小学校の思い出(イナゴとり)

 秋には稲の実りに合わせた「イナゴとり」が子供達にとって楽しい学校行事だった。2,3日勉強はなく、思い切り遊べるのが嬉しかった。
当時は有機農業だったからイナゴは大発生し、私の育った地方ではイナゴはどの家庭でも食べたので、つかむのがこわいと言う子はいなかった。初めこそ神妙にイナゴをつかまえて手拭の袋に入れるが、遊び心を押さえ続けるのは難しい。イナゴとりに飽きると3,4人寄ってきて、話はすぐまとまる。いつも腹を空かしているので先ずよその家の畑でクリ拾い、柿もぎをして腹の中に入れ、足長蜂の巣があれば幼虫を引っ張り出して口の中に入れる。太ったクリーム色の幼虫を口の中で転がして楽しむ子もいたが、私も弱虫と言われないように息もつかずに素早く飲み込んだ。
腹が少し落ち着くと、食糧事情の悪い我が家のために畦道沿いの川でドジョウや螺(ツブ)を獲った。捨ててある壊れたバケツで泥をすくって道にあけるとドジョウやイモリや水生昆虫が潜んでいて何が出てくるのか面白い。フナやナマズを得ることもあり、一旦始めるとなかなかやめられない。交代しながらやっているうちに探ったあとの泥の斑点が道端に長く続いた。
空き瓶、空き缶が獲物で一杯になると、興味の矛先が変わる。赤トンボの尻尾を半分ちぎって代わりに草の穂を差込んで飛行実験をし、フラフラしながら飛んで高い電線にとまると歓声をあげた。上級生は青ガエルのお尻から草のストローで空気を入れて膨らまし、それを川に浮かべて喜び、蛇をみつけては棒で打ち、野鼠を追い出そうとしては畦道の穴に棒を突っ込んだ。
 喧嘩も遊びの一環である。イチ、ニノ、サンッ、「バカヤロー」の合図で宣戦布告をし、隣村の子供達と川幅数十メートルの両岸に向かい合って、雪合戦ならぬ「石合戦」を始める。小さい子の投石は川の途中に落ちるが、大きい子の石は対岸まで届くから、大きい子が多く居る側が有利だった。双方で悪態をつきながら交戦する。
「オマエノカーサン デーベソッ」
「ヤッパリオマエモ デーベソッ」
自分だけならまだしも、母親まで侮辱されては許せない。両軍の攻防は激しくなる。石が躯幹に当たっても怪我はしないが、顔や頭に命中したら大変だから真剣である。ひとしきり戦って疲れると「またナー、バカヤロー」と休戦して別れた。このような「石合戦」は翌日も続くのである。怪我をする子がいたとしても、それは自己責任であり、親や学校が出てくる事はない。どこの親も忙しくていちいち子供を注意したり、かまったりする暇はなく、子供達がどのような遊びをしているかなど知る由もなかった。
 私が好んだ悪戯は、耳を線路にあてて遠くから汽車が近づいて来るのをキャッチすると線路に小石や釘を置いてつぶすことだった。つぶれた石の中身を調べたり、釘で小刀を作ったりするためだ。子供ながらも大きな石や金属は列車を転覆させるから使わない方がいい、この程度のちいさな石なら大丈夫だという判断力と理性は持っていた。言い訳がましいが、刑法や刑罰をちゃんと習っていればこのような事はしなかったかも知れない。
線路遊びでは、川に架かった鉄橋の構造物の中を伝っていって、その途中で汽車が通るのをすぐ真下から見たりもした。頭上は鉄の車輪、眼下は深い川、間違えば命が無い。スリル満点だ。でも普段木登りをして遊んでいるから落ちる心配はない。鉄骨は木の枝のように折れないから安心だった。
 さて、学校に集合する時間が迫ってくると、学年が上なのに下の子よりイナゴの数が少なければ怠けたのが先生にばれる、とイッチョマエに心配した。そこで数の少ない子は挽回するために最後の作業にはいる。イナゴを手で一匹ずつとっていたのでは間に合わないので、トンボとりの網を畦道と稲の境目に沿わせて田んぼの周りを駆けた。しかし、イナゴの逃げるのが早くてうまい具合に沢山とれるとは限らない。すると、悪党は最終手段を使って小さい子の袋に手を突っ込んでひとつかみ奪って自分の袋に入れる。弟が被害にあって泣きそうだった時、私は自分のイナゴを弟に分けてやった。いつもは穏便に「今度遊んでやるから」とか、「ビー玉をあげるから」とか話し合いで取引し、イナゴの捕獲量を学年相応に調整して、何食わぬ顔で学校に行くことになる。
 学校では先生方が大鍋にお湯を沸かして待っていて、子供達のとってきたイナゴを計量してから鍋の中に入れる。大体において女子の方が沢山とってきてノートやエンピツなどの賞品を貰った。女の子達は真面目だし、悪さをして遊ぶことなどしない。死んだヘビを持ち自分達を追いかけ回して喜ぶ男の子達を避けながらイナゴとりに専念していた。
彼女たちの中には勉強は苦手でも、この時は人一倍頑張る子もいた。その日の計量が終わってからもまた田んぼにいって夕方暗くなるまで次の日のためにイナゴをとるのだ。そして翌日にとったのと合わせて袋をいっぱいにして誇らしげに計量して貰う。この時ばかりは先生に褒められて嬉しそうだった。これでは男の子達はかなわない。私もイナゴが暴れてチクチクする袋を頬にあてながら自分の袋は女の子達より随分少ないと思った。
 今振り返ってみると秋の学校行事の陰で男の子達はよくもまあ悪さを沢山したものだ。私もそのうちの一人である。大人であれば問題となったり、罰せられたりするような事もやった。数十年たっていれば皆時効となっている。そして、子供の時にさんざん悪さをして遊んだせいか、大人になってからは悪いことをしようとする気持は殆ど無い。
2017年1月15日

小学校の思い出(イナゴとり)

小学校の思い出(イナゴとり)

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-16

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