虹を見たのは初めてのことであった。

 地元のガイドさんが、「虹はあちこちで頻繁に見られますよ」と説明している。
「このトンネルを抜けるとマウントクック村です」とガイドさんの案内がある。

 話題は変るがニュージーランドに来てから随所で環境保護への配慮を感じ取った。
例えば、ゴミ捨て用の袋には燃えやすく工夫された特別製のものを使い、公衆トイレ
においては、施設全体がステンレス製で建設されており、天上から一気に水が流れる
設計になっている。トイレ内の洗浄についても小まめに実施されている様子でトイレ
特有の異臭感はまったくないといって良い。

 ハイキングコースなども有名な景勝地を訪れる登山者は登録制になっていて登山者
に対しては登山をする上でのエチケットが、徹底されていて、厳格に守られていると
いう。マウントクック村に着いて、最初に目から入ってきた印象は、ゴミひとつない
清潔感であった。

 マウントクック村からの眺めは、マウントクックが目前に迫ってきて圧巻である。
標高が三七六四メートルもある最高峰は、最近の大きな雪崩で標高が変ってしまった
のだという。このマウントクックに、更に近づきたいという人のために、軽飛行機で
頂上付近の氷河に着陸する航空サービスが用意されている。

 「風の強いときに、飛行機に乗ると、機体がかなり大揺れしますよ」とガイドさん
から説明があったが、「私たち飛んで来るわ」とミセスCIA親娘と友人夫婦は一番
乗りの名乗りをあげる。さすがに、好奇心旺盛で反応も俊敏である。新婚夫婦も同行
するという。

 私が「どうする」と家内に聞くと、「私は子供たちをまだ育てきってないからやめ
ておくわ」と、云う返事が返ってきた。私と家内は、ミセスCIA親娘と新婚夫婦の
乗った軽飛行機が飛び立つのを見送ってから、レストランで昼食を取ることにした。

 昼食後には、マウントクックの風景を楽しむ場所が用意されており目の前の大き
なガラス窓にマウントクックの美しい風景が広がっている。

 外に出ると、弁護士さんご夫婦とお友達のご夫婦たちが、森の中を楽しそうに散策
していた。「森の中がどこに行ってもきれいですね」、「空気が澄んでいて、とても
気持ちが良いです」という会話が交わされ、バスが置いてある広場に戻ると、皆さん
が集まり始めていた。

 広場では、ミセスCIA親娘が盛んに、マウントクックの山頂付近の氷河への着陸
体験の感想を飛行機に搭乗できなかった人たちのために熱心に説明していた。

「飛行機は、揺れも少なくて氷河にはスムーズに着陸できたわ」
「思わずみんなで拍手したわよ」

 氷河に、自分の足で降り立ったときの感動は、素晴らしくて、忘れることのできない
体験だったと話をされているミセスCIAの目は、まるで幼児のように輝いていた。

「そういえば飛行機の車輪内側にソリを二つ付けていましたね」と私が口をはさむと、
「そうなのよ、ソリを使い上手に飛行機を滑らすのよね」
「名人クラスのパイロットだったわよ」と話は続く。

 ミセスCIA親娘の搭乗体験の報告も終わって、まだ、バスの発車までには時間が
あるので考えていると、「マウントクック村の国立公園事務所をのぞきましょうよ」
とミセスCIAが誘うので、丁度、そこに居合わせたツアー客が、ぞろぞろとミセス
CIA親娘に連なって公園事務所に向かった。

「サザンアルプスの全容は、三千メートルを越す高峰が二十七もある」と云う。
「氷河はというと、大小合わせて三百六十という規模」と、私が、声を出して読むと、
今度は家内が「この一帯は一億五千年前には海底であった」と声をあげて読み上げる。

 二人して、その地形の変わりように驚くばかりである。その後の激しい造山活動が
加わり、今日の姿になったというが、およその想像もつかないことである。

 国立公園内にはホテルが建っているが、過去に数回も雪崩によって建物が破壊され、
その都度再建を繰り返しているためホテル代は通常よりも割高でありという。公園内
から正面に見えるマウントクックは、サザンアルプスの最高峰であり南島の屋根とい
われている。

 その山岳美については、スイスのマッターホルンと比較されるようである。
マウントクックの景色をすっかり堪能した私と家内はバスに乗り込んだ。そしてバス
は今晩の宿泊地になっているクイーンズタウンに向かった。途中で立ち寄った果物屋
さんの前で、家内が興奮気味に声をあげた。

「あなた見てよ、店先がカラフルだわ」
「ニュージーランドの果物をここに全部集めていますという光景よ」
といって振り返った。

「あなた道路の向こう側を見て」
「ポプラ並木があんなにも続いて光に映えてきれいだわ」と、云うので振り返ると、
皆さんも気付いたらしくて感嘆の声が飛び交っていた。
「こんなにも綺麗なポプラ並木は初めてだね」と感激の声が飛び出し。
「まさに、黄金色の輝きとはこのことだね」という感想を口にすると周りでも皆さん
同じように感動の声をあげていた。

 店先で、皆さん、それぞれに旅の友に果物を買い込んでバスに乗り込むと、バスは
一挙にスピードを上げた。運転席のスピードメーターをのぞき込むと針は時速130
キロ程度の位置にあった。

 やがてバスがホテルに到着すると、ホテルの庭にも紅葉と黄葉が競うように景観を
成していた。夕食までに時間があるので、二人で散策に出かけると、目の前が開けた
景色になった。

「澄んだ空気」
「それに美しい山々が連なっているわ」
「ワカティプ湖は青い水色なのね」
「まるでお伽の世界のようね」
と家内は感動の言葉を連発している。

 この澄み切った風景は、四季を通して美しく変わって行くため、一年中、観光客の
途絶えることがないのだという。ホテルに戻ると、丁度、夕食の時間であった。

 夕食時に、翌日のミルフォードサウンドへの案内がツアーの女性コンダクターから
行われ、それぞれのテーブルで会話が弾んだ。「明日も、楽しみだわね」という言葉
を交わしてそれぞれの部屋に戻った。


ミルフォードサウンドの大滝

 翌日のミルフォードサウンドへのツアーは往復で六百キロ。なんと、信号が一つも
ないというドライブであった。まさにノンストップでかっとびの高速運転なのである。
ニュージーランドでも日本と同じく車は左側通行。日本と違うのは右折車が優先する
こと。市街地に限ってのみ制限速度がある。

 ミルフォードサウンドの港に着くとそれぞれにチケットが渡されて乗船した。
狭い渓谷を案内する船は、その一階が日本人。二階がイギリス人で満杯になった。
船が進んで行くと両側が岸壁になっていて、たくさんの滝が目に入ってくる。

 千メートルを越すといわれる絶壁は、けっして人を寄せ付けないような厳しい表情
を見せている。船内からは岩山がライオンに見えたり象に見えたりと、しばらくの間、
不思議な光景が続いた。

 天候は局地的に変化が激しく晴れたかと思うと雨や曇りに変わった。そしてあっと
いう間に晴れ間になる。湾内は寒帯らしくアザラシが岩の上で昼寝をしていた。

「滝また滝の圧巻だね」と感動しきりである。大きな滝の下で合羽を着て船首に立ち
記念写真に収まると、合羽姿に、弁護士さんのご夫婦が気付いてカメラを向けてくる。

 ミルフォードサウンドからの帰途は、バスの運転手さんの気遣いで時間的な余裕を
稼ぎ出してくれた。そして皆さんが寄りたいといっていたロブスターを養殖している
漁場にバスを廻してくれた。

 その夜は弁護士さんの友人のご夫婦が持ってきた外国でも使えるという電気コンロ
をホテルの部屋のコンセントにつなぎ、漁場で買ってきたロブスターをゆであげて、
皆んなでご馳走になった。この集まりは深夜まで続き満腹のお腹をかかえての談笑と
なった。

 翌日は、底冷えのする寒い朝であったが、朝食が済む頃には気温も上がり、ミセス
CIA親娘のお薦めのジェットボートに乗りに行くことになった。ジェットボートは、
水しぶきをあげて走り、岩や断崖の端が顔をかすめて行くスリル満点の迫力ある運転
で川をさかのぼって行く。それは船に乗っている全員が悲鳴も出ない迫力であった。

 その晩は、ジェットボートの迫力に圧倒されてすっかりお腹を空かせて、私と家内
は新婚組を誘って日本食を食べに行った。店の名前は、ニュージーランドの国旗にも
なっているサザンクロス(南十字星)で、私は寿司と天ぷらを気絶するほど食べた。

 食後は、家内の顔もほんのりと紅潮していた。
「よかったね」、「おいしかったわ」とあらためて合言葉を交わした。店の外に出る
と店先には大漁旗が飾ってあり、ローマ字で、MINAMI JYUJISEI と
刺繍されていた。

「店に入るときには気が付かなかったね」というと、
「だって全員が日本食に向けてまっしぐらでしたから」
と新婚組のお二人も加わって大笑いした。

 その晩は、四人とも用心して、ニュージーランドで買い込んだばかりのセーターを
着込んで出かけたため寒さ対策は万全であった。

 それでも外に出ると、さすがに外気は冷えきっていて、私はコートの襟を立てた。
この寒い夜におけるファッション指導は、家内によるお出かけ前のワンポイントアド
バイスであった。これがきっかけで、この旅では、皆んなが家内の指南をあてにする
ようになっていた。

 翌日は、クライストチャーチの空港に出て、そこから、オークランドに向けて飛ぶ
旅程になっている。

 飛行機の出発までにはまだ時間があるのでトイレに入ると、
「あれが、キウイ・ハズバンドの光景か」と自問した。

 このトイレの隅には、ほどよい広さの場所があり、男性は背負っていた赤ちゃんを
そこに寝かせると手際良くオムツを取り外して竹べらで赤ちゃんのウンチを取り除く
や俊敏にオムツを取り換えた。この良く働くニュージーランドの若旦那たちに敬意を
称して、キウイ・ハズバンドというのだという。

 この呼称は最初にクライストチャーチに着いて、カンタベリー博物館に入り、キウ
イバードの剥製を見て、そのときにキウイフルーツは、形がキウイバードに似ている
ことから、この名前がついたと聞き面白いと思った。

 このことを地元のガイドさんに話して・・・
「キウイフルーツの方が、どちらかというと、先かと思っていました」と感想を述べ
たところ、さらに面白い話を聞かせてくれたのであった。

「ニュージーランドでは、若い奥さま方に対して、優しい若旦那さまが多く、まめに
育児などを手伝う。このことを称してキウイ・ハズバンドというのですよ」と教えて
くれたのであった。実際に、キウイ・ハズバンドを目の当たりにして、現実に、存在
するのだと妙に納得した。


眼下に名門オールブラックスのグランド

 オークランドに着くと暖かな陽気で満開の薔薇に迎えられた。
南半球のニュージーランド北島に位置するオークランドは、南半球換算で考えると、
日本の東京とは対の位置に在り、昼間は半袖でも過ごせる秋の陽射しである。

 南島のクイーンズタウンではセーターを着ていても朝方の寒さがこたえたことが、
信じられないような温度差である。ただオークランドでも朝夕は上着が必要であり、
一日間での温度差は大きく、秋の陽射しの落差の大きさをあらためて感じた。

 太陽の陽射しがいっぱいの海沿いの景色は、特に素晴らしく、ここでは、高級住宅
が海岸線に沿って建てられている。やがて、海沿いからそれて丘の上に登って行くと
大きな公園に出た。

「あれが、ラグビー界の名門オールブラックスのホームグランドですよ」と、案内が
あって丘の上から食い入るように見た。広大なグランドである。あの試合に臨む前の
オールブラックス独特の民族の雄たけびのような踊りが目に浮かんでくる。

 オークランドの薔薇園の近くに建てられた郊外のホテルに泊まった翌朝は、当日の
行動が終日を通して自由行動ということなので、朝食をご一緒したミセスCIA親娘
と新婚組と私と家内の6人組で、オークランド観光に、出掛けようということになり、
具体的な行動計画がまとまった。

「タクシーで貸しきりの市内観光をしていただけるところを探しましょうよ」という
ことになり、ホテルで教えていただいたタクシー会社に電話をすると・・・

「人数が6名なので特別にランドクルーザー型の車でホテルまで迎えに来てくれる」
ということになり、しばらく待機していると、その車はトヨタ製であった。
全員が乗車してから、「今日は終日コースで市内観光をしたい」と、こちらの希望を
伝えると・・・

「私は地元出身なので、オークランドのワイン工場の経営者などとも幼友達です」
「他にも、知り合いが多いので、皆さんにとって、きっと、喜んでいただける楽しい
一日になることでしょう」といって目のくりくりとした運転手さんから、皆を喜ばせ
る言葉が発せられた。運転手さんは、かつてはセスナ機による観光飛行のパイロット
であったという。とても、陽気な方で楽しいドライブが予感された。

やがて、ズー・ロジカルガーデンに到着。名前の頭に、ズーと付くので動物園である。
「ここではキウイバードに対面できます」という説明が運転手さんからあった。鳥舎
の手前に詳しい説明書きがあった。「体長は三十センチくらいです。夜行性のために、
特別な鳥舎に入っております」、「キウイバードは、ニュージーランドの国鳥に指定
されています。キウイフルーツは形が、この鳥に似ていることから、キウイフルーツ
と名付けられました」、「この島には蛇が一匹もおりません」、「したがってキウイ
バードにとっては天敵のいない幸せな生活が続き、空中を飛ぶことを忘れました」、
「天敵がいないため、目もまた活発に動かす必要がなく視力も衰えて行きました」、
「このように、食べては、寝るの生活を繰り返していたために、くちばしのみが長く
伸びて、ずんぐりむっくりな体形になっていったのです」。

 概略の説明を聞いた後で鳥舎のなかの暗がりに目を凝らすと、私はそこに自分の姿
を見ている思いがしてきた。二年前に東京の大手町に新しいプロジェクトが発足して
私もメンバーとして参画。一年間その勤務が続いた。自宅からの通勤は片道で二時間
近くかかり、その間は電車で立ちっぱなしのため、それまで一時間以内の通勤に慣れ
ていた私にはこたえた。

 週末には必ず続けていたテニスもやめてしまった。私は、週末の休日を家で過ごす
ことが多くなり、子供たちから「お父さん、あれ食べる。これ食べる」と差し入れが
あり食いしん坊の私は、これを片っ端から食べていた。

 プロジェクトが一年間で終了してからもこの生活習慣が続いていた。同僚たちから
は、「幸せ太りですね」と冷やかされた。結果、体重が10キロも増えた。スーツ類
のズボンのウェストは寸法直しを二回も行った。この時点では、体重は5キロ増えた
だけであった。

「ズボンの寸法直しは、これで目一杯ですよ」と洋服屋さんに云われた。それがまた
しても10キロまで増えたのである。なんと、ワイシャツのボタンが弾け飛んだ。
ズボンのお尻の縫い目が朝の体操のときに裂けた。とうとう、スーツ類は仕立て直す
羽目に陥った。

「ニュージーランドのキウイバードを見て、我がふり直せだよね」と自問した、私は、
これをきっかけにして、日常の生活習慣を大転換することになるのである。


キウイバードの姿を見てダイエット開始【後日談】

 日本に帰ってからのことであるが、飼犬を買い求めてシェリーと命名。この出会い
が、私の生活習慣を変えて、飼犬との日々の散歩が効き、体重を一挙に、5キロ軽減
させて、肝機能も回復。健康診断において正常復帰が確認された。

 ただ、そのときの速歩きに懲りたせいか、その後は、飼犬が、しばらくの間は私の
顔を見ると散歩に行きたがらなくなった。飼犬にしてみれば子犬のときにはまだ訳も
分からずに、私と嬉しそうに歩いていたが、やがて家内との散歩によって・・・

「自分のペースで歩ける楽しさを知る」ことになり、ノンストップの私との遠乗りは、
御免こうむりたいということになったのであろうと考える。



ニュージーランドの水族館

 その後は、また、大型タクシーに乗り込み水族館へと向かった。
「大きな水槽の下を、人間が通り抜けられるようになっているのね」
「これは、トンネル構造になっていて、通路は自走式になっているよ」
「わっすごい、鮫が頭の上をゆうゆうと泳いでいるわ」と歓声をあげる。

 展示場所には鮫が口を開けた時の状態が標本にして飾ってある。鮫の歯は三角形に
なっていて、これで噛まれたらひとたまりもないことが良く理解できた。

 次の見学コースはオークランド博物館。元セスナのパイロットらしく三階には零戦
が展示してあるという説明を加えて、私の方に顔を向けてきたので・・・

「ニュージーランドに零戦ですか」と私は反応した。
展示会場で零戦は軍事品コーナーに場所を確保して、ほぼ、完全な状態で保存されて
いた。私は、実戦に使われたことのある零戦を見たのは初めてのことである。

 ここに零戦が展示されているということは、われわれ日本人が戦後の経過とともに
戦争の記憶を風化させても、地球の反対側で零戦が展示されている限り・・・
「日本にとっての戦後」は、永久に続いて行くということである。階段を下って一階
に出ると、博物館の一階にはマオリ族の戦闘用カヌーが展示されていた。

 博物館を出ると、皆んなの顔に秋の陽射しが強く差し込んできた。オークランドで
の観光ツアーを終わり、博物館の前で揃っての記念撮影は、セスナの元パイロットが
シャッターを押した。博物館の外観は古典的な印象であった。


身体の中心から善循環エンジン始動

 翌日の日本に向けたフライトは、天候にも恵まれて視界も良好で、機内から窓の下
をのぞくと海上をゆったりと進むタンカーが見えた。

「はるか上空からの眺めなのに、タンカーが大きく見えるわね」といって、家内は、
タンカーの大きさに素直に驚いていた。

 今回のニュージーランドの旅では、多くの年長の方々から大いなるパワーをいただ
くことになり、お互いに、「共通の将来展望」を描くことが出来た。

 そして、ニュージーランド旅行からの帰途、機内で、家内から思いがけない言葉が
飛び出す・・・

「あの元気いっぱいの奥さんたちの好奇心や行動力に触れて感じたのは自分たち向け
の投資がもっと必要ということね」という感想であった。

 そして、帰宅してから間もなくのことである・・・

「あなた、これで思いっきり、自分のやりたいと思うことをやってみたら」
と家計費から現金で百万円が渡された。私は、一瞬戸惑ったが、これが、すべての
善循環の始まりであったような気がする。

 私は早速・・・

「これからは自宅にも、必ず、電子機器を活用した情報化の波が押し寄せてくる」と
考えてパソコンを購入した。そして、社内で、推進役を担っている業務革新の対象が
企業経営の領域に入ってきたことから、企業経営や企業革新のための教材などを総量
にして、大きなダンボール箱で二箱ほど購入。ビデオとテープ教材を伴ったテキスト
を活用して土曜・日曜などの休日を活用しながら、猛烈な勢いで勉強を始めた。

 そして前述のように、改めて、自分としての専門性ということを考えた時に・・・

 自分にとっての専門性は「T型の専門性を身に付けることが有用な方策ではないか」
と考えた。即ち、幅広の経営戦略の基礎を身に付けて、自分で、今、活躍している管理
工学(IE)の実践をさらに深く掘り下げて行く。

 そして、ある程度の実績を積み重ねた時点で、もう一つの専門分野を開拓して、
「兀型の専門性」に発展させて行く。

「それは将来に向けて布石を打つことになるのか?」

 私は、この考え方で準備が出来れば、盤石の構えで準備が出来ると確信した。
現に、管理工学(IE)の分野では、他社との異業種交流の場で、お互いの事業所や
工場訪問をして現地・現場での実践交流にも参加しており管理工学(IE)の専門職
として他社においても通用する手応えを感じ取っている。

 そして外部に向けた講師としての経験では、日本IE協会の推薦で日本生産性本部
が主催する「生産性の船」にも講師として約2週間の乗船経験があり、中部IE協会
では名古屋において、自ら、開拓した独自のIE技法であるところの「ビデオIE」
を駆使した工場革新の事例などを紹介する講演を経験しておりT型の専門性における
深堀の分野では実績も重ねてきている。

 さらに、これを「兀型の専門性」に発展させて行くための「もう一つの専門性」の
深堀分野開拓として、社会人向けに公開されている放送大学に入学して「心理学」を
専攻することにした。

 ただし、この場合は文部省認可の大学であり、単位認定試験などを伴う学習となる
ため、学習時間の確保など、家内の協力も必要になって来るので、よくよく相談の上
での決心となった。ただし、これも趣味の俳句の分野で心理学に学ぶことの興味から
日常的に学習を先行させて来ているので負担感もなく学びを共有することができた。

 幅広の「経営戦略の基礎」の習得については・・・

 家内から「これからの企業人は自分自身に向けた資金投資も必要になってくる」と、
云う励ましと応援により、前述の通り教材を購入したのであるが、プレジデント社が
発刊している「経営大学院(商品名)」全25巻は、学ぶほど、手応えを感じること
のできるカリキュラム構成であった。また、特典として、前述したことがある作家:
童門冬二先生の講演への招待券が付いていた。

 これによって「兀型の専門性」習得のための学習教材と学習環境は、ほぼ整った。
そして、それからの猛勉強は久々のものであり、帰宅後の深夜および休日は、学習
また学習と云う日々を過ごすことになった。

 私にとって、これらの学習は、やがて実践経験を経て、血肉となって行った。

 ここに、社内コンサルタントの誕生である。

 同時に、これは近い将来に向けた「生涯学習」の始まりであった。今でも、記憶が
鮮明であるが、ニュージーランド旅行に使用した海外旅行用のカバンのキーナンバー
は、「450」である。これは、家内が45歳、私が50歳であることを基に決めた
暗証番号である。時は西暦「1992年」であり、私が「2000年」問題がらみで
技術情報管理のデータセンター構築に取り組むことになる8年前のことである。

 まさに、この時を境にして、私の身体の中心から善循環エンジンが回り始めた自覚
がある。その後の「T&Kのついの棲家Ⅱ」の具現化における資金計画においても、
家内の内助の功に対しては、大いに感謝するものがある。



鳥の眼で見る豊洲市場の世界


 飛べる鳥になった私は「鳥の眼」で物事を判断出来るようになった。

 全社的に業務革新の旗振りをすることになった私は、既に組織として成熟した就業
環境の中にあって、日常業務を革新して行くことの難しさを痛切に感じ取った。

 成熟した環境の中で、業務革新を具現化して行く難しさの特徴としては・・・

「総論賛成であっても、各論に入って行くと、賛否が拮抗して来る」

「その比率は、例えば、賛成が50.1%で、反対が49.9%という拮抗である」

「しかし、納得が得られて、業務革新が進み・実現すれば、賛成派は90%を越える
ケースが多い。しかし、強引に進めれば業務革新の途上で頓挫するケースも多い」

 私が実際に50歳から55歳のオレンジエイジ後半の時代に実行出来た具体例は、
シルバーエイジの物語に概要を掲載したので、ここでは省略するが、また別の視点
からの記述に気付いた時には後述することにする。

 それでは、鳥の眼で、今、世情の重要課題であるところの「豊洲問題」を考えて
みることにしよう・・・

 最近の専門家会議の説明会における紛糾と、もう一方のプロジェクトにおける
築地案の計画概要を拝聴していて、気付いたことがある。

 豊洲問題の「最終案の概略の方向性が見えたな!」という印象である。

 それは、東京都知事に「アドバンテージの旗が挙がったな!」という印象である。

 場違いを承知で、テニスの試合を例に挙げれば接戦を繰り返してジュースを繰り
返し、今、東京都知事にアドバンテージの判定が下され、後、1ポイントで勝利が
確定という状況と推察する。

 それは何を意味するか・・・

「豊洲市場の地下における環境基準が所期の設定値を達成した時点で築地からの移転
を速やかに実行する(これは極めてシンプルな答えであり、原点回帰と云える)」

「専門家会議は、この所期の基準値達成に向けて、人材を募り施策を練る」

  または、

「所期の基準値達成に向けた技術コンペで施策を公募して、実行計画を練り上げる」

 東京都知事としては、この「究極の基本方針」を改めて示すことで・・・

   すべての方向性は決まってくる(ここに妥協の余地はない)。

 そして、その費用は、今までに費やした費用とこれから必要な費用のすべてを築地
の新しい創業プランで賄って行く。

 例えば、プロジェクトが掲げた築地における超高層のツインタワーもしかり、そこ
に超高層の駐車タワーの建設を加え、築地ブランドとして豊洲市場から仕入れた食材
をフードセンターで扱って行く(築地ファンの囲い込み作戦)。

 また、物流センターとの融合で、豊洲と築地の連携を視野に入れ、インターネット
を活用して、365日24時間の販売体制を創って行く。

 要は、豊洲の減価償却を築地においても、共に、背負って築地&豊洲連合で収益を
上げて行く収益構造を創成して行く。

 この構想の根拠は、先日の専門家会議の説明会における紛糾の中で「安心の基準」
が明確に見えたと云うことである。築地の現場で、市場を知り尽くした専門職の叫び
は第六感に通じるものがあり、ここを論拠に、ことを進めることが肝心である。

 振り返ってみれば、その「安心基準」とは、所期の環境基準の達成である。

 当初、豊洲市場を築地の移転先として決定、計画を進める過程で、新しい環境基準
が示され、当時の情況としては、築地からの移転先として「豊洲を選択」することに、
二の足を踏まざるを得ない事態に直面した。

 しかし、当時の解決策として、盛り土をすることで、環境基準を達成できるという
見通しを建て、付帯条件を付与して、その盛土による実行案によって、市場関係者に
向けて「安心」を担保した。

 この場合に、形式上、付帯条件とは云え、「安心」を担保した意味合いは大きい。

 先日の専門家会議の説明会において「無害化が保障出来ない」と云う発言に対して
市場関係者が大反発したが、これは「正常な判断」からのものであり、ここに、皆が
忘れていた大いなる気付きを改めて喚起したと云うことである。

 最近の風潮として、地上と地下は分けて考える必要があり、地上では地下水は使用
しないので安全であると説明しているが・・・

 この論理が、今になって、まかり通るのであれば、盛り土を施工する前の付帯条件
としての「安心」の担保はなんであったのか、話は振り出しに戻ることになる。

 今になって、無害化が保証できないのであれば、原点に立ち返って、計画そのもの
が「無」になることを意味する。

 専門家会議の存在は、無害化が出来ないことを判定する立場ではなく、技術力を
結集して無害化を実現する組織体に脱皮する必要がある。

「脱皮できない蛇は死ぬ」という名言があるが、専門家会議に、死んでもらっては
困るのである。おそらく、現状における専門家会議の見通しとしては・・・

 百年を見通しても、無害化は無理と判断したのであろうが、地下の環境基準につい
て所期の目標を達成することについても、また地下と地上の遮断(シールド)に関し
ても、例えば、日本の技術力は原子力の放射能さえも遮蔽する技術力を有している。

 ここは、異業種の技術力を活用しても、無害化の道を探ることが、今、王道ではな
いかと考える。

 ハンブルグのエルベ川に、世界初の海底トンネルを作った技術者のことを思い出し
て欲しい。初めは無理と思ったことを彼らはやり遂げた。日本の技術者集団をして、
豊洲市場の無害化が出来ない訳はないと考えるほうが妥当ではなかろうか?


鳥の眼・魚の眼・虫の眼からの考察(視点を変えて考えてみる)

◇鳥の眼で、東京市場を観たときに、豊洲市場の新たな買い手を見つけるよりも、
 築地市場の買い手を見つけるほうが、顧客は見つけやすい。収益源として開発
 を計画する場合も、築地の方が再開発の立地条件としては有利である。

◇魚の眼で、東京市場を観たときに、根強い築地ファンには、築地と豊洲を自由
 に泳ぎ回っていただく環境を用意することが得策である。

◇虫の眼で、東京市場を観たときに、豊洲にせよ・築地にせよ、ここで、所期の
 環境基準を達成できる技術力を確立することは将来に向けても有益である。
(あらゆる場面で、これからの環境基準の達成は、避けて通れない道である)。



因幡の素兎(いなばのしろうさぎ)

 豊洲市場の課題は、技術的な問題解決の領域から、既に顧客心理を中心に見据えた
マーケティングの領域に入り込んで来ている。

 心理学者のユング博士は、世の中に解決策が見いだせないことでも、神話の世界に
おいて、その答えを見つけることが出来る可能性があると云っている。

 豊洲問題の実情を神話の世界に、手繰ったときに、古事記に記された物語で、私も
子供の頃に、父親から教わった「いなばのしろうさぎ」の話を思い出した。

 素兎(しろうさぎ)に、当時の情況を聞いてみることにしよう・・・

「わたしは、実は、沖の島に住んでいたのですが、この本州の地に渡ろうと思いまし
たのに、渡るすべがありませんでした。

 そこで、海の鮫を騙して、『おれとおまえと競争して、どちらの種族が多いかを
数えたいと思うがどうか。それで、おまえは、自分の種族のすべてを連れて来て、
この沖の島から気多の岬まで一列に並ばせろ。

 そしたら、おれは、おまえたちの背中を踏んで走りながら数を数えることにしよう。
こうすれば、おれの種族とおまえの種族のどちらが多いかを知ることができるだろう』
といいました。

 鮫は、わたしの言葉に騙されて一列に並びましたので、わたしは、その上を踏んで
行き、一つ二つと数えて、いましもこの地に着こうとするときに・・・

 わたしは、ついうっかりと口がすべって、『おまえは私に騙されたのだ』といって
しまいました。

 いいおわろうとするやいなや、一番端にいた鮫がわたしを捕まえて、すっかり、
わたしの着物をはぎ取ってしまいました。

 そういうわけで、泣き悲しんでいましたところ、あなたの先に行かれた兄弟の神々
が、『海水を浴びて、風に吹かれて寝ておれ』と教えて下さったので、その教えのよ
うにしていますと、わたしの身体はすっかり損なわれてしまったのです」

 その話を聞いて、大穴牟遅神(おおなむちのかみ)は、兎に教えておっしゃった。

「いま、急いで、この川口に行って、川の水でおまえの身体を洗うがよい。そして、
すぐに、その川口の蒲の花粉を取り、敷き散らして、その上に寝転がるがよい。
そうすると、おまえの身体は、もとの肌のように、かならず、なおるであろう」

 そこで、兎は、その教え通りにすると、その身体はもとの通りになった。

(この記述は、現代語訳「日本の古典」の『古事記』梅原 猛著から抜粋している)



豊洲市場までは、あと一歩で渡りきれたのに、残念

 豊洲市場を計画・推進していた人たちにしてみれば・・・

「豊洲市場も、あと一歩で、移転を完了することが出来たのに!」という思いが強い
ことであろうと推察する。

 しかし、都民からの圧倒的な支持で当選した新しい知事が、この移転を延期した。

 この知事による「移転延期の決断」は、実に、的確なものであったと考える。
(いざとなったら、的確に勇断する、知事の存在感には都民からの信頼感が伴う)

 私は、企業人として、管理工学(IE)の実践で長年にわたって飯を食ってきた。

 企業における管理工学(IE)の実践においては、トヨタの生産方式が、世界を
リードする形で多くの実績を世界中に残して来ている。

 彼らの生産方式における原則は、「生産の流れにおいて不適合が発生したときには、
その場で、即、生産を止めて、関係者が集合、先ずは現場で現実的に起きている事実
を把握、原因が明らかになるまでは、生産は再開しない、原因が明らかになり、対策
の有効性が確認されて、はじめて生産を再開する」

 築地から豊洲への移転を延期した知事の決断は、その先を行っている。

「つまり、土壌の環境基準に向けた最終検査の結果が判明しない時点での移転決定を
阻止したのである。この先走りの時間軸的な矛盾点に気付いたのは、新知事ならでは
の聡明さだったのではないか?

 この時間軸的な矛盾点については、多くの仮説を立てることができるが、このこと
を証拠を挙げて、実際に証明することは難しい。

いなばのしろうさぎの油断・・・

「わたしは、ついうっかりと口がすべって、『おまえは私に騙されたのだ』といって
しまいました」の場合は、嬉しさのあまり思わず口から出た言葉が命取りとなった。

 豊洲の移転時期を最終検査前に決めた時間軸的な矛盾点も、しろうさぎの失言に
情況的には似ているが、これも証明できるまでの根拠を挙げることは難しい。
(しかし組織的・構造的な矛盾点として、仮説的に、あぶりだすことはできる)。

 それでは、豊洲問題のケースでは、しろうさぎに匹敵する人物は誰か?

「それは、明らかに、特定の個人ではない?」と推察できるが決め手はない。

「前任の知事群そして都議会・都庁の職員の巨大な集合体が、しろうさぎとして
機能集団的に該当してくる可能性は否定できない?」が確かな推測を可能にする
手だてには、あまりにも材料だてが足りない。

「そのように考えると、現在、行われている百条委員会も茶番劇的?」であって、
「都議会の立場も、今まで、豊洲計画を認可して一緒に推進してきた当事者同士
であり、特定の個人を責め立てる立場にあるのか?」と云う疑問も生じてくる。

「あくまでも、黒白を明確にしたいなら、法の世界に委ねる必要がある」

 話題は変わるが、

 現在も、豊洲への移転について、早急な政治決断を求める声が聴かれるが・・・

「後先も考えず、豊洲への移転さえ、早急に実行させてしまえば、後は、市場関係者
の責任であって、結果、技術面の安全性よりも、顧客心理的なマーケティングの作用
で、安心感への懸念から、顧客離れが起きても、それは市場者責任!」

「これは、かつて政治判断によって、日本航空の株式が、株主責任という括り方で、
事実上、株券が電子上で紙くずにされた事態に似ていないか?」

 政治決断という言葉には、いつの時代も、非情さが伴う・・・

 築地の市場関係者は、肌感覚で、「このことが分かっているので」・・・
先日の検討会において明確な反論の意思表示をしたものと考えることが出来る。
(日本航空の株式の紙くず化の際は意思表示の機会さえ与えられなかった)

 ここは、ひとつ、総合的なマーケティングも視野にいれた都知事の「エキセレント
プラン」に期待するのが、一番の選択肢のようである。



鳥の眼で進める俊敏な豊洲&築地市場の創成


 飛べる鳥になって「鳥の眼」で物事を判断できるようになった私は時間軸としての
遠くも・近くも・観ることが可能になった。

 同時に、豊洲市場への迅速な移転と、築地市場の俊敏な再構築を実現するためには
粘り強い「強い頭」の発想も合わせて必要になってくる。

 都知事主導による「市場のあり方戦略本部」の議論を踏まえて「今後の方向性」が
見えてきて、15日の新聞記事で紹介されている「豊洲には来年5月移転」について
市場の関係者と、近々、話し合う場面が、具体化してくるようであれば・・・

「短期目標として早急に実行すること」

  および

「中長期目標として継続的に実行すること」

を明確に分けて推進して行く必要がある。



【短期目標として早急に実行すること】 

 豊洲市場の安全性については保証されたので、後は、安心の確保である。
安心の確保にも二つある。

 一つ目は、顧客に向けての安心感の確保である。これについては地下のポンプ性能
の向上により、環境基準に近づけるための継続的な取り組みが明確に示された。
(この問題解決は中長期的な継続課題と成って行く可能性もある)。

 二つ目は、市場関係者自身の安心感の確保である。即ち豊洲に移転して、自分たち
の業務(作業)が安心して行える作業環境や段取りになっているか?

 二つ目の課題は、市場関係者自身が、来年5月の移転予定まで待つことなく、今の
時点から、豊洲市場に出向いて、現地で実験的に試行できる。

 そのためには・・・

【先ずは、市場関係者と都職員による引っ越しプロジェクトを結成】

 豊洲市場への移転に当たっての事前の実験(シミュレーション)は、市場関係者の
代表意見を積極的に取り入れて、都職員は、これを実現させる。結果、不適合などが
あれば、実際の大移動の前に問題点を解決するための対策を取っておく。
(そのためには、引っ越し前の合同プロジェクトは必須である)。


【地下空間に向けた抜本的な対策の在り方】

 ここで環境基準に向けた付帯条件の達成に向けて市場関係者が現状の計画に対して
必ずしも納得しているとは考えられない。

 これは、中長期的な問題の性格を有しており、これを実地の場で、完全にクリアー
してからの豊洲への移転となると、現時点においては、見通しは建たないことになる
ので、現状で引っ越しの行い易い時期として来年5月を選択したことは賢明である。

 その上で、環境基準の付帯条件達成に向けて、中長期的に取り組むという考え方は
現実的な思考と云える(この論拠は安全性は確保されていると云う前提にある)。

 また、計画の内容についても、ポンプ性能の向上策については、誰しも異論のない
ところであり、躊躇なく、ドンドン進める必要がある。

 一方の地下空間におけるシート材またはコンクリートによる遮蔽については、まだ
実証実験なども行われておらず、多額かつ長期間を要することから、中長期の課題と
して、その効果を慎重に精査する必要がある。


【設計的アプローチと実験的アプローチの勧め】

 通常、物事を進めるには、「設計的アプローチ」と「実験的アプローチ」および
「分析的アプローチ」を適時・適切に組み合わせて計画推進すると上手く行く。

 現行の地下空間に向けた、遮蔽シートとコンクリートなど(40億円~95億円)
による「遮断方式」は分析的アプローチによるものである。これは「虫の眼」的な
対策であり、物事の完遂までには長期間(8か月~1年10か月)を要する。

 そこで抜本策として、今回の豊洲への移転計画に際しては「設計的アプローチ」
で事に当たることを勧める。

 この場合に、最初のステップでは、最も理想的な思考方法を想定する


【最も理想的な姿としての豊洲市場の在り方】

 これは、今更、実現は無理であるが、豊洲市場の敷地一面に盛土を隈なく施工して、
建屋は高床式にして地上と地下の接触を断つ。その上で地下の浄化を継続的に進める。

 しかしながら、現実には、建屋には地下空間が存在するために、地上と地下の間に
おいて、空気などが流通する共有空間が出来てしまっている。

【理想に近づける方法】

 現状の建設が完了した豊洲市場において、最も理想とする在り方に近づけるために、
地上と地下を分かりやすい形で分離することは可能である。

 即ち建屋の側から、一階のフロア―レベルにおいて、地下とは遮断する形態を造る。
(地下空間は設備類のメンテナンス空間として、盛り土と共に、地下に扱いを移す)。

 これを実現させるためには、地上から地下空間に通じる場所は、空気の流通を遮断
する。その具現化のためには、潜水艦や宇宙基地のハッチの構造を簡略にしたもので
出入り口を封鎖できる構造にする(この方法なら、来年5月には間に合う)。

 この方法を採用する場合に・・・

「現在、計画されている地下空間のシート材やコンクリートによる遮蔽工事を省く
ことができるか?」

「最低限、コンクリートによる遮蔽だけは必要になるのか?」

「やはり、シート材とコンクリートによる徹底した遮蔽が必要になるのか?」

・・・などは、専門家による審査・検討が必要になってくる。

「併せて、潜水艦や宇宙基地のハッチ構造を採用する場合に、豊洲への移転よりも
先行させて、ハッチ構造の設計と施工は並行的に進めることでよいのか?」
市場関係者と都の職員による合同プロジェクトにおいて検討が必要である。


【地下ポンプ性能の向上は継続的な実験課題】

 地下のポンプ性能の向上を図り、地下の環境基準を目標に向けて継続的に達成させ
て行く努力は、「実験的アプローチ」であり、環境基準の達成に向けて限りなき探求
を継続的に進めることになる。

(仮に、地下空間への重機などの搬入が行える建屋外からの搬入口が設けられている
のであれば、地下空間への出入りは、この搬入口を積極的に活用する方法もある)。

 いずれにしても、ここで、豊洲市場への移転の目途がついてきたことは、話が振り
出しに戻ったことを意味するものではない。

 それは、PLAN(計画する)・DO(実行する)・CHECK(点検する・そして・必要
なら止める)・ACTION(必要な対策を決めて・実行する)の行政の運営サイクルを
経たものであり、行政の品質の管理サイクルをスカイラルアップさせた結果と云える。


【築地の再構築】

 豊洲市場への移転が迅速に実行できれば、それだけ築地の再構築も俊敏に実行可能
となる。豊洲市場における建設費・計画外の費用および豊洲の諸設備を維持管理して
行くための減価償却などの費用は、築地における収益源を中心に賄うこととするが、

 この場合に、収支のバランスを取るまでには、長期間を要するので「築地ファンド」
を組んで資金調達をする方法もある。築地市場なら知名度は国際的なので世界中から
の資金調達は可能である。

 この場合には、金融市場のプロ集団の力を借りるほうが、失敗のリスクは減らせる。

 また、築地の再構築に際しては、二つの機能を計画として盛り込む必要がある。

◇築地から豊洲に移転を果たした場合に約束している「大駐車場」としての役割および
「オリンピック道路の確保」である。

◇大駐車場については、オリンピック開催に向けて、大型バスおよび乗用車を合わせて
 約6千台収容できる超高層立体駐車タワーの建設を計画。オリンピック後の利用につ
 いては都内の駐車場不足を一気に解決、観光バスの駐車センターとしても役立てる。

◇この役割を果たした上で、残された土地の活用により、さらに、収益源としての増収
計画を考えて行く必要がある。

 再構築の在り方については、概略を前述してきているので説明を省くが限られた土地
の有効活用という着眼から「高層化」は避けられない方策である。

 まさに大駐車場の土地利用については、超高層化した駐車タワーの成功が利用できる
土地面積の拡大化につながると云える。
(それだけに、豊洲と築地市場における機能の重複は、許されないことと云える)。

【民営化の模索】

 築地ファンドとして資金調達を計画する場合に、これから15年~25年先には、
収支を黒字化する、あるいは黒字化の時期を明確に示す必要があり、現状で、最も
懸念されている財務的な抜本策については、民営化も有力な経営革新策である。

 ここで、一つのモデルプランを「概略」想定してみることにしよう・・・

◇ 株式会社「築地(TSUKIJI)」として・・・
例えば、「本社機能」「不動産事業部門」「観光事業部門」「販売促進部門」および
「豊洲物流センター」による構成とする。

◇ 本社機能は豊洲物流センター内に置く(即、開設・稼働が可能と考える)。

◇ 不動産事業部門は「超高層のオフィスビルの運営」「超高層の駐車タワーの運営」
 などを担う。

◇ 観光事業部門は「築地の食の文化」を中心に据えて様々なイベントなどを仕掛けて
 日本中・世界中の顧客を築地に呼び込む(豊洲のセリの映像なども実況中継)。

◇ 販売促進部門は、インターネットによる365日24時間体制でのインターネット
 販売や全国の地方市場からの荷扱い(荷捌き)の請負や国策としての大震災発生時の
 緊急食材の備蓄などを含めて、全国から注文を集めまくる。
(世界と日本の食の流通形態を刷新する心構えで株式会社「築地(TSUKIJI)」を盛り
 立てる新しさを常に追求して行く)。



鳥の眼を鍛えるにはクラシック音楽

 テニスクラブに向かう車内で、クラシック音楽に耳を傾けながら、最近あらためて
大注目を集めている「豊洲・築地市場」の問題について、我々が、知らされていない
実情について、読売新聞(6月21日朝刊)に丁寧な説明が記されていた。

 テレビ報道では仲卸業者の方々が、豊洲に移転後、オリンピックの終了後に再構築
される築地市場に戻ることが出来るよう配慮するとの都知事のコメントがあり・・・

「仲卸業者の方々も、行ったり来たり、たいへんだな~」と考えたり、

「市場関係者の間で、豊洲と築地に、どのように棲み分けるのだろう~」などと心配
したりしていたが、この問題は、別な処で解決の見通しが用意されていることを知り
少しは安心した。

 この安心は・・・

「既に、中央区が仲卸業者らが集まれる『築地魚河岸』を現在の築地市場の隣に整備
しており、近々の豊洲への移転の際には、この魚河岸へ移転する仲卸業者は確定する
ので、築地の再開発が基本方針として示されたからには、将来的に、築地魚河岸との
調整の必要性はあったとしても、わざわざ豊洲に移転して、築地に戻る必要は少なく
市場関係者の棲み分けは、豊洲移転時にほぼ見通しがつくと考えてよさそうである」
 
 そのようなことを考えているうちに車はサイボクの脇を通り過ぎた・・・

 サイボクハムの脇を通り越すと、約5分で、P&Pテニスクラブに到着、先ず最初
に行うことは、更衣室で膝サポートを装着することである。

 ゴールデンエイジにとって、テニスはけっこう激しい運動であり膝関節を痛めない
ためには、正しい膝関節の状態を保って走り廻る工夫が必要になって来る。更衣室に
入るとクラシック音楽が流れていた。

 私も時間に余裕があるときには、クラシック音楽を聴いてから、テニス場に向かう。
これは、クラシック音楽を聴くことで右脳が刺激されて、鳥の眼の感性が鍛えられる
ことを狙っており、テニスコートを上空から観て戦う感覚が磨かれるからである。

 テニスクラブの更衣室に、クラシック音楽が流されているのは、右脳を訓練すると
云う配慮からだろうか?

「右脳を刺激することは、鳥の眼を鍛えることにつながると云われている」。

 私は、テニスの実践ゲームにおいて、「鳥の眼」で戦うことを心掛けている。
地元のテニス練習においても、私は「五次元テニス」という呼称で鳥の眼で戦うため
の練習方法を採りいれて、チーム・メンバーに紹介している。

 この五次元テニスにおいては、自分自身の背骨の軸を垂直に保って練習することが
重要であり、この姿勢をテニスの練習中にも意識するためには、放送大学の面接授業
で学んだ「姿勢と健康」から、『キャットレッチ体操』が応用できると確信した。

 キャットレッチ体操には解説が必要である・・・ 

 キャットは猫であり、猫背にならないための体操である。具体的には、背筋を伸ば
して立ち、肩胛骨を寄せながら息を吸い込む、そして息を吐きながら姿勢を元に戻す。
これを三回繰り返して腕を旋回させる。この一連の動作でテニスの基本姿勢が出来る。

 そして、五次元テニスでは、テニスボールをゆっくりと打ち合う。鳥の眼でテニス
を楽しむので、ボールを打つ時には、自分の目線を上空に置く。

 若い時のテニスのようにネット越しに相手を見据えて、勝負を挑むテニススタイル
とはだいぶ違う。

 私は、地元でのテニス愛好クラブの名称をL&Lテニスクラブと略称で呼んでいる。
これは、ロウ・ストレス&ロング・ライフ・テニスクラブの略称である。

 具体的にはゆっくりとしたボールを相手の打ちやすいところに打ち、お互いの立ち
位置は、テニスコート中央部のサービスライン上でダブルスの並行陣の構えを心掛け、
お互いにストレスを感じさせないテニスで、ゆるやかな目標としては、「生かされて
白寿までテニスを続けようよ!」というテニス愛好クラブである。

 そうは云うものの、あくまでもテニスの実戦ゲームであるので、ゆるやかなボール
打ちでも、相手をやっつけることを考える。

 ゆるやかにやっつけるにもポイントがある。それが「五次元テニス」である・・・

◇ 一次元では、縦方向に、時には長く、時には短いボールで相手を走らせる。

◇ 二次元では、横方向にボールを配給する。

 例えば、相手に気持ち良くボールを打たせておいて、次に、センターセオリーなど
と云ってコートの中央部を狙い、ダブルスの相手の二人の間を抜くようにして、二人
にお見合いをさせる。したがって、ゆるいボールで充分である。

◇ 三次元では、高低差を使う。

 これも相手に気持ち良く打たせておいて、次に、相手の頭を越える高さのボールを
 打ちあげたり、足元を狙って低いボールを打つ。
(五次元テニスは、けっこう、意地悪な面を持ち合わせている)。

◇ 四次元では、ボールの打ち方に、少し緩急を加える。

 ゆっくろと打ったり、少しスライスをかけたり、相手が打つときのタイミングに
 変化を与えて行く(そんなに強打をする必要はない)。

◇ 五次元では、フェイント(騙しの術)を使う。

 これはなかなかに難しい。例えば、右に打つ姿勢をとりながらボールを左に打つ。
 この場合には、左方向を見ないで打つので、繰り返しの練習を重ねて行かないと
 自分からミスを重ねることになる(相手の隙を狙うので強打は厳禁である)。

 かくのごとく、鳥の眼でテニスをすると、楽しいテニスになるので、健康寿命を
延ばすことにもつながるのではないかと考えている。

 話は変わるが・・・

 ジェット戦闘機のパイロットは、鳥の眼に、より近い感覚を持っていると云う。
ジェット旅客機の操縦士や副操縦士も同じである。

 鳥の眼とは、云い換えれば「優れたパターン認識」である。
パターン認識を行う場合に、最も使う器官は眼であり、同時に、パターン認識の能力
は右脳だけに偏在すると云う。

 一方で、音楽の世界に目を向けると、和楽器の三味線や琴などの音は左脳に入り、
バイオリンやビオラ、フルート、ハープの音などは右脳に入ることが知られている。

 この記事は「日本人の脳」の著者である角田忠信氏の対談における話題からの引用
であるが、角田氏は・・・

「右脳の機能アップには西洋音楽が好ましく、クラシック音楽が右脳を鍛えると云う
根拠は、角田氏による実験結果に根拠を置いている」

 クラシック音楽が右脳を鍛えて、右脳とパターン認識の器官である眼とのつながり
によって、さらに「鳥の眼」を鍛える。

 このプロセスには、専門書をさらに紐解き、深堀りを重ねて研究してみたいと思う
意欲を掻き立てるものがある。
(この記事はテキスト「パラダイム・ショックへの対応」から抜粋)。

 余談であるが、最近、NHKトップ層の発言をニュースで報じていた。

 その内容は・・・

「連続テレビ小説『ひよっこ』の主題歌で、桑田佳祐による『若い広場』は聞いてい
て、意味が良く分からない」と云う内容のものであった。

 しかし、私はテニスに出掛ける前などに聴くと、心地よい曲であると感じている。

これは、推測であるが、私の場合には、クラシック音楽と同じように、自然と右脳で
聴いているのかもしれない?
(意味を聴きとろうとして左脳で聞くと確かに聞き取りにくさも否定は出来ない?)


右脳のパターン認識を左脳で文書化する重要性

 余談とは云え、朝ドラの話題から、私は面白いことに気付いた。

 鳥の目でパターン認識する人は、まだまだ少数派である。鳥の眼で気付いたことを
パターン認識の表出として、左脳から外部に出すには、絵にすると良い。

 絵にすることが出来れば、左脳の働きの勝る優秀な人たちがたくさん存在するので、
実行計画は、たちまちにして文書化されて、まとまりをみせる。

 そして絵にするときに、その後の良きディスカッションを引き出すには、歩くこと
が脳に良き影響を与えることも知られており、部屋の中をゆっくりと歩き回って知恵
を絞り出す光景は、賢者の行動パターンとして目にすることがある。

 ベトーベンは作曲をするときに、しばしば森の中をとめどなく歩き、ときには部屋
のなかで、うなり声をあげて、動物園の檻の中のライオンのように、ぐるぐると歩き
回ったという。

 我々も考えがまとまらないときに、部屋の中を歩き回ったり、外に出て気分を変え
てみるようなことはよくする。そして、ゆっくりと歩を進めているうちに、もつれて
いた思考が整理出来たという体験は、少なからず共有していると考える。

 テキスト「パラダイム・ショックへの対応」では、松尾芭蕉を良く歩いた俳聖とし
て紹介している。松尾芭蕉が著した「奥の細道」の日記に沿って、体育大学の学生が
同じスケジュールで歩いてみたところ、その行程における歩く速さには、学生の方が
途中でへばってしまったという。松尾芭蕉は、驚異的なスピードで歩きながら、あの
「奥の細道」を著したことを考えると、昔の人はいかに良く歩いたかに話は尽きる。

 今回、都知事から「豊洲と築地市場」の今後の方向性がパワーポイントによる絵と
して示されて、選挙対策と揶揄される面もあるが、ここは発想の逆転をして・・・

 鳥の眼で考え出した基本方針に沿って、「東京の細道」を歩き回ることで、選挙の
場だからこそ、聞いて回れる「都民からの知恵」を集めて、実行計画のレベルまで、
しっかりと練りあげる機会にするのも、次の「エクセレント・プラン」に仕上げるの
にまたとない機会と考える。

 市場関係者や都民が、自分たちの考えや意見を整理して、発信して行くには・・・
格好のデシジョン・シート(考える場)が提供されたという印象を持つのは、鳥の眼
を手に入れた私だけだろうか?

 そして、東京都民からの声を聴くときに、市場問題プロジェクトチーム(PT)が
提案していた、「築地市場を再創生する」究極の選択肢についても、合わせてご意見
を拝聴しておく意味は大きいと考える(市場関係者の考えも含めて)。

 その際には、先ずは豊洲に移転して物流センターとしての機能を稼働させ、花形の
オリンピック後に、築地の再創生に着手、築地市場が完成後は、豊洲から築地市場に
全面的に移動、「豊洲は更地にして売却処分とする」ゴーストバスターズとしての
役割を東京都民が担う、ラストチャンスでもある。

 ひょっとすると「築地の恋の物語」のハッピーエンドは、意外なところに恋の行方
の道しるべがあるのかもしれない・・・

 東京都知事の基本方針も、理性的な判断を優先して結論を出したものと推測するが
都民の「築地を恋する思い」からの本心からの恋物語の方が究極の選択である可能性
も否定できないところである。

 私も、かつて販売・サービス業のコンサルテーションを手掛ける際に、ハーバード
大学MBAメソッドを「30代からの結婚へのステップ15」という副題で出版され
た「プログラム」レイチェル・グリーンウォルド著・佐竹史子訳を参考にさせていた
だいたことがあるが、理性的な判断よりも恋の本音的な判断からのほうが正解に行き
着くこともあるという例をアドバイスしている。

「どう考えても、豊洲市場は入手までの代金が高すぎる」
「また、継続的に、多額の赤字がたれ流し的に続く」
「このまま、好きでもない相手に、生涯をかけて貢ぎ続けるのか?」

 それよりも好きな築地と添い遂げたい、苗字も好きな「築地(TSUKIJI)」
のままでいける。案外、理性的な判断よりも、恋する思いを大切にするほうが人生
楽しく過ごせるかもしれない。

 豊洲も7~8年活用すれば先代の方々の面子も立つと思うので、ここは憎まれ役
のゴーストバスターズになっても、百年先に禍根を残さない選択肢かもしれない?

「築地の恋の物語」を成就する選択肢も捨てたものではないので、せっかく都民の
方々から、ご意見を拝聴するのであれば、余談として、「本音を聞き出す」のにも
良き機会かもしれない。

 カオス(混沌とした)の状況の中にあっては、理路整然とした答えの出し方より、
「恋の選択肢のような思考法」も有効かもしれない?



築地の恋のファンタジー

 横浜港の海を眺めるのは久々のことである。
家内はフラダンスの仲間と一緒に8人の集まりとなって奥能登に出掛けた。
その様な訳で、私は、久々に横浜の海が眺めたくなって出掛けて見た。

 日帰りなので飼犬にも安心して家で留守番をさせることが出来る。横浜港は祖父や
父親が、昔、生糸を生業とする群馬県前橋市の地から海外への輸出の拠点としてきた
場所だけに、歴史的な温もり感が伝わって来るような気がして心休まる場所である。

 赤煉瓦の風情などを目に焼き付けながら横浜港の海岸を歩き回ることで、今、脳の
活性化のための課題として取り組んでいる「築地・豊洲問題」の解決の糸口が見つか
りそうな予感もある。

 土光さんだったら、「どういう解決策を見つけ出すだろう?」という興味もある。
唐突であるが、土光さんとは、元経団連の会長、その人のことである。

「大昔のことになるが、私は、入社式を豊洲地区で体験した」
「新入社員教育も豊洲地区で行われて、約3か月間は、杉並の永福町から築地を通勤
経路にして豊洲の事業所に通った」
「帰途には、築地近郊を通勤経路にして、闊歩したこともある」
「武蔵野の事業所に配属になったときには、歓迎会が築地のホテルで行われた」

 そして、なによりも豊洲の大講堂における入社式の終盤では、新入社員の一人一人
の名前が呼ばれて、約500名が壇上の土光社長とアイコンタクトをする場面が設け
られたのである。

「私は、自分の名前が呼ばれた瞬間に、土光さんの眼光から、その光が私の眼に入り
脳内に届いた感触がある」

 そのような体験をした私は、以来、その時の思いがけない衝撃から・・・

「何か難しい課題を抱えた時に、土光さんなら、どうするだろうか?」
と考える癖が付いた。

「それが、難題であれば・あるほど、土光さんならどうするだろう?」
と云う具合である。

 そして、繰り返し・繰り返し、この思考法を重ねて難題を解決してきた。

「そのような、企業人としての生い立ちの場を有しているゆえに、豊洲や築地界隈の
問題については放っておけないという心情が働き、頼まれもしないのに思考を重ねて
いる次第である」

 同時に、具体論になってくると・・・

「現役時代にお世話になった、芝浦工業大学の津村豊治教授ならどうするだろう?」
という思いも重なって脳内を走り廻る。

 津村教授は、管理工学(IE)の著名な実践者であり、私たちには、分かりやすく
「上手な困り方」津村豊治著を教本にして、常に実践的なご指導をいただいた。

 その内容は、分かりやすく云えば・・・

「現地・現場・現実の場面において『ムリ・ムダ・ムラをなくすこと』を基本に置い
て考え抜くことにある」

 横浜港では、そのようなことを思い出しながら、「築地と豊洲の問題」について、
海を眺めながら、歩き回って、脳内の整理をした・・・

「結果、いろいろな、気付きがあった」

 そして飼い犬が待っていることもあり、自宅には早目に帰った。帰宅後は・・・
最近、歩いて、約3分の場所に美味しい中華料理店ができたので、そこで生ビール
を飲みながら夕食を済ませて、定刻の11時には床についた。

 寝入りばな、あの懐かしい「慈しみのある光」を感じとった・・・

 背中に翼を背負った女神像が微笑みながら、
「今日は、横浜港にようこそ」
「だいぶ長い時間をかけて思索されていたようですね?」
「良い考えは浮かびましたか?」

「私が思いますには、築地の課題は都知事にコメットさんのコスプレを着ていただき、
テクマクマヤコン・テクマクマヤコンと呪文を唱えていただいて、あの魔法のバトン
を築地市場にかざしていただければ、即、築地は新市場に生まれ変わりますよ!」
と云うのである。

 そして、その言葉の後で背中に翼を背負った女神はもう一度、微笑むとキラ星たち
を引き連れてお帰りになった。

・・・・・・・・・・・・・・

「これは女神から、なんらかの示唆を与えてくださっているメッセージに違いない」
と、私は、考えに・考え抜いた。

「女神からのメッセージを築地の恋のファンタジックな夢ものがたり、あるいは、
もっと現実的な築地問題の解決策として捉えた時に、その先には、明快な答えが
存在することに気付いた!」

 都知事が選挙前に、築地・豊洲市場の課題について、基本方針を示し・・・

「選挙前に、築地市場のトップ層に会って、それぞれの代表意見を引き出した」

 その意味するところは極めて大きいと考える。この会見によって、先々の姿が明確
に見通せたと云っても良い。

 築地市場のトップ層の代表意見を要約すれば・・・

「我々は、豊洲にせよ・築地にせよ、どこの市場で仕事をするにせよ、目利きの技術
や技量は発揮できる。しかし近い距離に同じような市場があれば必ず片方に集中する」
「知事には市場の特性をしっかりと見極めていただきたい」と云う主旨であった。

 ここで、目立った印象としては「築地ブランドを特に意識した様子はなく」、どこ
に行っても目利きの技術や技量は発揮できると云う男気に溢れたものであった。

「それでは、あの『築地ブランド』は、どこに存在するものだろうか?」

 それは築地の地にあって、地場が醸し出したもので、長い歴史を通じて、顧客と市場
関係者そして周辺の地域性が創りあげてきたもので、それこそが築地の文化と云える。

 そのように考えると、背中に翼を背負った女神が云うように・・・

「テクマクマヤコン・テクマクマヤコンの呪文を唱えて、一瞬に、近代化できれば」
築地の文化は瞬時に維持できる。そんなことが、現実問題として出来るだろうか?

「築地市場の時計を約3年間、止めることができれば、それは可能である!」

具体的な表現をすれば・・・

「2018年5月に、築地市場から豊洲市場に移転を行い」
「2021年5月に、豊洲市場から築地市場に戻れば良い」

 築地市場の時計は約3年間止まることになるが、3年間であれば築地の顧客も築地
の市場関係者も「過渡期の出来事」として許容できる期間内と想定される。

「築地の文化も、3年間限定の市場の休場なら、風化することなく持続できる?」
と考えるがどうだろうか?

 都知事から基本方針が示され、都知事が築地市場のトップから代表意見を引き出し、
その発言からのヒラメキだが、的は外してはいないと確信する。

「上手な困り方先生の津村教授(故人)なら、どのように考えるだろうか?」
と想定した時に・・・

 ここで、仲卸業者の方々の「ムリ」な作業への着目が、ポイントになってくる。

 豊洲と築地市場の間を頻繁に移動する必要が生じて来るので、このムリとムダ
を承知で商いに取り組むのも、3年程度が我慢(許容)の範囲内かと考える。

 したがって、「築地復帰までに、5年間は感覚的に長すぎる」

「可能なら、2年間での復帰がベストであるが、この場合には2020年5月の復帰
となり、オリンピックの開催に向けて建設関係の工事はラストスパートの時期となり、
建設関係の人材不足が予見されるので、この時期は避けて、2021年5月の復帰が
望ましいと考える」

 このプランの場合に、2018年5月過ぎに、築地の再構築に着工となると、オリ
ンピック関連のバスや自動車の約5千台の駐車場をやりくりする必要が出てくるが、
オリンピック終了後も、駐車場として利用する収容台数については、最初から保管を
立体化するなどの工夫も必要になってくる」

 そして、築地地域の開発についても2021年5月の築地市場の開場を第1期工事
として最優先させて、ワンダーランドの計画については、東京ディーズニーランドの
建設経過なども参考にして、第2期・第3期とフェーズアップして行く方法が得策と
考える。

 いずれにしても、この開発段階のカギを握るのはオリンピック向けの駐車場の確保
の方法との兼ね合いが、なかなか難しく、重要な課題となってくる見込みである。


 一方で、豊洲市場の問題であるが・・・

「現時点で、いまだに、無害化が達成されていない問題」が最重要課題として前面に
クローズアップされているが、鳥の眼で、将来を見据えた時に・・・

「年間で約92億円の赤字(減価償却費も加算)が続くこと」こそが大問題である。

 この内訳は・・・

◇ 豊洲市場の「年間の支出が89億円」である。

◇ これに対して「業者からの使用料収入が43億円」

◇ これにより、年間での収支は「21億円の赤字」

 この21億円の赤字にとどまるのであれば、豊洲市場を持続させるために、
築地の収益で補ってゆくことも経営面からは検討に値する。

◇ 問題は、原価償却費を加えると、年間で約92億円の巨額な赤字になる。

◇ 築地市場の収益で、ここまでの赤字を長期的に補充することは難しい。

◇ 減価償却費が計上できなければ設備の維持更新ができないので、いずれ10
年後または20年後には設備不全を来す恐れがある。しかも・・・

 この赤字は、雪だるま式に膨らんで行く性格のものであり、前任の知事群や都の
職員、議会でこれを認可してきた都議団の責任は、これらの「赤字経営の継続」か
ら目をそらして、長期的な活用を計画してきたことにこそ責任を問う必要がある。

 特に問題なことは、前述の機能集団(前知事群・都職員・都議団)が減価償却費
の扱いを今まで曖昧にしてきたことに問題の根幹がある。

 前述の管理工学(IE)の権威者である津村教授がこの事態を知ったら・・・

「これは、設備計画の段階から、既に、年間で92億円の赤字は予測できたことで
あり、計画そのものを、設備審議会の段階で却下を助言した」と推測する。

 そうはいっても、既に、審議を経て、豊洲市場は完成しており、その利用が待た
れている状況にあるために、現時点での判断が求められている。

 現時点で判断できることは・・・

「設備の維持・更新などを必要としない、10年以内であれば、赤字額は21億円
であり、築地市場の再構築による収益によって、経営的な支援は可能である」

「豊洲市場を長期にわたって使用して行く場合には、減価償却費の手当てによる
設備の維持・更新が必要になるので、年間で92億円という多額の赤字が予想さ
れるため、築地市場の収益による支援は限度を超えたものになる」

 ここが「豊洲市場」の扱いの難しいところではあるが・・・

「使っても、使わなくても、赤字が累積して行く市場の施設であれば、築地市場の
再構築が完了した後は、豊洲市場を廃棄処分にもって行くより他に選択肢は残され
ていない」

 現時点で、この説明を都民に向けて分かりやすく説明できる人物は、現都知事の
他に適任者は考えにくい。

 また、この事実を専門家集団に、あらためて検証していただいて、都議会に図る
ことが出来るのも、現都知事の他に適任者は考えにくい。

 都知事から基本方針が示されたことで、市場関係のトップ層から代表意見を引き
出すことができ、その代表意見を起点にして、基本方針に沿った、思考の深掘りが
可能となり、より具体的な方向性を明確にできたことは、都知事の基本方針の提示
による事態の「見える化」による成果であると考える。

 近い将来に向けた経営面から、その方向性が総意によって定まったら・・・

「そこは、勇気あるゴーストバスターズの登場によって、雪だるま式に膨張して行
く恐れのある悪魔のサイクル(悪循環)を断ち切る必要がある」

 一方で築地市場の再構築にとっては、約3年間?の受け入れ先としての豊洲市場
は貴重な存在でもあり、極めて高コスト体質の転居先ではあるが、強力なサポート
役でもあるで感謝を忘れてはならないと考える。

 このプランで行けば豊洲市場は2021年5月?には役目を終了するがその後で、
全国の市場の大型貯蔵庫のフロン対策として一時受け入れの役目の期待感はある。

 ただし、フロン対策の完了の目途は2020年となっており、政府機関との調整
が不可欠になって来るが、これについては、2021年5月以降?に政府機関主導
のフロン対策に向けて、長期賃貸などの用途も計画の対象にはなってくると考える。

 いずれにしても豊洲市場は2021年5月以降?は用地の入手などに要した資金
回収に向けての敗戦処理は必須の課題になってくると考える。その際に、土地代の
割高感を考慮すると、超高層化による土地利用は避けて通れないと考察する。



もったいないと云う心からの叫び

 パラリンピック発想の理念が豊洲市場に活かせるかもしれない

 豊洲・築地問題に役立つかもしれない二つの話題を思い出した・・・

【一つ目の話題】 

 中学生の頃にさんざん迷っている私の姿をみて、父親がこんな話をしてくれた。

 義経と弁慶が、ご飯粒で糊づくりをしているところの動作分析の話である。

「義経は、ご飯粒の一粒一粒を、丁寧につぶして糊にしていった。これだとみるから
に時間がかかる」

「これをみていた弁慶は、どんぶりの中をかき回して、一気に糊にしようとした」

「糊づくりを頼んだ和尚さんが様子を見に来て、義経のやり方に軍配を挙げた」
と云う。

 【二つ目の話題】

「近代の身体障害者スポーツの発展は、イギリスのAylesberyにあるストーク・マン
デビル病院の神経外科医であるグッドマンの功績によるところが大きい」

「彼は、身体障害者に、もっとも有効な治療法はスポーツである」と云って、その
ことを実証した。

「失ったものを数えるよりも、残されたものを最大限に活かせ」と云う氏の言葉には、
障害者を社会復帰させたいと云う熱い決意のようなものを感じる。

「1948年に、グッドマンの提唱によって『国際ストーク・マンデビル競技連盟』
が設立された。以降、毎年競技大会が開催されている」

 そして、1960年のローマ・オリンピックから、オリンピック開催年には、オリ
ンピックに引き続き同じ開催地で障害者による競技大会が開催されるようになった。

 この1960年のストーク・マンデビル競技大会は、通算で、第9回目にあたり、
これが、第1回目のパラリンピックとなった。

 もっとも、パラリンピックと云う名称は、東京オリンピックの後で、開催された
「国際障害者スポーツ大会」の愛称として使われたものである。

「当初はParaplegia(両下肢麻痺者)とOlympicsから作られた用語であったが、
今では、Parallel(平行・対等など)とOlympicsから・・・

 『もうひとつのオリンピック』と云う意味で使われている」

注:この記事は、放送大学のテキスト「運動と健康」臼井永男著から抜粋している。
 
 さて、本題に入るが、今までに「築地・豊洲問題」をさまざまな視点や論点から
思考を重ねてきたが、鳥の眼で「もったいない」と云う視点から見た時に・・・

「失ったものを数えるよりも、残されたものを最大限に活かせ」と云う
グッドマン先生の考え方で、思考を推し進めたときに・・・

 都知事が示した「基本方針」に沿って、

「先ずは、2018年5月から、豊洲市場を使ってみる」

 その上で従来の市場における商いにITなどの活用による販売拡大なども加えて、
実際の売り上げや経費などから、実際の収支を計算して、築地地域でどれだけの
補てんを必要とするのか見極めることも重要である。

 同時に、現状で安全の保障をされているものの、地下の無害化についても中期的に
見極めて行く必要がある。

 築地の再構築についても、机上での計画を先行させることも出来るが、豊洲市場の
試行錯誤を見極めて、将来像を見極めて行く方法は失敗がないかもしれない。

 そのようなことを考えると、都知事が示した「基本方針」には、確かに一分のぶれ
もないのかもしれない。

 先日のニュースで話題になった、「千客万来施設」についても、基本方針に沿って
建設を進めれば、2020年のオリンピックでは大いなる賑わいをみせて、築地への
進出の手がかりを掴めるかもしれない。

 東京ディーズニ―ランドが、ディーズニーシーで、さらなる発展性を見せたように、
豊洲市場で千客万来施設が賑わいをみせれば、次の新天地となる築地においても競合
他社よりも魅力あふれるプランを提示できる可能性は高まると考える。

 豊洲市場にしても、築地市場にしても、最近話題の千客万来施設にしても・・・

 義経が米粒で一粒一粒丁寧に糊づくりをしたように、手間の掛け過ぎと思われる
方法のほうが、結果的には、俊敏な仕上がりに繋がるのかもしれない。


グリーンバイク隊(愛称:ツキジー)が築地の女将さんたちを救う

 明治生まれの父親は若い時から生涯を通して「オトキチ」であった。

 群馬県前橋市萱町一丁目一番地で製糸業と生糸の輸出業を営んでいた祖父の後継者
として事業運営を手伝っていた父親の趣味は、愛車のオートバイであるインディアン
(750cc)を繰り出しては、上州の山野を仲間たちと駆け抜けていた。

 ときには上州の山奥のダム工事用のダイナマイトを搬送するプロのライダーと山道
を競い合ったと云うだけのことはあって、運転技術には自信があり、仲間にも優劣の
つけがたい悪友たちが勢ぞろいしていたようである。

 後に彼らはアメリカ産のベビーフォードに乗り換えて行くことになるが、私も子供
ながらに、ライダーたちの冒険話を聴くのは、子守歌代わりの楽しみであった。

 そのようなことを想い出として、脳内に呼び覚ましているうちに、私は築地市場の
女将さんたちが困っていると云う新聞記事を目にした。

「築地市場から豊洲に移転した場合に、一緒に、豊洲には行けないので廃業するより
他に選択肢はない」という趣旨の記事であった。

 このような状況において、あのオトキチの親父だったら、どういうアイデアを出す
だろうか? と考えてみた。

「都知事の基本方針に沿って、来年の春から秋にかけて、築地の市場関係者の最適な
時期に、豊洲市場への移転が行われ、いよいよ豊洲市場が本格的に稼働開始する」

 その際に「築地市場の女将さんたちを救済する手立てはあるか?」

 その答えは「ある!」とオトキチの親父なら云うに違いない。

「親父が、悪友たちとチームを組んで競っていた『オートバイ隊』を編成すれば良い」

「今後、築地と豊洲市場の間で課題となって来るのは、豊洲市場から築地の女将さん
たちに、いかに、俊敏に物資を届けるか?」

「この課題が解決できれば、築地の女将さんたちも、商いを続行出来る?」と想定する
が真相やいかにと云う懸念は残るが・・・

 都心の交通事情を考えると、自動車によって、橋を跨いでの輸送体制となると、渋滞
に巻き込まれる懸念は大いにある。

 そこで考えられる秘策は、かつての親父たちの「オトキチ」の存在感である。

 都知事のイメージカラーを参考に「グリーン・バイク隊」を登場させてはどうか?
白バイ並みの750ccを想定して500~750ccクラスのバイク隊を編成して
俊敏な輸送計画を可能にしたらどうか?

 バイク部隊の愛称は築地を意識して「ツキジー」または「ツキジーズ」などと云う
呼称はどうだろうか?

「仲卸業者さんも、本業に集中して、輸送業務はツキジーに任せる」
「年齢制限を外せばハマのライダーを筆頭に仲間は全国から集まると推測する」

 そして、築地市場から豊洲への移転と同時に・・・

「築地の地域に『築地の女将さんたちの溜まり場』も、そしてライダーたちのバイクの
保管エリアも併設する必要がある」

 これをたんなるファンタジーに終わらせたくないと考えるのは私だけだろうか?

(オトキチに音韻が近い、プリンス・ブロガー『オトキタ』さん、一案として如何!)

 昔のことになるが、私が新入社員として武蔵野の事業所に配属になった時に、当時、
純国産ジェットエンジンの量産設計が開始されていて、新参者の私も、末席に加わる
こと出来て、製図板を前にして懸命に図面を描いた(当時の図面は手書きであった)。

 最初に手掛けた図面は、ジェットエンジン中央部の燃焼器、大きなドンガラの筒の
中に、エネルギー源として、燃料を燃焼させる秘策が込められている。

 最初に、手こずったのは、燃焼器のドンガラの筒を後方から見た構造体として描く
のであるが、この時に、長尺のビームコンパスという小道具を使って円を描くことに
なる。さて困ったことに円を描いている内に中心部がずれてきて、一回りした時には
円が1mmくらいズレて元に戻らないことになる。

 この対策として、当時、先輩からコンパスの片足の中心部に図面の裏側からスコッチ
テープを貼っておくと中心がズレないことを教わった。

 その時に、この燃焼器を実験段階から設計した天才的な研究者のヒラメキで燃焼器内
には「火だまり」が設けられていることを教わった。これはジェットエンジンが上空で
エンジン停止したときでも、燃焼器内に火だまりを残し、空中での再着火に役立てると
いうアイデアであると教わった。

 このアイデアは、私の生き方にも後々大きな影響を与えることになった・・・

私は、後に、管理工学(IE)の分野で活躍の舞台を得ることになり、生産性向上運動
など、各種の改善や革新の活動に関わることになるが、多くの場合に運動が低調になる
時期を迎えることがある。この時に、私はいつも「火だまり」の仕掛けを思い出しては、
辛抱強くその火だまりを守る役に徹して来た。そして、再燃の機会は必ず訪れた。

 話題は、築地市場の場面に戻るが、築地市場から豊洲に大移動するときに、築地市場
に女将さんたちの溜まり場を残しておけば、これは、私の持論にも近い「火だまり」の
場となり、築地を再構築するときの再着火点になると考える。

 合わせて、この築地の女将さんたちの溜まり場をアンテナショップとして位置付けて
おけば、築地の都議が産休に入っても、今まで築地問題にかかわって来たオトキタ議員
他がピンチヒッターとして、女将さんたちを介して、ご意見拝聴の場作りは出来る。

 これは、繰り返しのアナウンスになるが・・・

オトキチに音韻が近い、プリンス・ブロガー『オトキタ』さん、一案として如何!


豊洲市場は心臓部・築地圏は広大な胃袋と食通ファミリー群

 先日のこと、家内が築地で、マグロをお土産に買ってきてくれた。

        ~ これが・とびきり・旨かった ~

 来年の豊洲市場への大規模な移転と、当時に、さまざまな事情から築地地域に残ら
ざるを得ない「築地の女将さんたちのための溜まり場を創る」と云うアイデアを前述
したが、これは、私の持論である「火だまり」の場を作るだけが目的ではない。

 近い将来に向けて、築地圏の再開発を考えた時に、この築地の溜まり場には多面的
に計画を発展させる「三つのミッション(使命)」を包含していると云える。

◇一つ目は、築地圏の再開発に向けての「築地再開発の準備室」のミッション

◇二つ目は、築地における「TSUKIJI・デポ(補給基地)」のミッション

◇三つ目は、築地の女将さんたちの「溜まり場」としてのミッション


 それぞれのミッションについて、より具体的な説明をしよう・・・

 一つ目の築地再開発の準備室のミッションについて説明する。

 豊洲市場が来年の春から秋にかけて本格的な稼働開始した時に従来の商いに伴った
物流に加えて、ITなどを活用した商いで、どの程度の商機が期待出来るのか、実像が
目の前で明らかになってくる。

 そして、その商機拡大を目の前にして具体的な日常業務をこなす過程において築地
圏の再開発についても、より具体的に見えてくるものがあると考える。

 一方で、築地圏においても、場外市場の活況の中から、移転後の豊洲市場との連携
において築地市場に期待する機能も明確になってくると考える。

 そのような状況の中で、築地市場としてのパラダイムの変化を見極めるには、各種
の意見や考え方・要望・苦言などを集約して築地市場の発展的な再構築(案)に結び
つける準備室が築地に在った方が、近い将来像をぶれなくイメージ出来ると考える。

「築地のことは築地の地で収斂させる」というコンセプトである。


 二つ目のTSUKIJIデポ(補給基地)のミッションについて説明する。

 豊洲市場がITの活用などによって、新しい顧客を開拓した時に、築地圏と云う広大
な胃袋群への戸別配達という物流業務が必要になってくる可能性がある。この時に都内
の交通状態を想定すると、築地に、補給基地を設ける必要性が生じてくると考える。

 この様な需要を見越して、築地市場の再構築が成されるまでの間は、築地の敷地内に
「トレーラーハウス」などの活用で、仮店舗を兼ねた臨時の貯蔵施設を用意できないか
という発想で準備するものである。

 この施設は、築地の敷地外で製作出来るので、築地内に受入れエリアが準備でき次第
築地内に設置する。そして可能ならリース方式にして、築地再構築の工事開始に際して
は、いつでも撤去できる管理体勢にしておく。

 そして、輸送体制としては、前述のグリーンバイク隊が、物流を支える。
グリーンバイク隊は、幹線の物流は大型バイク隊が担当、支線の物流は小型のバイクが
担当する。これを概観すれば・・・

◇大型バイク隊は、「豊洲市場と築地デポ(補給基地)間の輸送」「豊洲市場から羽田
までの空路の物流支援」「豊洲市場から豊洲岸壁までの水上輸送への支援」必要に応じ
てはバイクのまま乗船して先方の港からの配送も支援する。

◇小型バイク隊は、築地デポから、ITによる発注者への築地圏内の配達を担う。

 ただし、トレーラハウスの設置については、築地魚河岸との関係おいて、その必
要性や配置する際の位置関係など、よく・よく・吟味して決める必要がある。

 豊洲市場に移転する際の仲卸業者の方々の選択について、次のような記事を前述し
たがことがある。

「既に、中央区が仲卸業者らが集まれる『築地魚河岸』を現在の築地市場の隣に整備
しており、近々の豊洲への移転の際には、この魚河岸へ移転する仲卸業者は確定する
ので、築地の再開発が基本方針として示されたからには、将来的に、築地魚河岸との
調整の必要性はあったとしても、わざわざ豊洲に移転して、築地に戻る必要は少なく
市場関係者の棲み分けは、豊洲移転時にほぼ見通しがつくと考えてよさそうである」

 このような見通しの中で、豊洲市場への移転も難しい、築地魚河岸における店構え
も難しいという仲卸業者の方々に、トレーラーハウスの需要はあると想定する。

 なお、グリーン・バイク隊については、豊洲市場と築地魚河岸の間をつなぐ輸送力
としてもお役に立てる可能性は考えられる。


 三つ目の築地の女将さんたちの溜まり場としてのミッションについて説明する。

「豊洲移転への反対・築地残留への思い」を反対のためのエネルギーから、近い将来
「築地を再構築」するためのアイデア出しや再構築に向けてのエネルギに転換させて
女将さんたちの人生をより豊かな方向にもって行く(この面からの期待が大きい)。

 新しい都知事に投票した1票の重みが、このような方向付けで、好循環に転換でき
たら望外の幸せと云う思いで考えてみたが、具体的な仕事の創出と云う面からも築地
デポの運営役としての期待感は大きいと考える。


 P&Pテニスクラブにおける練習が終わって自宅に戻ると一通の封書が届いていた。

 封を切ると、綺麗な書体で書かれた手書きの文書であった。末尾には、背中に翼を
背負った女神のシルエットが記されていた。早速、文面を拝読・・・

「最近の築地市場のことについて、都知事の深層にあるものを読み説いたと云う内容
のものであった。豊洲を活かすと云うことで、具体的な実行計画が示されて、東京都
の実行部門も、ルーティング業務に入ったことで進捗状況は、ほぼ安定期に入った」

「一方で、築地の再開発については、民間業者や都民の声も聴いてオリンピック完了
後に再開発に着手して行くとしており、これについても進路は安定している」

 ただし、背中に翼を背負った女神の文面によれば・・・

「オリンピックとパラリンピックが終了して築地の再開発が開始される時期になると、
世の中の動きとしては、IoT(Internet of Things:モノのインターネット)が生活
の中に定着してきて、築地を守ると云うキーワードも築地の(味を)守ると云うもの
に発展して、築地から築地圏に発展したものになって行く」と受け止めていると云う。

私は、この意味するところは重要と考えて、もう一度、文面を読み返してみた。
(都知事の深層には未来を見通した展望が既にイメージされているのかもしれない)。


ミッション・マネジメントと云う考え方

 豊洲市場への移転については、8月4日に「土壌問題についての検証レポート」が
市場問題プロジェクトチームから、第2次報告書と云う形で報告され、この検証結果
を基にして、問題解決に向けた方策が都議会で承認され「補正予算」が確保出来れば
来年の春から秋にかけての豊洲市場としての受入準備は、実行計画に沿って、着々と
進捗して行くことになる。

 実際の豊洲市場への移転時期については、築地市場の業者の方々の準備の見通しが
整い次第と云う状況にあるが、オリンピック道路として計画している部分については
必要に応じて、都職員による事前調整などが必要になってくると考える。

 豊洲市場への移転については、基本方針に沿って実行計画の段階に入ってきており、
個々の実行のステップは、都職員の双肩にかかってきたと云える。 

 東京都政の全般についても、新しい都知事になってから、1年間の政策活動を経て、
2年目の実行期に入った。

 旅客機の運用に例えれば、1年目の最も難しい悪天候の中における地上からの離陸
を無事にこなして「安定飛行の状態」に入ったと云うことが出来る。

 東京都の隣接地に住む住民としては、東京都が暮らしやすくなれば、近隣にも良い
影響が出てくるので、ありがたいことである(都内で暮らしている子供たち二家族に
とっては、私たち以上に嬉しいことに違いないと勝手に想像している)。

 かつて、私が定年(60歳)を迎えて、ビジネス・コンサルタントを始めた時に、
家内も都心部に勤めていたので池袋のサンシャイン近くにタワーマンションの一室
を購入して、セカンドハウスとして活用したことがある。

 大袈裟な表現をすれば、池袋のサンシャインに玄関口を設けて、西武鉄道の池袋線
を渡り廊下と考え、埼玉県入間市に小さな奥座敷を構えると云う駄洒落の類の発想で
あったが、住み慣れた「終の棲家」の方が気分的に落ち着くため、セカンドハウスは
余り活用することなく、約4年で手放したことがある。

 その時に思ったことは、広域的首都圏または「東京圏」と云う発想があれば住んで
暮らすための役所の手続きは、もっと簡単に済ませるのに? という印象をもった。

 鳥の眼で、関東の地図を見た時に、東京都の地形は思ったよりも目には小さく映る。
東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県などを括って、東京圏(広域的首都圏)とすれば
よいのでは? と云う感覚が、東京都に隣接する地域に住む者には湧いてくる。

 私としては、最近、「圏」という表現に魅力を感じている。

 やがて、IoT(Internet of Things:モノのインターネット)の考え方が、生活の
中に定着してくると、この圏という括り方は、ますます、身近に感じるようになって
くるのではなかろうか?

 例えば、築地よりも「築地圏」と云う考え方、住所番地では築地や豊洲に小分けさ
れてくるが、「築地の味」の広がりは、住所表示の築地や豊洲・銀座などを包含する
地域に築地圏としての広がりをみせる。

 このような概念(コンセプト)が成り立ってくると、築地と豊洲の距離は約2km強
であり、築地圏という食文化の圏内で考えると、巨大な物流センターは、一つあれば、
後は仲卸の流通網によって、築地圏の食の目利きは行き渡るという発想も湧いてくる。

 この場合に、巨大な物流センターには「物流の要としての機能」「食品の加工工場
としての機能」「築地ブランドの目利き大学(仲卸の養成機関)」の三大機能の必要
性がイメージされてくる。
(ただし、これも都知事が示す基本方針の範囲内に収まる考え方ではある)。

 この巨大な物流センターに向けた需要は、次のようなシステムで創出させて行く。

◇豊洲地区においては「千客万来の施設」を中心にして、目の前で調理して築地ブラ
 ンドを堪能していただき、築地ファンを増やして行く。

◇築地地区においては「食のワンダーランド」を中心にして、やはり目の前で調理し
 て築地ブランドを楽しんでいただいて、築地ファンを増やして行く。

 ところで、築地地区の「食のワンダーランド」については、マーケティング戦略の
面から、開場の直前までは「その全貌を明らかにしない」という戦略を採ったら良い
のではないか?(魅力的な車を新車発表するまで覆面をする、あの戦略である)。

 都知事は「見える化」と「見えない化」を意識的に使い分けているが、これについ
ては、都職員の仕事ぶりなどは「見える化」、そして電柱などは「見えない化」など
と理解しているが、築地の食のワンダーランドについては「見えない化」として顧客
の注目を極限まで集めると云うマーケティング戦略である。

 ただし、これは「パラダイムの大転換」であり、当事者が、肌身で感じ取る段階を
経て成り立つ性質のものなので、定着までには時間が必要である。

 そして、この成否を握る存在が仲卸業者の方々の遊撃的な活躍であり、現在は減少
傾向にある仲卸業者の方々の動向も、都知事の基本計画の具現化の中で確実に仲卸の
需要は増加、やがて法の改正とも相まって「去る者は追わず、来るものは拒まず」の
考え方が必要とされてきて・・・

 志を持って来る者には巨大な物流センター内の「築地ブランドの目利き大学」で
養成すると云う環境の必要性が出てくるものと考える。

 そして豊洲地区の「千客万来の施設」および築地地区の「食のワンダーランド」に
おいて「築地圏の食の旨さ」を堪能したお客さまは・・・

 IoT(Internet of Things:モノのインターネット)で築地圏において個人ベース
でのインターネットによる買い物をする。

 築地圏のこのような状況が好循環に転じた時に、大手スーパーなどによる豊洲市場
の活用、全国の市場による豊洲市場の活用などを考えた時に、どこまで、収支改善が
図れるか? 

 築地地域における収支改善の補てん額がどこまで減らせるか? 期待感は大きい。

 それだけに「圏」という発想には、不思議な魅力があると云える。


 2020年のオリンピックとパラリンピックの開催も「東京圏」という発想をした
ときに、随分と見方も変わって来ると考える。

 例えば、東京オリンピックとパラリンピックも「東京(圏)におけるオリンピック
とパラリンピック」という捉まえ方をすると・・・

 現在は、東京オリンピックという捉まえ方をしているために東京都知事が資金調達
などについて発言すると、それぞれの首都圏の知事は・・・

「競技場は貸すが、費用は一切負担しない」などとして、不協和音を発している。

 これは県民に対して県民税の節約に努力してますというアッピールだろうが・・・

「ニュース番組で、特出しさせてまで、アッピールする必要のある内容だろうか?」

「それぞれに、経済効果は、あることであるし、お互いに気持ち良く、埼玉県知事に
しても、千葉県知事にしても、神奈川県知事にしても、もっとスマートな対応をして
いただきたいものである」。

「世界各国から見れば、各競技場は広く広域的首都圏に広がっており東京圏における
オリンピックでありパラリンピックであるという印象で伝わって行くものと考える」

「ここは東京都の競技場であり資金も東京都が出します。このヨット会場は神奈川の
海を使っていますが、費用は東京都で出します。こういう細かいやりとりを知事が前
面に出て行うと云う実態は、あまりスマートとは云えない」

「オリンピックとパラリンピックは、東京圏で開催、費用は広域的首都圏で相応に
分担していますというアナウンスの方がスマートではないかと考える」

 首都圏における大規模地震の発生が予想されているが、この震災時の対応について
も、東京圏(広域的首都圏)という発想で、大被害を受けてない首都の首長が広域的
に陣頭指揮をとるという信頼関係も東京圏のオリンピックとパラリンピックを機会に
して創り出していったら良いのではないか? と庶民の多くは感じていると考える。

 国としてのオリンピックとパラリンピックへの資金援助にしても、「渋いなあ」と
云う印象があるが、東京圏と東北圏における広範囲な地域での開催であり・・・

「もう少し気前が良くてもよいのでは」と考えるがどうなのだろうか?

「国民として見ていて、前回のオリンピックでマリオの帽子をかぶってデビューした
からには、もっと潤沢な資金援助をしても良さそうなものだが?」と思ってしまう。

 特に「東京圏」「東北圏」と云った、超広域帯のテロ対策を含めた警備や防災発生
時の緊急体制の備えや世界各国の首脳の移動への交通網の整備やオリンピックおよび
パラリンピックに向けての世界各国からのお客様(見学者)への安全な交通網の提供
など、国ならではの支援体制は不可欠と考える。

 これこそが、マリオからの 「お・も・て・な・し」 の意思表示ではないかと
心から思う、そして、これは、国のトップへの期待感でもある。


 さて、本題が末尾になってしまったが・・・

「東京都も新しい知事を迎えて、1年間が経過、東京丸は無事に離陸して安定飛行に
入った。これで、東京都の都民も職員も議員団も全員が鳥の眼で上空から東京都の
足元を見ることが出来るようになった、今、2年目の安定飛行に入って、注目して、
大いに期待する必要のある事柄は、都職員 約17万人(28年ベース)の都政に
おける活躍ぶりであろう」と考える。

 そのような状況から判断して、これからは「都職員のミッション達成」を見える化
して、都民からも、大いなる成果には、拍手を送ることではないだろうか。

 次回は、「ミッション・マネジメント(&デベロップ)」による見える化について
詳しく説明することにしよう(この分野では、都職員約17万人を束ねる東京都知事
の手腕にも、ますます期待するところが大きい)



ミッション・マネジメントの多様性と二元代表制の相乗効果

 最近、ミッション・マネジメント(&デベロップ)について、私たちが、最も分か
りやすく、シンプルな形で、目にすることが出来る光景は、要人を警護する SP
(セキュリティー・ポリス)の存在であろう。

 彼らのミッションは要人の警護に集約されており、そのミッション達成のためには、
警護のためのプロフェッショナルとしての技術力や知見、そして法に熟知して適切に
運用する柔軟性、さらには、常に研ぎ澄まされた感性と共に、常に中庸な見識と行動
が求められている。その卓越したプロフェッショナルぶりは余人をもって変えがたい
存在と云える。

 話は本題に入るが、東京都政の運営は知事と都議による二元代表制と都職員による
大規模な実行集団によって運営されているが、私の印象としては・・・

「それぞれの実行集団としての都職員によるミッション・マネジメントが的確な働き
をして、都民の生活の安全と安心を、QOL(生活の質)向上と云う視座から適切に
支えている状態のときに、知事と都議による二元代表制は、最も機能的に真価を発揮
するのではないか?」と考えている。

 都職員約17万人(28年ベース)は、いずれも選ばれて都職員に採用されており、
採用後は、それぞれに、ミッションを与えられて任務遂行に当たっている。

 しかし、この任務遂行に当たって、ミッション・マネジメント(&デベロップ)の
考え方を導入すれば、あるいは、都独自に開発すれば、都民への寄与の度合いを向上
させつつ、業務の効率を向上させて、帰宅時間を早めることも出来る。

 ところで、先日(8月8日)は、都議会(臨時)の実況をテレビの9チャンネルで
拝見した。議長選出の投票の場面において、70番目に呼ばれたプリンス・ブロガー
おときた議員の投票場面で、私も、ファンタジック・メンバーとして仮想入場、議場
体験をさせていただいた。

 これは余談であるが私も本稿の第10話以来「パラダイム・シフト」を研究テーマ
に据えて稿を進めてきているが・・・

「最近の東京都政の革新は、リアル・パラダイム・シフトであり、目が離せない状況
になってきており、鳥の眼に磨きをかけるには絶好の機会と感じている」。

 都議会における次世代議員をイメージさせる全議員の投票場面から私なりの顔認証
を済ませ、都知事と都職員の首脳陣の顔認証を経て、東京都政における世代間の融和
を確認した思いがした。

 この議場から、あらためて、再認識・かつ・想定したことは・・・

「都職員約17万人によるミッション・マネジメント(&デベロップ)が適時・適切
に機能することにより、東京都の二元代表制は最大限の機能発揮をする」
と云う印象を持つにいたった。

 先ず、概論としての話をすれば、「都職員のミッション」には・・・

◇ 都民にとっては「当たり前のミッション」がベース(基盤)に据えられてくる。

◇ 次に「魅力的なミッション」が加えられてくる。

◇ さらには「新たに加わる革新的なミッション」および「ポジティブに改廃して行く
 ミッション」などがある(このミッションは都議会の議決によって決まって来る)。

~ここからは、煩雑な説明になってくるので、丁寧な説明を心がけることにする~

 当たり前のミッションについて代表例を挙げれば「蛇口をひねれば水が出て来る」
という日常生活上の便利さを支えているミッション。

 しかし、これも「東京都にとっては当たり前」のことであっても、発展途上国など
にとっては、当たり前のことではないことは、ご存じの通りである。

 その他のことでも、東京都内では当たり前のことであっても、都外などにおいては、
当たり前でないことも多く存在する。

 前述の水道施設などについても、当たり前の様に、蛇口から水が出て来る様にする
ためには、インフラを整えて、その機能を維持管理して行くために、このミッション
を成り立たせるための多くの技術力の基盤があり、多くの技術者や技能者の取り組み
が、これを支えている。

 有用なミッションとは、それを販売できるか否かに、判断の目安がある。

「水道技術などは諸外国に向けても売れるミッションであり、東京都の日常において
は当たり前のことであっても、そのミッションとしての存在価値は高いと云える」。

 魅力的なミッションについても、その見方には、様々な考え方があるが、東京都に
おける魅力的なミッションを一つに絞り込むとすれば、それはあらゆる分野における
「多様性」と云う見方が出来る。

 東京都の「当たり前のミッション」および「魅力的なミッション」を支えるために、
東京都には、都政における実行集団として、都職員が 約17万人(28年度ベース)
存在しており、都知事から都職員 約17万人に向けて、都政におけるミッションが
明確な形で、一気通貫的に、その思いが伝わって行動に直結した時に、相乗効果とし
て、都議会における「二元代表制」の意思の疎通は、都政における都職員の実行集団
に向けても伝わりやすくなり、都政の進捗状況は、劇的に変わって行くものと推測す
るが、そのロジックには丁寧な説明が必要になるので、その解説は次回に譲ることに
しよう。

 8月8日の都議会(臨時)のテレビ中継を拝見して、その良い方向への劇的な変化
の可能性を皮膚感覚で感じ取ったのは、私だけだろうか?



(We are ) Ladies and gentlemen serving ladies and gentlemen of the world

 P&Pテニスクラブもお盆休みをしていたので、2週間ぶりのテニス・スクールで
あった。私の場合は、休み明けのテニスは、いつも快調であり、これは小脳がテニス
を覚えていて休むことで脳内が初期化されて、継続的な練習で積み重なって行く妙な
拘りや癖が抜けて行くためと、勝手に想像している。

 家内は、フラダンスのレッスンに出掛けており、私の昼食は外で済ませてきたので、
帰宅後、パソコンに向かっていると、突然、睡魔が襲ってきて横になった。こういう
場合に飼犬はいつも添い寝してくる。

 天井を仰いで、ウトウトとしていると、目の前を光の帯が横切った・・・

 背中に翼を背負った女神の登場であった。

「軽井沢のホテルは如何でしたか?」
「美肌の湯と云われている温泉は、奥様や鎌倉ファミリーにも喜ばれましたか?」
「夕食と朝食のバイキングは美味しかったですか?」と、続いて真顔になり・・・

「ところで、先日、貴方から聞かされていた、ミッションマネジメントの書籍を私も
拝読してみました。私も、注目に値するキーワードと文面に気付きました」

 アーサーアンダーセン発刊の「ミッションマネジメント」(価値創造企業への変革)
の著書は1997年に発売されたものですから、今から20年前のものになりますね。

 私が感銘を受けたのは、次の二つでした。

一つ目は、まえがきの1頁から2頁にかけて紹介されていた記事・・・

 世界最高水準の品質とサービスを誇る「リッツカールトンホテル」のミッション
ステートメントで、

  “(We are ) Ladies and gentlemen serving ladies and gentlemen”

 と云う威風堂々としたメッセージでした。

 このミッションステートメントは、リッツカールトンホテルが、目指す方向と
同時に、すべての経営活動に関する指針をも明示している。

 このミッションステートメントを、現実のものにするためには、建物、設備など
のハードウェアのほか、トップからベッドメイクにいたるまで、すべての従業員の
在り方が問われている。

 また、すべてのオペレーションを確実にこなすための情報システムの完成度と
その活用が求められている。

 これほどホテル業の成功要因である「顧客戦略」を明確に表現したものはない。


二つ目は、本文の94頁に紹介されていた記事・・・

 バリューは、トップマネジメントから一般の従業員に至るまで、組織構成員の行動
様式を規定する価値観であるが、このバリューは企業の構成員がその内容に共鳴して
初めてバリューたる機能を発揮する。

 そのためには、人間性にあふれた内容でなければ、人々の共感は得られない。
人間性に溢れるとは、単に、慈愛主義に満ちているということではなく、事業活動を
行う組織体としての「厳しさ」と「やさしさ」を併せ持った内容のことを意味する。

 元来、ミッションステートメントをはじめとするドライバー群(指導原理など)は、
ほとばしるような経営者の思いから出てくる企業の精神である。

 したがって、その内容や形式にこだわる必要は全くない。こだわる必要性は・・・

「経営者の思いが簡潔な言葉に凝縮されていること」

  ならびに

「組織の構成員が大いに共鳴し、同志的な信念を共有できること」である。

 企業内外の誰が読んでも心が躍り、経営者の人格を想像させるような内容でなくて
はならない。

「なぜ我々がこの事業を行わずにはおられないのか」ということについて・・・

 起業の原点に立ち戻った真摯な記述が必要である。
  (記述は長くても良いし、短くても良い)。

 良きミッションステートメントとは、その企業にまったく無関係の人までをも興奮
させる力を有しているようなミッションのことである。


 さらに背中に翼を背負った女神の言葉は続く・・・

「今、新しい東京都知事の登場によって、都政の革新に向けた新基軸が次々と打ち出
されており、ここは、20年も前のミッションマネジメントのメソッドを導入するよ
りもミッションマネジメントの神髄と云われている「ミッションステートメント」を
都知事から第一線の実行部門まで浸透させて、都政の革新に血を通わせる考え方の方
が適合性があるかもしれません」。


 私も、背中に翼を背負った女神の考え方に「なるほど」と賛同した次第である。

 そして、具体的には、例えば・・・

”(We are ) Ladies and gentlemen serving ladies and gentlemen of the world”

と云うミッションステートメントを都知事から第一線の実行部門まで、一気通貫的に
浸透させることで、2020年のオリンピック&パラリンピックに世界中から訪れた
お客様が・・・

「東京圏の暮らしやすさについては、金メダルあるいは銀メダルに値するわよ!」と
の評価をいただいたときに、その努力は報われるものと想像する。

 そのときこそ、都政の革新は、達成されたと云っても良いのではないだろうか?


 さらに、背中に翼を背負った女神からは、このような・・・

“(We are ) Ladies and gentlemen serving ladies and gentlemen”

と云う様な、ミッションステートメントが過去の都政において浸透していたら、豊洲
市場の建物下の盛土なき地下空間は出来ていなかったと断言された。

 そして、背中に翼を背負った女神から、驚くべき言葉として、女神の親友である
アトキンス博士の仮説が紹介された。


名探偵「アトキンス博士」の登場

 ここからは、ファンタジックな、探偵物語の登場である。

◇◆◇ 片手に虫メガネを持った名探偵アトキンス博士の独り言・・・

 ここは、ひとつ豊洲問題について、仮説を建ててみることにするか?

◇ 仮説1 : 前知事の段階における豊洲市場への移転準備の段階において、まだ、
 これから先に最終的な土壌検査が残されている段階で、移転時期を早期に決定する
 ことが出来た背景には、最終検査において所期の環境基準をクリアー出来ることが、
 事前に分かっていたのではないか?

◇ 仮説2 : これが事前に分かると云うことは、環境基準を事前にクリアーでき
 る魔法の仕掛け(段取り)が準備出来ていたのではないか?

◇ 仮説3 : このことから考えて、豊洲市場への移転に際しては、優秀なゴース
 トライターの存在が想定されるのではないか?

 即ち、豊洲市場への移転に際して、新しい環境基準に対応するには、抜本的な土壌
対策が必要であり、技術検討会では、考えられるあらゆる対策案を考えて、同時に、
アイデアも募り、多くの対策案の中から、「盛土による土壌対策」を練り上げた。

 そして、東京都から市場関係者や都民への説明としては、盛り土によって、新しい
環境基準にも対応出来るとして付帯条件が付与され市場としての安心を担保した。

 このとき、既に、地上では地下水は使わないので「市場の安全」については当然の
こととして共通認識を持っていたことも推測される。

 この一連のストーリーも、優秀なゴーストライターによって、演出された?

◇ 仮説4 : それでも、技術サイドの懸念としては、盛り土により、土壌の状態
 は飛躍的に改善効果が期待出来るものの、既に、この時点において所期の環境基準
 を完全にクリアー出来るかについては、多少の危惧もあったものと推測する。

◇ 仮説5 : ここで、再びゴーストライターの登場である。
 盛土による対策で土壌の汚染対策については、ほぼ完ぺきな対策が取れるが、念の
 ため土壌検査については、予め環境基準をクリアーできる魔法の仕掛けを準備して
 おくことにする。

(魔法の種子あかしは出来ないが、過去にはロシアのドーピング問題における検体の
 すり替え事件などもあったので悪魔の手法は無限に存在するといってよい)

◇ 仮説6 : 魔法で検査結果をクリアーできるなら、土壌の最終検査の前にオリ
 ンピックの道路準備から割り出された日程に沿ってフライングで豊洲への移転時期
 を決定しても、その後の土壌検査の最終結果は、魔法で保証されているという錯覚
 から、最終検査の前に移転を決定できると云う錯覚に陥っても不思議ではない?

   ただし、ここまでは「小悪魔のサイクル」であり、実害は少ない。

◇ 仮説7 : この最終検査における魔法のカラクリの存在が招いた副次の大問題
 としては、最終検査で、土壌検査のクリアーが魔法によって保障されているのであ
 れば、「建物の下の盛土をやめて」、後のメンテナンスのために地下空間を作って
 も大丈夫ではないかと考えてしまったことが、仮説として想定される。

 この判断は大きな逸脱であり「悪魔のささやき」に乗ってしまったといえる?

 このような経緯を経て「魔法のサイクル」による、紳士&淑女的とはほど遠い愚か
な発想がエスカレートして・・・

  機能組織体としての自浄作用が機能麻痺を起こしてしまったのではないか?

 ここで彼らにとっては唯一の心の支えであった因幡の素兎(いなばのしろうさぎ)的
な悪知恵にたけたゴーストライターの存在も、前段までは許されたが、地下空間を作る
と云う不用意な行動に走ったことは、脳内で「ブレーキとアクセルを踏み間違えた」と
しか云いようがない。

 しかし、これはアトキンス博士の虫メガネを通した、机上の空論であって、それを
裏付ける証拠はない(時間軸の矛盾からの状況的な椎論のみである)。

 実は、アトキンス博士は人工知能(AI)を併存させたハイブリットマンであると
後日談として、背中に翼を背負った女神から聞いた。

 話を元に戻すが、世の中、悪いことは出来ない。

 事態は、豊洲市場への豪雨の襲来によって、暴露されることとなる・・・

「自分たちが設けた地下空洞に水が溜まることで、衆目の前に、疑念が浮かんだ」。


 ここで、背中に翼を背負った女神からの所見が続く・・・

「アトキンス博士の仮説」は、豊洲問題の時間軸上の矛盾点から建てた仮説であり、
確たる根拠や証拠を掴んでのものではありません、しかし、次のような論点は的確
に言い切れるものをもっていると考えています。

◇ カオス理論を参考にした場合に、都職員の業務上においても、小さな嘘がやが
 て大問題に発展する可能性を持っていることを、この仮説では示唆している。
 (これが事実でないことをせつに願うが)

◇ 都庁におけるミッションマネジメントにおいて、

 “(We are ) Ladies and gentlemen serving ladies and gentlemen” のような
 ミッションステートメントが、都知事から第一線の実行部門まで心底徹底されて
 いたら、この仮説に描かれているような、事態は起こりえないと考えると、

 ミッションステートメントの必要性を考えるとき、この仮説はケーススタディー
 の良き教材になるのではないか(逆説的ではあるが)。

◇ いずれにしても、アトキンス博士の洞察力には「優れた臭覚」のようなものが
 隠されているのかもしれないので、豊洲問題について「黙して語らず」の背景に
 は公には語れない側面が、他にもあるのかもしれない。
 (それは何を意味しているのだろうか?)

 だからこそ、ミッションステートメントは、必須ではないかと結論付けておく。

”(We are ) Ladies and gentlemen serving ladies and gentlemen of the world”


・・・・・・・・・・・・

 いずれにせよ、新しい都知事の登場によって土壌汚染に関する「魔法の手法?」
は使えなくなり事態は「悪魔のサイクル」から脱却、好循環のサイクルに引き戻し
た成果は都民による選挙の勝利であり都知事の決断が事態を好転させたと云える。

 したがって、大幅な軌道修正のために、今日に到った経緯に無駄はなく、適正な
是正処置期間であったが、これ以上は期間に余裕がないため・・・

◇ 豊洲市場の土壌対策に向けた補正予算の確定については、8月28日(月曜日)
 の都議会(臨時会)にて「昼夜を徹して」の早急な採決が必要である。

 これも、後工程としての土壌対策工事が、やはり昼夜を徹しての突貫工事になる
ことを考えると・・・

”(We are ) Ladies and gentlemen serving ladies and gentlemen of the world”

 にみられる、前述のミッションステートメントに照らしても当然のことと云える。

◇ また、オリンピック&パラリンピックのための道路工事のことを考えると・・・
 
 仲卸業者の方々の集会を経ても、移転時期の見通しが定め難いようであるが、

  ここはシンプルに・・・

 既に、土壌汚染の最終検査前に決定していた移転計画を踏まえて当時の移転対象者
として決定していた、個々の市場関係者の方々に、来年の5月(これは業者の方々が
移転に最適と判断された時期)に、予定通り、引っ越し可能か・否かを確認、その他
の市場関係者の方々には、都の職員から、個々にケースバイケースで対応するように
しないと、早急な結論は得られないと考える。

(本来なら、既に移転の段取りは決まっていた筈なので、そこを目安に考えることが
肝心と考えるが、その後に、市場の状況に何か変化があったのか要検証と考える)。

 これも、ミッションステートメントに照らして、後工程の道路工事に従事する方々
の昼夜を徹しての仕事ぶりを考えると、市場移転について、振り出しから検討し直す
期間の余裕はないと判断する。

 仲卸業者の方々の意見として「築地再開発の5年先の市場について保証」を求める
声もあるが、築地の再開発には「豊洲市場の赤字を補てんする」と云う重大な任務が
課せられており、そのための業態も民間の活力に期待しており、都知事といえども、
細部計画について内容保障出来る立場にはないと考える。

 ましてや、今から5年前に就任して安定した支持を得ていた日本の首脳にあっても、
現在は執拗な野党の追及にあって、一寸先は闇の世界に立たされており、一番人気の
都知事にあっても、流動性の高い政治の世界にあって、5年先の約束を安易に交わす
ことは難しいと考える。このことが移転時期の決定に悪影響を及ぼしているとすれば
それは、期待する側にも、期待される側にも、不毛の議論が続くことになる。

 そして、これは千客万来の施設を豊洲に計画している業者の方々にも共通したもの
であり、「チャンスを生かすか?」「危機を避けるか?」これは経営者の判断であり
経営者のセンスによって決まることなので、都政からのアドバイスは難しいと考える
が、いかがなものであろうか?。

「チャンスの神様は前髪きりない」と云う諺があるが・・・
「昔、二人の靴のセールスマンがアフリカの地を訪れて、現地では皆裸足であった」

 これを見た、一人のセールスマンは「これでは売れない」と判断して帰国した。
もうひとりのセールスマンは「これは全員がお客様」と見て売れに売れたという話、
これも商売人としてのセンスの違いと云えるものだろう。

 諺には、必ず反対に位置するものがある。「君子危うきに近寄らず」先客万来の
施設を出店するには、築地も視野に入れて判断する必要もあろうが、5年先の姿は
まだ誰にも見えていない。むしろ豊洲に先客万来の施設を開設して運営したときに
真っ先に築地の姿をイメージできるのは、豊洲で先行する権利を有した先客万来の
施設を運営する経営者の方かもしれない。

 次に懸念されている事柄として「豊洲市場の地下の土壌対策工事について入札に
応じる企業がいるだろうか?」と云う懸念があるようだが、そもそも豊洲の建造物
については、当初の予算の2~3倍の価格で建設を進めており、これらの建設会社
からも入札への参加がなかった場合は、商業慣習的にも、紳士協定的にも、あり得
ないことであり、入札ゼロなどと云う報道があったときには、多くの都民の視線を
浴びることになるので、この危惧は当たらないと考えるが、事実に注目したい。

 そして、最近の国政にしても、都政にしても、何年か議事運営を拝見していて、

「本筋に沿った適正な議論」
「自分の党派の存在価値を主張するための本筋から外れた議論」
「議事の混乱を狙った本筋から外れた議論」

などに層別できると云う印象があるが都議会(臨時)8月28日(月曜日)におい
て、どの党派が本筋に沿った議論を進めるのか注目して行きたいと考えている。

 そして、今、急ぐ必要のある「最優先課題」は、豊洲市場を早急に実用ベースに
乗せることであり、他のこと(例えば5年先の築地再構築の具体化)に注力してい
る余裕はないと考える。

 豊洲市場の稼働開始には、まだまだ、解決して行く必要のある課題が脳内で想像
しているよりも、2~3倍はあると考えておく必要がある。



都議会における二元代表制の真価の発揮

 都民から選ばれた都知事と、都民から選ばれたそれぞれの地区の代表者である都議
とによる二元代表制については、都民ファーストの圧倒的な多人数の顔ぶれによって
都政の若返りと共に新しい都政運営に明るい見通しが予見される。

 そしてそれは議会運営における東京モデルを創成して行く良き機会と云える。

 かつて放送大学のテキスト「アメリカの政治」から住民自治の原則を学んだときに、

「現行憲法に定められた我が国の地方自治は、終戦時に、当時のアメリカの有識者の
助言を参考にして制度化されたと云われているが、アメリカの地方自治とは多くの点
で異なっている」

「大きな違いの一つは、日本における画一性とアメリカの多様性が挙げられている」。

「日本では地方自治に関する規定は地方自治法で一元的に定められており、地方自治
の組織や運営は全国どこに行っても、同じで、画一性が強い。どの市にも市長がおり
市議会があって、それぞれの任期や選出方法も同じで、窓口の名称にも市による違い
はわずかである」

「これに対してアメリカでは地方自治体に関する規定は州ごとに異なる。日本の地方
自治体のような全国一律の法規は、存在せず、地方自治に関する規定があるとしても、
それは州の法律であり、したがって、その内容は州ごとに異なる」

「さらにアメリカでは、自治体の組織化には、住民の意思を最大限に反映することが
認められているため、同じ州のなかでも自治体ごとに、さまざまな違いがみられるこ
とになる」。

「いずれにしても、アメリカの地方自治体は著しい多様性を特徴とするといってよい」

「このような日本における地方自治の画一性と云う現状を踏まえたときに都政の運営
においても、国内における他地域の優れた運営方式は参考にしやすく、同時に東京都
における新しい都政の進め方は、他地域にとっても参考になると云える」。

「東京都政の大規模化を考えた時に、東京都の2017年8月1日現在の人口総数は、
13735582人(男性 6767195人 女性 6968387人 )であり、
国家としてのスイスの人口総数7870000人(2010年)を超えている」

 したがって、東京都政の運営を考えたときに、地方自治体の運営を内包しながらも
ときには、国家的な規模の運営感覚も必要であり、他国の国政の運営などについても
国際的な感覚を持って、真摯に学ぶことも必要になってくると云える。

 そのような東京都の存在価値を考えた時に、新しい感覚の二元代表制の真価を発揮
することは、2020年のオリンピック&パラリンピックの開催を迎えた時に大いな
る成果を発揮するものと考える。

 それは、オリンピックとパラリンピックの参加国にとって、国のレベルにおいても
地方自治のレベルにおいても、有意義な交流につながることを意味している。

 そして、これは、私の持論でもある東京圏という視点で考えたときに・・・

 東京都内の企業に勤務して、職住接近を望むものの郊外の週末の暮らしやすさなど
の諸事情から、東京都の周辺に棲家を構えるケースも多いので、神奈川県・埼玉県・
千葉県に住む東京圏人を目安として算定すると・・・

◇ 神奈川県の人口総数は ・・・   9161855人
◇ 埼玉県の人口総数は   ・・・  7305086人
◇ 千葉県の人口総数は   ・・・  6254216人
  (注 : いずれも 2017年7月1日現在の人口総数)

となり東京圏(広域首都圏)の郊外地域に暮らす人々の総計は、22721157人
(2017年7月1日現在)となり、過去の東北大地震の経験に照らして、この中の
東京に勤務する人々や何らかの用事があって東京都に出掛けていた人々が帰宅困難者
になる可能性は高いと云える。

 郊外地域の総人口22721157人の約30%にあたる 6816347人が、
帰宅困難者になると試算した場合には、東京都内の人口の半数に相当することになり、
大規模人数が東京都内でお世話になることになる。

 このことから考えても、2020年のオリンピック&パラリンピックの開催に向け
ては、東京圏(広域的首都圏)という概念で、神奈川県知事にしても、埼玉県知事に
しても、千葉県知事にしても、日頃から、良きパートナーシップを心掛けておく必要
があると考える。

 また、東京圏(広域的首都圏)の人口総数は、約3千6百45万人となり、日本の
総人口 1億2677万人(2017年8月1日現在)の約28.8%を占めること
を考えると東京都政の革新の在り方は、東京圏への影響だけでなく、国政の運営にも
大きな影響を及ぼすすことになると云える。

 ちなみに、東京圏(広域的首都圏)の人口総数 約3千6百45万人は、カナダの
国家としての総人口 3402万人の規模を超えている。

 現実の世界では、東京都も神奈川県も埼玉県も千葉県も、それぞれに独立して行政
は円滑に遂行されており、東京圏としての行政の遂行は、イメージしにくいことであ
るが、東京都の行政が及ぼす影響の大きさは、仮想的に国政としてのカナダの規模を
超えていることになる。


 前触れが長くなったが、東京都の二元代表制が真価を発揮すれば、それだけ広範囲
に好影響を及ぼすと云うことであり、初当選の都民ファーストのメンバーにも自分の
双肩にかかっている責任の重さを、鳥の眼で、違った視点から自覚していただければ
幸いであると考えている。

 さて本題に入るが・・・

 一つ目の東京都知事による代表制としての都知事から都職員約17万人(2016
年ベース)に向けたミッションマネジメントとしての影響力は図り知れない。

 その機能は、都知事からのトップダウンであり、それは都職員からのボトムアップ
によって、補完的に双方向性が保たれて、必要があれば軌道修正される。

 また都知事からのトップダウンについては、都政の革新に向けた様々な指針や施策
が確実に都職員に向かって浸透しており行政の執行につながっている。

 そして、そこに・・・

  “(We are ) Ladies and gentlemen serving ladies and gentlemen”

の例にみられるような都知事からの独自のミッションステートメントが加わったとき
に都知事からのトップダウンの意思の伝達は血が通ったものになって行くと考える。

 一方で、都職員からのボトムアップについては、最近の都議会の公開場面などから
都職員の優秀さには伝わって来るものがあり、各部門における、日報などの確実さも
想定されるので、これからの有効なフィードバックの一案としては・・・

 各部門から「週報」の形で、週間単位の「実施事項」や「問題点」が定期的にボト
ムアップで、職位の三階層に連鎖する方法で、最終的には都知事まで俊敏なシステム
として「問題点」が伝わるようにすることで、合わせて組織横断的な問題点の共有化
も図れるのではないかと考える。

 この面での都職員における潜在能力には大きなものがあることが散見される。

 二つ目の都民ファースト55名による都議としての代表制の責任の果たし方につい
ては、先ず、なによりも、「スキャンダル攻勢の餌食になるな!」と云うことを申し
上げておく必要がある。

 次の選挙に向けては、55名全員にスキャンダル攻勢を仕掛けられていると考えて
良い。先ずは、金銭の授受に向けて、巧妙な罠が仕掛けられてくる可能性がある。

◇ 上手い話には乗るな、違和感を感じたら、執行部に確認することが肝心である。

◇ 恋愛感情には要注意、都民ファースト内で恋愛感情に流されたときには一挙に
 二人の議員が次の選挙を待たずに、つぶされると考えたほうが良い。

◇ 名誉欲や目立ちたいと云う野心にも要注意、これは、どうも乗せられているなと
 思ったら執行部に相談する必要がある。
 
 要は、次の選挙まで確実に生き延びて、再選に向けた注意は、注意をし過ぎるくら
いで丁度良いと推察する。

 そのような初歩的な細心の用心深さを常に意識した上で、

二つ目の都議としての代表制を果たすためには・・・

「基本になるプラットフォームとしては、選挙区の住民の皆さんの声を各種の行事など
の機会を生かして、お聞きして行く(この秘訣は先輩都議からの学びがたいせつ)」。

「そして、都民ファースト独自のデシジョンボードを形成、具体的には、現在設けら
れている9つの常任委員会に準じて、都民ファーストの会派の中で、常任委員会毎に
デシジョンボードを設けて、シミュレーションを繰り返す」

細部の運営方法については次の委員長・副委員長・理事をチェアマンにして・・・

◇総務委員会であれば、中山・内山・荒木氏

◇財務委員会であれば、石川・増田・上田氏

◇文教委員会であれば、米川・木村氏

◇都市整備委員会であれば、たきぐち、馬場、森澤氏

◇厚生委員会であれば、桐山・山内氏

◇経済・港湾委員会であれば、伊藤・おときた・小山氏

◇環境・建設員会であれば、田の・佐野・関根氏

◇公営企業委員会であれば、本橋・菅原氏

◇警察・消防委員会であれば、大津・石毛・両角氏

デシジョンボードの運営については・・・

(1) 常任委員会に準じて、都民ファースト全員が参加するデシジョンボードを
   定期的に開催する。

(2) 最初のステップでは、各委員会に向けて、選挙基盤になっている地元からの
   要望や陳情を全員が、順次、説明する。

(3) 全地区の要望や陳情を把握した上で、都民ファーストとしての議論を重ねて、
   いくつかの方向性を決めて行く(複数案が望ましい)。

(4) 通常の常任委員会では都民ファーストの委員会メンバーが会のコンセンサス
   に沿って、手分けして発言する。

(5) 常任委員会を経た都議会での決議事項などについては、速やかに、選挙地盤
   の地元に報告して、あらたな意見をお聞きして行く。

 この繰り返しで、二元代表制としての機能を果たしながら地元の信頼を確かなもの
にして行く(全員が参加して発言するデシジョンボードが理想である)。

 これによって、都議会における都知事からの施策の展開と、都議による民意の伝達を
相互交流することが出来れば・・・

     ~東京都政における二元代表制は真価を発揮出来る~

 都知事にとってはブレーンの存在が新しい風を吹かせるためのきっかけであるように、
都議にとっては都民からの生の声が新しい風を吹かせるきっかけとなり・・・

 これらの新しい風が交流することで、風通しの良い都政が、都政の見える化と一体と
なって、実現して行くものと考える。



八丈島の都民へのエール

 早朝の飼犬との散歩に出掛ける前に、家内が用意したゴーヤ&バナナ・ジュースを
家内共々飲み干し、飼犬を車の後部に用意したゲージに入れて、車を発進させた。

 この家内による特製ジュースは、我が家の西側の日除けにしているゴーヤのカーテ
ンからの副産物であり、最近ではジュースとしての活用が我が家におけるマイブーム
になっている。  

 家内が云うには・・・

「バナナとの相性が一番よ!」とのこと (ゴーヤの収穫は私の役割になっている)。

近郊の彩の森入間公園までは車で約5分、車中で昨日観た映画「関ケ原」に話が及ぶ。

「小説家 司馬遼太郎の原作を映画化した作品だけに、西軍の主役である石田三成の
正義を唱える姿を前面に出して、石田三成からの視点で描かれているため、この映画
の上映によって、石田光成の理想主義者としての人気が沸騰するかも知れないね!」

「今回、石田三成を演じた 若き俳優 岡田准一の演技力による好感度の高さも効い
て来るわね。観ていて、その潔さは抜群だわ!」

「岡田准一が演じてきた、『永遠のゼロ』に続く『海賊と呼ばれた男』など、みんな
主人公が輝いて見えるのも、岡田准一の熱演が功を奏していると云うことだね」

「歴史上の逸話としては、腹心の島左近をして『人から嫌われる要素がこれだけ揃っ
ている人物も珍しい』と苦笑をもって云わしめた石田三成を、司馬遼太郎は、好意的
に描いており、これを岡田准一というハートのある俳優が演じたのであるから、良き
人物として、再評価されても不思議ではないわね!」

などと、話しているうちにあっという間に、公園に到着である。飼犬が一番いい顔を
して公園の外周をさっそうと歩く姿を見ていると、「明日も、天気が良ければ、また
連れて来てあげるね」と云う気持ちにさせる。

 帰宅後に、私は家内の話を聞いていて、面白いことに気付いた。

「東京生まれ、東京育ちの人は、会話が早いのか?」
最近、都議会のインターネット中継を観ていても、都職員の方々の議会における答弁
を聞いていて、「かなり早口だな!」と云う印象をもった。

 それに比べてプリンス・ブロガー おときた議員の議会における質問の口調は歯切
れも良く・聴きやすいが、話すペースは「これが標準」と云う印象をもったのでどう
も東京の人々が、みんな早口と云うことではないようだ。

 そして話は、映画「関ケ原」に戻るが、映画における言葉のやりとりが今まで観て
来た映画と違って、全体的に話をする口調が速い。感覚的には都議会における都職員
の答弁の口調に近い速さと云う印象をもった。

「それは、なにを意味するのか?」

「司馬遼太郎による原作『関ケ原』の映画にしても、都議会における都職員の答弁に
しても、話さなければならない内容が全体を通して膨大な量であるため、あのような
スピーディーな口調となるのではないか?」

「事実、映画『関ヶ原』の映画における場面展開も速い、確かに上映時間約二時間半
の中で約四百年前の歴史について、ことの始まりから関ヶ原の決戦に到るまでの結末
を間髪を入れずに上映するのであるから・・・」

「それも、石田三成の正義感を前面に押し出して、理想主義と云う、一本、筋を通し
た展開にするには、かつ心地よいスピード感として仕上げるには、新しい試みとして
成功であったのかも知れない」

「さて、同じ東京都内にあって、先日の都議選で話題を集めた八丈島における都民の
会話スピードは如何であろうか?」

 私も20代の半ばのときに、飛行機で八丈島を訪れたことがあるが、当時宿泊した
ホテルや観光先における口調はゆったりとしていた印象がある。

 八丈島と云えば、当時、都議選の前に飛行便の欠航によって、都知事が唯一訪問を
果たせなかった地域、都民ファーストから都議に立候補して唯一当選しなかった都議
として記憶に新しいが、八丈島地域で当選した自民党の都議と都民ファーストの都議
候補とは友人関係、いずれ劣らぬ好印象の人物と漏れ伝え聞いている。

「さすがに南方海上約287Kmまでは都民ファーストの新しい風が届かなかった」
と云うことか?

 本稿では、第10話から、ずっと「パラダイム・シフト」をテーマにして、話題を
展開してきているが、離島と云う条件下のときに、このパラダイムの問題は人間関係
やコミュニケーションの面において深刻な問題を孕むことがある。

 今回の八丈島地域の都議選における課題についてもしかり、沖縄の基地問題におけ
る深刻さは、離島ゆえの地理的な課題が問題を更に複雑なものに増幅させている。

 先ずは、八丈島地域における課題について考えてみることにしよう!

 私は、都政における知事と都議によって構成される二元代表制の真価を発揮させる
具体策の一環として都民ファーストの会の中における「デシジョン・ボードの一案」
を提示してきた。

 ここで八丈島地域にとっての問題は、八丈島地域の都議として当選を果たしていな
いため、都民ファーストの会の運営するデシジョン・ボードに加われない?

 これが、私の「当たらぬ心配」であれば幸甚であるが、八丈島地域の約287Km
の遠方ゆえに、パラダイムに相違が生じやすいことを配慮して、この地域だからこそ
常に民意を推し量ることの出来る次期都議候補のデシジョン・ボードへの参加が必要
ではないか?
(その配慮と意思さえ確かなら、方法は、いくらでもあると考える)

 八丈島だけでも、その面積は、山手線内の敷地に相当する広さがあり、広域からの
民意は尊重する必要がある(勿論、現都議からの民意の反映はあるが都民ファースト
独自の鳥の眼的な視点から把握した民意もたいせつである)。

 次に、沖縄の課題については、私自身のつたない経験から「百年計画」を創案して
みた。ただし、これは、まだファンタジー的な計画段階であって、実現までには文字
通り百年かかると考えている。

 この発想の原点は、ニュージランドへの旅において経験した、「異次元の世界」の
体験がベースになっており、夢物語の域を脱していないが、次回から・・・

 「この異次元レポートの稿を起こして行くことにする」。

・・・・・・・・・・・・・

築地&豊洲市場の緊急課題

 本稿の執筆も第一章では八丈島へのエールを送った段階でその執筆を第二章に移し、
沖縄の百年計画について論を進めていたが、築地&豊洲市場の課題について風雲急を
告げる気配を感じて、急遽、第一章に戻ることにした。

 最近、築地からの移転日程が確定するかに見えた直前において江東区の区長からも
築地の市場関係者からも待ったの声がかかった。

 築地の市場関係者からは、受け入れ先の豊洲地区において、地区を代表する区長が
「受け入れの条件が整っていない」とする状況で移転日の決定は出来ないとしている。
これは、しごく当たり前の話である。

 江東区の区長が受け入れの条件が整っていないとする具体的な項目は、日々ブログ
を更新している都議のおときた駿氏の記事によれば・・・

 一つ目に、都知事による「豊洲市場の安全宣言」がいまだに発せられていないこと
を挙げている(これは江東区の区長からも、築地の市場関係者からも)。

 これについては、専門家会議の結論として・・・

「地上と地下は構造的に区分されており、地上の作業場などで地下水を使用すること
はないので安全である」としている。

☆都知事の口から、この所見を繰り返し発信することで、納得が得られるのか?

「地下の土壌対策としては、盛り土をすることで、環境基準を達成出来るとしてきた
当初からの取り組みについては、結果として、環境基準を達成できなかったが、今後、
引き続きポンプ性能の向上などの対策を講じることにより、中長期的に、環境基準に
向けた実測数値の推移を公開の場で情報公開して定期的にウォッチして行く」ことが
約束されている。

☆この場合に、都知事から、いつの時点で環境基準をクリアー出来るのか、あるいは
環境基準に近づくことができるのかを宣言することは難しいが、都知事・都庁の職員
そして都民・都議団で、共に、注視して行くことで、納得は得られるのか?

(都知事が達成できると宣言しても事態が思い通りに推移しないことは、かつて都議
会において、盛り土による環境基準の達成を宣言しながら、達成出来ないまま、今日
にいたっていることが、なによりも説得力のある事実である)

 次に、想定外の存在であった地下ピットに、汚染水が溜まっていた問題については、
対策として床にコンクリートを敷設して汚染水などの侵入を防ぎ、同時に換気による
措置によって、地上への影響を阻止する対策を講じている。

☆この対策については、安全に向けた補完措置として、都知事から対策内容の説明は
出来るが、安全宣言の根幹は・・・

「地上と地下は構造的に区分されており、地上の作業場などで地下水を使用すること
はないので安全である」の一点に尽きると考える。

 ここで残る課題としての風評被害については、顧客が考え・感じ取ることであって、
立ち止まって思案を巡らしていても、行く末(結果)を推し量ることは難しい。

 むしろ、東京都として、懸念する必要のある重要事項は、風評被害の影響も計算に
入れて、実際に、豊洲市場を稼働させた時に、マーケティングの総力を集めた結果と
しての総決算がどの程度の赤字で収まるのか?

 そこに「最大の課題」が残されて来る・・・

◇結果として、使用期間を「10年以内」に限定しないと、
     施設の運用を継続させて行く上で、赤字額が膨大になり過ぎるのか?

◇あるいは、マーケティングの総力によって、築地の収益からの資金援助が
     あれば、中長期的に、減価償却費も視野に入れた上で成り立つのか?

 今、江東区の区長と築地の市場関係者から、共に「都知事による安全宣言」を
求められている中で、安全宣言を発する前に思案することとして・・・

「現在は、築地から豊洲への移転が、中長期的にも成り立つ」と云う楽観論的な
考え方を主軸にして、スタートしようとしているが・・・

◇今、第一歩を踏み出すスタンスとしては、ここで悲観論的な発想も加えて・・・

「中長期的には、豊洲市場の運用が成り立たない可能性もあるので、先ずは築地から
豊洲に移転するものの運用費用の総決算および地下の環境基準への実測値の推移など
地上の安全宣言とは並行させた都民感情の受け止め等ここは楽観論に加えて、悲観論
からの備えも必要ではないかと考えるが、都政における首脳部の判断や如何に?」

 このように考えると、江東区の区長がコメントされているところの・・・

二つ目の豊洲市場の賑わいとしての施設の創設には、待ったがかかることになる。

三つ目の地下鉄の延伸についても同様に豊洲市場につながる計画としては、同様に、
待ったがかかることになる。

◇ここは、楽観論のみで進めて、被害関係者を増やすよりも、悲観論も加えて見直し、
先ずは豊洲への移転を実行することで、豊洲市場としての実地での確かな見極めが出
来てからの中長期計画の再構築が望ましいことを世論の風が期待しているのではなか
ろうか?

 悲観論で計画を展開する場合に・・・

「江東区の区長にも、築地の市場関係者にも、悲観論としての考えられる要因を
説明、それでも協力していただけるか、了解を得る必要がある」

「築地市場の関係者には、先ずは、豊洲に移転して、築地再構築に備える。その際
築地の現有施設の一部をエリア的に活用して仲卸業者向けに築地デポを用意するこ
とが出来ないか? 具体案を早急に準備する必要がある」

「一方で豊洲市場が10年以内の短期利用となった場合のことを想定して築地市場
の再構築を早急にプランとして立ち上げる必要がある」

「また江東区の区長とは、豊洲市場を10年先に廃棄処分とせざるを得ないときに、
当該地区として、どのように再開発を計画するか? 予め相談する必要がある」

「そして、万が一、10年先に、豊洲市場を廃棄処分とする場合に、誰が一番の
大ばか者になるのか、予め決めておく必要がある」



築地&豊洲市場の緊急課題(2)

 築地から豊洲市場への移転プロジェクトにおいて、現時点でブレーキをかけている
のは、豊洲市場の追加工事における入札の不調である。

 都議会における追加工事の審議や採決は議会メンバーの総意でスピード感をもって
進められただけに、入札における遅滞ぶりが余計目立つ。都職員によって入札の多少
の遅れは予見されていたが、実情は深刻な事態に陥っている。

 今日の築地&豊洲市場の混迷ぶりを目の当たりにすると、かかわりを持ちたくない
という「業者間に漂う空気」には同情出来る面もある。

 都知事の基本方針であるところの「豊洲は生かす・築地は守る」という理想として
の「ありたい姿」に対して、現実の世界は手厳しく、かつ、ギャップが大きい。

 この現実を「鳥の眼」で冷静に俯瞰した時に、豊洲市場と同規模のものを再び築地
に造ろうとしても、現実問題として、入札は困難を極め、東日本の復興事業やオリン
ピック&パラリンピック関連の工事で、多忙を極める建設業者からの応募は、極めて
難しいことが予見される。

 現在時点で、追加工事を残して、ほぼ完成している豊洲市場についても現状に到る
までの経緯を振り返ってみれば、驚異的な推進力の働きによって、確実な工事の進捗
が図られてきたことがよくよく推察出来る。

 豊洲市場の完成までの経緯が、都議会の百条委員会において、功罪を問う形で審議
が進められてきた場面を振り返っても、土地の取得から建設工事が完了するまでの間
において元石原都知事の「なんとしても豊洲市場を完成させたいと云う強い思い」と
都知事の腹心でもあり盟友でもあるH氏の「ハード・ネゴシエーター」としての卓越
した存在がなければ、今日の豊洲市場の完成は、ありえなかったかもしれない。
(ただし、何故そこまで執着したのか? や、功罪については別次元の話であるが)

 そのような視点で、鳥の眼的に、事態を俯瞰したときに・・・

「現実問題として、豊洲市場の追加工事の入札にてこづっている状況において、築地
市場の再構築などと云う夢は、ファンタジーの世界であって、現実社会では履行不能
と判断せざるを得ない? と、考えるが東京都の首脳部の考えや如何に?」

「たしかに、現在は、東京オリンピックやパラリンピックそして東日本の復興工事な
どに多くの人材が携わっており、人手が足りないこともあるが、それ以上に豊洲市場
や築地市場には、忙しい人手を割いてまでかかわりたくないというのが、建設業界に
おける実情と考える」

 かつて、私も、全社的な業務革新の旗振りをしてきて・・・

「トップの決断の迅速さは、熟慮して決断しないトップよりも、たとえ、その決断が
間違っていても、トップの周囲には優秀なブレーンが存在するので、必ず、見直しの
意見が上申されて、結果、組織として、俊敏な行動につながって行くこと」を多くの
場面で観てきた。

 今回の築地&豊洲問題にしても・・・

 基本方針としての「豊洲は生かす・築地は守る」の迅速な決断は素晴らしかった。
しかし、現実は、豊洲市場の追加工事ですら、入札の不調で、工事全体の停滞感を
招いて全体的に悪循環が回り始めた(今や、都知事として、覚醒の時と考える)。

 すなわち、現状認識として・・・

◇今後、築地の再構築に当たることの出来るハード・ネゴシエータの確保は難しく、
 建設工事に協力出来る業者の確保も、オリンピック&パラリンピック完了までは
 困難であり、その後においても、経過的に因縁のついて回る建設工事への協力の
 取り付けは難しいと考える。

◇仮に協力業者が現れても、競争原理が働きにくく、結果、豊洲市場と同様に割高
 な市場施設をさらにもう一つ造ると云う愚作に陥る可能性がある。

◇そういうことであれば、たとえ赤字垂れ流しの豊洲市場であっても、豊洲市場に
 集中して取り組むより道は残されていないと考えざるを得ない。
 
 幸いにも、豊洲市場の安全については・・・

「地上と地下は構造的に分離されており、地上で地下水を使うことはないので安全
 である」という最終コメントも専門家会議から発せられており、

 豊洲市場に対する風評被害への対応策としても、都の職員によって、広報活動が
開始されており、都民に向けて徐々にその思いが浸透して行くものと推察される。

◇さて、ここで、従来は、赤字垂れ流しの豊洲市場の収支決算上の救済策としては、
「築地の再構築による資金援助」を頼みの綱としてきたが、この築地再構築の計画
 の存在が、事態を複雑にしてきた要因も見逃せない・・・

 かつて、築地から豊洲市場への移転は、日程までが決定されていて、後は実施のみ
となっていた、それが、今日になって、あらためて賛否が拮抗して収拾の難しい事態
に陥っているが、移転延期後に、どのような状況の変化があったのだろうか?

 それは、プロジェクトチームが掲げた「築地プラン」を目の当たりにして夢が膨ら
んだことによる心理的な側面は否定出来ない。それは、豊洲市場関係者だけではなく、
東京都民や都知事にとっても、一時の希望であったことは否定出来ない。

◇しかし、現状で豊洲市場の追加工事ですら入札が不調に陥っている、今、において
 所期の計画であった「築地は売却して豊洲市場の資金調達の一部に充てる」とした
 計画への「原点復帰」も有力な案として浮上して来ると考える。

 これによって・・・

「豊洲市場の本格的な稼働に向けて、あらゆる資源を集中投入出来る」

「築地市場の再構築に向けた幻想から脱却できるので発想がシンプルになってくる」

◇それでは「豊洲市場の赤字対策」はどうするのか・・・
 
 この問題については、都知事をはじめとして、都の職員・都議会との相談や審議が
必要になってくるが、築地を売却しても「なお不足する費用」は、豊洲市場の債務を
東京都中央卸売市場内に「豊洲市場再生機構(仮称)」を新設して、この機構により
豊洲市場の債務をいったん買い上げて、適正な価格を割り出した上で豊洲市場宛てに
リース方式で貸し出す方法が一案として考えられる。

 豊洲市場再生機構では、東京都中央卸売市場の全体利益からの一部を豊洲市場再生
基金として資金援助を受け、東京都の組織の中で、税金による補てんを期待すること
なく、東京都中央卸売市場の全体的な運命共同体としての豊洲市場を支える。
(具体的な援助額の算定などは都の財務担当の支援を受けて決めることとする)

◇そして文末の結びとなるが、この一連のプロジェクト遂行には、都知事の特別補佐
 役が必要になって来るが、ブロガー都議のおときた駿氏が、行動力・発信力ともに
 兼ね備えていて適任と考えるが・・・小池都知事の判断や如何に?

◇衆議院選において、小池代表の活躍は、結果的に・・・

 自民党&公明党の与党にとっては、外様大名的な「自民派閥」を越えた働きとなり
大いなる助けとなったが、

 都議のおときた駿氏についても、都知事の度量の広さで、豊洲市場問題の特別補佐
役として彼を迎えたときに、都民ファーストの外様大名的な存在を越えて自由・闊達
な活躍が重臣&ブレーンとして期待するが如何?

 今や都議会の構成も「都民ファースト」「公明党」「自民党」が並立する形となり
三国志を連想させる構図となってきているが、ここで、諸葛孔明的な迎え方をしても
良いのではないかと考える。

(都知事の度量の大きさが、身近に、救世主を誕生させる可能性はある)

 ~ 敵に回すか、味方に引き込むか? 都知事の掌中に、未来への答えがある ~

と考えるが、大きなお世話であったかもしれない。



築地&豊洲市場の緊急課題(3)

 私は、いつものように、午後11時に眠りにつきながら・・・

「豊洲問題について、都知事も人が好すぎるな~」とも思いながらも反面、日頃、
都知事に振り回されているであろう人々のことを考えると、

「人が好すぎるなんて、とんでもない」と云う声が耳元に届いたような気がした。

 すると、突然、その時に・・・

 キラキラ星を引き連れて、背中に翼を背負った女神が、目の前に登場された。

「そうなのよ、育ちが良すぎるので、肝心なところで人の好さが出てしまうのね!」

「ところで貴方は子供の頃に算数が好きで、そのまま数学好きにつながっていって、
高校生の時に、全校生の前で、数学賞をいただいた話をしてましたよね」

「その時に、貴方が話していたことを思い出して、本日、お邪魔した次第です」

「あの話です。貴方が子供の頃に難しい算数の問題に嵌り込むと、いつも家の東側の
クルミの木に登っては横木に腰かけて思案していると突然、ヒントが浮かぶと云って
それを習慣にしていましたね。そして、やがて数学好きが嵩じて、あるとき、数学の
難問にぶつかったときに、極論で考えてみると云うコツに気付きましたね!」

「私も、その話を思い出して、豊洲市場の問題も初めに極論で考えることで解決策に
行き着くのではないか? と考えたのです」

 現時点において、江東区の区長と築地市場のトップ層から、都知事に向けて、安全
宣言が求められていますが、それぞれに、狙いとするところは微妙に異なります。

◇江東区の区長は、地域の賑わいによる、地域の発展を目指しています。したがって
 豊洲市場が物流面で発展しても、人の賑わいが伴わなければ受け入れ条件としては
 整わないことになります・・・そのための安全宣言を求めています。

◇築地市場のトップ層は、豊洲市場に移転した時の風評被害による客離れを懸念して
 おり・・・そのための安全宣言を求めています。

 両者の求める安全宣言に対して、現状の追加工事による対策で、都知事の立場から
「安全宣言」が出来るでしょうか?

「その答えは・・・現状では、安全宣言は出来ません!」

 そこで、背中に翼を背負った女神は、私の極論的な発想をヒントにして・・・

◇都知事が安全宣言をするためには、現状の豊洲市場の施設は全て取り壊して更地に
 する。そして、建屋下部のピット部分にも、全て盛土をする。

◇そして、定点において、定時的な土壌観測を行って、全て環境基準を達成した時点
 において、高床式の建屋の建設を開始する。

◇建屋完成時には、継続的に観測を続けてきた土壌観測の結果が環境基準を達成して
 いることを公表して、都民に向けて、江東区の区長に向けて、築地市場のトップ層
 に向けて「安全宣言」をする。

「これらの工事の着手に際しては、現在、ほぼ完成している豊洲市場が、瑕疵の対象
である旨を、予め、訴状を提出して公開しておく」

 訴状の根拠とするところは・・・

◇当初の技術審議会の提言(実質は勧告に近い)は、「盛土を施した上で、その上に
 建屋を建設すれば安全」としていた。

 これに対して、建屋の下に「盛土のない部分が設けられ」地下水が侵入することに
よって、環境基準から外れた検査結果が発見されたことは「瑕疵」に相当する。

 当然、これを設計した業者およびこれを認可した当時の都職員、審議会からは盛土
を全面に施すように提言(勧告)を受けながら工事現場でピットの存在を黙認してき
た当時の大手ゼネコンを主軸にしたジョイントメンバーは、「瑕疵」の当事者と推定
される。

 これは極論的な推論であって、訴状を出すか否かは、別次元の話であるが・・・

◇ここで、断言できることは、都知事の対応次第で、現状の豊洲市場は「未完成」で
あり、大手ゼネコンを主軸としたベンチャー企業連は、いまだ市場工事関連者として、
重要なつながりが継続していることを意味する。

 過日、都議選の前に、都知事として築地市場に出向いて、豊洲市場の土壌問題など、
いまだに環境基準を達成出来ていない旨を「お詫び申し上げた」が、ここでの業務は
仕事半分、その先の仕事として、豊洲市場の工事全般について「瑕疵の訴訟を起こす」
と云う大事な仕事が残されていることになる。
(この面では、盟友である若狭氏の助けも大いに期待出来る)

◇そして江東区の区長からの要求項目としての二つ目「賑わいの施設創設」なくして
 豊洲市場の受け入れはありえないと云う課題については、前任の都知事からの重要、
 かつ、クリティカルな引継ぎ漏れである。

◇江東区の区長から、あらためて要求があったからには、前任の知事を攻めてみても
 決着のつけようがないが、この点から云えることは・・・

 豊洲市場と築地市場を二股に掛けることは、出来ないと云うことになる。
豊洲市場の賑わいを条件として、前任までの知事が約束しているからには、築地市場
とその賑わいをパッケージとして「移転条件」にしている紳士協定を後任の都知事が
簡単に反故には出来ない。

 ここは引継ぎ漏れをお詫びして、築地は当初の計画通り売却措置に大きく舵をきる
必要があると考える(そこに妥協の余地はない)。

 賑わい施設の創設については、現契約者として、経営面から見直しの動向も伝えら
ているが、背中に翼を背負った天使の意見としては、もし現契約者が辞退という状況
にいたったときには、オリンピック&パラリンピックの賑わいを視野に入れて早急に
ピンチヒッターを探す必要があると云う(それが江東区の区長への誠意と云える)。

 さて、次に、背中に翼を背負った女神は、極論から一気に視点を現実問題に移して
状況を鳥の眼的に俯瞰してみたのだと云う。

 現状の豊洲市場の追加工事について、誰しもが疑問をもっていることがある。

◇専門家会議において、「地上と地下は構造的に分離されており、地上では地下水は
 使わないので安全」としているのに、何故、追加工事が必要なのか?

◇地下の床面にコンクリートを敷設する工事は、一面では危険をも伴う作業であるが、
 ほんとうに必要とする工事なのか?

◇地下水の処理ポンプの能力向上や換気機能の追加については、その効果を誰しも
 認めるが、地下ピットへのコンクリートの敷設については、それだけで地下水の
 侵入を完全にシャットアウトできるのか?
 
 さらに追加工事が必要とならないのか?

 事前に実証実験は必要ないのか?

◇追加工事を個々に発注することで、極論的な発想によって都知事には有利な瑕疵の
 可能性を手繰る文脈は断ち切られることになり、今後また対策工事が必要になった
 時に今後の責任は全て都知事に降りかかってくることになるが、それで良いのか?

 と背中につばさを背負った女神は心配なのだと云う。

 そこで、背中に翼を背負った女神が出した結論としての案は・・・

◇それぞれの街区について、それぞれの瑕疵の疑いがまだ残されているからには、
 全体工事の振り分けの中で、いままでの大手ゼネコンを主軸にしたジョイントで
 都からの計画案を受けていただき、それぞれプロフェッショナルとしての所見を
 加えていただいて、今後の見通しについても「所見」を述べていただく。

◇その際に、瑕疵疑いの課題は残されているものの、用意出来た予算を確定的な
 ものとして取り組んでいただけないか交渉できるハード・ネゴシエーターの
 登場を期待する(都知事自らの登場もあり得る)。

◇そして、安全宣言については、都知事からではなくて、これらの安全に向けた
 機能集団から、街区ごとに、これからの安全に向けた声明が出されれば・・・

 江東区の区長からも、築地市場のトップからも、同意が得られるのではなかろうか
と背中に翼を背負った女神は考えたのだと云う。

 私もこうして、いままでの文脈や水脈を切らさずに責任系統をトレース出来るよう
配慮した、追加工事の発注が望ましい姿であると共感した。



江戸っ子の粋の良さが観たい

 最近、気になったテレビニュースの話題に・・・

「江東区と大田区による東京湾埋め立て地の帰属問題の話がある」

 両者の言い分には、それぞれの思いがあって、とても妥当な調停案など想像もつか
ないが、ここは、ひとつ江戸っ子の粋の良さが観たいものと考える。

 どのような解決策が両地区の都民にとって、WIN・WINの関係になるのだろうかと
考えているうちに、私と家内と一緒にハワイ旅行に出掛けた時に、現地のガイドさん
から聞いた、ハワイの「カメハメハ大王のエピソード」を思い出した。

 カメハメハ大王だったら、どのような調停案を示すだろうか・・・

 多分? と云う勝手な想像が働くが、やはり「江戸っ子の粋の良さが観たい」と
想うだろうな、と、想像した。

 そこで「結論」(案)?

 2020年のオリンピック&パラリンピックの記念すべき「ボート・カヌー会場」
ともなれば、当然、レガシーとしての存在価値も高い。そこで・・・

「ボートとカヌーを使った競技大会で土地の帰属問題に決着をつけたら」と考えた。

 勝負は一本勝負!

◇それぞれ、10名の選手を選抜する。

◇ボートとカヌーの選択は自由(それぞれ3隻まで選択出来る)

◇スタート地点は、江東区と大田区で、最適地をそれぞれに選択する。

◇用意するものは「くい打ち道具」と「杭」のみ

◇出発の合図は、それぞれ、都庁から区長に、スタートの連絡が入り、区長から
 スタート地点に連絡が入る。

◇そして、それぞれの選手が該当の埋め立て地区に向けてボートやカヌーで漕ぎだす。

◇島に着いたら、「自分たちが、自分たちの所有地として活用したいエリア」を確保
 するために、それぞれ「杭」を10メートル毎に打って行く。
(制限時間を予め決めて置き、時間が来たら終了)。

◇両者ともに、確保しなかったエリアおよび確保出来なかったエリアは・・・

 東京2020街区として認定、このエリアは東京都の所有地として認定するが、
 江東区と大田区で共同利用する選択肢も残しておく。

◇唯一のペナルティーとしては、両者の選手間で小競り合いが認められた場合は、
 レフリーのレッドカード発行により、対象地域は、全て「東京2020街区」
 として「レガシー記念区」に認定する。

 これから迎える2020年のオリンピック&パラリンピックに向けて
  このような「江戸っ子の粋の良さ」を見せるのも面白い趣向かも知れない!



豊洲地区の未来地図

 豊洲市場の方向性も順調な航路に向けて大きく進路を取り始め、一安心である。

 平成29年第4回都議会定例会において、都知事による所信表明が発信され、その
経緯の中で、豊洲市場の課題についても所信が述べられ、順調な航路に向けて進路が
取り始められたことが確認でき、一安心である。

 小池さんも、都知事就任以来、障害物レースのような難題が次々と課せられ、豊洲
市場の開場に向けて、スタート地点に到達するまでの過程でさまざまな問題への取り
組みを余儀なくされたが、先ずは、築地から豊洲への引っ越しが出来そうな状況にい
たったことは喜ばしい。

 東京丸という大きな船体を操舵して行くためには、急旋回は出来ないので、傍から
観ると「もっと早く舵が切れないの?」と云われそうだが、そこは大所帯の航行だけ
に、遥か遠方を見て少しづつ舵を切る必要がある。

 私も、かつて日本生産性本部が主催する研修船などで、講師として大型豪華客船に
2回ほど乗ったことがあるが、偶然にも、2回目の乗船時は自分が勤務していた会社
で建造した大型船に乗る機会を得た。

 当時、私が勤務していた事業所は、航空機用のジェットエンジンを設計・製造する
部署であったため、同じ企業内でありながら、造船関連の事業には触れる機会がなく、
大型豪華客船の操舵室見学の機会に恵まれたときに、案内の方に、その辺の事情を話
したところ、特別に操舵ダイヤルを見せていただけることになり、興味深く拝見した
ことがあるが、操舵ダイヤルはダイヤルを僅かに回すだけで船体が大きく方向を変え
ることを目の前で確認した。

 冒険映画のシーンなどで、船の舵を大きく懸命に回す場面とは、だいぶイメージが
異なるので、実際の操作ダイヤルによる航路変更には、正直、拍子抜けした。

 都知事による所信表明も、現代的であり、大げさな意思表示はなく、操舵ダイヤル
による感覚に近く淡々とした説明であったが、重要なメッセージは伝わってきた。

 メッセージから感じ取ったことは・・・

◇豊洲地区の賑わいに向けて、地区との協業による「市場受け入れ準備」の方向性や
 確かさが力強く伝わってきた。

◇豊洲市場の追加工事に向けて、既存工事の建設業者との兼ね合いを考慮した連続性
 のある発注の方向性が確認出来た。

◇築地の市場関係者との概略の引っ越し時期の設定など、その後のスケジュール展開
 に安心感がもてる展望が広がった。

 今後、豊洲市場の採算性の課題については、さらに突っ込んだ計画が必要となって
くるが前述した「豊洲市場再生機構(仮称)」の考え方を、あらためて、再度、掲載
しておくことにする。

◇「豊洲市場の赤字対策」をどうするか・・・
 
 この問題については、都知事をはじめとして、都の職員・都議会との相談や審議が
必要になってくるが、築地を売却しても「なお不足する費用」は、豊洲市場の債務を
東京都中央卸売市場内に「豊洲市場再生機構(仮称)」を新設して、この機構により
豊洲市場の債務をいったん買い上げて、適正な価格を割り出した上で豊洲市場宛てに
リース方式で貸し出す方法が一案として考えられる。

 豊洲市場再生機構では、東京都中央卸売市場の全体利益からの一部を豊洲市場再生
基金として資金援助を受け、東京都の組織の中で、税金による補てんを期待すること
なく、東京都中央卸売市場の全体的な運命共同体として豊洲市場を支える。

◇具体的な援助額の算定などは都の財務担当の支援を受けて決めることとする。

 ただし、豊洲&築地市場の課題は、影響する分野も広範囲に及んでおり、心理的に
デリケートな面も包含していることを考えると、超大型船の東京丸を急旋回すること
は影響が大きすぎるので、遠方に方向を定めて徐々に操舵ダイヤルを回して行く必要
があると考える(気持の上では、急いでも、急旋回は危険である)。

・・・・・・・・・・・・・・・・

(第一章の末尾の繰り返しになるが)

次に、沖縄の課題については、私自身のつたない経験から「百年計画」を創案して
みた。ただし、これは、まだファンタジー的な計画段階であって、実現までには文字
通り百年かかると考えている。

 この発想の原点は、ニュージランドへの旅において経験した、「異次元の世界」の
体験がベースになっており、夢物語の域を脱していないが、次回から・・・

 「この異次元レポートの稿を起こして行くことにする」。



第二章

異次元の世界との遭遇(沖縄百年計画に向けてのプロローグ)

 雪をかぶったマウントクックの姿は、美しく、ずっと観ていても飽きが来ない。
ミセスCIA親娘はバスの前列に陣取り、娘さんが盛んにビデオで前方の風景を撮影
している。
(ミセスCIA親娘の呼び名については、前述しているので、ここでは省略する)

 南島の屋根ともいわれているあのサザンアルプスの最高峰マウントクックは探検家
キャプテン・クックの名前を記念して、命名されたものである。

 しかしながらニュージーランドを三回も訪れたという、英国の探検家キャプテン・
クックは、この秀麗な山を、一度も見ていないのだという。

 ベンツ製の頑丈なバスは全員にシートベルトを着用させて制限速度なしの高速運行
で突っ走って行く。バスの進行方向の左手には、秋の野原が一面に広がっている。

「春には、野原一面が花でいっぱいになります」というガイドさんの説明がある。
この野原で採れる蜂の巣は、そのままスライスされ、天然産の蜂蜜として、お土産屋
さんで売られている。

 右手には湖が続いている。空が写っているような青さが印象的である。
このバスに地元の案内役として、同乗した日本人ガイドさんは、ニュージーランドが
気に入って、そのまま住みついてしまったというだけあって土地の事情に詳しい。

「皆さまの右手に見えております、この湖には、2メートル級のうなぎが棲んでおり
ます。ときには水を飲みにくる、子羊を呑みこんでしまう」と聞いておりますという
説明に、私は内心・・・

「本当かいな」と思いながら、情景を想像しているうちに、背筋が寒くなってきた。

 湖面に沿った道路脇の風景が牧草地帯に変わる。羊の群れが牧草をもくもくと食べ
ている。バスを止めて一緒に写真を撮ろうとすると、羊たちがいっせいに逃げ出す。
羊たちは、全てが雌であるという。雄は、子羊の段階で食肉になる。

 そして、種羊の雄だけが残されるのだという。この種羊も、時折、生殖能力の検査
が行われて、役にたたなければ食肉になるというから厳しい。

「どのようにして、検査をするのですか?」とガイドさんに質問をぶつけると・・・

「簡単な方法ですよ。種羊の股間に、チョークを塗り込んでおいて、そのチョークの
粉が、雌の羊たちに付着していなければ、即、役立たずと判断されるのです」という
説明に思わず厳しいなと驚く。

 牧場で飼育されているのは、羊だけではなく、鹿も放し飼いにされている。
「鹿のフェンスは高くしてあるので鹿を飼っている牧場は、すぐに分かりますよ」と
ガイドさんから、説明が加えられる。やがて、トンネルに入る手前で、休憩となる。
 
 道路脇には、小川が流れている。
その水の清らかさに誘われて思わず手で水をすくう。
「心が、洗われるような、清々しさね」と、家内が目を細めて喜びを表現する。

 目の前にあるトンネルは最近の雪崩のときに大雪で埋まってしまい、ブルドーザー
で掘り出したのだという。ミセスCIA親娘が・・・
「あっ、虹よ」といってビデオを回している。

 地平線上に、完全な形で跨ぐ虹を見たのは、私も初めてのことであった。
地元のガイドさんが・・・

「ニュージーランドでは、虹は、あちこちで頻繁に見られますよ」と説明している。

 バスから降りて手足を伸ばしたついでに、辺りを散策することになり、もう一度、
虹の頂上部を見た時に、天空の光が私の目に糸のようにつながった。
状況が飲み込めずに立ちつくしていると・・・

「さっきの滝は迫力があったわね」と家内が、ついさっき滝を上から見おろした時の
ことを思い出して、話しだす。私の感覚でも、通常、滝は下から見上げるが、上から
見おろす滝の迫力は凄かった。

 バスの運転手さんが地元のことを知り尽くしており、ガイドさんと相談しては観光
化していない穴場に案内してくれるので、ツアー仲間は大喜びである。

 やがて、それぞれに休憩を終わりバスに乗り込む。バスが、トンネルに入ってから
間もなくのこと、突然、バスのライトが消えて、車内が真っ暗になる。

「キャー。どうしたのかしら」と女性たちが騒ぎだす。

 すぐに、ライトが点灯される。愛嬌たっぷりの運転手さんのいたずらであった。
「このトンネルを抜けると、もうすぐ、マウントクック村です」とガイドさんの案内
がある。

 話題は変るがニュージーランドに来てから、随所で環境保護への配慮を感じ取った。
例えば、ゴミ捨て用の袋には、燃えやすく工夫された特別製のものを使っている。

 公衆トイレにおいては施設全体がステンレス製で建設されており、天上から一気に、
水が流れる設計になっている。トイレ内の洗浄についても、小まめに実施されている
様子で、あのトイレ特有の異臭感は、まったくないといって良い。

 ハイキングコースなども、景勝地を訪れる登山者は、登録制になっていて登山者に
対しては登山をする上でのエチケットが徹底されていて厳格に守られているという。

 マウントクック村に着いて、最初に目から入ってきた印象は、ゴミひとつない清潔感
であった。村からの眺めは、マウントクックが目前に迫ってきて圧巻である。

 標高が三七六四メートルもある最高峰は、最近の大きな雪崩で標高が変ってしまった
という。このマウントクックに、さらに、近づきたいという人のために軽飛行機で頂上
付近の氷河に着陸する航空サービスが用意されている。

「風の強いときに、飛行機に乗ると、機体が、かなり大揺れしますよ」とガイドさん
から説明があったが・・・

「私たち、飛んで来るわ」と、ミセスCIA親娘と友人夫婦は、一番乗りの名乗りを
あげる。さすがに好奇心旺盛で反応も俊敏である。新婚夫婦も同行するという。

 私が、家内に向かって「どうする」と聞くと・・・

「私はまだ子供たちを育てきってないからやめておくわ」という返事が返ってきた。

 私は家内と一緒にミセスCIA親娘と新婚夫婦の乗った軽飛行機が、飛び立つのを
見送ってから、レストランで昼食を取ることにした。

 二人でレストランに入ると、店内は大賑わいの盛況ぶりであった。
「あの人たち、本当に元気ね」と、ミセスCIA親娘やお友達夫婦のパワフルさに、
驚きながら、チーズ味の食事を心ゆくまで楽しんだ。

 昼食を終わって隣の部屋に移ると、真正面に、大きなマウントクックが眺望できる
ように、くつろぎの間が、用意されていた。中央の大きなソファーに座ると、目の前
に広がった深い森林に吸い込まれ、そして、優しく包み込まれるような感覚に陥って、
思わず睡魔に襲われた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ここまでの経過を注意深く観察して気付いたことは・・・

「マウントクック村への入り口となるトンネルの手前でバスを停めて皆で休憩時間を
楽しんでいるときに、大きなアーチを描いていた虹に感動。その時に虹の頂上の部分
から天空の光が私の目に飛び込んできて糸のようにつながった瞬間があった」

 あれが何らかの兆しであったのかという思いはある。

「それに加えて、トンネルの中で、バスの運転手さんが車内のライトを消したときに、
悪戯をよそおっていたが、あのときに、異次元の世界へのルートに引き込まれていた
可能性も考えられる」。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【予 告】

 さて、いよいよ、ここからは「一分の隙もない」という印象でありながら・・・
「ソムリエのような柔らかな物腰」を合わせ持った謎の人物「神崎氏」の登場である。

 彼は、ヘリコプターの操縦も難なくこなす。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【夢か? 幻か? それとも異次元の世界か?】

 私は、自分専用のカメラを一眼レフにしてからというもの旅に出掛けたときの写真
の出来上がりが楽しみになった。マウントクックを背景にして家内を左側の自動焦点
に合わせて、一枚、二枚と、少しずつアングルを変えながら撮影する。

 最近は、デジカメの一眼レフにも興味をもっていて、見てまわってはいるが、購入
までの決心にはいたっていない。今度は、雰囲気を変えて、私と家内のツーショット
主体にと、ハンディーカメラに取り換えリモコンの二秒タイマーを使って撮っている
と、光を背中にした蝶ネクタイの紳士が、こちらに向かって、真っ直ぐに歩きながら、
私に会釈をして来る。

 二人で写真を撮っていた台上から手を取り合って、レストランのくつろぎの間の床
に着地する。このレストランには、軽飛行機で、マウントクックの氷河を見に行って
くると云う仲間を送り出してから入店、チーズ料理の旨いレストランであった。

 食後にマウントックを目に前にすることが出来るくつろぎの間に移って写真撮影を
楽しんでいたのであった。不思議なことに、私も家内も、この部屋に足を踏み入れた
瞬間から、利き腕が右手から左手に変わった感触を共通体験していた。

 これは、大昔の体験であるが、いまだに、この感触は手中に残っている・・・

 以来、今でも、テニスをしていて、バックサイドに飛んできたボールを時々だが、
ラケットを左手に持ち替えて無意識に返球していることがある。

 これは南半球で南十字星(サザンクロス)を仰ぎ見たときに体験したパラダイム・
ショックの残像現象だろうか?

 二人共に、自分であって、自分でないような感触・・・

 フロアーに降りた私たちに向かって、蝶ネクタイの紳士が近づいてくる。

「小田洋介さまですか」と訪ねてくるので、
「はい、小田洋介です」と答えると、
「閣下が、洋介さまに、是非、お会いしたいと申しまして、お迎えにあがりました」

「家内が、一緒ですが」といって振り返ると、
「お時間は取らせません」といって家内に視線を合わせてくる。

「バスツアーの出発時刻までには、必ず間に合わせますので」となにもかもお見通し
のようである。

「あなた、バスの出発までには、時間が十分ありますから、いってらっしゃい。私は、
この辺りで時間を過ごして待っていますから」と家内に、うながされて、ようやく心
が動いた。

 蝶ネクタイの紳士に案内されて、外に出ると、目の前には黒塗りのロールスロイス
が止まっている。

「どうぞ」とドアが開かれて、ゆったりとした後部座席に案内される。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 洋介(自分であって自分でないような私)はだいぶ昔のことであるが、当時、イギ
リスで航空機用のジェットエンジンを製造していたロールスロイス社を訪問した際に
イギリスのダービーのホテルまで、同じタイプのロールスロイスが迎えに来て、上司
と一緒に乗ったことがあるので、室内の様子は、だいたい分かっている。

 蝶ネクタイの紳士は後部ドアを閉めると前室に乗り込んだ。そして、前室で運転手
さんに、なにか盛んに指示を与えている。運転席までは離れていて良くは聞き取れな
いが・・・

「時間経過の設定を、百万倍速にしておくように」
「それから、バスの発車に遅れないように、セフティーロック付きのタイマーをかけ
ておくように」というようなことを云っているようだ。意味が良く分からないので、
そのまま聞き流すことにした。

 やがて、後部座席のドアを開けて、蝶ネクタイの紳士が、乗り込んできた。

「小田さま。バスの出発までには二時間の余裕があるとお聞きしましたが念のために、
タイマーの磁気を手首に塗布させていただいて、よろしいですか」と聞いてきた。

「ああ、このことを話していたのか」と自問して・・・
「はい、よろしくお願いします」と答える。

 車内は、後部座席が、そこだけでも、ちょっとした応接室のように設計されている。
後部座席の前方には、ちょっとした補助座席が後ろ向きに設けてある。

 その座席に蝶ネクタイの紳士は、天井を気にしながら、窮屈そうに腰掛けて、なに
やら機器をセットしている。

「小田さま。恐れ入りますが、この筒の中に、手首を差し入れていただけますか」と
声をかけてくる。

「はい。完了しました」というので、手首を見ると、昔々、東京ディズニーランドに
行ったときに、一時的に外に出て、お土産を買おうとした時に手首に付けてもらった
蛍光マークのようなものが塗布されていた。

「それでは、出発させていただきます」といって、蝶ネクタイの紳士は運転席の方に
移り、車は静かに走り出した。しばらく走ると、軽量ヘリコプターが用意されていて、
蝶ネクタイの紳士は、自らパイロット席に座り、ヘリコプターの操縦桿を握った。

「洋介さまは、ニュージーランドは、初めてでございますか」と聞いてくるので、
「はい、初めてです」と答える。

「閣下は、大聖堂で、お父上の竹次郎さまに、そっくりな洋介さまをお見かけして、
ずいぶんと驚かれた」とのことでした。

 警戒心の強い洋介に、レストランにおいて、蝶ネクタイの紳士が説明した話では、
父親の竹次郎と知り合いの方だというので、安心して同行してきた。

 家内も、また、父親の竹次郎の知り合いということで、安心して送り出したので
あった。

「それにしても、父親のことを良く知っている閣下とは、どのような方だろうか」
「父親とは、どのような関係の知り合いなのだろうか」と自問を繰り返す。

 やがて軽量ヘリは大きく旋回して海面上に浮かんだ簡易エアーポートに着陸する。
そこから、また、ジェットボートに乗り込み洞窟の中をくぐり抜けて行くと、その
まま大きなエレベーター内に飛び込む。

 そこからは猛烈なスピードで地下三十階と標示されたフロアーまで高速移動した。

 ジェットボートは、後ろ向きに外に出ると、ターンテーブル上で向きを変えると、
また、一気に突っ走る。

「いったい、ここは、どこなのだろう?」と少し不安になる。

 ジェットボートから降りて蝶ネクタイの紳士に案内され正面の部屋に入って行くと
「ここで時空交換をします」と云う説明があり、ここでも座り心地の良いソファーに
案内される。

 ゆったりと腰掛けているとブーンと云う唸り音とともに目の前が真っ白になった。
「これで、時間軸が、百万倍モードになりました」と云うのだが、意味がまだ良く
呑み込めない。

「これも、百万倍モードで、収録されていますので、ご覧になっていて下さい」と
カセットが差し出される。

「これは、なんのカセットですか?」と、おたずねすると・・・

「閣下が云われますには、日本の政府機関である機械振興協会の連載記事で、著者の
藤波修氏が、各種文献から編集されたものを、さらにデジタル加工して、百万倍速で
聞き取れるようにしたものだそうです。日本の航空機産業の歴史が、よく整理されて
いて、分かりやすく解説されている」と申しておりました。

「洋介さまの感想も、お聞きしたいと申しておりました」といってヘッドホンのよう
なものを差し出してくる。

「ヘッド・シミュレーターを、ご用意させていただきました」

「これは、なんの機器ですか?」

「はい洋介さまが感じ取られたことを、テキスト・データにして書き出す機器です」
「そんなことが、できるのですか?」
「はい、最近の脳の科学の進歩で可能になったのだと、閣下からは聞いております」

 洋介には、半信半疑であったが、ここまでくれば、乗りかかった船ということで、
トコトン信頼してゆこうと、腹を括った。アイマスクのような装置を、目に当てて、
ヘッド・シミュレーターをヘルメットのようにして頭からかぶると、やがて目の前
をタイトル文字が走っては消えた。

「日本の航空機産業の起源を辿る」と声を出して読んでみる。

 今度は、解説文がゆっくりとしたペースで、目の前を流れて行く。これをテロップ
というのだと過去の記憶から思い出していたが、別に読もうと努力しなくても、頭に
入ってくる感覚は新鮮であった。同時に、耳からも音声が聞こえてくる。


日本の航空機産業の起源

 日本の航空機産業を論じるときに造船産業・自動車産業と合わせて見ていく必要が
ある。軍の影響を大きく受けてきた造船業は戦前から技術的に世界水準に達していた。
その造船技術と設備が戦前の航空機産業の隆盛につながった。

 しかし、その技術も世界を圧倒するレベルではなかった。そのために、その技術力
がかえって、戦争を長引かせ、犠牲を大きくしたと云われている。

 一方で、造船業よりも、遅くスタートした自動車産業は、戦前は、世界の技術水準
に遠く及ばず、家電製品と同じく粗悪品の代表といわれていた。

 しかし戦後の連合軍による航空機産業の禁止令の空白期に、多くの航空機技術者が
自動車産業に流れて行き結果、現在の世界的な自動車産業の成立につながっていった。

 この三つの産業の歴史を辿るとき、将来の、我が国の航空機産業における未来像も
見えてくるかも知れない。そこには我が国の航空機産業の限りない発展性が見え隠れ
している。
 
・・・・・・・・・・・・

 気のせいか、遠くのほうから足音が、近づいて来る・・・
「紅茶をお持ちしました」という言葉が、後方から聞こえる。

 洋介は、ヘッド・シミュレーターなど機器一式を頭と目と耳から取り外す。

「ロイヤルミルクティーをお持ちしました」
「いかがですか?」
「テロップは、ちゃんと流れておりますか?」

「閣下は、日本政府の刊行物をデジタル処理して、正確に、音声化したといっており
ましたが」と、さきほどの蝶ネクタイの紳士が、小脇にアルバムを抱えながら話しか
けてくる。

「お父上の竹次郎さまは、そのミルクティが、とても、お好きだったようです」

 たしかに、洋介の父親は紅茶好きである。
夜などは、チーズとともに、紅茶を楽しんでいた。

「閣下のお話では、若いときの竹次郎さまのお写真が、洋介さまに、そっくりである
と申しまして」・・・

 アルバムには、若いときの父親が写っている。

後方には飛行機が写っている。首には絹の光沢感のある白いマフラーを巻いている。
洋介は、かつて父親の若いときの写真を見ており、たしかに、パイロットの格好を
した姿は、父親の竹次郎に間違いない。

「お父様は、閣下の秘蔵子といわれた、優秀なテストパイロットでした。終戦までの
間に、百機近くを乗りこなされたようですよ」という説明に、洋介は耳を疑った。

 当惑した表情の洋介の顔を見て・・・

「閣下は、ただいま、フューチャー・エリアで、飛行準備を進めております」
「洋介さまに、是非とも、搭乗していただきたい」と云って楽しみにしております。
「それまでの間は、私に、イエスタディ・エリアをご案内するようにと申しまして」

「今、ご覧いただいております、カセットは百万倍速ですので、短時間で、目を通す
ことが可能です」
「ここで、カセットをご覧いただきますと、後で、イエスタディ・エリアにおいて、
実際に搭乗体験されるときに役立つかと考えます」と云って洋介が飲み干した紅茶を
片付けるように、アシスタントの女性に指示すると、その場を立ち去っていった。

 洋介にとって、テロップは目の前をゆったりと流れており、これで百万倍速なのだ
ろうかと、疑問に思いながらも、信じてかかることにした。アシスタントの女性が、
自分の名前は白木であり用事があれば、このリモコンスイッチを押すようにといって
引き揚げていった。

 洋介は、ヘッド・シミュレーターを装着して、続きを見ることにした。テロップに
よって小見出しが最初に示されるので、頭の中で整理がしやすい。

・・・・・・・・・・・・・・・

造船業からの近代化の始まり

 日本の造船業は幕末に始まっている。動力のない木造船は太古の昔から作られてい
たが、動力付きの鋼鉄製の造船は、幕末からであった。それまでの和船は龍骨のない
底の平らな帆船で、外洋航海には不向きなものばかりであった。

 一八五三年に、浦賀沖にペリー提督が率いる黒船が突如として現われ、この蒸気船
が、日本の造船業を近代化に導いた。それから、百五十年間たった現在においても、
なにかにつけてアメリカから変化を促されて、日本の社会構造を変えようとしている
姿は、今も昔も変わっていないところが興味深い。

 幕末には、日本でも造船ラッシュを迎えることになるが、コスト面などから、外国
からの輸入にかなわないことがすぐに判り、ほとんどの造船所は閉鎖されていった。

 しかし、水戸藩が江戸の石川島に開設した造船所は生き残り一八六七年に平野富二
が払い下げを受けた。これが、日本最初の民営の造船所となった。この石川島造船所
では、船体の建造が盛んに行われた。

 一方で、幕府の長崎造船所は、明治政府に引き継がれ、後に三菱に売却された。

 その後、第一次大戦後は国産艦船だけで艦隊を構成できるまでに建造力を向上させ
ていった。民間需要も第一次大戦を経てから著しく伸びて、一九一九年(大正八年)
には、国内需要のほとんどをまかなえるまでに成長した。

 時期を同じくして、工作機械メーカーや製鉄業も、世界的産業に発展していった。
このようにして、日本の工業生産力は、造船技術の総力を高めて行き、第二次世界
大戦前の一九三九年(昭和十四年)には、日本の造船技術は、イギリス、アメリカに
続く世界で第三位の造船国になっていた。

・・・・・・・・・・・・・・・

航空機産業の始まり

 日本において初めて空を飛ぶ快挙は松山藩の二宮忠八が一八九一年(明治二十四年)
に、ゴム動力によって鳥を真似た模型飛行機を製作。空中を三十メートル飛ばした。
その後、実用機を設計して、陸軍に提案したが、採用されなかった。

 そして、その後、二宮忠八は、ライト兄弟による人類初の動力による飛行を新聞で
読んで知るところとなり、涙を流して悔しがったと云われている。

 ライト兄弟は一九〇三年(明治三十六年)十二月にアメリカのノースカロライナー
州において、人類初の動力飛行に成功した。

 日本における動力飛行は一九一〇年(明治四十三年)十二月にフランス製のアンリ・
ファルマン機によって、徳川大尉が飛行に成功した。

 一方、ドイツ製のハンス・グラーデ機は、日野大尉によって飛行に成功した。
この二機の記念すべき初飛行は、代々木練兵場で行われた。

 日本における航空機製造の取り組みは一九〇九年(明治四十二年)の研究会の発足
からである。陸軍は一九一一年(明治四十四年)所沢に日本初の飛行場を建設した。
一方で、海軍は横浜の金沢海岸に、飛行艇の基地を開設して航空機製造のインフラを
整えた。

 そして、海軍は海軍士官七名をヨーロッパとアメリカに派遣して、フランスからは、
ファルマン機を二機。アメリカからカーチス機二機を持ち帰った。

 その後、海軍は、ファルマン機の輸入を促進。さらに、海軍は保有する船の一隻を、
空母のように改装した。

 一方で、陸軍は、一九一一年(明治四十四年)に、フランス製ルノーのエンジンを
基にしてエンジンの生産に成功している。一九一五年(大正四年)には陸軍に航空隊
が設立され、翌年、海軍にも同様の組織が設立された。

 このような状況のなかで、航空機開発の必要性が盛り上がって行き、やがて航空技
術者の養成が急務となって行った。

 東京大学工学部には航空研究所と航空学科が設置され、航空技術者の養成が、急ぎ
進められた。一九一七年(大正六年)頃になってからは民間の航空機メーカーが続々
と設立された。

 中島飛行機や三菱重工、川西航空機、川崎航空機、愛知航空機、九州航空機、立川
航空機などは、いずれも大正時代に設立された。このなかで、三菱、川崎、立川など
は造船業に源を発している。

 三菱航空機の発祥は、大正九年、三菱内燃機製造が、名古屋大江町に、設立された
ことに始まる。昭和三年には、三菱航空機と改名され、さらに造船部門と合併して、
昭和九年、三菱重工に改められた。

 三菱は、日本初の独自の設計による、海軍九六式艦上戦闘機の開発をはじめとして、
世界をあっと驚かせた零戦を開発。終戦直前にはロケット航空機秋水を完成させた。

 川崎航空機は、大正八年の川崎造船飛行機科の設置が航空機メーカーとしての始ま
りである。昭和十二年、岐阜県各務原に工場を新設して独立し、川崎航空機とした。
高速戦闘機飛燕の開発が有名である。

 立川飛行機は、最初は石川島飛行機と称して石川島造船の子会社として大正十三年、
東京月島に創設された。その後、立川に移転し、昭和十一年、立川飛行機と改名され、
川崎、中島の機体を数多く転換製作した。

 昭和十五年、日本紀元二六〇〇年記念行事として、朝日新聞が主体となって製作さ
れたA26は東大航研の設計チームの下、立川飛行機で製作されたのは有名である。

 中島飛行機の成立は、海軍機関大尉であった中島知久平が一九一七年(大正六年)
に退役後、郷里の群馬県太田市で航空機研究所を創立したのが始まりである。

 これは日本において民間航空機工場の第一号といわれている。

 中島知久平は、さらに、繊維会社を経営していたところの川西清兵衛との共同事業
として、一九一八年(大正七年)には合資会社日本飛行機製作所を設立したが翌年に
中島式四型のエンジンに係わるトラブルが原因で川西との提携を解消した。

 その後は、社名を中島飛行機製作所に変更して数多くの名機を送り出した。陸軍機
では、鍾馗、呑竜、疾風など。海軍機では月光、天山、銀河、富嶽。そして終戦間際
に我が国初のジェット戦闘機橘花を誕生させた。

・・・・・・・・・・・・

 洋介は目が疲れたこともあり、ヘッド・シミュレーターを取り外した。日本の航空
機産業に関するテロップを垣間見ただけであったが、自分たちを取り巻く因縁の深さ
に驚いたのであった。

 父親の竹次郎が、生まれた年は一九〇九年(明治四十二年)で、日本において航空
機製造の取り組みが始まった年である。今回の旅でご一緒のミセスCIAや洋介が住
んでいるところから近い、所沢は、まさに日本の初期における飛行現場である。

 そして洋介が、生まれた群馬県太田市は、飛行機の神様と云われている中島知久平
氏の郷里である。終戦間際に飛行試験に成功した、橘花に搭載のジェットエンジンは、
石川島播磨重工業の武蔵野にある事業所に現存している。

 そういえば、洋介が入社して、その配属先が航空機関係の部門と知ったときの父親
の喜びようが並大抵のものではなかったことを思いだした。

 現在、洋介が勤務する航空エンジンの事業所は武蔵野に在る。
洋介の航空機分野への就職を自分のことのように、喜んでくれた父親竹次郎の気持ち
のなかには航空機に関する並々ならぬ意味深いものがあったのではないかという印象
が脳裏によみがえってきた。

 しかし、父親の竹次郎が、航空機の飛行試験に携わっていたことを、洋介には一言
も語ったことがないのはなぜだろうか?

 ここで洋介は、記憶の彼方から、子供の頃に父親と一緒に飛行場で見た、あの燃や
されていた飛行機のことをフラッシュバックのように思い出した。

・・・・・・・・・・・・・・・・

 洋介は中学三年生まで父母兄弟と一緒に群馬県に住んでいた。父親は群馬県前橋市
の出身であるが、第二次世界大戦の時に、中島飛行機に勤めるようになって、群馬県
太田市に住むようになり、そのまま、太田市に住み着いた。

 あの第二次世界大戦が終わってからのことであるが、飛行場で日本の飛行機が燃や
される姿を見て、洋介は子供ながらに背筋が寒くなったことを今でも覚えている。

 父親は、そんな光景の中で燃やされてゆく飛行機を黙って見ていた。
「洋介、行くか」という掛け声は、父親が休みになると、決まって飛行場に行く合図
であった。父親は乗物を自分で動かしたり、エンジンを分解して調整したりすること
が部類に好きであった。

 そういえば、正月に父親のところに大吟醸をぶらさげて、遊びに行ったときに父親
の若かりしときからの乗物好きに話が及んで、おおいに正月の宴が盛り上がったこと
を思い出した。



新春の家族

 あの年は、小寒を過ぎてからも、いつまでも暖かさが続いていた。その暖かな陽気
は元日から続いているもので、会社からの帰宅時など暖房の効いた電車に乗り込んで
いると、コートの下で背中や胸に汗を感じるほどの暖かさであった。

 洋介は、久々に実家に帰って奥の部屋で着替えをしながら、ふと裏庭を見て小寒を
詠んだ俳句を思い出した。

     小寒となりしは名のみあたたかや       星野立子

 この部屋の外側にある縁側では、高校生の頃、よく英単語を覚えた。いまだに英語
をはじめとして外国語は苦手である。日本でも英語教育の在り方を英会話中心に転換
するという新聞記事を正月に読んだせいか、そんなことをぼんやりと思い出していた。

 洋介は両親と共に太田から川越に引っ越して以来、通称「菓子屋横丁」で学生生活
を過ごした。今日は家内と西武線の所沢駅で待ち合わせをして久々に実家に帰った。

 お正月の菓子屋横丁は、毎年のように観光客が溢れていて、実家の小田屋はいつも
商売繁盛であった。そんなこともあって、洋介はお正月は避けて小正月の頃に家内と
一緒に実家に顔を出すことにしている。

 最近は、成人の日との連なりで、三連休となり帰省しやすくなった。お陰で一日目
は洋介の実家に泊り、二日目は家内の実家に泊るという日程が組める。

 家内の実家は、都内の葛飾区で駅前の大通りに面した老舗の陶器店「蔵屋」である。
今日は、洋介の父親が目を細めて喜ぶ、大吟醸をぶら下げての帰省である。どうやら、
父親も弟も出掛けていて留守のようである。

 父親と弟は、西武線本川越駅近くでハイヤー会社を経営している。川越は、複数の
路線が乗り入れていて、駅がたくさんあるため乗客には恵まれている。そんなことも
あって、菓子屋横丁の小田屋は母親が中心になって切り盛りしている。

 洋介が店側から入って声をかけると、大急ぎで出て来た母親が思いがけないことを
云いだす。

「洋介が、今年の十月に乗る船に、和美さんの妹さんのご主人も一緒に乗船するそう
だよ」、何故、家内の妹家族のことを母親が知っているのだろうか。

「だれに聞いたの」というと、母親は間を置かずに・・・

「いつも陶器の仕入れでは、特別にお世話になっているのでお正月に蔵屋さんに年始
のご挨拶に行ったら、たまたま、彩子さんがみえていたのさ」

「彩子さんって、和美の妹の?」
「やだね、他に、だれがいるのさ」
「いやあ、まいりました。あまりにも唐突な話で、頭の整理がつかなくて」

「そりゃあ、私も、思わず耳を疑ったよ」
「お話を聞いている内に、彩子さんのご主人が研修で乗ると云う船は洋介が船に乗る
時期と同じではないか?」と直感でピンと来たのさ。

「それで、さらに詳しくお聞きして、分かったのさ」と、この母親は、洋介のことに
なると、妙に、昔から勘がいい。

 これは母子で、戦友のような、強烈な戦争体験を経ているためと、洋介は受け止め
ている。洋介は、一九六二年(昭和十七年)生まれのため、生まれたときには第二次
世界大戦に突入していた。

 終戦のときには満三歳であり、終戦前には真っ暗な防空壕の中からB29の標識灯
を見た記憶がある。

「洋介は、母さんと一緒に、防空壕のなかで、かろうじて生き残ったのさ」という話
を聞いたことがある。

 戦時中、父親は、中島飛行機に行ったままである。空襲警報が鳴ると、母親は洋介
を抱えて、社宅の近くの防空壕に避難していた。これは、当事者の母親さえも、後に
なって知らされたという話であるが・・・

「母さんと洋介が隠れていた防空壕の上を三機の戦闘機が隈なく機銃掃射して行った
のだよ」というのである。

 母親と洋介は、たまたま機銃掃射の間隙に位置していたために母子ともに助かった
のだという。洋介は、まさに、このとき生かされたのであった。二十歳のときにも、
車にはねられて無傷で生かされた経験がある。この母親の勘の良さは、ときには行き
過ぎて、神がかり的なことを云うことがある。

 洋介は、今年は永年勤続表彰旅行で会社から特別有給休暇五日間と副賞の三十万円
をいただけることになっている。これに通常の年間休暇と自前の費用を加えて、四月に
なったら、家内と一緒にニュージーランド旅行に出掛けることを考えている。

 他にも今年は二回ほど海外出張が計画されている。時期が確定しているのは、秋に、
洋上大学の講師として、二週間ほど、シンガポールや香港に出掛ける。

 まだ、時期が未定なのは、兼務で取り組むことになる、砂漠の実態調査であるが、
今のところ計画だけが先行している。

 これは昨年から始まったプロジェクトで二人乗りの超軽量ヘリコプターの設計と
試作が完了して、その飛行試験の場所を探すためである。

 このヘリコプターは操作性が極めて簡単でエアーの流れを電子制御することにより、
騒音が少なく、都市部での利用が容易なことに特徴がある。

 これをカーフェリーなどと組み合わせることにより、横浜地区に設けたヘリポート
基地などから、各都市にリース方式で、お客さまに供給をしていく画期的な航空輸送
方式を計画している。

 そのテスト空間の確保とやがては飛行訓練場。さらには、飛行ゲームエリアとして
の発展的な利用空間を計画している。

 そのためには地球上のデッドエリアと思われる砂漠の利用がコストパフォーマンス
的にも、有利ではないかと考えている。また実機検証を兼ねた飛行テストを同じ場所
で実施することも考えている。

 そのような思いに、イメージを膨らませている洋介の心の内を、勘の良い母親が、
見逃す筈がない。

「洋介、おまえ目が輝いているね。何かいいことでもあったのかい?」


新春の家族(続き)

 洋介は、自分が勤務する会社において、愛社精神を目一杯に発揮できるのは、なん
といっても人命尊重を第一に考える企業だからと考えている。お客さまの人命を託さ
れている企業は安全飛行を優先して、徹底的に設計に時間をかけ実験を繰り返す。

 そして、設計が決まれば、製造までの段階で徹底的なコストダウンを図り、高品質
の製品を最少のコストで造り上げる。

 運用支援の面からは、お客さまの必要なタイミングに合わせて的確な供給を継続的
に展開して行く。そして、最終的なお客さま満足と感動の共有は、輸送段階における
超スピード化の実現である。

 お客さまのスピードへのご満足を安全面からも支えて行く。

 したがって、生産工場には、いつも適度な緊張感が漂っている。今回の飛行試験に
よる実機検証についても、お客さまの人命尊重第一の考え方に基づいて計画が練られ
てきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・・

 やがて、小田屋の表通りから、父親の大声が聞こえてくる。

「洋介、帰ってきたか。和美さんも一緒か」という父親の後ろから弟の彰次がやって
くる。

「兄さん、お帰りなさい」と、上背のある彰次が人なつっこい顔をして頭を下げる。

「あれ、幸枝さんは」という洋介に、弟が振り向いて・・・

「今、鮮魚センターで買い込んできた魚貝類を車から降ろしているから、もうすぐ、
こっちに来るよ」

 すると、父親が、洋介と彰次との会話が終わるのを待っていたかのように、

「おい洋介、久しぶりに、蟹のしゃぶしゃぶで、一杯いくか」というので洋介は手を
たたいて、
「そう思って酒は、大吟醸にしたよ」と笑顔で応えた。

「いいね。洋介は相変わらず気がきくね」
「母さんはどこ?」と奥に向かって声をかける。

 母親の節子が、急ぎ足で奥から出てくる。
「お父さん。早かったわね」
「そりゃ洋介が、久々に、嫁さんを連れて帰って来るっていうから、買い物も大急で
済ませたよ」

「洋介、奥の部屋に食事の支度をしたから、皆に声をかけておくれ」と母親から声が
かかる。

 縁側を通って奥の部屋に行くと、七畳半の部屋を二つ隣同士で開け放った部屋には
テーブルが二つ並んでいた。銅製のしゃぶしゃぶ用の鍋も、既に用意されている。

 この家は、表の店側は表通りの他店に同化させて地味な造りにしてある。
しかし、住まいの造りは豪商の妾宅を解体して、ここに運び込み再組み立てしただけ
に凝った造作になっている。

 周りは回廊のような縁側風にしてあり表側にはガラス戸があるので、冬場は、よく
遊びのための自由エリアとして使った。そもそもの狙いは、それぞれの部屋への出入
りが、しやすいように工夫したものである。

 洋介は、高校生の時代に勉強に飽きると、この縁側を気分転換の場にしていた。

 そんな昔の思い出に浸っていると、みんながそれぞれに何やら手に持ってワイワイ
ガヤガヤと集まって来た。和美も手に蔵屋の丈夫そうな紙袋を重そうに持っている。

「そうか、親爺へのお土産か」と洋介は、ひとりでぶつぶつ云いながら、座敷に座り
直す。洋介とは別行動で、和美は蔵屋に顔を出してきたようである。

 和美が隣に座ると、洋介は、蔵屋の父親のことを、早速、たずねた。

「お父さんは、元気だったかい?」と声をかけると、和美はにこにこしながらこちら
に顔を向けて・・・

「元気も元気。頭の体操とかいって、株式新聞に夢中なのよ」と和美は、紙袋を持ち
上げて、「これ小田屋さんに持っていけって、夫婦茶碗と信楽焼の大皿よ。重いのよ。
これって」

「うちの親父は、信楽焼きが好きだから、きっと大喜びするよ」
「明日は、蔵屋のお父さんに、鯛でも買ってもって行こうか」
「明後日は成人の日。ハッピーマンデーですものね」

 ようやく、弟の彰次夫婦もテーブルについて、恒例の新年会の始まりである。
父親の竹次郎を中心に囲んで乾杯が済むと、大吟醸やらワインやらを側において、
蟹のしゃぶしゃぶに箸が進む。

 これはもはや、とまらない、とめられない、大好物で、それぞれに箸がいそが
しい。蟹のしゃぶしゃぶに、箸が続く静寂を破って、父親の竹次郎から、

「洋介、和美さんの妹さんの旦那さんと、今年の秋に同じ船に乗るんだってね」と、
豪華客船の大きさからはじまって、潜水艦の技術面の難しさ、そして、話はさらに
飛んで父親の得意とするインディアンやハーレーダビットソンによるオートバイ遊
びに話題が移り、みんな、お腹も気持ちも一杯になって幸せな気分を味わった。

 父親の竹次郎の乗り物好きは、今に始まったことではない。父親が青年時代を過ご
した群馬県前橋市は養蚕が盛んな土地で、祖父は生糸を製造する工場を前橋で経営し
ながら、絹を外国に輸出するという製販一体の事業を経営していた。

 竹次郎は次男として生まれたのだったが、長男が武術家を目指し、家業に全く興味
を示さなかったために、竹次郎が青年時代から後継者として育てられた。

 地域では負けず嫌いな性格から、地元の野球チームのエースとして期待され、祖父
もそんな性格を見込んで事業運営の初歩から熱心に仕込んだ。

 そんな竹次郎が仲間と熱中したのがインディアンやハーレーダビットソンと云った
大型オートバイによる競い乗りであった。工事現場にダイナマイトを運ぶプロフェッ
ショナルなサイドカーと、群馬県の山道で競争したというから、相当にあぶない遊び
仲間だったようである。

 しかし、さらに乗り物への興味を深めたのは、当時の小型自動車ベビーフォードへ
のあこがれであった。これが、今日にまで到る熱狂的な乗り物好きに、決定的な影響
を及ぼしたようである。

 祖父の性格を熟知していた竹次郎は、群馬県の田舎道で親友から車を借りて練習を
重ね、先ず、自動車運転の免許証を取得してしまった。その上で、祖父に・・・

「車を買って欲しい」と陳情した。当時の感覚では、とんでもない陳情であった。
それでも、祖父の顔を見る度に陳情を重ねた。

「車を運転するには、免許証が必要だというじゃないか」
「免許証が取れたら考えても良い」と、当時、車の運転は難しくて免許証を手に入れ
るのはたいへんなこと。と知り合いから聞いていた祖父は、そうして諦めさせようと
したという。

 竹次郎は、黙って免許証を差し出した。「武士に二言はない」が口癖だった祖父は、
竹次郎に一本取られた。

 父親から聞いた、ベビーフォードでの失敗談には、洋介も目を丸くした・・・

「愛車のベビーフォードを悪友たちと走らせ、当時の鉄道の線路に嵌めてレール運転
を楽しんでいたら、当時、鉄道の運行数が少なくて、汽車は来ないと決めてかかって
いたところ、汽笛が聞こえた」

「慌てて、土手の下にハンドルを切って脱出した」というのである。

「危機を脱したものの、車内は、上も下もない大混乱で、あの時は、さすがに驚き、
そして、まいったよ」という、父親の竹次郎からの仰天話であった。

「今、そんなことをしたら、あの世行き」というのが、洋介の率直な感想である。

 また、インディアンとハーレーダビットソンによる工事現場のプロフェッショナル
とのオートバイ競争では、当時の踏み切りの遮断機には、鉄製の鎖を使っていたため、
競争に夢中になりすぎた同僚が、無理な踏み切り横断をして、鎖が身体に巻きついて
大怪我をしたという。

「今時の若い者は、どころか、昔の若い者は」といったところだが・・・

 どこからが、危ないのかを、若いときから、肌で感じ取っていたために、昔の人は、
戦時下を生きのびてきたのだと、洋介は考えている。

 戦時下では、予想もしない出来事が発生する。現に、和美の父親は、マレーシアに、
陸軍士官として、従軍中に、炊事当番が、突然、姿を消したため周辺一帯を捜索した
ところ水を汲みにいった帰り道、虎に襲われたことが分かり、部隊が総動員で虎退治
に当たったという体験談を聞いた。

 戦時下における、予想外の出来事に例外はなく、それは女性たちにも襲いかかった。
洋介の父親の妹である春子は、銀行員として同僚とともに満州に渡った。そして終戦。
日本に帰るためには夫婦の形態をとっての帰還でなければ極めて危険な状況にあった
ため、同僚の助けを得て仮の夫婦を装い命からがらの思いで、日本に帰ってきた。

 当然のことだが、戦争が終わっても、そこに居合わせた人たちは、引き続き戦争の
余波を受け続ける。先ず、帰還しても仕事がない。春子は、兄の竹次郎のところに、
身を寄せた。

 当時の記憶は、洋介にはないが、食事の時に・・・

「叔母ちゃんが、ご飯をみんな食べちゃう」といって、春子叔母さんを困惑させたと
いうのであるがまったくといってよいほど記憶は残っていない。心理学教室において、
「幼い頃の記憶を、何歳までたどれるか」という設問があったが防空壕から外に出て、
おしっこをしようとして、空を見上げた時に、B29の標識灯を見た。

 これは三歳時の恐怖感の記憶であるが春子叔母さんとの食事時の問題発言の記憶は、
これが、まったくないのである。

 ただ、子供心に・・・

「綺麗な女の人だなあ」という印象は記憶に強く残っている。
その後、春子叔母さんは洋介の父親の知り合いの紹介で、東京の遊覧飛行機の案内嬢
として職が決まり、居候生活にピリオドを打った。

 当時、洋介は、まだ幼く、父の竹次郎が、どのような経過で航空関係者に知り合い
をもっていたのかは知らない。何年かして、子供ながらに・・・

「これが、人間の運命なのか」と思わせる出来事が起こった。
あの春子叔母さんを、お嫁さんとして迎えたいという人が登場したのである。
しかも、茨城県から、本人が父親と一緒に、親代わりの竹次郎のところに、たずねて
来るという。

 当日は、前日の晩から、泊まり込んでいた春子叔母さんと、父親の前に、テーブル
を挟んで、来客のお二人が座って話しが始まった。プロポーズのご本人は、春子叔母
さんが満州から日本に帰還する時に、仮の夫婦を装って、エスコートしてくれた同僚
であった。

 帰還後、日ごとに、春子叔母さんへの思いを募らせていったのだという。
春子叔母さんは東京の遊覧飛行の案内嬢が脚光を浴びはじめエアーガールと呼ばれて、
憧れの職業になりつつあり、その仕事に、自分でも相性の良さを感じていたので結婚
には躊躇感があった。

 春子叔母さんにプロポーズしてくれた本人に好意は感じていたが先方の家が茨城県
の大農家ということもあって、春子叔母さんは・・・

「大農家で、やりこなして行く、自信がない」といっていた。

 やがて、見るからに、豪農の旦那様という風格の父親と優しそうな元同僚は・・・

「急ぎませんので好いお返事をお待ちしております」と云い残してお帰りになった。

 洋介は、このやり取りを縁側で、学校の宿題の写生を仕上げながら一部始終聞いて
いた。やがて、お客さまが帰った後で、洋介は・・・

「洋ちゃんは、飛行機は好き?」と春子叔母さんから聞かれて、「はい。好きです」
と答えると、春子叔母さんは、見るからに重そうなボストンバックから一枚の写真を
取り出して、見せてくれた。

「わ~格好いい」と思わず、洋介は叫んでしまった。遊覧飛行機の前で春子叔母さん
がスカーフをなびかせて写っていた。そして洋介は春子叔母さんから飛行機の写真を
一枚いただいた。

 それから、一年後に、春子叔母さんは、茨城県の元同僚のところに、嫁入りをする
決心がついたことを、手紙で、父親の竹次郎に知らせてきた。

 嫁入り後、春子叔母さんは農家の行事や仕事を覚えながら、男の子を二人も産んで、
りっぱに育て上げて、今は、孫たちに囲まれた生活をしている。

 戦時下、そして戦後の影響は、洋介の従兄弟たちにも、影を落とした。
洋介は、今でも、覚えているが、前橋市から、従兄弟の明さんが、父親のところに、
ひょっこりと現れて・・・

「これから、東京に行って働くことになったので、挨拶に伺いました」といって、
一晩泊まっていった。

 明さんの父親は武術家としては地元に弟子も多く、全国的にも良く知られた武術家
で身体の頑健さが自慢であったがフイリッピンで戦死した。父親の竹次郎は、次男で
あったが、そのような事情も含めて家業を継ぐ修行をしていた経過もあり、明さんの
親代わりとなって、自立するまでの間、面倒をみていた。

 その後、突然の知らせで・・・

「予科練に入った」と知らされ間もなく終戦を迎えた。そのような状況の中での
東京行き。そして、「仕事が見つかりました」という挨拶だったので、すっかり
安心していたのだが、その後、便りも途絶えて、心配になり、就職先をたずねた
ところ、友人であったという方から・・・

「浅草の闇に消えたまま、いまだに、なんの連絡もない」という状況が分かって、
春子叔母さんも一緒に東京の知人の助けをかりて探してくれたが消息はまったく
つかめなかった。これには、さすがに冷静沈着な父親も、すっかりまいった様子
で、「兄の浩太郎に申し訳ない」といって仏壇に手を合わせていた。

 父親は、終戦後の勤め先でも、なにかと人に頼りにされるところがあり職場の人が、
ときどき悩みごとの相談に見えていた。父親が、いつも輝いて見えたのは、自己実現
を越えて他己実現のために走り廻っていたためと気付いたのは、洋介が子供を育てる
実体験を重ねてからであった。



ドクターヘリの活躍

 暖かな楽しい家族団らんを重ねた三連休明け後の出勤。仕事を終わって帰宅すると、
夕刊の紙面には、富士山を背景にして、ドクターヘリの躍動する後姿がカラー写真で
紹介されていた。

 思わず新聞記事を目で追っかけて行く。医者が同乗して治療しながら、患者を運ぶ
海外でおなじみのドクターヘリが、日本でも、活動を始めているという書き出しで、
詳しい記事が紹介されていた。

 記事の結びのところでは弱点が挙げられていた。ドクターヘリのカバー範囲は半径
約五十キロあるが離着陸の場所の確保が難しく、夜間に飛べないことが、二つ並べら
れていた。

 しかし、これを本格導入した東海大病院の猪口助教授の言葉によれば・・・

「スキューバーダイビングで、五十代の女性がおぼれ、救急車だと、二時間かかると
ころを、ドクターヘリの出動によって救急手当できたため、一命を取りとめた。各地
に救急センターを設置するよりも、広範囲をカバーするヘリコプターのほうが、安上
がり」と指摘している。

 同時に、政府では、この実績を踏まえて、ドクターヘリを全国展開する考えである
ことが紹介されていた。洋介は、この記事をみながら、自分たちが進めている計画が、
地域レベルにとどまらず地球規模で展開可能であることを再認識した。

 三連休の二日目、寅さんでお馴染みの葛飾区の蔵屋に泊った晩に、和美の父親から
は貴重なアドバイスをいただいた。

「洋介さん。砂漠でのヘリの飛行実験というけれど、今の世界情勢からいって実現性
は難しいと思うよ(今から6年前の時点でのコメント)」

 洋介は、実家では話題にしなかったが、今年、砂漠の実態調査に出掛けるとなると、
和美がその間は葛飾の実家に、お邪魔することになるかも知れないと考えて話を切り
出したのだった。

 和美の父親は、陶器の研究で砂漠巡りをしたことがあるという。

 洋介たちの計画では・・・

「砂漠でのテスト飛行は、地球のデッドエリアと思われる場所を利用できるが、実地
検証が必要である」

「海上でのテスト飛行は、選択エリアを広範囲に確保できるが制空権の問題がある」
として二つの案が浮上していたため思わず義父の丈太郎の話に引き込まれてしまう。

 洋介が参画しているプロジェクトでは、今までにない画期的な新交通システム開発
の主軸に、超軽量ヘリコプターを据えて、それを具現化するために、ヘリの動力源と
してのエンジンは、従来の十分の一の重量に軽量化する。

 機体は墜落しても人命が守れるように、超軽量剛性の特殊ボデーにする。また機体
が墜落しても地上に接触する瞬間に、機体の外壁が無数の風船状に膨張して、搭乗者
を保護する特殊な構造になっている。

 しかも、デジタル制御のパワー源は、マイクロ波によって人工衛星から受信すると
いう画期的な設計になっている。その動力源は、宇宙基地で太陽エネルギーから電力
に転換して、それをマイクロ波で地上基地に送り使用電力への整調を行い、再度、宇
宙基地の電力設備に戻して地球の周囲八箇所に配備した宇宙ステーションに配電して
地球の周囲を回る人工衛星を経由してヘリコプターに電力供給する。

 この新交通システムが完成すると、ヘリコプター群は地球上の全域で人工衛星から
パワーを受信できるようになる。しかも都市部では航空路として、新幹線や私鉄電車
の線路上空および主用幹線道路の上空を活用する。

 ヘリコプターの航路は、何層かに分けて、複数のヘリコプターが高度を分けて飛び
交うという構想である。課題は、最近のヒートアイランド現象にみられる上空の水蒸
気処理をどうするかにある。

 この特殊なマイクロ波による電力送受の実験を実施する地上基地としては、石川さ
ゆりの演歌にも出てくる竜飛岬周辺を計画している。その際には、施設の強風対策が
必須になってくる。

 合わせて距離的には離れているものの三内丸山遺跡の文化遺産保護にも配慮が必要
であると考えている。

 砂漠における飛行テストと並行して計画されているのが、日本海溝に沿った上空で
の飛行実験である。この場合は福島県相馬市を発進基地にする計画である。この地方
は、雪が少ないために、年間を通して、テスト飛行が実施できることから、砂漠での
テストよりも有力視されている。

 両者の飛行テストでは共に搭乗者の人命尊重最優先の設計思想から綿密に練り上げ
た実機検証が、繰り返し計画されている。

 同時に実機が実用化されたときの飛行地域への環境アセスメント面から、複合騒音
による影響調査を計画している。具体的には、百機のヘリコプターを二群に分けて、
相互に、飛び交うテストが主要な飛行計画として練られている。

 単体ヘリによる飛行データは、バーチャル・シミュレーションによって確認できる
レベルまで、技術力がついてきている。しかし、複合での飛行実態の把握には実機に
よる飛行テストが繰り返し必要である。

 和美の父親である蔵屋丈太郎氏の砂漠巡りによれば・・・

「砂漠といえば、誰しもが最初に頭に思い浮かべるのがサハラ砂漠でしょう。地中海
を挟んで欧州諸国とアフリカ大陸がつながっており、多くの冒険家たちが、北欧から
アフリカ最南端までの縦走を夢に描いて・・・

◇ モロッコから、アルジェリア、リビア、エジプト、スエズを経てイラク、イラン、
アフガニスタンの横断などを考える勇者が出てきても不思議ではない地形をしている。
映画で一躍有名になったアラビアのロレンスが、活躍したのもこの砂漠地帯である。

◇ その地形の中心ともいえる位置に、サハラ砂漠が存在する。最も砂漠地帯の多い
地域だが「常に紛争の火種が尽きない複雑さがつきまとっている」と前置きをして、
丈太郎は、この地域ではエジプトのギザで陶器について多くのことを学んだという。

「このギザは、エジプト北部のカイロの砂漠上に密集する古代遺跡であり有名な三大
ピラミッドがある。特に人面獣身の大スフィンクスがあることで有名な場所である」

「そこから出土した遺品の中には、珍しい陶器類が美術品として保管されており陶器
から、当時の生活がよく分かり、陶器から当時の生活を知るという視点を学んだ」と
云う。そして、さらに、言葉に熱が入ってくる・・・

「ちょっと待って」と云って、書斎から地球儀をもって来る。
「次に行ったのがモンゴルのゴビ砂漠だがモンゴル高原北方にノイン・ウラがある」

「ここには、山中に墳墓が約200基もあって武器・容器・衣類・装身具・鏡など、
中国からの移入品が多い。当時はシルクロードを通じた交易も盛んで、バクトリア・
パルティア・小アジア産の毛織物なども保管されている。これらの品物からも当時
の東洋の生活様式がよく分かる」

「また、東洋における生活文化において、陶器の文化的価値の位置付けの高さもよく
理解できた」という。

 この調子で地球儀をぐるぐると回しながら、ご自分の体験を通して、行ったことの
ない洋介にも目で見て分かる解説をしていただき、ありがたいことであると、その親
切な説明に頭が下がる思いであった。

 次に、これも地球儀の上に指差されたのが、南アメリカのブラジル高原であった。

「この地域ではマラジョー島を訪ねました」
「マラジョー島は、ブラジルのアマゾン河口にある島です。最初の文化は初期農耕・
採集・狩猟文化で、大量の土器を出土しています」

「この地域では、次いで定住農耕を確立し、最後の文化では社会階層があったといわ
れています」

「この時代の生活の変遷に合わせて、土器も変わってきており、時間の流れや生活の
変化を、土器から感じとれた」という。

 いずれの地域においても、ご自分で体験した感想からはとても飛行テストなど考え
られない地域であると云われる。そして最後に飛行テストが出来る可能性があるかも
知れないといって示してくれたのが、オーストラリアの「グレートビクトリア砂漠」
であった。

 和美の父親は、この地域ではエアーズ・ロックに興味を持っているが、まだ訪ねた
ことがないので詳しいことは分からないと云う。

「聞くところによると、オーストラリア中央部にある小山のような岩の巨石で多数の
洞穴があり、白人の渡来以前から、原住民が住んでいて、食料・住居・水に恵まれ、
宗教儀式も盛んであった」という。

 その生活のなかで、どのような土器や陶器が、使われていたのか見たいがまだ夢が
かなっていないと云う。ただ砂漠地帯は終日を通して温度の寒暖が激しくそういった
面での難点を心配されていた。

 それぞれに、どれをとっても貴重なアドバイスであり、洋介は綿密にメモにして残
した。このメモをめくりながら、洋介は、かたわらの新聞記事に目を通した。

 日本から、フィリピンに違法輸出され、現地で激しい非難を浴びている大量のごみ
問題。医療廃棄物も含まれているという。しかも、廃棄物処理業者は行方不明である
というのだ。

 ここで洋介は考え込んでしまった。自分たちが砂漠地帯において飛行テストを行う
という考え方も、根っこのところで、自分たちの都合だけを優先させていないか。

 相手先の国のことや、そこに住んでいる人たちのことを考えていないのではないか。
洋介は二階の書庫の住まいの環境学のテキストのことを思い出した。

 洋介は住まいの環境学の頁をめくりながら砂漠の緑化に努力している人たちの存在
をあらためて認識した。テキストには、荒涼とした、それでいて起伏のある砂漠風景
の写真が載っている。その下にはイスラエルのベングリオン大学砂漠研究所の写真が
載っている。今や砂漠の緑化について国家事業としての研究が活発に進められており、
各国が協力体制をとっている。

 和美の父親から、教えていただいた陶器類の話も、考えてみれば、それが例え荒涼
とした砂漠地帯であっても、そこには人間が住んでいたということである。

 また、その砂漠地帯を各国が協力して本気で、住みやすい環境に変えて行こうと、
緑化などの研究が本格化している。事実、日本企業も積極的に緑化に協力している。
その活躍する姿はテキストに添付されたビデオの中でも紹介されていた。


一大転機

洋介は和美と一緒に、今回のニュージーランド旅行に出かけて来て、現地で実際に
マウントクック村の自然環境に触れ、随所で積極的に環境保護に取り組んでいる姿を
見て大いに考えさせられた。

 同時にこのニュージーランド旅行が、あらゆる面で洋介にとって一大転機であった
ことは時間を経て本人も後で知ることになる。結果的に、この旅は神様のおぼしめし
であった可能性もある。

 今回のニュージーランドの旅の案内は新聞広告で知った。洋介は平成元年のハワイ
空路の旅がとても楽しかったことから夢よもう一度の連想が働いたのかも知れない。

 あのハワイの旅において、今でも鮮明に覚えている場面は・・・

 ハワイのカウワイ島のホテルで、海岸には、かがり火がともされ、ムード溢れる
レストランでのディナーのときに、ツアー・コンダクターの女性から、

「この中に誕生月が同じと云うカップルの方は、いらっしゃいますか」と云う問い
かけがあった。

 そのとき即座に「ハイ、います」と手を挙げた洋介に対して、呼びかけた女性の
ツアー・コンダクターから・・・

「おめでとうございます。ホテルからのプレゼントでございます」
と記念品をいただいた。

 そんな、たわいもない、しかし、楽しい思い出が・・・
「夢よ、もう一度」とニュージーランドへの期待を膨らませたようである。

・・・・・・・・・・・・・

 そんな、ホンワカとした期待を寄せたニュージーランド旅の最中に・・・

「父親の竹次郎が戦時中にテストパイロットをしていた」という衝撃的な話を聞いた
ことから、洋介は直近の記憶として、父親との正月における会話などを思い出してい
るうちに目や頭の疲れもやわらいできた。

 再び、ヘッド・シミュレーターを装着して、カセットの残りの情報を一気に脳内に
記憶した・・・

 それは「世界大戦の始まり」と「自動車産業の始まり」を経て「戦後の航空機産業
の始まり」へと連なる内容で構成されていた。

・・・・・・・・・・・・・

戦後の航空機産業の始まり

 第二次世界大戦後は、航空機関連産業の全ての活動が禁止された。設備は没収され
破壊されて、航空機メーカーは解体され、あるいは小規模の会社組織に分割された。

 一九五二年(昭和二十七年)に禁止令が解かれるまでの七年間・・・

「これらの企業は、バスの車体、スクーター、自動車部品、農機具など、民生用生産
へと大きく転換させられていた」

 戦時中には、七十万人の雇用を有していた航空機産業は、こうして崩れていった。
この七年間の間に、技術者の転用が激しい勢いで進んでいった。

 一九五二年(昭和二十七年)に、民間航空と航空機製造事業が再開されて、この年
に航空法と航空機製造法が制定された。通産省には航空機課が設置され、この法律は
航空機に関する高い技術水準を維持する狙いで、制定されたものである。

 一九五四年(昭和二十九年)には、これを航空機製造事業法として改め、優秀な技術
と健全な経営が可能な企業だけが航空機の生産を承認されるとして規定された。

 一九五四年(昭和二十九年)には防衛庁が設置され日本は冷戦の緊張が高まるなかで、
アメリカとのライセンス協定の下、防衛庁向けの軍用機生産が始められた。

 最初のプロジェクトは・・・

 ノースアメリカン製のF86戦闘機とロッキード製のT33A練習機のライセンス
生産であった。

 F86は新三菱重工(現三菱重工)。T33は川崎重工が、それぞれ担当した。
その後、ロッキード製のP2V7、ロッキード製のF104J、マクダネルダグラス
製のF4、F15が、ライセンス生産された。

 これらのライセンス生産は、航空機製造における生産技術や生産管理などの技術力
の向上に、大きく貢献した。

 一九五五年(昭和三十年)防衛庁からの強い要求で国産ジェット練習機T1の開発
が決定した。戦後初の国産機の契約は富士重工が受注。一九五八年(昭和三十三年)
に一号機が納入された。

 エンジンは、最初は輸入エンジンを装備していたが、二年後からは国産エンジンの
J3が搭載され、完全な国産機となった。J3エンジンは、石川島、富士、三菱、
富士精密(後のプリンス自動車)からなるところの日本ジェットエンジン製作が開発。
その後は、石川島に移管された。



国産民間機の始まり

 一九五七年(昭和三十二年)に国産のジェット練習機T1が飛行試験に成功した頃、
もう一つ国産機のプロジェクトが立ち上げられていた。輸送機設計研究協会である。
協会は、二年後には、日本航空機製造株式会社(日航製)に発展し、YS11が開発
されることになった。

 この会社は、航空機製造振興法の下で設立され、政府が六十パーセント出資して、
資本金五億円で、スタート。民間の出資会社は三菱、川崎、富士、新明和、日飛の
機体メーカー五社が、中心であった。

 YS11は、一九六二年(昭和三十七年)に、初飛行に成功した。

 しかし、操縦性能の問題で、計画に遅れが生じ、一九六四年(昭和三十九年)に、
計画から一年以上遅れて、運輸省航空局の型式承認を取得した。翌年、一九六五年
(昭和四〇年)には、米国FAAの型式承認も取得し輸出の準備を整えた。

 しかし、この一年間の遅れの影響は大きく、計画の三〇〇機を大幅に下回って、
一八二機(内輸出は八二機)の生産で打ち切られた。結果として、多額の赤字
(三六億円)を抱えて、一九七一年(昭和四六年)に生産を終了した。

 日航製は一九六六年(昭和四一年)からは防衛庁向けの戦術輸送機C1の基本設計
を開始した。C1は川崎重工を主契約として機体メーカー五社のもとに生産された。

 一九五〇年(昭和四五年)に初飛行に成功したC1は全部で三〇機が生産された。
この機体は、後に、航空技術研究所の研究機「飛鳥」に改造された。

 日航製は一九八三年(昭和五八年)に最終的に清算されて三菱重工に移管された。
その後は超音速練習機T2が三菱重工を主契約として開発され、一九七一年(昭和
四六年)に初飛行した。

 この超音速機はアメリカ、ソ連、イギリス、フランスおよびスエーデンに続いて
六番目の飛行成功である。

 航空機用のエンジンについては純国産のジェットエンジンJ3を石川島が量産化し、
その後も、防衛庁向けエンジンのライセンス生産が石川島播磨重工を主体にして着実
に続けられた。

 このライセンス先はジェネラル・エレクトリック(GE)、ロールスロイス(RR)
およびプラットアンドホイットニー(P&W)であった。

 国内的には石川島播磨重工を主軸にして、川崎重工(KHI)、三菱重工(MHI)
もエンジン生産に加わった。通産省は、J3の次の国産エンジンプロジェクトを真剣に
考えていた。

 一九六〇年代から、純国産のFJR710エンジンの開発が始まり試作第一号機が、
一九七三年(昭和四八年)に完成した。その後、数台が製作され、一九八五年(昭和
六〇年)に、C1を改造した飛鳥に搭載されて試験飛行に成功した。

 この開発成功に注目したのが英国RR社であった。
彼らは新しい中型エンジンの開発パートナーとして日本を指名した。一九七九年
(昭和五四年)FJRの開発が一段落した時点で、このプロジェクトは日英共同
開発に発展した。

 この共同開発された新しいエンジンがRJ500であり、通産省のプロジェクト名
はXJBと命名された。その後、このエンジンは、五カ国共同開発に発展。今日では、
V2500エンジンとして世界中の空を飛んでいる。

 このエンジンは、国内では、石川島播磨重工が中心になって、三菱重工や川崎重工
との協業で、日本をはじめ、イギリス、アメリカ、ドイツ、イタリアの五カ国で共同
生産している。

 日本における運営共同体は日本航空機エンジン協会(JAEC)であり、通産省が、
一九八三年(昭和五八年)に発足させたものである。

 こうして通産省の真剣な取り組みは、民間航空の分野でも結実した。

 石川島播磨重工(現在のIHI)は、これ以前においても一九七〇年(昭和四五年)
からイギリスのRR社、フランスのターボメカ社との三社による共同開発エンジンで
ある「アドア」エンジンを成功させている。

 アドアエンジンは、国産超音速機T2およびその派生型のF1に搭載され活躍して
いる。また、石川島播磨重工が中心になって開発した国産のF3エンジンは、T4の
機体に搭載されて活躍。同規模の民間向け仕様であるCF34エンジンはGE社との
共同開発で飛行試験に成功して、実用化の道を歩んでいる。

 大型エンジンの開発分野においても、国際的なエンジン共同開発や飛行試験に成功
しており、機体に比べて、エンジン開発のスタートは遅れたものの、現状では、確実
に技術力を積み上げて、世界の市場に乗り出しているといえる。


フューチャー・エリアにおける飛行準備

 洋介は全部の監修データを見終わっての感想として、日本政府の刊行物を基にして
監修したものだというが良くまとまっていることに驚いた。もの凄い情報量をあっと
間に脳内で整理できる。

「こんなマシンを自宅でも活用できたらいいな」というのが、洋介の率直な気持であ
った。まるでタイミングを測ったように、蝶ネクタイの神埼さんが顔を出された。

「お名前を確認しておいてよかった」と洋介は内心で思った。
神崎さんのお名前をアシスタント役の白木さんに教えていただいたのであった。

 先程、白木さんがみえたときに・・・

「失礼ですが、マウントクック村に、お迎えに来ていただいたときに、お名前をうか
がったのですが漢字ではどのようにお書きするのか確認するのを忘れまして」という
言葉に、白木さんがとっさに反応されて、
「かんざきのことですね。神様の神に、山崎などに使う崎です」
「あの俳優の山崎努の崎ですね」
「その通りです」
「ありがとうございました」

 こんなやりとりで、神崎さんのお名前を確認しておいた。洋介は、早速・・・

「神崎さん。この装置は、ほんとうに良く工夫されていますね」
「短い時間で頭の整理が出来るのでたいへん便利ですね」
「家に持って帰りたいくらいですよ」
「洋介さま。このヘッド・シミュレーターは日本にお持ち帰りになっても残念ながら、
ご利用いただけません」と応えながら、神崎さんは少し間をおいて、

「閣下から、フューチャー・エリアにおける飛行準備は順調に進んでいるとの伝言が
ありました。洋介さまには、是非とも新鋭機に搭乗していただきたい」と申しており
ました。

「その前に、テロップで紹介させていただきました、戦時中の飛行機を、ほぼ原形に
近い形で復元して、イエスタディー館内に展示してありますので、ご興味がおありで
したら、是非、ご覧になって下さい」

「ほとんど、全機、いつでも飛行できるように整備してありますので、おっしゃって
いただければ、私から、操縦案内させていただきます」

「実際に、飛行できるということですか」
「はい。飛行できます」
「複座の飛行機であれば、私の操縦で飛行体験していただけます」

「ツディー館もございますが改装中でして、残念ながら、ご覧いただけません」
「洋介が子供の頃に飛行場で父親と一緒に見た、あの燃やされていた飛行機も、同じ
型式のものが、置いてあるのだろうか?」という好奇心が湧いてきて思わず、

「イエスタディー館を是非とも拝見させて下さい」とお願いをすると、
「はい承知しました。それでは参りましょうか」と神崎さんに促されて後からついて
行くと、エレベーターで、地下五十階に到着する。

 高速エレベーターの扉が開くと、目の前には通路が広がっていて、一直線に奥まで
見通せる。通路の両脇には、飛行機が、びっしりと並んでいて圧巻である。

 小学生の頃に、父親と一緒に見たあの燃やされていた飛行機はどの機体だろうかと、
興味が、そこに集中する。

 機体が燃やされる瞬間に、ヒューヒューという虎落笛(もがりぶえ)のような、
叫び声をあげていた飛行機は、どの機体なのだろうか?

 イエスタディー館のフロアーは、天井が高く、真中を走る通路は、奥行きが五百
メートルを越えるという。それだけにそれぞれの機体はゆったりとした間隔で置か
れている。飛行機の前に掲示してある看板から飛行機の名前とエンジン性能の特質
を興味深く読み取って行く。

「紫電改。海軍戦闘機。沖縄戦で、アメリカ艦船に向けて特攻機として使われた」

「三菱九六式艦上戦闘機。海軍戦闘機。日本初の独自設計機」

「雷電。海軍局地戦闘機」とある。
 この飛行機の名前は父親から何度も聞いたことがある。

「飛燕。陸軍戦闘機。日本の本土防衛に活躍」この名前も父親から良く聞いた。

「月光。陸上偵察機。夜間戦闘機として活躍した」と案内板に書かれてある。

「三菱キ51九九式。陸軍偵察機。神風特攻隊で数多く使われた」

「彗星。海軍艦上爆撃機。ミッドウェーで最初に使用された」

「零戦。海軍艦上戦闘機。約一万五百機が製造され、神風特攻隊として優秀機の生涯
 を終わった」

「三菱九六式陸上中型攻撃機。海軍。陸上基地攻撃隊の主力機であった」

「愛知零式水上偵察機。海軍。カタパルトを付けた水上偵察機である」

「隼。陸上戦闘機。マレー、ジャワ、スマトラ、レイテで活躍した」

「三菱四式重爆撃機。陸軍。硫黄島、マリアナ、沖縄で活躍した」

「呑龍。陸軍重爆撃機。初めて尾部銃座をもった機体である」

「銀河。海軍陸上爆撃機。夜間用に初めてレーダーを装備した機体である」

「疾風。陸軍戦闘機。急降下爆撃機、夜間戦闘機、迎撃機など幅広い用途で使用され、
約三千五百機が製造されて、最後の首都防衛の任務を果たした」

 ここで、洋介は、幼い頃に目の前で燃やされていた飛行機は、この機体ではないか
と直感した。

 機体のシルエットがよく似ている。あの飛行場で父親と一緒に見た燃やされていた
飛行機は、この疾風にちがいない。あの時は子供ながらに背筋に寒さを感じた。

 ヒューヒューと、飛行機が泣いているような、虎落笛に似た音が、かすかに聞こえ
ていた。

 洋介は、両側に整然と並んだ傑作機の一群をみて、神崎さんに話しかけた。

「これだけの日本の技術力をみたら、アメリカは当然のこととして、アメリカ本土の
防衛の観点からも、戦後の日本における飛行機製造への取り組みを禁止しますよね」
と洋介が感想を述べると・・・

 神崎さんからは、
「しかし、この航空機にかかわっていた技術者が、今度は自動車産業に移って行き、
その技術力が結集して今度は日本からの自動車輸出という形に発展して、アメリカ
本土に上陸するというところまでは、おそらく想像していなかったでしょうね」と
云う感想を付け加えられた。

「たしかに産業の発展史として、最近の中国の急速な発展をみても産業が海から岸辺
に向かって起こり、陸へ、さらに内陸部へと発展していますね」と洋介も応える。

「日本も、海を活躍の場とした造船が、やがて世界一となって、空の飛行機への発展
につながり、さらには、自動車に波及効果を広げていった」というのが、日本の産業
の発展史ですと神崎さんが話をつなげる。

 洋介は、ここで自問した・・・

「日本が通常の産業発展モデルといわれている、海から陸へ、そして、陸から空へと
いう進化の過程ではなく、太平洋戦争という特殊な環境下にあって、一気に海から空
に向かったというところが、技術力において、一大飛躍を成し遂げた要因かも知れな
いですね」と声に出す。

「昭和初期の航空機の生産台数は、年間で400機程度だった」
「それが、昭和十九年(一九四四年)には、年間二万四千機というピークを迎えたと
いうこと自体が想像を絶することですね」と投げかける。

「また、製造機数だけではなく、昭和十七年(一九四二年)には、東大航空研究所が
長距離飛行機を完成させて、当時としては、驚異的な飛行距離の世界記録を達成して
いる」と驚いた様子を示す。

「また、新技術という面では、終戦直前に、ネ20のジェットエンジンを完成させて
橘花に搭載。初飛行にも成功している」と、今回の監修データから再認識したばかり
なので、自然に声にすることができる。

 洋介は、さらに、自問を続ける・・・

「日本の産業が、造船で世界一になり、その技術力を生かして、第二次世界大戦では
飛行機の製造数を飛躍的に高め、戦後は、その技術力が自動車産業に移植されて自動
車産業発展の基盤を形成した」。

「そこには、海から空へ、空から陸へと駆け抜けた頭脳の存在が鍵をにぎっていた」
と、ここで声を大にする。

「これらの史実を、現代に生かす術は、なんだろうか」と声にする。

「本来的に技術者魂は、それが戦時下であっても純粋な性格を成していることが多く、
国家間の平和的な関係維持や、平和的な環境維持の中にあってこそ技術者たちのずば
抜けた頭脳は生かしきれる」と、一人で熱弁をふるう洋介に、口をはさむこともなく
神崎さんは一緒に歩を進める。

「今や日本の置かれた状況は、バブルがはじけて以来の長引く閉塞感から、完全には
脱しきれておらず、日中間の関係悪化の兆しなどは、見方によっては第二次世界大戦
突入前の手探り状態に似てきているのではないか」。

「現状において日本の対外的な平和の均衡は、戦後の反省の重要項目として一貫して
推進してきた良好な日米関係の堅持が唯一の救いになっている」と洋介の考えを声に
する。

「この戦前の閉塞感に似たところのある状況の中にあって戦争への道ではなく、平和
を希求する道を選び、どのようにしてバブル後における日本経済を建て直しそれぞれ
の企業復興を成し遂げて行くか」。

「ここを平和的に、難しい関係にある諸外国を含めて信頼関係を取り戻し、より連携
を深め、かつての窮余のなかでのいちかばちかの決断ではなく戦争によらない解決策
としての第二、第三の道探し。そして、技術立国日本として、最大の国家的財産とも
云える技術者たちの頭脳をマーケティングの知恵者との協働で、国家的に産業再創業
を成し遂げ、継続的な思考として第二次世界大戦の二の舞は避けたい」という感想が
イエスタディー館を拝見させていただいた洋介の素直な感想であることを神崎さんに
声にして伝えた。

 神崎さんは、この洋介の感想に対して・・・

「閣下も、洋介さまの感想を聞きたがっておりましたので、早速、お伝えすることに
しましょう。洋介さまのそのような熱い思いを込めた感想を聞かれたら、きっと喜ば
れることでしょう」

「それでは、戦後の日本における現実の世界ではどうか」と洋介は自問を繰り返す。

 既に、戦後の産業の苦境の中にあって、その苦境をばねにして飛躍への道に転換
させていった異色の偉人として、身近に知るところの人物としてはと考えて、さら
に自問を繰り返す・・・

「戦後、海と空を経営力と技術力を駆使して、つなぎなおした土光敏夫翁の存在は大
きい。また、土光翁は、経営力において重電・家電・情報技術の面にも、新風を吹き
込んでいった」

「その経営力の総仕上げは、国家事業の立て直しであった」

「国鉄の民営化および電信・電話分野の民営化に先鞭をつけた」

「その好ましい影響は、今日において、郵政の民営化にも及ぼうとしている」

 陸の世界において、大いなる夢を切り拓いた本田宗一郎翁にも、熱血漢でありなが
らも、清廉にして、潔白な人間像から、日本を代表する類まれな経営力と技術力を感
じる。

 ここでの洋介の自問は・・・

「本田宗一郎翁の天才的な技術者魂とブラジルの希望の星アイルトン・セナとの出会
いは、まさに運命的なものであった。天才的なドライブ技術力が本田宗一郎翁の天才
的な頭脳に点火して、F1レースにおける世界一の座を獲得した」

 洋介は、土光翁と本田翁には実際にお会いしている。そのお人柄からも多くの偉業
は必然的なものと考える。ここで洋介はテロップでみた記事のことを思い出していた。

「中島飛行機でエンジン設計に従事していた中村良夫氏は、くろがねに入社」
「くろがねが倒産した後は、本田技研に入社して、F1エンジンの開発に成功した」

「ここにも、空から陸への技術移転が見られるが、本田翁の人間的な魅力を考えたと
きに中村氏の本田技研への入社も、必然的であったような気がしてくる」。

 同時に、テロップを見ながら考えたことを回想しながら、洋介は自問を繰り返す。

「心理学において、ルビンが研究した有名な心理学実験にルビンの図と地の研究があ
るが、描かれた絵の外側を地として見ると、中央に盃が図として浮かび上がり、絵の
内側を地として見ると、左右に二つの横顔が図として浮かんでくる」。

 これは、ものを見るときに、どこを地にして視点を当てるかで、その姿は、まるで、
ちがって見えてくるということである・・・

 洋介は、長い間、航空分野で働いてきた。そして、多くの航空人識者から空白期間
の虚しさとして、航空機事業にたずさわれなかった焦燥感を聞かされてきたがルビン
の図と地の関係を参考にすれば・・・

 航空分野の空白の期間を地としてみるとき、そこには自動車分野が図として浮かび
上がってくる。

 このことは、戦前・戦中・戦後の産業史において、それぞれの産業分野の中だけで
の歴史を語るのではなく、海と空と陸とを関連付けた立体的な歴史観として解析して
いく必要がある。

 それにしても、イエスタディー館で、目の当たりに見た飛行機群は圧巻であった。

 そして、洋介の思いは、航空分野の世界にあって、異色の天才を挙げるならば・・・

「中島知久平翁と確信するにいたった」。
「恐らく、これは幼い頃、父親から中島知久平翁の偉業を聞かされていたからかも知れ
ない」。

 自問の沈黙を破って、神崎さんに、その話をすると、驚くべき答えが返ってきた。

 洋介は、思わず耳を疑ったが・・・

「今から、お会いする閣下が、中島知久平翁。その人である」というのである。



超軽量ヘリの設計図

 洋介と神崎さんの乗ったエレベーターが最上階に止まる。目の前に広がった空間は
落ち着いた雰囲気で奥には大きな扉がある。神崎さんが手の平を扉に向けると大きな
扉は自動的に開いた。

「中島総裁。洋介さまをご案内しました」と声をかける。

「閣下が中島知久平翁。その人であり、今度は、中島総裁という呼び方で、神崎さん
が声をかけているが、ここには、公社のような組織でも存在するのであろうか?」と
洋介は自問する。

 中島総裁と呼ばれる風格のりっぱな人物は、大きなテーブルに図面を広げて、何か
書き込んでいたが、こちらに向かって立ち上がると、洋介と握手をしてから、大きな
図面が広げてあるソファーに、腰掛けるよう親切な手振りでソファーに、ご案内いた
だいた。

 テーブルの上に広げられた図面を見て思わずつぶやく。

「あっこれは、超軽量ヘリ」

 とっさに、洋介たちが百機編成による飛行試験を計画している超軽量ヘリコプター
のシルエットに似ていることを感じ取った。

 中島翁は落ち着いた口調で・・・

「これは、今から、ご案内するエアーポートに準備した超軽量ヘリコプターの実験機
の図面です」

「ところで、イエスタディー館で飛んでみたい飛行機はありましたか」

「父君の竹次郎さんは、あの疾風が、一番のお気に入りでしたよ」

 洋介にとって、父親の竹次郎が中島知久平翁の腹心の部下であり、腕利きのテスト
パイロットであったという説明は、いまだに、信じ難いことであった。

 父親からは、そのような話は、今までに一度も聞いたことがなかった。確かに動力
ものが好きで大型オートバイや自動車が部類に好きだったことは、幼い頃から何度も
聞かされてきた。

 事実、自動車のエンジン好きは、たいへんなものであった。自動車のボンネットを
開けて夜遅くまでいじくりまわしている姿は、中学生の頃の記憶として強烈に頭の中
に刻み込まれている。

 このことから、父親が飛行機のエンジンに興味を持つことは、必然的な成り行きと
は考えるが、そこまでの経緯が分かっていないので合点が行かなかった。

 しかし、ここで洋介が自問したのは・・・

「確かに、今にして思えば、戦後、自転車の後ろに洋介を乗せては遠くの飛行場まで
出掛けては、目の前で燃やされる飛行機を寂しそうに凝視していた姿は子供ながらに、
いとおしさをこらえている様子として敏感に伝わってくるものがあった」ことは事実
である。

 それは一緒にいた幼い洋介にも、なにか感じるものがあって父親から伝わってくる
ものがあったが、まさに、あの飛行機は父親が大好きだった疾風だったのだと、ふと
我に返った洋介は・・・

「イエスタディー館の飛行機で飛ぶなんて、とんでもないことです」と答えると、
中島翁の目が笑っていた。

 中島翁は、目の前に広げている超軽量ヘリコプターの図面に話題を戻すと・・・

「このヘリコプターは、操縦が簡単だから、洋介さんも飛んで見ませんか」と云うの
である。

「洋介さんにとっては、父君が私たちと一緒に飛行機を飛ばしていたなどということ
は、なかなか信じられないことでしょう」と好々爺風の優しそうな目で笑う。

 中島知久平翁の、お名前は、子供の頃から航空界における神様のような存在として、
父親から聞かされてきた。しかし今までに一度として父親が飛行試験にたずさわって
いたなどという話は聞いたことがなかった。

 洋介が中島知久平翁のお名前をこれほどまでに鮮明に記憶しているというのも父親
がたまに飛行機の話をするときに、必ずといってよいほど中島翁の名前を出していた
からであるが、それほどにつながりが強かったという話は聞いたことがなかった。

 洋介が、図面に目を落とすと、超軽量ヘリコプターの外形部分に矢印が飛んでいて
バイオチップスという文字が目に入ってきた・・・

「バイオチップスですか」と洋介が声に出すと、
「バイオチップスです」と中島翁が即応された。

「このバイオチップスの働きによって、太陽の光を化学的に電気に変えるのです」と
云われる。

 洋介たちが計画している超軽量ヘリでは太陽の光を宇宙基地で物理的に大規模施設
によって電気に変える。そのために、機体の開発から実験機完成までは早いのだが、
宇宙ステーションを含めた総合システム構築までに、約二十年は必要と見ている。

 洋介は、咄嗟に、この仕様だと大規模な発電用システムを必要としないのではと、
推測して・・・

「この超軽量ヘリの実用化は、どれくらいの期間で可能になりますか」と、おたずね
すると「現在の計画では、三年先です」という答えが返ってくる。

「バイオチップスなどの新技術を導入しての条件下にあって、ずいぶん短期間での
実用化ですね」と洋介は率直な感想を述べる。

「いや、それでも終戦直前に実機として開発。飛行試験まで一気に駆け抜けた日本初
のジェットエンジンネ20に比べたら、実用化までに三年間は、まだまだ、長いほう
ですよ」といって、中島翁は、テーブルの上に一冊の著書を置いた。

「海軍特殊攻撃機 橘花『日本初のジェットエンジン・ネ20』技術検証」石澤和彦
著であった。

 洋介も、既に、この著書には目を通している。この著書の記述によれば・・・

 ネ20ジェットエンジンは、一年未満の短期間で、初飛行に成功している。
その時間軸に沿った経過を追って行くと、その俊敏さが伺い知れる。

◇ 一九四四年七月にBMW003A縮小断面図を入手してから、同年十月には、
 ネ20計画図を作成。

◇ 同年同月に、艦政本部の技術者を投入して、二ヶ月間で設計陣を強化

◇ 同年十二月末に、ネ20の設計作業を開始

◇ 翌年一月中旬には、一部の部品の製作を開始

◇ 三月中旬に、全部品を完成

◇ 三月末には、組立を完了して、エンジン試験開始

◇ 四月に、神奈川県秦野で試験本格化

◇ 同月には、橘花への搭載決定

◇ 六月に、耐久試験を完了

◇ 七月には、1式陸上攻撃機に懸架して、三沢で空中試験

◇ 同月には、橘花を分解梱包して木更津に発送

◇ 同月に、木更津にて運転開始

◇ 七月末には、橘花に搭載して地上滑走

◇ 八月には、十二分間の初飛行に成功

 ~ そして、八月十五日に終戦 ~

 このように、日本初のジェットエンジンネ20は、ものすごい勢いで開発が進めら
れて、橘花に搭載され、初飛行は、八月七日に、高度にして六百メートルを十二分間
飛んだ。

 ネ20エンジンの開発を、耐久試験の完了をもって終了とすれば設計図作成の段階
から、開発の完了までに、僅か、八~九ヶ月間であり、米国が、英国のエンジン図面
と現物およびその指導者を手中に入れながら、エンジン完成までに約一年間を要して
いることからも、いかに短期間で開発したかが分かる。

 しかも次のような記事を読むと、なおのこと当時の状況の凄さが良く理解できる。

「本来ならBMW003Aエンジンの設計図は詳細なものがもたらされるはずだった。
しかし、その図面を積み込んでいた潜水艦が撃沈された」

「幸いにも入手できたのは、途中で下船した巌谷中佐が、僅かに持参していたBMW
003Aの縮小された断面図と見聞録だけであった」

 とここで、洋介と中島翁の見方が完全に一致したのは・・・

「既に、同じような設計構想が、日本においても出来上がっていたのではないか」
「それが、仮に図面になっていなくても、技術者の頭脳の中で描かれていた」という
考え方である。

 これをまさに裏付ける記事を洋介は再認識して声に出して読み上げた。

「巌谷中佐が持ち帰った、たった一枚の縮小図面で十分であった」
「これを見たとき、瞬時に、全部が理解できた」
「その原理は、日本の技術者が、研究を進めていたものと同じであった」
「ただ、違う点は、遠心圧縮機の代わりに、軸流圧縮機を用いている」
「しかも、回転は低く、タービンの設計を楽にしてある」
「燃焼器は、直流型で、伸び伸びとした設計になっている」

「日本の技術者は、この縮小図面を見ただけで、設計的に、うまいと思った」

 まさに、この記事が、当時の状況を良く物語っており、既に、構想が良く練られて
いたことが分かる。

 さらに、これを裏付ける記事としては・・・

「ネ20の設計作業では、技術者が二名。技術者補助が五名。図工が五名」
「これに加えて、若い女性トレーサーが二十~三十名、プロジェクトに任命された」
「彼ら・彼女らは蔽内に住み込み、昼夜を徹して設計に従事した」ということから、

 その技術リーダーの卓抜な方向付けは、容易に想像できる。

 同じ、著書には、終戦後の米軍からの報告記事として・・・

「終戦後、日本において、何人かの航空技術者にインタビューをした」が、

「全体を通じてみても永野中佐はジェットエンジン計画の分野で傑出した権威である。
彼は、大変聡明で精力的で自信に満ちている。また、彼は要求された情報を提供する
ことを嫌がる気配もなく、また、提供された情報は、どれも信頼に足りるものである」
と記述されている。

 日本におけるジェットエンジンの創世記において、種子島時休大佐と、永野治技術
中佐のお二人のリーダーシップがあってこそ、短期間での開発成功があったといって
も、けっして過言ではないだろう」

「偶然にも、中島翁と洋介は、著書に掲載されている写真を見て、お互いに声を出し
声が重なった」


沖縄への永遠の思い

 写真は、一九六二年頃のもので、当時の石川島播磨重工の土光社長と永野治取締役
が写っている。

 この写真から推測したことは、ネ20の基本にあるジェットエンジンの設計思想は、
戦後の純国産ジェットエンジンJ3につながり、さらには、T4中等練習機に搭載さ
れた、F3エンジンにも影響を与え、さらには、小型民間機用ジェットエンジンへの
発展につながって行った。

 その道筋は、明確にイメージでき実像としても見えてくる。これを可能にしたのが、
天才技術者である永野治翁の頭脳であったと云える。

 このことは、戦後、航空機に関する事業が全て禁止となっていた期間も天才技術者
永野治翁の脳内においては、ジェットエンジンの根幹は進化を続けていたということ
ではないか。

 石川島播磨重工に在職中の永野取締役に、お会いしたことのある洋介は、そのとき
の雰囲気から・・・

「大局においては哲学的に全体を把握され、実際の場面での物事の処置に当たっては、
物理的に理にかなった行動をされる方」という印象を受けた。

 天才技術者の永野治翁であれば、例え、現物のジェットエンジンが、目の前に存在
しなくても、脳内でジェットエンジンの性能解析が出来てしまう、超能力に近いもの
をお持ちであるという思いがした。

 ここで、中島翁から面白いお話が飛び出してきた。

「ネ20のジェットエンジンを開発した当時は、材料などにも恵まれず、設計仕様は
極力低めに抑えたものであった。例えばタービンの入口温度などは、低く設定せざる
をえなかった」

「そこに着目して中島翁たちの設計チームは材料などに恵まれた現在の環境で、当時
の制約条件を解除して、現状で活用できる特殊鋼などを設計に取り入れて設計をして
みたというのである」

「その設計には、二年間を要したという」

「機体も、零戦を基にして、民間仕様に設計をやり直したという」

「しかも、この飛行機は飛行試験にも成功して、戦後の沖縄における慰霊の願いを
こめて、沖縄の上空を旋回した後、空からの献花を行った後に沖縄では観光の名所
になっている玉泉洞の奥にあたる地元でも知られていない洞窟に奉納して、永遠の
鎮魂を祈念した」というのである。

「玉泉洞といえば、沖縄の天然記念物として沖縄県の博物館担当施設になっている、
あの洞窟ですか?」

「そうです。洞窟の中に、岩窟王という名所があるが、そのさらに奥に地元でも知ら
れていない洞窟がある。そこに、機体とエンジンが一緒に安置してあるのです」

「どうして飛行機の安置までに、そんなにも手間と時間のかかることを計画されたの
ですか」とおたずねすると・・・

「沖縄といえば、第二次世界大戦において、最も激戦地であったこと。それは、広島
や長崎の被爆とは、また、違った意味で、戦前から航空機に携わってきたものとして、
軍需に、割いてきた時間に匹敵するだけの手間と時間をかけることは、無理としても、
それに見合うだけの追悼をしなければ沖縄で戦渦に巻き込まれて他界していった人た
ちに申し訳がたたない」という思いからだと云う。

「今や、それができるのは、私たちのような天界に住んでいる人間のみです」

「そこで、私たちは、天界に天空社という法人を設立しました」

「天界から法人登録することはできないので、神崎君に、ほとんどの手続きをやって
もらっています」

「そして、天空社の総裁に、私が就任したということです」

「天空社にとっても、この沖縄での飛行機の奉納を機会に事態が好転しました」

「この玉泉洞の奥に飛行機を奉納してから、新しい出会いがあったのです」

「たまたま、沖縄の現地で神崎君が、たいへんな情報を入手してきました」

「沖縄のベンチャー企業が、サトウキビをスライス状にカットして、バイオ加工し、
IC回路と結合することで、太陽の光を電気に転換する化学反応を発見したのです」

「まさに、バイオとICそれにプラスチックの加工技術によるメタ(結合)理論の
成果ですね」

「沖縄には、サトウキビ畑が、無数に存在します」

「私たちは、これを航空技術と結合させることを考えました」

「その答えが、この超軽量ヘリコプターとしての具現化だったのです」

「それは、どんなきっかけで、そこに行き着いたのですか」

「いや、それが、ネ20のジェットエンジンにまつわる話で、昔、ネ20を飛ばすの
に燃料がなくて、松脂から燃料を精製したという話を聞き、この面からも、私たちは、
当時の苦労を研究する必要があるということになって、沖縄でも、それが可能か否か
の調査をはじめていたのです」

「そのときに、沖縄のベンチャー企業の名前が挙がりました」

「早速、たずねたところ、バイオチップスの存在を知ったのです」

「そこで、私たちは、沖縄での鎮魂だけにとどまらず、もっと積極的に沖縄の人たち
の未来に貢献できることをしよう」と天空社の人たちは考えたのだという。

「これは、実際に現世において、戦後の日本復興に大いに貢献されて、後継者に道
を譲り、天界の人となった、土光敏夫さんや本田宗一郎さん、そして永野治さんの、
お話を伺ってから、私たち天界の人間も大いに触発された結果なのです」

「最初のきっかけは天界での講演会でした。天界の学術院が計画したものです」

「第一回目は、マズロー博士をお招きしての基調講演会でした」

「その時、実業界で活躍の著しかった方々の経営実践における、よもやま話も、順次、
輪番制でお聞きしたいということになりまして、その第一弾に選ばれたのが土光敏夫、
本田宗一郎の両先生のご講演だったのです」

「最初の基調講演のマズロー博士のお話は、マズロー博士が、かねてから唱えていた
ところの、あの有名な欲求の五段階説に、晩年になってからさらに一段階を加えた」
という、ご講演でした。

「これを欲求の六段階説という」

「具体的には、従来は五段階目が自己実現で、これを最高次としていましたが、さら
に加えて、最高次には、他己実現を六段階目として位置づけたということです」

「これはマズロー博士も、晩年になってから気付いたもので、自愛的な考え方の上に、
愛他的なものがくると考えたのです」

「そして、自己実現と他己実現を含めて、高次の存在価値とした」

「そして、これらの欲求は持続され、より高められて行く性質があるとしたのです」

「そして、これらのことは最近の大学生のテキストには反映されています」

「問題は、多くの企業研修のテキストです」

「今でも、自己実現を最高次に位置づけているテキストが多いのです」

「そして、この話がたいへん盛り上がったのは、午後の講演で、土光さんと本田さんの
講話を聞いた天界人が、お二人ともに他己実現を、まさに、実践してきた経営者として
絶賛された」ということであった。

 さらに、話題が盛り上がったのは、その後の懇談会において・・・

「最近、現世においては、他己実現に熱心な企業が著しく業績を伸ばしている」

「自己実現にばかり、目が向いている企業は軒並み業績が悪化している」

「他己実現に向けて、注力が著しい企業としては、その筆頭にトヨタが挙げられた」

「あのすっかり有名になった、トヨタ生産システムをワールドワイドに、公開して、
数多くの企業の業績向上に寄与して、自らも継続的に大発展している」

「一方で、自己実現にのみ走りすぎ、倫理観を失った企業や団体は惨憺たる状況に
陥っている」

「いわれてみれば、その通りである」と洋介は、その考え方に納得した。

 天界人の世界でも大いに盛り上がった懇談の場での結論としては・・・

「日本政府の刊行資料からのヒントもあり、天界人から、現世への他己実現的な贈物
として、戦前・戦中・戦後の技術立国日本の産業史として、海から空へ、空から陸へ
の技術移転と発展史を、それぞれの実機を集めてモニュメント風に展示する」

「そして、これからの技術を担う人たちの参考にしていただこう」

「これによって、天界人も、他己実現における一翼を担って行こう」

「この具現化は、海と空と陸のそれぞれに公社を設けて、本格的に推進しよう」
ということになったのだという。

「その空の公社が天空社で、総裁が中島知久平翁ということですか」
と洋介が、おたずねすると・・・

「その通りです。早速、取り掛かったのが、さきほど見ていただいたイエスタディー
館です。これは、過去の史実を忠実に再現しようという趣旨で進めています」

「ツモロー館は現代史ですが、飛行機は大物だけに、現物の入手をどうするかで苦戦
しています」

「フューチャー・エリアでは、実際に役立つ実機を未来に向けて創造して行きます」

「沖縄の玉泉洞の奥に、奉納した小型民間ビジネス機は、その手始めの作品です」

「現在、進めている超軽量ヘリこそが、天空社の主力商品です」

「天界人同士の申し合わせで空の分野を展開中の天空社は、ニュージーランドおよび
オーストラリア周辺において、着々と準備を進めております」

「船の分野は、ブラジル地域で準備を進めており、陸の分野は日本近郊で準備を進め
ております」

「先日の定例連絡会議では、大規模モニュメント全体の設置場所として、やはり沖縄
が最有力候補地として挙げられています」

「やはりという意味は、沖縄県全体の現況を見たときに、既に、地形的に、戦前・戦
中・戦後のイメージが、南から北に向かっているように見て取れるからです」

「この大規模モニュメントから、日本の皆さんに、感じ取っていただきたいと考えて
いるものは、完成品からのハードとしての素晴らしさやイメージではありません」

「日本の産業の歴史において、日本人の頭脳こそが、その史実を支え、隆盛なものに
発展させてきたという事実を再認識していただきたいのです」

「日本における唯一の財産は、昔から云われているように頭脳です」

「これからの技術立国日本を支えて行くのは、あらゆる分野から成る頭脳であり、
その人的財産の育成が大切です」

「今の日本においては、まだまだバブル後の閉塞状態から抜け出せないでいる企業が、
中小企業を含めて、相当に規模の大きな企業にあっても、なかなか黒字化が果たせず、
倒産の危機にさらされています。このジレンマが続くと、あの第二次世界大戦前夜の
状態に酷似した環境になってくる恐れがあります」

「私たち天界人も海と空と陸をつなぐ大規模モニュメントの製作や、未来産業に向け
た具現化の必要性を痛感して、具体的に超軽量ヘリなどの創作による協力が不可欠と
考えました」

「日本が、再び、あの第二次世界大戦前夜と同じ決断の過ちを繰り返さないために、
天界人にも出来ることがあるのではないか」という議論が出てきて、みんなで真剣
に話し合いました。

「一方で、今の日本にとって、先行き、最も危険なことは、少子化です」

「過去に、戦争の大過によって、日本の人口が減少するという悲劇がありました」

「しかし、あの戦時においてすら、多くの戦没者たちは、国を守り子孫繁栄を願うがゆえ
に尊い命を犠牲にしたのです」

「しかし、現代の深刻さは、日本人が自らの意思の必然性として、生じさせている
少子化であり、それは、日本の国の自然消滅への道なのです」

「今日の家族構成において、核家族化という現象の進むなかで、夫婦二人に子供が
一人という家庭を、数多く見てきました」

「この視野の狭さが先行きの見通しを悪くしているのです」

「これを一世代前まで、視野を広げて見て行きますと、今や二組の祖父母に孫が一人
という時代になってきているのです」

「これは現代においては、学歴が江戸時代の士農工商に代わる身分制度として、頑な
に定着しつつあるという見方が、ひとつの視点として浮かび上がってきます」

「今や、企業などで盛んに学歴重視の撤廃を呼びかけていますが世の中のお母さん方
は、その呼びかけには耳を貸そうとしません」

「ご自分の、ご亭主の二の舞はさせない」という悲痛な思いが、一部では、少子化を
加速させています。

 教育社会学のテキストなどにも・・・

「日本の世代間のケース研究として大学や大学院といった高等教育の機会に恵まれな
かった親が、子供たちに夢を託すリレー競争として、再加熱化という言葉でその現象
を的確に捉えています」

「少なく生んで少数精鋭に育てて行く。この傾向の根底にある悲痛な思いを打ち破ら
ない限り少子化は続きます」

 この少子化と再過熱化現象は、既に、次世代にまで及んでいると洋介は考えた。

「お母さんの嘆きを毎日のように聞いて育ってきた娘たちが、今度は自分の父親の
二の舞はさせない」と考えるからである。

 ここで、洋介は和歌山周辺のツアーに参加したときのことを思い出した。

 和歌山周辺に出掛けたときのツアーでは、一日目は高野山の宿坊に宿泊した。
二日目はホテル浦島に泊まり海が見える洞窟内での温泉を楽しむという、異色の
組み合わせの宿泊プランであった。

 この一泊目の高野山の宿坊で高野豆腐をいただきながら、若い僧侶から面白い講話
をお聞きした・・・

「ここに集っておいでの皆さん方は、ご夫婦での参加が多いと聞いております。さて、
皆さんはご先祖さまのご供養ということでお墓参りに行かれますが、皆さんはご先祖
さまの人数を数えたことがありますか?」

「恐らく皆さん方の想像を越えた、すごい人数になります。今回ご夫婦でご参加の
皆さんのご先祖を十代、昔にさかのぼりますと、その人数は一〇二四人になります」

「したがって、ご先祖さまのご供養を熱心にするということは、約千人規模の応援団
によって、皆さんへの後押しをしていただけるということです」

 ここで、洋介は、この数字のもつ意味を少子化に当てはめて考えてみた・・・

「今のような、一人っ子の傾向が、これから先まで、それぞれのご家庭で、十代に
わたって続くと単純に人口はやがて千分の一になってしまう」ということになる。

「もちろん、全部のご家庭で一人っ子という訳ではない」

現に、最近、知り合った友人は・・・
「奥さんのお腹に、五人目の生命が宿っているので、しっかり働かなくては」
と気を引き締めていた。

 しかし、現状において日本国内の高学歴化は、ますます進む傾向にあり、これも
少子化による影響として大学への無競争での全入時代が予測されており、その結果
としての晩婚化による少子化への悪循環に歯止めがかからない状況が予想される。

 現に、洋介の友人宅では、次男が調理師になりたいという希望を親に伝えて、専門
学校に入学したいという意思表示をしたところ、とにかく大学だけは卒業しておきな
さいという、親の願望にいいまかされて、大学卒業後に、どうしても調理師になりた
いという夢を叶えるために改めて専門学校に通っている。

 このケースにおいても、親のエゴで子供にとっては、晩婚化に追い込まれることは
十分に考えられ、短期間に余程の努力がなければ、一人っ子になる可能性は高い。

 少子化が引き起こす問題は、年金問題よりも先に、今まで日本が誇ってきた、あら
ゆる分野での優秀な人的財産としての頭脳が確実に減少してゆくことであり、それは、
誰の目にも明らかなことである。

「かつてのローマ帝国の例を引くまでもなく、日本国家という存在が、内部から崩壊
していく現象は、極端なまでの高学歴志向による晩婚化に一つの要因がある」

「日本国家は、この高学歴志向による晩婚化に伴う少子化現象という連鎖の呪縛から、
解き放たれない限り、時間の流れに沿って、未来を支える優秀な頭脳が減少して行く
ことになる」

 一方、ここで、もう少し視野を広げた友人から、この少子化傾向は高学歴志向だけ
が、その要因ではないという反論を得て生涯発達心理学のテキストをめくってみた。

 女性の生活意識の志向性にスポットを当てた記事である。


ライフコースの多様化

 現代の女性のライフコースには多様なタイプがある・・・

 そのなかから、昔ならば結婚して、子育て期に相当する年齢層の女性を対象にした
意識調査である。

 その結果からは・・・

「自立社会派層」「主婦エンジョイ層」「良い嫁志向層」「生活不満層」さらに
「高級生活志向層」へと続き、多様な生き方がみられる。

「ここでも少子化につながる傾向は見てとれるのではないか」と友人が云う。
高学歴志向だけが少子化の原因ではないと云う論調である。

・・・・・・・・・・・・・・

 そんなことを脳内でイメージしていた洋介は中島翁の視線に気付いて顔を向けると、
中島翁から熱弁が飛び出す。

「そこで天界人にできることとして、その具現化のためには、戦火の激しかった沖縄
への慰霊にのみとどまらず、少子化対策も含めて本格的な産業起こしを沖縄発で企画。
優秀な頭脳の需要創りから実践して行こうと」

「そのための産業モデルとしての選択を超軽量ヘリの工業拠点造りに絞り込む」

「先ずは、南の島、沖縄から少子化に歯止めをかけ新しい形態の技術立国日本を再生
して行こう」という構想が天界から湧き上がったのだという。

「昨今を通じて話題になっている遷都よりも、地方から人口増を推進して日本の復興
を実現させるモデル地区を創って行こう」という結論に達したのだという。

 そのような経過を汲んでと前置きをされて、中島翁は・・・

「洋介さんには、是非とも、そのモデル機である超軽量ヘリに試乗していただいて
感想をお聞きしたい」

「その感想も超軽量ヘリの操縦性のみではなく、企業人の経験も生かして、それを
量産化して行く上での、ご意見なども合わせて、お聞かせいただければ、たいへん
ありがたい」

「クライストチャーチの大聖堂で、父君の竹次郎さんに、そっくりな洋介さんを
お見かけしなければ、こんな出会いもなかった訳ですが、これも一期一会のご縁
かと考えますので、是非とも、ご搭乗を」と懇願されてしまった。

「超軽量ヘリの操縦は、だれにでも操作できるように極めて簡単にしてあります」
という言葉に誘われて実機が置いてある場所に行くことになった。


シミュレーション技術に驚嘆

 フューチャー・エリアに出ると、周囲は海に囲まれていた。
機体の格納庫は、スケルトン調になっているので、内部の状況が外からも透けて良く
見える。

 洋介は、すぐに気付いた・・・

「あの奥にある機体が超軽量ヘリですね」
「はい、そうです」
「その隣に置いてある、黒い物体はなんですか。卵を平べったくつぶしたような形状
 をしていますね」

「さすがに、洋介さんは目が早いですね。あれは、まだ試作中の超軽量ヘリです」と
いいましても、従来のヘリコプターの設計概念からは飛び外れたコンセプトになって
います」

「ただいま、呼び名を募集しているところですが、飛び方がカブトムシに似ていると
 ころからビートルズと呼ぶ天界人が多いようです。いずれの超軽量ヘリも操縦する
 際には専用ヘッド・シミュレーターをかぶって操縦していただきます」

「これは、先程、テロップで学ばせていただきましたときのヘッド・シミュレーター
 と同じものですか?」

「はい、原理的には、近いものですが、使い勝手の機能が大分違っています」

「どこが、違うのですか?」

「この超軽量ヘリで使う場合は、これを頭からかぶって操縦桿を握っていただきます。
 そうすると、例えば右に旋回という思考をしますと、操縦桿を少し右に倒すだけで、
 あとは機器が適正な操縦をします」

「また、目的地が明確な場合は、行く先を意思決定していただければ自動操縦で現地
 に向かいます」

「ここで例えば、行く先は沖縄と意思決定しますと、その意思決定がナビゲーターと
 連動して、自動操縦に切り替え、現地に向けて自動的に離陸・発進します」

「さらに細部において、住所が明確なら、それを脳内にイメージすることで、現地に
 到着できます」

「したがって、超軽量ヘリのヘッド・シミュレーターの場合は、洋介さんが操縦桿を
 握れば、洋介さんの操縦に関する思考だけを、ピックアップしてくれるというのが、
 このシステムの特徴です」

「これに対して、先程のテロップ表示で大活躍したヘッド・シミュレーターの場合は、
 テロップ表示に連動した洋介さんの思考だけを、より深い思考レベルでデジタル化
 するという特徴をもっています」

「例えば、洋介さんがテロップ表示による解説のなかで、イギリスのエンジンの話題
 に触れたときに思考したことなどは、全て脳内での働きとしてデジタル化します」

「実際に、洋介さんは先程の反応として、イギリスという言葉に対して、連想的に、
 ロンドンからダービーへの移動の際に急行列車から見た、広大な芝生の景色の中
 にあった、クロッカスの花を綺麗だと感動した記憶の描写に思考が飛んだときに、
 それも合わせてデジタル化しております」

「これは、脳内の働きを全て記録する、いわば大福帳のようなものです」

 しかし、そのままでは、ヘッド・シミュレーターをかぶった人の脳内の働きの全て
をのぞかれてしまうという、疑心暗鬼的な精神的負担をかけてしまいますので、現在
では、さらに研究が進んで、デジタル化されたデータのなかで・・・

「その人のアイデンティティ(その人らしさ)に、特有なものと推論される深層心理
 データは取り除いています。言い換えれば論理的な思考部分のみを抜き出すように
改造されてきています」

「これによって、読み手の側でも、余分な混乱や解析を減らせる効果があります」

 中島翁の説明によれば、これは、カオス学と脳の科学的な研究および心理学の
メタ(結合)理論による成果なのだという。

 二十一世紀に入ってからは、日本においてもカオス学と脳の科学の結合的な研究が
盛んになって、それを情報工学に応用する動きが出てきているが、心理学との結びつ
きまでは、まだ表面化していないという。

 それを天界では、既に、具体的な研究テーマを設定して活動が動いているという。

「今回の自動操縦システムも、そのような研究のなかから脳の働きをシンプル化して、
制御システムに連結させるという面において、天界人には適用可能であっても、洋介
さんたちにも問題なく適用できることを実証したいのです」

「ちなみに神崎には適用可能であることが確認されています」といいながら、中島翁
は打ち出された資料を見ながら、これは余談ですがと前置きをされて・・・

「洋介さんも心理学教室で学ばれたことと思いますが一つの例を挙げますとフロイト
 博士が、心の構造を自我・イド・超自我に分けて説明しています」

「また、ユング博士は自我と自己という構造の他に、原型的なものとして、もう一人
の自分よりなる心的構造を想定しています」

「これらのことを考えただけでも、天界人は、まだまだ引き続き研究が必要と考えて、
 その発展分野を模索している段階にあります。したがってヘッド・シミュレーター
 の一般市場への普及は、もっと、ずっと先になると考えております」

「ところで、洋介さんの場合は、心理学でいうところの影の存在が表面に出ていませ
 んね」

「影が、本来の居場所である無意識な領域に落ち着いているということでしょうね」

「えっ、そんなことまで、分かってしまうのですか?」

「はい専門の心理学者がデータ分析しますと、より深層心理の部分も分析できます」

「ちょっと怖いものがありますね」と洋介は率直な感想を述べる。

「超軽量ヘリのヘッド・シミュレーターは、このような過程を経て、脳内の操縦に
 関する思考だけを機能的に簡素化して把握しますので、洋介さんは、ただ操縦桿
 を握るだけで、機能的な信号に転換して、自動的にピックアップします」

 洋介は、少しばかり難しい話に頭が疲れたこともあり、ここで話題を変えること
にした。

「実際に沖縄を旅すると、戦後は終わっていないという感想をもちますよね」

「そうです。私たち天界人も沖縄に新たな産業を立ち上げて、二十一世紀の新都市
 構想として産業に基盤においた活況が創れないかと考えたのも、同じような思い
 からです」

 安心して子供が産める。そして、安心して育てていける・・・

「そのためには、日本型モデルとしての産業基盤の整備が必要です」
「沖縄は、南から戦中の傷跡。中部の復興への道。北の未来への発展地区と大きくは
三つの区域に分かれており、それぞれに歴史的なものを背負っている印象があります」

「二十一世紀における沖縄を考えた時に、新都市構想として全体のバランスを考えた
産業の基盤造りが、今や必須と考えています。その面からも超軽量ヘリの製造工場を
造る構想は素晴らしいことですね」

「ところで超軽量ヘリの量産となりますと、実機による飛行試験などで、居住地区に
おける騒音問題などが、起こりませんか?」と洋介が質問をすると・・・

「全く問題ありません。騒音についてはシミュレーション技術によって、問題を起こ
さないことが確認されています」

「デジタル・シミュレーション・ルームを、ご覧になりますか?」

 思いがけず、超軽量ヘリの飛行前に、天空社のシミュレーション・ルームを拝見で
きることになった。

「飛行状態をあらゆる面から、検証するために、シミュレーション用に大型の電算機
をセンターに置いて、端末にはパソコンを連結させ、使い勝手をよくしている」のだ
という。

「こちらが、基本設計と構造解析を専門に行うシミュレーターです」
「こちらは、コンポーネントの設計室で、パソコン端末で、ほとんどの設計を済ませ
 ております」

「こちらは、環境アセスメントの面から解析を行うシミュレーターです」

「このシミュレーターでは、超軽量ヘリ一機での単独飛行から複数での飛行分析まで
満遍なく実施できます。理論的には五百機までの同時飛行が解析可能です」

「えっ、五百機のシミュレーションですか」と洋介は思わず耳を疑って聞き返した。

「五百機のシミュレーションの他に、実機での飛行試験は、どうされるのですか?」

「現在では、実機での飛行試験はほとんどといってよいほど行う必要がありません」

「ただ操縦室の計器類と人間の五感との相性などは、感性を伴う分野なので、可能な
 限り実機での検証を行っています」
「この自動操縦システムも生身の人間感覚による検証が必要な部分です」

「五百機のシミュレーションとは、いずれにしても、すごいことですね」と洋介は、
感動の声をあげるばかりであった。

 洋介たちが開発している超軽量ヘリのことは、立場上、明かせなかったが、まさに、
この目の前のシミュレーション技術には、頭上から、滝を浴びせられたような衝撃で
あった。

 このシミュレーション技術が確かなもので、既に実用化されているものなら、現在
において、洋介たちが計画している砂漠または海上での飛行試験は不要になってくる。
それは自然環境保護の面からも、経済性の面からも好ましいことであるので、さらに
技術的な面を含めて、ご指導をお願いすることにした。

 この超軽量ヘリ、五百機によるシミュレーションを可能にした理論は、カオス学の
分岐構造をモデルにして考え出したものだという。

 洋介は、今までにカオス学について学んだことがないので、ここで少し時間をいた
だいて、カオス学の入門知識から、ご指導をあおぐことにした。


カオス学の実用化

 カオス学における「カオス」という言葉は、日本語読みであって、欧米においては、
ケーオスと発音する。

 また、辞書などでは、カオスを説明する言葉として、混沌や無秩序などの意味付け
があるが、電子辞書などでは、初期状態のわずかな違いにより、その後に生成される
ものが大きく異なるような現象として本質的に突っ込んだ説明をしているものもある。

 本来、カオス学においては、この混沌のなかに、無限の秩序構造を見出そうとする
学問で、これを決定論的カオスと呼んでいる。

 時間的・空間的スケールのなかに、このような秩序を明快に見出せるようになった
のは、ここ四半世紀のことで、これはコンピュータの高性能化による成果が寄与して
いる。

 このカオス学のなかで分岐構造という考え方が、天界でも脚光を浴びて研究が重ね
られ、超軽量ヘリ、五百機ものシミュレーションを可能にしたのだという。

 シミュレーション・エリアで、この実演を見せていただき、その俊敏な解析手順に
洋介は思わず仰け反り、目を見張り、うなってしまった。

「このシミュレーションを習得できれば、砂漠や海上での飛行試験は、まったく不要
になる」

 ここで、洋介はより詳しいシミュレーション技術のご指導を中島翁にお願いして外
に出ると超軽量ヘリが並んでいるエリアに出た。


人間の五感との対応性

 超軽量ヘリが並んでいる風景は圧巻である。

「ここでは、実際に人間が操縦する際の五感との対応および脳機能とシステムの連携
に対象を絞り込んでテストを進めています」と中島翁から説明がある。

 洋介は、その隣の機体に目が飛んで・・・

「あの卵を押しつぶしたような機体がまったく新しいコンセプトによる超軽量ヘリ
ですか?」

「形がカブトムシに似ていますね」と洋介は、少し興奮気味の自分の声に気付くと、

「形状だけではなく、飛び方もカブトムシのように飛び廻ります」と中島翁の解説
にも熱がこもる。

「したがって、従来のヘリコプターの特徴でもある回転翼がありません」

「やはり、ヘリコプターという従来からある分類よりもビートルズの呼称で新しい
飛行分野を設けたほうが良いのかも知れませんね」と洋介の顔を覗き込んでくる。

「カブトムシ式の飛び方ですと、従来のヘリコプターよりも、騒音レベルを低く
出来ます」

「こちらの今からご搭乗いただく超軽量ヘリにおいても、騒音レベルは低く抑える
ことに成功しています。

 現在、沖縄での現地生産が可能か否かのフィージビリティスタディ(可能性調査)
を始めています」

「沖縄の現地における機密の生産準備室は、玉泉洞の奥の洞窟内に建設済みです」

ここで、一瞬、中島翁の目が輝いた・・・

「さて、洋介さん、実際に超軽量ヘリを操縦してみて下さい!」
「私も同乗します」

 洋介は、お言葉に甘えて、早速、超軽量ヘリコプターに乗り込むことにする。

「離陸がとてもスムーズですね。それに音も静かですし、この超軽量ヘリを飛ばして
日本の富士山の上空を旋回できたら、さぞかし気持ちが良いでしょうね」

「それはもう、マウントクックを遊覧飛行で眺めるのと同じで絶景と思いますよ」

「そういえば、日本において、富士山は世界遺産に匹敵する山岳美を誇りながら、
ゴミ問題などの障害があって、いまだに登録が難航していますね」
(今となっては懐かしい話題だが当時は当事者にとっては真剣な課題であった)。

「ここ、ニュージーランドにおいては、真っ先に環境保護を考える国民性からいって、
そのような事態は、まったくといってよいほど想像のつかないことです」

「最近の日本の国民性には、ごく一部のことでしょうが、自己実現や自己満足に走り
過ぎてしまって、他己実現の世界まで、視野が広がらない傾向が出てきているのでは
ないでしょうか」

「例えば、最近の加熱した受験戦争も、かつて親たちが果たし得なかった、自分たち
の夢の再加熱ということで、自分の子供たちに夢を託し過ぎている」

「これは見方によっては、他己実現のようにも見えますが、子供たちへの他己実現を
考えてのことであれば、超一流大学への入学だけが選択の対象ではなく、子供たちに
とって、自分の意思で、自らが選べる、複数の選択肢が用意されていても良い」と、
天界人たちは考えています。

「そのためには、選択を間違ったと気付いた子供たちには、敗者復活の道も用意して
おくような、ここでも、線形の連続的な考え方のみではなく、非線形なカオス学的な
考え方があっても良いのです」と中島翁は熱弁をふるう。



上空からのマウントクックの眺望

 洋介が操縦する超軽量ヘリコプターの前方に急に視界が広がる。

「あっ、マウントクックですね。地上からの眺めとは、また違って素晴らしいですね」
「素晴らしい眺めでしょう」
「感動的な光景ですね。山頂が白銀に輝いて、まるで、お伽の世界に居るようです」

「それでは、この辺で旋回することにしましょうか」と中島翁から、洋介に声がかかる。
「洋介さんの頭の中で行く先をスケルトン・エアー・ポートとイメージしてみて下さい」
と中島翁が云うわれるので、そのように言葉には出さずに頭のなかだけでイメージする。

「はいこれで、自動操縦に切り換わりました」

 中島翁も同乗されてのフライトは快適そのものであった。
超軽量ヘリコプターをスケルトン調の格納庫に納めて、中島翁のオフィスに戻ると、
神崎さんが待機されていた。

「総裁、そろそろ、洋介さまが、奥様のところに戻られる時間かと」
「それでは洋介さんには残された時間が僅かなようですので」といって、中島翁が、
 握手をしてくるので、洋介は、恐縮して深々と頭を下げ、お礼の言葉を述べてお
 いとますることにした。

 神崎さんに案内されるままに、モード転換室という看板が掛けられた部屋に入る。

「お帰りのときは、こちらでモード転換しませんと、お帰りになれません」と、
ここでも、神崎さんに案内されるままに、リラックスルームのような、ゆったりと
した雰囲気の部屋の中央に据えられたシートに足を伸ばし、ゆったりと背もたれに
身体を預けるようにする。

 神崎さんが、少し離れたところで、大きなボタンを押す。

・・・・・・・・・・・・・・・・

 一瞬、洋介は暗黒のトンネルを物凄い速さで走り抜ける思いが、しばらく続いた。
まだ、ぐんぐんと加速感が続いているなかで、突然、身体に重圧感がかかって洋介
は前のめりになり、反動でまた後ろに反り返った。

 状況の分からないなかでのシステムの故障のようである。

 このような状況のなかにあっての行動は自分で即断するよりない。洋介はかつて
雑誌を読んだときの記憶を手繰り寄せた。

 なんでも、初期のロケットの打ち上げのときに、ロケットの打ち上げまで、本体の
垂直を保つための先端フックが、エンジン点火の後で、自動装置が働らかなくなって、
フックが外れない状態が勃発し、とっさの機転を働かせて、物干し竿を取りに行き、
その物干し竿で、フックを外し無事に発射に成功したという話である。

 今回も加速されたカプセルの外周部が岩盤をかじり止まってしまったことも考えら
れる。しかも、神崎さんとは連絡のとりようがない。

 洋介は、腹を括って自分が乗っているカプセルを前後左右に全身を使ってゆさぶり
ながら進行方向とは逆の方向にカプセルを反動をつけても戻してみた。一度だけでは
なんの手応えもないため、これを何度となく必死で繰り返した。

 突然、全身に加速感が加わり洋介は意識を失った。

 やがて、混沌の中から目覚めたような気分で意識がもどると、洋介は懸命になって
頭の中を整理した。

「中島翁から学んだカオス学や航空宇宙の分野におけるシミュレーション・デザイン
が実用化のレベルにあること」

「また、不思議なことに洋介は、意識が戻る過程で、次のような二つの記憶が、
フラッシュバックのように脳内に蘇った」

「一つ目は、広島の原爆記念館で見た悲惨な光景と道路に焼き付いた人影」

「そして二つ目は、沖縄において、ひめゆりの塔の地下壕で見た若い従軍看護婦さん
たちの治療日記であった」

 そして、今また、父親が語っていた言葉が思い出された・・・

「世界の航空界の歴史において、欧米における航空エンジン用スーパーチャージャー
の登場が、日本には、もはや手の届かない戦争であることを認識させ、それが終戦に
行き着く決め手の一つになった」

 これは幼い頃に何度となく父親から聞かされた話であったが、幼い洋介には、まだ
航空技術のことは良く理解できなかったことであった。

 今回、中島翁からも説明があり、航空界におけるスーパーチャージャーの登場をし
て、欧米における航空機が遥か上空での飛行を可能にしたため、もはや日本の航空機
には手も足も出せない状況に追い込まれたことなどが良く理解できた。

 そして洋介は、頭の中で、いつまでも戦後という時代を終わらせてはならない。
それは、平和の持続への強い願いであり、次の開戦への引き金を二度と、引かない
決心であり、ましてや、今日の日本国内に蔓延した感のある閉塞感の状況にあって
は、同じ過ちを二度と繰り返さないためにも、戦後という時代を終わらせてはなら
ないと、自分自身に言い聞かせた。

 突然、このような記憶が蘇ったのはモード転送時のトラブル発生による衝撃から
きたものだろうかと、ぼんやりとした状態がしばらく続いた。



南半球の戦後

 朦朧とした脱力感のなかで遠くから声が聞こえた。

「あなた、外に出て散策にでも出掛けますか。よく寝ていたわね!」
「でもさっきは、身体を大きく揺さぶって、隣にいた私のほうが驚いたわよ。夢でも
 みていたのかしら?」という美里の声が耳に飛び込んできた。

 洋介は我に返って、はっとした瞬間に、手の平から紙片が落ちた。
「タイムアウト」と書かれている。

 まだ、頭の中がだいぶ混乱している・・・

「人間は時として誰でもが、不思議な時空間に飛び込むことがあるというが、美里の
 態度や対応を見る限りにおいて、そこにはなんの不自然さも感じられない」

 洋介が、異次元の世界に行ってきたという気配は、周りからはまったく感じ取れな
いのである。

 目の前の大きなガラス窓にはマウントクックの美しい風景が広がっている。

 美里と一緒に、外に出ると、弁護士さんご夫婦とお友達のご夫婦たちが、森の中を
楽しそうに散策していた。

「森の中が、どこに行ってもきれいですね」
「空気が澄んでいて、とても気持ちが良いです」という会話が自然に交わされる中で、
洋介は、異次元体験のことは、自分の胸のなかにしまっておくことにした。

「こんなにも、ゆっくりとした時間を過ごせたのも久しぶりのことですわ」
と皆さんの目が輝いている。

 バスが置いてある広場に戻ると皆さんが集まり始めていた。
 
 ミセスCIA親娘が盛んにマウントクックの山頂付近の氷河への着陸体験の感想を、
飛行機に搭乗できなかった人たちのために熱心に説明していた。

「飛行機は揺れも少なくて、氷河にはスムーズに着陸できたわ」
「思わず、みんなで拍手したわよ」
「氷河に自分の足で降り立ったときの感動は素晴らしくて忘れることのできない体験
 だったわ」と話をされているミセスCIAの目は幼児のように輝いていた。

 洋介は、この氷河の景色を超軽量ヘリコプターに乗り、自らの操縦で上空から眺め
たのであるが、自分自身の頭の整理がついていない状況では、ミセスCIAの体験談
うなずいて聞くより他に対応のしようがなかった。



露天風呂にての複々線の思考回路

 露天風呂の周囲はすっかり雪景色であり、今(2018年)から、4年前の大雪が
思い出される。昨日は、ご近所総出で雪掻きを行ったが、今回も4年前の大雪に近い
降雪量である(4年前は二週連続で大雪が降ったので雪掻きも大変だった)。

 今回も、一週間後に、雲行きの怪しい気配があるが、雪降りにならないことを願う
ばかりである。埼玉県日高市にあるサイボクが運営するかけ流しの露天風呂に入るの
は久々のことであるが、今日は課題が豊富である・・・

◇一つ目は、テニスで痛めた右足の膝の裏側の腱のための湯治

◇二つ目は、沖縄百年計画の構想の具現化

◇三つ目は、一昨夜、雪の降る中を久々に訪問して下さった背中に翼を背負った女神
 からのアトキンス博士による「驚愕の仮説」への考察

 露天風呂の中で複々線の思考回路をフル稼働させても追いつかないので、急がずに
頭に浮かんで来る順序に沿って思考を巡らすことにする。

 先ずは、一つ目の課題、露天風呂の小高い山の上にある炭酸泉に、右膝をかざして、
泡立ちを確認しながら右足の膝の治療に専念する。

 二つ目に、アトキンス博士による「驚愕の仮説の一番目」を脳内の思考回路に乗せ
てフォーカスすることにする。

 一昨夜、背中に翼を背負った女神が、アトキンス博士による驚愕の仮説として紹介
された「一番目の話」は、次のような内容であった・・・

 貴ノ岩が「何故、あれほどの暴力」を受けることになったのか?

◇今までの新聞やテレビの報道では、横綱が説教しているときに、貴ノ岩がスマホを
操作したための注意喚起であり、それが度を過ぎてしまって、あのような暴力に及ん
だとしているが「アトキンス博士の仮説」によれば・・・

 仮に、この話が本当ならば、貴ノ岩が操作しているスマホに向かって攻撃が加えら
れる可能性が高く、「スマホを取りあげるとか」「スマホを叩き落とすとか」攻撃の
対象は、貴ノ岩の手元に向かうのではないか?

 実際の攻撃目標は、貴ノ岩の頭上を目がけており、スマホを操作する動作に対して
というよりも、初めから「貴ノ岩」本人を攻撃目標にしている可能性が高い。

 このことからアトキンス博士が割り出した仮説は・・・

◇かつて、相撲の勝負における星のやり取りにおいて貴ノ岩に「八百長への協力」を
 依頼したものの、貴乃花親方から神技である相撲の世界にあっては、「ガチンコの
 真剣勝負」を旨とする指導を受けてきており本人も「その通り」と考えているので、
 その旨をあらためて、10月26日未明に、飲み処を兼ねた店内で意思表示した?

◇あるいは、かつて付き人を介して、八百長への協力依頼をしてきたが、貴ノ岩が明
 確な態度で「ハッキリと断った」ことについて継続的に根に持っていて?

◇三横綱の談合的な申し合わせによって「同郷の親和性もなく・八百長に協力しない」
 貴ノ岩を懲らしめてやろうと云うことで暴力に及んだ・・・という仮説である。

 ここで、彼らの正義は「同郷の調和と親和性による相撲界の発展」と云える。

 もちろん、暴力を振るわれた貴ノ岩には「10月26日未明の出来事」については
同郷の力士として、固く「口止めされた」可能性は高い。

 しかし、部屋に帰った貴ノ岩が、怪我の経緯について「酔っぱらって転んだ」旨を
説明したものの貴乃花親方に「怪我の状況がただならぬこと」から、酔っぱらっての
こととは違うことが見抜かれて、貴ノ岩の将来のためにも、鳥取県警に出向くことに
なった。

 ここでのアトキンス博士の仮説は・・・

◇貴ノ岩としては怪我の状況から貴乃花親方に「現場での事態は見抜かれてしまった」
 ものの、その背景に「八百長への協力依頼」があったという事柄は吐露していない
 可能性が高いと推測していると云う。その理由は、次の二点にある。

◇一つ目は、あれだけの傷を負わされても、同郷の先輩を思いやる意志は強い。
(口止めされたことへの守秘義務は貫徹している)

◇二つ目は、日頃から、同郷にあって、「どうしても、談合的な土壌の生まれやすい」
 力士の集まりには、参加を避けるようにと云われていた貴ノ岩にしてみれば、日頃
 から云われていることに、遭遇してしまった自分への不甲斐なさもある。

 ここで、アトキンス博士の仮説が真実に近く、それを裏付ける証拠があれば・・・

◇三横綱による談合的な暴力行為であり、「三横綱」共に、共犯となる。

◇特に、一時は、暴力に及んだ横綱が、「シャンパンの瓶」を手にしたと云うことも
 伝えられており、アトキンス博士の仮説に真実味があるとすれば「未必の殺意」が
 一時にせよ疑われることになるので、日本相撲協会による裁定も違ってくる可能性
 が高いと推測される。

◇暴力に及んだ横綱は「解雇が相当な処分」であり、談合による暴力と裁定された
 場合には、他の二横綱も「退職が相当な処分」となってくると推測される。

 しかし、貴ノ岩からの証言は極めて難しく、同席していたホステスも退席を促され
たというので、三横綱からの発言を待つよりない。

 一方で、貴の岩の郷里の家族や親類・縁者の方々の立場を考えると・・・

「貴ノ岩が男気を貫いているが故に・・・真相が闇に隠れていること」であり、ここ
は、貴乃花親方が民事に訴えてでも、真相を追求することが、貴の岩の郷里における
親族を守ることにつながると考える。

 これから、次世代の弟子たちが入門して来ることになるが、相撲部屋の親方が弟子
たちの親族にまで目配りをする姿は、好感を持って迎え入れられることと考える。

 また、貴ノ岩自身も入門から「10年目」大活躍が期待される時期における怪我だ
けに生涯的な報酬面での損出額は著しく、この面からの民事訴訟も不可欠と云える。

 私も、昨年末から、この事件について記事を連ねてきたが、アトキンス博士の仮説
を基にして、記事を見直し、必要な記事を追記して行くことにしたい。



平成相撲の黙示録

まえがき

 快晴の青空の下での海の景色は眩しい。

 横浜港を久々に訪れた私は「背中に翼を背負った女神」像がホテルの建物の最上部
に安置されている方向に向かって・・・

「人知を超えた判断が必要なときに、いつも的確な示唆をいただき、ありがとうござ
います」の意思を込めて、両手の手の平を組んで御礼申し上げた。

 今日は、正月の4日に、相撲界において、貴乃花親方が理事を解任され、ある程度
の予想はあったものの理不尽とも思われる被害者側への裁定に煮え切らないものを感
じ取り、相撲界における暴力根絶の芽が摘まれてしまったことに、ゴールデンエイジ
に身を置くものとしては放置は許されず、解を求めて、背中に翼を背負った女神像の
膝元に足を運んだ。

「何かしら真相につながる情報を把握されているに違いない」と・・・
私の第六感が眠れぬ思いで夜半に騒いだこともあり、横浜港に出掛けてみた。

「お待たせしちゃったわね!」と云う声に振り返ると、背中に翼を背負った女神が、
いつもの笑顔で出迎えてくれた。
(今日は正月の6日、正月の三連休と云うことで、訪問客が多いのだと云う)。

「分かっているわよ!」

「昨日、相撲の神様の処に出向いて、相撲の神様の黙示録を見せてもらったわよ」
「貴乃花が、相撲を神事として考えて、若い衆をたいせつにしている心意気が相撲の
 神様にもキチンと届いているわね」

 私も、心理学を学ぶ過程で、心理学者のユング博士の考え方に共感、人事を越えた
領域においては、時に、神話の世界に大いなるヒントがあることを体験している。

 今回も、背中に翼を背負った女神から、貴重な示唆が得られることを予感した。



シャンパンの瓶が手元から落ちたと云う偶然は実は神事であった


 相撲の神様とは気が合う間柄で、談話の機会を持つことも多いので貴方が最近気に
かけていることについても、ご存知かもしれないと思って話を振ってみたら・・・

 ちょうど相撲関係者の処を巡回中でして、タイミング良く現場に居合わせました。
「大事に到らずに救済策が打てて幸いでした」
「しかし間一髪で危ないところでした!」

 あれは鳥取市内の酒どころを兼ねた店でした。今でも記憶が鮮明ですが、あの日は
10月26日未明に危険予知の通報が入り、すぐに駆け付けたのですが、横綱の一人
がシャンパンの瓶を持って若い力士に殴りかかる勢いでした。

 私たちは、相撲の神として、神前で顔合わせをした力士は、皆、平等に守る役割を
担っていますので、咄嗟の判断でシャンパンの瓶を打ち払いました。恐らく、本人も
周りの力士もシャンパンの瓶が手から滑り落ちたと思ったことでしょう。

 あのシャンパンの瓶を握った瞬間が明らかにK(危険)ポイントであり、私たちに
とっても見過ごすことの出来ない危険水域であり、私たちの相撲の神に報告が義務付
けられている危険因子として、黙示録に明記しました。

 私たちの世界では、結果重視からの危険因子摘出ではなく、プロセス重視から危険
因子の摘出に徹しています。

(合わせて、後で、アイスピックを手にしたと云う事実も危険因子です)。

「即ち、シャンパンの瓶を手にした時点で重大な傷害事件の発生を予想しています」
(アトキンス博士による、前述の仮説が真実に近いものなら、この時点において、
 加害者には、一時にせよ、未必の殺意があったことことも想定される)


 背中に翼を背負った女神は、ここまでの話で、ほぼ・全てを把握出来たと云う。

◇三横綱を前にして、一人の力士が説教を受けていた。その過程で、説教をしていた
横綱とは別の横綱が聞く側にある力士の態度が悪いと云って、暴力的な行為に及んで
シャンパンの瓶を手にした・・・

(アトキンス博士による仮説が真実に近いものなら、スマホを操作していた為の暴力
と云う話は口実であり、貴ノ岩への暴力は、談合による八百長への協力拒否への報復
であり、後日、三横綱による証言に修正やズレがあったのも、申し合わせ不足であり
話の展開に無理があったためと考えるのが妥当と推測される)

◇この場合、シャンパンの瓶を手にした時点が重要な「K(危険)ポイント」であり、
相撲の神様が間一髪で瓶を床に払い落して、重大な危機は避けたものの、本来であれ
ば、この時点で、他の二人の横綱が羽交い絞めにしてでも止めなければならない。

(しかしながら、アトキンス博士の仮説が真実に近いものであるなら、談合による暴
力事件の可能性が高いため他の横綱が制止する可能性は極めて低いことになる。現に、
部屋からは意図的にホステスを退席させている)

◇また、横綱三人が同席していたら、他の同席者が止めることも難しい。

◇したがって、加害者の横綱が刑事罰を言い渡された場合に、他の横綱も相応の裁定
 を受けることは当然のことと云える。

(アトキンス博士の仮説が真実に近いものなら、加害者に当たる横綱は法学系の大学
院に学ぶ知識をフル活用して、自らも他の横綱についても刑事罰をより軽くする方向
に向けて知恵を働かせたことになる)

◇そして、より重要なことは、これだけの「K(危険)ポイント」を越える行為があ
り、それを同席して目撃した二人の横綱から「部屋の親方」や「危機管理部長」そし
て「理事長」に状況の報告が伝わっていない。

(アトキンス博士の仮説が真実に近いものなら、報告自体が在り得ないことになる)

◇そして、これは推測になるが、このような暴力的な行為が発生したときの報告方法
などが、細則についてまでは、明確に定まっていない可能性も露見された。

◇10月26日未明に、これだけの「K(危険)ポイント」を越える行為が発生した
時点で、同席した三横綱から、部屋の親方や危機管理部長そして理事長に連絡があり、
被害者の力士が救急病院で的確な処置を受けて、危機管理部長から、被害者の親方宛
に連絡が入っていれば、10月27日には的確な対応策が取られており後日になって
被害者の部屋の親方が警察に通報する必要もなかったのではないか?

 背中に翼を背負った女神の口調は、いつになく強く、相撲の神様からの情報提供に
感謝すると共に、このままでは、相撲界の暴力的な行為は撲滅できないだろうと云う
焦燥感を伴っての口調と感じた。



日本相撲協会の打った手は、全てが逆の手順で回っている

 私も、今までに自分で記事にしてきた文面を読んでみて、それぞれの裁定に統一感
がなく著しくバランスを欠く結果となっている原因は、それぞれの裁定が、まったく
無秩序に展開されているためであると考える。

・・・・・・・・・・・・・・・・

 もっとも不適当な裁定は、貴乃花の理事解任であり、その過程は不可解極まりない。
本来、相撲界において暴力撲滅のための危機管理機能が正常に作動していれば、今回
の鳥取市内の酒どころにおける事件現場には、横綱三人が同席しており、事件を起こ
したのも横綱、初動における報告義務は三横綱にある。そして最終の報告先は理事長
または危機管理部長を経由して貴乃花親方に伝わるのが通常のルートと考える。

 しかし、実際は、被害者が酔っぱらって転んだと云わざるを得ない環境に置かれて、
そこに疑問をもった親方が、正しい状況を知るために鳥取県警に出向くことになった。
そして県警から日本相撲協会への協力依頼があった。

 そして、日本相撲協会においては、貴乃花親方の行為は、理事として不適切という
印象を与えてしまって・・・

「最初から貴乃花親方の理事の解任は決まっていた」

「後は、手順を踏んで、理事解任のための事実の積み重ね」
「全ては、評議会議長が理事解任を出来るように日本相撲協会総員で忖度に及んだ」
「理事会での理事解任の場面をみても、立ち合いの一瞬で、総員での忖度がテレビ
 画面から観て取れた」

「なによりも、貴乃花理事の説明書を理事会では待ち構えたように逐一撃破、評議会
 においては検討すら行われていない。最初から結論ありきのゆえが観て取れる」

「そして次の理事選に向けても議長からは新たな忖度を期待するコメントが無色透明
 という巧妙な言い回しでけん制球を投げてきている」

 それでは、正常なルートであるところの・・・

◇三横綱から初動で報告がなかった行為はどのように追加の措置を取るのか?

◇危機管理部長として、初動で「K(危険)ポイント」を把握できなかったシステム
 の不備については、どのように責任を取るのか?

◇相撲界における暴力的な事件を壊滅させるための芽を評議会の議長と共に摘んで
 しまった責任をどのようにして取るのか?

 大きくは興行優先で舵を切ってきて、危機管理の本来業務である暴力的事件の撲滅に
目を向けなかった反省は、現行の日本相撲協会の在り方を抜本的に革新して行かないと
神前で神技に学ぼうとする国技である伝統に禍根を残すことにならないだろうか?

・・・・・・・・・・・・

 ここに「スポーツ庁長官」の采配を切に希望する者である。

(最近になって、4年前の暴力事件も明るみに出て来て、スポーツ庁長官としても、
徹底した調査・解析・是正に取り組みやすくなったと考えるので、4年前に相撲界
において前途を閉ざされた若者や次世代の若者のためにも強く希望するものである)

 さらに、加えて、今までに記述した記事も添えて、重ねて・重ねて、お願い申し
上げることにする。


相撲界における重大インシデント

 相撲界における暴力事件が、連日のように報道を賑わせているが、日本を代表する
国技に「正義」は存在しないのか? と問いたい。

 今回の一般的な世間において起きた横綱による暴力的な事件は、重大インシデント
に相当する重大な出来事であり、過日、新幹線において発生した台車の亀裂に相当す
る危険因子であり、これを見過ごすことは出来ない。

 これは仮定での話になるが、あの出来事の場で、勇気ある民間人が仲裁に入ったと
想定した場合に、死亡事故が発生していた可能性はある。

 先日の新幹線の台車の亀裂のケースにおいては、重大インシデントとして運輸安全
委員会が調査官を送り込んで原因を徹底究明することになっており、その必要があれ
ば、関係者や行政機関に再発防止を求めて行くことになっている。

 今回の相撲界における暴力事件の場合は、相撲機関の内部で起きた出来事ではなく
一般市民を巻き込む恐れのある環境下で起きた出来事だけに、相撲協会だけの判断や
裁定において、出来事を収束させる訳に行かない。

 かつて、相撲部屋において、死亡事件が発生して、相撲協会としては、再発防止に
懸命に努めてきただけに、その暴力的な出来事が一般市民を巻き込む恐れの場にまで
拡大してしてしまったことは、暴力行為の根幹が根強く、相撲協会の手に負える範囲
を越えてしまった事態と判断せざるを得ない。

 しかも、その場には、相撲界の頂点に位置する横綱三人が同席しており、他の知見
を参考にするならば・・・

◇ハインリッヒの法則を参考にした場合に、1件の事件を頂点においた場合に、類似
 の事件が300件も起きる可能性を示している。

 したがって、1件の出来事だけに集中して取り組んでいる相撲協会に適正な是正を
期待することは難しく、一般市民の同席する場所で起きた出来事を相撲会の場所に置
き変えて解決しようとしている方向性にも違和感を覚える。

 ここは相撲興行は継続させながらも、重大インシデントとして政府機関による調査
官を送り込んで、相撲協会そのものの在り方の調査から始めて、相撲界全体の総意で
の抜本的な暴力絶滅が必要ではないだろうか?

 ベストプラクティスとしては、目覚ましい成果を挙げている柔道界が、素晴らしい
お手本になるのではないだろうか?



相撲界のカオス(混沌)を解く

 相撲界における暴力的な事件の解決策は混迷の中にあって相撲界が示した対策が
また、新たな混迷を生み出している。理事長が示した裁定には正義の欠片もない。

 このようなカオス(混沌)の中で正義を貫くのは容易なことではないが道標はある。

 いつになく眠れない夜を迎えて悶々としていると、目の前に、背中に翼を背負った
女神が、キラキラ星を引き連れて登場した。

「今、相撲界も、たいへんな騒ぎになっていますね」

「貴方がカオス理論について、わかりやすい解説をして、自らも解説に沿う形で数々
の難題を解いてきましたね。今回も活用出来るかも知れませんね?」

「あの振り子の事例からのカオスの理解ですね」
 
 私も、カオス学のテキストから、分かりやすい説明であり思考に役立つ説明と感じ
て、時々、活用しているのですが・・・

「振り子は単一であれば、昔の掛け時計の振り子のように、単純な動きとして左右に
規則正しく振れます。ところが、この振り子を二つ繋げて振った場合に二つ目の振り
子の先端は、動きが複雑になって、動きの予測が難しくなり、この動きをカオス的で
あると説明しています」

「そして、貴方は、このカオス的な動きをみて、状況が複雑でカオス的な状況におい
ては問題を正確に把握して的確な措置をするための方策として、個々の振り子を切り
離して単体として問題を解き起こすことを考えた」

「今回の相撲界における暴力的な事件も、貴方のカオスを解くための方策と極論的な
例えに置き換えて思考する方法をとったら分かりやすのじゃないかしら?」

「そうですね、読売新聞の報道によれば、最初、10月26日の未明に、鳥取市内で
開かれた酒席で傷害事件が発生、ここで最初の振り子が振れ始めたことになります」

「そして、貴ノ岩は、貴乃花親方に、酔っぱらって転んだ旨のことを報告している」
 
「その後、11月12日には、11月場所が開催されている」

 ここで、背中に翼を背負った女神の聡明な瞳がキラリと光った・・・

「ここで貴方の得意な極論で考えた場合に、楽観論的には酔っぱらって転んだと云う
説明を親方を初めとして部屋の全員が信じた場合に、何事もなく11月場所にのぞむ
ことになり興行にはなんの影響も及ばさない・・・しかしその後の経過において場所
中に貴ノ岩に、心身上の障害が発生した可能性は否定出来ない」でしょうね!

「一方で、悲観論的な発想を展開したときに、10月26日未明に、横綱の暴力的な
行為によって、貴ノ岩が意識不明の瀕死の重傷にいたった場合には救急車による搬送
で救急病院に運ばれ、関係者も病院に同行、警察の立ち合いも行われ、相撲界の首脳
も駆けつけることになり、その顔ぶれの中には、理事長や危機管理委員会の責任者や
親方衆も同席することになり、11月場所の運営面も含めての検討が行われる」こと
なったでしょうね!

 そして、今回の実際の場面では・・・

「貴ノ岩の酔っぱらって転んで怪我をしたと云う説明と怪我の状況を見比べたときに
貴乃花親方は違和感を感じて、本人に事実を正した!」

「その時の判断は、当然、親方として、また、親代わりとしての判断になる」

「酔っぱらって怪我をしたと云わざるを得ない弟子の貴ノ岩の立場を考えたら、事件
が起きた場所が、相撲界の圏外であり、一般市民が一緒に過ごしている場所という面
も合わせて、事実を明らかにするために鳥取県警に出向くと云う行為は正しい」

「この場合に、他に知見を求めるならば、暴力事件によって、学級閉鎖に到っている
多くのケースで担任教師の問題の抱え込みに端を発している報告がある」

「貴ノ岩が横綱からの暴力的な行為によって怪我を負いながらも、酔っぱらって怪我
をしたと云わざるを得ない状況に置かれているということは、かつて相撲部屋におい
て暴力的な行為によって死亡事件が起きて、是正策が取られ、危機管理委員会が設け
られているにも関わらず暴力的な事件が相撲界だけでなく、一般市民が暮らしている
場にまで拡散してしまったということは、良識ある相撲人なら放置はできない」

 ここでも、背中に翼を背負った女神の瞳がキラリと光った・・・

「ここで感じることは危機管理委員会のミッションは相撲興行を円滑に進めることが
最大のミッションとなっており、暴力的な行為の再発を未然に防ぐというミッション
からは大きく逸脱している」と云わざるを得ないわね!

 もしも暴力的な行為の再発を防止するためのミッションが最優先に位置付けされて
いるのであれば、暴力的な行為に及んでしまった場合には「正直ベース」で上位職に
報告することが鉄則であり・・・

「10月26日の暴力的な事件については、その場に居合わせた三横綱から、上位に
位置する親方から、危機管理委員会および理事長に向けての報告があって当たり前」
と私は考えます。

 したがって、一つ目の振り子の理論から云えることは・・・

◇貴乃花親方が鳥取県警に、親代わりの立場から乗り込んだ行為は正しく、この場面
での懲罰の対象者は加害者のみとするのが、一つ目の振り子における正義と考える。

◇ましてや被害者に制裁を加えるような懲罰は、あってはならない不正義と考える。

 
 ここで相撲界の混迷に拍車をかけるような、二つ目の振り子が振られましたね。

 そうなのよと、ここでも、背中に翼を背負った女神の語調が強まる・・・

「二つ目の振り子は、不遜な態度の貴乃花親方を理事職から引きづり下ろすと云う
出来レースの振り子が、相撲協会の組織をも巻き込んで展開されましたね!」

「鳥取県警から11月1日に、日本相撲協会に向けて、捜査協力の要請などが舞い
込んで、以来、出頭者である貴乃花親方の理事下ろしに向けて、振り子が振られた
と云い切っていいでしょうね」

「貴乃花親方のいかにも不遜な態度と誤解されかねないテレビ映像からは、多くの
国民から、ひんしゅくをかっていることも事実ですが、貴乃花親方としては、弟子
の親代わりとしての立場を最優先して、理事の首は、日本相撲協会に差し出したと
いう心境と推察する。だからといって武士の情けもなく、首を切り落とすというの
は不正義な話である」と思うのよ!

「この場合に、必要なことは、興業責任者である親方の弟子が暴力的な事件に巻き
込まれたときには、場合によっては相矛盾する興業責任者と親方の役割をどのよう
に交通整理して行くのか、その道しるべを明確にして行くことこそが優先的な扱い
項目ではないか?」と考えるのよね!


「来年の1月4日には、貴乃花親方の理事としての適格性について裁定が下される
ようだが、この二つ目の振り子が、日本相撲協会のトップへの忖度によって振られ
たものであるとしたら、美しい花には、不似合いな不正義な結果になるであろう」
と私は考える。

 さらに三つ目の振り子では、暴力の根絶について論じることにする。

(理事会では、再発防止委員会を準備中と聞くが現在の理事会がメンバーとして同席
する組織体では抜本的な改善は望めない。先日、スポーツ庁から理事長に向けて話を
聴きたい旨の呼びかけがあったからにはスポーツ庁に調査官の派遣依頼をして、本気
で相撲界の風通しを良くすることを相撲ファンとしては期待する)



スポーツ庁
長官 鈴木大地様

 今、日本が誇る国技である「相撲界」において、興業的な面を優先させる日本相撲
協会の暴挙によって、去る10月26日の鳥取市内の酒席において、横綱三人の同席
の下で、発生した暴力的な事件において、加害者の側には、一定の温情が考慮された
裁定が下されたものの・・・

 被害者の側には、興業を最優先する考えからか、被害者ならびに部屋の親方に対し
て非情とも考えられる裁定が「1月4日」に下されようとしております。

 この裁定には、当然、被害者側が納得するとは考えられず、世界に、その神格さと
優美さを誇って来た国技である相撲界において、修復の困難な亀裂が発生、このこと
は世界の眼から見れば日本と云う国の品格を失うことにも通じることと考え・・・

 スポーツ庁長官 鈴木大地様の英断に溢れたご指導をお願いしたい。
                        (相撲ファンからの発信)

 背中に翼を背負った女神に文面をみていただき、1月4日の裁定に間に合うか否か
は分からないが、とりあえず発信、裁定後に再度「スポーツ庁 長官」へのお願いを
繰り返し発信することで申し合わせた。

 ~ 国技に不正義があってはならない ~



貴乃花理事の解任

 正月の4日に多くの注目を集める中で、貴乃花理事の解任が決まった。

 このことにより、相撲界における暴力的な事件の撲滅は絶望的となった。
この事態を招いた「日本相撲協会」の責任は重く、近日中に、相撲協会関係者の全員
の解任が必要であり、組織の抜本的な革新が必要であると考える。

 その根拠を具体的に説明することにしよう・・・

 このカオス(混沌)の始点は、鳥取市内の酒どころにおける横綱三人が同席する場
で暴力事件として発生した。
(そして事件について、横綱三人からの正直ベースの報告は行われていない)。

 ここで科学的に物事を考えてみることにする・・・

 応用心理学では、ハインリッヒの法則として、一つの事故の背景には、かなりの数
の傷害や怪我があり、その背景には怪我にはいたらないものの類似の危険因子がある
として、その比率を 1:29:300 と云う値で示している。

 そして、これを撲滅するためには「ヒヤリとしたこと」「ハッとしたこと」をお互
いに報告し合って、日常の中から危険因子を取り除いて行こうという発想である。

 これを今回の相撲界における暴力事件に当て嵌めて考えた場合に、小さな暴力から
正直ベースで報告し合って、大きな暴力事件の発生を防いで行こうと云う発想である。
この場合に難しいのは暴力を振るった側からは報告しにくい、暴力を振るわれた側か
らも、云いつけたようで云いにくい・・・

 したがって、これも難しいが、第三者が目撃したことを正直ベースで報告するより
ないと云うことになる(しかし、これとても密告のようで気乗りはしない)。

 そこで必要なことは、これから相撲界に入ってくる若い衆のためにも、もし暴力が
ふるわれるようなことがあれば、誰かが観ていて、直接的でなくても救済の手が差し
出されるという安心システムの存在を構築することであろうと考える。

 それだけ、暴力的な芽は摘みにくいということである。

 それがどうだろう、今回は、貴乃花部屋の力士が鳥取市内の酒どころにおいて頭部
に縫うほどの裂傷を受け、本人は「酔って転んだ」と云う様な説明を親方に対して行
い、傷の具合をみて「そうは思えない」ので警察に届けたところ・・・

 相撲協会に届けていないと云うことで理事解任という裁定が下され、今日に到って
いるが、この一連の裁定によって「相撲界では暴力事件の公開はあってはならない」
と云う教訓が相撲界の力士たちに浸透、暴力撲滅の芽は完全に摘まれてしまった。

 このことの責任は重く、相撲ファンの一人だけかもしれない視点からは・・・

◇日本相撲協会は一度、全員を解任
◇スポーツ庁などの指導により、新しい日本相撲協会を設立
◇暴力撲滅に向けた第一歩を踏み出し新年の決断

 を可及的速やかに断行する必要があると考える。

 また、今回の暴力事件については、3つのステージ間でバランスを取った裁定を
新しい役員によって、やり直す必要があると考える。

◇鳥取市内の酒どころでの裁定
 三横綱の暴力現場での裁定については、現行の裁定を尊重するものの、
 三横綱から協会に報告がなかったことについては、貴乃花理事の解任に見合った
 裁定の追加が必要と考える。

 また被害者の力士への降格人事については裁定が適当でないと考えるが変更が
 難しければ、人件費の面での保証が必要と考える

◇相撲興行への責任の裁定
 本来は暴力的な事件の撲滅に先鞭をつけた人物であり、表彰に値するが・・・

 貴乃花理事の解任が動かないものであれば、八角理事長の解任も追加の裁定と
 して必要ではないか? それが無理なら貴乃花理事の退任と同時に辞任が必要
 と考えるが如何? (理事長としてのケジメと考えるが)

◇暴力的な事件の撲滅のための措置
 日本相撲協会の関係者の全員解任と組織の抜本改革



貴ノ岩の復帰プラン

 昨年の10月26日未明に、鳥取市内の酒どころを兼ねた店内において、暴力的な
行為によって怪我を負った貴ノ岩が、土俵への復帰に向けてリハビリが本格化してい
ることが報じられ、相撲界にとっても、新年の朗報と云える。

 貴ノ岩にとっては、身体面におけるリハビリと並行させてメンタル面でのリハビリ
も当然必要になってくる。直近で、貴ノ岩からの事情聴取では・・・

「傷害事件の発生時には、誰も止めてくれず、そのような状況の中で暴力的な行為が
続いた」という言葉からは、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の懸念が心配される。

 心的外傷後ストレスとは、今回のような傷害事件において、被害者ならびに関係者
に、種々の心理的影響を残すことが指摘されており、その結末において被害者や周辺
において、行動上の影響が懸念されている。

 その意味するところは、傷害事件などがきっかけで、強い心的外傷(トラウマ)と
なって、不眠や集中困難、時には過剰警戒を招いたりする可能性もある。

 これを被害者化のステップと云う面から掘り下げて行くと・・・

◇第一次被害者化
 傷害事件による直接の被害

◇第二次被害者化
 傷害を契機として、警察やマスコミなどからの聞き取り、身近な関係者からの反応や
 態度などによって起こる、精神的な傷つき、場合によっては社会的にも傷つけられる
 などの精神的ダメージ

◇第三次被害者化
 (この段階においては個人差が出て来る)

(1)傷害を契機として、社会生活を送るのに精神的・身体的に支障を来す
(2)傷害事件の加害者に対して許せぬ気持ちの高まり、傷害発生に関係し
  た人物に対する恨みを抱きつつ、自ら悩み、周囲の環境を恨む
(3)この結果、最悪の場合には、精神的変調を来してノイローゼになった
  りする

 このようなことを考慮すると、貴乃花親方が取った一連の対応・措置は的確なもの
であったと云える。

 今後、貴ノ岩の復帰プランが具現化出来るまでの身体面ならびに精神面のリハビリ
に期待して、土俵への復帰を待つばかりであり、相撲ファンとしては祈るきりない。


貴乃花親方の貴重な体験が生かされる時

 今回の相撲界における暴力的な事件においては、貴乃花親方ならではの親代わりと
しての徹底した貴ノ岩へのガードが固く、被害者は手厚く守られて、心身の両面にお
いて安全・安心な環境が用意された。

 一方で、貴乃花親方は、すっかり渦中の人となり相撲協会の関係者からは集中攻撃
をくらう立場に立たされてしまったが、この経験は貴乃花親方にとっても相撲協会に
とっても、貴重な知的財産を積み重ねることが出来たと云える。

 この知的財産を日本の相撲界において生かすには、次に誕生する新生理事会におい
て、貴乃花親方が理事に推挙されて危機管理委員会の主力メンバーとなり今回の経験
を新しいシステム造りに活かして行ければベストであると考える。

 仮に、次の理事選出の評議委員会において、議長による反対などがあり理事に就任
する道が閉ざされたとしても、なんらかの救済策で、危機管理委員会の主要メンバに
顧問などの形で参画、今回の貴重な経験を生かすことを考える必要があると考える。

 願わくば、今回の傷害事件をきっかけにして、日本相撲協会の全員を早急に入れ替
えるなどして、相撲界の暴力撲滅の機会にするのが、相撲界ならではの「転んでも、
ただでは起きない」不屈の精神につながるのではないだろうか?



国技である角界もパラダイム・シフトの時期を迎えた

 貴ノ岩に向けられた暴力事件について、私は、アトキンス博士による衝撃的な仮説
を脳内でイメージしているときに・・・

「かつて、アメリカのギャング映画で、アル・カポネが暗黒組織の仲間を集めて会議
をしているときに、いきなり野球のバットを握りしめて仲間の一人を撲殺してしまう
場面があったが、このシーンに貴ノ岩に暴力を振るう場面を重ねてしまった」

 日本の角界も、今のままの統制の効かない状態を続けて行ったときに、マフィアの
世界のように悪意による統制がまかり通る世界に変質して行くのだろうか?

 角界における力士の国際化と多様化は大歓迎であるが、一方で、八百長や暴力行為
が当たり前の様になって、マフィア化して行くような兆しは止める必要がある。

 そのような意味では初場所の千秋楽に文科省のトップが角界に姿を見せて・・・

「角界の暴力撲滅に向けての取り組みを具体的なレベルで指示をされたこと」は、
大いなる救いと考えたのは、私だけだろうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 今、肌感覚として、相撲界も、パラダイム・シフトの時期を迎えていると考える。
具体的な話としては少年たちに相撲への関心が集まってきており、体格に恵まれた少年
たちが熱心に相撲の練習に励む姿が、私の住んでいる入間市でも散見される。

・・・・・・・・・・・・・・・

 相撲界において巡業部長を努めてきた貴乃花親方の理事としての功績は、少年相撲
の世界のおいて、大いなる夢と希望を与えてきたことではないだろうか?

 現に、私が暮らしている埼玉県入間市では、少年サッカーや少年野球に次いで相撲
への関心を高めた少年たちが泥まみれになって土俵上で練習に励んでいる。

 入間市の場合は、市役所の近郊に運動公園の施設があり敷地内には少年相撲のため
の本格的な練習用の土俵が用意されている。同じ敷地内には、テニスコートやプール
などもあり、夏場など、練習後のシャワールームにおいて、少年相撲の集団と一緒に
なることがあるが、彼らには挨拶や日常的な作法などの教育が徹底されていて、一般
市民とのシャワー共用の場などにおいても礼儀正しい。

 入間市の少年相撲は全国大会でも優勝しており、その礼儀正しさからは納得が行く
ものがある。少年相撲の指導には相撲に経験のある大人の指導員が付いており、私の
記憶では入間市に大相撲の巡業が行われたあたりから、練習がより活発になったと云
う印象がある。最初は、土俵だけが造られて人が集まる様子は見られなかった。

 それが、大相撲の巡業が行われた後から、少年たちが集まり、親御さんが付き添い、
指導に当たる相撲人が登場して、やがて、駐車場が相撲人気で満杯になるようになり、
相撲の練習用の土俵には屋根がかけられて、周囲には囲いがかかって相撲部屋らしく
なり、少年相撲の世界において、小さなパラダイム・シフトのうねりが出てきた。

 これは当地での小さなうねりであると考えるが、貴乃花親方が理事職として全国区
で大相撲の巡業を重ねてきた成果が、各地における少年相撲のうねりとして、やがて
大きなうねりとなったときに、確実に、パラダイム・シフトの時期を迎えると考える。

 入間市の少年相撲のまだ小さなうねりとは云え、これが全国的に、大きなうねりと
なることを期待して、かつ、相撲に関心を持つ子供たちや親御さんのためにも、その
ような状況を受け止めて、相撲界においても、未来に向けて、パラダイム・シフトが
理想的な形で準備できるような環境を今から整える必要を考えるが、角界の重鎮たち
は将来の相撲界におけるビジョンについて、どのような発想をされるのであろうか?

 新たに角界に入門して来る若者のためにも・・・

◇今までの部屋を中心に置いた伝統的な相撲稽古はもちろん「基本」となるが!

◇科学的な相撲稽古のための「共通」のスポーツジム的な施設における「交流稽古」
 も怪我の少ない身体を造り上げる意味で必要ではないだろうか!

◇また角界の技術指導に当たる「トレ―ナー」についても、身体鍛錬や栄養面そして
 コミュニケーション・スキルの面などからスポーツ界の第一人者の指導が受けられ
 る施設の創設なども必要ではないだろうか!

 今、角界にも、パラダイム・シフトのウェーブが押し寄せて来ているときに、時代
の波に乗ることも肝要と考えるが、日本相撲協会の理事をはじめ、若手の親方たちは、
未来に向けて「どのようなビジョンや考え方」をお持ちだろうか?



豊洲市場ビルはパラダイム・シフトの象徴

 東京圏を、今季、連続して二度目の大雪が襲ってきた。四年前の二週連続の大雪に
似た状況での大雪の襲来であり、願っていなかった降雪だけに、大昔に流行ったとこ
ろの「マーフィーの法則」アスキー出版局(1995年版)が思い出される。

 この本の「はじめに」の書き出しを引用すれば・・・

「トイレに座ったとたんに電話が鳴ったり、タバコに火をつけたとたんにバスが来た
り、車を洗ったら雨がふったり、傘を買ったすぐ後に雨がやんだりしたことはないだ
ろうか?」と云う書き出しで始まる。

 マーフィー学におけるマーフィーの法則とは・・・

「失敗する可能性のあるものは、失敗する」としており、

 その発展形として、

◇見かけほど簡単なものはない。
◇何事も、思っているより時間がかかる。
◇四つの問題を見付けて対処すると、すぐに五番目の問題が発生する。
◇悪い状況は、放置しておくと、なお悪くなる。
◇何かをしようとすると、先にやらなければならない何かが現れる。
◇すべての解決は、新たな問題を産む。

 他にも、

◇自然はいつも隠れた欠陥に味方する。

 傑作なのは、マーフィー流哲学

◇さぁ、にっこりしろよ、明日よりは今日がましだ。

 日常生活において共感するものには、

◇電話のベルは、ドアの外で鍵を探しているときに鳴り出す。
◇お湯につかると、電話のベルがなる。
◇見あたらない道具は、新しいものを購入したとたん、みつかる。

 人生の道の法則として、恐怖の法則は、

◇すべてが自分に向かってくる場合は、反対車線を運転している。

 遠い昔のような気がするが、なんとも読んでいて、納得・納得で、読書が止まらな
かった経験を思い出す(今、読み返しても納得・納得である)。

 そのような訳で、午後には、心を決めて二度目の雪掻きを決行した。
そして、午後には日本相撲協会の理事選、そして、そして、理事選では貴乃花親方は
2票を獲得して落選、これによって貴乃花親方は・・・

◇貴ノ岩の怪我からの復帰と土俵上での活躍支援および貴ノ岩の郷里における本人と
 親族の名誉挽回に向けて全力で支援に取り組めることになる。
(もちろん、角界の暴力行為の撲滅に向けて、自由な立場で取り組めることになる)

◇部屋の力士を育てる「貴乃花親方流のメソッド」の確立も、次世代力士向けに進展

◇角界の革新に向けた「パラダイム・シフト」の創案も、若い親方衆と連携して計画
 を練るには、自由な立場を創れたので、充分な時間をかけて練り上げ可能

 そのように考えると必要な「落選」であったとも云える。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 私の右膝の温泉湯治による効果を気にしてくださっていた背中に翼を背負った女神
が二度目の大雪の晩にも訪ねてくださり、話題は思わぬ方向に向かった。

 今度、三月に、日本相撲協会の評議員会が予定されているが・・・

◇評議員会議長が、あの聡明な小池都知事であったら、三月の評議会において、どの
 ような「裁定」を下すだろうかと云う話で盛り上がりをみせた。

◇先ず、対照的な二人の親方を比較した場合に・・・

 〇片や、四年前の暴行事件が部屋内で勃発したときに、被害者・加害者共々に部屋
  からは去り、部外者と云う扱いになって、今だに民事係争中なるも、親方の範疇
  にはなく被害者は孤立無援の状態に置かれている。日本相撲協会には事件の経過
  など、当時の理事長に報告したとされているが、理事長は既に他界されている。
  被害者にとっては、現在でも係争中であるが、既に部外者扱いとなっており現在
  の理事長には、あらための報告は、なされていないものと推測されている。

 〇もう一方では横綱からの暴力事件によって傷害を負わされたものの鋭意リハビリ
  が親方からの手厚い保護のもとで進行中、ただし親方は弟子の将来を考えた上で、
  鳥取県警に被害届を出して弟子の保全を図った。しかし、日本相撲協会に直接的
  な報告をせずに、鳥取県警経由で、日本相撲協会に、事件の経緯が伝わることに
  なった。結果、先日の評議員会において、巡業部長として不適格の判断が下され
  て理事を解任された。

  (これなどは、背中に翼を背負った女神の推論として、八角理事長が理事長再選
  に向けて、貴乃花親方を被害者側ではなく、まるで加害者側の親方であるような
  扱いをした『深謀遠慮』であった可能性を見抜いている)

◇また、先日の初場所の千秋楽においては、文科省のトップから、角界における暴力
 撲滅に向けた徹底的な調査の必要性が示されて、日本相撲協会もこれに応えて組織
 的な調査を約束した。
(調査対象は現役力士のみでなく角界を去ったものにも調査の範囲が広がった)

◇ここで次世代のこれから入門してくる力士の卵たちのことを考えた時に、親御さん
 たちは前述の二人の親方が入門を迎えてくれることになったときに、どちらの部屋
 を選ぶことになるだろうか? 

◇また、若い力士たちは、どちらの部屋に将来への希望を託すだろうか?

◇近々、三月に、開催される評議員会において、その権限を駆使して、理事メンバー
 を最終的に選出するときに、先日、選挙で選ばれた「10名」をそのまま受け入れ
 るのか、角界の将来を考えてあらためて「11名」の立候補のメンバーを視野に入
 れて評議員会独自の方向性を示すのか、選択の余地は評議員会議長の掌中にある。

◇ここで「豊洲市場において、後日、大混乱が発生する恐れのあった事態」を事前
 に察知して、的確な対応策を示した「聡明な小池都知事が評議会議長だったら」
 と云う、想定で、私と背中に翼を背負った女神との間で、バズ・セッションが行
 われたものの・・・

 〇これは仮定であり、仮説とは性格が異なるものなので、二人で結論を出すこと
はやめようと云うことになったが、角界にも正義があるなら、三月に出される答に
期待をもつことも無駄なことではないと考える。
(いずれ文科省のトップによる総合判断の過程で、なんらかの方向付けはあるもと
推測はしている)

「その意味でも、深読みすると、貴乃花親方の理事選への立候補の意味は重い」と
云うことになって来る。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 話題は変わるが、背中に翼を背負った女神からお聞きした、アトキンス博士による
「二番目の衝撃的な仮説」も思わず納得の話であった。

 話の内容は、豊洲市場の建設に関わる「裏事情?」を伝える内容であった。

 マーフィーの法則を無理やり当て嵌めれば・・・

◇自然はいつも隠れた欠陥に味方する・・・と云うところか?
(思考に少し捻りが入ることになるが?)

 築地市場から豊洲市場への移転は、単なる引っ越しではなく、今後の市場の在り方
について、平場の市場から、立体的な市場ビルへの変革と云うパラダイム・シフトの
象徴的な存在になって行くものと推測する。

 当初、豊洲市場への移転について、問題が俎上に乗ったのは・・・

◇豊洲市場としての完成までの経緯において巨額の費用を費やしており、

◇実際の運用段階に入った時に、収支上のバランスが減価償却費などの想定額を考慮
したときに、中長期的には通常の企業的感覚からは「破産状態」と想定されたため、

◇東京都としては、築地から豊洲への移転が躊躇され、高額な豊洲市場の完成につい
 ては関係者による不正や業者間の談合などが疑われて、都議会の百条委員会などが
 行われ必要な審議が尽くされた。

 一方で、都民から注目を集めていた「土壌汚染の検査」において、最終検査の結果
が判明する前の時点で「引っ越し日程を決めていた」事柄に疑念をもった小池都知事
から「待ったがかかり」土壌汚染の最終検査の結果を見極めてからの判断となった。

 結果、マーフィーの法則の引用は、余興であるが・・・

「自然はいつも隠れた欠陥に味方する」に該当するかのごとく、

◇あの年は、豊洲市場の地域一帯には、自然現象として大雨が繰り返し降って新設の
豊洲市場においては、隠れた欠陥とも表現できる建屋の地下ピットに水が溜まった。

「悪いことはできないものである!」

 都知事による豊洲市場への移転延期の決定後に「あってはならない地下ピット」が
見つかり、建物下の地下ピットから、土壌汚染による証拠物が検出された。

「この地下ピットは、豊洲市場の建物や周辺設備のメンテナンスをするためのもので
あり、建設を進める上では、施工上、必要不可欠なものであった」と云う話を聞いた
時に、アトキンス博士は「裏事情の存在?」を感じ取ったのだと云う。

 アトキンス博士が見抜いた仮説とは「世間の常識を裏側から見ると透けて見える」
ものがあると云うのである!

◇先ず、仮説の出発点であるが・・・

「豊洲市場は何としても造る必要があった!」

「それは、豊洲市場の建設によって生じる資金の流通を東京都が設立した銀行におい
 て扱うことで、資金のフローを作る必要があった」
「その過程における資金の悪用はない!」

「東京都が設立した銀行は、中小企業向けのものであり、そこには、石原都知事から
 の慈愛に満ちた・正義感溢れる存在であった」

「しかし有名な格言にもあるように、善は悪を知らず、悪は善を良く知るの例え通り、
 善意に満ちた資金提供も、一部、悪意によって借り手に翻弄される面も生じてきて、
 経営面においては、資金回収などの面で思い通りに行かない場面も散見された」

「その様な状況において、豊洲市場建設のような大型案件の資金流通は、喉から手が
 出るような優良物件であった!」

 これが、アトキンス博士が割り出した初期の動機面における「衝撃の仮説」である。

 したがって百条委員会でいくらあぶりだしても主宰者の側には「悪意」はないので、
「悪事としては検出されない」結果となる。

 しかし、百条委員会が割り出した「兎にも角にも、一生懸命さ」が伺える・・・

「この一生懸命さ」こそ、これから先の展開におけるキーワードになって来る!


豊洲市場への全力注入とその魅力


「豊洲市場は何としても造る必要がある!」

 この強い意志は、土地の取得情況をみれば、手に取るように理解出来る。

「東京ガスからの土地の入手に際して、最初は、東京ガスからの土地の取得は難航を
 極めていた。土壌汚染に対する施策面での苦慮、施工上の費用面における見通しの
 難しさ、築地市場の代替地と云う食品への配慮など、売り手の側には、当然、躊躇
 するものがあったと推測する」

 したがって、土地の購入を希望する、東京都にとっては土地の規模や立地条件など
魅力的な候補であったが、交渉の進展は捗らなかった。

「そこに登場したのが、都知事とは盟友でもあるH氏、ネゴシエーターとしては抜群
の存在である。その後の土地の取得までの経過は、百条委員会でも明らかにしている
ように、鮮やかな交渉力で、難関を突破して、広大な土地を獲得している」

 しかし、次の難題は、新しい環境基準に対して、到底、クリアー出来るとは思えな
い土壌汚染の実測値が明らかになった(多くの都民や国民は、正直、メディアの情報
を通じて食品を扱う市場としての活用は無理と想定した)。

 しかし「豊洲市場は何としても造る必要がある!」

 この強い意志が、技術集団による発想によって技術的な対策を導き出した。
「汚染された土壌でも盛土をすることにより、その上に、建屋を設けるようにすれば
 建屋内は土壌汚染から隔離出来る」

 このようにして、紆余曲折を経ながらも、強力なネゴシエータの推進力と技術集団
のサポートにより豊洲市場の建設に必要な広大な敷地は準備完了の目途がついた。

 さて、ここから、豊洲市場ビルの建設に着手して行くことになるが、ここまで来た
段階で思いがけない障害が待ち受けることになる。

 背中に翼を背負った女神が紹介してくれた、アトキンス博士による「衝撃の仮説」
の登場である。

 豊洲市場の建屋などの建設について東京都が入札を行ったが、いずれも予定価格を
大幅に上回る結果となり、入札は不調に終わった。

 アトキンス博士の衝撃の仮説によれば・・・

◇それぞれのゼネコン集団が示した見積額の提示は「断り値段」だと云うのである。

◇各種の業界において、長年の慣習から、お付き合い上、入札への対応はするものの
 受注を強く希望しないときに「通常価格よりも高額」の価格提示をすることがある。

◇特に、豊洲市場の建設に関しては、世間の注目を浴びており、土壌汚染という過去
 からの問題を背負っており、盛り土による解決策は示されているものの出来ること
 なら建設工事の受注は遠慮したいと・・・考えた可能性はある。

 しかし「豊洲市場は何としても造る必要がある!」

 都の建設責任者としては、都知事からの強い決意も受け取っており、

◇ここで、強力なネゴシエーターを立てたか・否かは、定かではないが?

◇入札時に、各ゼネコン集団から提示された見積額を踏まえて、それぞれの街区ごと
 の特色とそれぞれのゼネコン集団の特性などを加味して、街区ごとの個別案件とし
 ての見積もり交渉に持ち込み、お互いに納得出来る内容で交渉を成立させて、都の
 予定価格を逆算で若干上乗せした?

◇アトキンス博士による衝撃の仮説は、結果として・・・

 〇ゼネコングループ側による三者間の談合ではない。
 (都側からの働きかけによる個別ネゴの結果が反映されたものである)。
 〇したがって、そこに、取引上の不正が入り込む余地もない。
 〇すべては、世間の常識の裏側から決まった、ウルトラC級のカラクリである。

◇ゼネコングループにしても、建設費用に実費をかけずに受注額だけぶんどると云う
 あこぎなことも出来ないので、施設の仕様は、ハイ・スペック(高品質な仕様)な
 ものに仕上げてある(坪単価がホテル並と云われている所以?)。

◇当初は、報道などで、問題点ばかりが強調されていたため、劣悪な市場施設と云う
 印象を与えてしまっているが、内部の施設は清潔感に溢れており実際の可動性など
 も技能面で習熟してくれば「世界一品質」と誇れる仕様である。

 そのような訳でアトキンス博士による衝撃の仮説は、高価格な施設となった背景を
解説したものであるが、都の責任者としては、説明しにくい内容であると推測する。

 そして・・・

◇ナゼ「土壌検査の最終検査前に引っ越しの日程が決定出来たのか?」
◇ナゼ「建屋の下に、ピットが造られることになったのか、その経緯は?」

 本稿において、前述したので、ここでは省略することにする。



都知事による安全宣言を越えた「魅力宣言」が出来る可能性!

 豊洲市場ビルの存在は、平場の市場から、市場ビルへのパラダイム・シフトであり、

 その魅力は・・・

◇市場関係者からの魅力としては、極めて清潔感に溢れた市場であり、近代化された
 施設からは、習熟するほどに働きやすい職場に洗練されて行く。

◇顧客の側からの魅力は、平場の市場から周辺に向けての「面」としての広がりだけ
 ではなく、市場ビルに一歩踏み込めば、その清潔感は「立体的」に市場ビル内部を
 吹きあがり、やがて屋上の緑の広場に達して眺望の良さに感動する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ここから先の展開が、小池都知事の監督&プロジュースによって「豊洲ブランド」
としての魅力創りに繋がって行けば・・・

「豊洲市場の安全宣言」を越えて、

  「豊洲市場の安全宣言 + 魅力宣言」に、パラダイム・シフト出来る

                    可能性を帯びて来るのではないだろうか!


ここで「一つの具現化のためのアイデア」を描き出してみることにする。


◇世界一品質の豊洲市場ビルの周辺に、一階から・屋上のグリーンガーデンまで吹き
 あがったお客様を立体的な広がりとして、上空から・にぎわい広場に向けて舞い降
 りる仕掛けを設ける構想である。

◇それは展望に優れたエレベーターであったりケーブルであったり発想は自由だ!

◇都知事としても、2018年は豊洲市場も守りの姿勢から攻めの姿勢に転じて行く
 時期が到来したと考える必要がある。

 昨年末から、豊洲市場ビル周辺の「賑わい施設」が注目を浴びており、江東区の
区長からも大いなる期待が寄せられているが、この期待に応えるには・・・

◇従来の市場からの平面的な広がりやつながりではなく、

◇顧客が、豊洲市場ビルに入り、ビルの上方に向けて「吹きあがって行く」または
「湧き上がって行く」やがて屋上ガーデンの眺望の良さに堪能(海の広がりに心が
 癒され、ときにはサンセットに感動)、その先のお楽しみは、賑わい施設を視野
 に入れて「舞い降りて行く」このような立体的な仕掛けが不可欠である。

◇賑わい施設のイメージ図には、土俵の仕掛けなども散見されるが時には・・・
「大相撲の出稽古」も見物出来て、ちゃんこ鍋も楽しめるなど、都知事の監督及び
プロジュースによる「計画としての賑わい」が待たれているのではないだろうか?

◇豊洲市場ビルや賑わい施設の集客にしても、来てくれるお客様を待つのではなく
「あらゆる交通手段を駆使して」顧客を招き入れる、例えば・・・

 〇東京都の自慢のクルーザー船で、東京湾岸から、お客様を集めて来るとか?
 
 その気になれば、集客の方法は無限にある!

(各旅行会社も頼りになる:山梨県のハーブ園などは成功例として参考になる!)

 そして、今、築地地区の再開発について、都知事からの呼びかけで、叡智が集め
られているが並行して必要なことは、築地や豊洲地区周辺の交通事情について、

◇道路計画はどうするのか?

◇交通機関はどうするのか?

◇陸上輸送、海上輸送、空中輸送を総合的に・・・

 2018年、19年、20年、21年、22年、23年、24年、25年、26年
27年、28年、29年、30年まで・・・年度ごとに、

 東京圏として、どうするのか?

 都知事に、その答えが求められているのではないだろうか?

 そして、昨年末から、豊洲市場の安全宣言が求められているが・・・

 現状において、先の見通しが明確になってきた、今、

「豊洲市場の安全・安心は当たり前!」

「豊洲市場ビルを取り囲む地域には、こんなにも魅力がありますよ!」

 と云う、「安全+魅力」宣言が出来る環境を整える時期にきたのではないかと
考えるが、都知事や都の職員は、どのようなビジョンをお持ちだろうか?

 賑わい施設も業者の決断を待っていても埒があかないので、そろそろ、都知事の
監督&プロジュースによる「豊洲ブランドの創設と魅力創り」に本格的な「Go」
をかけて守りから攻めに転じる時かと?

 余談だが、豊洲ブランドのイメージキャラクターとしては、加山雄三さんが
ピッタリでは?

◇海の男のイメージ!

◇魚料理などにもイメージがピッタリ!

◇お客様も集まってくれそう!

「ボヵア、幸せだなあ!」なんて、豊洲市場ビルの屋上でつぶやいてくれたら!
 最高じゃないですか?

 他にも「お魚くん」とか!

 イメージキャラクターは、豊富に揃っていますよ!



沖縄の百年計画への思い

 今年に入って三度目の雪の予報が出て、少し気にはなっているが降ってみないと
わからないことなので、気にしないことに決めた。

 大雪の中、近所の総出で雪掻きをしたことが、まだ先日のような気がしていたが
手帳をめくると、もう一か月も前のことであったことに気付く。

 あの時は、大雪の後で、右膝の裏側の腱の湯治にと思って、サイボクが運営する
温泉に出掛け、その後、三回通って膝の痛みがなくなった。これも基礎的な治療は
接骨院に通って、総仕上げを湯治に任せたと云う選択であり、上手くいったケース
と考えている。

 露天風呂につかりながら、一か月前に、本稿に残したことを振り返ってみる・・・

 露天風呂の周囲はすっかり雪景色であり、今(1918年)から、4年前の大雪が
思い出される。昨日は、ご近所総出で雪掻きを行ったが、今回も4年前の大雪に近い
降雪量であるが、4年前は二週連続で大雪が降ったので雪掻きも大変だった。

 今回も、一週間後に、雲行きの怪しい気配があるが、雪降りにならないことを願う
ばかりである。埼玉県日高市にあるサイボクが運営するかけ流しの露天風呂に入るの
は久々のことであるが、今日は課題が豊富である・・・

◇一つ目は、テニスで痛めた右足の膝の裏側の腱のための湯治

◇二つ目は、沖縄百年計画の構想の具現化

◇三つ目は、一昨夜、雪の降る中を久々に訪問して下さった背中に翼を背負った女神
 からのアトキンス博士による「衝撃の仮説」への考察

 露天風呂の中で複々線の思考回路をフル稼働させても追いつかないので、急がずに
頭に浮かんで来る順序に沿って、思考を巡らすことにする。

「頭も身体も使わなければ錆びる」と云う放送大学の教科「運動と健康」臼井永男著
のアドバイスに共鳴して、出来るだけ頭と身体は、フル稼働させているが、それでも
一か月前に露天風呂に入りながら描いた課題は二つほどはクリアーしたものの大きな
課題の一つには、まだ取り組めていない。

 その大きな課題とは「沖縄の百年計画」である。

 私の構想として描いている「沖縄の百年計画」は、日本の国としての百年先の行く
末を考えることと思いは重なる・・・

◇今、日本の国の百年先の行く末を考える時に、大きくは「二つの構想」を複眼的に
 観て行く必要がある(デュアル・ビジョンと云う発想)。

◇一つ目の構想(ビジョン)は、海洋大国「日本」と云う着眼である。
 
 我が国の安全保障の在り方を考える時に・・・

 〇日本は狭く小さな島国だと云う認識は当たらない。たしかに、陸地だけでみると、
  日本の領土は38万平方キロメートルに過ぎず、世界における順位は60位前後
  である。

 〇しかし、日本が独占的な開発の権利を主張する排他的経済水域などの広さは陸地
  の10倍以上であり、447万平方キロメートルに相当する。排他的経済水域と
  云う広さから見た場合の日本の位置付けは、アメリカ、オーストラリア、インド
  ネシア、カナダに次いで、世界の十指に入っている。

 〇しかも、この広大な水域は日本の通商路としての重要性ばかりでなく貴重な漁業
  資源の宝庫であり、さらに、海底の地中にはエネルギー資源などが眠っている。

◇二つ目の構想(ビジョン)は、先進的な技術列島「日本」と云う着眼である。

 この意識は、我々の根底に根ざしてきた技術立国日本の精神構造として、福沢諭吉
 の「学問のすすめ」以来、日本人の一人ひとりが、社会的な成功を実現できる技術
 列島として、お互いに大切にしてきたビジョンである。

◇そして、構想(ビジョン)としては、前述の二つとは異次元の性格を帯びたもので
 あるが「エネルギー資源」などの確保および入手のための航路(輸送路)における
 安全保障の在り方をどのように考えるかに、視点を注ぐときに、排他的経済水域の
 外にも、熟慮の末の安全保障への配慮が必要になってきている。

 具体的には、海賊やテロなどから、いかにして、航路(輸送路)の安全保障をする
 かと云う課題である。そして、最近では航路そのものの確保に細心の気配りが必要
 になってきている状況にある。

 これらの知見は、今から8年前に、私自身が日本国の憲法の成り立ちなどに興味を
抱いて放送大学のテキスト「世界の中の日本」林敏彦・高橋和夫(放送大学教授共著)
に学び、ニュージーランドの旅における異次元体験を重ね合わせて思考を進めている
うちに日本における「沖縄の重要性」を強く認識するようになり、「沖縄の百年計画」
を具現化したときに、日本国の憲法の在り方にも答えがあるのではと直感した。

 ~ 前述の二つの構想(ビジョン)の収斂するところに沖縄の存在感を観た ~



海洋大国「日本」における東京と沖縄の関係

 海洋大国「日本」と云う構想(ビジョン)において、東京と沖縄の海洋都市として
の位置付けは、新たなパートナーシップの重要性を感じさせる。

 小池都知事が都議選に際して、気象条件の影響で訪問できなかった南海上の島しょ
をその後、訪れている様子がニュースで報じられていたが、その報道の中で・・・

「今年は小笠原諸島が返還50周年に当たること」が紹介されていた。

「小笠原が日本に返還されたのが、1968年6月26日であり、1945年の米軍
による占領から23年間にわたりアメリカ合衆国による統治が続いたことになる」  

「沖縄は、1972年5月15日に施政権がアメリカ合衆国から返還されて、日本へ
の復帰が実現した。しかし、極東における前線基地としての重要性は、動かしがたい
状況として、その任は解かれないまま、現在にいたっている」

「小笠原・沖縄共に、2020年の東京オリンピック&パラリンピックに相前後して、
返還50周年を迎えることになり、その意義は大きいと考える」

 東京&沖縄に共通した意義は、返還50周年を契機に「海洋研究&開発」に向けて、
本格的な取り組みを国策としての協力も取り付けながら本格化して行く、きっかけを
掴む好機と考えるが、都知事としては、どのように受け止めているだろうか?

 東京五輪の後に据える「夢や希望のもてるプロジェクト」としては、取り組みがい
のある課題と考えるが、どのような施策とビジョンをお持ちだろうか?

 小笠原も沖縄も地球儀を回せば明らかなように、北緯20度から30度の間に位置
する。この地帯は砂漠地帯が多く、小笠原・沖縄・ハワイなどは、珍しくも恵まれた
海洋の楽園と云える島々で構成された地域である。

 同じ、北緯20度から30度に位置するハワイから、小笠原や沖縄が海洋都市とし
ての在り方を学ぶ点は多いと考える。沖縄では既にハワイとの間で、海洋研究の共同
研究なども進めており、ここに東京も海洋都市として加わる意味は大きいと考える。

 福沢諭吉は、近代日本の創設には、実学から入ることが重要として「学問のすすめ」
を著した。海洋大国「日本」のこれからを考え、この構想(ビジョン)を具現化して
行くためには、実学の世界からパラダイム・シフトを牽引して行く必要がある。

 唐突な印象を与える感もあるが、その具現化の一つの「礎」として・・・

◇八丈島に、「東京海洋大学&大学院」を創設して、これからの海洋研究&開発を担う
 優秀な人材を集めて、沖縄の海洋大学&大学院とも連携して、海洋大国「日本」に向
 け国家戦略を政官民で練って行くプラットフォームに供する案は・・・

「一考に値いするだろうか?」

◇政府は、現在、東京都内の大学への規制を視野に入れて、地方の大学などへの注力を
 始めており、東京都としても海洋都市の発展拠点を南海上にパラダイム・シフトする
 アイデアも対抗策としては有効打になって来ると考える?

◇八丈島では、かつて明治大学が創設の試みをしたが、定着までには到らなかった。
 航空路などの交通機関のネックもあって上手くいかなかったと推測しているが・・・

◇これからの海洋大国「日本」の将来を考えた時に、日本の南海上の島しょに電源を
 供給する壮大なシステムの構築が成否を決定づけて来るものと考える。これを成功
 させるためには、羽田空港~関西空港~沖縄空港~八丈島空港に航空周路を就航さ
 せることが不可欠になって来る。羽田発関西空港周りと関西空港発羽田空港周りの
 山手線方式である(ここに仙台・福岡・鹿児島の外回りの併設も一案ではある)。

◇航空便は「大型貨物便」と「旅客便」を併設、海洋開発に不可欠な電力源は大型や
 中・小型のバッテリーで供給、使用後は回収しての蓄電も行う、そして、海洋研究
 や開発に必要な物資も、この航空便を利用する。

◇人材の交流は旅客便で行い、海洋研究の学生には国や都の援助で大幅な学割も適用
 して学びやすい環境を提供する。

 ここで、将来的に、課題になって来ることは・・・

「沖縄と八丈島に大型の貨物便が離発着出来る飛行場を整備出来るか否か?」である。

 また、問題点として浮上して来る事柄は・・・

「少子化が進む現状にあって、海洋研究および開発に興味を持つ人材をどれだけ集め
られるか?」と云う点にも留意する必要がある。

 ~ そして、これらのプロジェクトの先に「沖縄の百年計画」が存在する ~



沖縄の百年計画の構想

 沖縄の百年先を見通すときに、既存の政治家が考えてきて解けなかった難題を解け
た時の醍醐味は、著名な数学者が難解な問題をヒラメキによって解いた時の爽快感に
通じるものがあるだろうか?

 否、沖縄の百年計画は「解」が見通せたとしても、当事者の理解・政治家の取組み・
事業者の決断・県民をはじめとして多くの国民の支援や応援が不可欠であり、当然の
こととして、世界各国の有識者からのお知恵を拝借することが必要になってくる。

 しかし、反面において、明快な解が得られなければ、現状維持が続くことになる。

 私は「沖縄の百年計画」は、三段階のフェーズを経て展開させて行く必要があると
考えている。息の長い「ホップ」「ステップ」「ジャンプ」による大飛躍である。

◇第一段階のホップでは、海洋大国「日本」の先陣を、同じ海洋都市「東京」と共に
 海洋都市「沖縄」として、強力なパートナーシップの連携によって具現化する。
(沖縄・小笠原諸島共に2020年五輪に相前後して返還50年を迎える)

◇第二段階のステップでは、これから50年以内を目途に、沖縄の基地からの解放を
 目指して、北緯20度から30度の地域における神様からの贈り物と云っても良い
 東洋の楽園的な価値を最大限に導き出す方策を考えてみたい。

◇第三段階のジャンプでは、これから100年以内を目途に、まさに、大ジャンプで、
 リニア新幹線を本州から沖縄まで伸ばして、事実上、北海道から沖縄までの新幹線
 による移動を可能にする方策を考えてみたい。

 さて、それぞれの詳しい説明に移るが、第一段階の詳述は後に譲ることにして、今、
最もホットな話題となっている第二段階の「沖縄を50年以内に、基地から解放する」
方策(まだアイデアの段階)から書き出してみることにする。

 この場合に、現在、政府が進めている「辺野古への基地の移設」は、不可欠になって
くることを申し添えておきたい。

(沖縄基地と民間施設が隣り合わせとなって、かつ密集地域から、海岸沿いの辺野古に
 基地を移転する考え方は、ベストな選択と云い切れるのではないだろうか?)。

 一時、自民党が下野した時に、時の政権から沖縄基地の県外への移設が話題となり、
沖縄県民の期待が大きく膨らんだ。膨らみ切った期待感は冷めやらず、現状でベスト
と思われる辺野古への移設も、難題中の難題になってしまっている。

 しかし、これから先、50年以内に「沖縄から基地をなくして」太平洋戦争突入前
の東洋の楽園的な存在に戻すには、辺野古への基地の移設は、その「礎」となる。
このことに気付くには、沖縄から基地をなくす具体案の説明が必要となってくる。

 沖縄から基地をなくすための具現化として、メガフロートの研究が盛んに行なわれ
実際に、関西空港などの実績も視野に入れて具体的な見積もりなどもなされたと聴く。
極東の前線基地として適地を選ぶとなると、当然、沖縄の周辺海域となり、太平洋の
荒波や時には津波の影響も受ける海域となるために、防波堤に守られたメガフロート
が必要となり、一説には、総費用は1兆円を超えると聞き及ぶ。

 そこで、私が考えに考えたアイデアは、防波堤を築ける海域を選び出して漁業海域
に与える影響が少ないことも検証・確認した上で、防波堤と一体構造の空母艦船用の
停泊ドッグをメガフロートを基にした設計によって構築すると云う考え方である。

 そして、このドッグに、極東の前線基地として対応可能な装備を備えた大型艦船を
空母として、現在、計画されている辺野古基地の配備に相当する質と量を配置する。

 これによって、米軍は横須賀基地やその他の日本国内の艦船および米国本土の艦船
とのローテーションも可能となり、時々刻々と変化する状況に応じて防衛戦略は組み
やすくなると考える。

 同時に、日本独自の防衛任務としては、自衛隊に所属する空母艦船にあっても同じ
海域の空母用の停泊ドッグを共用して海洋大国「日本」の防衛任務に当たる。

 この場合に、防衛上の役割を明確にしておく必要がある・・・

◇日本が所有する自衛隊の空母艦船は、海洋大国「日本」の排他的経済水域内の活動
 であり、その行動規範は、日本国憲法に定めた範囲内とする。

◇これに対して米軍による空母艦船の活動は、現在、沖縄基地で展開されている極東
 地域の前線基地としての活動であり、自ずと、自衛隊の空母艦船の活動とは本質が
 異ってくると云える。

 ただし、本計画においても・・・

◇日本と米国の軍事専門家によるシミュレーションと検証は不可欠であり、

◇大手ゼネコンなどによる基本計画と見積もりなどを基にした、日本政府主導による
「フィージビリティ・スタディ(実現の可能性調査)」は不可欠となってくる。

◇ましてや、沖縄県民を初めとして国民の叡智を結集した上での時間をかけた論議も
 不可欠になってくる。

 それ故に、50年以内と云うスパンは、長くはないと考える。

 沖縄が基地から解放された時点においては、当然、辺野古は沖縄にとっての国内線
の航空拠点であり、羽田空港~関西空港~沖縄空港~八丈島空港の周遊航空路の要と
しての存在感を示して、海洋大国「日本」の海洋研究&開発の拠点ともなってくる。

  ~ この話、風の便りに、安倍総理大臣の耳に届くといいですね ~

(願わくば、世界平和が現実化して、メガフロート・ドッグが遺跡となる時代が訪れ
ることがあれば、それ以上の幸せはないと考える)。


カルフォルニアへの鉄路は千年の夢のまた夢

 先日は、家内と一緒に、映画「北の桜守」を観てきました。入間市の劇場では初日
の上映と云うこともあって、満席に近い状況でした。

 吉永小百合の作品と云うこともあり、シニア層の観客が多かった印象があります。

 母親役の吉永小百合の次男の役を演じているのが堺雅人でして、理想的な孝行息子、
筋書きに触れるとこれから観る方に申し訳ないので、触れませんが、実に母親思いで
嫁(奥さん)の言いなりにはならないところが、シニア層の観客には受け入れられや
すいところと云う印象を強く受けました。

 現実の世界では、だいたいが息子家族の処では、嫁のいいなりで母親のことなどは
二の次だけに、映画とは云え、ドラマの先々で嫁との関係は大丈夫かと、観客が心配
するほどのストーリー展開でした。

 映画、そのものの出来としては、私も、今までにいろいろな映画を観賞してきまし
たが「今まで観た中で一番」と云う印象でした。

 その魅力は、家内も云ってましたが・・・

「吉永小百合がとにかく可愛い!」と云う一言に尽きますね。

 家内も、吉永小百合さんとは同年代ですが、「可愛い!」と云う表現が同級生感覚
で云えるということは、実物大の本物の魅力と云うことでしょうね。

 小池都知事の言葉を借りれば・・・

「あの映画を誰と観るか?」ということになって、やはり「夫婦」、捻りを加えれば
「嫁と姑?」で、と云うところでしょうか。

 話は、飛躍しますが、最近・・・

「2020年の東京オリンピックとパラリンピックを誰と観るか?」と、云う動画が、
都議会で話題を呼んで、一部の都議から罵声が飛んだと聞き及んでいますが、この時
に私の脳内で思ったことは二つ。

◇一つ目は、小池都知事は、右脳と左脳の間のやり取りが俊敏で映像と論理面が瞬時
 に脳内で行き来できる人と云う印象を持ちました。

 したがって失敗が少ない、危ない橋を渡っても、ギリギリのところで踏ん張れる。

 事実「築地市場から豊洲への移転に際しても究極のところで正しい判断」をした。
 
 築地市場の平場から豊洲市場ビルに移転して、容積の立体化を図り、さらに、また
 築地地域の超高層化を図れば、ドバイの成功に習って、東京都中央卸売市場の収益
 改善の目途は付けられる(土地売却にせよ、施設としての賃貸収入にせよ!)。

 また、先日の衆議院選の際にも、過去に「株主責任」などと云うまったく訳の分か
 らない言葉で、日本航空の株式を紙くずにして、個人株主を飛行機から機外に放り
 出した国会議員のM氏の言葉にうっかり載せられて、若狭氏と共に苦渋を呑まされ
 そうになった際にも、ギリギリの処で、都知事に踏みとどまり本来の活躍の舞台を
 取り戻した(若狭氏も、結果的には、おかげて命拾いをしたと聞き及ぶ)。

◇二つ目は、2020年のオリパラを誰と観るか? のフレーズから商いのヒントを
 いただくと云う活用法。罵声を浴びせるよりも商いに活かすと云う意味では、婚活
 の豪華客船を2020年のオリパラの日程に合わせて企画。結婚願望のある方々に
 東京港と横浜港で男女同数乗り合わせていただいて、五輪開催の期間中、小笠原諸
 島と沖縄を巡回、現地の若者との婚活の機会も設けて五輪を一緒に見たい人と観る
 という企画を考えてみても良いのではと考えたが・・・

 これについては、東京圏の湾岸に豪華客船を並べてホテルとして活用すると云う案
が現実味を帯びて来て、婚活のための豪華客船の旅は、別の機会にすることにした。

 要は多くの男性都議は頭脳明晰な左脳人間が多く、決定プロセスがロジカルでない
と居心地が悪いようであるが、小池都知事の場合は左脳と右脳の行き来が俊敏なため
脳内にミニ都議会が内蔵されているようなものなので、そこを問題にしても埒が明か
ないことを、そろそろ理解したほうが良いと考えるが如何であろうか?

 都知事にあって、ギリギリのところで失敗しない存在は、都にとっても知的財産!

 だいぶ、寄り道が長くなったが、「北の桜守」の吉永小百合が演じる女性も、史実
に基づいたフィクション上の人物だが、左脳が優先する男性が女性の脳の働きを理解
するには善き映画と云える作品である(約7年の歳月をかけた意欲作だと云う)。

 そして、映画「北の桜守」の舞台は樺太から始まる。樺太と云えば、太平洋戦争の
末期に、沖縄戦に続いて戦場となった場所である。

 海洋大国「日本」と云う構想(ビジョン)において、北方の海域における課題と問
題点は四島の返還の重要性が焦眉の的であると云える。

 私の場合、北方四島の返還の先に在る夢は・・・

 北海道の釧路から、国後島、択捉島を経て、千島列島、アリューシャン列島、アラ
スカ半島、クイーンシャーロット諸島、ビクトリア、ポートランド、サンフラシスコ、
ロスアンゼルス、カルフォルニア半島に夢はつながる。

 カルフォニア半島は、まさに、北緯20度から30度の地域帯に在り、小笠原諸島
や沖縄、そして、ハワイと同じ地域帯の憧れの地域である。

 願わくば、鉄路で釧路からカルフォルニアまで旅をしたい冒険ルートであるが途中、
千島列島やアリューシャン列島は火山帯に属しており、千島列島などは、火山活動が
活発なこともあり、千年の鉄路の夢としては、実現は難しく、夢のまた夢と云える。



沖縄のリニア新幹線 

 沖縄と九州間をリニア新幹線でつなぎ、北海道から沖縄間を新幹線で行き来できる
ようにするには、百年先を見通して計画を進める必要がある。この場合に南西諸島の
島しょをつなぐ方式よりも、海底に鋼鉄製のチューブを配置する方が実現性は高い。

 南西諸島の島しょでは、実際に日常生活の営みが成り立っており、この生活環境に
劇的な変化を与える計画は誰も望まない。南西諸島の海底についても火山活動の状況
などを将来予測して、リニアの路線を決めて行く必要があるため、海底を一直線にて
走破と云うことも難しく、海底の基礎調査や地域住民および関係者などとの知恵の出
し合いも必要になってくるので、百年先と云っても時間はあまりないかもしれない。

 海底に鋼鉄製のチューブを敷設して、リニア列車をチューブ内で走らす方式を採用
するにしても、南西諸島のそれぞれの島しょから、海底のメンテナンス・ボックスに
向かっての技能者の行き来は不可欠であり、適切な場所の選択は必要になる。

 これは、すなわち、リニア列車の路線の保全作業であり日常的な作業になってくる。
具体的な説明をすれば、それぞれの島しょから海底に向かって保全などの目的で海底
に向かう海中エレベーターが必要であり、海底にはメンテナンス用のボックスを設け
ると云う構造である(このボックス内を鋼鉄製のチューブが貫通するという考え方)。

 それでは、具体的に、それぞれの島しょについて、その適合性を考察してみること
にしよう。

『ゴールデンエイジの物語(1.1~2.22話)』

続けてゴールデンエイジの物語を執筆中

『ゴールデンエイジの物語(1.1~2.22話)』 万田 竜人(まんだ りゅうじん) 作

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2017-02-17
Copyrighted

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