猫を愛した男

 友人に聞いた話である。
 二十年ほどむかし、彼女は日本を出て東南アジアのとある国に移り住み、大手の日系企業に事務職として採用されて働くことになった。入社して一か月ほどたち、そろそろ仕事にも慣れてきたころ、本社から一人の男性が出張に訪れた。
 その男性、Aさんは三十代で人当たりのよい好青年だった。彼は友人が入社する少し前までその国に駐在してたとの事で、入社して日が浅い友人を気遣い、夕食に誘ってくれた。
 駐在員時代によく行ったというレストランで食事をし、そのあと行きつけのバーで酒を飲みながら、上司や同僚に関する様々なエピソードや、職場の不文律、その国で生活するにあたって、知っておいた方がよい事など、あれこれと教えてくれた。
 何杯か酒が進み、話題が互いの私生活に移った頃、Aさんは飼っていた猫の話をした。
 彼がその猫を飼い始めたのはまだ十代の頃で、とてもよく懐いていたという。実家が首都圏にあったおかげで、彼は大学時代も、社会人になってからもずっと猫と一緒に暮らしてきた。そして中堅社員となったある日、海外赴任の辞令をうけた。
 普通の人はどうか知らないけど、僕はあの猫と離れて暮らすなんて考えられなかったから、一緒に連れてきたんだ、と彼は言った。
 もちろん簡単な事ではない。検疫だの何だの、時間もお金もかかったらしいが、猫との生活のためなら我慢できた。むしろ、猫がいてくれたからこそ、慣れない海外での生活にも、順調に馴染めたのだという。彼にとってその猫はまさに家族、あるいはパートナーだった。
 しかし、十代の頃から飼っている猫である。Aさんと一緒にこの国に移った時点で、すでにかなりの高齢だった。それが一年、二年と過ぎるうち、目に見えて衰えてゆき、ある日眠るように亡くなってしまった。
 Aさんの悲しみは深かった。飼い猫というより、自分の一部と呼んでいいような存在である。どこかに埋葬してやらなければ、とは思ったものの、この国に葬ったのでは、いつか自分が日本に帰任した時、離れ離れになってしまう。それだけは耐え難い。絶対に、猫が長く暮らした実家の庭に埋めてやりたかった。
 そこで彼は猫の遺体をキッチンの冷凍庫に入れた。いつか自分が日本に帰る日まで、愛猫をここで眠らせて、一緒に生活するのである。
 幸いなことに、というべきだろう、その機会は猫が死んでから半年ほど後に訪れた。彼は仕事の引き継ぎをすませ、引っ越しの準備も終えると、冷凍された猫を連れて日本へ向かった。
 しかしここで疑問なのは、どうやって猫の死骸(敢えてこう呼ぶ)を携えて飛行機に乗れたのか、という事である。手荷物だろうが預かりだろうが、X線での検査は必ず行われるし、画面に猫の骨格が映れば呼び止められるか、別室に連行されるに違いない。
 友人がその事を指摘すると、彼は「フィルムの感光防止用のバッグがあるだろう?あれに入れたんだよ」と説明した。
今でこそスマホ全盛だが、当時はカメラで写真といえばフィルム使用である。そしてこのフィルムが荷物検査のX線で感光するのを防ぐためのバッグというものが、海外旅行の便利アイテムとして重宝されていた。
 だとしても、そう簡単に猫の死骸を空輸できるものだろうか。場所が東南アジアなだけに、袖の下的なものが使えたのかもしれない。いずれにせよ、9.11以前の、まだどこかのどかな時代の話である。
 こうして彼は無事、愛猫を日本に連れ帰り、実家の庭に埋葬することができたという。
「本当に大切な、可愛い可愛い猫だったんだよ」
 そう語る彼は、まるで亡くなった恋人の話をしているかのようだったという。

 Aさんが出張を終えて帰国し、数日たったある日、友人は先輩社員のB子さんと飲みに出かけた。ここでもまた、職場の裏情報などをあれこれと教えてもらったのだが、話題がふと途切れた時、彼女は一瞬ぎらりと目を光らせ、「ねえ、すっごく気持ち悪い話、聞かせてあげようか」と言った。
 それからB子さんが語ったのは、Aさんと愛猫の話だった。
「信じられないよねえ、猫の死体を冷凍だよ?」

 さてあなたはどう思う、と聞かれたら、私は何と答えるだろう。
 とにかく、これが深い深い愛の話であることに間違いはない。そして古来から例外なく、深い愛の物語とはどこかしらグロテスクで、狂気を孕んだものなのだと思う。

猫を愛した男

猫を愛した男

あなたにとって、大切なペットとは?

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-29

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